KEIRINグランプリ

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テンプレート:自転車レース KEIRINグランプリ(けいりんグランプリ)とは毎年12月30日に開催される競輪GP競走(レース)である(但し1989年は労使交渉の決裂から開催中止、1990年はテレビ中継の関係で12月29日に開催)。

正賞は、経済産業大臣賞日本放送協会杯、主催者市長賞、主催者議会議長賞、全国競輪施行者協議会会長賞、JKA会長賞、自転車競技会全国協議会会長賞、日本競輪選手会理事長賞、全国競輪場施設協会会長賞、日本自転車競技会会長賞

概要

このレースは通常のトーナメント方式ではなく、一定の条件により選ばれた9人のS級選手による1レースのみの一発勝負であり、優勝賞金は競艇賞金王決定戦の優勝賞金と並び1億円[1]である。ただし、予選(トライアルレース)を行う競艇の賞金王決定戦とは異なり、真の一発勝負のレースである点が一番のポイントであり、史上最高・史上最大・史上最強にして切羽詰った「1億円頂上決戦」が見られるのが、最大の魅力である。

2001年に競輪のグレード制が導入されてからは、GIよりも格の高いグレードとして『GP』が用意されるなど、競輪における最上位のレースと位置付けられており、その年の競輪界の「真の実力日本一決定戦」とも認識されることもある[2]

2007年までは、各種公営競技を代表する年末のビッグレース(中山大障害有馬記念東京大賞典賞金女王決定戦競走賞金王決定戦競走スーパースター王座決定戦・KEIRINグランプリ)の中でも最後に行われてきたことから、その年の「ギャンブル総決算」、あるいは「公営競技界最後の大一番」の意味合いを持つレースとして位置付けられてきた[3]。 2008年以降は、オートレースの「スーパースター王座決定戦」が大晦日に行われるようになったため、こうした「総決算」や「大一番」の座をそちらに譲ることになった。ただ競輪界においては、GPがその年の開催場の、シリーズ最終日の最終レースに行なわれるため、「グランプリファイナル」とも言われている。

レース

2825m(400mバンク7周)で行われる。殆どのレースでは1625mないし2025m(競輪場により周長が異なるため微差あり)で行われるため、競輪における全レース中で最も周回が多いレースとなっている。

賞金

1着賞金は第1回1985年)が1000万円であったが、以後少しずつ増額され第13回1997年)から7000万円となり、第20回2004年)からは賞金王決定戦競走に合わせて1億円に増額されて現在に至っている。なお、この優勝賞金の1億円(米ドルに直すと現在のレートで100万ドル程度)は競艇の賞金王決定戦と共に1レースの優勝額としては世界最高額としてギネスブックに認定されている。

近年の各着順における賞金額は、以下の通り(1着賞金には副賞500万円を含む)。

1着 2着 3着 4着 5着 6着 7着 8着 9着
1億円 2000万円 1200万円 800万円 660万円 570万円 540万円 520万円 500万円

開催場

開催場は固定ではなく、各競輪場による持ち回りである。ただ、GP自体がビッグレースであり、開催当日は1万人以上もの大量の観客が訪れるため、実質は立川競輪場をメインとした、南関東(競輪での地区区分では関東及び南関東地区)の競輪場のみの開催に限られている。こうした事情から、現在までに開催実績があるのは立川競輪場平塚競輪場京王閣競輪場の3場のみである。

競輪では「1競輪場では1年間で1グレード(GIII以上)レースのみ」が前提のため、従来は立川競輪場での開催を基本としながら、立川で日本選手権競輪など他のGIレースが開催される年のみ、平塚競輪場にて開催された。ただ2003年以降は、京王閣 → 立川 → 平塚の順で3年周期にて開催されており、現状ではGIII(記念競輪)の開催も可能となっている。

関東以外での開催も過去に検討されたこともあり、1988年には甲子園競輪場兵庫県西宮市)での開催が一度は決まったものの、警備面など諸問題がクリアできず結局立ち消えとなった。

