名鉄尾西線
|} 尾西線(びさいせん)は、愛知県弥富市の弥富駅から愛知県一宮市の玉ノ井駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線。
濃尾平野の西部を縦貫している。佐屋駅 - 津島駅間は名古屋方面へ直通する列車が多数あるものの、全体的には地域輸送中心の路線であり、名鉄で最も古い路線である。
運賃計算区分はC(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)。すべての駅でmanacaなどの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。
なお、『鉄道要覧』による起点は弥富駅だが、列車運行および旅客案内、列車番号の設定においては、津島駅から弥富駅・玉ノ井駅へ向かう列車が下り、弥富駅・玉ノ井駅から津島駅へ向かう列車が上りとなっている。
目次
路線データ
弥富駅 - 玉ノ井駅間のもの。
- 路線距離(営業キロ):30.9km
- 軌間:1067mm
- 駅数:22駅(起終点駅含む)
- 複線区間:佐屋駅 - 森上駅間(ただし、森上駅から同駅のすぐ南の場内信号機までは単線である。また、津島駅場内においては、津島線の上り線から尾西線の複線が分岐する配線となっているため単線部分がある)
- 電化区間:全線電化(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 交換可能駅:森上駅、萩原駅、苅安賀駅
- 最高速度:100km/h(普通90km/h)
廃止区間
玉ノ井 - 木曽川港間(1944年休止、1959年廃止)の休止時点のもの。
運行形態
運行系統は、平日朝にそれぞれ数本ある名鉄一宮駅 - 佐屋駅・弥富駅間、および一宮駅 - 津島駅 - 須ヶ口方面(津島駅で弥富発の列車と併結)の直通列車をのぞいて弥富駅 - 津島駅間、津島駅 - 名鉄一宮駅間、名鉄一宮駅 - 玉ノ井駅間の3つに分かれている。正式名称ではないが、地元では名鉄一宮駅 - 玉ノ井駅間を玉ノ井線と呼ぶことがある。奥町 - 玉ノ井間が休止中だった時期には奥町線とも呼ばれた[1]。
弥富駅 - 津島駅間
津島線と直通運転が行われており、佐屋駅 - 津島駅間のみ優等列車(特急・急行・準急)が走っているが線内は全列車が各駅に停車する。最大編成は佐屋までが8両(ただし日比野駅はホームが6両分のため8両編成では後ろ2両のドアを開けない)、それより先は6両(ただし五ノ三駅はホームが4両分のため6両編成は後ろ2両のドアを開けない)。途中駅は佐屋駅のみ有人駅。また、弥富駅が東海旅客鉄道(JR東海)への業務委託駅である。運行形態に関しては「津島線の運行形態」を参照のこと。6000系列や3000系列による4両が多い。かつては1800系や7700系なども走っていた。また佐屋駅 - 津島駅間に走っていた特急は2008年6月29日のダイヤ改正で廃止されたが、2008年12月27日のダイヤ改正後には、平日の夕方に佐屋行きが4本運転される(折り返しは名古屋方面へ回送)。平日の日中を除いた基本的な運転サイクルは津島線と同じで、吉良吉田駅→(急行(一部新安城駅まで準急)→神宮前駅から準急→須ヶ口駅から普通)佐屋駅→(普通)→須ヶ口駅→(普通)→弥富駅→(普通→名鉄名古屋駅から準急)→豊明駅→(準急→神宮前駅から普通)佐屋駅→(準急→名鉄名古屋駅から急行(一部新安城駅から準急))→吉良吉田駅の順である。
まとめると、1時間あたり弥富駅 - 佐屋駅間は普通のみ2本、佐屋駅 - 津島駅間は準急と普通が合計6本走っているということになる。休日夜間には吉良吉田発弥富行き、朝には弥富発吉良吉田行きも存在する。後者は弥富駅を普通として発車し佐屋駅から準急に変わる。平日の昼間は豊明駅発着の列車が運転されず、上下線とも普通列車が毎時4本ずつ(吉良吉田駅 - 弥富駅の列車と須ヶ口駅 - 佐屋駅の列車が各2本。吉良吉田駅発着の列車は神宮前駅(上りは名鉄名古屋駅)以東は急行に変わる)走るだけとなっている。
津島駅 - 名鉄一宮駅間
