ママとあそぼう!ピンポンパン
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『ママとあそぼう!ピンポンパン』は、1966年10月3日から1982年3月31日までフジテレビで放送された子供向けのテレビ番組。1970年4月から1971年9月までは「みんなであそぼう!ピンポンパン」と題して放送された。
目次
概要
NHKの『おかあさんといっしょ』を意識し、番組の進行を「お姉さん」「お兄さん」などと呼んでいた。また、河童のキャラクター・カータンやデベロンも人気を集めた。また、番組中からいくつか広く歌われるようになった歌も生まれており、中でも1971年発売の「ピンポンパン体操」はオリコンの童謡チャートで1位となり、260万枚[1]を売り上げる大ヒットを記録し、1972年の第14回日本レコード大賞童謡賞を受賞している(同曲を作曲した小林亜星のオフィシャルサイトでは大雑把に200万枚以上[2]としている)。
番組名の由来はプッチーニ作曲のオペラ「トゥーランドット」の登場人物で狂言回し役の3人の大臣ピン・ポン・パンPing, Pong, Pangから。
毎回、番組のラストに新兵ちゃんの「おもちゃへいこう!」の掛け声を合図に、出演者の子供たちがスタジオセットの大木、「おもちゃの木」の節の中に用意されたおもちゃを取りに行く様子は、テレビの前の子供たちを羨ましがらせた(このコーナーは2代目お姉さんの時代から定着。ただし土曜日には無かった)。
1980年頃から番組も低迷期に入る。後年には、番組の支え役だった河童のキャラクター・カータンが卒業し、新キャラクターのバビを迎えて番組イメージの刷新を図ったが、1982年3月31日に15年半の歴史に幕を閉じた。最終回では歴代のお姉さん(初代の渡辺直子はVTR出演)や「体操のお兄さん」の金森勢、音楽担当の服部克久らが出演した。
2013年5月5日、番組初のDVD化となる『ママとあそぼう!ピンポンパン DVD-BOX』が発売[3]。
放送時間
放送時間はいずれも日本標準時。また移動に関する番組は全て関東地区のもの[4]。
平日
- 1966年10月 - 1968年3月:8:15 - 8:55
- 1968年4月 - 1970年3月:8:00 - 8:45
- 1970年4月 - 1971年9月:8:10 - 8:55
- 8:45の音楽系ミニ番組との枠交換で繰り下げ。この時期が『みんなであそぼう~』となっていた。
- 1971年10月 - 1974年3月:8:00 - 8:45
- 7:45の『サンケイテレビ朝刊』が1時間繰り下がった事で10分繰り上がり、1年半振りに元の枠に戻り、同時にタイトルも『ママとあそぼう~』に戻した。
- 1974年4月 - 1975年9月:8:00 - 8:40
- 8:40にミニ番組が設置され、5分短縮。
- 1975年10月 - 1977年3月:7:45 - 8:15
- 8:15に『ひらけ!ポンキッキ』が14:00から移動したため、15分繰り上げし、同時に10分縮小。
- 1977年4月 - 1982年3月:7:30 - 8:00
- 7:00の30分アニメ再放送枠が8:30に『あつまれ!チビッコ劇場』(関東ローカル)と命名移動したため、7:30の『FNNニュース7:30』や8:00の『ポンキッキ』と共に15分繰り上げ[6]。
土曜日
- 1969年4月 - 1970年3月:8:00 - 8:45
- 平日版に2年半遅れて開始した。
- 1970年4月 - 1971年9月:8:10 - 8:55
- 1971年10月 - 1974年3月:8:00 - 8:45
- 1974年4月 - 1975年9月:8:00 - 8:40
- 1975年10月 - 1978年3月:8:00 - 8:30
- 平日が『ポンキッキ』移動で繰り上がったのに対し、土曜日は8:30 - 9:00にドキュメンタリー『世界の先生たち』を設置したため(『ポンキッキ』は土曜放送をしていない)、枠を10分縮小したのみ、初めて平日と土曜の放送枠が異なった。
