八丈島空港
八丈島空港(はちじょうじまくうこう、テンプレート:Lang-en-short)は、東京都八丈町(八丈島)にある地方管理空港。
概要
1927年(昭和2年)に旧海軍飛行場として誕生。戦後、1954年(昭和29年)に村営の飛行場となった。1962年(昭和37年)、滑走路1,200mで供用開始[1]。
1955年、初の定期便である青木航空(後の藤田航空、現・全日本空輸)が東京国際空港線を開設。一時期は名古屋空港にも路線があったが、1985年(昭和60年)11月に休止された。
年間利用客数は、国内196,183人(2013年度)[2]。
歴史
2000年(平成12年)よりエアーニッポンのボーイング737-400型機(愛称:アイランドドルフィン)が八丈島路線専用として就航。2機目導入以降は他路線で使用されることもあり、その際の八丈島路線はボーイング737-500型機で運航された。なお、現在の使用機材はボーイング737-400型機よりエアバスA320型機へ変更されている。
2005年(平成17年)10月より「東京国際空港線の運賃1割値下げ」を公約した八丈町長(当時)の浅沼道徳の念願が叶い、条件付で料金が往復で約4,000円引き下げられた。しかし、半年間で1万人以上の利用者増という条件付きだったがこれを達成し、2006年(平成18年)4月以降も値下げ継続となった[3]。また、同じく2005年10月には1日4往復のダイヤだった東京国際空港 - 八丈島路線(直行便)のうち、往復の各1便ずつが大島空港経由へ変更された。なおその後、2009年(平成21年)9月30日を以って大島空港と八丈島空港を結ぶ往復の各1便は運休される事となり、同年10月以降は直行便各3便のみの運航となった。
2013年2月7日官報号外第24号にて、管制保安業務及び事務所業務が2013年4月1日付で、羽田へ移管告示。これに伴い、レディオ空港からリモート空港へと移行した。
施設
路線
かつての定期就航路線
事件・事故
テンプレート:Main 1963年(昭和38年)、藤田航空のヘロン機が西山(八丈富士)に激突・墜落し、乗員乗客19名が全員死亡した(藤田航空機八丈富士墜落事故)。なお藤田航空は同年全日本空輸に吸収された。この事故は八丈島空路における2013年現在、唯一の死傷事故である。
脚注
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ 但し、燃油費高騰のため、2006年4月から片道あたり700円増となっている。
外部リンク
- 八丈島空港 - 東京都港湾局
- 八丈島空港ターミナルビル
- ANA空港情報 - 八丈島空港