2014年は、上記3場以外及び西日本で初となる岸和田競輪場大阪府岸和田市)での開催が発表された[4]

出場資格

後述するように、その年のグランプリ開催日においてS級に所属し、かつその年のGIで優勝した選手および獲得賞金額の上位選手である。ただ例外的に、当年における世界選手権自転車競技大会夏季オリンピックでの自転車トラックレース競技個人種目成績優秀者(メダリスト)にも出場資格が与えられることがある。ただし、不祥事や怪我・病気に伴う斡旋・出場停止、出場辞退が起こると賞金獲得者上位者の次点が補充選手として出場するが、斡旋・出場停止、出場辞退選手はS級S班から陥落する。

出場特典

  • 優勝者は、翌年のKEIRINグランプリ直前までの1年間、出場する全てのレースで1番枠に固定される特典が与えられる(第18回より制定)。
  • 出場者全員が翌年のKEIRINグランプリ直前までS級S班在籍となり、また翌年の全GIレースにおいても優先出走資格が与えられる。
  • 「グランプリ・チャンピオンユニフォーム」(優勝者)・「グランプリユニフォーム」(優勝者以外)を、翌年の朝日新聞社杯競輪祭まで着用することができる。

沿革

設立当時のレース名は「KEIRINグランプリ'●●」(●●には開催西暦年の下2桁が入る)であったが、2000年には「KEIRINグランプリ2000」というレース名で開催、2001年から2009年までは「KEIRINグランプリ●●」(●●には開催西暦年の下2桁が入る。1999年以前と異なり年を表す数の前に「'」が入らない)、2010年以降はそのまま西暦4桁を入れた「KEIRINグランプリ●●●●」というレース名で呼称されている。

  • 西暦年の読み方は、2000年までは日本語(例「KEIRINグランプリ99」=きゅうじゅうきゅう)であったが、2001年から2009年までは英語(例「KEIRINグランプリ09」=ゼロナイン)に変更されていた。2010年以降はそのまま日本語で「KEIRINグランプリ2010」=「にせんじゅう」などとしている。

KEIRINグランプリ誕生の経緯

1981年に事実上史上初めて競輪の売り上げが対前年比割れとなり、その後も4年連続して対前年比割れが続いた事を踏まえ、売り上げ減少防止のためのカンフル剤の意味で1985年に当時5番目の特別競輪として全日本選抜競輪を創設、同年8月に開催を行った。だが全日本選抜競輪の売り上げは芳しくなく、1985年度の上半期(4月 - 9月の売り上げ状況からみて5年連続の売り上げ減少は避けて通れない情勢となっていた。そこで当時の監督省である通商産業省の車両課長だった西川禎一が、「中央競馬有馬記念に匹敵するグランプリレースを競輪でも行えないものか?」と発案したのが当レースであった[5]

しかしながら、最初から1レースのみの一発勝負で決するレースという形にしようとは考えていなかった。当時は特別競輪ならば6日間、記念競輪ならば3日間のトーナメント戦形式だった事を踏まえ、東日本の競輪場と西日本の競輪場で各々1レースずつ予選を行い、そこから勝ち上がった選手を再度頂上決戦というべきレースに出場させるという案がまずは浮上した。

だが有馬記念は1レースのみで王者を決するものであり、またそうした方が盛り上がるのではないかという案が通産省内でも多勢を占める事になったため、同年10月頃、集客が多く見込める首都圏の競輪場で1回限りの開催という形で大筋の話はまとまった。しかし急な決定につき開催地に手を上げる競輪場がなかなか現れなかったため、通産省は多くの観客を収容できるスタンドを持つ立川競輪場に開催地のターゲットを絞って交渉を重ねた結果、立川競輪場を主催する立川市と合意に達した事から同年の競輪祭終了後、同年の特別競輪優勝者5名、同世界自転車選手権優勝者1名、競走得点上位者3名の計9名により同年12月30日、立川競輪場にて予選なしの一発勝負の形式によるKEIRINグランプリを開催するというプレスリリースを行った事で、漸く当レースの全貌が明らかになった。

