イズミ
株式会社イズミ(テンプレート:Lang-en-short)は、広島県広島市に本社を置くスーパーマーケットチェーンを展開する企業。衣類卸問屋の山西商店を母体に設立された。
小型食品スーパーゆめマート・イズミ及び、総合スーパーまたは大型ショッピングセンターのゆめタウン、オープンモールのゆめモールを展開。2013年11月現在、97店舗を営業する。
社名が似ている、関西地区を地盤とするスーパーマーケットのイズミヤ株式会社とは全く関係がない[補足 1]。
目次
来歴
1946年(昭和21年)に広島駅前で始めた闇市の屋台をルーツに持つ。1950年(昭和25年)に衣類卸問屋の山西商店を設立[補足 2]。山西商店の小売り部門として1961年(昭和36年)株式会社いづみを創業、広島市堀川町(現在の広島市中区新天地)にスーパー1号店の八丁堀店を開店する[補足 3]。1980年(昭和55年)6月にCIの導入で、現社名株式会社イズミに変更し、商号も変更[1]。
広島駅前の闇市をルーツとする大企業は、イズミのほかにフジの母体になった十和(現・アスティ、法人格はヨンドシーホールディングス)があり、会長は新聞取材で「永遠のライバル」としている[2]。
出店エリアはドミナント政策に則り、原則として本社より2時間以内でいける範囲に出店している[3]。また、スーパーマーケットの創業から2年後の1963年(昭和38年)に大阪へ進出したが、現地の嗜好に合わない品揃えで失敗[4]。わずか4ヶ月での撤退した[4]。それ以降、長らく中国地方での出店に専念し[4]、九州地方への進出は1995年(平成7年)まで行われなかった[4]。九州地方への出店に対し、地域に合わせた店舗形態にし、画一化にはこだわっていない[5]。また、食料品や衣料品などの直営フロアを最小限にし、家具・電気製品・カジュアルファッションなどは、有力な専門の会社に任せる方針にしている[6]。
2008年2月期で、中国地方で約50%、九州地方で約43%を売り上げている[7]。その他、1998年に四国地方に出店したゆめタウン高松は、ゆめタウン一の売り上げ高になっている[8]。2000年以降は、店舗が旧態化した中国地方に再び力を入れている[9]。
1990年より大型ショッピングセンター「ゆめタウン」を展開開始[10]。1995年からの九州地方の出店で、業績を急激に伸ばした[11]。
1978年(昭和53年)に広島証券取引所と大阪証券取引所2部に上場[12]。1986年(昭和62年)の大阪証券取引所1部への指定替えおよび東京証券取引所2部に上場を経て[12]、1987年(昭和62年)に東京証券取引所1部に上場した[12]。
1985年(昭和60年)の安古市店導入を皮切りに[13]、1988年(昭和63年)までに、全店にPOSシステムを導入した[14]。POSシステムの導入に関しては、同業他社に先行する形で行われた[15]。
九州地方ではイオングループと匹敵する一大勢力になっている[16]。
現社長の山西泰明は、ヤオハンの和田一夫元社長と実の兄弟(和田は長男、山西は五男)で[17]、1977年(昭和52年)に入社し翌年に現会長の山西義政の婿養子になり[17]、1993年(平成5年)に泰明が社長、義政が会長に就任している[18]。
2013年(平成25年)11月25日に、南区京橋町に置いていた本社を東区二葉の里に新築移転した[19]。本社ビルは地上6階・地下1階建で[19]、1階は店舗「ゆめマート二葉の里」[20]、2階から6階がオフィスフロアで、イズミ本社および関連会社が入居している。2階には「イズミ史料館」がある。
ハンドボール部は日本ハンドボールリーグの強豪チームとして知られていた(現在は廃部し、クラブチームの広島メイプルレッズに移行)。また、広島地場の企業として広島東洋カープへの支援を行っており、(新)広島市民球場開場の際にはマツダと命名権獲得を競った経歴を持つ(当該項参照)。一方、九州地区も地盤としている関係上、福岡ソフトバンクホークスのホークスパートナーズ・ゴールドスポンサーにも名を連ねている。
業態
現在の業態
- ゆめタウン
- 総合スーパー(GMS)型の中商圏型店舗、大型ショッピングセンター(SC)型の大商圏型の2つの店舗形態をもつイズミの主力業態。
- 1990年6月14日にゆめタウン高梁を第1号店として開業し、東は兵庫県から南は熊本県まで57店舗を展開[補足 4]。
- ゆめマート
- 小商圏型のスーパーマーケット(SM)。2012年6月28日に開店した小倉東店が第1号店[21]。
- ニコニコ堂から事業譲渡されたゆうあいマートを社名変更した「ゆめマート」とロゴマーク・事業を共有するが、運営会社は異なる[補足 5]。