- 1978年4月 - 1980年3月:7:30 - 8:00
変遷
期間 | 放送時間 (日本時間) | ||
---|---|---|---|
平日 | 土曜 | ||
1966.10 | 1968.03 | 08:15 - 08:55 | (放送無し) |
1968.04 | 1969.03 | 08:00 - 08:45 | |
1969.04 | 1970.03 | 08:00 - 08:45 | |
1970.04 | 1971.09 | 08:10 - 08:55 | |
1971.10 | 1974.03 | 08:00 - 08:45 | |
1974.04 | 1975.09 | 08:00 - 08:40 | |
1975.10 | 1978.03 | 07:45 - 08:15 | 08:00 - 08:30 |
1978.04 | 1980.03 | 07:30 - 08:00 | |
1980.04 | 1982.03 | 07:30 - 08:00 | (放送無し) |
歴代のお姉さん役
お姉さん役は、フジテレビの若手女子アナウンサーが担当し、当時はアイドルアナウンサーの登竜門だった。
- 初代:渡辺直子(1966年 - 1971年)
- 2代目:石毛恭子(1971年 - 1975年)
- 3代目:酒井ゆきえ(1975年 - 1979年)
- 4代目:大野かおり(後に大野香菜に改名、1979年 - 1981年)
- 5代目:井上佳子(後に井上淳子→本間淳子に改名、1981年 - 1982年)
他の出演者
- 新兵ちゃん:坂本新兵(1966年 - 1982年) - 唯一の皆勤者。
- 初代お兄さん:佐久間俊直(1966年 - 1968年)
- 2代目お兄さん:金森勢(1968年 - 1979年) - ダンサーで振り付け師・金森穣の父。
- 3代目お兄さん:宮沢芳春(1979年 - 1982年) - AKB48のメンバー・宮澤佐江の父。
- ガンちゃん:石村治樹(1975年 - 1982年)
- わじまさん:輪島直幸(1981年 - 1982年) - 主に工作コーナーを担当。
- ビッグ・マンモス(劇団いろはほか所属、1975年 - 1982年)
- レディー・バッグ (1982年)- マイコ(岡本舞子)、ヒロミ、カオリの少女三人組のユニット。
マスコット・人形劇キャラ
- カータン:大竹宏(1968年 - 1981年) - カッパのキャラクター。声優だけではなく着ぐるみの中にも入って演技をしていた。中程のCMに入る前のアイキャッチは原則としてカータンの担当だった。
- デベロン:富田耕生 - のちに「ブチャブチャアワー」→「ブチャワンショー」コーナーに出てくる「ワンダー・ワンタン」の声もあてた。
- ダバダバダ3兄弟
- パクちゃん:三輪勝恵
- ボンゴちゃん - 「いっちにぃのさん、ボンゴちゃ〜ん!」というお姉さんのかけ声で登場していた。
- バビ:秋山るな - 最末期に当たる1981年 - 1982年に登場。ウサギのキャラクター。
- 刑事ジャガー:富山敬 - マスコットではないが、番組中期にあった紙芝居コーナー内で紹介された推理もの紙芝居の主人公キャラ。刑事ジャガーは劇画調のジャガーの頭部ないし覆面をした刑事のキャラクターで、富山が二枚目風で演じ、タイガーマスクを彷彿させた。
- 悪役コンビ - 末期の番組前半のコーナーで行われた「?」と書かれた扉から人質を助けるゲームで、「むしばかめん」(声:黒部駄夢)と「ジョリジョリマン」(声:石原澄雄)が悪役として活躍している。「むしばかめん」と「ジョリジョリマン」は番組オリジナル曲『オレたち虫ジョリ族』の題材になり、番組内で歌われている。
番組中で使われた歌
番組オリジナル曲
あ行
- あの字(作詞・作曲:たきのえいじ)
- アメリカ生まれの日本の子(作詞・作曲:みなみらんぼう)
