西部邁
テンプレート:半保護 テンプレート:Infobox 哲学者 西部 邁(にしべ すすむ、1939年(昭和14年)3月15日[1] - )は、日本の評論家、思想家、雑誌『表現者』顧問、元東京大学教養学部教授。現在、毎週日曜日放映のTV番組『西部邁ゼミナール』(TOKYO MX)で司会を務める。
目次
経歴
北海道山越郡の漁師町・長万部町に生まれる[2]。父は夕張郡長沼町[3]の浄土真宗派の末寺の末男で農協職員。札幌郡厚別の信濃小学校、札幌市立柏中学校、北海道札幌南高等学校に進学。高校卒業まではマルクスもレーニンもスターリンも毛沢東も知らぬノンポリであった[4]。18歳まで重症の吃音であり、ほとんど何も喋らずに生きていた[5]。1957年、東京大学を受験するが不合格となり、一年間の浪人生活を送る。
1958年4月、東京大学に入学、三鷹寮に入寮。同年6月、和歌山の被差別部落に入って子供たちに勉強を教える[6][7]。同年12月に結成された共産主義者同盟(ブント)に加盟。1959年から同大学教養学部で自治会委員長を務める。同委員長の選挙のとき、西部はブントのメンバーたちとともに投票用紙を偽造してすり替え、共産党員の候補を落選させた[8]。全学連の中央執行委員も務め、60年安保闘争に参加。
1961年3月、左翼過激派と訣別。1964年3月、東京大学経済学部卒業。当時、ブントの活動家であった青木昌彦の勧めにより、東京大学大学院に進学、経済学を専攻。指導教官は嘉治元郎。1971年3月、東京大学大学院経済学研究科理論経済学専攻修士課程修了。1972年、連合赤軍による群馬県榛名山での集団リンチ殺人事件(山岳ベース事件)の報道を目にして、多少とも左翼に共感していたことへの道徳的反省をせざるをえなくなる[9]。
横浜国立大学経済学部助教授、東京大学教養学部助教授を歴任。経済学を始めとする社会科学の細分化を一貫して批判する。1975年出版の処女作『ソシオ・エコノミックス』では社会学などの方法論を導入して旧来の経済学を批判。経済行為の象徴的意味の解釈を志向する社会経済学の構築をめざし注目される。その後渡米しカリフォルニア大学バークレー校に在籍。引き続き渡英しケンブリッジ大学に在籍。『蜃気楼の中へ』という米英滞在記を発表。帰国後、1980年代から大衆社会批判を主軸とした保守論客として活躍を始め、各方面で発言を続ける。高度大衆社会・アメリカニズム批判と西欧流保守思想の擁護とを基軸にした評論活動を活発に行う。自らも受賞したサントリー学芸賞の選考委員を長く委嘱される。1986年、東京大学教養学部教授(社会経済学専攻)に就任。放送大学客員教授も務める。
1988年、中沢新一(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手)を東京大学教養学部助教授に推薦。委員会では通ったが教授会の採決のとき一部の教官たちの妨害により否決される。これに抗議して同年3月、東京大学を辞任(東大駒場騒動)。その後は評論活動を続けるとともに鈴鹿国際大学客員教授、秀明大学教授・学頭を歴任。
1989年、消費税導入決定前夜、総理の竹下登と会い、消費税導入の決断を迫った[10]。
1992年、東京都東村山市が憲法記念日の行事として市主催の講演会を開催することになり西部に講演を依頼した。西部が快諾し講演会の開催が決まったところ、一部市民団体などが「改憲を主張する西部氏を市主催行事の講師に招くということは東村山市が改憲を支持しているに等しい」などと抗議した。これに対し市は「西部氏は東村山市民なので依頼したのであり市が改憲を主張しようということではない」と説明したが市民団体などは抗議を続けた。そこで市は護憲派も講師に招こうと考えたが市内には護憲派の著名人がいなかったため南隣の東京都国分寺市に所在する東京経済大学の教授(当時)で護憲派の色川大吉に依頼した。色川は「西部さんとは旧知で何度も議論しているので是非参加したい」と快諾。市民団体も抗議を止め講演会は無事開催されるに至った。
2000年11月15日、第150回・参議院憲法調査会・第1号に参考人として佐高信とともに出席する。
新しい歴史教科書をつくる会に参加し理事の任を引き受けたものの、当初から会の運動とは一定の距離を置いており理事会などへは出席しなかった。
2001年8月、船橋市立西図書館のある司書が同館所蔵の西部らの多数の著書を廃棄基準に該当しないにもかかわらず除籍・廃棄した(船橋市西図書館蔵書破棄事件)。
西尾幹二が台湾や台湾独立派の金美齢を批判したことを巡って西尾との間で論争に発展した。アメリカニズム、グローバリズム、近代主義への批判は従来から西部の思想の中心を占めていたが、アメリカ同時多発テロ事件以降の日本の親米知識人たちのアメリカ追従姿勢に対する批判は西尾や田久保忠衛らとの対立を招く。
