千葉競輪場
テンプレート:基礎情報 競輪場 千葉競輪場(ちばけいりんじょう)は千葉県千葉市中央区にある競輪場。施設所有および主催は千葉市。競技実施はJKA競輪競技実施事業本部南関東地区本部。電話投票の競輪場コードは32#。実況は東京電設工業で担当は藤崎俊明または鈴木丈之。
概要
千葉競輪場は1949年(昭和24年)8月31日に開設された。過去に行われたビッグレースは、1977年には第20回オールスター競輪が、1972年・1975年・1976年・1981年・1984年・1987年・1996年・2000年には日本選手権競輪が開催された。
記念競輪 (GIII)は、1980年代後半に「怪物」と呼ばれ特別競輪制覇を量産した滝澤正光を称え、2008年より「滝澤正光杯」として10月に開催されている。なお2007年までは『秋桜杯』が毎年8月下旬から9月の間に開催されていた。
また現役時代「輪聖」と謳われた白鳥伸雄を称え白鳥伸雄杯が、競輪のGIレースの常連として活躍していた東出剛(2004年2月22日に胃癌のため39歳で死去)を称え東出剛メモリアルカップ・グランドチャンピオン500が開催されている。
2013年度より開催に関する業務を日本写真判定に包括委託している。トータリーゼータシステムは富士通フロンテックを採用している。
マスコットはライオンの姿をした「ライモン君」。
チャリロト
2009年8月18日の開催から重勝式投票にあたるチャリロトを発売しているが、グループ開催への移行により、それまでのキャリーオーバーによる発売は2012年11月7日を最終日として一旦終了することになり、最終日は特例として各賭式でキャリーオーバーがあった場合は一つ外した目でも的中の扱いとしていたが、全方式とも的中者がいなかったため、チャリロトの2058万4650円、チャリロトセレクトの4275円、チャリロト5の3600円が、千葉市の収入となった。
11月26日からの開催より、他場とキャリーオーバーを共有する『グループC』としての発売となり、キャリーオーバーの対象外であるチャリロト3は千葉単独で発売される。なお、2013年4月8日からの開催より所属グループが『グループB』へ変更となり、伊東温泉競輪場・静岡競輪場・いわき平競輪場と共に所属している
バンク特徴
1周500mの直線の長いバンクだが、カントが緩いためか早めの先行が打たれる400mバンクに近いレースが繰り広げられる。捲りを決めるならバックストレッチで一気に仕掛けるしかなく、コーナーで仕掛けてもスピードは上がらず外にふくれる場合が多い。このため、先行選手へのハンデは500mバンクの割に少ないが、仕掛け所を逃さなければどの戦法の選手でも勝利のチャンスはある。
決まり手は差し - 捲り残りや逃げ残りやズブズブが多いが、捲り - 逃げ残りという残り目も見受けられる。そのためか本線に人気が集中する極端なオッズは少ないと言え、筋違いなのに低配当ということもある。
なお当場は財務省千葉財務事務所が土地を所有する千葉公園の中に立地しており、バンク内にはテニスコートが常設されている。かつてはミニサッカーグラウンドもあり競輪非開催時に利用可能であった。サッカー使用時はバンク内にある審判用カメラを東京電設工業の社員が移動していたが、現在は固定式となっている。
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バンク - Chiba-keirin-3.jpg
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電光掲示板 - Chibakeirin.jpg
固定前のセンターポール
アクセス
場外車券売場
- サテライト鴨川 - 千葉県鴨川市上小原482-1
- サテライト市原 - 千葉県市原市五所1966-1(京王閣競輪場主催の東京都十一市競輪事業組合と共管)
- サテライト成田 - 千葉県山武郡芝山町岩山1411
他場との関係
同じ千葉県内にある松戸競輪場とは入場者の取り合いをおこさない様に本場開催の日程を調整しており、台風や降雪等で順延しない限り一緒に開催される事はない。
これを利用し、車券販売窓口の係員や審判団(両競輪場とも競輪競技実施事業本部の南関東地区本部に所属している)の共有を行っている。
歴代記念競輪優勝者
年 | 優勝者 | 登録地 |
---|---|---|
2002年 | 會田正一 | 千葉 |
2003年 | 會田正一 | 千葉 |
2004年 | 武田豊樹 | 茨城 |
2005年 | 海老根恵太 | 千葉 |
2006年 | 濱口高彰 | 岐阜 |
2007年 | 井上昌己 | 長崎 |
2008年 | 金子貴志 | 愛知 |
2009年 | 成田和也 | 福島 |
2010年 | 鈴木謙太郎 | 福島 |
2011年 | 神山拓弥 | 栃木 |
2012年 | 三宅達也 | 岡山 |
2013年 | 岡田征陽 | 東京 |
2014年 |
- ※1節4日間制開催となった、2002年4月以降の歴代記念競輪優勝者を列記。
エピソード
- 1973年4月9日の第7競走において、当時全ての公営競技において過去最高となる236万3180円という配当が出た。これは「普通競走」という当時行われていたレース形態(その競走に参加する選手の一人が先頭を走る「トップ引き」を申し出たために、先頭誘導員がいなくなる競走。その申し出た選手は自動的に6番車となる。)で、通常は車券に絡むことがまず有り得ない6番車が、7名の大量落車を避けて2着に絡んだことにより、1着の7番と合わせて枠番連勝単式の組み合わせが5-5(今の車番2連勝複式6-7、車番2連勝単式7-6に相当する)となってしまったためである。この記録は2002年5月30日に大井競馬場の第6競走で400万940円(三連単)という配当が出るまで29年余りに亘って大金字塔として君臨し続けた。なおこの金額は現在でも枠番連勝単式としては最高配当である。
- 全国の競輪場で初めて走路外側全周に金網の替わりとしてポリカーボネート(透明板)を設置したが、初期に設置された一部は劣化して白濁しており、観戦の障害となっているので注意が必要(ホーム側のボードは定期的に交換を行っている)。
- 人口の多い千葉県中央部に位置し都心からのアクセスも悪くはないのだが、近年集客力が急速に落ちており千葉市は一時、廃止を検討したが、「自助努力もせずに廃止するとは何事か」と反対され撤回した。そこで千葉市では販売窓口の大幅削減、スタンドの一部閉鎖等でコストを削減するとともに、少しでも入場者数を増やそうと市民に対してのPR活動を積極に行い千葉都市モノレールの切符を配布したりしている。
- 2006年からは松戸競輪場、平塚競輪場のナイター競走の場外発売を開始しており、将来のナイターでの本場開催を視野に入れている。
- 10年以上前から締切の音楽が5分前がベルリンの「Take my breath away」、3分前が高田みづえの「潮騒のメロディー」が使われている。(千葉県内にある松戸競輪場と同じ)