伊豆諸島
伊豆諸島(いずしょとう)は、太平洋(フィリピン海)に連なる島々の総称。日本領。
伊豆半島の南東方向、大島(伊豆大島)から孀婦岩までの間にある100余りの島嶼からなる。最南部のベヨネース列岩、須美寿島、鳥島、孀婦岩は「豆南諸島(ずなんしょとう)」とも呼ばれる。行政区画はいずれも東京都であるが、歴史的経緯から「伊豆諸島」の名称が定着している。
現在、人が定住している島(有人島)の数は9。大島のほか、利島・新島・式根島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島・青ヶ島の8島がそれである。かつては鵜渡根島や八丈小島・鳥島にも定住者がいたが、今は無人島になっている。また、地内島・早島・大野原島・藺灘波島・ベヨネース列岩・須美寿島・孀婦岩などは有史以来の無人島である。
伊豆諸島の八丈島以北が富士箱根伊豆国立公園に属す[1]。
地理
東京から孀婦岩まで直線距離で約650kmである。最も北に位置する大島は伊豆半島の最南端である石廊崎よりも北にあり、相模湾の沖合、伊豆半島の東方沖にある島で、伊豆諸島最大の面積を持つ(天気の良い夜には伊豆半島の海岸沿いを走る車のライトも見える)。ここから南西へ利島、新島、式根島、神津島と並んでいて、銭洲まで続く。海面下も続くこの高まりは銭洲海嶺と呼ばれる。神津島の東南東40km、大島の南南東60kmほどのところに三宅島があり、三宅島の南20kmほどのところに御蔵島がある。御蔵島の南方100kmほどのところにある瓢箪型をした島が八丈島で、八丈島の南70kmほどのところに青ヶ島がある。青ヶ島が伊豆諸島における有人島の南限であり、これより南にある島(ベヨネース列岩、須美寿島、鳥島、孀婦岩など)は無人島である。
伊豆諸島は南北に長いので、気象・水産関係では北部と南部に分けて表すことがある。その場合、伊豆諸島北部は大島から神津島まで、伊豆諸島南部は三宅島から青ヶ島までを指す。さらに詳しく表すときは「伊豆諸島南部」三宅島地方などと表すこともある。
黒潮は伊豆諸島を通過する付近で幅50- 100km、流速7ノット(時速約13km)にもなる。通常は三宅島と八丈島の間を流れることが多いが、蛇行して八丈島の南や大島近海を通過することもある。
伊豆諸島の島々はいずれも火山もしくはカルデラ式海底火山の外輪山が海面より高くなったものである。特に青ヶ島は世界でも珍しく一見して判るほどの典型的な二重式火山で、火口の中に丸山という小さな火山がある。御蔵島のような古く安定した島もあるが、1983年と2000年の三宅島や1986年の大島のように活発な火山活動を繰り返している島もある。
行政区画は全島が東京都にあり、出先機関として東京都庁の下部組織である大島支庁、三宅支庁、八丈支庁が置かれている。 日本では町や村は郡の下に続くが、伊豆諸島は例外として郡が存在しない。 したがって、住所の表示では「東京都大島町」のようになるが、八丈町や三宅村では「東京都八丈島八丈町」という表記が一般的に使用されている。
各支庁の所管を以下に示す。括弧内は、それぞれの町村の区域にある主要な島である。
- 大島支庁
- 三宅支庁
- 八丈支庁
このほか、ベヨネース列岩から孀婦岩までの島嶼は青ヶ島村と八丈町との間の所属係争のため、東京都が直接管轄している。これらの無人島は日本の地方自治の最小単位である市町村にも属さない数少ない例外である。
伊豆諸島は、歴史的には駿河国、のちに伊豆国に属していたが、近代以降はその流れを汲む静岡県には属さず、東京都に属している。実際、いったんは静岡県に属してから東京府(当時)に移管されている。これは、東京の財政が静岡よりも余裕があったからという説もあるが、後述のように江戸時代から航路が江戸の方に開けていて物的・人的交流ともに江戸(東京)方がより緊密であったことが、最も大きな理由であると言われている(「#歴史」の節を参照)。明治時代に静岡県に編入された際、島民や商人を中心として東京府への帰属を嘆願する運動も起きている。
地域言語
地質
伊豆諸島はフィリピン海プレートの東縁にあり、フィリピン海プレートに太平洋プレートが沈み込む伊豆・小笠原海溝が島々の東方沖を南北に走っている。すなわち、伊豆諸島は伊豆・小笠原・マリアナ島弧と呼ばれる島弧の一部をなす。 プレートの沈み込みに伴う火成活動で火山島からなる島弧が発達した。島々を構成する岩石は伊豆大島三原山や三宅島雄山を代表に玄武岩が多いが、新島と式根島は世界的にも珍しいコーガ石を産する流紋岩であり、神津島も黒曜石を伴う流紋岩からなる。
生物相
伊豆諸島は生き物の宝庫でもあり、ミクラミヤマクワガタやオカダトカゲなどの固有種も多い。健康野菜として注目を集めているアシタバ(明日葉)は伊豆諸島が原産地といわれている。海では、イルカやクジラを見ることもでき、鳥島はアホウドリの繁殖地として知られている。
歴史