2002年、小林よしのりとともに「つくる会」を脱退。同年、西部は東京西麻布の裏通りにある土地の所有者となり、イタリアンレストラン「ゼフィーロ」という店名で長男の西部一明をオーナー兼支配人として経営させた[11]。同店は2007年4月に営業終了。
雑誌『WiLL』の2011年4月号で大相撲の八百長を擁護した[12]。
2013年3月1日、佐伯啓思・西田昌司・富岡幸一郎との座談会で「自分の咽頭部に癌ができていると最近知った」と述べた[13]。同年4月22日、首相公邸で内閣総理大臣の安倍晋三、参議院議員の西田昌司、評論家の西村幸祐と会食をした[14]。
2014年3月、妻が亡くなる[15]。
人物
- 西部が高く評価している日本人は山本常朝、福澤諭吉、中江兆民、夏目漱石、田中美知太郎、坂口安吾、秋野不矩、秦野章、福田恆存、三島由紀夫、色川武大、立川談志、唐牛健太郎などである[17]。
- 姜尚中や佐高信と対談したり『週刊金曜日』の取材に応じたりと、立場の違う人物とも積極的に対話を行う。
- 門下生には佐伯啓思、坂井素思、佐藤光、間宮陽介、宮本光晴らがいる。
思想
西部は自らの思想を『発言者』塾[18]の心得十箇条として以下のように要約している。
- 人間を「言葉の動物」と理解する。
- 言葉の産物としての個人および集団における意味的現象を総合的に解釈する。
- 意味的解釈という矛盾をはらんだ作業において平衡をとる。
- 人工言語に傾くものとしての概念・理論と自然言語に傾くものとしての思想・実践とを両立させる。
- 人生経験、認識活動および政治行動の融合をはかる。
- 言葉の基礎としての歴史の英知を保守する。
- 戦後日本を歴史破壊的時代として懐疑する。
- 異世代および異国人にたいする接近と離反において中庸を守る。
- 大衆教育(大学)と大衆伝達(マスコミ)が、言葉・解釈・経験・実践・歴史の一切を平板化させていることにたいして、批判を差し向ける。
- 哲学(真)、宗教(善)、および芸術(美)への関心を絶やさないことによって、虚無主義にたいする防波堤を築く。
主張
- イラク戦争
2003年にアメリカがバグダッドを攻撃した時、木村三浩(一水会代表)とともに「これはアメリカの間違いである」、「アメリカのアグレッション、侵略である」、「国際法なんて大したもんじゃないんだけれども、まがりなりにもあるルールをアメリカのように極めて意図的に策略的に踏みにじって、国連決議までも蹂躙しながら行くというのは、どういうことなのか」、「こういう侵略を許すわけにはいかない」と声をあげた[19]。また木村とともに論文集『鬼畜米英―がんばれサダム・フセインふざけんなアメリカ!!』(鹿砦社、2003年)を出した。『産経新聞』、『正論』、『諸君!』などを中心とする日本の親米保守の知識人たちと一線を画し彼らを批判[20]。
- 皇位継承
皇室の皇位継承について、日本国家を統合するための象徴機能は皇室において、つまり「血」統よりも「家」系を重視する方向において、よりよく維持されると思われるということを理由に、「女系」にも「女子」にも皇位継承が可能なように(皇室典範第二条の)「継承の順位」を変更したほうがよいと述べた[21]。これに対し、一部から「左に回帰した」との反発が起こった。
- 国防
国家の自立と自尊の確保を目指す立場から[22]日本の核武装、徴兵制の導入、防衛費の倍増、尖閣諸島の実効支配強化を主張している。
- 消費税
- 応益説と能力説について、次のように解説している。「なんらかの公共支出にたいする負担を論じる場合、その公共施策から利益を得る者がそれを負担せよといういわゆる応益説に対し、それを負担する能力のある者が支払えといういわゆる能力説が依然として人々に訴求する力をもっている」[23]
- その上で、税制における能力説(累進課税)と応益説(消費税など)との併用を主張している。この点について次のように述べている。「社会は「共同の企て」と「個別の企て」の二重的構成になっている。現実の公共施設・サービスはそれら両層に及ぶであろうから、実際の税制にあっては能力説と応益説とを併用するほかない。」[24]
- 能力説と応益説の考え方の原則については次のように述べている。「私のいいたいのは「共同の企て」に深くかかわる公共支出を目的にするときには、能力説にもとづいて累進課税を手段としたらどうか、そして、人々の「個別の企て」において発生するものとしての「市場の失敗」を矯正するための公共支出を目的とする場合には、人頭税なり応益税なりを手段とすべきではないか、というものである。…もちろん、これは考え方の原則であって、実際の税制を(税収の支出先を特定したものとしての)目的税にせよということではない。そんなことをすれば税制の伸縮性が損われてしまう」[25]
- 1989年4月1日、消費税導入を決断した竹下登とは親交があり、決断前夜、「竹下さんは地獄を見た方だから、消費税導入はできる。むしろ彼でなければできないでしょう」「腹をくくれ」と迫り、それを聞いた竹下は「くくった」と呼応し、消費税導入に至った。[10]
