北都銀行
テンプレート:Mboxテンプレート:Infobox テンプレート:基礎情報 銀行 株式会社北都銀行(ほくとぎんこう、英称:The Hokuto Bank, Ltd.)は、秋田県秋田市に本店を置く地方銀行。
概要
1895年(明治28年)に、現在の横手市で増田銀行として設立され、1922年(大正11年)に改称した地方銀行の羽後銀行が、1993年(平成5年)に第二地方銀行であった秋田あけぼの銀行を合併して発足した銀行である。横手市・にかほ市などの指定金融機関。
山形県に基盤を持つ地方銀行・荘内銀行と経営統合し、現在は荘内銀とともに、仙台市青葉区に本社を置く金融持株会社・株式会社フィデアホールディングス(フィデアHD)の子会社となっている。
経営
荘内銀行との経営統合
2009年(平成21年)10月1日、荘内銀行とともに株式移転によって同日設立されるフィデアHDの傘下に入った[1]。
公的資金注入
2010年(平成22年)3月、フィデアHDに整理回収機構から優先株方式の資本注入が行われ、それを元資に、北都銀行が新たに発行する優先株[注釈 1]をすべてフィデアHDが引き受ける形で間接的に公的資金が導入された[2]。
他銀行との関係
フィデアHD傘下入り前は、筆頭株主にみずほコーポレート銀行(従来は第一勧業銀行)が名を連ねていたほか、秋田銀行同様、三菱東京UFJ銀行も主要株主の1社であった。
CI・キャラクター
CI導入は、1993年(平成5年)4月1日の合併時、シンボルマークは行内外から募集した50数点の候補の中から凸版印刷の作品に決定した。 シンボルマークやロゴのデザインを始めとした VIシステムおよび通帳や名刺などのアプリケーションの開発デザイナーは末広峰治デザイン室(現・パワーデザイン)の末広峰治。
シンボルマークの中心の大きな正円は自然の宝庫である秋田の豊かな大地、また大地に根付いた地域の金融機関でありたいという願いを。 周りの6つの楕円は東北6県と移り変わる東北の四季を、また価値の増大と、今後変わりゆく時代環境に順応していく同行の姿を表す。
北都銀に移行後は、秋田犬をモチーフにしたオリジナルキャラクターの「ほっくん」が採用されている[注釈 2]。
沿革
- 1895年(明治28年)5月 - 株式会社増田銀行として平鹿郡増田村(現在の横手市)に設立。
- 1922年(大正11年)
- 3月 - 株式会社羽後銀行に商号変更。
- 5月26日 - 秋田支店を開設[3]。
- 1928年(昭和3年)
- 1932年(昭和7年)4月 - 植田銀行を事業譲受。
- 1936年(昭和11年)10月30日 - 安田銀行横手支店を事業譲受[4]。
- 1937年(昭和12年)3月27日 - 川尻支店を廃止し、岩手殖産銀行(現在の岩手銀行)に事業譲渡[3]。
- 1949年(昭和24年) - 本店を平鹿郡横手町(現在の横手市)に移転。秋田無尽、秋田市に設立(旧・秋田あけぼの銀行)
- 1951年(昭和26年) - 秋田無尽、秋田相互銀行に改称(旧・秋田あけぼの銀行)。
- 1962年(昭和37年)12月10日 - 中央支店を開設[3][5]。本店機能の一部を移転。
- 1964年(昭和39年)5月1日 - 本店を秋田市に移転[3][6]。中央支店を廃止。
- 1965年(昭和40年) - 東京事務所を開設。
- 1977年(昭和52年) - 本店新館竣工。
- 1978年(昭和53年) - オンラインシステム稼働。
- 1980年(昭和55年) - 財団法人久米田羽後奨学会設立。くらしと経営の相談所開設。
- 1983年(昭和58年) - 羽後信用保証株式会社(現・北都カードサービス)設立。
- 1985年(昭和60年) - 外国為替取扱業務開始。
- 1987年(昭和62年) - 公共債フルディーリング業務開始。
- 1989年(平成元年) - 普通銀行化にともない、秋田相互銀行が秋田あけぼの銀行に改称。
- 1990年(平成2年) - 東北地方の地銀では初となるサンデーバンキング開始。「うぎんユーシーカード」(後の北都クレジット、現在の北都カードサービス)を設立。
- 1991年(平成3年) - 「うぎんディーシーカード」(後の北都カードサービス)を設立。
