オールスター競輪
テンプレート:自転車レース オールスター競輪(おーるすたーけいりん)は、毎年9月に開催される競輪のGI競走である。
レース概要
この大会はプロ野球のオールスター戦を参考とする形で行われており、事前にS級選手が200名ほどリストアップされ、その中から出場させたい選手をファンが10名ほど選び、競輪場備え付けの投票用紙、あるいははがきやインターネットを使って投票を行い、その票数によって決定する仕組みとなっている。優勝賞金は4200万円(第53回、副賞込み)。
2011年の第54回大会では、番外で2日目7Rにルーキーチャンピオンレース(デビュー直後の新人選手9名による一発勝負)が行われた。
2013年の第56回大会からは、4日目にガールズケイリンコレクションが併せて行われる(出場資格は、オールスター競輪と併せて行われるファン投票による得票最上位7名)。
出場選手選抜方法
オールスター競輪の出場選手は、ファン投票の結果を重視して選抜される。 毎回若干変更・修正されるものの、概ね以下の資格順位により正選手135名、補欠選手8名を選抜する。
- 選考期間…当年1月~6月(6ヶ月)、選考月…7月、最低出走回数…24出走
- S級S班在籍者
- 過去3回以上優勝した者(開催時S級1班所属が条件)
- 共同通信社杯競輪の決勝で1~3位となった者
- 1~3で選抜された者を除くファン投票の上位50名
- 平均競走得点上位者を1~4で選抜された者を含めての合計が125名になるまで順次選抜する(同点の場合は賞金獲得額上位者を優先)
- 残余10名については選考委員会が推薦した者を選抜する
なお、補欠選手は正選手を除く平均競走得点上位者からさらに順次選抜される。
また、正選手のうち、以下の条件を満たした合計27名については、ドリームレース、オリオン賞レース、特別選抜予選のいずれかに出走できる。
ドリームレース(9名)</br>ファン投票の得票数が1位~9位となった者
オリオン賞レース(9名)</br>ファン投票の得票数が10位~18位となった者
特別選抜予選(9名)
- ドリームレースまたはオリオン賞レースに選抜されなかったS級S班在籍者
- 共同通信社杯競輪の決勝で1~3位となった者
- 残余は平均競走得点上位者から順次選抜する
一時期はファン投票で選ばれるのはドリームレースおよびオリオンレースのみで、その他の出場者は主催者による選考のみにより決定されていた期間もあったが、2009年より投票上位50名は無条件で出場でき、さらにリストアップされなかった選手などに対し特別枠で選手選考委員会が10名を選出できる仕組みに変更された。
勝ち上がり方式
かつては6日間開催のトーナメント制であったが、2005年度より大会の体裁が変更され1日短縮して5日間のシリーズで行われるようになり、勝ち上がり形式を緒戦2戦のポイント制(ドリームレース・オリオン賞レース出走者はポイント優遇)で準決勝進出者を決定する方式を採用した。だが、前半戦は選手もファンも常にポイントの計算が必要であり、分かりにくいと不評であったため、2009年度より番組体系を抜本的に改めることになった。
2009年度と2010年度はポイント制を廃止してトーナメント制度を復活させ、6日間開催時にかつて行われていた敗者復活戦を再び採用しただけでなく、ドリームレース・オリオン賞レース出走の成績上位者を集めた「シャイニングスター賞」の1着選手は準決勝免除で決勝進出権利を獲得できるという、2002年の日本選手権競輪で採用された6日間トーナメントを5日間に短縮する形での勝ち上がりに変更された。
ただ、「シャイニングスター賞」1着選手による準決勝免除と決勝進出権利の獲得[1]や、敗者復活戦の導入に伴い1次予選2着選手の一部が敗者復活戦へ回される、といった複雑な番組体系となってしまったことから、これもファンからは分かりにくいと指摘を受けるなど不評であったため、再度2011年から、敗者復活戦やシャイニングスター賞1着選手による準決勝免除の廃止を柱として、勝ち上がりを分かりやすくすべく番組体系を抜本的に見直すことになった[2]。