- 2013年12月、イズミ業態の小型店舗とDSイズミ業態をゆめマートに統一し、今後の小型スーパー業態の主力として展開する。
- ゆめモール
- ネイバーフッド型ショッピングセンター(NSC)業態[22]。ゆめマートを核店舗とする。同業で言えばイオングループのイオンタウンに近い。
- 2013年11月14日に、第1号となるゆめモール下関が開業[22]。
テンプレート:- テンプレート:Triple image aside
- イズミ
- 総合スーパーとして展開を開始した最初の業態。1号店の八丁堀店がいづみの名称で開業。当時のマークは、四つ葉のクローバーをモチーフとした物だった[23]。1980年(昭和55年)6月[1]にCIの導入で、イズミに改称し、マークを太陽をモチーフとした物に変更[23]。
- ゆめタウン登場までの主力業態であった。その後、大半の店舗は2000年代までにゆめタウンに順次転換し、五日市店や竹原店など、大規模な駐車場を持たない非郊外型店舗を中心に存続していた。
- 2013年12月、大型の店舗はゆめタウン、小型の店舗はゆめマートにそれぞれ転換[24]。
- サングリーン三次店と、サングリーンから会社分割して設立された有限会社はなわが委託運営している店舗のうち2013年に開店したゆめマート三次を除く可部中央店、大町店、シティパルク呉食品館、岩国店、柳井西店、それに衣料品テナントとして入居している津山ウエストランドのみ「イズミ」の屋号で営業しており、これらの店舗の転換は予定されていない。
かつて展開していた業態
- ニューいづみ
- みどりがフランチャイズ契約に基づき、1971年から1976年まで運営していた店舗[25][26][27]。大竹店と戸坂店が存在した[27]。フランチャイズ解消後は、旧来の商号『みどり』で営業した[27]。
- アイマート
- 1982年に導入した小型店舗形態。
- イズミマート
- DSイズミ
- 津山店[28]とうきは店[29]のみ展開していたディスカウント型スーパーマーケット。DSとは、ディスカウントの略。津山店は、総合スーパーだった旧イズミ津山店をスクラップアンドビルドで転換した[28]。
- 2013年12月に両店ともゆめマートに転換[24]。
年表
- 1946年 - 山西義政(現会長)が猿猴橋町で露店を始める[30][31]。
- 1950年6月 - 衣類卸問屋「株式会社山西商店」を設立[30][31]。
- 1953年6月 - 山西商店。松原町に本社移転[30][31]。
- 1961年
- 後に、イズミ八丁堀店へ改称後、1986年に広島初のファッションビルウィズワンダーランドに移行。2004年にヤマダ電機テックランド広島中央本店、2012年にドン・キホーテ広島八丁堀店になっている。詳細は、ウィズワンダーランドを確認)。
- 1964年11月 - 「ヤマニシビル」として、現・イズミ本社ビルが竣工[30][31]。
- 1970年12月 - ヤマニシビルの隣地に本部ビル完成。イズミ本部として1974年まで使用[32]。
- 1974年12月 - 上織町に本部ビル完成。イズミ本部として1981年まで使用[33]。
- 1973年3月 - 初の郊外店となる祇園店オープン[33]。
- 1977年12月 - 日本チェーンストア協会に加入[33]。
- 1978年10月 - 大証2部及び広島証券取引所に上場[1]。
- 1980年6月 - 株式会社イズミに社名変更[1]。商号もイズミに変更する[1]。
- 1981年3月 - ヤマニシは商工センターの新社屋へ移転[1]。
- 1981年4月 - イズミ本部がヤマニシビルに移転[1]。旧本部ビルは、関連会社が使用する。
- 1983年4月 - TQCを全社に導入する[34]。
- 1985年
- 6月 - POSの導入開始[34]。
- 11月 - イズミ八丁堀店がファッションビルへ業態変換し、「ウィズワンダーランド」としてオープン[34]。
- 1986年8月 - 東証2部及び大証1部に上場する[34]。
- 1987年
- 1990年
- 1991年
- 1993年3月 - 代表取締役社長に山西泰明、代表取締役会長に山西義政が就任する[35]。
- 1994年3月 - イズミ女子ハンドボール部始動[36]。
- 1997年4月 - 財団法人泉美術館開設[36]。
- 1999年
- 2001年6月 - 女子ハンドボール部をクラブチーム化。「ハンドボールクラブ・広島メイプルレッズ」になる[37]。
- 2002年
- 2004年