- 1993年(平成5年)4月 - 秋田あけぼの銀行と合併、株式会社北都銀行に商号変更。
- 1994年(平成6年) - 長期ビジョン「北都21世紀ビジョン」策定。
- 1995年(平成7年) - 創業100周年を迎える。
- 1996年(平成8年) - コルレス包括承認銀行認可取得。旧山王グラウンド跡地に事務センター竣工。
- 1997年(平成9年) - 新オンラインシステム稼働。
- 1998年(平成10年) - 「北都銀行倫理憲章」制定。外為業務全店取扱開始。投資信託窓口販売業務開始。
- 1999年(平成11年) - 「すまいるローンプラザ」休日営業開始。
- 2000年(平成12年) - 第三者割当増資を実施(資本金126.69億円)。
- 2001年(平成13年) - インターネット・モバイルバンキング開始。山本支店を開設。
- 2002年(平成14年) - テレホンバンキング開始。生命保険窓口販売業務開始。
- 2003年(平成15年) - システム運用部門のアウトソーシング開始。
- 2004年(平成16年) - 「決済用預金」取扱開始。
- 2005年(平成17年) - 創業110周年を迎える。長期ビジョン「Our Future」策定。証券仲介業務開始。秋田西支店を開設。
- 2006年(平成18年) - 勘定系システムをPROBANKに移行。本荘御門支店を廃止。
- 2007年(平成19年) - 秋田北支店を開設。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 1月19日 - 荘内銀行とATM相互無料開放開始。
- 3月 - 盛岡支店を廃止して大曲支店へ統合。
- 8月10日 - 秋田市南部の支店を一部再編し、秋田南支店を中核とする体制に変更。
- 8月11日 - ライフプラザホールディング(現:ほけんの窓口グループ)と保険商品窓口販売に関する業務提携を締結。
- 10月1日 - 株式会社フィデアホールディングス設立にともない、同社の子会社となる。
- 10月10日 - イオン大曲ショッピングセンター内に、大曲プラザ支店を開設。
- 10月16日 - ほっくんプラザ・秋田駅前支店仲小路出張所ATMコーナーに「北都 ほけんの相談窓口」を開設。
- 2010年(平成22年)
- 2月15日 - 荘内銀行・イオン銀行とのATM相互入金提携(終日無料)を開始。
- 3月23日 - 東京支店を近隣ビル(ヒューリック日本橋室町ビル2F)に移設。
- 3月31日 - 公的資金100億円の注入を受け入れる。
- 9月18日 - イオンスーパーセンター大館店内に大館プラザ支店を開設。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)
- 3月17日 - 本荘石脇支店をイオンスーパーセンター本荘店内に移転し、インストアブランチと称する店舗に転換。
- 5月13日 - 山王支店を新店舗へ移転し、平日延長営業を開始。
- 10月1日 - 本店営業部設置50周年(2014年)事業に伴う本店本館の改修工事終了にともない、本店営業部の新店舗営業を開始[9]。
- 2014年(平成26年)
- 1月14日 - 新国道支店をラ・カージュより泉北一丁目の新店舗へ移転。平日延長営業も併せて開始。
- 1月24日 - 北都銀を所属銀行とする初の銀行代理店店舗として、秋田住宅流通センター秋田中央店内に、「北都銀行本店営業部秋田住宅流通センター秋田中央代理店」を開設。
- 5月7日 - 勘定系システムをBeSTAcloudへリプレース[10][11]。
- 7月1日 - 北都銀ビジネスサービス株式会社を吸収合併。
- 7月22日 - 横堀支店を新築移転。
- 11月17日 - 大館プラザ支店をイオンスーパーセンター大館店内から、同市御成町に新築される店舗に移転。併せて、新店舗の近隣に所在する大館駅前支店をブランチインブランチ化する。
- 2015年(平成27年)
- 時期未定 - 角館支店を市街地の再開発ビル内へ移転を予定。
経営環境の変化に於ける背景
北都銀行誕生に至る背景