- 2011年度以降の番組(以下は勝ち上がり組のみを対象に記す)
- 初日(11レース)・2日目(10レース)
- 「一次予選」 合計12レース行われ、各レース1〜3着36名が「二次予選」進出。
- 「ドリームレース」 最上位の特別選抜予選、という位置づけで、初日の最終レースに行われ、1〜5着5名が無条件で3日目の「シャイニングスター賞」と、4日目の「準決勝」進出の権利が同時に得られる。6〜9着4名は「二次予選」進出。
- 「特別選抜予選」 2日目のオリオン賞レースの前に行われ、1着1名は無条件で3日目の「シャイニングスター賞」と、4日目の「準決勝」進出の権利が同時に得られる。2〜9着8名は「二次予選」進出。
- 「オリオン賞レース」 上位の特別選抜予選、という位置づけで、2日目の最終レースに行われ、1〜3着3名が無条件で3日目の「シャイニングスター賞」と、4日目の「準決勝」進出の権利が同時に得られる。4〜9着6名は「二次予選」進出。
- 3日目(11レース)
- 「二次予選」 合計6レース行われ、各レース1〜3着18名が「準決勝」進出。
- 「シャイニングスター賞」 二次特別選抜予選として、最終レースに行われる。失格にならない限り、9名全員が「準決勝」進出。
- 4日目(12レース ただし、2011年・2012年は11レース)
- 「ガールズケイリンコレクション」(2011年・2012年は開催せず) 「準決勝」前に行われる、女子選手による一発勝負。
- 「準決勝」 合計3レース行われ、各レース1〜3着9名が「決勝」進出。
- 5日目(最終日 11レース)
- 「決勝」 最終レース。上位3着までは表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
- 「特別優秀」 「決勝」前の合計2レース。「準決勝」各レース4〜7着12名と、4日目「特選(1)」各レース1〜3着6名の計18名により行われる。
- 「優秀」 「特別優秀」前の合計2レース。「準決勝」各レース8〜9着6名、4日目「特選(1)」各レース4〜6着6名及び4日目「特選(2)」各レース1〜3着6名の計18名により行われる。
その他、2日目以降に予選敗退者を対象とした以下の競走が開催される。
- 2日目…「選抜(1)」
- 3日目…「一般」、「選抜(1)」
- 4日目…「一般」、「選抜(2)」、「特選(2)」「特選(1)」
- 5日目…「特一般」、「選抜」、「特選」
なお、3日目または4日目に「一般」を走った者は最終日を待たずに強制的に(失格はなくても)途中帰郷(「お帰り」)させられる。
なお、参考までに、2009年度と2010年度の番組体系も以下に記す。
- 2009年度の番組(以下は勝ち上がり組のみを対象に記す)
5日間とも11レース。
- 初日
- 「一次予選」 合計10レース行われ、各レース1着10名が「二次予選A」、2着10名のうち平均競走得点上位8名が「二次予選B」、2着10名のうち平均競走得点下位2名と3〜4着20名、5着のうち平均競走得点上位5名が「敗者復活I」進出。
- 「ドリームレース」 最上位の特別選抜予選、という位置づけで、最終レースに行われ、1〜6着6名が無条件で3日目の「シャイニングスター賞」と、4日目の「準決勝」進出の権利が同時に得られる。7〜9着3名は「二次予選A」進出。
- 2日目
- 「敗者復活I」 合計3レース行われ、各レース1〜3着9名が「敗者復活II」進出。
- 「特別選抜予選」 合計3レース行われ、各レース1〜3着9名が「二次予選A」、4〜9着18名が「二次予選B」進出。
- 「オリオン賞レース」 上位の特別選抜予選、という位置づけで、最終レースに行われ、1〜3着3名が無条件で3日目の「シャイニングスター賞」と、4日目の「準決勝」進出権利が同時に得られる。4〜8着5名は「二次予選A」、9着1名は「二次予選B」進出。
- 3日目
- 「敗者復活II」 1レース行われ、1着1名が「準決勝B」進出。
- 「二次予選B」 合計3レース行われ、各レース1着3名が「準決勝A」、2着3名が「準決勝B」進出。