普通のみで毎時4本。4両まで入線可能。平日の一部列車をのぞいてワンマン運転を行っている。途中駅は森上駅のみ有人駅である(萩原駅は駅集中管理システム導入時に無人化)。現在は弥富方面への直通運転はないが、平日3本のみ名鉄一宮駅 - 津島駅 - 名古屋方面への直通運転がある(すべて、津島駅で弥富発の列車と併結する)が、過去には津島駅、森上駅、名鉄一宮駅から名古屋方面への直通列車が運転されていた。1968年には新名古屋発、津島経由特急玉ノ井行き(1969年には準急になる)や、1974年には森上発名古屋方面の特急(のちに途中六輪と丸渕のみ停車の急行になる)も運転された(現在でも方向幕には津島経由一宮のコマが存在する)。1993年から1996年には新名古屋方面から急行新岐阜・森上行き(新一宮で列車を4両切り離し、新一宮から普通。また設定当初は萩原行きだった)も僅かに存在した。その急行(普通)には3500系が使用された。また、津島駅 - 森上駅間に6両編成の列車や4両編成の記念団体列車7000系いちょう号が入線したことがある。
現在は、平日朝の一部列車をのぞき6800系ワンマン改造車の2両で運転されている。ただし、空調機故障が原因で5000系が代走したことがある。なお、名鉄一宮駅では本線とは逆向きの編成となる。これは、車両の送り込みを津島方から行うためである。名鉄一宮駅では特急岐阜行きから接続している。岐阜方面からは急行または普通からの接続が容易である。尾張津島天王祭の際には森上行きの列車が2本臨時運行される。
名鉄一宮駅 - 玉ノ井駅間(玉ノ井線)
区間内折り返し運転の普通のみで毎時2本(一部3本)。4両まで入線可能。平日朝の一部列車をのぞいてワンマン運転を行っている。途中交換可能な駅はなく、起点の名鉄一宮駅をのぞいてすべて無人駅である(駅集中管理システム導入前は奥町駅に駅員が配置されていた)。名鉄一宮駅では玉ノ井行きは中部国際空港発の特急から、一宮行きは中部国際空港行きの特急に、それぞれ数分で接続している。主に6800系ワンマン改造車の2両組成で運転され(以前は1800系・1850系や3100系で運転されていた時期もある。5700・5300系4両で、2002年までは5700・5300系と共通運用で5500系4両編成も入線していた)。日中使用する6000・6800系は津島経由で入線するため一宮駅では本線とは逆向きの編成となるが、朝・夜に使用する3000系列は本線経由で入線するため一宮でも本線と同じ向きの編成となる。また、「一宮」と「玉ノ井」の方向幕のコマは離れているため、6000系手動幕装備編成では方向幕の代わりに縦書きで「一宮 - 玉ノ井」と書かれた方向板を先頭車に掲出し方向幕を白幕にして運行することもある。 1970年代には玉ノ井発津島経由刈谷経由吉良吉田行きという列車も運行されていた。
利用状況
愛知県の統計によれば一日平均、2010年度で17,411人(1キロ当たり563人)の利用があった。
歴史
名鉄尾西線の前身は尾西鉄道である。
当時、日本各地で鉄道が輸送機関として地位を確立しつつあった明治20年代半ば頃に草津駅を起点とする私鉄、関西鉄道(現在の関西本線)は、四日市駅 - 桑名駅間を1894年7月5日に開業したのに続き、桑名駅 - 名古屋駅間の延長を計画していた。計画されたルートは弥富駅 - 名古屋駅間を結ぶ最短ルートと弥富駅 - 津島経由し名古屋駅を結ぶルートの2案だった。津島などでは関西鉄道の誘致運動が起こったが、結局、津島経由ルートはなくなり、最短ルートを採用した。その後、織物関係の原料・製品輸送や津島神社の参拝客誘致が計画され、関西鉄道の弥富駅 - 東海道本線の尾張一宮駅を結ぶ鉄道として、尾西鉄道が計画された。
開業に向け、1894年2月26日に海西郡宝地村神戸(かんど)新田(現在の弥富市神戸)の大地主14人が軽便鉄道(軌間762mmのナローゲージを使用した鉄道)として国に出願。その後、他の路線の乗り入れを理由に軌間1,067mmに修正し直し、1896年6月尾西鉄道株式会社を海東郡津島町(現在の津島市)に本社を置いて設立し建設工事を開始した。
当初、蒸気機関車の煙突から吐き出される火の粉を嫌って線路の測量に反対されることもあったが工事は進み、1898年に開業し、1914年に全通した(尾西鉄道の創業期、社長は地元の大地主が務め、株主の9割が地元の住民という地域色の強い会社だったという)。また、尾西鉄道時代に使用されていた機関車として11・12号蒸気機関車や、EL1形電気機関車などがあり、1911年(明治44年)に鉄道院から尾西鉄道に払い下げられ、1957年(昭和32年)まで使用されていた蒸気機関車12号が、現在でも博物館明治村の「なごや」駅と「とうきゃう」駅の間を連日走行している。
