可部線
可部線(かべせん)は、広島県広島市西区の横川駅から同市安佐北区の可部駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
可部駅から旧・河戸駅周辺まで1.6kmの延伸(電化復活、2駅新設)が予定されている。
目次
概要
|} 現存する横川駅 - 可部駅間は全線電化されており、広島市の都市近郊路線となっている。かつては横川駅から広島県北西部の三段峡駅までを結び、可部駅 - 三段峡駅間が非電化で、広島市内への通勤輸送とともに三段峡への観光輸送路線としての役割を担っていたが、2003年12月1日に可部駅 - 三段峡駅間が廃止された[1]。
全区間を広島支社が管轄し、IC乗車カード「ICOCA」の岡山・広島エリアの広島地区に含まれているとともに[2]、全駅がJRの旅客営業規則における特定都区市内制度の「広島市内」の駅である。
2008年(平成20年)度の輸送密度は約18,635人と、地方交通線では最高であり、同時に唯一輸送密度が1万人を超えている地方交通線でもある[3]。
広島支社独自で与えられているラインカラーは紫(テンプレート:Color)。岡山支社管内各駅の運賃表では当初濃い紫(姫新線・呉線と色調が異なる)が使われていたが、西川原駅開業に伴い交換されてからは灰色となっている。
路線データ
営業中の区間
- 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):14.0km
- 軌間:1067mm
- 駅数:12(起終点駅含む)
- 可部線所属駅に限定した場合、山陽本線所属の横川駅[4]が除外され、11駅となる。
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
- 最高速度:65km/h
- 運転指令所:広島総合指令所
廃止区間
- 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):46.2km
- 軌間:1067mm
- 駅数:21(可部駅をのぞく)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:
- 可部駅 - 加計駅間:特殊自動閉塞式
- 加計駅 - 三段峡駅間:スタフ閉塞式(1992年3月までは単線自動閉塞式)
運行形態
テンプレート:See also 広島駅を起点に運転されており、一部の列車は広島駅を越えて山陽本線・呉線方面へ乗り入れている。全区間を通して運転する列車のほか、平日朝ラッシュ時には緑井駅または梅林駅折り返し、夕方から夜間にかけては緑井駅折り返しの区間列車が設定されている。すべて各駅に停車する普通列車である。日中は20分間隔で運行している。全列車に車掌が乗務しており、ワンマン運転は行われていない。
車両の夜間滞泊は可部駅のみで行っている。
元々は横川駅を起点とする私鉄だったこともあり、かつては横川駅を起点に運転され、電留線も横川駅にあった。後に駅移転・山陽本線電化等で一部の列車が広島駅に乗り入れるようになり、さらに1991年からは全列車が広島駅に乗り入れとなった。横川駅の電留線は留置する電車が無くなった後もしばらくは存在していたが、のちに撤去されている。
電化区間の区間列車はかつては古市橋駅までの運行であったが、1994年に緑井駅に行き違い施設が新設されたことにより緑井駅まで延長になった。後に、朝の一部列車がさらに梅林駅まで延長されている。
2004年10月16日のダイヤ改正より、夕方に下り広島発可部行きのみ快速「通勤ライナー」が運転されていたが、2012年3月17日のダイヤ改正をもって廃止された。しかし、可部線内は普通列車で山陽本線・呉線内は快速運転(または山陽本線・呉線内は快速運転で可部線内は普通列車)となる列車は存在する。
貨物列車の運行は1984年に廃止され、現在は旅客のみを扱っている。末期の貨物営業は電化区間(可部駅以南)のみであったが、貨物列車はディーゼル機関車(無煙化前は蒸気機関車)が牽引していた。
ドアカット
かつては七軒茶屋駅と上八木駅のホームが3両編成までしか対応しておらず、4両編成列車は長らくこの2駅で広島側の1両のドアカットを行い、残り3両のみドアを開閉していた。
しかし、車掌の取り扱い不注意による事故(誤って七軒茶屋駅・上八木駅で4両目もドアを開けてしまう事故)を防止するために、2005年10月1日のダイヤ改正から七軒茶屋駅 - 可部駅間のすべての駅で広島側の1両のドアカットを行うようになった。ところが、2007年9月7日に七軒茶屋駅において車掌のミスにより、4両編成の全車両のドアを開扉する事故が発生した[5]。JR西日本は安全対策として、両駅とも4両編成対応工事をすることを発表[6]し、2008年3月15日のダイヤ改正から七軒茶屋駅は南に移設された新ホームとなり、また上八木駅もホームが延伸され、全駅が4両編成に対応となり、可部線におけるドアカットは解消された。
使用車両
現存する区間は全列車が電車で運行されている。
2003年に廃止された可部駅 - 三段峡駅間については全線非電化であったため全列車が気動車で運行されていた。かつては電化区間内も気動車による運用があったが、同区間の廃止と同時に消滅した。また、広島駅から芸備線に直通する気動車列車も一時期存在していたが、同区間廃止以前に運行を中止している。全列車が日本国有鉄道(国鉄)時代に製造された車両で運行されており、国鉄分割民営化後の1987年以降に製造された車両は使用されていない。
現在の使用車両
すべて、下関総合車両所(運用検修センター、広島支所)に所属する電車が使用されている[7]。
- 105系