- 6月 - 女性の能力の積極的活用を評価され、均等推進企業表彰「厚生労働大臣優良賞」を受賞[39]。
- 2008年9月1日 - 関連会社の再編に伴い、エクセルとゆめタウン熊本(前年にニコニコ堂と合併)を本体に吸収合併[39]。
- 2012年10月13日 - JR広島駅新幹線口の二葉の里地区(東区)の再開発地域に新本社を着工することを発表。[40]
- 2013年
- 2014年
店舗
現行店舗
過去に存在した店舗
イズミ50年史『挑戦の流儀』に基づいている。有限会社はなわに移管された店舗についても、直営での営業終了の形で記載している。
いづみ時代に開店した店舗
1980年6月のCI導入以前に「いづみ○○店」(特記を除く)として開店した店舗。閉店時期がCI導入後の場合は「イズミ○○店」として閉店している。広島市・岡山市の所在地については、出典の社史に合わせて区移行後にしている。
店名 | 所在地 | 開業年月日 | 閉店年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
八丁堀店 | 広島県広島市中区新天地[45] | 1961年11月3日[45] | 1986年8月24日[45] | いづみの1号店。のちにヤングショッピングモールのウィズワンダーランドとなり、2004年にはヤマダ電機テックランド広島中央本店になった。2012年にヤマダ電機は移転し、跡地はドン・キホーテとなる。現在もビルの所有者はイズミである。詳しくはウィズワンダーランド記事を参照。 |
本通り店 | 広島県広島市中区本通[45] | 1962年11月[45] | 1967年8月31日[45] | |
大阪店 | 大阪府大阪市東住吉区田辺本町[46] | 1963年6月27日[46] | 1963年12月[46] | |
広島駅前店 | 広島県広島市南区松原町[45] | 1967年3月24日[45] | 2000年1月23日[45] | いづみ八丁堀店に続く大型店としてオープン。閉店後ははフタバ図書GIGAとなる。 |
松山いづみ | 愛媛県松山市一番町[45] | 1968年3月18日[45] | 1977年1月[45] | 建物は1983年12月にラフォーレ原宿・松山が開業したが[47]、建物の耐震問題で2008年1月に閉店となり[48]、2013年10月16日から建物の解体工事が行われた[49]。跡地では、ホテルや商業施設などの入る再開発ビルの建設が2014年4月23日に始まっている[48]。 |
岡山店 | 岡山県岡山市北区中山下[45] | 1969年9月27日[45] | 1989年9月[45] | イズミ系ファッションビルfitzとなった。 |
呉店 | 広島県呉市中通[45] | 1970年10月25日[45] | 2008年5月31日[45] | 2004年のゆめタウン呉開店で地下の食品コーナーを除いてテナントビル化。2008年6月以降は、近くのポポロを運営する会社が運営[50]。地下階には、はなわ委託店舗がある。 |
府中(大通)店 | 広島県安芸郡府中町大通り[45] | 1976年4月8日[45] | 1999年10月24日[45] | 現在はユアーズ府中店。 |
西大寺店 | 岡山県岡山市東区西大寺上[45] | 1976年4月26日[45] | 2002年5月19日[45] | 両備ストアの両備サンモール西大寺店(現・リョービ・プラッツ西大寺店)の建物に入居。1階建ての建物を二つに仕切って、両備サンモール西大寺店とイズミ西大寺店の2店が営業していた。両備の店舗が食料品を主に扱うスーパーだったので、このイズミの店舗では食料品は扱っておらず衣料品を主に扱っていた。1990年代に建物の改築があり、改築後はリョービ・プラッツ西大寺店のビルの2Fにイズミ西大寺店が入居。(同フロアには書店、100円ショップなどの他テナントもあった)2000年代初頭にイズミが同ビルから撤退し、イズミ西大寺店閉店。イズミ西大寺店閉店後ビルの大規模な改装が行われ、イズミ西大寺店のあったフロアには現在、TSUTAYA岡山西大寺店とダイソーの2店が入居。 |
福山店 | 広島県福山市三之丸町[45] | 1976年6月13日[45] | 1987年4月[45] | ファッションビルCASPAに移行。 |
吉島店 | 広島県広島市中区光南[45] | 1977年8月19日[45] | 2003年9月30日[45] | 跡地はスパーク光南店。 |
津山店 | 岡山県津山市伏見町[45] | 1978年12月6日[45] | 2009年2月12日[45] | 2010年11月5日、総合スーパーから食品スーパーへ転換したDSイズミ津山店としてオープン[28][51]。 |