- 「二次予選A」 合計3レース行われ、各レース1〜3着9名が「準決勝A」、4着3名が「準決勝B」進出。
- 「シャイニングスター賞」 二次特別選抜予選として、最終レースに行われる。1着1名が無条件で最終日の「決勝」進出権利が得られる。2〜7着6名は「準決勝A」、8〜9着2名は「準決勝B」進出。
- 4日目
- 「準決勝B」 1レース行われ、1〜2着2名が「決勝」進出。
- 「準決勝A」 合計2レース行われ、各レース1〜3着6名が「決勝」進出。
- 5日目(最終日)
- 「決勝」 最終レース。上位3着までは表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
- 「順位決定」 「決勝」の1つ前のレース。「準決勝A」各レース4〜6着6名と、「準決勝B」3〜5着3名により行われる。
- 「優秀」 「順位決定戦」の3つ前の合計3レース。「準決勝A」各レース7〜9着6名、「準決勝B」6〜9着4名、二次予選敗退選手による4日目「特選」各レース1〜4着4名と5着のうち平均競走得点上位2名の計27名により行われる。
- 2010年度の番組(以下は勝ち上がり組のみを対象に記す)
5日間とも11レース。
- 初日
- 「一次予選」 合計10レース行われ、各レース1着10名が「二次予選」、2着10名のうち平均競走得点上位8名が「二次予選」、2着10名のうち平均競走得点下位2名と3〜4着20名、5着のうち平均競走得点上位5名が「敗者復活I」進出。
- 「ドリームレース」 最上位の特別選抜予選、という位置づけで、最終レースに行われ、1〜4着4名が無条件で3日目の「シャイニングスター賞」と、4日目の「準決勝」進出の権利が同時に得られる。5〜9着5名は「二次予選」進出。
- 2日目
- 「敗者復活I」 合計3レース行われ、各レース1〜3着9名が「敗者復活II」進出。
- 「特別選抜予選」 合計3レース行われ、各レース1着3名が無条件で3日目の「シャイニングスター賞」と、4日目の「準決勝」進出権利が同時に得られる。2〜9着24名は「二次予選」進出。
- 「オリオン賞レース」 上位の特別選抜予選、という位置づけで、最終レースに行われ、1〜2着2名が無条件で3日目の「シャイニングスター賞」と、4日目の「準決勝」進出権利が同時に得られる。3〜9着7名は「二次予選」進出。
- 3日目
- 「敗者復活II」 1レース行われ、1着1名が「準決勝」進出。
- 「二次予選」 合計6レース行われ、各レース1〜4着24名と5着のうち平均競走得点上位3名が「準決勝」進出。
- 「シャイニングスター賞」 二次特別選抜予選として、最終レースに行われる。1着1名が無条件で最終日の「決勝」進出権利が得られる。2〜9着8名は「準決勝」進出。
- 4日目
- 「準決勝」 合計4レース行われ、各レース1〜2着8名が「決勝」進出。
- 5日目
- 「決勝」 最終レース。上位3着までは表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
- 「特別優秀」 「決勝」の2つ前の合計2レース。「準決勝」各レース3〜5着12名と、4日目「優秀」各レース1〜2着6名により行われる。
過去の優勝者など
1974年からのファン投票歴代第1位選手と、同年から実施されたドリームレース(DR)の勝利者、及び、2009年より実施されているシャイニングスター賞(SS賞)についても記述する。
回数 | 開催年 | 開催場 | 優勝者 | 回 | 投票1位 | DR勝者 | SS賞勝者 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
第1回 | 1956年(昭和31年) | 川崎競輪場 | 石田雄彦 | ||||
第2回 | 1957年(昭和32年) | 大阪中央競輪場 | 西村公佑 | ||||
第3回 | 1958年(昭和33年) | 名古屋競輪場 | 戸上守 | ||||
第4回 | 1959年(昭和34年) | 大阪中央競輪場 | 中井光雄 | ||||
第5回 | 1960年(昭和35年) | 川崎競輪場 | 吉田実 | ||||