- 1984年から使用されている可部線における最主力車両である。広島支所の105系K編成が使用され、主にワンマン運転に対応していない編成が運用されているが、一部列車にはワンマン運転に対応した編成も使用されている。かつて設定されていた可部線内の快速列車は、この車両が使用されていた。
- 115系
- 運用検修センターと広島支所の115系が朝夕を中心に乗り入れている。
- 113系
- 広島支所の113系F編成・P編成が朝夕を中心に運用されている。一部は呉線と直通運転している。なお、2001年ごろには当時網干総合車両所所属で広島運転所(当時)に貸出中の113系が運用に入ることもあった。
- 以前は、F編成が運用に使用されていたが、2012年からP編成の運用も増えてきた。
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105系
- JRW series115 Kabe.jpg
115系
- JRW series113 Kabe.jpg
113系
導入予定車両
- 227系
- 2015年春営業運転開始予定
過去の使用車両
蒸気機関車
1936年10月13日に可部駅 - 安芸飯室駅間が開通すると可部に機関車駐泊所が設置され230形(244・260)が常駐し、客車をひいていた。1946年ころよりC11形にかわったが1971年3月25日に無煙化された。
電車
- 103系:1993年転入。ラッシュ時を中心に運用されており、広島駅から呉線や山陽本線に乗り入れる列車もあった。2011年3月のダイヤ改正で定期運用が消滅。以前は岡山電車区所属の103系も乗り入れていた。
- クモハ123形:1987年、改造落成と同時に導入。1993年に宇部電車区(宇部線・小野田線用)に転属。
- 72系:1976年にクモハ11・クハ16形の代替として転入。1984年に105系に代替され廃車。
- クモハ11・クハ16形:社形・省形木造車の代替として転入。1976年に72系に代替され廃車。
- 社形:各地の買収電化私鉄を国有化した際に承継した車両。1950年代まで使用された。
- モハ1形・クハ6形:国有化後に転入。クモハ11・クハ16形に代替された。
- モハ90形・モハ91形・モハニ92形:広浜鉄道から承継。原爆によりモハ90形3両以外は焼失し廃車。残ったモハ90形3両は1953年にクモハ11・クハ16形に代替され廃車となり熊本電気鉄道に譲渡。のちのモハ90系(→101系)、モハ91系(→153系)、クモヤ92形とは無関係。
気動車
- キハ40形・キハ47形:2003年まで定期列車に使用。
- キハ58系:2003年まで使用。秋の三段峡観光シーズン時の臨時快速として入線していたほか、臨時快速の運転日前日には広島運転所からの送り込みとして昼間の気動車運用に増結することもあった。また、わんぱく列車でも当系列が使用されていた。
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103系
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クモハ123形(宇部電車区に転出後)
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72系
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クモハ11形
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モハ90形(熊本電気鉄道に譲渡後)
- Imaida Station.jpg
今井田駅に停車中のキハ40形
歴史
可部線の現存区間は、私鉄が開業した区間を1936年に国有化したものである。同区間は、1909年、大日本軌道広島支社が軽便鉄道規格で開業したものであるが、数回所有者が変わり、買収時の所有者は広浜鉄道であった。本路線は、改正鉄道敷設法別表第94号の予定線「廣島縣廣島附近ヨリ加計ヲ經テ島根縣濱田附近ニ至ル鐵道」の一部として買収されたものである。
可部駅以北は国により建設された。1968年に国鉄諮問委員会が提出した意見書で、可部駅 - 加計駅間が鉄道としての「使命を終えた」路線、いわゆる赤字83線に挙げられ廃止勧告を受けた一方で、建設は続けられ、翌1969年に三段峡駅までが開通した(新規開業区間は非電化)。その後も日本鉄道建設公団の建設線(今福線)として山陰本線の浜田駅を目指して建設が進められたが、1980年の国鉄再建法の施行により工事は中断され、現在も遺構が残る。
2003年には非電化区間の可部駅 - 三段峡駅間が廃止された(詳細は後述)。なお同区間内には、1954年の布駅 - 加計駅開業により国鉄路線延長が2万kmに達した地点(坪野駅 - 田之尻駅間。坪野寄り500m)が含まれており、位置を示す記念碑だけが取り残されることとなった。
年表
国有化まで
- 1909年(明治42年)12月19日[8]:大日本軌道広島支社線 横川停留場 - 祇園停留場間が開業。軌間762mm非電化で、軌道法に基づく軌道線。横川停留場・松原停留場・新庄橋停留場・長束停留場(初代・のちの安芸山本駅)・祇園停留場が開業。
- 1910年(明治43年)11月19日[8]:祇園停留場 - 古市橋駅間が延伸開業。古市橋駅が開業。
- 1911年(明治44年)6月12日:太田川橋停留場 - 可部駅間が延伸開業。中島停留場(現在の中島駅)・可部駅(のちに可部町駅に改称)が開業。
- 1913年(大正2年)
- 5月頃:下祇園駅が開業。
- 6月頃:八木停留場(のちの中八木駅)が開業。
- 1919年(大正8年)3月11日:可部軌道へ譲渡。