イズミに移行後に開店した店舗
1980年6月のCI導入後に「イズミ○○店」(特記を除く)として開店した店舗。
店名 | 所在地 | 開業年月日 | 閉店年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
手城店 | 広島県福山市手城町[52] | 1980年7月1日[52] | 1999年8月29日[52] | 現在はハローズ手城店。 |
アイマート庚午店 | 広島市西区庚午中[46] | 1982年6月5日[46] | 1986年8月31日[46] | イズミマート、イズミのフランチャイズ経営によるCoco'sを経て、跡地は現在びっくりドンキー庚午店。 |
高陽店 | 広島県広島市安佐北区落合[52] | 1982年10月15日[52] | 1999年9月26日[52] | 跡地はパチンコ店ぴーランド。 |
アイマート尾長店 | 広島県広島市東区尾長町[46] | 1983年1月6日[46] | 1994年4月10日[46] | |
観音店 | 広島県広島市西区南観音[52] | 1983年4月25日[52] | 2006年10月12日[52] | 跡地はスパーク空港通り店。 |
東雲店 | 広島県広島市南区東雲本町[52] | 1985年4月5日[52] | 2003年6月27日[52] | |
アイマート可部店(可部店) | 広島県広島市安佐北区可部南[52] | 1986年7月24日[52] | 2002年6月27日[52] | 営業譲渡[52]。現在は、スパーク中島店。 |
湯田店 | 山口県山口市吉敷[52] | 1987年3月1日[52] | 1999年10月17日[52] | |
佐方店 | 広島県広島市佐伯区三筋[52] | 1987年4月4日[52] | 2003年8月31日[52] | |
CASPA | 広島県福山市三之丸町[52] | 1987年4月25日[52] | 2012年1月31日[52] | |
防府店 | 山口県防府市八王子[52] | 1988年8月28日[52] | 1994年10月6日[45] | ゆめタウン防府の開店に伴い閉店。現在はゆめタウンの駐車場。 |
fitz | 岡山県岡山市北区中山下[45] | 1989年9月15日[45] | 2000年7月28日[45] | 現在は、天満屋と共同出資の「岡山LOTZ」になっている。 |
呉ハウディ店 | 広島市呉市中通[46] | 1993年5月13日[46] | 2000年10月31日[45] | 山陽ジャスコの店舗を移管。のち、営業譲渡[46]。 |
イズミマート可部中央店 | 広島県広島市安佐北区可部[53] | 1993年11月30日[53] | 2002年10月31日[53] | 営業譲渡[53]。 |
イズミマート南浜店 | 山口県宇部市南浜町[53] | 1994年9月28日[53] | 2006年1月12日[53] | 2006年に業務提携を結んでいる丸久の運営するアルク南浜店。 |
神田店 | 岡山県倉敷市神田[54] | 1995年7月19日[54] | 2010年7月27日[54] | ニシナに営業譲渡[55]。 |
柳井西店 | 山口県柳井市大字柳井割詰[54] | 1995年7月19日[54] | 1999年2月28日[54] | 営業譲渡[54]。 |
曙店 | 広島県福山市曙町[54] | 1995年8月1日[54] | 2001年3月18日[54] | 閉鎖後はベルファニーを経て、フレスタ曙店。 |
真備店 | 岡山県倉敷市真備大字川辺土井の内[54] | 1995年11月15日[54] | 2005年6月27日[54][56] | 2005年7月に仁科百貨店がニシナフードバスケット真備店を出店[56]。 |
小野田店 | 山口県山陽小野田市大字西高泊[54] | 1995年11月22日[54] | 2000年10月31日[54] | 現在はアルク小野田店。 |
彦島店 | 山口県下関市彦島福浦町[54] | 1996年7月23日[54] | 2008年7月23日[54] | 現在は「アルク」彦島店。 |
大町店 | 広島県広島市安佐南区大町東[54] | 1997年7月22日[54] | 2003年1月31日[54] | 営業譲渡[54]。 |