1992年(平成4年)当時における秋田県内の銀行の勢力図は、資金量1兆5,000億円を誇るトップ地銀の秋田銀行を筆頭に、6,000億円の羽後銀行、3,000億円の秋田あけぼの銀行が続く“一強二弱”の体制となっていた。
羽後銀は、1995年(平成7年)に迎える創業100周年にむけ、資金量9,000億円の達成のため業容の拡大に取り組んでいたが、自己資本比率規制によりむやみに資産は増やせない状況下にあり、徹底した合理化を図るにせよ資金量は1兆円は欲しいと考えていた。一方、あけぼの銀は1991年(平成3年)には、合理化推進のため実業団野球チームを解散したほか、これからのコンピュータ投資には最低1兆円の資金量が必要であると認識しはじめていた[12]。この資金量1兆円への渇望が、両行が合併に向う大きな誘引となった。また、今後一層の、金融の自由化や国際化が進展し多様化する顧客ニーズに対しても、収益状況に余裕のある段階での合併が最良であると判断もした。
1993年(平成5年)4月1日に誕生した北都銀行は、合併時の店舗合算が131店となり秋田銀の107店を上回る体制となったため、これを有効に活用しリテールバンク「大衆金融」に徹し、地元中小企業や、個人事業主に対する資金提供や経営相談に特化する戦略が打ち出された[12]。合併当初は、県内を代表する二大銀行のひとつとして行内外より歓迎を受け、創業100周年にあたる1995年(平成7年)には業績も順調に伸びていた。この時点では、2005年(平成17年)の創業110周年を目処に、秋田県の企業としては2社目となる東京証券取引所一部上場を計画していた。
混迷、そしてフィデアホールディングス傘下へ
しかし、その後の長期不況やデフレーションの進行により秋田県経済も深刻度を増した上、1995年に始まった金融制度改革の荒波にもまれ経営は苦戦を強いられた。北都銀もその渦中には、2003年(平成15年)までには53か店の統廃合や人員削減中心の合理化策を講じるも、2期連続の赤字計上となり効果がうまく生かされなかったほか、行員の不祥事により金融庁から業務改善命令を受け、ついには齋藤隆夫頭取(当時)が引責辞任に追い込まれるほど、経営は混迷を極めた[13]。
そして、収益力の脆弱さを補うべく講じられていた積極的な有価証券運用あるいはデリバティブ取引が、サブプライムローン問題やリーマンブラザース破綻による市場の混乱により、あだとなってしまい、2008年(平成20年)3月末には120億円を超える含み損を抱える事態となり、自己資本比率も5.58%に低下するなど非常事態を迎えるに至った。そこで、顧客に安心感を与えるため早急な自己資本増強策に迫られた加賀谷武夫頭取(当時)が、親密先であるみずほフィナンシャルグループに相談したところ、荘内銀行への橋渡しをされたことが、資本提携、ひいてはフィデアHD傘下入りする端緒となった[14][15]。
営業政策
県内店舗
秋田市
2005年(平成17年)以降順次、市内店舗のリロケーションと営業体制の見直しがはかられた。その端緒として、同年には八橋支店(旧羽後銀八橋支店)を西支店(旧あけぼの銀西支店)と統合の上、現在地に新築移転し秋田西支店と改称した。
2007年(平成19年)には、港北支店(旧羽後銀港北支店)を飯島支店(旧あけぼの銀飯島支店)と統合、新築移転し秋田北支店と改称。また、翌年には秋田支店を本店営業部に統合(後述の北都銀行秋田支店を参照)[注釈 3]。さらに、2009年(平成21年)には秋田南支店を現在地に移転させ、旧あけぼの店としては、同市初の中核店に格上げした。これにより、同市中心部の中核店を本店営業部(副次的に秋田駅前支店および保険相談プラザ)、郊外部の中核店を土崎支店、秋田・東西南北各支店とする体制が確立された。
2010年(平成22年)10月24日には、同市では羽後銀行時代に設置された店舗としては最後の店舗である泉支店を、隣接する駐車場敷地内に新店舗を建設したうえで新店舗開業と同時に個人専門店に転換し、平日の延長営業と土日営業を開始した[16]。次いで、同年11月22日には、牛島支店(旧・羽後店)を、マルダイ牛島店敷地向かいに移転し、土日の窓口は従来どおり開かれないものの、平日の時間延長の部分のみながら営業内容自体は泉支店同様の営業スタイルの店舗に転換した。