- 1926年(大正15年)5月1日:広島電気に合併[9]。
- 1928年(昭和3年)11月9日:横川停留場 - 古市橋駅間改軌(→1067mm)・電化(直流600V)、横川停留場 - 長束停留場間が経路変更。古市橋駅 - 可部駅間を運休してバス代行輸送。松原停留場が廃止。大師停留場(現在の安芸長束駅)が開業。
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)
- 1月1日:太田川橋完成により、太田川橋停留場 - 太田川橋東詰停留場間が改軌・電化。これにより全線の改軌・電化が完成。
- 10月頃:大芝公園口停留場(現在の三滝駅・松原停留場の代替)が開業。
- 1931年(昭和6年)7月1日:広浜鉄道へ譲渡[10](広島電気の全額出資[11])。
- 1933年(昭和8年)
- 1935年(昭和10年)
国鉄時代
- 1936年(昭和11年)
- 1943年(昭和18年)10月1日:新庄橋駅・安芸山本駅・祇園駅・安駅・七軒屋駅・中八木駅・安芸中島駅が休止。
- 1946年(昭和21年)8月15日:安芸飯室駅 - 布駅間 (2.4km) が延伸開業。可部駅 - 布駅間で貨物営業開始。布駅が開業。
- 1948年(昭和23年)10月1日:架線電圧が750Vに昇圧。
- 1953年(昭和28年)11月1日:上八木駅が移転。
- 1954年(昭和29年)3月30日:布駅 - 加計駅間 (18.5km) が延伸開業。坪野駅 - 田之尻駅間で国鉄路線延長が2万kmに達する。小河内駅・安野駅・水内駅・坪野駅・津浪駅・加計駅が開業。
- 1956年(昭和31年)
- 1962年(昭和37年)
- 1966年(昭和41年)2月1日:香草駅が開業。
- 1968年(昭和43年)9月4日:可部駅 - 加計駅間 (32.0km) が「赤字83線」に挙げられ廃止勧告を受ける。
- 1969年(昭和44年)
- 7月1日:筒賀駅が田之尻駅に改称。
- 7月27日:加計駅 - 三段峡駅間 (14.2km) が延伸開業。加計駅 - 戸河内駅間で貨物営業開始。木坂駅・殿賀駅・上殿駅・筒賀駅・土居駅・戸河内駅・三段峡駅が開業。
- 1974年(昭和49年):三段峡駅 - 浜田駅間の建設工事に着手。
- 1978年(昭和53年)10月1日:可部駅 - 戸河内駅間の貨物営業廃止。
- 1980年(昭和55年):国鉄再建法により今福線の工事が中止。
- 1984年(昭和59年)1月1日:横川駅 - 可部駅間の貨物営業廃止により全線の貨物営業廃止。
西日本旅客鉄道発足後
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。
- 1988年(昭和63年)3月13日:水曜日の一部列車の運転休止が廃止[13]。
- 1989年(平成元年)3月11日:可部線から呉線へ乗り入れる列車の運転開始[14]。
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)3月14日:呉線から可部線へ乗り入れる列車の運転開始[18]。
- 1994年(平成6年)
- 1998年(平成10年)9月:JR西日本が可部駅 - 三段峡駅間廃止の意向を表明。
- 2003年(平成15年)12月1日:可部駅 - 三段峡駅間 (46.2km) および、河戸駅 - 三段峡駅間の21駅が廃止[1]。
- 2006年(平成18年)7月1日:可部鉄道部が廃止され、広島支社の直轄になる[20]。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)3月15日:七軒茶屋駅がホーム延伸に伴い横川寄りに0.1km移転[6]。上八木駅がホーム延伸。
- 2013年(平成25年)2月1日:JR可部線の電化延伸 (1.6km) について、広島市とJR西日本との間で合意[24]。
- 2014年(平成26年)
可部駅 - 三段峡駅間の廃止
可部駅 - 三段峡駅間 (46.2km) は、2003年(平成15年)12月1日に廃止された[1]。廃止当時は、可部駅 - 加計駅間で1日8往復(2時間に1本程度)だったが、三段峡駅までは5往復で4時間ほど運行されない時間帯があった。むしろ、並行する路線バスの本数がはるかに多かった(毎時1 - 2本、広電バス・広島交通の2社共同運行。安芸飯室駅までは前記2社の区間便と中国ジェイアールバスも加わり、2 - 3本)。
可部駅 - 三段峡駅間は開業してから、何度か廃止議論が起こった区間であった。具体的な動きで初めて表面化したのは、1968年(昭和43年)9月の赤字83線の中で、当時開業していた可部駅 - 加計駅間を廃止すべきと勧告された[29]。当時の営業係数(100円稼ぐのに必要な費用)が、赤字83線で廃止された宇品線が464円に対し、可部駅 - 加計駅間が519円だった[30][31]。しかし、その時は地元議会の反対や、当時建設中だった「本郷線」(加計駅 - 三段峡駅間の工事名称)の建設、さらには、山陰とを結ぶ今福線構想もあったため廃止されず、翌1969年(昭和44年)7月に加計駅 - 三段峡駅間が開業。さらには、1974年(昭和49年)には三段峡駅 - 浜田駅間の建設を開始した。
