アレックス・ラミレス
テンプレート:Infobox baseball player アレキサンダー・ラモン・ラミレス(Alexander Ramon Ramirez , 1974年10月3日 - ) は、ベースボール・チャレンジ・リーグ・群馬ダイヤモンドペガサスに所属するベネズエラ・カラカス出身のプロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ。「ラミちゃん」の愛称や、本塁打を放った後にベンチ前で披露するパフォーマンスで知られる。
テンプレート:Byにヤクルトスワローズに入団して以来、10年以上にわたってNPBの3球団で活躍。横浜DeNAベイスターズ時代のテンプレート:Byには、NPB通算2000本安打を達成したことで、NPBの外国人枠適用経験選手では初めて名球会への入会を果たした。同年限りで横浜DeNAを退団したが、テンプレート:Byに入団した群馬でも、打撃コーチ兼任で現役生活を続ける。
また、2013年2月からは、日本初のプエルトリコ料理レストラン「ラミちゃんカフェ」を東京都内で経営[1]。テンプレート:Byからテンプレート:Byまでヤクルトに所属したアレックス・ラミレス・ジュニアは、息子(継子)に当たる。
目次
経歴
プロ入り前からメジャー昇格まで
実家はベネズエラの首都・カラカス近郊の「ピニャンゴ・デ・ジャレ」という小さな町にある。当地の人口は約200人で、うち4分の3ほどがラミレスの一族だという[2]。
5歳のときに兄の影響で野球を始め、8歳のときに地元のリトルリーグの監督にスカウトされ、15歳になると本格的に野球選手を目指すため学校を退学。当時は主に投手を務めていたが、18歳のとき[3]にベネズエラの国内選手権に出場した際にたまたま外野手として試合に出ていたところをクリーブランド・インディアンズのスカウトの目に留まりチームと契約する[4]。テンプレート:By2月に現在の夫人と結婚[5]。同年8月からテンプレート:By4月までMLB史上最長のストライキが実施された影響で、1995年のスプリングトレーニングにはオーナー側の命令で代替選手として参加。そのため、スト破りを行った報復措置として選手会への加入を認められなかった[6]。
メジャー時代
テンプレート:ByはAAA級バッファロー・バイソンズで121試合に出場。34本塁打103打点6盗塁、打率.299と結果を残し、9月19日に初のメジャー昇格を果たした。同日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビュー。1打数無安打1三振に終わった。
テンプレート:By7月28日にウィル・コルデロとのトレードでエンリケ・ウィルソンと共にピッツバーグ・パイレーツへ移籍。しかしパイレーツへの移籍直後は好調だったものの、8月に入るとスランプに陥りスタメンから外されるようになる。ラミレスによれば「打撃コーチ(ロイド・マクレンドン)に打席でのスタンスを変えるよう指示されそれに従ったところスランプに陥ったため、コーチに『スタンスを元に戻したい』と言ったら、次の日からスタメンを外された」という[7]。
ヤクルト時代
テンプレート:By11月1日、ヤクルトスワローズに入団。背番号は3。当時、フロリダ州で家と車を購入したばかりでそのローンが残っていたため、当初は「1年だけ日本で金を稼いで、(ローンを)返済したらすぐに戻る」つもりだったという[8]。
1年目のテンプレート:Byから打率.280・29本塁打・88打点の好成績をマーク。当初の契約では「5番・右翼手」での出場を確約されていたが、キャンプ初日に右翼手のレギュラーだった稲葉篤紀の守備を見て「自分は彼(稲葉)には勝てない」と感じ、左翼手に転向したとのこと[9]。
テンプレート:Byは移籍したロベルト・ペタジーニに替わって4番に座り、打率.333・40本塁打・124打点で打点王・本塁打王・最多安打・ベストナインの各タイトルを獲得。
テンプレート:By8月21日の対阪神タイガース戦(明治神宮野球場)では、トレイ・ホッジスからランニング本塁打を放った。終盤には代理人の意向もあって移籍が取り沙汰されたが、本人の希望もあって残留。その際、義理の息子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの入団が決め手となった。
テンプレート:Byは26本塁打・112打点を記録するものの、636打席で19四球を記録するなど選球眼の悪さが露呈し、出塁率.289は両リーグで最低だった。
テンプレート:By10月4日の対横浜ベイスターズ21回戦(明治神宮野球場)において、外国人選手・右打者としては史上初のシーズン200本安打を達成、打率も.343、安打数は最終的に204安打まで達した[10]。また、このシーズンは打率.343、122打点をマークして、100打点、200安打、打率.300以上の「100・200・300」を同時達成しているが、これは日本プロ野球史上唯一の記録で、メジャーリーグに渡った日本人選手でも、2005年の松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース)が114打点、192安打、打率.305を残したのが「最接近記録」で、日米を通じて100打点以上の経験がないイチローも到達していない。この記録は確実性と長打力に加えてケガにも強い耐久性を兼ね備えていることの証ともいえるもので、MLBで最も多く記録しているのは2130試合連続出場記録を残したルー・ゲーリッグ(ヤンキース)の8回である。
シーズン終了後に球団側との契約交渉が決裂したことで退団が決まり、11月30日に自由契約公示。同年12月29日、読売ジャイアンツへの入団が正式に発表された。入団会見は巨人初のビデオレターによるものとなり、会見では「このチーム(巨人)に足りないものを加えに来た」とコメントした。