ゆめタウン鳥栖 | 佐賀県鳥栖市轟木町[46] | 2003年9月[46] | 2013年6月2日[57] | ニコニコ堂が核店舗の鳥栖シティモールとして1994年10月に開店[58]。2003年にゆめタウン熊本の店舗となり[58]、2010年4月23日にスーパーセンターイズミ鳥栖店に移行[59]。集客力が低下していることに加えて借地権契約が2014年2月で切れるため閉店[58]。 |
- 2005年3月にJT松山工場跡地にイズミが出店する計画が決定していたが[60]、中心市街地の空洞化を懸念する商店街関係者の反対で2006年12月に中止となった[61]。その計画の代わりとして、2007年4月25日に広島のデベロッパー・マリモが約53億円で落札し[62]、同年7月に敷地約33,000m²のうち約10,000m²ずつを地場スーパーのフジとダイキに売却したほか[63]、2008年3月には残りの土地のうち半分を売却する方針が明らかになり[64]、2009年1月に松山市医師会が医師会館建設用地として取得した[65]。そしてマリモのマンション「ポレスター松山フォレストシティ」と地場スーパーのフジ(食品スーパーVESTAと同社運営のTSUTAYA)、ケーズデンキ(ダイキによる賃貸物件)などで構成される複合施設が建設された。
主要関連会社
- 株式会社ヤマニシ - 衣類の卸売業。イズミの母体企業(旧称『山西商店』)。
- 株式会社ゆめカード - クレジットカード事業。
- 株式会社ゆめマート - ニコニコ堂が運営していた小型店舗を運営している。旧ゆうあいマート。
- 公益財団法人泉美術館 - ヤマニシビル5階で美術館を運営している。
- イズミ・フード・サービス株式会社 - 大阪王将・サブウェイ・サーティワンアイスクリーム・ミスタードーナツとフランチャイズ契約を結び、また、たこ一番・お好み一番・麺や一番・パスタトピザなどの自社開発ブランドの店舗を、イズミが運営している施設内で運営する会社。
- 株式会社イズミテクノ - 施設の維持・管理事業。
業務提携している同業企業
- 株式会社丸久 - 山口県防府市に本社を置くスーパーマーケットチェーン。2005年10月に業務提携[66]。
- 株式会社マルミヤストア - 大分県佐伯市に本社を置くスーパーマーケットチェーン。2008年4月に業務提携[67]。
- 株式会社スーパー大栄 - 福岡県北九州市八幡西区に本社を置くスーパーマーケットチェーン。2014年1月に業務提携[68]。
かつて関連会社だった企業
- 株式会社エクセル - インポートショップを運営。2008年9月1日付けで吸収合併。現在は、イズミの一ブランドの形で運営されている。
- 株式会社ゆめタウン熊本 - ニコニコ堂が運営していた大型店舗をひきついて運営していた会社。2008年9月1日付けで吸収合併。
- ポプラ株式会社 - 下着などを製造する関連会社(1963年1月設立・同名のコンビニエンスストアーとは別)[1]。安芸郡府中町に工場を置いていたテンプレート:Refnest。最盛期は女性用パジャマの販売で日本国内で首位になったこともあるが、売却されている[69]。
- 広島ココス - ココスジャパンとのフランチャイズ契約に基づき設立されたファミリーレストランの会社。1993年にサンデーサンに売却。
また以前は、小僧寿司のフランチャイズにも加入していた[70]。
商品券
株式会社イズミが発行する商品券には額面1,000円と500円の2種類が存在し、釣り銭が出る。 また、次の各系列店等で利用できる。 ・イズミ及びそのテナント・ゆめタウン及びそのテナント・ゆめマート及びそのテナント ・ゆめシティ及びそのテナント・エクセル・三次サングリーン・紙屋町サンモール・はなわ ・呉中通商店街・岡山ロッツ・おのだサンパーク
補足
脚注
参考文献
- 『挑戦の流儀』(イズミ50年記念誌編纂事務局・2012年)
- 『「ゆめタウン」勝利の方程式』(西川立一・ぱる出版) ISBN 978-4827204803
- 『中国新聞』 各バックナンバー
関連項目
外部リンク
- イズミ・ゆめタウン WEB(公式サイト)
- X-SELL
- あなたとつくる 夢の街 ゆめカード
- 財団法人 泉美術館
- イズミ・フード・サービス
- イズミテクノ
- ゆめタウンのネットショッピング ゆめショップ
- ヤマニシが拓く、アパレルの新たな道。
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タグが見つからない、または閉じる </ref>
タグがありません- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 『挑戦の流儀』 - 265ページ