しかし今福線建設は、1980年(昭和55年)に国鉄再建法成立で工事中断。進捗率もわずかであった。国鉄再建法で可部線は廃止対象になる特定地方交通線ではなく地方交通線とされた。1984年(昭和59年)に、可部線非電化区間は廃止の議論に上ったが[32][33]、その中で、可部駅 - 河戸駅間に関して電化して存続する案が示された[34]。実際に同時期に、部分電化を行って部分存続および非電化区間の廃止が行われた路線に新潟県の弥彦線がある[35]。特定地方交通線を指定するための検討では、全線の旅客輸送密度で考えられたので、電化区間の乗客数を合わせて平均したことで、廃止基準の4,000人を超えていたことや平行道路の状況が良くなかったこと、また翌年の1985年(昭和60年)2月19日に、広島市を含む沿線5市町村が『国鉄可部線対策協議会』を結成し反対運動を行ったことで[36][37]、廃止にはならなかった。1987年(昭和62年)国鉄は分割民営化され、JR西日本に移行した。
1998年(平成10年)に入り、可部線の部分廃止がささやかれていたが、同年9月にJR西日本が、正式に可部駅 - 三段峡駅間の廃止・バス移行の方針を打ち出した[38]。
1997年(平成9年)当時の収支が、横川駅 - 可部駅間が収入15億円に対して経費20億円で5億の赤字。可部駅 - 三段峡駅間が収入1億4000万円に対して経費7億4000万円で6億の赤字。横川駅 - 可部駅間の赤字は好転の見通しがあり看過できるが、可部駅 - 三段峡駅間の赤字は看過できないとした[39]。もっとも、赤字理由には今後の架構施設の維持管理費が膨大にかかるからだとする意見も存在している[40]。
可部線沿線住民は、利便性が高まれば利用者は増えると主張し、河戸駅周辺住民による存続・復活運動や津浪駅の駅名と当時のヒット曲を掛けた存続運動、地元役所の出張に可部線を使うなど、存続活動が行われた。
JR西日本は、地元の存続運動に応える形で、2000年(平成12年)11月からの104日間[41]と、2001年4月からの1年間[42]の2回、列車の試験増発を行った。結果、乗客が増えたのは土曜・日曜日に運転された広島駅からの臨時快速「三段峡観光号」だけで、地元の利用、とりわけJR西日本が重視していた定期利用客はほとんど増えなかった。
JR西日本が設定した存続の条件・輸送密度800人/日には達せず、廃止が決定した。その後、地元自治体を中心とする第三セクターへの移行も検討されたが、断念された[43]。
廃止後は広島電鉄(可部駅 - 三段峡駅間、国道191号経由)、広島交通(可部駅 - 安芸飯室駅間、広島県道267号宇津可部線経由)による代替バスに転換された。鉄道施設・線路跡については、JR西日本から広島市、山県郡加計町、戸河内町、筒賀村、佐伯郡湯来町(現在、湯来町は広島市に編入、加計町・筒賀村・戸河内町は合併し安芸太田町)の各沿線自治体に無償で譲渡され、各自治体は跡地の活用についての検討に入った。
一方、廃止後も廃止区間を鉄道として再生しようという動きがあり、2004年(平成16年)1月、住民グループ「太田川流域鉄道再生協会」(会長・伊藤稔、事務局長・山根弘司)が結成され、線路や鉄道施設の撤去に反対する運動が行われた。同年4月、同協会により「太田川鉄道株式会社」(代表取締役社長・山根弘司、同年12月に有限会社に改組)が設立され、事業計画を加計町、戸河内町、筒賀村、湯来町および広島市に提出した。事業計画の内容は、第1段階として2004年9月から秋の観光シーズンや週末に観光鉄道として運行、第2段階として地域鉄道と観光鉄道の両立し、廃止区間の再生を目指すというものであった。また課題として (1) 潤沢な資金の用意 (2) 鉄道事業の認可申請 (3) 可部駅及び存続区間への乗り入れに関わるJR西日本との交渉を挙げていた。しかし住民グループの地域おこし企画程度の内容であり、路線調査や集会などは開催したものの、大口の出資者は全く無かった。このため地域のテレビ番組やウェブサイト等で募金を呼びかけるなどし、その募金を基に観光鉄道としての運行再開を目指していたが、集まった募金はわずか700万円ほどで、同規模の第三セクターと比較すれば工事費はおろか開業時の運転資金にすら遠く及ばない額であった。一方廃線跡の譲渡を受けた安芸太田町は同年12月、「可部線廃線跡地利活用計画」にかかる予算が町議会において可決されたことを受け、可部線の線路、枕木の撤去や駅舎解体などを開始、町は2005年(平成17年)内には廃線跡全区間の施設撤去と再整備に着手する方針を示した。この結果鉄道の復活が不可能となり、太田川流域鉄道再生協会は活動を断念。同年5月25日に伊藤稔・太田川流域鉄道再生協会会長の名義で支援金の返還を決定する文面が太田川鉄道有限会社のサイトに掲載された。なお2014年現在このサイトは存在せず、会社自体も消息不明である。
そのほか、可部線の広島市内の廃線跡の処置については、2006年(平成18年)3月に広島市がビジョンを公表している。これによれば、河戸駅の先、長井・荒下地区までは電化再生、それ以外の区間は道路拡幅用地や自転車道、公園などへの整備が謳われている。また、長井・荒下地区までの区間についてもスケジュールや費用負担などの具体的な言明は一切なく、現状の再確認にとどまっている。その上で当面は廃線跡にヒマワリを植える計画であり、市として復活関連の事業は、その時のビジョンでは当面何も行わないことを事実上明らかにしていた。
線路跡の状況
可部駅 - 河戸駅間 (1.3km) は広島市とJRの協定の関係でほとんどそのまま残し(ただし、可部駅からの線路は駅北側の国道54号オーバークロス手前で第3種車止めが設置され、それ以北の線路からは切断されている。また、切断部分以北の線路の踏切部分についてはアスファルトで覆われている)、そこから先の河戸駅 - 三段峡駅間 (44.9km) は廃止から1年以上、踏切部分のみ撤去されて路盤など設備はほぼ原状のまま残っていた。2005年(平成17年)に入り、安芸太田町内は線路・枕木が一部をのぞいてほぼ全線で撤去され、駅も一部撤去や路盤から道路への転用が始まっている。広島市内の区間については前述の電化の可能性を残す区間をのぞいて、2007年(平成19年)度中に線路・枕木が撤去された。三段峡駅跡地は交流施設となっている。加計駅跡地には体験交流館「かけはし」が整備された。