巨人移籍への背景
シーズン終了後、球団側からラミレス側への残留要請が行われたが、提示された条件は契約年数1年、推定年俸4億円というラミレス側の希望とはかけ離れたものであった。7年在籍した球団に対する彼の希望は、高年俸ではなく契約年数で、ラミレスは球団側が複数年契約を認めればヤクルトに残留する選択も考えていた。実際、ラミレスは後に「現状維持の2年契約の提示があれば残留していた」と記している[11]が、最終的に球団側は複数年契約を提示しなかったため、ヤクルトを退団することとなった。
自由契約となったラミレスに対し、右の大砲を探していた巨人とオリックス・バファローズが獲得を検討していたが、オリックスはアレックス・カブレラを獲得したため、巨人が獲得した。推定年俸は5億円(契約年数2年、総額10億円)。背番号は、「3」だと長嶋茂雄の永久欠番となっている事情から、「5」となった。ラミレスは以前から「巨人では外国人選手が大変な思いをしている」と聞かされていたため、巨人は一番行きたくないチームだったが[12]、巨人がラミレス自身が希望する複数年契約を提示したことに加え、ラミレス自身が原辰徳の指揮に以前から興味を持っていたこともあって巨人入りを決めたという[13]。
巨人時代
テンプレート:Byは開幕から5番打者としてシーズンを迎えたが、開幕から結果を残したことと、4番候補の李承燁・高橋由伸の不振により、主に4番で起用されるようになった。前年の高打率を維持しながら長打力も発揮し、45本塁打、125打点で2年連続3度目の打点王を獲得。2008年のセ・リーグ最優秀選手に選ばれた。指名打者制の試合では主に指名打者として起用されていたが、日本シリーズの第4・5戦では阿部慎之助が負傷して指名打者で出場したため左翼手として出場した。この年にフリーエージェント資格を取得したため、2009年から外国人枠を外れて日本人扱いとなった。
テンプレート:Byは144試合全てで4番に座り、前年に続く活躍。3割30本100打点を達成したほか、打率.322で自身初の首位打者と3度目の最多安打を獲得。チームの3連覇に貢献し、2年連続の最優秀選手に選ばれた。シーズン通しての調子の波も少なく、6月以外の月間打率は全て3割以上だった。巨人の右打者の首位打者獲得は1971年の長嶋茂雄以来38年ぶりである。同年の日本シリーズで、観戦に来た小笠原道大の娘にファウルボールを当ててしまうが、翌日「ゴメンナサイ」と書いた自身のサインボールを小笠原に渡した[14]。
テンプレート:By4月、孫のD・J・ラミレスが誕生(夫人の連れ子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの子)。好不調の波が少なかった過去2年と違ってシーズン当初は低打率に苦しんだが、その中でも得点圏においては勝負強い打撃を見せ、本塁打と打点を量産。夏場に入ると一気に調子を上げて打率も向上させ、最終的に打率.304、49本塁打、129打点で二冠王に輝いた。しかし、首位打者の青木宣親(ヤクルト)、シーズンMVPの和田一浩(中日)、シーズン安打数の日本新記録を挙げたマット・マートン(阪神)の3人に阻まれ、ベストナインには選出されなかった。打撃二冠のタイトルを獲得しながらベストナインに選ばれなかったのは、1960年の藤本勝巳に次いで二人目である。
テンプレート:By5月1日、4番としての連続先発出場記録を416試合として、松井秀喜が持つ415試合を抜き、球団新記録を達成する。しかし7月13日の対阪神戦で受けた死球の影響で、翌日の7月14日に先発から外れ、長野久義が4番で先発出場し、記録は469試合で途切れた。代打で途中出場したため連続試合出場は続いたが、翌日の試合では途中出場もなかったため、連続試合出場は985試合で止まった。この記録は外国人選手としては歴代最長記録となった[15]。8月5日、3回表に内野安打を放ち、NPB通算1793安打を記録。タフィ・ローズの1792安打を越え、歴代外国人選手の通算最多安打記録を更新した[16]。シーズン成績は、打率(.279)が巨人入団以来初めて3割を切り、打点(73)は連続100打点が8年で止まり、来日以来最低の数字となった。本塁打数(23)も来日以来最低の数字となり、打撃三部門で来日以来最低の記録となった。但し、本塁打数はリーグ2位である。これは「飛ばないボール」(統一球)に変わったこともあり、セ・リーグの選手全体の本塁打数も減少したため、本塁打数に関しては決して不振とは言える数字ではなかった(最多は、ウラディミール・バレンティン(ヤクルト)の31本)。指揮官の起用面を配慮し契約最終年であり、10月31日の同年のクライマックスシリーズ・ファーストステージ終了を以て、正式に退団を表明した。
DeNA時代
巨人退団後の12月8日、横浜DeNAベイスターズが獲得を発表し、入団会見を行った[17]。背番号は、ヤクルト時代と同じ3。
テンプレート:By、オープン戦での肉離れにより開幕スタメンこそ逃すも、4月4日より新チームの4番として定着。しばらくは調子が上がらない時期が続いたが、徐々に調子を上げ、7月5日、日米通算2000本安打を達成(アメリカでは86安打・日本では1914安打を記録)。同14日、外国人選手最高記録となる12年連続2桁本塁打を達成。7月にはDeNA移籍後初、通算9回目の月間MVPを受賞した。3球団で月間MVPを受賞するのは史上初[18]。
テンプレート:Byはトニ・ブランコの入団により5番に回り、4月6日の対ヤクルト戦で6回表、元チームメイトである石川雅規からレフト方向へ弾丸ライナーで飛び込む本塁打を放ち、外国人選手枠で入団した選手としては史上初となる、日本での通算2000本安打を達成した[19]。だが、巨人退団の要因となった守備難が顕著になってきたことに加え、特に2000本安打を達成してからは打撃面でも精彩を欠いたことから、4月25日の対巨人戦を最後にスタメン落ち。その後は代打や交流戦での指名打者として出場していたが、代打には不慣れなこともあって結果を残せず、6月2日の日本ハム戦で本塁打を放ったのを最後に22打席連続凡退のまま、前半戦終了後の7月18日に来日13年目にして初の二軍降格となった。9月27日、戦力外通告を受けていたことが判明[20]。10月2日、球団側が14年シーズンは契約しないことを正式に発表した[21]。