- いいんだいいんだソング(作詞:伊藤アキラ、作曲:服部克久)
- いなずまロック(作詞:石原信一、作曲:すぎやまこういち)
- イヤイヤマン(作詞:荒木とよひさ、作曲:馬飼野俊一)
- 海のだいかぞく(作詞・作曲:みなみらんぼう)
- おはようさんさんピンポンパン(作詞:荒木とよひさ、作曲:井上忠夫)
- おふろのかぞえうた(作詞:阿久悠、作曲:小林亜星、編曲:筒井広志)※『ひらけ!ポンキッキ』で使われた曲とは同名異曲。
か行
- カータンのえかきうた「きつね」(作詞:山元護久、作曲:服部克久)※絵かき歌の著作者は複数名いるかもしれない
- かたづけサッサッサッ(作詞:橋本淳、作曲:小林亜星、編曲:筒井広志)
- 風がふけば風がふく(作詞:伊藤アキラ、作曲:井上忠夫)
- 黄色い自転車(作詞・作曲:マイク真木)
- グッド・モーニング(作詞:石原信一、作曲:すぎやまこういち)
さ行
- 正調デベロン音頭(作詞:中村しのぶ、作曲:小林亜星、編曲:筒井広志)※デペロンのテーマソング。
- ジャストンピン(作詞:山元護久、作曲:服部克久)
- シャンプーマン(作詞:山元護久、作曲・編曲:服部克久)
- そばかすつけた女の子(作詞:山元護久、作曲:服部克久)
た行
- たんぽぽの風船(作詞:さいとう大三、作曲・編曲:馬飼野俊一)
- タンタンはやしうた(作詞:中村しのぶ、作曲:小林亜星、編曲:筒井広志)
- チュンパラ・ブギ(作詞・作曲:みなみらんぼう)
- となりのドラねこ(作詞:山元護久、作曲:あかのたちお)
- ドロンコマーチ(作詞:橋本淳、作曲:筒美京平)
- ドロンチョドロドロヨゴラッタ(作詞:阿久悠、作曲:小林亜星、編曲:筒井広志)
- とんがらし(作詞・作曲:イルカ)
は行
- パジャママンのうた(作詞:阿久悠、作曲・編曲:森田公一)
- パンダちゃん(作詞:山元護久、作曲:服部克久)
- ピッピ・ビューティー(作詞:スギ紀彦、作曲:服部克久)
- 火の玉ロック(作詞:石原信一、作曲:すぎやまこういち)
- ピンクのバニー(作詞:山元護久、作曲:服部克久)
- ピンポンパンおうえん歌(作詞:山元護久、作曲:服部克久)
- ピンポンパン体操(1971年版、作詞:阿久悠、作曲:小林亜星、編曲:筒井広志)※ザ・ドリフターズ、ピンク・レディー、モーニング娘。(亀井絵里・道重さゆみ・田中れいな・久住小春・光井愛佳・ジュンジュン・リンリン)が歌うバージョンもある。ザ・ドリフターズ版は1972年にシングル『ドリフのピンポンパン』として発売し、2004年発売のCD『ザ・ドリフターズ ベストコレクション』(渡辺音楽出版)にも「ドリフピンポンパン」として収録。ピンク・レディー版はビクター盤の企画LPに収録され、2006年発売のCD『ピンク・レディー・プラチナ・ボックス』で初CD化。モーニング娘。版は2008年発売の阿久悠作品のトリビュート・アルバム『COVER YOU』に収録されている。
- ピンポンパン体操 '72(作詞:阿久悠、作曲:小林亜星)※正式な曲名は「ピンポンパン体操」であるが、1971年版との識別を容易にする目的で、オムニバスCDなどでは通例的に「ピンポンパン体操 '72」「ピンポンパン体操(その2)」などと表記される。また、1971年版を「ピンポンパン体操(ずんずん…)」、1972年版を「ピンポンパン体操(そっくり…)」と表記されたこともある。
- ピンポンパン体操 '74(作詞:阿久悠、作曲:小林亜星)
- ピンポンパン体操 '80 ブッチュン・キッスだ!ピンポンパン (作詞: 荒木とよひさ、作曲・編曲: 大野雄二)
- ピンポンパンだよ!ピン(作詞:山元護久、作曲:渡辺岳夫)
- ピンポンパンのうた(作詞:山元護久、作曲:渡辺岳夫)
- 豚の貯金箱
- ぼくらのジャガー(作詞:山元護久、作曲:服部克久)
- ぼくらは未来のベーブ・ルース(作詞:古志由美子(視聴者の作品を募集した企画「うたをありがとう」の入選作)、補作詞:山元護久、作曲:服部克久)