可部駅 - 旧河戸駅間の復活
これまでの歩み
テンプレート:Sister この区間の電化復活の進展に至る過程には、地元住民の熱心な電化延伸運動が存在していた(住民運動については「河戸駅#可部駅 - 河戸駅間電化計画」も参照)。
可部駅 - 河戸駅間は、昭和40年代(1965年 - 1975年)の住宅建設ラッシュの中で住宅団地が多く造成され、住宅が多く建てられていた。
1994年(平成6年)夏、可部線の部分廃止が具体化する以前から、河戸駅周辺の亀山地区住民、約6,000世帯が「可部駅・河戸駅間電化促進期成同盟会」を結成し、電化延伸運動を開始した。1996年(平成8年)9月には、地元自治会を中心に377世帯が加入した「河戸地区まちづくり協議会」が旗揚げした[44]。
1998年(平成10年)9月にJR西日本が廃止の意向を明らかにした以降も、活動は活発に行われていた。2003年(平成15年)の部分廃止の時には、廃線は免れなかったものの、可部駅 - 河戸駅間に関してはJR西日本と広島市の間で「市から電化延伸の協議があれば応じる」と確約を取り付けた。ただ、費用については地元負担を原則にしていたため、緑井駅 - 可部駅間のすれ違い施設を含め30億から40億円かかることで、廃線時までには、河戸駅間電化に関する具体的な動きはなかった[45]。廃線後も、広島市と旧河戸駅周辺住民による「JR可部線電化延伸等連絡会」が月1回開かれた[46]。
2008年(平成20年)9月に、「可部線活性化調査」が国の補助対象に選ばれ、計画が具体化した[47]。そのことでJR可部線活性化協議会が設置され、広島市・JR西日本のほか、バス会社やオブサーバーとして国土交通省が参加した[48]。2009年(平成21年)12月には、活性化素案に電化延伸を盛り込む意向が明らかになった[49]。
2011年(平成23年)2月3日、広島市は可部線で2003年(平成15年)に廃止された区間のうち可部駅から廃止区間にある河戸駅西方約400m付近に設置される予定の新駅までの約2kmを電化して復活させることを明らかにした(一旦廃止されているため、延伸新線として開業)。実現した場合は、廃止されたJRの路線が復活するのは全国でも初めてのケースになる[50][51]。計画では、広島市と国が建設費の大半を負担して、2013年度中の完成を目指して2011年度中に着工とした。
2011年(平成23年)2月16日には、JR西日本の広島支社長が、広島市と早期同意する意向を示した[52]。
2011年(平成23年)2月25日、広島市が新駅を旧荒下県営住宅跡地に設置し、同地に広島市立安佐市民病院を移転(2014年2月、広島市議会において移転に関する費用を盛り込んだ病院事業会計の補正予算案が否決され、病院移転計画については停止されている)、周辺を住宅地等として整備する方向で検討を進めていることが明らかになった。新しい終着駅は、旧河戸駅より路線を約400m延伸し、亀山南の荒下県営住宅跡地に、また可部駅と新駅の中間にも別の新駅を設置。路盤は不要な設備を撤去した後で整備するとした。また運行本数は、広島駅 - 可部駅間の本数を確保するとした[53][54]。
2011年(平成23年)9月7日にJR西日本の広島支社長は、国土交通省が安全面から新線への設置を認めていない踏切を住民の要望で3カ所復活させるため、同省中国運輸局との調整が必要となったこと、線路など鉄道施設の耐久性の問題などを理由に、同年9月末の最終決定を事実上先送りすることを明らかにした[55]。
国土交通省は踏切道改良促進法に基づき「鉄道の新線建設にあっては、原則として道路との立体交差化を進めるものとする」との方針から、新設鉄道と道路との交点については高架化あるいは地下化を指導しているため、JR西日本は踏切の全廃を提案したものの、住民が「生活道路が遮断され不便」と反対。広島市も立体交差まで事業化することは困難であったため、2012年(平成24年)に入っても、踏切の扱いをめぐる協議がまとまらなかった。同年1月18日に広島市はスケジュールに遅れが出ているのを認め、電化延伸工事の2011年度内着工が困難となり、計上した関連予算を次年度の2012年度に繰り越す検討に入り、完成が2013年度中から遅れる可能性が出てきたことを明らかにした[56]。
その後、2012年12月31日に、2012年度中に着工、2015年度に運行を開始することを、広島市とJR西日本の間で2013年1月中旬頃に合意すると報じられ[57]、同年2月1日に広島市とJR西日本との間で合意、同月4日に発表した[24]。総事業費は約27億円、国から3分の1の補助を受けて広島市が負担する。駅舎や路線などは広島市が整備し所有。JR西日本は運行や保線経費を受け持つ。2015年(平成27年)3月のダイヤ改正時を開業目標とした[58]。
更に2013年9月、踏切に関する調整に時間が掛かったことからJR西日本が夏に行う予定であった国土交通省への事業許可申請が遅延した。このため2013年秋から着手するとされていた古いレールの撤去なども遅れており、2015年3月の開業は困難な見通しとなっていることが明らかとなった。開業は一年遅れの2016年3月になる見込みとなった[59]。その後2013年11月28日にJR西日本が許可申請を行った[60]。
2014年2月25日、JR西日本が鉄道事業許可を取得した[25]。
事業概要
2013年2月4日付のプレスリリース「JR可部線の電化延伸について[61]」に記載されている事業概要は以下の通り