- 民主党政権への評価
一度も肯定的に評価したことがなく、民主党政権ができる前から「必ずや日本を解体に導きます」と述べていた[26]。また尖閣諸島情勢が緊迫化するのにともない、中国で不買運動や工場の破壊がおきると以前から予測しており、結果的にその通りの事態が生じている[27]。
受賞
- 1983年 『経済倫理学序説』により吉野作造賞を受賞[28]
- 1984年 『生まじめな戯れ』によりサントリー学芸賞を受賞[29]
- 1992年 評論活動により第8回 正論大賞を受賞
- 2010年 『サンチョ・キホーテの旅』により芸術選奨文部科学大臣賞を受賞[30]
連載
新聞
- 2006年4月5日から2007年3月28日まで、『産経新聞』に「保守再考」(全44回)を連載した。
- 2010年4月21日から2013年3月6日まで、『毎日新聞』の「異論反論」欄を他の3名の寄稿者との持ち回りで担当した。
雑誌
- 『VERDAD』(ベストブック)に1999年8月号から「流言流行への一撃」を連載している。
- 『時局』(時局社)に1994年4月号から「平成哲学指南」を連載している。
- 『表現者』(ジョルダン)に「憶い出の人々」および「巻末オピニオン」を連載している。
- 『言志』(ブクログ)に2012年8月の創刊号から「今号のコラム」を連載している。
- 『映画芸術』(編集プロダクション映芸)で441号(2012年10月30日発売)以降、佐高信と映画について語る対談「連続斗論」を連載している。司会は寺脇研が務めている。
雑誌の刊行
- 1994年4月、真正保守思想を標榜する月刊誌『発言者』(西部邁事務所、秀明出版会)を創刊し主幹を務めていたが2005年3月、財政上の理由により廃刊。
- 1997年の創刊から1998年の休刊まで英文雑誌『JAPAN CURRENTS』(日本国民文化研究所)の総合監修を務める。
- 2003年7月、『北の発言』を創刊するがその後財政上の理由により廃刊。
- 2005年より『発言者』の後継誌『表現者』(ジョルダン)が刊行されており西部はその顧問を務めている。
出演
TV
- 東大辞職後はテレビ出演が多くなる。
- 一時期はテレビ朝日系列の討論番組『朝まで生テレビ!』の準レギュラーでもあった。
- 2004年12月から東京MXテレビの『談志・陳平の言いたい放だい』に出演。2005年4月、立川談志、野末陳平、吉村作治、毒蝮三太夫と「談シング5(ファイブ)」を結成。
- 2008年10月、『談志・陳平の言いたい放だい』の後番組として、西部が司会を務める『続・言いたい放だい』の放送が始まる。2009年1月より番組名を『西部邁ゼミナール〜戦後タブーをけっとばせ〜』と改題、2013年12月現在も放送中。過去の放送分も公式サイトから視聴できる。
- 2008年以降、フジテレビの番組『報道2001』に頻繁に出演し持論を展開した。
- 2009年4月4日、『西部邁・佐高信の学問のすゝめ』(朝日ニュースター)の放送が始まる。近現代史上の著名人についての持論を展開。2010年4月2日に終了。その後好評につきアンコール放送される。
- 2010年4月3日、「本」をテーマにした対談番組『西部邁・佐高信の学問のすゝめⅡ』(朝日ニュースター)の放送が始まる。
- 2011年、「映画」をテーマにした対談番組『西部邁・佐高信の学問のすゝめⅢ』(朝日ニュースター)の放送が始まる。2012年3月に終了。
映画
タイトル 監督 公開年 LEFT ALONE 井土紀州 2005年 ベオグラード1999 金子遊 2009年
著書
単著
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- テンプレート:Cite book - 吉本隆明・富岡多恵子・鶴見俊輔・長谷川慶太郎・二階堂進・松本健一・井尻千男・村上陽一郎・山崎正和・江藤淳との対談が収録されている。
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- テンプレート:Cite book - 『近代経済思想』に加筆・訂正を行ったもの。
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- テンプレート:Cite book - 『思想史の相貌』を改題したもの。
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- テンプレート:Cite book - 『私の憲法論』の改訂版。追加の文章が随処に挿入されている。
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- テンプレート:Cite book - 『西部邁の論争ふたたび』(日刊工業新聞社、1999)から再編集。