しかしながら急な決定という事もあってか場外発売を引き受ける競輪場は殆どなく、せいぜい10場程度しかなかった(とりわけ、中部以西の競輪場は殆ど引き受けるところがなかった)。また、地上波テレビ中継についても開催直前まで難航し、何とか当時特別競輪決勝戦の中継を担当していたテレビ東京に引き受けてもらう事で決着した。

そして主催者の立川市及び日本競輪選手会も盛り上がりを懸念し、公営競技としては当時初めてグランプリに出場する9選手がレース当日、立川競輪場の正門前に集まってファンをお出迎えするというサービスを行う事になった。だがそうした懸念は杞憂となり、立川競輪場は39019人のファンで埋め尽くされ、加えて売り上げも当時としては画期的とも言える、当レースだけで10億円を超えたのであった。

更にグランプリの売り上げがモノをいったのか、1985年の競輪の売り上げは5年ぶりに前年対比増に転じ、以後1991年まで対前年比増を続けることになる。そして当レースの創設は他競技にも影響を与え、競艇では1986年から賞金王決定戦が、またオートレースは1987年からスーパースター王座決定戦という、それぞれの競技のグランドチャンピオン決定戦を誕生させるに至るわけである。

出場選手選抜方法

KEIRINグランプリの出場選手(通称:グランプリレーサー)は、以下の優先順位に従って正選手9名・補欠1名が選抜される。

  • 選考期間…当年1月~競輪祭最終日、選考…競輪祭終了直後、最低出走回数…40出走(当年1月~10月までの10ヶ月間)
1.GI競走優勝者(現在は以下の6つがあてはまる)
読売新聞社杯全日本選抜競輪(2月)
日本選手権競輪(3月)
高松宮記念杯競輪(6月)
寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(7月)
オールスター競輪(9月)
朝日新聞社杯競輪祭(11月または12月)
2.当年に夏季オリンピックが開催された場合は、その夏季オリンピックにおけるトラックレース競技個人種目メダリスト
十文字貴信1996年アトランタオリンピック 自転車競技1,000mタイムトライアル銅メダル)
永井清史2008年北京オリンピック 自転車競技ケイリン銅メダル)
3.当年の世界選手権自転車競技大会トラックレース競技個人種目優勝者など選考委員から特別に認められた選手
中野浩一1985年1986年 世界選手権プロ・スプリント優勝)
俵信之1987年 世界選手権プロ・スプリント優勝)
本田晴美1987年 世界選手権ケイリン優勝)
4.残余は賞金獲得額上位者を順次選抜する[6]
同額の場合は、当年1月~10月までの10ヶ月間における平均競走得点上位者を優先

なお、補欠選手は正選手を除く賞金獲得額上位者からさらに順次選抜される。

但し、グランプリ開催当日の時点でS級に在籍していることが条件で、同年中のGI競走に優勝してもグランプリ当日の時点でA級に降格されている場合と怪我・病気に伴い出場を辞退した選手はグランプリへの出場資格を失う[7]