2013年には、翌年に控えた本店の秋田市設置50周年事業の一環として、本店本館の改修工事を行い、同年10月1日より、本店営業部のリニューアルを行った[9]。
2014年1月14日には、新国道支店を新店舗へ移転し、AOKIと同一敷地内の拠点で、平日延長営業を開始している。
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秋田東支店
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秋田西支店
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秋田北支店
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秋田南支店
横手市
横手市には、前身である羽後銀行が1964年(昭和39年)まで本店を置いていた。また、横手市役所出張所は、北都銀における唯一の有人出張所となっている[注釈 4]。
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横手支店
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羽後銀行発祥の地にある増田支店
エリア営業制
- 現在は、秋田市の土崎港地区でエリア営業制を敷いている。このほか、秋田市・大館市・大仙市・湯沢市・三種町の各市町で各1エリア展開している。
- 土崎地区
- 土崎支店(エリアリーダー)
- 土崎南支店(エリアメンバ)
- 高清水支店(エリアメンバ)
- 土崎支店(エリアリーダー)
- 土崎地区
主要拠点事例
北都銀行本店営業部
1964年5月1日、旧・羽後銀行の横手市に代わる本拠地として、秋田市役所の初代庁舎[注釈 5][17]跡地である現在地に開設。既に、後述する(旧)秋田支店や秋田駅前支店が秋田市進出していたため、同市1号店ではなかった。
2013年10月1日には、秋田市への本店設置50周年(2014年5月1日)に先立ち、本店本館の外装をはじめとして、営業部窓口の改修工事を行い、ローカウンターの仕切りを全面的に改修するなど、よりプライバシーに配慮したものとなった。なお、本部棟である本店新館は1977年(昭和52年)竣工。秋田市への本店開設当初から営業窓口として使用している本店本館とともに、今日まで使用されている。
北都銀行秋田支店
本店所在地である秋田市における1号店は、秋田支店であった。これは、当時の増田町に本店を置いていたことから、県都秋田市の基幹拠点として設置したものである。
1922年(大正11年)の設置であるため、戦後の発足である秋田無尽を前身とする旧秋田あけぼの銀行本店だった、旧秋田中央支店よりも歴史が古い。なお、北都銀発足後に、旧あけぼの店である旭南支店を統合している。
しかし、法人顧客の重複などを理由に、2008年(平成20年)11月17日に本店営業部に統合され、店舗外ATM「本店営業部大町出張所」として存続させることになったが、翌年には大町出張所は閉鎖され、2010年(平成22年)2月9日に「だんまや水産秋田大町店」としてオープンした。これにともない、秋田市で最古の拠点は後述の秋田駅前支店となり、戦前に開設された拠点はなくなった。
本店所在地の都市名の支店が設置されるのは全国的にも珍しいが、北都銀の場合は、上記のいきさつによるものである。なお、秋田支店前の通称「赤れんが館通り」には、秋田銀行秋田支店、荘内銀行秋田支店、みちのく銀行秋田支店、秋田信用金庫本店などが並び金融街の様相を呈していた[注釈 6]。
北都銀行秋田駅前支店
2008年(平成20年)11月に本店営業部に統合された秋田支店に次ぎ、市内店舗としては2番目に古い店歴(あけぼの店を含めれば3番目)を誇り、現存店舗としては、旧あけぼの店を含め、秋田市では最古の拠点となる。これは、1956年(昭和31年)に当時の羽後銀秋田支店を母店とする有人出張所(秋田支店秋田駅前出張所)として開設されたのが始まりで、正式には1959年(昭和34年)の改組、支店昇格が当支店発足の原点としている(支店昇格からカウントしても、現本店発足より5年も前に設置されている)。