- ↑ 『生きて イズミ会長 山西義政さん(1922年-)④ 闇市 戸板に干し柿で「開業」』 - 中国新聞 2011年11月5日 13ページ
- ↑ 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 97-98ページ
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 45ページ
- ↑ 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 159-160ページ
- ↑ 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 23-24ページ
- ↑ 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 58-59ページ
- ↑ 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 85-87ページ
- ↑ 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 84-85ページ
- ↑ 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 34ページ
- ↑ 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 54+55ページ
- ↑ 12.0 12.1 12.2 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 38ページ
- ↑ 『挑戦の流儀』 - 129ページ
- ↑ 『挑戦の流儀』 - 128ページ
- ↑ 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 51ページ
- ↑ 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 79-81ページ
- ↑ 17.0 17.1 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 50ページ
- ↑ 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 40ページ
- ↑ 19.0 19.1 19.2 19.3 “イズミ、新本社ビル竣工 グループ新司令塔が始動 「ゆめの1兆円」目指す”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年10月30日)
- ↑ 20.0 20.1 “イズミ、都市型SM「ゆめマート二葉の里」オープン 利便性と鮮度備える”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年11月8日)
- ↑ 『youme マート小倉東店』オープンのお知らせ
- ↑ 22.0 22.1 22.2 “下関に開店 ゆめモールとザ・ビッグ” 山口新聞 (みなと山口合同新聞社). (2013年11月15日)
- ↑ 23.0 23.1 『挑戦の流儀』 - 121ページ
- ↑ 24.0 24.1 「イズミ」ストア統一のお知らせ イズミ プレスリリース 2013年10月25日
- ↑ 『大竹市に初めてのフランチャイズ店 スーパー「いづみ」』 - 中国新聞 1971年11月11日 6ページ
- ↑ 『大竹市に新スーパーが開店 「ニュー・いづみ」』 - 中国新聞 1971年11月13日 6ページ
- ↑ 27.0 27.1 27.2 『フランチャイズ契約 来月末で解消へ 「ニューいづみ」と「いづみ」』 - 中国新聞 1976年7月7日 6ページ
- ↑ 28.0 28.1 28.2 “イズミ 岡山県津山市伏見町 DSイズミ津山店”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2010年11月25日)
- ↑ “イズミ、初のDS業態「DSイズミうきは店」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2010年9月8日)
- ↑ 30.0 30.1 30.2 30.3 沿革 - ヤマニシ
- ↑ 31.0 31.1 31.2 31.3 31.4 31.5 『挑戦の流儀』 - 262ページ
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