BCリーグ・群馬時代
横浜DeNAから戦力外通告を受けた後も、NPBの他球団で現役生活を続けることを希望。好物の炭酸飲料を断つなど、例年以上に節制と自主トレーニングに努めることで、他球団からのオファーに備えていた[22]。テンプレート:Byの12月には、埼玉西武ライオンズが守備に就かない指名打者要員としてラミレスの獲得を検討していることが一部で報じられたものの、獲得には至らなかった[23]。
テンプレート:By、2月13日にベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスが、ラミレスを打撃コーチ兼任の外野手として入団させることを発表した[24]。背番号はヤクルト・DeNA時代と同じ3[25]。なお、打撃コーチ料を含めた推定年俸は、巨人時代の最高額(5億円)の100分の1に相当する500万円(選手としての月給にはリーグ規定上限額の40万円を適用)[26]。また、ラミレスにNPB復帰への意向が強いことから、群馬との契約には「シーズン途中にNPBの球団から(ラミレスの)獲得を打診された場合には契約を解除できる」という旨の付帯条項が添えられた[22](なお、NPBの支配下選手登録の新規獲得可能期間は7月31日までである)。
入団した群馬では、4番・指名打者として5番カラバイヨとの強力クリーンナップを形成。同年4月にはまたも西武が獲得を検討していると報道されたものの[27]、契約は見送られた[28]。6月23日に球団がラミレスの緊急帰国を発表[29]。帰国に至った経緯として、「家族の病気療養に付き添うため」としている。その後、球団公式発表はないものの、チームに再合流して7月11日の試合より復帰している[30][31] 。
選手としての特徴
故障をせず、長期離脱したことがほとんどない。2004年8月8日以降、2011年7月15日に欠場するまで全試合に出場。日本の外国人枠選手の連続出場試合記録(985試合連続出場)、日本人選手を含めても歴代8位の記録を保持している。
打撃
首位打者が1度、本塁打王を2度、打点王を4度、さらに最多安打を3度獲得するなど打撃に優れている。早打ちの傾向があり[32]、2007年の初球打ちの打率は5割を超えたが、それゆえに四球が非常に少ない。三振数も多く、来日から7年連続100三振以上を記録している。しかし巨人移籍後は出場試合が多いながらも全てのシーズンで100を下回っており、長距離打者としては少ない部類になっている。
来日当初は典型的なプルヒッターだったが、近年はボールを手元まで呼び込んで外角球を捌くことができるようになった[33]。追い込まれると右方向に流し打つ柔軟さも兼ね備える[34]。球種的な弱点も少なく[35]、巨人移籍以降2010年までの通算得点圏打率.347とチャンスに強い他、同じく通算対左打率.337と左投手にも強い。落合博満はNPB最高打者としてラミレスを挙げている。
2012年には日米通算2000本安打を達成したが、その記録に注目するファンは少なかった。ラミレス自身も「日本だけで2000本安打を達成したら注目されるだろう」と語った。
2000安打達成後は日本球界に在籍している(していた)外人選手について「日本球界に馴染もうとしない(しなかった)」と述べている。
守備・走塁
主に左翼を守っているが、守備範囲は非常に狭く、2010年には得点換算で両リーグワーストの数値を記録した[36]。同じく刺殺数150は規定試合以上の外野手では守備固めでの起用が主だった藤川俊介に次いでリーグワースト2位を記録。失策も多く、2008年から2010年まで3年連続で両リーグの外野手でワーストの守備率を記録している。試合終盤には守備固めを送られることが多く、パ・リーグ主催の交流戦や日本シリーズでは主に指名打者として出場している。守備能力の問題については本人も自覚しており、「守備は全力で頑張るが専門ではない。自分は打撃に尽きる」と発言している[37]。ただし、よほど投票資格のある記者の印象に残る好守が多いのか、実際に受賞にこそ至らないもののたびたび守備力を表彰するゴールデングラブ賞の投票で得票している。
巨人時代の2009年シーズンオフに監督の原辰徳から一塁への挑戦を打診されたり[38]、DeNAに移籍した直後にも監督の中畑清が「ラミレスに外野を守らせるという固定観念はない。一塁も考えている」と発言するなど[39]、守備の負担のより少ない一塁へのコンバート案もたびたび出ているが、2013年現在まで実現には至っていない。
走塁面では企図も含めて盗塁数が少なく、ベースランニングで手を抜くことが多いが、右打者ながら一塁到達4.2秒台前半を記録するなど足が特別遅いという訳ではない[34]。200安打を達成した2007年には22本の内野安打を記録しており、200本目となったのも三塁への内野安打であった。
人物
「試合を支配する要素の70%はメンタリティー、残り30%がフィジカル」との考え方を持っている[40]。またメンタリティーの強化のためには「相手を研究し準備する」ことが不可欠であると考えており、そのためシーズン中は試合前に過去の試合のDVDを、試合後にはその日の自分の打席のDVDを観ることを日課にしている[41]。過去のDVDを観る際は主に「得点圏にランナーがいるときのバッテリーの配球」に主眼を置くとのことで[42]、特に日本に来てからは、捕手が配球の主導権を握る日本野球のスタイルに合わせ「捕手を中心に研究する」ようになったとのことである[43]。そのような自らの意識から「日本の選手はフィジカル面ばかりでなく、もう少しメンタリティーに重きを置いてもいいのではないか」とも感じているという[44]。