ら行
その他の楽曲
童謡以外の、歌謡曲や洋楽のポピュラー・ソングを原曲とする曲が多くみられる。洋楽の中には、日本で一般に知られている訳詞ではなく、子供向けの詞がつけられたものもある。NHK「みんなのうた」で取り上げられた曲と重なるものも多い。
- ニッキ・ニャッキ
- トム・ピリビ
- キャンディマン(夢のチョコレート工場挿入歌で、サミー・デイヴィスJr.によっても歌われた“The Candy Man”のカバー)
- みんなでシュポポ →ロコモーション(元はキャロル・キングの曲)
- オブラディ・オブラダ(元はザ・ビートルズの曲)
- イエロー・サブマリン(同上)
- こぐまのテディ(もとはエルヴィス・プレスリーーの曲)(Let Me Be Your) Teddy Bear
- お祭りマンボ(元は美空ひばりの曲。1・2番の後半とコーダはカット)
- うちのお父さん(元はかぐや姫の曲。イラストは西岸良平)
- ピンクの戦車(元ははしだのりひことシューベルツの曲)
- てんとう虫のサンバ(元はチェリッシュの曲)
- レイン・ドロップス(『明日に向って撃て!』の主題歌“Raindrops Keep Fallin' on My Head”のカバー)
- わんぱくマーチ(『わんぱく戦争』(War of the Buttons)の主題歌のカバー)
- ビビデバビデブ(元はディズニー作品の『シンデレラ』より)
- パパはママが好き
- チキチキバンバン(映画『チキ・チキ・バン・バン』の主題歌)
- 負けるもんか(作詞:岡田冨美子、作曲:メレディス・ウィルソン) I A'INT DOWN YET
- 五匹のこぶたとチャールストン
- やぎさんゆうびん
- 山の音楽家
- 線路はつづくよどこまでも
- ことりのうた
- おもちゃのチャチャチャ
- 手のひらを太陽に
- ぞうさん
- おなかのへるうた
- 犬のおまわりさん
- かもめの水兵さん
- わらの中の七面鳥
- うさぎのダンス
- 気のいいアヒル
など、童謡多数
備考
- 『志村けんのだいじょうぶだぁ』では「ピンポンパン体操」をパロディにしたコント「パイのパイのパイ体操」が放送されていた。『とんねるずのみなさんのおかげです』のオープニングテーマ「フッフッフッってするんです」は、「ピンポンパン体操」をモチーフにした楽曲である。
- 作家でコラムニストの竹内義和が酒井ゆきえにカータンについて質問したところ、酒井は第一声で「あのエロガッパね!」と返し、収録中に臀部を触られていた事を明かした[8]。
- 「パジャママンのうた」を原案にした藤子・F・不二雄の漫画作品『パジャママン』が、1973年 - 1974年にかけて講談社の幼児向け雑誌に連載された。アニメ化の予定もあったが、実現しなかった。漫画は原作名が作詞した阿久悠、連載が講談社と言う藤子不二雄作品でも異色の顔ぶれとなっている。
- 2000年、カータンのキャラクター商品がリバイバルで発売された。
- 1980年3月まで放送されていた土曜日版は、幼児が幼稚園・保育園単位で出演していた。
- 1974年 - 1979年には、1980年代のフジテレビ躍進の立役者である横澤彪がプロデューサーを務めた。
- 1977年4月8日には、萩本欽一がフジテレビ全番組に出演するイベント『欽ちゃんのドーンと24時間』の一環として、萩本が出演した。
- 酒井ゆきえがお姉さんだった時代、1976年から1978年までの毎年12月31日には、酒井も出演した子供向け年末特別番組『わんぱくチビッコ大集合!』が放送され、1976年には『ひらけ!ポンキッキ』のガチャピンとムック、1977年は『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(第2期)の萩本欽一と前川清と、それぞれ共演した。
- 2007年12月6日放送の「まるまるちびまる子ちゃん」において、石原さとみがお姉さん役となりピンポンパン体操が番組内で再現された。この時の石原の衣装は、3代目お姉さんである酒井ゆきえバージョンのものを再現していた[9]。