- 事業主体:JR可部線活性化協議会 (JR西日本、関係バス事業者、広島市などで構成)
- 区間:可部駅 - 荒下県営住宅跡地
- 路線距離:1.6km
- 駅数:2駅(可部駅をのぞく)
- 可部駅は下りホームを増設し、相対式ホームへ改良する。
- 中間駅は単式ホーム1面1線で無人駅。
- 終端駅は頭端式ホーム1面2線で無人駅。
- 新設踏切数:3箇所
- このうち1箇所は鉄道との立体交差化が完成するまでの暫定踏切。
- 概算事業費:27億円
駅一覧
営業中の区間
便宜上、全列車が乗り入れる山陽本線広島駅も合わせて記載。
- 全駅広島県広島市に所在し、特定都区市内制度における「広島市内」エリア([広])の駅である。
- 全列車普通列車(すべての駅に停車)
- 呉線から直通する快速列車も、可部線内では普通(各駅停車)として運転される
- 線路(可部線内は全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可能、|:列車交換不可、∥:複線(山陽本線内)
- 駅名欄の背景色がテンプレート:Colorの駅(新可部駅・新河戸駅)は未開業の駅であることを表す。駅名は仮称。
路線名 | 駅名 | 駅間営業キロ | 横川 からの 営業 キロ |
接続路線 | 線路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|---|
※ | 広島駅 | - | 3.0 | 西日本旅客鉄道:山陽新幹線・山陽本線(瀬野方面)・呉線[* 1]・芸備線 広島電鉄:本線 |
∥ | 南区 |
横川駅 | 3.0 | 0.0 | 西日本旅客鉄道:山陽本線(岩国方面) 広島電鉄:横川線 |
∨ | 西区 | |
可部線 | ||||||
三滝駅 | 1.1 | 1.1 | ◇ | |||
安芸長束駅 | 1.5 | 2.6 | ◇ | 安佐南区 | ||
下祇園駅 | 1.3 | 3.9 | ◇ | |||
古市橋駅 | 1.4 | 5.3 | ◇ | |||
大町駅 | 1.2 | 6.5 | 広島高速交通:広島新交通1号線(アストラムライン) | | | ||
緑井駅 | 0.8 | 7.3 | ◇ | |||
七軒茶屋駅 | 0.8 | 8.1 | | | |||
梅林駅 | 1.5 | 9.6 | ◇ | |||
上八木駅 | 1.6 | 11.2 | | | |||
中島駅 | 1.4 | 12.6 | | | 安佐北区 | ||
可部駅 | 1.4 | 14.0 | ∧ | |||
未開業(2016年春開業予定)区間 | ||||||
新可部駅 | | | |||||
新河戸駅 | 15.6 | ∧ |
※:広島駅 - 横川駅間は山陽本線 テンプレート:Reflist 横川駅・大町駅・可部駅の3駅(広島駅を含めると4駅)はJR西日本直営駅、三滝駅・七軒茶屋駅・上八木駅・中島駅の4駅は無人駅、残りの5駅はジェイアール西日本広島メンテックによる業務委託駅である。
廃駅
廃止区間の駅は後節を参照。( )内は横川駅起点の営業キロ
- 1943年廃止
- 1943年以前の廃止
廃止区間
所在地の自治体名は廃止当時のもの。全駅広島県に所在。加計町・筒賀村・戸河内町は現・安芸太田町、湯来町は現・広島市佐伯区の一部。
駅名 | 駅間営業キロ | 横川 からの 営業 キロ |
所在地 |
---|---|---|---|
可部駅 | - | 14.0 | 広島市安佐北区 |
河戸駅 | 1.3 | 15.3 | |
今井田駅 | 2.4 | 17.7 | |
安芸亀山駅 | 2.9 | 20.6 | |
毛木駅 | 2.8 | 23.4 | |
安芸飯室駅 | 1.7 | 25.1 | |
布駅 | 2.4 | 27.5 | |
小河内駅 | 2.1 | 29.6 | |
安野駅 | 2.5 | 32.1 | 山県郡加計町 |
水内駅 | 4.1 | 36.2 | 佐伯郡湯来町 |
坪野駅 | 1.4 | 37.6 | 山県郡加計町 |
田之尻駅 | 3.0 | 40.6 | 山県郡筒賀村 |
津浪駅 | 1.9 | 42.5 | 山県郡加計町 |
香草駅 | 1.9 | 44.4 | |
加計駅 | 1.6 | 46.0 | |
木坂駅 | 1.9 | 47.9 | |
殿賀駅 | 2.1 | 50.0 | |
上殿駅 | 2.0 | 52.0 | 山県郡戸河内町 |
筒賀駅 | 2.1 | 54.1 | 山県郡筒賀村 |
土居駅 | 2.1 | 56.2 | 山県郡戸河内町 |
戸河内駅 | 1.1 | 57.3 | |
三段峡駅 | 2.9 | 60.2 |
今福線予定区間
- 新線
- 三段峡駅 - 橋山駅 - 芸北駅 - 波佐駅 - 徳田駅 - 旭町駅 - 石見今福駅 - 浜田駅
- 旧線
- 三段峡駅 - 橋山駅 - 芸北駅 - 波佐駅 - 徳田駅 - 旭町駅 - 石見今福駅 - 下佐野駅 - 有福駅 - 上府駅 - 下府駅
三段峡駅から先の区間は、1974年に全線で工事に着手した。三段峡駅の先では、全長が10km近い三段峡トンネルが計画されており、試掘坑の掘削に着手されていた。しかし国鉄再建法に基づいて1980年に新線建設が凍結されたため、工事は中止された。この時に建設された試掘坑は現在中国醸造の焼酎等の保管施設として利用されている[62]。
当初は下府駅を終点とする計画であった。旧線区間の石見今福 - 下府間は太平洋戦争前に着手され、大半のトンネルと橋梁が完成していたが、戦時供出によりレールの敷設ができず、その後の水害で路盤が崩壊してしまった。戦後建設を再開するに当たり、当初はこの旧線を手直しして使用することになったが、急こう配や急カーブを理由にこの案は破棄されて上記の浜田駅までの新線ルートとなった経緯が存在する。また、新線建設にあたり旧線の路盤を一部切り崩して新線の路盤とした区間が存在する。
