月曜ロードショー
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『月曜ロードショー』(げつようロードショー)は、1969年10月6日から1987年9月21日までTBS系列局でゴールデンタイムに放送された映画番組。放送時間は毎週月曜 21:00 - 22:54 (JST、現在の『月曜ゴールデン』枠)。
目次
概要
前身は、1966年7月2日から1969年3月まで同系列局で放送された『土曜ロードショー』(土曜 22:05 - 23:50)および1969年4月4日から同年9月26日に放送された『金曜ロードショー』(金曜 19:30 - 21:30、日本テレビ系列の『金曜ロードショー』とは無関係)である。
主として海外の映画作品を中心に取り扱っており、その吹き替え作品を主に東北新社(テレビプロダクション、本社は東京都)との提携で制作を行っていた。また、映画評論家の荻昌弘が視聴者に語りかける雰囲気で解説を担当していた。
月曜時代の放送枠は、当初は21:00 - 22:56だったが、1972年10月に22:56 - 23:00枠の『お天気メモ』が1分拡大したため、終了時刻を22:55に変更(1分縮小)、そして1975年10月より21:00 - 21:02枠に『明日のお天気』が設置されたため、開始時刻を21:02に変更(さらに2分縮小)、さらに1982年10月より『お天気メモ』が22:54 - 23:00の『TBSニュース』に変更されたため、終了時刻が22:54に変更(さらに1分縮小)、以後1987年9月まで21:02 - 22:54の体制だった。
同タイトルでの放送終了後、この枠では22時から報道枠がスタートすることを受けて火曜 20:00 - 21:54へ移動し、1987年10月6日から1988年9月27日まで『ザ・ロードショー』と題して放送された。その後、同年10月11日から1989年3月14日までは『火曜ロードショー』と、同年4月4日から9月19日までは『火曜ビッグシアター』と題して月に一度2時間ドラマも放送するようになった。その火曜放送時の1988年に荻が体調を崩し、5月31日放送分を最後に休養をとっていたが2か月後の7月に死去したことで一時期に小堺一機が解説を担当したものの(1988年10月18日 - 1989年1月10日放送分)、その後は解説者無しの状態が続いた。報道枠が23時からに復帰したことなどからの編成変えで、1989年10月4日に水曜 21:00 - 22:54へ移動し、以後は1993年9月29日まで『水曜ロードショー』と題して放送された。
オープニング
- 21:00の時報と同時にパープルブルーバックで冒頭からBGMが流れ、「月曜ロードショー」(黄色を黒で囲む)のロゴが流れる。
- 5秒後青と緑のコラージュから映画のワンシーンが湾曲する形(白い楕円形の球体の表面)で流される(007シリーズ→レーサー(ポール・ニューマン)→アラン・ドロン→【不明】→ジョン・ウェイン→俺たちに明日はない→【不明】→パリのめぐり逢い→荒野の七人)。BGMはブロードウェイ版『ピーター・パン』1954年上演版の序曲(エルマー・バーンスタイン作曲)。
- 25秒後コラージュの色が黄色に変わってまもなく「月曜ロードショー」のタイトルがフェイド・イン(白のみで囲み無し)。
- 5秒後コラージュの色が青と紫に変わる瞬間に消滅し、提供スポンサーテロップが挿入されて終了する。
1980年代後半に2部分離してからは、前期は上記の体制だったが、スポンサーテロップ挿入後は、当日放送される映画のタイトルカードを表示していた。後期ではすべてブルーバックで、「月曜ロードショー」(白文字)のロゴ(背景画が水色。最末期は青・水色・紺・紫・青緑で塗り分けられた縞模様のバック)→提供スポンサーテロップ→CM(60秒)→当日放送される映画のタイトルカードへと続いていた。
エンディング(月曜ロードショーに限る)
- 解説→吹き替え声優→日本語版製作スタッフがクレジットされたイラストバックが放送されていた(もちろん放送日の映画が題材)[1][2]。
- 30秒後提供スポンサーテロップが20秒ぐらい(スポンサーが分離してからは15秒)流れる。
- パープルブルーバックに「月曜ロードショー」(オープニングと同じだがやや小さめ)「TBS 終」(白の囲み無し)が表示されて終了[3]。BGMはレイ・アンソニー・オーケストラの"The Party's Over"であった。
1980年代後半に2部分離してからはブルーバックで「月曜ロードショー 終」(白文字。背景画は水色だったが、最末期は前述の縞模様)が表示されて終了。1986年4月以降は、このカットの表示と同時にTBS共通のクロスプログラムのチャイムが鳴り、「JNNニュースデスク」(のちに「ネットワーク JNN」)の予告に接続していた。
プロデューサー
- 熊谷国雄(TBS)
- 安田孝夫 (同上)
- 上田正人(同上)
予告ナレーション
タレント吹替え
月曜ロードショー時代の常連映画
邦画
洋画
同番組吹替えDVD作品
- 愛と喝采の日々
- 悪魔の追跡
- オーメン
- 狼の挽歌
- オルカ
- ガルシアの首
- キラー・エリート
- グライド・イン・ブルー
- 国際諜報局
- ザ・チャイルド
- サブウェイ・パニック
- 正午から3時まで
- スローターハウス5
- 戦場
- ダーティハリー4・5
- 大地震
- 大統領の陰謀
- チャトズ・ランド
- ドノバン珊瑚礁
- 泥棒成金
- トワイライトゾーン/超次元の体験
- ナイアガラ
- 波も涙も暖かい
- 破壊!