2010年代に入ってからは、球団を問わず後輩選手へのアドバイスを送ることも多くなっている。特にウラディミール・バレンティン、長野久義、石川雄洋などとは頻繁に情報交換を行っているという[45]。
2013年2月には、東京・西麻布にプエルトリコ料理のレストラン『ラミちゃんカフェ』をオープンさせた[46]。実際の店舗運営は妻に任せているが、本人も時折店を訪れ来店客に挨拶したりしているという[1]。
口癖は「マタ明日ガンバリマス」[47]。2000本安打達成後の記者会見ではジャイアンツ時代からの関根通訳を労うコメントもしている[48][49]
パフォーマンス
本塁打を打った際やヒーローインタビューの際に、パフォーマンスを行うことで知られている。 他の選手がHRを打った際は、互いに肘を曲げあいスタンド方向を指さすなど独特のハイタッチで応じる事が多い。 本塁打ではベンチ前でチームメイトとハイタッチを交わした後、ベンチ脇のテレビカメラ前でコミカルなアクションを披露する。特にホームゲームでは、球団マスコット(ヤクルト:つば九郎、巨人:ジャビット)とコンビでアクションを行うほか、本塁打や適時打でチームに貢献した場合、直後に守備に就く際にもファンの声援に応え、パフォーマンスを交えてお辞儀や敬礼で感謝の意を伝えている。
パフォーマンスには毎年モデルチェンジが加えられ、近年はシーズン前にファンからパフォーマンス内容を募集している。下記にこれまでラミレスが行ってきた主なパフォーマンスの基本フォーマットを示す(括弧内はパフォーマンスの元ネタを演じているお笑い芸人)。またヒーローインタビューなどの際にパフォーマンスを行う際、開始前に「1、2、3(イチ、ニー、サン)」と日本語によるカウントアップを行うことがある。
ラミレスによれば、元々はキャンプ中にロッカールームで選手数人が互いに「アイーン」をやって遊んでいたのを目撃した際に、同僚だった度会博文から「お前もやってみろ」と言われて、その日の練習中に数人の子供の前でやってみたところ、大変好評だったのがきっかけだという。メジャーリーグでは選手が試合中にパフォーマンスを行うことは相手を挑発しているように受け取られかねなかったため、通訳などに相談したところ「日本では問題ない」と言われたので、積極的にパフォーマンスを行うようになったとのこと[50]。但し、日本に於いても派手なパフォーマンスを快く思わない人物も居り、迫勝則は自身の著書で「相手チームの心情に思いが及ばない、浅はかな行為」と批判している[51]。その後もパフォーマンスを続けている理由としては、「野球のことをよく知らない小さな子供が『アイーン』『ゲッツ』として自分のことを覚えてくれるのが嬉しい」ことを挙げている[52]。
- 2001年・2002年
- 「アイーン」と右肘を前方にかざす(志村けん)。
- 2003年
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」と両人差し指で前方を指し、そのままカメラからフレームアウトする(ダンディ坂野)。
- 5月28日の対広島東洋カープ戦の試合前、クラブハウスでダンディ本人と対面。取材陣の前で共演を果たした。
- 2004年
- 「ラミちゃんペッ」と鼻に右人差し指・中指を当てる(加藤茶の「カトちゃんペッ」)。
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 2005年
- 「ラミちゃんペッ」「アイーン」「ゲッツ」を使用した他、下記のパフォーマンスもレパートリーとなっていた。
- 「俺の時代だ!」と自分を指す。
- 「ハイ! ハイ!ハイ、ハイ、ハイ!」と、左隣の人の肩に両手を添えながら足踏み(レギュラー)。
- 2006年
- 「ラミちゃんチッチキチー」と親指をカメラ前に差し出す(大木こだま)。
- 「ペッ」と鼻に人差し指・中指を当てる(加藤茶)。ただし、これは省略されることが多かった。
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 春季キャンプ中の2月11日に番組企画で大木こだま・ひびきと対面。直々にレクチャーを受け「こんなに上手く出来る人はおらん」と太鼓判を頂戴した。
- 2007年
- 「ラミちゃん」と自分の顔を指す。
- 「カッチカチ」と左二の腕に力瘤を作り、右の拳で2度叩く(ザブングル・加藤歩の「見ろや、この筋肉!カッチカチやぞ!」)。
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 5月10日の対横浜ベイスターズ戦の試合前にザブングルと対面を果たし、加藤らと取材陣の前でパフォーマンスを共演した。
- 2008年(この年から読売ジャイアンツに所属)
- 巨人がリードしている場面で本塁打を打った際のパフォーマンス。
- 「そんなの関係ない!」と右拳を地面へ振り下ろし、さらに「はい、オッパッピー!」と両手を広げる(小島よしお)。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 「そんなの関係ない!」は、本来は「そんなの関係ねぇ!」だが、ラミレスは「子供たちへの影響も考え、丁寧な言葉にした」としている。
- 相手チームにリードを許している場面で本塁打を打った際のパフォーマンス
- 「ラララライ! ラララライ!」と両腕を上下させながら足踏み(藤崎マーケット)。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 前年の帰国前、宮本慎也からお笑い芸人のネタを複数収録したDVDをプレゼントされ、これらを元にキャンプ・オープン戦中にアイディアを練り続けた。さらにヤクルト時代に引き続き、2月下旬から球団Webサイトでパフォーマンスのアイディア募集を実施し、約600通のアイディアが寄せられた。またこの間、多くの有名人から本人直々にパフォーマンスの売込みもあったが、主なものは「どげんかせんといかん」(東国原英夫)、スキップするように横向きに走る「欽ちゃん走り」(萩本欽一)。