工事凍結後、旧線の一部のトンネルが道路として使用されていたが、老朽化や行き違いトラブルなどにより現在は閉鎖された。道路に転用されなかったトンネルも、立地が非常に危険で到達困難な場所に存在するか、フェンスにより立ち入りが禁止された状態となっている。
旧線の橋梁には(工事が戦時中だったため鉄の節約目的で)コンクリートアーチ橋がいくつか採用されており、2008年にそのアーチ橋群が土木学会選奨土木遺産に指定された。
可部線が登場した作品
- おニャン子クラブの河合その子が1986年3月21日に発売した「青いスタスィオン」のプロモーションビデオでは、今井田駅が使用された。
- 井伏鱒二の小説『黒い雨』の舞台は可部線であり、可部駅の名前や現在は廃駅となった安芸山本駅の名前が登場している。
- 劇場版『天然コケッコー』では、今福新線の石見今福駅予定地近くの下長屋トンネルを抜けたところにある橋梁がロケ地の一つとなっている。
- 阿川大樹の『D列車で行こう』の舞台となるローカル鉄道が可部線廃線区間と酷似しており、同線がモデルではないかと考えられている(作中で明言は成されていない)。
脚注
参考文献
- 「中国新聞」各バックナンバー
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線 - 11 中国四国』新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790029-6。
- 堀内重人『鉄道・路線廃止と代替バス』東京堂出版、2010年。ISBN 978-4-49-020696-8。
- 広島市役所『広島新史 年表編』広島市役所、1985年。
- 鉄道まちづくり会議『どうする?鉄道の未来―地域を活性化するために[増補改訂版]』緑風出版、2009年。ISBN 978-4-8461-0903-5。
- 『管内線路一覧略図』広島鉄道管理局施設部、1982年。
- 藤井浩三「中国地方ローカル線建設の歩みと蒸機」『蒸気機関車』NO.40、キネマ旬報社
関連項目
テンプレート:広島シティネットワーク テンプレート:西日本旅客鉄道広島支社
テンプレート:赤字83線- ↑ 1.0 1.1 1.2 11月定例社長会見(インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年11月21日
- ↑ ご利用可能エリア 岡山・広島エリア|ICOCA|ICOCA:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道
- ↑ テンプレート:PDFlink p.3 - 高知工科大学工学部社会システム工学科 三好佑治。なお、2位の武豊線(JR東海)は約9,156人である。
- ↑ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ↑ 2007年10月5日のNHK広島放送局の広島ローカルニュース
- ↑ 6.0 6.1 可部線七軒茶屋駅の移設認可および上八木駅のホーム延伸(インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2007年11月16日
- ↑ ジェー・アール・アール編『JR電車編成表 2012夏』交通新聞社、2012年。ISBN 978-4-330-28612-9。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 『鉄道院年報. 明治44年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『鉄道統計資料. 昭和元年 第3編 監督』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『鉄道統計資料. 昭和6年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『中国地方電気事業史』中国電力、1974年、137頁
- ↑ 『鉄道統計資料. 昭和11年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 13.0 13.1 13.2 西日本旅客鉄道株式会社広島支社『JR西日本広島支社10年史 : 次なる10年に向かって 1987〜1997』西日本旅客鉄道株式会社広島支社、1997年、p.364。 引用エラー: 無効な
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タグ; name "hiroshima_364"が異なる内容で複数回定義されています - ↑ 『JR時刻表』1989年3月号
- ↑ 『データで見るJR西日本 2001』- 西日本旅客鉄道
- ↑ 『JR気動車客車編成表 2011』交通新聞社、2011年。ISBN 978-4-330-22011-6。
- ↑ 『JR気動車客車編成表 '92年版』ジェー・アール・アール、1992年。ISBN 4-88283-113-9。
- ↑ 『JR時刻表』1992年3月号
- ↑ 『JR気動車客車情報 '94年版』ジェー・アール・アール、1994年。ISBN 4-88283-115-5。
- ↑ 『データで見るJR西日本 2005』には記載されているが、『データで見るJR西日本 2006』には記載されていない
- ↑ テンプレート:PDFlink(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2007年5月9日