- バニシング・ポイント
- バンドレロ
- 100万ドルの血斗
- 評決
- ピラニア
- ピンク・パンサー3
- ブラニガン
- ブレードランナー
- 炎のランナー
- ポリスアカデミー1・3 - 4まで(2はフジ初放送制作) - 『ザ・ロードショー』移行後
- ホワイト・バッファロー
- M★A★S★H マッシュ
- 要塞
- 世にも怪奇な物語
- レッドバロン
- ロッキー1 - 4 - ただし、音源は何らかの理由で使用不可のため、同じキャストでの新録音
ネット局
系列は当時の系列。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 東京放送 | TBS系列 | 現・TBSテレビ |
北海道 | 北海道放送 | ||
青森県 | 青森テレビ | 1969年12月開局から | |
岩手県 | 岩手放送 | 現・IBC岩手放送 | |
宮城県 | 東北放送 | ||
福島県 | テレビユー福島 | 1983年12月開局から[4] | |
山梨県 | テレビ山梨 | 1970年4月開局から | |
新潟県 | 新潟放送 | ||
長野県 | 信越放送 | 1980年10月ネット開始 | |
静岡県 | 静岡放送 | 1970年ネット開始[5] | |
石川県 | 北陸放送 | 1978年10月ネット開始 | |
中京広域圏 | 中部日本放送 | 現・CBCテレビ | |
近畿広域圏 | 朝日放送 | 1975年3月24日まで | |
毎日放送 | 1975年3月31日から、腸捻転解消による移行 | ||
島根県 →島根県・鳥取県 |
山陰放送 | 1972年9月18日までの放送エリアは島根県のみ 1972年9月25日から相互乗り入れに伴い鳥取県でも放送 | |
岡山県 →岡山県・香川県 |
山陽放送 | 1983年3月までの放送エリアは岡山県のみ 1983年4月から相互乗り入れに伴い香川県でも放送 | |
広島県 | 中国放送 | ||
山口県 | テレビ山口 | 1987年10月のFNS脱退から[6] | |
高知県 | テレビ高知 | 1970年4月開局から | |
福岡県 | RKB毎日放送 | ||
長崎県 | 長崎放送 | ||
熊本県 | 熊本放送 | ||
大分県 | 大分放送 | ||
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
鹿児島県 | 南日本放送 | 1982年10月ネット開始[7] | |
沖縄県 | 琉球放送 |
フジテレビ系列局の秋田テレビでは『サンデーロードショー』と題し、遅れネットで放送されていた。
脚注
- ↑ 「日本語版製作 ○○○○(その回の製作会社)」の下に「制作(のちに制作著作) TBS」のテロップ表示は無かった。3番目の終の隣にTBSのロゴを付けていたためである。当時の『ナショナル劇場』でも同様の措置が取られていた。ただし2部分離後は終の表記にロゴがなくなったこともあり、最末期には「日本語版製作」のクレジットが製作会社とTBSの連名表記となった。
- ↑ 特例で邦画を放送した場合は解説のワンカットのみ。
- ↑ 終の隣にあるTBSのロゴはよく知られた筆記体ロゴである。
- ↑ 正式には1983年11月28日のサービス放送開始から。1983年3月までのTBS系列局であった福島テレビ(フジテレビ系列とのクロスネット局)では『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)の同時ネットを放送していたため未放送だった。
- ↑ 1969年10月当時21時台は孤独のメス、22時台はプレイガールを放送。
- ↑ 1987年9月までは『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)などのフジテレビ系番組の同時ネットを放送していたため未放送だった。
- ↑ 1982年9月まではテレビ朝日の火曜21時枠時代劇を6日遅れで放送していたが、同年10月鹿児島放送(KKB)の開局により民教協制作分を除いたテレビ朝日の番組が姿を消したことに伴って、新たにネット開始。