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共著
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- テンプレート:Cite book - 西部邁「東南アジア諸国の経済発展」が収録されている。
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一部執筆/インタビュー書籍
- 「技術進歩の諸問題」、テンプレート:Cite book
- 「社会学的基礎 経済体制の原型を求めて」、テンプレート:Cite book
- 「異端の経済学――ケインズとハイエク」、テンプレート:Cite book
- 「知識人と大衆」、テンプレート:Cite book
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- 西部邁 述「世界の思想の連峰を眺めると、保守思想の尾根なのです」、テンプレート:Cite book
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- 「列島人の愚行、錯誤そして自殺」、テンプレート:Cite book
翻訳
音声・動画作品
脚注
関連項目
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外部リンク
テンプレート:社会哲学と政治哲学- ↑ 『そろそろ子供と「本当の話」をしよう』ベストブック、2012年、46および103頁
- ↑ 『妻と僕』(飛鳥新社、2008年)の巻末に西部の詳細な経歴が掲載されている。また西部は『寓喩としての人生』(徳間書店、1998年)という自伝を公表している。
- ↑ 『生まじめな戯れ 価値相対主義との闘い』 筑摩書房、1984年7月
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 『どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由』幻戯書房、2013年、108頁
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 『寓喩としての人生』175 - 177頁。『妻と僕』61 - 63頁。
- ↑ 10.0 10.1 『週刊新潮』8月27日号 54-55項
- ↑ 西部邁「レストランの地主となって」『文藝春秋』平成14年6月号
- ↑ テンプレート:Cite journal
- ↑ 『表現者』2013年5月号、131頁。
- ↑ 「首相動静 2013年4月22日」『時事通信』
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 西部邁、栗本慎一郎『立ち腐れる日本』光文社、1991年、225頁。
- ↑ 『日本の保守思想』(ハルキ文庫)などを参照。
- ↑ のちに『表現者』塾に改名。
- ↑ 『あえて暴力団排除に反対する』同時代社、2012年、55頁
- ↑ 西部邁・小林よしのり『アホ腰抜けビョーキの親米保守』飛鳥新社、2003年などを参照。
- ↑ 「「半神半人」の仮構でなる天皇制度」産経新聞、2004年7月20日。西部の天皇論には以下のものもある。
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- 「第二章 四 国体護持と象徴天皇」、「第三章 二 日本国民伝統の象徴――天皇について」ならびに「第四章 日本国憲法と「私の憲法案」 第一章 天皇」『わが憲法改正案』ビジネス社、2004年、78 - 86頁、118 - 137頁、226 - 227頁
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- 「37章 象徴の帝国――時間を統治する国家象徴」および「38章 儀式の体系――聖性への渇望は満たされることがない」『保守思想のための39章』中央公論新社〈中公文庫〉、2012年、212 - 221頁
- テンプレート:Cite book
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- テンプレート:Cite journal
- ↑ 『「文明」の宿命』NTT出版、2012年、20 - 22頁
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 吉野作造賞受賞作品一覧
- ↑ サントリー学芸賞 1984年度 社会・風俗部門 西部邁 『生まじめな戯れ』を中心として 桐島洋子(評論家)評
- ↑ 平成21年度芸術選奨 受賞者及び贈賞理由 文化庁