京橋駅 (大阪府)
テンプレート:駅情報 京橋駅(きょうばしえき)は、大阪府大阪市城東区・都島区にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・京阪電気鉄道・大阪市営地下鉄の駅である。
目次
概要
大阪府の繁華街にある乗換駅としては、キタ(大阪駅・梅田駅周辺)やミナミ(難波駅周辺)および天王寺(天王寺駅・大阪阿部野橋駅周辺)に立地する駅ほどの規模ではないが、一日あたり約59万人(2006年)の乗降客の利用があり、大阪市北東部の玄関口となっている。
駅名の由来は、大川との合流地点近くの大阪城北側の寝屋川に架かる「京橋」であるが、この橋は当駅よりも天満橋駅の近くに存在する。
乗り入れ路線
JR西日本の各線(後述)、京阪電気鉄道の京阪本線、大阪市交通局の大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線の3社局の路線が乗り入れている。地下鉄の駅には「N22」の駅番号が設定されている。
JR西日本の駅に乗り入れている路線は、当駅の所属線である大阪環状線[1]に、片町線(愛称「学研都市線」)とJR東西線を加えた3路線である。1997年のJR東西線開業と引き換えに片町線は当駅 - 片町駅間が廃止されて当駅が終点となり、一部列車を除いて当駅起点のJR東西線と相互直通運転を行う現在の形態となった。また、特定都区市内制度における「大阪市内」エリアに属している。
JRの駅はICOCA、京阪と地下鉄の駅はPiTaPaおよび「スルッとKANSAI」対応各種カードの利用エリアとなっている。
JR西日本
テンプレート:駅情報 当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として大阪環状線の大阪城公園駅・桜ノ宮駅・天満駅の3駅を管轄している。
駅構造
相対式ホーム2面2線の高架ホームに大阪環状線の列車が、単式ホーム2面2線の地平ホームに片町線(学研都市線)とJR東西線の列車が停車する。一部の関空快速・紀州路快速は当駅で折り返す。
改札口は、大阪環状線ホームの北側にある北口、JR東西線ホームに接する南口、片町線(学研都市線)・JR東西線ホームの西側にある西口の3か所がある。最も大きな改札口は北口だが、駅長室のある駅本屋は南口側にある。西口はダイエー京橋店に接続しており、西口から京阪京橋駅方面へ行く場合はダイエー京橋店内の自由通路を通ることになる。また、大阪ビジネスパーク方面へのペデストリアンデッキがあり、傘をささずに主要なビルまで行けるようになっている。また北口は京阪京橋駅中央口と向かい合っており、かつ幅の広い京阪のガード下を通ることになるため、雨の日でも濡れずに互いの駅舎を行き来できる。
みどりの窓口は北口にある。かつては西口にも窓口が存在したが、2014年1月31日をもって営業を終了し2月1日よりみどりの券売機プラスが稼動した。
片町線ホームは1955年に複線化された当時島式ホーム1面2線だったが、1970年の南口の設置により南口と大阪環状線ホームに直結する1番のりば(設置当初は片町行きホーム、JR東西線開業後は同線方面ホーム)が設けられたため、単式ホームに変更された。
また、北口はかつて大阪環状線の東側にのみ向いており、西側(京阪京橋駅寄り)との間は大阪環状線の線路をくぐる通路でつながっているだけだった。もとは京阪の京橋駅も大阪環状線の東側にあったためだが、京阪の駅が高架化で西側に移転後も付近の商店に配慮して西側には入口を設けなかったといわれる。1980年代以降の改修で西側にも通じる様になり、1990年の国際花と緑の博覧会(花の万博)開催に際して現在の姿になった。
国鉄型駅名標だった当時、ローマ字表記の下に所在地名の表記がなかったが、これは正確には城東区新喜多に位置してはいるものの、実際には大阪環状線ホームが都島区にまたがっているためである。
のりば
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | テンプレート:ColorJR東西線 | 下り | 北新地・尼崎方面 |