第6回 | 1961年(昭和36年) | 名古屋競輪場 | |||||
第7回 | 1962年(昭和37年) | 川崎競輪場 | 平間誠記 | ||||
第8回 | 1963年(昭和38年) | 名古屋競輪場 | 高原永伍 | ||||
第9回 | 1964年(昭和39年) | 岸和田競輪場 | |||||
第10回 | 1965年(昭和40年) | 川崎競輪場 | 白鳥伸雄 | ||||
第11回 | 1966年(昭和41年) | 一宮競輪場 | 木村実成 | ||||
第12回 | 1967年(昭和42年) | 岸和田競輪場 | 竹野暢勇 | ||||
第13回 | 1968年(昭和43年) | 一宮競輪場 | 伊藤繁 | ||||
第14回 | 1969年(昭和44年) | 岸和田競輪場 | 田中博 | ||||
第15回 | 1972年(昭和47年) | 大垣競輪場 | 稲村雅士 | 15 | 荒川秀之助 | ||
第16回 | 1973年(昭和48年) | 高松競輪場 | 福島正幸 | 16 | 阿部道 | ||
第17回 | 1974年(昭和49年) | 静岡競輪場 | 阿部道 | 17 | 阿部道 | ||
第18回 | 1975年(昭和50年) | 前橋競輪場 | 加藤善行 | 18 | 荒川秀之助 | ||
第19回 | 1976年(昭和51年) | 前橋競輪場 | 藤巻昇 | 19 | 藤巻昇 | 菅田順和 | |
第20回 | 1977年(昭和52年) | 千葉競輪場 | 谷津田陽一 | 20 | 中野浩一 | 藤巻昇 | |
第21回 | 1978年(昭和53年) | 西宮競輪場 | 天野康博 | 21 | 藤巻清志 | ||
第22回 | 1979年(昭和54年) | 岸和田競輪場 | 中野浩一 | 22 | 藤巻昇 | 中野浩一 | |
第23回 | 1980年(昭和55年) | 平競輪場 | 23 | 菅田順和 | |||
第24回 | 1981年(昭和56年) | 立川競輪場 | 井上茂徳 | 24 | 中野浩一 | 久保千代志 | |
第25回 | 1982年(昭和57年) | 高松競輪場 | 松村信定 | 25 | 井上茂徳 | ||
第26回 | 1983年(昭和58年) | 平競輪場 | 菅田順和 | 26 | 藤巻昇 | ||
第27回 | 1984年(昭和59年) | 西宮競輪場 | 吉井秀仁 | 27 | 中野浩一 | ||
第28回 | 1985年(昭和60年) | 一宮競輪場 | 高橋健二 | 28 | 尾崎雅彦 | ||
第29回 | 1986年(昭和61年) | 平競輪場 | 伊藤豊明 | 29 | 山口健治 | ||
第30回 | 1987年(昭和62年) | 宇都宮競輪場 | 滝澤正光 | 30 | 滝澤正光 | ||
第31回 | 1988年(昭和63年) | 岸和田競輪場 | 中野浩一 | 31 | 佐々木昭彦 | ||
第32回 | 1989年(平成元年) | 静岡競輪場 | 坂本勉 | 32 | 坂本勉 | ||
第33回 | 1990年(平成2年) | 宇都宮競輪場 | 滝澤正光 | 33 | |||
第34回 | 1991年(平成3年) | 高松競輪場 | 坂本勉 | 34 | 佐々木昭彦 | ||
第35回 | 1992年(平成4年) | 名古屋競輪場 | 松本整 | 35 | 吉岡稔真 | 鈴木誠 | |
第36回 | 1993年(平成5年) | 宇都宮競輪場 | 神山雄一郎 | 36 | 滝澤正光 | ||
第37回 | 1994年(平成6年) | いわき平競輪場 | 出口眞浩 | 37 | 吉岡稔真 | ||
第38回 | 1995年(平成7年) | 熊本競輪場 | 高橋光宏 | 38 | 小橋正義 | ||
第39回 | 1996年(平成8年) | 岐阜競輪場 | 児玉広志 | 39 | 神山雄一郎 | ||
第40回 | 1997年(平成9年) | 平塚競輪場 | 神山雄一郎 | 40 | 神山雄一郎 | 吉岡稔真 | |
