大潟村

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テンプレート:Infobox テンプレート:座標一覧 大潟村(おおがたむら)は、日本東北地方北西部、秋田県南秋田郡に所在する

概要

村の全域は、日本で2番目の面積を誇る湖沼であった八郎潟を干拓して造った土地であり、干拓地として日本最大である。地方自治体としては1964年昭和39年)に発足した新しい村で、既存自治体の合併や分割などを伴わない新設自治体としては日本最後である[1]男鹿市若美町の合併協議会に参加したこともあったが、単独立村を選択する。

地理

テンプレート:Multiple image

ファイル:Ogata-Haisuiro.jpg
中央幹線排水路

大潟村の行政区域面積は、中央干拓地に加え、八郎潟調整池、東部承水路、西部承水路を含み(後述)、170.05km²である[2][1]

村域の中央部に北緯40度と東経140度の交点があり、日本で10度単位の交点がある地域はここだけである。現在この交点には経緯度交会点表示塔[3]が建つ。【[[[:テンプレート:座標URL]]40_0_0.00_N_140_0_0.00_E_region:JP&title=%E7%B5%8C%E7%B7%AF%E5%BA%A6%E4%BA%A4%E4%BC%9A%E7%82%B9%E8%A1%A8%E7%A4%BA%E5%A1%94 地図]

もともと湖沼(八郎潟)であった大潟村の陸地に川は1本も無く、自然に形成された山も存在しない。 ほぼ楕円形を成す大潟村の外周は整備された八郎潟の残存水域でもって形成されており、この水域が大潟村と周辺市町村との境界になっている。大潟村と周辺市町村は直接には接しておらず、7基の橋だけで繋がっている形である。 村の南には今でも「八郎潟」の名で呼ばれることがある「八郎潟調整池(別名:八郎湖、八郎湖調整池)」が広がっており(■右の画像を参照)、その東側には東部承水路[注 1]がある。 東部承水路は村の周辺部を形作りながら北へ伸張し、真北で西部承水路と繋がっている。西部承水路は北から南西へと伸びて、南にある八郎潟調整池と繋がっている。つまり、かつての八郎潟は今、南の大きな調整池と村周辺を巡る水域という形で残存しているということである(自然地形としては残っていない)。

これとは別に村の内側は、灌漑用水路排水路が整備されている。また、自然に形成された山が無い大潟村では1990年代に村のシンボルとして築山が造成された。大潟富士がそれであり、比高は3.776mであるが、海抜ゼロメートル地帯にあるため、標高0mである。

大潟村は村域の大部分が農地であるが、生活の中心地は村域の西中央部にある一区画で、その名も「総合中心地」と呼ばれている。なかでも村役場が所在する大潟村中央を中核とするが、他の主要施設も「総合中心地」内に集中している。[注 2]

位置

地点 座標 備考
東端 [[[:テンプレート:座標URL]]40_2_24.8_N_140_4_16.4_E_region:JP&title=%E6%9D%B1%E7%AB%AF 地図] 新生大橋北の東部承水路[注 1]
北端 [[[:テンプレート:座標URL]]40_5_39.0_N_139_59_15.8_E_region:JP&title=%E5%8C%97%E7%AB%AF 地図] 西部承水路内
西端 [[[:テンプレート:座標URL]]39_57_30.6_N_139_55_20.8_E_region:JP&title=%E8%A5%BF%E7%AB%AF 地図] 西部承水路内
南端 [[[:テンプレート:座標URL]]39_55_11.2_N_140_0_56.8_E_region:JP&title=%E5%8D%97%E7%AB%AF 地図] 八郎潟調整池内

主要な地形

  • 山 :自然に形成された山は無い。
  • 河川 :自然に形成された川は無い。
  • 湖沼:八郎潟(八郎潟調整池、東部承水路[注 1]、西部承水路)

気候

アメダス大潟(大潟村大潟)観測。1979年(昭和54年)から2000年(平成12年)までの平均気温と平均降水量[4]

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 単位
気温 -0.3 0.0 2.8 8.4 13.5 18.0 21.8 23.6 19.2 13.1 7.3 2.6 10.8
降水量 83.6 62.5 71.3 86.0 92.8 97.0 135.3 161.5 159.2 142.5 144.6 131.8 1354.0 mm

極値[5]

要素 観測値 観測年月日
最高気温 38.1℃ 1978年(昭和53年)8月3日
最低気温 -19.3℃ 1988年(昭和63年)2月22日

隣接している自治体

  • 山本郡
    • 三種町 :北西から東にかけて幅広く隣接する。
  • 同郡内(南秋田郡内)
    • 八郎潟町 :南東で隣接する。
    • 五城目町 :南部に位置する八郎潟を間に挟んで、五城目町の飛地と大潟村の南東部が隣接する。
    • 井川町 :南部に位置する八郎潟を間に挟んで、南東で隣接する。
  • 潟上市 :八郎潟を間に挟んで、南で隣接する。
  • 男鹿市 :南西から北西にかけて幅広く隣接する。