- 1978年頃、番組の枠内でイタリアの人気キャラクター「トッポ・ジージョ」の人形劇コーナーが設けられていた。
- 関東地区では放送開始から1年半後の1968年4月から、平日17:00枠で当日放送分の再放送が行われていた。再放送は1978年9月に一旦打ち切られた後、1979年10月から平日16:30枠で再開されたが、年内に打ち切った。なお、土曜版は一貫して再放送されなかった。また、1974年と1975年の夏には、特別編成として『いなかっぺ大将』(1974年)と『鉄腕アトム(第1作)』(1975年)がそれぞれ再放送されていたことから、その間は当番組の再放送は休止された。
ネットしていた局(1966年の放送開始から1982年の終了まで)
- フジテレビ
- 北海道文化放送(1972年1月14日のサービス放送開始から番組終了まで)[10]
- 青森テレビ(1969年12月開局から1977年3月まで ※この時期に夕方放送から早朝放送に移行。当時同局はTBSの生情報番組を放送していたために打ち切った)
- 岩手放送(現・IBC岩手放送、1975年頃に夕方枠で放送)
- 仙台放送
- 秋田テレビ(1969年12月開局から番組終了まで)
- 山形テレビ(1970年4月開局から番組終了まで、現在はテレビ朝日系列)
- 福島テレビ(放送開始から1970年3月) → 福島中央テレビ(1970年4月開局から1971年9月ネット交換によるFNN・FNS脱退まで) → 福島テレビ(1971年10月FNSのみ加盟から1977年3月まで ※青森テレビと同じ理由で打ち切り。JNN脱退・FNN加盟によるフジフルネット化時には既に終了していた)
- 山梨放送(1975年頃に夕方枠で放送)
- 新潟総合テレビ(1971年10月25日[11]から番組終了まで)
- 長野放送(1969年4月開局から番組終了まで)
- テレビ静岡(1968年12月開局から番組終了まで)
- 富山テレビ(1969年4月開局から番組終了まで)
- 石川テレビ(1969年4月開局から番組終了まで)
- 福井テレビ(1969年10月開局から番組終了まで、夕方枠で放送)
- 東海テレビ
- 三重テレビ(独立UHF局、1975年頃に夕方枠で放送(東海テレビと並行で放送))
- 関西テレビ
- 日本海テレビ(放送開始から1972年9月の山陰相互乗り入れ開始による打ち切りまで)
- 山陰中央テレビ(1970年4月開局から番組終了まで ※開局から1972年3月までの正式社名は島根放送(愛称テレビしまね)、1972年9月の山陰相互乗り入れまでは島根県でのみの放送)
- 岡山放送(1969年4月開局から番組終了まで ※開局から終了までの愛称はテレビ岡山、1979年4月の岡山・香川相互乗り入れまでは岡山県でのみの放送)
- 広島テレビ(1975年9月まで) → テレビ新広島(1975年10月開局から番組終了まで)
- 山口放送(1970年代前半は17:00 - 17:45。その後は16:45 - 17:15に放送)
- 四国放送(1975年頃に夕方枠で放送)
- 西日本放送(放送開始から一時期のみ)
- テレビ愛媛(1969年4月開局から終了、放送当時の正式社名は愛媛放送)
- 高知放送(1975年頃に夕方枠で放送)
- テレビ西日本
- サガテレビ(1969年4月開局から番組終了まで)
- テレビ長崎(1969年4月開局から1979年2月まで ※早朝放送に移行後も放送していたが、1979年3月からスタートした日本テレビ系列の朝の情報番組『ズームイン!!朝!』をネットすることになったために打ち切りとなった。ちなみに当局最初のネット番組である)
- テレビくまもと(1969年4月開局から番組終了まで)
- テレビ大分(1970年4月開局から1979年2月まで、土曜版に限り最終回まで ※テレビ長崎と同じ理由で月 - 金は打ち切り)