- ↑ 岡山・広島エリアに「ICOCA」デビュー!(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2007年8月8日
- ↑ 岡山・広島エリアへICカード乗車券「ICOCA」を導入します(インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2006年5月24日
- ↑ 24.0 24.1 JR可部線の電化延伸について - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2013年2月4日
- ↑ 25.0 25.1 可部線電化延伸事業について「鉄道事業許可」を取得しました - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2014年2月25日
- ↑ 26.0 26.1 テンプレート:PDFlink - 国土交通省 災害情報、2014年8月20日 15:00現在
- ↑ 広島大規模土砂災害で可部線など不通 - レスポンス 2014年8月20日
- ↑ 可部線 路線バスによる代行輸送のお知らせ - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2014年8月22日
- ↑ 中国新聞 日刊 1968年9月5日1面『赤字83線を廃止 国鉄諮問委が意見書 可部線など八線 岩日・大社・倉吉線も』
- ↑ 中国新聞 日刊 1968年9月6日9面『沿線住民にショック 国鉄可部・宇品線の廃止勧告』
- ↑ もっとも赤字83線による廃止検討の際は、営業収支のみで廃止が決まる物では無く、可部線が近日中に延伸線が開通する予定だったのに対し、宇品線は前年に新広島バイパスが開通したことで、交差区間を旅客運転を取りやめるなどの事情もあった。
- ↑ どうする可部線テンプレート:リンク切れ - 中国新聞 1999年3月10日
- ↑ 〈下〉存続へ向けてテンプレート:リンク切れ - 中国新聞 1999年7月29日
- ↑ 『鉄道・路線廃止と代替バス』137ページ「(2)可部-河戸間を電化・復活」
- ↑ 東三条 - 越後長沢間。特定地方交通線各線の廃止と同時期に行われたが、特定地方交通線は路線全体で指定されたので、「弥彦線の一部区間が特定地方交通線に指定」され、廃止されたわけではないことを留意されたい。
- ↑ 『広島新史 年表編』p.327
- ↑ 前日には広島市を含む沿線7市町で『国鉄芸備線対策協議会』も結成されている
- ↑ 中国新聞 日刊 2000年11月7日23面『地元住民団体 利用増へ願い 河戸駅近くに駐輪場設置 40台収容可能 チラシ配り呼び掛け』
- ↑ どうする可部線 「一本の線 なぜ分ける」―可部を境に5億と6億円テンプレート:リンク切れ - 中国新聞 1999年3月9日
- ↑ 『どうする?鉄道の未来―地域を活性化するために増補改訂版』p.143,144
- ↑ 明日から試験増便 可部線存廃 3月中に最終判断 - 中国新聞 2000年10月31日
- ↑ 可部線試験増便 4月から1年JRが地元と合意 - 中国新聞 2001年3月21日
- ↑ 可部線 三セク断念 対策協「財政的に困難」代替バスを模索テンプレート:リンク切れ - 中国新聞 2002年11月23日
- ↑ 中国新聞 日刊 1997年6月29日 24面『人まちステーション JR河戸駅 広島市安佐北区 「電化延伸」高まる気運』
- ↑ 中国新聞 日刊 2002年4月5日29面『可部線の行方 検証試験増便(4) 河戸電化 乗客増担う期待の構想 地元は新たな財政負担も』
- ↑ 中国新聞 日刊 2008年10月23日17面『可部線活性化調査 国の補助に 可部-河戸復活に光明』
- ↑ 中国新聞 日刊 2008年10月23日17面『可部線活性化調査 国の補助に 可部-河戸復活に光明』
- ↑ 広島市-JR可部線活性化協議会が設置されました! - 広島市
- ↑ 中国新聞 日刊 2009年12月15日3面『可部線河戸 活性化素案に電化延伸盛る 広島市、設計調査へ』
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 中国新聞 日刊 2011年2月3日 1面『広島市 11年度着工予定 可部-旧河戸間 可部線 廃止2キロ復活へ JR西日本 早期に最終判断』
- ↑ 中国新聞 日刊 2011年2月17日5面『可部線一部電化復活 「広島市と早期合意へ」 JR西支社長、調整前向き』
- ↑ テンプレート:PDFlink - 広島市
- ↑ 中国新聞 日刊 2011年2月26日34面『県営団地跡地に終着駅 JR可部線の可部-旧河戸駅間電化延伸 市が調整 地元区画整理と一体に』
- ↑ 可部線電化延伸、判断先送りテンプレート:リンク切れ - 中国新聞 2011年9月8日
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- ↑ 可部線、15年度に延伸 - 中国新聞 2013年1月1日
- ↑ 可部線電化延伸は15年で合意 - 中国新聞 2013年2月5日
- ↑ 可部線電化延伸、1年遅れも - 中国新聞 2013年9月12日
- ↑ JR可部線延伸を許可申請 - 中国新聞、2013年11月28日
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:Cite journal
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