2 | テンプレート:Color学研都市線 | 上り | 四条畷・同志社前方面 |
3 | テンプレート:Color大阪環状線 | 内回り | 大阪・西九条・ユニバーサルシティ・ 奈良・関西空港・和歌山方面 |
4 | テンプレート:Color大阪環状線 | 外回り | 鶴橋・天王寺方面 |
大阪環状線ホームは、当初のりば番号が与えられていなかったが、2008年3月に内回りが3番のりば、外回りが4番のりばとなった。この駅の付番をもって環状線内のすべての駅にのりば番号が設定された。
2008年3月15日以降、当駅からの奈良方面行きの列車は、従来の3番のりば(内回り)から大阪駅経由の大和路快速・区間快速が、2番のりばから松井山手駅・木津駅経由に、2番のりばからのおおさか東線経由で直通快速を加えた3パターンがある。ただし、日中は大阪駅経由の列車のみであり、2番のりばから奈良方面行は直通快速4本が夕ラッシュ時のみ、松井山手駅・木津駅経由は夜間の2本のみである。
ダイヤ
大阪環状線
日中時間帯は1時間あたり環状運転の普通、大和路快速、関空・紀州路快速がそれぞれ4本停車する。午前中はこれに加えて桜島線(JRゆめ咲線)直通普通が4本停車する。朝晩は本数が多くなる。当駅折り返しの関空・紀州路快速は乗客を降ろしたあと、天王寺寄りにある引き上げ線で折り返す(一部は森ノ宮電車区に入区している)。
片町線(学研都市線)・JR東西線
日中時間帯は1時間あたり快速と普通がそれぞれ4本の計8本が停車する。朝晩は当駅始発・終着を含めて本数が多くなる。学研都市線の当駅折り返しの列車は1番のりばに停車後、地上の引き上げ線に入り、2番のりば(四条畷方面行き)に移る。また、夜間時間帯に1本、当駅留置運用がある。
配線図
歴史
当駅がある地に鉄道が開通したのは、1895年8月に浪速鉄道が現在の片町線となる片町駅 - 四条畷駅間を開業してからであるが、開業当時は駅が設置されていなかった。当駅は、同年10月に大阪鉄道 (初代) が現在の大阪環状線となる天王寺駅 - 大阪駅(当時は梅田駅)間の鉄道を開業させた際に浪速鉄道との交差地点に設けられたのが始まりである。
両路線とも、関西鉄道を経て国有化された後、1912年、片町線片町駅に京橋口乗降場が設けられ、城東線(現在の大阪環状線)の京橋駅と連絡するようになる。これが翌1913年に当駅の片町線乗り場となった。
長らく片町線の終点で当駅の西隣にあった片町駅は、1997年のJR東西線の開業に伴い廃止され、以来当駅が片町線の終点駅・JR東西線の起点駅となった。
- 1895年(明治28年)10月17日 - 大阪鉄道が玉造駅 - 梅田駅(現在の大阪駅)間(現在の大阪環状線の一部)を延伸させた際に設置。
- 1898年(明治31年)1月1日 - 高橋常八駅長殉職。玉造駅発の列車が完全に停止する前に乗客達が先を争い扉を開けて下車しようとし、駅長は危険行為を制止しようと駆け寄ったが、開け放たれた扉に跳ね飛ばされ線路に落下、轢死した。[2]
- 1900年(明治33年)6月6日 - 大阪鉄道の路線を関西鉄道が承継。同社の駅となる。
- 1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化。国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。当駅は城東線所属となる。
- 1912年(明治45年)4月21日 - 片町線の片町駅に京橋口乗降場を開設。城東線京橋駅と接続。
- 1913年(大正2年)11月15日 - 片町駅京橋口乗降場を格上げし城東線京橋駅と統合され、片町線京橋駅が開設。1面1線の地平駅。
- 1945年(昭和20年)8月14日 - 京橋駅空襲で1トン爆弾が片町線ホームに命中、避難していた700-800人以上が死亡。
- 1955年(昭和30年)1月25日 - 片町線複線化に伴い片町線ホームが島式1面2線になる。
- 1961年(昭和36年)4月25日 - 城東線が大阪環状線の一部となる。