1969年(昭和44年)には、2代目店舗に移転し、北都銀発足後も変わらず同地に所在したが、1996年(平成8年)10月、旧あけぼの銀秋田駅前支店を前身とする中通り支店を統合し、同時に旧中通り支店跡地に移転、現在に至る[注釈 8]。
北都ビルディング(旧:北都銀行別館)
秋田あけぼの銀行の本店ビルは、合併後北都銀行別館と称されることとなった。これにより、あけぼの銀本店営業部は、秋田中央支店に改称後、本店営業部に統合された。合併当初は、ビルの上層階には旧羽後銀行の関連会社などが入居していた。
2011年(平成23年)6月1日、「北都ビルディング」に改称。1Fの「ほくと相談プラザ」スペースの一部には、日本政策金融公庫秋田支店の3部門を同年6月から7月にかけて順次移設した。これに伴い、同庫との連携事業なども行っていく方針としている[18]。
北都銀行分館
北都銀行本店新館に隣接する、旧住友生命秋田分館を買収し、北都銀行分館として利用している。
現在は、関連会社のフィデアカード(本社および秋田営業部)や北都銀本体から一部のサービサー業務を分割して設立された北都ソリューションズが入居している[19]。
インストアブランチ
御所野支店がイオンモール秋田内、能代支店がイオン能代店内と、GMSの中に、地域の中核となるフルバンキング支店を設置しているのが特徴である。東北はもとより、全国的にも異例である。しかし、2009年(平成21年)5月5日より、御所野支店が個人に特化したフルバンキング店舗に転換した。これにより、同行としては初のインストアブランチと称する店舗が開設された。
2013年3月現在、インストアブランチと称する店舗は、秋田県内に5店所在する[注釈 9]。支店開業当初からイオンモール秋田(開店当時は、イオン秋田ショッピングセンター)内に所在した御所野支店を除けば、既存店の移設によるISB(と称する店舗)化拠点が2店舗、口座店の新設を取ったところが2店舗となっている。
ほけんの窓口@北都銀行
2009年8月11日、ライフプラザホールディング(現:ほけんの窓口グループ)と保険商品窓口販売に関する業務提携を締結。御所野支店、大曲プラザ支店などの保険販売拠点で同社のスタッフ派遣を受け入れていたが[20]、提携をさらに強化し、共通ブランドを設けることが集客や販売強化につながると判断。「ほけんの窓口@北都銀行」を新たに創設。秋田県下で展開を開始した[21]。
単独店舗として、秋田駅前支店旧所在地にある「ほっくんプラザ」に設置された、「北都ほけんプラザ 秋田駅前」(保険相談プラザ)があるが、それ以外の拠点は、インストアブランチと称する店舗を含め、主に個人営業を主体とした支店に併設されている。
海外駐在員事務所
2014年7月31日、北都銀としては初の海外の拠点としてタイのバンコクに駐在員事務所を開設した[22][23]。同行から派遣する行員と、2010年8月から2年間、国際教養大学専門職大学院(秋田市雄和)に留学し、北都銀でインターンシップに臨んだいたバンコク出身の女性を新規採用し[24]、県内企業の現地での販路拡大や進出を支援するほか、タイの旅行代理店に秋田県をPRして誘客に取り組むとしている[22]。
県外店舗
- 酒田支店
秋田県南部沿岸地域と山形県酒田市および周辺部は、古くから人的、経済的交流が活発であったため[3]、旧行とも酒田市に支店を開設していた。現:酒田支店の所在する酒田共栄火災ビルには、合併後に移転したものである(口座勘定としての酒田支店自体は、旧羽後銀の支店)。また同店は、今日では山形県に進出した県外行において唯一の県庁所在地以外に開設された支店となっている。
- 仙台支店
現:仙台支店の位置(青葉区一番町一丁目に所在するニッセイ仙台ビル)には、かつてあけぼの銀仙台支店(北都銀の旧仙台一番町支店)が所在したが、合併当初に青葉区本町に所在した仙台支店(旧羽後店)が、1997年(平成9年)1月に当地に移転する形で店舗統合・仙台一番町支店が廃止され、現体様となった。その後宮城野区榴岡のティ・エヌビルにあった仙台東支店(旧羽後店)を統合し、現在に至る。