- 欽ちゃん走りについては萩本本人と、東京ドームで初本塁打を打った折に本塁からダッグアウトに戻る際に披露すると約束を交わした(この欽ちゃん走りは4月18日の対東京ヤクルトスワローズ5回戦で、移籍後東京ドーム初となる3号3ラン本塁打を放った際に披露して公約を果たした)。
- こうして検討を進めた結果、ラミレスは同年のパフォーマンスを2本立てで行うことを決め、3月16日に東京ドームで行われたオープン戦前のファンイベントで発表した。まず巨人がリードしている場面でのパフォーマンスには「そんなの関係ねぇ!」を採用。「リードしていても気を抜かずに戦っていこう」という意味合いを持つ。一方、追う展開でのパフォーマンスには「ラララライ体操」を採用。「みんなでテンションを上げていきたい」とチームを鼓舞する気持ちが込められている。また、お立ち台ではこの2本をミックスしたパフォーマンスを行っている。蛇足だが、そもそもラミレスが1月25日に来日した際、当初から今季のパフォーマンス候補としていたのがこの2本であった。
- なお、小島は7月1日の対東京ヤクルトスワローズ戦を観戦した際、同日2本塁打を放ったラミレスのパフォーマンスに対して「動き的に物足りない」と辛辣な評価を下した。これを試合後に伝え聞いたラミレスは「時間に限りがあるし、物足りないのは分かっている」と釈明している。
- 藤崎マーケットは、球団側から所属事務所を通じて「ラララライ体操」の使用許可を求められ、快諾したと語っている(テレビ朝日系『アメトーーク』にて)。
- 2009年
- 「ら!み!」と、茶道のように茶碗を回すジェスチャーをする。
- 「茶!」と、茶を飲み干すジェスチャーをする。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 2月の宮崎春季キャンプの期間中には例年通りパフォーマンスのアイディア募集も行われた。宮崎市立大塚中学校では、野球部に所属していた男子生徒が、お祭りのお囃子にあわせるような見事なパフォーマンスアイデアを考え、ラミレスは気に入っていたが、ラミレス自身は前年フリーエージェントの資格を得たため、同年から選手登録が日本人扱いとなるのにちなんで、「和」の要素を取り入れたいと考えていた。
- そんな折のキャンプ休日、ラミレスは宮崎学園中学校・高等学校の生徒の手解きで茶道を体験した。この席上、茶道部所属のある女子生徒から「今年のパフォーマンスに、茶道を取り入れてほしい」とリクエストされたのを受け、ラミレスは茶道の作法をアレンジした『らみ茶ゲッツ』を考案した。
- 9月8日の対横浜ベイスターズ戦では、始球式を務めた加藤茶と再会して談笑。試合前、加藤と往年のパフォーマンス復活を約束したラミレスは本塁打を放ち、約束通りカメラ前で「ラミちゃんペッ」を「この夜限りのスペシャルバージョン」(本人談)として披露した。
- 2010年
- ジャイアンツ主催試合で本塁打を打った際のパフォーマンス
- ジャビットからこん棒を受け取ると、2人で剣道のジェスチャーを始め「面!小手!胴!」と打突の所作を真似る。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- ビジターの試合で本塁打を打った際のパフォーマンス(主催試合でも行うことがある)
- 右拳を下から突き上げるようにガッツポーズし「ヨロコンデー!」と叫ぶ。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- ラミレスは前年に続き、和のテイストを含むパフォーマンスを考案した。前年同様2月の春季キャンプ休日、宮崎学園高等学校の生徒との交流で剣道を体験し、席上で剣道部所属のある男子生徒から「剣道を使ったパフォーマンスをやってほしい」とリクエストされた。この話題がニュースなどで取り上げられたこともあって、直後に球団が行ったアイディア募集でも剣道に関する反響が多かったという。ラミレス自身も「宮崎で剣道を見学した時『素晴らしいパフォーマンスになる』と確信した」と語っている。
- 一方「ヨロコンデー」は、キャンプ期間に行きつけにしている宮崎市内の寿司店で、板前がオーダーを受ける際に「喜んで」と笑顔で答える姿を基に発案したもの。「ファンのみんなと勝利の喜びを分かち合いたい」という願いが込められている。同年は自身のサインにもローマ字で「YOROKONDE!!」と書き入れている他、試合後のヒーローインタビューでも「ヨロコンデー」のパフォーマンスを行っている。
- 巨人ではこの「ヨロコンデー」の掛け声に引っ掛け、抽選で選ばれた100人のファンがラミレスと交流するイベント「ヨロコンデー」を毎月5日(5月から8月まで)に計4回実施した。これはラミレスが「できるだけ多くのファンとふれあいたい」と自ら発案したイベントで、サインや写真撮影などでファンとの交流を楽しんだ。
- 2011年
- 「We are one!」と手話を交えてメッセージを送る。
- 「がんばろう!日本」とガッツポーズを交え、人差し指を立ててアピール。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 2012年(この年から横浜DeNAベイスターズに所属)
- 画面を指差した後、自分を指差しながら「ハマのラミちゃん」と、
- 右腕を曲げ、左腕を伸ばし「絶好調!」と叫ぶ。
- シーズン当初はこれで終わっていたが途中から「ゲッツ」をしてフレームアウト(ダンディ坂野)のお馴染みのものが加わった。
- 2013年
