ノロドム・シハモニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 君主 テンプレート:Commons&cat ソムダッチュプリヤバロムニアット・ノロドム・シハモニテンプレート:翻字併記1953年5月14日 - )は、カンボジア国王である(在位:2004年10月29日 - )。

経歴

1953年5月14日にプノンペンにてノロドム・シハヌーク国王と6番目の妃であるノロドム・モニニヤット・シハヌークの間に生まれた。名前は両親の名前からとられたものである。誕生した5月14日はちょうど父のシハヌークが外遊先の日本(日本にとっては終戦後初のアジアの君主の皇居への来訪)から帰国した日であったため、「トキオ」(トウキョウ)という愛称が付けられた[1][2]。シハヌークの息子たちの中では最も父親の愛情を受けて育ったといわれる。

1960年代から1970年代にかけてプラハでクラシック・ダンスを学んだのち、北朝鮮に渡り映画撮影技術を学んだ。ポル・ポト政権時代にはクメール・ルージュの打った父親名の偽電報によってカンボジアに帰国させられ、両親とともにプノンペンの王宮に幽閉された。1978年ポル・ポト政権崩壊直前に両親とともに脱出に成功、1981年にはフランスに渡り、バレエを教えた。その後カンボジアの内政不安定により、フランスに20年間留まることになる。1993年からはパリユネスコの大使を務めた。なお、シハモニは独身であり子供は居ない。

2004年10月7日に父王が退位を表明。14日、新たに制定された王室関連法によりフン・セン首相、ノロドム・ラナリット下院議長、チア・シム上院議長、上院副議長、下院副議長、高僧2人の9人のメンバーからなる王室評議会でノロドム・シハモニが指名され、そのメンバーであるフン・センおよびラナリットが国会でその旨を演説表明した。ノロドム・シハモニはこの時、シハヌークの退位を思いとどまらせるために、シハヌークの滞在先の北京にいたが、同年10月20日には即位に臨むためシハヌークと共に北京から帰国した。29日には8万人ともいわれる市民が集まり、その即位式が行われた。

2010年5月16日国賓として訪日。17日午前には、宮殿東庭で行われた歓迎行事で陸上自衛隊儀仗隊の栄誉礼を受けた。同夜には、皇居宮殿「豊明殿」で今上天皇主催の宮中晩餐会が催された。同19日、離日。

関連項目

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

先代:
ノロドム・シハヌーク
カンボジア王国国王
2004年 -
次代:
(在位中)
  1. 日本カンボジア関係略史 カンボジア王国(シハヌーク時代)
  2. 月刊『東亜』2004年12月号 電撃的なカンボジア国王交代劇