- 1970年(昭和45年) - 片町線の片町行ホームが完成。長尾方面行ホームと分離。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
- 1990年(平成2年)- 臨時特急エキスポ雷鳥号[3]、エキスポくろしお号[4]が期間限定で乗り入れされる。
- 1997年(平成9年)3月8日 - JR東西線開業。隣駅が片町駅から大阪城北詰駅となる。片町線の当駅 - 片町駅間廃止。
- 2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始[5]。
- 2009年(平成21年)10月4日 - 大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
- 2011年(平成23年)3月8日 - JR宝塚・JR東西・学研都市線運行管理システム導入。
- 2014年(平成26年)3月15日 - 大阪環状線ホームに『大阪うまいもんの歌(ゆかいな牧場)』を発車メロディとして導入[6]。
- 2016年(平成28年)春 - 片町線上下線ホームに可動式ホーム柵を設置(予定)[7]。
大阪大空襲の被害
南口改札口の駅前には、終戦の前日にあたる1945年8月14日の京橋駅空襲により駅構内で犠牲となった人を弔う慰霊碑と納経塔がある。
空襲時、城東線(現在の大阪環状線)の上下2列車の乗客が片町線ホームに避難していたが、1トン爆弾が落下して爆発し、避難していた乗客らが爆弾の直撃を受けた。1947年(昭和22年)8月14日に慰霊碑が建立され、1955年(昭和30年)以来、毎年8月14日には慰霊祭が営まれている[8]。
他に大阪市内で空襲慰霊碑のある駅としては、1945年2月14日に空襲被害を受けた阪和線美章園駅(阿倍野区)がある。
隣の駅
- テンプレート:Color大阪環状線
- テンプレート:Color大和路快速・テンプレート:Color区間快速・テンプレート:Color関空快速・テンプレート:Color紀州路快速・テンプレート:Color快速・テンプレート:Color直通快速・テンプレート:Color普通
- テンプレート:Color学研都市線(片町線)・テンプレート:ColorJR東西線
- テンプレート:Color快速・テンプレート:Color直通快速・テンプレート:Color区間快速[9](全てJR東西線内各駅停車)
- テンプレート:Color普通
- 鴫野駅(学研都市線) - 京橋駅 - 大阪城北詰駅(JR東西線)
過去の隣接駅
- 学研都市線(片町線)
- 京橋駅 - 片町駅 …1997年廃止
- JRW-kyobashiStation-Platform-Loop.jpg
大阪環状線ホーム(2007年5月5日)
- Kyobashi-Tozai Line Home.JPG
学研都市線・東西線ホーム(2006年1月)
- JR kyoubashi eki 2.jpg
南口
- 大阪大空襲京橋駅爆撃被災者慰霊碑.JPG
南口にある大阪大空襲京橋駅爆撃被災者慰霊碑
京阪電気鉄道
京阪は開業当初、当駅を開業時の位置の地名(東成郡鯰江村大字蒲生)から「蒲生駅」と名付けた。これとは別に、本来の京橋近くに初代「京橋駅」を設置していたが、隣接する天満橋駅と野田橋駅(片町駅と後に改称し、2代目の「京橋駅」に統合して廃止)に近すぎたため開業後、約8ヵ月で廃止されている。その後、1932年に北区(当時)東野田町に移転し、1949年に国鉄への乗り換え駅であることを明確にするため「京橋駅」に改称した。
駅構造
改札口はJR京橋駅寄りの1階にある中央口、淀屋橋寄りの2階にある片町口、京阪モール3階にある京阪モール連絡口(営業時間内のみ)の3ヶ所である。さらに片町口側の1階にはエレベーター専用改札口(ここのみきっぷうりばはない)も設けられている。ホームは4階にあり、中央口からは出町柳方面行ホームへ直結するエスカレーターが設けられている。片町口からは大阪ビジネスパークに通じるペデストリアンデッキがあり、雨の日でも濡れずに行き来できる。
のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1・2 | テンプレート:Color京阪本線 | 上り | 枚方市・中書島・三条・出町柳方面 |
3・4 | テンプレート:Color京阪本線 | 下り | 淀屋橋・中之島方面 |
- 備考
- 当駅の前後は複々線区間であり、内側2線(2番線と3番線)がA線、外側2線(1番線と4番線)がB線である。
- 上り列車は、速達列車は2番線から、普通列車は1番線から発車するが、5時22分発の普通列車(平日・土休日ダイヤ共通)は2番線から発車する[10]。下り列車は当駅より先、速達列車でも各駅に停車するが、普通列車・平日8時台の淀屋橋行き区間急行は4番線から発車、それ以外の速達列車はすべて3番線から発車する(休日23時18分発の普通淀屋橋行きは3番線から発車する)。
- 日中の普通列車(全て中之島発着)は当駅で5分ほど停車する(準急・特急もしくは急行・特急と2つの淀屋橋発着列車の連続待避を行うため)。
- 発車メロディが導入されている。淀屋橋・中之島方面は種別に関係なく淀屋橋行きは特急用、中之島行き(中之島線開業以前は天満橋行き)は一般列車用のメロディを使用している。出町柳方面の快速特急発車時には『朝靄の京橋で乗り換え』が流れていたが、2011年5月のダイヤ改正で快速特急が廃止されたため、使用されなくなったが、現在は臨時快速特急「洛楽」の運用時のみ、使用されるようになった。
- かつて中央口の側壁には巨大なからくり時計(モールクロック)が設置されており当駅の象徴でもあったが、のちに撤去された[11]。
- 第4回近畿の駅百選に選ばれている。
配線図
歴史
1910年、京阪電気鉄道が天満橋駅 - 五条駅(現在の清水五条駅)間を開業させた際に蒲生駅として設けられたが、当初は城東区蒲生1丁目付近にあった。
1932年に旧蒲生信号所 - 守口駅間複々線化に関連して、現在のグランシャトーの場所に移転し、2面2線の相対式ホームが設置された。京都行ホーム北側には、京阪スーパーマーケット京橋店が隣接して設けられていた。列車長の拡大につれてホーム長も京都方に延長された(淀屋橋方ホーム端に踏切が存在したため)が、1969年の再移転直前には京都方ホーム端が急カーブと上り勾配をミックスした形状になっており、列車運転上のネックになっていた。なお、高架駅移転直前の旧線路は寝屋川橋梁から上り2線位置を東に進み、東野田町で現大阪市営地下鉄鶴見緑地線が通る道路へと北東方向に別れ、現京橋公園北東端で東方向に急カーブして、グランシャトー北側道路に進入していた。
1969年に現在地へ移転して高架駅になったが、移転当初は上りは2番線のみ、下りは4番線のみ使用されていた。1970年の天満橋駅 - 旧蒲生信号所間複々線化完成によって4線使用されるようになり、同時に駅ビル内に京阪ショッピングモール(現、京阪モール)が開業した。駅ビルには、2002年10月のリニューアル当時「エスポート京橋」の愛称が付け加えられていたが、現在は使用されていない。
- 1910年(明治43年)4月15日 - 蒲生駅として開業[12]。相対式2面2線の地平駅。
- 1931年(昭和6年)10月14日 - 守口駅(現在の守口市駅)まで専用軌道化。
- 1932年(昭和7年)10月30日 - 国鉄京橋駅東側へ移転[12]。
- 1933年(昭和8年)12月29日 - 蒲生信号所(元の蒲生駅)から守口駅まで複々線化。
- 1934年(昭和9年)6月1日 - 急行停車駅となる。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄の駅となる。
- 1946年(昭和21年)9月30日 - 駅改築[12]。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)9月1日 - 特急の運転開始に伴い、特急停車駅となる。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 上り構内にスーパーマーケットを開店。