- 「We are one!」と手話を交えてメッセージを送る。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
これらパフォーマンスの中でも特に「アイーン」と「ゲッツ」を気に入っており、2003年以降、パフォーマンスの締めには「アイーン」「ゲッツ」が使用されている。またアンダーシャツやグラブ、打撃グラブ、リストバンドなど用具類にも「アイーン」「Get's」「ラララライ」「らみ茶」などの刺繍を入れている。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | CLE | 3 | 8 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .125 | .125 | .125 | .250 |
テンプレート:By2 | 48 | 102 | 97 | 11 | 29 | 6 | 1 | 3 | 46 | 18 | 1 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | 26 | 1 | .299 | .327 | .474 | .801 | |
テンプレート:By2 | 41 | 117 | 112 | 13 | 32 | 5 | 1 | 5 | 54 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 17 | 3 | .286 | .316 | .482 | .798 | |
PIT | 43 | 123 | 115 | 13 | 24 | 6 | 1 | 4 | 44 | 18 | 1 | 0 | 1 | 0 | 7 | 2 | 0 | 32 | 6 | .209 | .254 | .383 | .637 | |
'00計 | 84 | 240 | 227 | 26 | 56 | 11 | 2 | 9 | 98 | 30 | 2 | 0 | 1 | 0 | 12 | 2 | 0 | 49 | 9 | .247 | .285 | .432 | .716 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
テンプレート:By2 | ヤクルト | 138 | 547 | 510 | 60 | 143 | 23 | 0 | 29 | 253 | 88 | 1 | 2 | 0 | 5 | 27 | 0 | 5 | 132 | 11 | .280 | .320 | .496 | .816 |
テンプレート:By2 | 139 | 569 | 539 | 65 | 159 | 25 | 0 | 24 | 256 | 92 | 0 | 4 | 0 | 4 | 22 | 6 | 4 | 146 | 10 | .295 | .325 | .475 | .800 | |
テンプレート:By2 | 140 | 614 | 567 | 105 | 189 | 34 | 3 | 40 | 349 | 124 | 4 | 6 | 0 | 7 | 34 | 6 | 6 | 104 | 14 | .333 | .373 | .616 | .988 | |
テンプレート:By2 | 129 | 557 | 525 | 79 | 160 | 30 | 2 | 31 | 287 | 110 | 2 | 0 | 0 | 2 | 23 | 1 | 7 | 118 | 22 | .305 | .341 | .547 | .888 | |
テンプレート:By2 | 146 | 629 | 596 | 70 | 168 | 19 | 1 | 32 | 285 | 104 | 5 | 1 | 0 | 3 | 23 | 5 | 7 | 121 | 13 | .282 | .315 | .478 | .793 | |
テンプレート:By2 | 146 | 636 | 603 | 79 | 161 | 28 | 2 | 26 | 271 | 112 | 0 | 0 | 0 | 10 | 19 | 1 | 4 | 104 | 28 | .267 | .289 | .449 | .739 | |
テンプレート:By2 | 144 | 628 | 594 | 80 | 204 | 41 | 3 | 29 | 338 | 122 | 0 | 0 | 0 | 5 | 23 | 3 | 6 | 106 | 14 | .343 | .371 | .569 | .940 | |
テンプレート:By2 | 巨人 | 144 | 600 | 548 | 84 | 175 | 28 | 0 | 45 | 338 | 125 | 1 | 0 | 0 | 3 | 39 | 9 | 10 | 90 | 20 | .319 | .373 | .617 | .990 |
テンプレート:By2 | 144 | 608 | 577 | 66 | 186 | 35 | 0 | 31 | 314 | 103 | 4 | 3 | 0 | 6 | 21 | 4 | 4 | 88 | 12 | .322 | .347 | .544 | .891 | |
テンプレート:By2 | 144 | 606 | 566 | 93 | 172 | 28 | 0 | 49 | 347 | 129 | 1 | 2 | 0 | 7 | 21 | 1 | 12 | 98 | 14 | .304 | .338 | .613 | .951 | |
テンプレート:By2 | 137 | 515 | 477 | 39 | 133 | 12 | 1 | 23 | 216 | 73 | 2 | 1 | 0 | 5 | 30 | 1 | 3 | 72 | 9 | .279 | .322 | .453 | .775 | |