かつて路線は玉ノ井駅から先、木曽川河畔の木曽川橋駅まで延びていた。なお、一ノ宮駅(その後、新一宮駅に改称、現在の名鉄一宮駅) - 木曽川橋駅間は木曽川線と称していた時期がある。名岐鉄道名岐線(現在の名鉄名古屋本線)の新一宮から岐阜までが1935年に開通し、同線が全通する以前は名古屋と岐阜を結ぶ路線でもあった。当時は、名古屋側のターミナルであった柳橋駅から新一宮駅までと木曽川線を直通する急行が運転され、この乗客は終点の木曽川橋駅から木曽川対岸の笠松駅(現在の駅より南にあった。笠松駅の項目も参照)までを徒歩(のちにバス)で移動し、そこから再び鉄道で岐阜方面へと向かう、という方式がとられていた。
名鉄では1960年代から1970年代にかけて広見線、小牧線、三河線など支線の部分複線化を手がけており、当線も佐屋駅 - 森上駅間がこの時期に複線化された。なお、弥富駅 - 佐屋駅間の愛知県道40号名古屋蟹江弥富線や国道155号をまたぐ高架橋は複線に対応できるようになっており、2006年に廃止された弥富口駅も複線ホームが準備されていたが、具体的な計画がなく現在に至っている。
年表
- 1896年(明治29年)10月21日:鉄道免許状下付(官線一ノ宮停車場-関西鉄道弥富停車場間)[2]
- 1898年(明治31年)4月3日:尾西鉄道が弥富駅 - 津島駅間を開業[3]。
- 1899年(明治32年)
- 1900年(明治33年)1月24日:萩原駅 - 一ノ宮駅間が開業[6]。
- 1907年(明治40年)12月19日:日比野駅開業[7]。
- 1912年(明治45年)
- 1913年(大正2年)10月20日:鉄道免許状下付(海部郡津島町-同郡立田村間、桑名郡七取村-同郡多度村間)[10]
- 1914年(大正3年)8月4日:新一宮駅 - 木曽川橋駅間が開業[11]。
- 1915年(大正4年)5月14日:鉄道免許失効(1913年10月20日免許 海部郡津島町-同郡立田村間、桑名郡七取村-同郡多度村間 指定ノ期限内ニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)[12]
- 1918年(大正7年)5月1日:貨物線として木曽川橋駅 - 木曽川港駅間が開業し全通[13][14]。
- 1922年(大正11年)
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)10月1日:五ノ三駅・下構駅・兼平駅・渕高駅・上丸渕駅・玉野駅・二子駅・宮後駅開業[16]。
- 1925年(大正14年)8月1日:名古屋鉄道が尾西鉄道を買収[17][18]。尾西線となる。
- 1926年(大正15年)1月20日:下構駅を南津島駅に、宮後駅を西宮後駅に改称[19]
- 1928年(昭和3年)8月15日:観音寺駅開業。
- 1930年(昭和5年)1月25日:山崎駅開業。
- 1933年(昭和8年)8月1日:弥富駅 - 五ノ三駅間に弥富口駅開業。
- 1944年(昭和19年)
- 月日不明:弥富口駅・南津島駅・兼平駅・二子駅・観音寺駅・西宮後駅休止。
- 3月21日:奥町駅 - 玉ノ井駅 - 木曽川橋駅 - 木曽川港駅間が休止。
- 1946年(昭和21年)9月15日:弥富口駅営業再開。
- 1948年(昭和23年)5月12日:弥富駅 - 津島駅間の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
- 1949年(昭和24年)10月15日:二子駅営業再開。
- 1950年(昭和25年)7月22日:観音寺駅営業再開。
- 1951年(昭和26年)12月28日:奥町駅 - 玉ノ井駅間が営業再開。
- 1952年(昭和27年)12月14日:津島駅 - 玉ノ井駅間の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
- 1959年(昭和34年)
- 1967年(昭和42年)12月17日:佐屋駅 - 津島駅間が複線化。