- 東京支店
発足当初は、中央区日本橋室町の新日本橋駅の出口のすぐ前に位置するビルに所在していたが、フィデアHD傘下入りにともない、東京支店および国際金融部等と荘銀東京支店は、日本橋室町のヒューリック日本橋室町ビル2階に集約され空中店舗化された[25]。
かつて開設されていた県外店舗
太字は旧羽後店、細字は旧あけぼの店。
- 青森県 青森支店、青森南支店、弘前支店…青森南支店は青森支店に統合。その後、青森支店・弘前支店ともに大館支店が継承。
- 岩手県 盛岡支店、盛岡本町支店…盛岡本町支店は盛岡支店に統合され、同時に盛岡本町支店跡地に統合店を設置。その後、盛岡支店は大曲支店が継承。
- 宮城県 仙台東支店、仙台一番町支店…前述の内容を参照
- 山形県 山形支店、山形駅前支店、酒田中町支店…山形駅前支店は山形支店に、酒田中町支店は酒田支店にそれぞれ統合(統合後の酒田支店は、旧両支店と別立地)。その後、山形支店の業務は仙台支店が継承。
- 新潟県 新潟支店…廃止され、東京支店が継承。
- 埼玉県 大宮支店…同上。
- 東京都 上野支店…東京支店に統合。
地方公共団体取引
- 公営企業収納代理店
- 秋田県企業局(本店営業部)
なお、収納代理金融機関などに指定されていない支店(地方公営企業については、収納取扱金融機関に指定されていない場合)などで納付する場合は、取次手数料が発生する。
自動機サービス
- ICキャッシュカード
- 2007年(平成19年)12月10日から生体認証対応ICキャッシュカードの発行が開始された。普通預金・貯蓄預金・カードローンの各カードが対象で、指認証を採用し、同時に各支店にIC・生体認証対応ATMが設置された。
- キャラクターのほっくんデザインのカードは、個人向け普通預金のカードのみ発行(総合口座の普通預金は、原則ほっくんデザインだが、IC導入前のカードがほっくんデザインでない一般デザインから差し替えられる場合は、希望しない限り一般デザインとなる場合があり、店舗統合に伴う差し替えの場合は、旧カードがICではない一般デザインの場合は一般デザインに差し替えられる)となり、貯蓄預金(デザインは、ほっくんデザインを希望しない場合の普通預金カードと共通だが、「貯蓄預金用」という文字が入っている)、カードローン用や法人向けカード(普通預金・カードローン用の各々)はそれぞれ別のデザインとなる。
- クレジットカード一体型のものについては、2011年(平成23年)4月1日より「北都ブライトワン」が発行開始されている。クレジット部分は、北都銀行がVJAに加盟して本体発行している[27]。
- コンビニATM
- 2012年5月28日より、セブン銀行との接続を開始。入金は取扱時間の範囲内は無料となるが、出金については、時間内も手数料が課される(時間外手数料も別途加算)。なお、北都銀キャッシュカードでの振込み取り扱いは行わない[28]。
- イオン銀行ATM無料提携
- 2008年(平成20年)11月17日より、個人カードのみだがイオン銀行ATMとの相互無料接続を開始した。その後、入金[29]と振込にも対応することになった。入金は利用可能な時間帯は無料で対応している。
- ATM相互無料開放(地銀間)
- 北都銀・荘内銀・みちのく銀の3行間でATM相互無料開放を実施しており、いずれかの個人・法人カードで3行のATMを利用した場合、各行所定の平日時間内のカード出金における手数料が徴収されない。ただし、北都・荘内・みちのく以外が幹事行となる共同ATMならびに、荘銀・みち銀が参加しているローソンATM・セブン銀行では対象外となる。
情報処理システム
前身である羽後銀は富士通、あけぼの銀はIBMともに構築した勘定系システムを運用していたが、合併の翌年明け当初に実施されたシステム統合の際には、副会長であった本山剛の主導の下、羽後銀の富士通のシステムに一本化された[30]。2006年(平成18年)の5月連休明けからはPROBANKに移行した(当初は、2003年(平成15年)10月からの移行としていた)[31][32][注釈 11]。