テンプレート:By2 | DeNA | 137 | 504 | 476 | 40 | 143 | 25 | 0 | 19 | 225 | 76 | 0 | 0 | 0 | 3 | 18 | 1 | 7 | 60 | 18 | .300 | .333 | .473 | .806 |
テンプレート:By2 | 56 | 139 | 130 | 6 | 24 | 0 | 0 | 2 | 30 | 14 | 0 | 0 | 0 | 1 | 8 | 0 | 0 | 20 | 7 | .185 | .230 | .231 | .461 | |
MLB:3年 | 135 | 350 | 332 | 38 | 86 | 17 | 3 | 12 | 145 | 48 | 3 | 1 | 2 | 0 | 15 | 2 | 1 | 78 | 10 | .259 | .293 | .437 | .730 | |
NPB:13年 | 1744 | 7152 | 6708 | 866 | 2017 | 328 | 12 | 379 | 3509 | 1272 | 20 | 19 | 0 | 61 | 308 | 38 | 75 | 1259 | 192 | .301 | .336 | .523 | .859 |
- 2013年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
年 度 |
外野 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2001 | 137 | 176 | 9 | 6 | 0 | .969 |
2002 | 139 | 227 | 9 | 4 | 0 | .983 |
2003 | 140 | 220 | 10 | 6 | 2 | .975 |
2004 | 129 | 175 | 8 | 4 | 1 | .979 |
2005 | 146 | 218 | 6 | 3 | 1 | .987 |
2006 | 134 | 205 | 8 | 5 | 0 | .977 |
2007 | 132 | 184 | 4 | 2 | 0 | .989 |
2008 | 134 | 171 | 2 | 4 | 0 | .977 |
2009 | 133 | 147 | 2 | 6 | 0 | .961 |
2010 | 132 | 150 | 5 | 4 | 0 | .975 |
2011 | 120 | 119 | 3 | 3 | 0 | .976 |
2012 | 118 | 126 | 1 | 3 | 0 | .977 |
2013 | 22 | 29 | 2 | 2 | 1 | .939 |
通算 | 1616 | 2147 | 69 | 52 | 5 | .977 |
- 2013年度シーズン終了時
タイトル
表彰
- 最優秀選手:2回 (2008年、2009年)
- ベストナイン:4回 (2003年、2007年、2008年、2009年)
- 月間MVP:9回 (2003年4月、2004年9月、2007年7月 - 9月、2008年5月、2009年8月、2010年5月、2012年7月)
- セ・リーグ会長特別賞(2007年)
- オールスターゲームMVP:1回 (2007年 第1戦)
- セ・リーグクライマックスシリーズMVP:1回 (2008年)
- 日本シリーズ敢闘選手賞:1回 (2008年)
- 東京ドームMVP:1回 (2010年)
- 連盟特別賞:1回 (2010年)※8年連続100打点のプロ野球新記録
- 優秀JCB・MEP賞:1回 (2007年)
記録
- NPB節目の記録
- 100本塁打:2004年6月5日、対読売ジャイアンツ10回戦(明治神宮野球場)、9回裏に岡島秀樹から左中間へ2ラン ※史上234人目
- 150本塁打:2005年8月19日、対阪神タイガース15回戦(明治神宮野球場)、1回裏に下柳剛から左越2ラン ※史上137人目
- 1000本安打:2007年4月21日、対中日ドラゴンズ5回戦(明治神宮野球場)、3回裏に吉見一起から左前安打 ※史上244人目
- 200本塁打:2007年8月19日、対読売ジャイアンツ8回戦(東京ドーム)、4回表に金刃憲人から中越ソロ ※史上89人目
- 1000試合出場:2008年4月18日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、5番・左翼手で先発出場 ※史上425人目
- 250本塁打:2008年9月17日、対横浜ベイスターズ22回戦(横浜スタジアム)、3回表に三浦大輔から右越ソロ ※史上53人目
- 1500本安打:2009年8月26日、対中日ドラゴンズ17回戦(ナゴヤドーム)、5回表に川井雄太から中前安打 ※史上104人目
- 1000三振:2009年9月20日、対東京ヤクルトスワローズ22回戦(明治神宮野球場)、2回表に由規から ※史上47人目
- 日米通算300本塁打:2010年4月1日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、2回表にスティーブン・ランドルフから左越満塁本塁打
- 1000打点:2010年4月10日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)、8回裏に鈴木義広から左越満塁本塁打 ※史上37人目
- 300本塁打:2010年5月15日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム)、5回裏に成瀬善久から左越ソロ ※史上36人目
- 3000塁打:2010年9月19日、対阪神タイガース21回戦(阪神甲子園球場)、4回表に福原忍から中前安打 ※史上70人目
- 日米通算350本塁打:2011年4月15日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、1回表にディオーニ・ソリアーノから左越3ラン