- 1962年(昭和37年)12月22日 - 京阪初の自動券売機を設置[13]。
- 1967年(昭和42年)2月7日 - 京都側の踏切が歩行者専用の地下通路化される[12]。
- 1969年(昭和44年)11月30日 - 現在地に移転、高架化。同時に片町駅を廃止し京橋駅に統合。
- 1970年(昭和45年)
- 4月15日 - 駅ビル内に「京阪ショッピングモール」開業。
- 10月1日 - 蒲生信号所廃止。
- 11月1日 - 天満橋駅 - (旧)蒲生信号所間が複々線化。
- 1972年(昭和47年)7月10日 - 定期券発行機を設置使用開始[14]。
- 1973年(昭和48年)9月1日 - 片町口に「お忘れ物センター」開設[12]。
- 1979年(昭和54年)1月20日 - 点字運賃表設置[15]。
- 1986年(昭和61年)3月31日 - 中央口下りエスカレータ2基設置される[16]。
- 1987年(昭和62年)
- 1990年(平成2年)
- 1992年(平成4年)10月21日 - 京阪初の乗り越し精算機を設置。
- 1993年(平成5年)10月5日 - 2番線に特急専用乗車位置表示が設置される[19]。
- 1995年(平成7年)4月10日 - 淀屋橋行きホーム上に京都行きホームから見えるように大型情報掲示板「K-WIND」設置運用開始[20]。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)12月21日 - 中央口に富士銀行のATM設置[25]。
- 2000年(平成12年) - 出町柳行ホームに「ジューサーバー」営業開始。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)9月19日 - 第4回「近畿の駅百選」に選ばれる[12]。
- 2004年(平成16年)4月13日 - 構内に京都銀行のATM設置、使用開始[30]。
- 2008年(平成20年)2月25日 - 構内に週替わりスイーツショップ「SWEETS BOX」開業[31]。
- 2014年(平成26年)5月1日 - 駅構内のエアコンが更新され、使用開始[32]。
隣の駅
- テンプレート:Color京阪本線
- テンプレート:Color快速特急(行楽期の土休日・正月のみ運転)
- テンプレート:Color特急
- 天満橋駅 - 京橋駅 - 枚方市駅
- テンプレート:Color通勤快急(平日下りのみ運転)・テンプレート:Color深夜急行(上りのみ運転)
- 天満橋駅 - 京橋駅 - 寝屋川市駅
- テンプレート:Color通勤準急(平日下りのみ運転)
- 天満橋駅 ← 京橋駅 ← 萱島駅
- テンプレート:Color快速急行・テンプレート:Color急行・テンプレート:Color準急・テンプレート:Color区間急行
- 天満橋駅 - 京橋駅 - 守口市駅
- テンプレート:Color普通
- 天満橋駅 - 京橋駅 - 野江駅
大阪市営地下鉄
|} 当駅のデザインテーマは所在する都島区の区花にちなんで「桜」である。コンコースに桜のタイル壁画が飾られている。長堀鶴見緑地線の京橋駅 - 門真南駅間の各駅は花・木がデザインテーマに選ばれている。ホームなどは、1996年以降に開業した駅と比べれば、比較的簡素なデザインとなっている。
駅構造
島式ホーム1面2線を持つ地下駅。大正方に両渡り線がある。改札口は1か所のみ。
ホームは地下3階で、地下2階にコンコースがあり、そのコンコースが地下街のコムズガーデンに直結している。なお、当駅前後の長堀鶴見緑地線は、京阪本線がかつて走っていた跡地の道路の下を通っている。
当駅はドーム前千代崎管区駅に所属しており、同副管区駅長が、当駅、蒲生四丁目駅、大阪ビジネスパーク駅を管轄する。
PiTaPa、スルッとKANSAI対応各種カードの利用が可能である(相互利用が可能なIC乗車券はPiTaPaの項を参照)。
のりば | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 | テンプレート:Color長堀鶴見緑地線 | 門真南方面 |