大潟村内の地域

歴史

テンプレート:See also テンプレート:節stub

村名の由来

平安時代の頃「大方(おおがた)」と呼ばれていた八郎潟は、のちには「大潟」と記すように変わったと伝えられている[6][7]。村名はこれに基づき、公募によって全国から寄せられた候補の中から、1964年(昭和39年)7月22日に選定された[6][7]

減反政策

1970年(昭和45年)からの減反政策により、全財産を処分することを条件に入植した農民の中には自殺者も出現して、離農も相次ぎ、また、残留して非正規流通米を生産し続ける農家も居続ける。2009年平成21年)の民主党への政権交代後は、米粉のかたちでの生産を許容してはいるが、日本の減反政策の犠牲になったモデル地区であり続けている。

年表

  • 1957年昭和32年)4月:八郎潟干拓事業が始まる[2]
  • 1964年(昭和39年)
    • 7月22日:全国公募を基に村名を「大潟村」に決定する[6][7]
    • 10月1日:秋田県内で69番目の地方自治体として、6世帯わずか14人の人口で大潟村が発足する[6][8]
  • 1965年(昭和40年)8月:八郎潟新農村建設事業団が設立される[6][2]( - 1978年)。
  • 1966年(昭和41年)9月:県農協連大潟村総合事務所(大潟村農業協同組合の前身)が発足して、入植訓練所で業務を開始する[2]
  • 1967年(昭和42年)
    • 11月:第1次入植者56名(応募者615人)が入村する[6][2]
    • 12月:大潟村役場庁舎が完成する[6]
  • 1968年(昭和43年)
  • 1969年(昭和44年)
    • 1月29日:大潟村立大潟中学校、大潟村立大潟小学校、大潟幼稚園が合同で開校式を挙行する(ただし、中学校校舎と幼稚園園舎はまだ無く、小学校校舎が共同利用された)[6][9]
    • 7月1日:公募作品を基に村章を選定する[7][10][11]
    • 博覧会の開催に先立ち、大潟村公民館と展望塔が完成する[6]
    • 8月2日- 9月25日 :秋田農業大博覧会が開催される[6]
    • 10月:八郎潟中央干拓地水管理区が設立される[2]
    • 第3次入植者175名(応募者309人)が入村する[2]
  • 1970年(昭和45年)
    • 大潟村立大潟中学校校舎の建設が始まり、同年中に完成する[6]
    • 9月:大潟村農業協同組合が設立される[2]
    • 新規開田抑制施策・米生産調整(減反政策)が始まり、第4次入植の入植者募集を中断[2]。これ以降、大潟村民は多大な影響を受ける(→#減反政策)。
    • 第4次入植者143名(応募者389人)が入村する[2]
  • 1971年(昭和46年)4月:湖東病院(現在の湖東総合病院1974年に改称される][12])の委託診療所として、大潟村診療所が開所する。
  • 1972年(昭和47年):大潟幼稚園園舎が完成して、小学校校舎および中学校校舎の中学校・小学校・幼稚園による共同利用が終わる[6]
  • 1973年(昭和48年)
  • 1974年(昭和49年)
    • 大潟村診療所が医師常駐となる。
    • 第5次入植者120名(応募者870人)が入村する[2]
  • 1975年(昭和50年)12月:大潟村の議場が完成する[6]
  • 1976年(昭和51年)10月:大潟村の農業委員会が発足する[2]
  • 1977年(昭和52年)3月:20年に及ぶ歳月と総事業費約852億円を掛けた八郎潟の干拓事業が完了する[8][2]

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人口

テンプレート:人口統計

行政

テンプレート:節stub

歴代村長

  • 当選日について、就任と同じ年であれば年の表記は省略する。当選日に添える丸括弧の中の数字は、有権者数、選挙投票率(※当人の得票率ではない)、当選者の年齢。
  • 党籍や、政党の推薦状況については、変化が無い限り、第2期以降は表記を省く。
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
村長職務執行者[注 3]
1-6 嶋貫隆之助 1964年(昭和39年)10月1日 1976年(昭和51年) [21]
村長
1
嶋貫隆之助 1976年(昭和51年) 1978年(昭和53年) [21]
<center>2-? 宮田正馗 1978年(昭和53年)9月 2000年(平成12年)9月 [22][23]
<center>?
<center>? 黒瀬喜多 2004年(平成16年)9月4日 1期。55歳。無所属。女性。
<center>? 2004年(平成16年)9月5日 2008年(平成20年)9月4日 2期。59歳。
<center>? 高橋浩人 2008年(平成20年)9月5日 2012年(平成24年)9月4日 1期。8月24日当選(2,506人、92.18%。48歳)。無所属。
<center>? 2012年(平成24年)9月5日 (現職) 2期。8月24日無投票再選。52歳。