- 1968年(昭和43年)
- 5月3日:津島駅付近高架化。
- 5月12日:新名古屋発、津島経由特急玉ノ井行き設定(新名古屋駅、須ヶ口駅、津島駅、六輪駅、丸渕駅、森上駅、萩原駅、苅安賀駅、新一宮駅、奥町駅、玉ノ井駅に停車)。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)12月25日:普通停車駅が毎時1本(時間帯によっては2時間に1本)のみの停車となっていたダイヤの改善要請があり再びダイヤ改正。一部列車をのぞきすべて普通となる。
- 1972年(昭和47年)4月1日:津島駅 - 六輪駅間が複線化。
- 1974年(昭和49年)3月17日:六輪駅 - 森上駅間が複線化。複線化に伴い森上発名古屋方面の特急設定。
- 1975年(昭和50年)9月16日:特急が急行に格下げ。
- 1983年(昭和58年)4月9日:弥富駅 - 五ノ三駅間(駅間)高架化(県道名古屋蟹江弥富線と立体交差化)。
- 1994年(平成6年)11月27日:新一宮駅の尾西線津島方面高架化。
- 1995年(平成7年)7月29日:新一宮駅 - 開明駅間が高架化。
- 1997年(平成9年)4月5日:森上駅 - 新一宮駅間を昼間30分間隔から15分間隔に増発。
- 2001年(平成13年)10月1日:津島駅 - 森上駅間を昼間30分間隔から15分間隔に増発。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)12月16日:弥富駅 - 五ノ三駅間の弥富口駅廃止。
- 2007年(平成19年)
- 8月8日:西一宮駅 - 玉ノ井駅間でトランパス導入。
- 12月14日:森上駅 - 観音寺駅間でトランパス導入。
- 2008年(平成20年)
- 2011年(平成23年)3月26日:津島駅 - 名鉄一宮駅間および、名鉄一宮駅 - 玉ノ井駅間で2両編成全列車に限りワンマン運転開始。
駅一覧
全駅が愛知県に所在。
営業中の区間
- 停車駅は2008年12月27日からのもの。
- 普通は全駅に停車(表中省略)。
- 凡例
- 停車駅 … ●:全列車停車 ▲:下り佐屋行き列車のみ停車(上り列車の運転はなし)
- 線路 … |:単線区間 ◇:単線区間の交換可能駅 ∧:これより下は複線 ∥:複線区間 ∨:これより下は単線
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 準急 | 急行 | 特急 | 接続路線 | 線路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
弥富駅 | - | 0.0 | 東海旅客鉄道:関西本線 近畿日本鉄道:名古屋線(近鉄弥富駅) |
| | 弥富市 | |||
五ノ三駅 | 2.5 | 2.5 | | | |||||
佐屋駅 | 2.1 | 4.6 | ● | ● | ▲ | ∧ | 愛西市 | |
日比野駅 | 2.0 | 6.6 | ● | ● | ▲ | ∥ | ||
津島駅 | 1.6 | 8.2 | ● | ● | ▲ | 名古屋鉄道:津島線 | ∥ | 津島市 |
町方駅 | 1.4 | 9.6 | ∥ | 愛西市 | ||||
六輪駅 | 1.5 | 11.1 | ∥ | 稲沢市 | ||||
渕高駅 | 1.3 | 12.4 | ∥ | 愛西市 | ||||
丸渕駅 | 1.0 | 13.4 | ∥ | 稲沢市 | ||||
上丸渕駅 | 1.3 | 14.7 | ∥ | |||||
森上駅 | 1.5 | 16.2 | ∨ | |||||
山崎駅 | 1.1 | 17.3 | | | |||||
玉野駅 | 1.4 | 18.7 | | | 一宮市 | ||||
萩原駅 | 1.5 | 20.2 | ◇ | |||||
二子駅 | 1.1 | 21.3 | | | |||||
苅安賀駅 | 1.2 | 22.5 | ◇ | |||||
観音寺駅 | 0.7 | 23.2 | | | |||||
名鉄一宮駅 | 2.1 | 25.3 | 名古屋鉄道:名古屋本線 東海旅客鉄道:東海道本線(尾張一宮駅) |
| | ||||
西一宮駅 | 0.7 | 26.0 | | | |||||