北部に関しては縄文時代から人々が暮らしていた痕跡があり、各島からは縄文遺跡が発見されている。さらに三宅島では弥生遺跡が発見されており、この時代には定住が始まっていたことが窺われる。弥生時代特有の稲作文化については、遺跡が建設された後、栄えることになる。
公家や武家、僧侶などの高貴な身分の者が流罪によって流されることが多かったため、京の都の文化や風俗が持ち込まれることも多かった。
江戸時代には、幕府の直轄地となる。物産の売買などは江戸に置いた島会所を通じて行われていたため、江戸との繋がりは強かった。
古くは伊豆五島または伊豆八島などと呼ばれていたこともあるようであるが、江戸時代の終わりまでには伊豆七島の名が定着していた。その後はこれが一般化し、伊豆諸島全体を指す言葉としてもしばしば使われている。しかし人が定住している島だけで9島を数える状況と一致しない。
略年表
- 674年 - 麻績王の子が大島に流罪。
- 680年 - 駿河国から分けるかたちで伊豆国が設けられる。
- 724年(神亀元年) - 伊豆国を遠流の地として定める。
- 1156年(保元元年) - 源為朝が大島に流罪。
- 関東管領(山内上杉家)の支配下に入る。
- 相模三浦氏の支配下に入る。
- 後北条氏の支配下に入る。
- 江戸幕府の直轄地となる。
- 1606年(慶長11年) - 宇喜多秀家が八丈島に流罪。公式には最初の八丈流人。
- 1698年(元禄11年) - 英一蝶が三宅島に流罪。
- 1709年(宝永6年) - 徳川綱吉が死去し、将軍代替わりの大赦あり。英一蝶、許されて江戸に帰還。
- 1714年(正徳4年) - 江島生島事件により、歌舞伎役者の生島新五郎が三宅島に(1742年[寛保2年]に赦免)、侍医の奥山交竹院が御蔵島に流罪。
- 1729年(享保14年) - 奥山交竹院らの尽力により、三宅島の属島扱いされてきた御蔵島が「独立」を果たす。
- 1780年(安永9年)-1785年(天明5年) - 青ヶ島で噴火。特に天明5年4月-5月の噴火では202名が八丈島からの救助により避難するも、避難に間に合わなかった132名は全員死亡したと推定される。これ以後、佐々木次郎太夫ら島民が帰還を果たす1835年(天保6年)までの50年間、青ヶ島は無人島となる。
- 1827年(文政10年) - 徳川譜代の旗本・近藤重蔵守重の長男(近藤富蔵)が、父の地所争いの相手一家7人を殺傷した罪で八丈島に流罪。これが最後の流人となった。
- 1868年(慶応4年)6月29日 (旧暦) - 韮山県に属す。
- 1869年(明治2年) - 宇喜多氏(宇喜多秀家の子孫)が赦免される。「浮田」および「喜多」の姓を名乗る末裔の一部が秀家らの墓守として現在も残留。
- 1871年12月25日(明治4年11月14日) - 廃藩置県により韮山県が再編され、足柄県に属す[2]。
- 1876年(明治9年)4月18日 - 足柄県が廃止され、静岡県に編入[3]。
- 1878年(明治11年)1月11日 - 東京府に移管される[4]。
- 1878年(明治11年)2月6日 - 静岡県から東京府へ事務引き継ぎ。
- 1880年(明治13年) - 近藤富蔵が赦免される。その後、八丈島にある一観音堂の堂守として1882年に再渡島し、1887年に83歳で没。
- 1888年(明治21年) - 玉置半右衛門が東京府から鳥島の無料拝借の許可を得、羽毛採取の目的でアホウドリの乱獲を開始する。
- 1902年(明治35年) - 鳥島で大噴火があり、玉置の人足ら当時の住民125名全員が死亡。玉置自身は家族とともに1893年に東京に移住していたため無事。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行。
- 1946年(昭和21年)1月29日 - GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令により、日本の施政権[5]が停止される。
- 1946年(昭和21年)3月22日 - GHQ によって停止されていた伊豆諸島に対する日本の施政権停止が解除される。
- 1951年(昭和26年) - 絶滅したと思われていたアホウドリが鳥島で再発見される。
- 1952年(昭和26年)4月9日 - もく星号墜落事故、乗客・乗員37名全員死亡。
- 1963年(昭和38年)8月17日 - 藤田航空(同年11月に全日空に吸収合併)のデハビランド・ヘロン1B、八丈島発羽田行きが離陸直後に八丈富士に激突、19名死亡(藤田航空機八丈富士墜落事故)。
- 1965年(昭和40年) - 群発地震により、鳥島気象観測所が閉鎖。
- 1969年(昭和44年)3月 - ライフラインをはじめとする生活条件の厳しさを理由とした八丈小島から八丈島への島民の移住が開始され、同年6月に完了。「全国初の全島民完全移住」として注目された。これ以降、八丈小島は無人島となる。その後、野ヤギ(cf.)の大繁殖が環境問題になる(経緯については別項「八丈小島#生物相」を参照のこと)。
- 1983年(昭和58年) - 三宅島・雄山の噴火により阿古地区が溶岩流に呑み込まれる。