- テレビ宮崎(1970年4月開局テンプレート:要検証から番組終了まで)
- 鹿児島テレビ(1969年4月開局から1979年2月まで ※テレビ長崎と同じ理由で打ち切り)
- 沖縄テレビ(1969年4月のFNN加盟からネットを開始し、日本に復帰した1972年5月から正式に開始、以降番組終了まで)
うたであそぼうピンポンパン
『うたであそぼうピンポンパン』は、2000年12月4日から2002年4月5日までBSフジで『ママとあそぼう!ピンポンパン』の後継番組として放送された子供向けテレビ番組である。放送前の仮題は「デジタルピンポンパン」であった。放送時間は毎週月曜 - 金曜 18:00 - 18:30 (日本時間)。
BSフジの子供向け番組群BS FUJI Kids(ビーエス フジ キッズ)の1つとして放送された。同時期に放送されたBS FUJI Kidsの番組には『PLAY ROOM』『Myポンキッキーズ』『ディズニーGOGO5 アラジンの大冒険』『世界名作劇場 完結編』などがある。
番組内容
番組進行を務めるお兄さんとして花田勝、お姉さんには西村ちさと、アシスタントのお兄さんとして山元全、高橋竜大が出演した。 番組キャラクターは熊のビンゾー。花田勝を除いた3人は音楽ユニットTOMATO CUBEのメンバーであったが後に活動を停止した。
番組の始まりには出演者と子供達が一緒にピンポンパン体操を踊る。その後はお兄さんお姉さん達がゲームやクイズをするコーナー、ポンキッキーズで放送された歌やショートアニメ、著名人が幼稚園や保育園に赴き子供達と料理や工作などをする様子を撮影したレポートなどで占められた。ポンキッキーズのコンテンツやキャラクターを流用・共用した再編集番組の傾向が強く、ママとあそぼう!ピンポンパンとは掛け離れた内容となった。
同時に放送されたデータ放送では、リモコンのボタンを押すことでタンバリン・トライアングル・カスタネットの音色をテレビの音声に重ねて出すことができた。これらの電子打楽器は番組内で歌や音楽が放送された際に、視聴者の幼児も一緒に演奏をしてもらおうという意図の下で制作されたものである。
脚注
関連項目
※以上の番組は、ピンポンパンとともにフジテレビが制作した子供向け番組。
※1988年3月31日に同局で放送。ミニコーナー「ピンポンパンですよ〜!」では歴代のお姉さんを紹介、そして「集まれ! フジっ子No.1クイズ」の賞品プレゼンターにはカータンが出演した。
- 平日本放送版
- 土曜版
- 再放送版
- ↑ 木村英俊『THEアニメ・ソング―ヒットはこうして作られた』角川書店、1999年、174頁。ISBN 4048531522
- ↑ 小林亜星:プロフィール(2010/4/20閲覧)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 出典:「タイムテーブルからみたフジテレビ35年史」(フジテレビ編成局調査部)31 - 91頁 1994年
- ↑ 『インフォメーションジョッキー 起きてますか』→『(園井啓介)セブンショー』。因みに『起きてますか』は当番組と全く同じ日に開始した。
- ↑ 『ニュース7:30』は『サンケイテレビ朝刊』に再改題した。
- ↑ なお『チビッコ劇場』は『小川宏ショー』繰り上げに伴い、平日放送を廃止して土曜限定に変更された。
- ↑ 竹内義和『TV視聴上の御注意とお願い―目だけでなく脳・筋肉・心臓など全身を駆使してテレビを見るマルチ視聴』メタモル出版、1994年、190頁。ISBN 4-89595-071-9。ただし同書では「お姉さん」の実名の記載はない。
- ↑ 「石原さとみ“お姉さん”がコスプレ姿披露、まるちゃんと共演」サンケイスポーツ、2007年12月4日。
- ↑ それまで北海道のフジテレビ系放送局であった札幌テレビでは未放送。
- ↑ ちなみにこの日から新潟総合テレビは平日の全日放送を開始している。それに伴い同番組の放送が開始された。ただし、初めは17時からの放送だった。