過去の開催場・優勝者・優勝賞金・入場者・売上額

回数 開催日 開催場 優勝者 優勝賞金
(副賞込み・万円)
入場者
(本場・人)
売上額
第1回 1985年12月30日 立川競輪場 中野浩一 1,000 39,019 12億0,577万円
第2回 1986年12月30日 井上茂徳 1,500 40,371 28億4,953万円
第3回 1987年12月30日 平塚競輪場 滝澤正光 1,700 37,782 40億6,653万円
第4回 1988年12月30日 立川競輪場 井上茂徳 1,700 38,480 57億7,382万円
第5回 1989年12月30日 ※中止 - - -
第6回 1990年12月29日 坂本勉 2,500 36,483 58億5,734万円
第7回 1991年12月30日 鈴木誠 3,000 42,528 66億4,564万円
第8回 1992年12月30日 平塚競輪場 吉岡稔真 3,220 37,300 79億3,756万円
第9回 1993年12月30日 立川競輪場 滝澤正光 3,560 38,588 82億6,129万円
第10回 1994年12月30日 井上茂徳 3,560 35,768 90億1,217万円
第11回 1995年12月30日 吉岡稔真 5,060 40,621 81億6,077万円
第12回 1996年12月30日 小橋正義 6,000 39,793 106億4,770万円
第13回 1997年12月30日 山田裕仁 7,000 35,065 98億9,259万円
第14回 1998年12月30日 山口幸二 7,000 38,071 98億0,189万円
第15回 1999年12月30日 太田真一 7,000 35,531 91億3,783万円
第16回 2000年12月30日 児玉広志 7,000 34,358 85億6,746万円
第17回 2001年12月30日 平塚競輪場 伏見俊昭 7,000 34,173 82億9,995万円
第18回 2002年12月30日 立川競輪場 山田裕仁 7,000 35,030 73億9,456万円
第19回 2003年12月30日 京王閣競輪場 7,000 25,333 70億0,269万円
第20回 2004年12月30日 立川競輪場 小野俊之 10,000 29,014 64億8,339万円
第21回 2005年12月30日 平塚競輪場 加藤慎平 10,000 20,619 66億1,921万円
第22回 2006年12月30日 京王閣競輪場 有坂直樹 10,000 25,294 63億0,478万円
第23回 2007年12月30日 立川競輪場 伏見俊昭 10,000 20,201 63億8,341万円
第24回 2008年12月30日 平塚競輪場 井上昌己 10,000 20,154 57億1,300万円
第25回 2009年12月30日 京王閣競輪場 海老根恵太 10,000 19,819 52億9,775万円
第26回 2010年12月30日 立川競輪場 村上博幸 10,000 15,909 49億0,674万円
第27回 2011年12月30日 平塚競輪場 山口幸二 10,000 18,496 51億4,546万円
第28回 2012年12月30日 京王閣競輪場 村上義弘 10,000 15,642 50億7,515万円
第29回 2013年12月30日 立川競輪場 金子貴志 10,000 16,682 55億0,942万円

各回のエピソードについては、各項目を参照のこと。

開催場における特色

共通

発走時間が概ね16:30前後に設定されているが、関東地方はこの時期の日没がこの時間とほぼ重なり、広義の薄暮競走で行われ、なおかつそれぞれに照明設備があるため、実質「ナイター競走」と同等である(立川は現在ナイター開催はしていない)。

立川競輪場

1985年から開催されたKEIRINグランプリ発祥の地であり、通算17回開催。第1回の開催において4万弱の来場者を集めたほどの集客力があることから、最もグランプリの開催地というイメージが強い。なお過去には立川で他の特別競輪が開催される時のみ京王閣または平塚での開催が行われていたが、近年はその原則が崩れている。

京王閣競輪場

2003年からKEIRINグランプリの開催場に加わり、通算4回開催。集客力は立川に並ぶ程であり、比較的新しい観戦スタンドのチケット人気は高い。2009年の開催では、平塚と同じように表彰式の一般開放を行った(但し、バンク内にファンが出向く平塚とは異なり、フェンスそばのスタンドに設営した特設表彰台に選手が出向く形とした)。

平塚競輪場

1987年からKEIRINグランプリを開催しており、通算6回開催。都心から離れていることから集客力では劣るが、イベントなどの開催で盛り上げを図っており、2005年の開催からは以下のセレモニーが実施されている。

  • 表彰式の一般開放
    レース終了後、バンクとスタンドを隔てるフェンスを取り払ってバンクを一般開放して表彰式を行い、ファンは表彰台手前まで近づいて優勝者を祝福できるようにした。
  • レース終了後、選手との懇親会を実施
    グランプリ当日、特別観覧席入場者の中から抽選で選ばれた数十名程度をレース終了後の懇親会(立食式のパーティ)に招待した。当選者は表彰式終了後、選手宿舎内の食堂にて1時間程度、グランプリ出場選手との懇親会を楽しんだ(なお2005年の場合、実際に出席したのは加藤慎平、小嶋敬二、後閑信一のみ)。