第41回 | 1998年(平成10年) | 一宮競輪場 | 山口幸二 | 41 | 吉岡稔真 | 神山雄一郎 | |
第42回 | 1999年(平成11年) | 甲子園競輪場 | 神山雄一郎 | 42 | 神山雄一郎 | 児玉広志 | |
第43回 | 2000年(平成12年) | 高知競輪場 | 児玉広志 | 43 | 内林久徳 | ||
第44回 | 2001年(平成13年) | 岐阜競輪場 | 伏見俊昭 | 44 | 吉岡稔真 | 太田真一 | |
第45回 | 2002年(平成14年) | 熊本競輪場 | 松本整 | 45 | 神山雄一郎 | 神山雄一郎 | |
第46回 | 2003年(平成15年) | 一宮競輪場 | 村上義弘 | 46 | 吉岡稔真 | 小嶋敬二 | |
第47回 | 2004年(平成16年) | 西武園競輪場 | 神山雄一郎 | 47 | 佐藤慎太郎 | ||
第48回 | 2005年(平成17年) | 名古屋競輪場 | 48 | 武田豊樹 | 小嶋敬二 | ||
第49回 | 2006年(平成18年) | 花月園競輪場 | 井上昌己 | 49 | 吉岡稔真 | 加藤慎平 | |
第50回 | 2007年(平成19年) | 高知競輪場 | 飯嶋則之 | 50 | 小嶋敬二 | 神山雄一郎 | |
第51回 | 2008年(平成20年) | 一宮競輪場 | 伏見俊昭 | 51 | 武田豊樹 | ||
第52回 | 2009年(平成21年) | 松山競輪場 | 武田豊樹 | 52 | 伏見俊昭 | 小嶋敬二 | 石丸寛之 |
第53回 | 2010年(平成22年) | いわき平競輪場 | 山崎芳仁 | 53 | 村上義弘 | 武田豊樹 | 武田豊樹 |
第54回 | 2011年(平成23年) | 岐阜競輪場 | 浅井康太 | 54 | 神山雄一郎 | ||
第55回 | 2012年(平成24年) | 前橋競輪場 | 山崎芳仁 | 55 | 深谷知広 | 村上義弘 | 村上義弘 |
第56回 | 2013年(平成25年) | 京王閣競輪場 | 後閑信一 | 56 | 村上義弘 | 浅井康太 | 長塚智広 |
第57回 | 2014年(平成26年) | 前橋競輪場 | 57 | 深谷知広 |
今後の開催予定
エピソード
- 1965年5月5日に川崎競輪場で開催された第10回大会の決勝戦は、スタンドに入り切れなくなった約3000人の客を急遽走路内に入れてレースを行うことになったが、レース後、1着で入線した白鳥伸雄を、走路内にいた客が5分あまりに亘って胴上げした。
- 1970年と1971年はオールスター競輪が開催されていないが、これは全国都道府県選抜競輪中止の余波を受けて開催地の選定に難航したためで、1970年度は秩父宮妃賜杯競輪の中止なども重なったため開催が取りやめとなり、続く1971年度も日本選手権競輪と共に開催地が決まらない状況に陥ったことから日本選手権競輪を優先させるため開催されなかった。
- オールスター競輪では、過去開催期間中に台風接近による影響で順延となったことがある。
- オールスター競輪が開催された競輪場で、その後7年以内に廃止に追いやられた競輪場がある。
- 第4回(1959年)開催 - 大阪中央競輪場(1962年3月廃止)
- 第42回(1999年)開催 - 甲子園競輪場(2002年3月廃止)
- 第49回(2006年)開催 - 花月園競輪場(2010年3月廃止)
- 第51回(2008年)開催 - 一宮競輪場(2014年3月廃止)
脚注
- ↑ ほぼ同趣旨の試みは2002年の日本選手権でもあった。第55回記念大会であったこの年は、1次予選敗退者による「敗者復活戦」開催や、2次予選の特別選抜予選「ゴールデンレーサー賞」1着選手(この時は濱口高彰)は準決勝免除で決勝進出の権利を得る、という形だったが、同様に勝ち上がりの複雑さからその年限りでそれらは廃止された。
- ↑ 平成24年度以降の特別競輪等の見直し及び平成23年度高松宮記念杯競輪開催場について、オールスター競輪の既定番組比較表
外部リンク
- オールスターファン投票 競輪資料室|KEIRIN.JP