村役場・村民サービス施設等

村役場
  • 大潟村役場 :大潟村中央1-1に所在。

その他の村民サービス施設 [24]

  • 大潟村公民館
  • 大潟村村民体育館
  • 大潟村村民テニスコート
  • 大潟村村民野球場
  • 大潟村多目的運動広場
  • 大潟村多目的グラウンド
  • 大潟村B&G海洋センター

警察

  • 五城目警察署(本部所在地:南秋田郡五城目町字七倉178-4)の管轄区域。
    • 大潟駐在所 :大潟村字中央2-7に所在。

消防・防災・救急救命

水道事業

清掃事業

清掃
  • 八郎湖周辺クリーンセンター :男鹿市松木沢字板引沢台73に所在。事業主体は八郎湖周辺清掃事務組合。
最終処分
  • 大潟村一般廃棄物最終処分場 :大潟村中野170-1に所在。

姉妹都市・親善都市

姉妹都市等の盟約関係にある地方自治体は無い。

議決機関

議会

医療

最寄りの病院は、湖東総合病院(南秋田郡八郎潟町川崎字貝保37番地に所在)[12][27]

郵便事業

開村以来、集配局が無い村であった。村で唯一の大潟郵便局は民営化以前の無集配特定郵便局であった。現在の集配業務は男鹿市にある若美郵便局が担当している。

  • 大潟郵便局 :大潟村中央1-35に所在。

産業

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農業

金融業

金融機関は、秋田銀行大潟支店と大潟村農業協同組合があり、他には、ゆうちょ銀行の代理店業務として大潟郵便局の貯金窓口がある。村の指定金融機関は、秋田銀行となっている。

教育

交通

cf. ≪外部リンク≫ テンプレート:Cite web

鉄道路線

村域内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅は、村域外の東側を走る東日本旅客鉄道(JR東日本)奥羽本線鹿渡駅(北東方面)と八郎潟駅(南東方面)、および、八郎潟調整池の南西対岸を走るJR男鹿線船越駅天王駅(共に南西方面)である。

路線バス

2008年(平成20年)10月1日をもって、村内を走っていた秋田中央交通の路線バスが廃止されたため、同村では大潟村マイタウンバスを運行中である[19]2010年(平成22年)4月1日から「八郎潟駅湖東総合病院行き」バスについては、1回100円の運賃が必要になった[19]。また、2011年(平成23年)4月1日から村内巡回路線を含む全3路線に1回100円の運賃が必要になった[19]

道路

最寄りの高速道路秋田自動車道インターチェンジ琴丘森岳IC(北東方面から新生大橋経由で大潟村に至る)と五城目八郎潟IC(南東方面から大潟橋経由で大潟村に至る)である。また、村域を走る道路は以下のとおり。

道の駅

名所・観光スポット等

  • 大潟富士
  • ポルダー潟の湯 :温泉保養施設。泉質調査の結果、モール泉であることがテンプレート:いつ判明した[28]
  • 大潟村干拓博物館 [16]
  • 南の池公園・キャンプ場 :公園は八郎潟干拓工事の完工を記念して造られたもの。

その他

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

注釈

テンプレート:Reflist

出典

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Anchorテンプレート:Sister

外部リンク

テンプレート:Geographic Location テンプレート:Navbox

  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
  2. 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 2.17 テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 6.11 6.12 6.13 6.14 6.15 6.16 6.17 テンプレート:Cite web
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「prof..2C_official」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  8. 8.0 8.1 テンプレート:Cite web
  9. 9.0 9.1 テンプレート:Cite web
  10. 村の紋章(昭和44年7月29日 告示第1号)テンプレート:リンク切れ
  11. 図典 日本の市町村章 p40
  12. 12.0 12.1 テンプレート:Cite web
  13. テンプレート:Cite web
  14. テンプレート:Cite web
  15. テンプレート:Cite web
  16. 16.0 16.1 テンプレート:Cite web
  17. Wikinews: 韓国KBSと韓国農村公社が八郎潟を視察
  18. 『広報おおがた 2006年6月号』[1]、6-7頁。テンプレート:リンク切れ
  19. 19.0 19.1 19.2 19.3 テンプレート:Cite web
  20. テンプレート:Cite web
  21. 21.0 21.1 テンプレート:Citebook
  22. テンプレート:Citebook
  23. テンプレート:Cite web
  24. テンプレート:Cite web
  25. テンプレート:Cite web
  26. テンプレート:Cite web
  27. テンプレート:Cite web
  28. テンプレート:Cite web


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