高知競輪場
テンプレート:基礎情報 競輪場 高知競輪場(こうちけいりんじょう)は高知県高知市にある競輪場兼陸上競技場である。通称は「りょうまスタジアム」。施設所有および主催は高知市。競技実施はJKA競輪競技実施事業本部中四国支部。
概要
高知競輪場は1950年に開設された。1999年10月には場内を全面改装し面目を一新している。
記念競輪 (GIII) は『よさこい賞争覇戦』として毎年4月(2013年は時期移動で7月)に行われ、2日目の優秀競走としてマスコットキャラクターであるクーリンにちなんで、クーリンカップが行なわれている。また高知を中心に活躍し現役時代から福祉活動に尽力し続けている山崎勲、高松宮記念杯競輪を制した松村憲、およびオールスター競輪を制した松村信定(松村憲の実息)を称え、それぞれ『山崎勲杯争覇戦』『松村憲・松村信定土佐の親子鷹杯争覇戦』が開催されている。
特別競輪は2000年と2007年にオールスター競輪が、2003年には読売新聞社杯全日本選抜競輪が、2012年には最終開催の東西王座戦が、それぞれ開催された。
2012年11月1日から3日までの開催では『グッドモーニング900(キューマルマル)』として午前9時00分に第1R発走とする早朝競走を実施した。
2004年3月17日から四国競輪インターネットライブにより動画実況されていたが2010年11月2日に終了した。トータリゼータシステムは当場の包括委託業者である日本トーターを採用している。
付属施設
バンク
500mを使用している。なお場内の全面改装時に陸上競技場としての造成を優先させたため、直線は500m走路の中で最も短く、カントも緩いため、先行選手が不利になるケースはやや低い。
建物全体は一体型建築となっているが、高さの低い位置よりバックスタンドの裏側を流れる鏡川から風が入り込む。主に午前中は3コーナーから1センターへ、午後からは2コーナーから2センターへと吹き込む事が多い。特に後者の場合、2センターに宿舎棟があるのではね返った風がさらにメインスタンドに遮られてホーム直線で思いの外風が巻いていることが多く、捲り追い込みが効きにくい理由の一つになっている。なお走路全周外側にはポリカーボネート(透明板)が設置されている。
全国の競輪場の中で唯一、レースの残りが1周半に差し掛かったときに鳴らす打鐘に銅鑼を使用している。
チャリロト
2013年4月23日からの開催より、重勝式投票にあたるチャリロトが発売される。なお高知は奈良競輪場・玉野競輪場・高松競輪場とキャリーオーバーを共有する『グループC』としての発売となり、キャリーオーバーの対象外であるチャリロト3は高知の開催では発売されない。
関連画像
- Ryouma st2.JPG
大型映像装置(3コーナー側)
- Ryouma st3.JPG
スタンド
アクセス
鏡川沿いで潮江天満宮の隣に位置する。
場外車券売場
歴代記念競輪優勝者
年 | 優勝者 | 登録地 |
---|---|---|
2002年 | 佐々木則幸 | 高知 |
2004年 | 村上義弘 | 京都 |
2005年 | 稲垣裕之 | 京都 |
2006年 | 兵藤一也 | 群馬 |
2008年 | 小野俊之 | 大分 |
2009年 | 小橋正義 | 新潟 |
2010年 | 中村浩士 | 千葉 |
2011年 | 佐藤慎太郎 | 福島 |
2012年 | 武田豊樹 | 茨城 |
2013年 | 藤田竜矢 | 埼玉 |
2014年 | 渡邉一成 | 福島 |
- ※1節4日間制開催となった、2002年4月以降の歴代記念競輪優勝者を列記。
エピソード
- 高知市野球場が近いため、かつては阪急ブレーブスが春季キャンプを張っていた頃、キャンプ休日が競輪開催日と重なった日は、よく当時の選手達が車券を買いに来ていたと言われている。
- 1985年(昭和60年)、高知市内における山一抗争の影響で、2月23日に場内で発砲事件が発生し死者2人重傷1人を出した。この事件により公営競技間の連絡機関である施行者協議会が場内からのノミ屋排除へと本格的に動き出すきっかけとなった。
- くさか里樹原作の漫画、「ケイリン野郎〜周と和美のラブストーリー〜」とその続編「ケイリン野郎GP」の主人公である伊東周(いとう・しゅう)は、高知競輪場がホームバンクという設定である。
- 2013年7月25日の記念競輪初日11R特選競走で武田豊樹、渡邉晴智以下7人[1]が牽制しあう間に単騎で中村一将がスパートし、そのまま1位で入線(ゴール)した。しかし他の7選手は大差のまま入線してしまったため、2位以下入線の7名[2]が追走義務違反のため失格となる。レース自体は中村の1着で成立したが2着が成立しなかったため、このレースの7賭式車券と当日のDokanto!4twoは全額返還となった[3]。なお失格の7名は高知競輪場から1年以上のあっせん停止処分を受け即日帰郷[4]となり、後日JKAより失格の日より4ヶ月以上全ての競走へのあっせんを停止する処分が下された。