- 1986年(昭和61年)11月15日 - 大島・三原山が噴火。この後11月21日に全島避難(約1ヶ月)。
- 1993年(平成5年) - 東京都島しょ振興公社[6]の協力のもと大島、利島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島を結ぶヘリコミューター路線「東京愛らんどシャトル」の運航を開始。
- 2000年(平成12年)9月2日 - 7月から続いていた三宅島・雄山の噴火により、全島避難。
- 2001年(平成13年)8月29日 - 八丈町が八丈小島における野ヤギの捕獲を開始。
- 2003年(平成15年)10月7日 - 午前8時27分頃、八丈島空港へ着陸姿勢に入った羽田発のエアーニッポン(ANK)821便のボーイング737(乗客乗員62名)が、八丈島東方海上にて海上自衛隊厚木基地所属のP-3C哨戒機(乗員9名)とのニアミス(最接近時の距離、わずか30m)。10月11日に ANK が国土交通省に報告。
- 2005年(平成17年)2月1日 - 15時 平成12年以来、4年5ヶ月間続いていた三宅島の避難指示が解除される。
- 2008年(平成20年)4月26日 - 噴火以来7年8ヶ月間、避難指示解除以来3年3ヶ月間途絶えていた羽田~三宅島間の航空路が再開される。
産業
テンプレート:節stub 島によって少しずつ異なるが、漁業・農業・観光が中心になっている。同じ地域に漁村と農村が共存していると考えたほうが良い島もある。 過去には鳥島においてアホウドリの捕獲や鳥糞石(グアノ)の採取も行われていた。
特産物
- くさや :多くの日本人の認識では、代名詞的に当地を代表する特産物である。
- アシタバ(明日葉) :八丈草(ハチジョウソウ)とも呼ばれる伊豆諸島原産のセリ科植物。当地の産物としてとりわけよく知られているものの一つである。
- 島寿司
- 島焼酎 :狭義の「島焼酎」[7]。地域に特産の焼酎はこの名で呼ばれ、盛んに醸造されている。島ごとに特徴が異なることから国内を中心にファンも多い。
交通
航路
主として下記の港から各島へ東海汽船等の貨客船(水中翼船ボーイング929「ジェットフォイル」。右に画像あり)による定期航路がある。季節などによっては臨時航路が設けられることがある。なお、青ヶ島の定期航路は八丈島からの連絡船のみ。伊豆諸島航路にはフェリーは一切存在しないため、車両の航送は貨物扱いでしか行えない。
航空路
- 大島・三宅島・八丈島には羽田空港との間を行き来できる空港があり、大島・三宅島へはANAウイングス (AKX) が、八丈島へはエアーニッポン (ANK) が、いずれも全日本空輸 (ANA)便として運航している。
- 大島、新島、神津島には調布飛行場(東京都調布市)との間を行き来するコミューター航空の便が新中央航空によって運航されている。
- 「東京愛らんどシャトル」という青ヶ島 ⇔ 八丈島 ⇔ 御蔵島 ⇔ 三宅島 ⇔ 大島 ⇔ 利島というように各島間を行き来するヘリコミューター(ヘリコプターによるコミューター航空)が東邦航空によって運航されている。ヘリコプターは毎朝八丈島空港から羽田空港へ向かう飛行機の第1便(ANK822便)が出発した直後に八丈島空港から青ヶ島へ向けて飛び立ち、戻ってきた後に御蔵島へ向けて再出発する。その後、各島を上記のルートで運航し、夕方に御蔵島から八丈島へ戻ってくることで1日の運航を終える。このうち青ヶ島と御蔵島へは、悪天候で船便の欠航が続いている場合などの理由で村役場からの要請があった際に、当日の定期便の前後に臨時便を運航することがある。運賃は決して安くはないが、もともと空港が無い利島・御蔵島・青ヶ島にとっては船便以外の唯一の移動手段であり、特に東京との間の直行便が無く連絡船の就航率も非常に低いという理由から、八丈島~青ヶ島間の渡航者にとっては貴重な存在となっている(利島も冬は船が欠航することが多い)。
脚注
関連項目
- 小笠原諸島
- 伊豆・小笠原海溝
- 島嶼
- 伊豆諸島を舞台とした作品は、Category:伊豆諸島を舞台とした作品を参照するか個々の島、自治体のページを参照せよ。
外部リンク
テンプレート:伊豆・小笠原諸島の島々- ↑ *環境省 富士箱根伊豆国立公園公式サイトの区域図より
- ↑ 明治4年太政官布告第594号 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- ↑ 明治9年太政官布告第53号 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- ↑ 明治11年太政官布告第1号 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- ↑ 施政権 :立法・司法・行政の三権を行使する権限をいう。
- ↑ 東京都島しょ振興公社 概要
- ↑ 広義では、日本列島の島嶼部で造られる焼酎は全て「島焼酎」。狭義では伊豆諸島のものだけを指して言う。