- 1500試合出場:2011年8月14日、対広島東洋カープ15回戦(東京ドーム)、4番・左翼手で先発出場 ※史上170人目
- 350本塁打:2011年8月24日、対阪神タイガース17回戦(東京ドーム)、4回裏に能見篤史から中越ソロ ※史上26人目
- 日米通算2000本安打:2012年7月5日、対読売ジャイアンツ8回戦(横浜スタジアム)、5回裏にディッキー・ゴンザレスから右中間二塁打
- 2000本安打:2013年4月6日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、6回表に石川雅規から左越ソロ ※史上42人目(外国人選手では初)
- 3500塁打:2013年5月17日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(横浜スタジアム)、9回表に鶴岡一成の代打として出場、武田久から右前安打 ※史上27人目
- オールスターゲーム出場:8回(2002年、2003年、2007年 - 2012年)
背番号
- 61 (1998年 - 2000年)
- 3 (2001年 - 2007年、2012年 - )
- 5 (2008年 - 2011年)
関連情報
著書
- ラミ流 How to succeed and be positive(中央公論新社) 2009年9月 ISBN 9784120040566
関連項目
- ベネズエラ人の一覧
- ベネズエラ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- 横浜DeNAベイスターズの選手一覧
- 群馬ダイヤモンドペガサスの選手一覧
- 読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧
- アレックス・ラミレス・ジュニア(義理の息子)
- 中南米出身の日本プロ野球外国人選手一覧#ベネズエラ
脚注
外部リンク
テンプレート:Navboxes- ↑ 1.0 1.1 ラミちゃんカフェ - 東京レストランサーチ・2013年4月3日
- ↑ 『ラミ流』p.141
- ↑ 『ラミ流』p.159では「16歳のとき」とされている。ただし同ページには「1年後のテンプレート:Byにルーキーリーグでデビュー」との記述もあるため、本記事ではそちらを基準とした。
- ↑ 『ラミ流』pp.146 - 159
- ↑ 『ラミ流』p.84
- ↑ Replacement Players in the Major Leagues by Baseball Almanac
- ↑ 『ラミ流』pp.162 - 163
- ↑ 『ラミ流』p.12
- ↑ 『ラミ流』pp.18 - 19
- ↑ この年、ラミレスが放った204安打は当時のセ・リーグ最多記録で、両リーグ最多記録はイチローの210安打(テンプレート:By)だった。2010年にマット・マートン(阪神タイガース)が214安打を放ち、セ・リーグ記録とシーズン記録の両方を更新した。
- ↑ 『ラミ流』p.56
- ↑ 『ラミ流』p.53
- ↑ 『ラミ流』p.60 - 63
- ↑ 反撃弾!トドメ2点打!オガラミ砲で引導渡した-スポーツニッポン
- ↑ ラミレス、連続試合出場止まる-時事通信、2011年7月16日配信、同日閲覧
- ↑ ラミ 知らずに歴代外国人「No.1」の1793安打-スポニチアネックス、2011年8月6日配信、同日閲覧
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ DeNA、ラミレスに戦力外通告 打撃不振で出場機会減 共同通信2013年9月27日
- ↑ 2014年度選手契約について 横浜DeNAベイスターズ公式サイト・ニュース
- ↑ 22.0 22.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 前DeNAラミレスがBC群馬入りデイリースポーツ(2014年2月13日)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 34.0 34.1 テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ Baseball Lab守備評価~Left FielderSMR Baseball Lab
- ↑ ラミレス「目標2000安打。守備は聞かないで」 東スポ 2012年03月15日
- ↑ 【巨人】ラミレス一塁手挑戦へやる気満々 nikkansports.com 2010年1月24日
- ↑ ラミレス 一塁コンバートも 中畑監督 目指すは鉄壁の外野 nikkansports.com 2011年12月24日
- ↑ 『ラミ流』p.97
- ↑ 『ラミ流』p.110 - 114、p.120 - 121
- ↑ 『ラミ流』p.114 - 118
- ↑ 『ラミ流』p.101 - 105
- ↑ 『ラミ流』p.100、p.122 - 125
- ↑ 新記録達成バレンティンも生徒だった球界を席捲する「"2000本安打"ラミレス学校」 - デジタル大衆・2013年10月5日
- ↑ プロ野球ファン必見!『ラミちゃんカフェ』に行ってきた - Excite Bit コネタ・2013年3月16日
- ↑ 4/6 横浜DeNAベイスターズ 6-3 東京ヤクルトスワローズ:ベイスターズフェイスブック
- ↑ ラミ2000安打で関根通訳号泣:日刊スポーツ2013年4月7日
- ↑ DeNA・ラミレスの通訳、関根一途さん感涙:サンスポ2013年4月7日
- ↑ 『ラミ流』p.32 - 34
- ↑ 『カープの美学』p.190
- ↑ 『ラミ流』p.37 - 38
- ↑ ラミ手話で復興メッセージ「WE ARE ONE 頑張ろう ニッポン」 スポーツ報知2011年3月28日付