岸和田競輪場

2014年の開催予定場。西日本では初開催となる。

実況中継

テレビ(地上波)
  • 2007年までテレビ東京系列と一部の地方局で放送されていた[8]が、2008年からは日本テレビ製作・キー局とした日本テレビ系列向けの全国中継、および日テレ製作協力(実質裏送り)して、BS日テレテレビ神奈川をキーとしておよび独立UHF局系列向けのものの2種類の中継が放送されている(一部地域除く)。
  • 日テレ系の中継はレースの展望や事前情報よりも、出場選手の密着取材ドキュメンタリーに比重が置かれている。2011・2012年は『ブラマヨ自転車部 賞金1億円なんてどうかしてるぜ!』のタイトルで事前番組も放送されている。
  • 一方独立県域局のものはスタンダードなレース展望・情報が主である。
テレビ(BS)
  • NHKBS1にて中継されている[9]。NHKで中継される唯一の競輪のレース(さらに言えば中央競馬以外の公営競技で唯一放送されているレースでもある)。
  • BS日テレでは、BS1と重ならない時間帯で放送を行っている。なお、BS日テレでの中継では、グランプリシリーズのその日のメインカード(1日目「ガールズグランプリ決勝戦」、2日目「ヤンググランプリ」)も生中継している。
テレビ(CS)
ラジオ

特記事項

  • 開催時の特別観覧席は、はがき・開催競輪場・インターネットでの抽選などによる発売となる。ただし第21回(平塚競輪場)と第22回(京王閣競輪場)のメインスタンド席は先着順にて販売された。
  • 2012年村上義弘(京都)が4番車で優勝するまでは、4番車、6番車、8番車(いわゆるヨーロッパ)が1回ずつ優勝していた。因みにいずれも岐阜所属の選手が優勝していた。

脚注

  1. 実際は本賞金が9500万円で、副賞の500万円と合わせて1億円としている。
  2. 但し競輪界の名誉としては、格式や歴史を考慮しても「春の日本一決定戦」ダービーとする説も根強い他、GPグレードはこのレースのみなので、GIもGPとほぼ同等の最高権威とみなす事も出来る。
  3. ちなみに2002年のキャッチフレーズは「全てのギャンブラーに捧げるワンモアチャンス」であった。
  4. 平成26年度GP・GI・GII等開催場・日程の決定について - KEIRIN.JP 2013年4月17日
  5. 参考文献:立川競輪場発行フリーペーパー「とらいふぇくた」
  6. 第18回2002年)のみGI決勝での着順によるポイント制(次の表)が採用されたが、既権利者がポイントを大量獲得したため制度が成り立たたくなったことから、結局その年限りで廃止された。
    着順 ダービー
    オールスター
    全日本選抜 その他のGI
    1着 無条件でグランプリ出場
    2着 10.5 12 10
    3着 8.5 10 8
    4着 6
    5着 5
    6着 4
    7着 3
    8着 2
    9着 1
    競走中止 0.5
    失格 0
    • 2・3着は大会によってポイントが変動するが4着以下は全大会共通のポイントとなる。
  7. かつては当時最上位であったS級1班在籍が条件であり、開催当日でS級2班以下であれば出場資格を失っていた(1994年における出口眞浩の例がある)が、現在は緩和されている。
  8. エンディングはベートーヴェン第九が必ず流れた。
  9. これは、優勝杯をNHKから提供しているのと、優勝賞金や入場収入などの収益金を(社福)NHK厚生文化事業団に寄贈し、障害者・高齢者福祉や国内外災害復旧支援に充てているため。2006年までは衛星ハイビジョンでも中継されていた。

今後の開催予定

  • 第30回(KEIRINグランプリ2014) - 2014年12月30日 - 岸和田競輪場(初開催)
  • 第31回(KEIRINグランプリ2015) - 2015年12月30日 - 京王閣競輪場(3年ぶり5度目)

関連項目

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