チャネル系システム
- 個人向けインターネットバンキング
- 個人・個人事業主向けには、「《HOKUTO》マイバンク・ネット」を提供しており、導入当初は富士通のシステムをベースにしていたが、後に、NTTデータのANSERベースのシステムに変更された。サービス開始当初利用時においては、手数料が徴収(残高照会機能のみの契約に限り無料)されていたが、システム変更を機に、現在は無料化されている。
- 法人向けインターネットバンキング
- 2008年(平成20年)4月21日より、法人向けAnser WEBのカーネルを利用したサービス「ほくと法人IBサービス」を開始した。
通帳関連
発行冊子
通常、個人の顧客には総合口座通帳(貯蓄預金が組み込むことができる)が発行されるが、同一の支店に2つ目の普通預金口座を開設する場合、2つ目以降は、普通預金通帳の冊子で発行される。店舗統合で、統合先に既存の口座がある場合は、廃止後の強制切替で廃止店側の口座の冊子は総合口座通帳の冊子にはされず、普通預金の冊子となる。当然、貯蓄預金をセットしている場合は、強制分冊となる。
なお、2014年5月7日に行われた勘定系システムリプレースに伴い、総合口座通帳への貯蓄預金口座の組み込みが不可となるため、2013年10月より、新規に貯蓄預金の総合口座通帳への合冊とする取り扱いを停止し、既存の顧客についても貯蓄預金の解約か、システムリプレース実施前に貯蓄預金の分冊化をするようアナウンスを開始した。手続きには、通帳のほか、分冊化であってもキャッシュカードの交換も行われるため、キャッシュカードと印鑑も手続きに必要となる[33][注釈 12]。
利息付与時期
勘定系リプレース後は、普通預金は、2月・8月の第2金曜日を決算日とし、翌土曜日付で付与される。貯蓄預金は毎月第2金曜日の翌土曜日付で付与されることになった。
脚注
注釈
- ↑ 既存の優先株は、フィデアHD設立前に、資本提携の一環として荘内銀行がいったん引き受た上で、設立後にフィデアHDへ引受先が移転している。
- ↑ 羽後銀時代におけるキャラクターとしては、創業地である平鹿郡増田町(現・横手市)出身であり、同行の元行員であった矢口高雄原作の釣りキチ三平や犬の「ころちゃん」が採用され、長く親しまれた。
- ↑ 同年には、大曲北支店を大曲支店に統合もしている。
- ↑ ただし、同出張所所在地は、現在の横手市役所北庁舎・南庁舎のいずれでもなく、新設合併以前の旧市時代の市役所本庁舎である、現在の市横手庁舎内に所在する。
- ↑ 2014年時点で建設中の秋田市役所・新庁舎が4代目庁舎となる予定。
- ↑ これ以外には、富士銀行秋田支店や三和銀行秋田支店、日本勧業銀行秋田支店(現在のみずほ銀行秋田支店)、大和證券秋田支店(現在の大和証券秋田支店)、野村證券秋田支店、日興證券秋田支店(現在のSMBC日興証券秋田支店)、玉塚證券秋田支店(現在のみずほ証券秋田支店)、秋田郵便局が所在した。
- ↑ 建物自体は、秋田あけぼの銀行秋田駅前支店を前身としているため、北都銀発足当初は、中通り支店として使用。
- ↑ 2代目店舗跡地は、取り壊しの後、有料駐車場と「ほっくんプラザ」にリニューアルされ、同所にはしばらく店舗外ATM(秋田駅前支店仲小路出張所)のみが設置されていたが、2009年(平成21年)10月16日より、保険相談プラザ「北都 ほけんの相談窓口」(後の、「北都ほけんプラザ秋田駅前」)が併設された。これに伴い、「仲小路出張所」の名称が「保険相談プラザ出張所」に改称されている。
- ↑ 能代支店は「インストアブランチ」と称していないため、含まれない。
- ↑ 秋田銀行が秋田信用金庫に代わって指定金融機関に昇格した為、同庫、あきた湖東農業協同組合とともに、収納代理金融機関に降格。
- ↑ 北都銀行発足時点の旧羽後銀行利用者、旧あけぼの店のシステム統合時のあけぼの店利用者、その後の店舗統合時の廃止店利用者には、それぞれその時点で差し替えのキャッシュカードが発行されていたが、差替えカードを利用しない限り、既に使用停止していた旧あけぼの名(及び、システム統合前の旧あけぼの店が発行する北都銀行名カード)のカードを除いて、旧カードが利用可能であったが、2014年5月7日実施のシステム(BeSTAcloud)リプレースに伴い、旧羽後銀行名カードと廃止店のカードについては強制的に利用不可とする処置を取った。