開明駅 | 2.1 | 28.1 | | | |||||
奥町駅 | 1.3 | 29.4 | | | |||||
玉ノ井駅 | 1.5 | 30.9 | | |
廃駅
移転・再開した駅をのぞく。廃止区間の駅は後節を参照。
- 弥富口駅(弥富駅 - 五ノ三駅間) - 2006年12月16日廃止。
- 南津島駅(日比野駅 - 津島駅間) - 1944年休止、1969年4月5日廃止。
- 西宮後駅(西一宮駅 - 開明駅間) - 1944年休止、1969年4月5日廃止。
過去の接続路線
- 名鉄一宮駅(当時は新一宮駅):名鉄起線 - 1952年12月24日廃止(新一宮駅乗り入れ廃止日)
廃止区間
玉ノ井駅 - 里小牧駅 - 木曽川橋駅 - 木曽川港駅(貨物駅)
かつてはこの区間の代替バスが存在したが、廃止されている。2007年に開設の一宮市木曽川町・北方町地域のコミュニティバスの一部区間が、この廃止区間に運行されている。
脚注
参考文献
- 清水 武「尾西鉄道の記録」その1 - 3
- 交友社『鉄道ファン』1996年11月号 - 1997年1月号 No.427 - No.429
関連項目
テンプレート:名古屋鉄道路線- ↑ 清水武・神田年浩(解説)、1999年3月、『尾西線の100年 保存版』、郷土出版社 ISBN 4-87670-118-0 p.2.
- ↑ 「私設鉄道免許状下付」『官報』1896年11月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸開業免許状下付」『官報』1898年4月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸開業免許状下付」『官報』1899年3月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸開業免許状下付」『官報』1899年7月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「運輸開業免許状下付」『官報』1900年1月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 官報では12月29日「停車場設置」『官報』1908年1月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道停車場設置」『官報』1912年2月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年3月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年10月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年8月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道免許失効」『官報』1915年5月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道貨物運輸開始」『官報』1918年7月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『鉄道院鉄道統計資料. 大正7年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 官報では9月1日「地方鉄道停留場設置」『官報』1922年9月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道駅設置並営業哩程変更」『官報』1924年10月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正14年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「鉄道譲渡」『官報』1925年7月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道駅名改称」『官報』1926年1月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)