2 | テンプレート:Color長堀鶴見緑地線 | 心斎橋・大正方面 |
歴史
- 1990年(平成2年)3月20日 - 鶴見緑地線として当駅 - 鶴見緑地駅間開通と同時に同線の起点駅として開業。後の延伸を考慮して駅の位置が決定されていた。
- 1996年(平成8年)12月11日 - 心斎橋駅までの延伸と同時に鶴見緑地線が長堀鶴見緑地線に改称。途中駅となる。
- 2010年(平成22年)12月20日 - 可動式ホーム柵の使用を開始。
隣の駅
- テンプレート:Color長堀鶴見緑地線
- 大阪ビジネスパーク駅 (N21) - 京橋駅 (N22) - 蒲生四丁目駅 (N23)
- ( )内は駅番号を示す。
利用状況
- JR西日本 - 2013年度の1日平均乗車人員は130,931人である[33]。同社の駅では大阪駅、京都駅、天王寺駅に次ぐ第4位である。
- 京阪電気鉄道 - 2012年度の調査日における乗降人員は181,342人(乗車人員:89,746人、乗降人員は91,596人)である。同社の駅では最も利用者数が多い。
- 大阪市営地下鉄 - 2013年11月19日の1日乗降人員は31,495人(乗車人員:15,739人、降車人員:15,756人)である[34]。他の地下鉄と接続しない長堀鶴見緑地線の駅では最も利用者数が多い。
各年度の1日乗車・乗降人員数は下表のとおり。
- JRのデータは1日平均乗車人員である。
- 京阪、大阪市営地下鉄のデータは交通量調査に基づいた特定の1日における乗降・乗車人員である。
年度 | JR西日本 | 京阪電気鉄道 | 大阪市営地下鉄 | 出典 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
乗車人員 | 乗降人員 | 乗車人員 | 調査日 | 乗降人員 | 乗車人員 | ||
1997年(平成テンプレート:09年) | 154,563 | - | - | [35] | |||
1998年(平成10年) | 147,400 | 209,152 | 100,632 | 11月10日 | 34,233 | 17,386 | [36] |
1999年(平成11年) | 145,039 | - | - | [37] | |||
2000年(平成12年) | 142,881 | 203,302 | 99,327 | - | [38] | ||
2001年(平成13年) | 142,874 | - | - | [39] | |||
2002年(平成14年) | 139,496 | 198,239 | 97,037 | - | [40] | ||
2003年(平成15年) | 139,577 | 203,855 | 100,150 | - | [41] | ||
2004年(平成16年) | 137,994 | 197,809 | 97,560 | - | [42] | ||
2005年(平成17年) | 138,142 | 197,190 | 97,225 | - | [43] | ||
2006年(平成18年) | 138,091 | 193,794 | 95,031 | - | [44] | ||
2007年(平成19年) | 135,857 | 190,393 | 93,436 | 11月13日 | 32,302 | 16,145 | [45] |
2008年(平成20年) | 135,158 | 183,788 | 90,571 | 11月11日 | 33,352 | 16,695 | [46] |
2009年(平成21年) | 130,987 | 181,763 | 89,643 | 11月10日 | 32,231 | 16,118 | [47] |
2010年(平成22年) | 130,359 | 180,751 | 90,127 | 11月テンプレート:09日 | 31,772 | 15,935 | [48] |