- ↑ 交換に応じなかった顧客には、2014年5月7日以降、新システム移行後の様式の総合口座通帳と同じく貯蓄預金口座通帳の2冊に分けて発行され、貯蓄預金口座の解約を強要されることはない。従前は、普通預金口座通帳・貯蓄預金口座通帳の表紙見開きページに、口座番号が印字されることはなかった(総合口座通帳の普通預金・貯蓄預金の口座番号については欄があった)が、新システムリプレース後の様式には欄があり、口座番号が表紙だけでなく、見開きページにも印字されるようになった。
出典
参考文献
- 羽後銀行編 『羽後銀行80年史』 羽後銀行、1975年。
- 『ニッキン縮刷版』 日本金融通信社、2001年、38版。
参考資料
- 『秋田魁新報』 1936年11月1日朝刊。
- 『秋田魁新報』 1962年12月11日朝刊。
- 『秋田魁新報』 1964年5月1日朝刊。
- 『週刊金融財政事情』 1992年11月19日号。
関連項目
- 日本の老舗一覧
- サタナビっ! - 秋田朝日放送で毎週土曜朝に放送されている情報番組の提供。
- 佐藤純一 - 現パシフィック・リーグ審判員で元近鉄バファローズ外野手。秋田相互銀行の出身。
- 秋田大学横手分校
外部リンク
テンプレート:地方銀行- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 『羽後銀行80年史』株式会社羽後銀行 1975年12月1日発行
- ↑ 「安田銀行横手支店 羽後銀行へ譲渡 昨日一切の手続完了」『秋田魁新報』1936年11月1日付朝刊
- ↑ 「きのう店開き 羽銀秋田中央支店」『秋田魁新報』1962年12月11日付朝刊
- ↑ 「本店業務きょうから 羽銀の秋田中央支店」『秋田魁新報』1964年5月1日付朝刊
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- ↑ 9.0 9.1 テンプレート:Cite web
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- ↑ 12.0 12.1 「羽後銀行・秋田あけぼの銀行 合併」『週刊金融財政事情』 1992年11月19日
- ↑ 「編集長インタビュー 加賀谷武夫・北都銀行頭取 合併スタートから10年、「信用と信頼」を再構築する」『近代セールス』 2003年9月1号
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- ↑ 庁舎の変遷2014年6月17日閲覧
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- ↑ テンプレート:Cite press
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- ↑ 22.0 22.1 「北都銀、タイに事務所…県PR拠点に」『読売新聞 秋田』 2014年6月26日
- ↑ 「北都銀、バンコクに駐在員事務所 進出取引先を支援」『日本経済新聞 電子版』 2014年4月3日
- ↑ テンプレート:Cite news
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- ↑ 26.0 26.1 26.2 「都市別店舗状況 - 秋田県」『日本金融名鑑 2012年版 下巻』日本金融通信社 2011年
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- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ イオン銀行・荘内銀行とのATM提携における「入金業務」の取扱い開始について
- ↑ 『ニッキン縮刷版 38版』
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