2011年(平成23年) | 130,355 | 178,805 | 88,447 | 11月テンプレート:08日 | 31,360 | 15,590 | [49] |
2012年(平成24年) | 130,045 | 181,342 | 89,746 | 11月13日 | 32,344 | 16,163 | [50] |
2013年(平成25年) | 130,931 | 11月19日 | 31,495 | 15,739 |
駅周辺
江戸時代には京街道からの大坂の玄関口として賑わった場所である。駅周辺(特に東側)は歓楽街になっており、キタ・ミナミに対して「ヒガシ」とも呼ばれている。
- 京阪モール
- Kぶらっと
- KiKi京橋
- コムズガーデン
- ダイエー京橋店
- 大阪京橋郵便局
- エル京橋
- 京橋グランシャトービル
- 京橋商店街
- 新京橋商店街
- 京橋中央商店街
- 大阪市立東高等学校
- 開明中学校・高等学校
- 大阪市立桜宮小学校
- 大阪市立桜宮中学校
- 京橋K2ビル内郵便局
- 都島南通郵便局
- 大阪ビジネスパーク
- 讀賣テレビ放送本社ならびに同社が支援する大阪帝拳ジム
- 都島区役所
- 大阪市立都島図書館
- クレオ大阪東(大阪市立男女共同参画センター東部館)
- 国道1号(京阪国道)
- 寝屋川
バス路線
当駅周辺は大阪市内有数のバスターミナルであり、大阪市バス・近鉄バスの路線が乗り入れている。また以前は京阪バスの路線も乗り入れていた。但し、高速バスや空港連絡バスは乗り入れていない。
- 京橋北口停留所(大阪市営バス)(国道1号上)
- 京橋北口は東行(門真南・花博記念公園北口方向)は大阪環状線ガード西側の1箇所で、西行(大阪駅・天満橋方向)は大阪環状線ガード東側と西側(京橋公園。ニッセイ京橋ビルの向かい側)の2箇所ある。57号系統は毛馬中央公園行が西側のみに停車(京橋駅前行は停留所なし)、31・36号系統の西行は両方に停車する。
- 京橋停留所(近鉄バス)(国道1号上)
- 東行(稲田車庫・住道方向)・西行(梅田方向)とも大阪環状線ガードの東側に設置されている。いずれも東行は東諸口もしくは安田まで、西行は梅田まで市バス36号系統と並行する。
廃止路線
- 京橋駅前停留所(大阪市営バス)
- 68号系統:新森七丁目行(2012年4月1日のダイヤ改正で廃止、31号系統に統合)
- 28号系統:徳庵橋行/天満橋行(2014年4月1日のダイヤ改正で廃止、21号系統が引き継ぐ)
- 京橋駅 - 毛馬(赤バス):大東町方面(2013年3月31日をもって赤バス廃止)
参考文献
- 「開業80周年記念誌『過去が咲いている今』」1990年7月1日発行 京阪電気鉄道発行
- 「開業90周年記念誌『街をつなぐ、心をむすぶ』」2000年10月1日 京阪電気鉄道発行
- 「開業100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』」2011年3月24日 京阪電気鉄道発行
- 京阪月刊広報誌「くらしの中の京阪」各号
- 京阪月刊広報誌「K PRESS」の中の最終ページ「くらしのなかの京阪」
- 京阪季刊広報誌「グラフ京阪」1983年夏号 - 1999年秋号
- 『車両発達史シリーズ1』関西鉄道研究会 「京阪電気鉄道」
- 『関西の鉄道』関西鉄道研究会No8, 17, 38, 53, 58 「京阪電気鉄道特集号」
- 『鉄道ピクトリアル』電気車研究会 1973年7月増刊号・1984年1月増刊号・1991年12月増刊号・2000年12月増刊号・2009年8月増刊号
脚注
関連項目
外部リンク
- テンプレート:外部リンク/JR西日本駅
- 京橋駅 - 京阪電車の駅情報 - おでかけナビ - 京阪電気鉄道
- 駅ガイド:京橋駅 - 大阪市交通局
- ひと駅ひと物語 大阪環状線めぐり 京橋駅(14) - 読売新聞
- 鉄道沿線ぶらり旅 京橋駅 - 大阪日日新聞
テンプレート:鉄道路線ヘッダー テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox
テンプレート:学研都市線 (京橋 - 片町) テンプレート:鉄道路線フッター
テンプレート:近畿の駅百選- ↑ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
- ↑ 読売新聞 明治31年1月5日付4面「大阪鉄道駅長の轢死」
- ↑ L特急雷鳥-90年夏の時刻表- -2014年6月25日
- ↑ 特急エキスポくろしお -2014年6月25日
- ↑ 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜(インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日
- ↑ 「大阪環状線改造プロジェクト」進行中! 平成26年3月15日(土曜日)ダイヤ改正に合わせて森ノ宮駅・京橋駅・西九条駅に発車メロディを導入し、賑わいを創出します! - JR西日本プレスリリース 2014年3月7日
- ↑ 「可動式ホーム柵」を京橋駅に設置します - 西日本旅客鉄道株式会社プレスリリース 2014年3月12日
- ↑ 「終戦1日早ければ…」JR京橋駅前で慰霊祭 大阪 - 産経新聞 2009年8月15日
- ↑ 四条畷方面からの区間快速は、京橋駅から普通として運転
- ↑ 2009年正月ダイヤにおいては、昼間時の中之島発の急行は1番線、淀屋橋発の普通は2番線から発車した。
- ↑ 毎時0分に人形が出る仕掛けであった。同様の時計は新大阪駅に存在する。
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 12.5 12.6 12.7 12.8 出典・京阪電気鉄道開業100周年記念誌「京阪百年のあゆみ」資料編136頁
- ↑ 出典・京阪電鉄開業90周年記念誌「街をつなぐ 心をむすぶ」の69頁
- ↑ 出典・京阪電気鉄道開業100周年記念誌「京阪百年のあゆみ」資料編234頁
- ↑ 参考文献・『京阪百年のあゆみ』370頁「優先座席の設置と駅施設の充実」、駅置き広報誌「くらしの中の京阪」1979年3月号
- ↑ 16.0 16.1 出典・京阪電車開業80周年記念誌『過去が咲いている今』(1990年7月1日発行)の巻末年表より
- ↑ 出典・京阪電車開業80周年記念誌『過去が咲いている今』(1990年7月1日発行)の146頁より
- ↑ 出典・京阪広報誌「くらしの中の京阪」1990年7月号
- ↑ 出典・「くらしのなかの京阪」1993年11月号
- ↑ 出典・「くらしのなかの京阪」1995年4月号
- ↑ 出典・「くらしのなかの京阪」1997年5月号
- ↑ 22.0 22.1 出典・京阪電車開業100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』537頁「駅構内施設の充実」
- ↑ 京阪沿線2号店
- ↑ 「開業90周年記念誌『街をつなぐ、心をむすぶ』」P174の記事と巻末年表
- ↑ 出典・「くらしのなかの京阪」1998年12月号
- ↑ 出典・駅置きの沿線情報誌『K PRESS』2002年5月号12面「くらしのなかの京阪」
- ↑ 出典・「K・PRESS」2002年9月号12面「くらしのなかの京阪」
- ↑ 出典・「K・PRESS」2002年11月号16面「くらしのなかの京阪」
- ↑ テンプレート:PDFlink - 2012年11月14日 京阪電気鉄道 報道発表資料 そちらのページにこの記述がある。
- ↑ 出典・「K・PRESS」2004年5月号12面「くらしのなかの京阪」
- ↑ 出典・「K・PRESS」2008年3月号14面「KBOX」より
- ↑ 出典・「K・PRESS」2014年6月号16面「くらしのなかの京阪」
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 路線別駅別乗降人員 2013年11月19日
- ↑ テンプレート:PDFlink
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