京都市営地下鉄東西線
|} 東西線(とうざいせん)は、京都府宇治市の六地蔵駅から京都市右京区の太秦天神川駅までを結ぶ京都市営地下鉄の路線である。
目次
概要
京都市で2番目の市営地下鉄路線として開業した。京都市中心部と同市東南部の山科区・伏見区との通勤輸送、および滋賀県大津市との都市間輸送の一部を担う路線であり、1日平均12万人が利用している。
1997年に醍醐駅 - 二条駅間が開業し、2004年に醍醐駅から六地蔵駅まで延伸、2008年1月16日には二条駅から太秦天神川駅までが開業した。同駅からはさらに西京区の洛西付近までの延伸が予定されている。市の郊外に洛西ニュータウンが建設された際、「将来ここまで地下鉄が来る」という話を聞いて入居した人が多く、住民から延伸を望む声が強いが、京都市の財政事情が厳しいことから建設の見通しは立っていない(詳細は後述)。
六地蔵駅から山科駅までは伏見区東部・山科区を京都外環状線の地下を通って南北に走る。山科駅から蹴上駅まで山を迂回するようにカーブし、蹴上駅から太秦天神川駅までは市内中心部を三条通・御池通・押小路通の地下を通って東西に走っている。京都市中心部で東西方向に走っていることから、東西線と名付けられているが、東西方向に走っているのは全体の半分程度である。
すべての駅にホームドアが設置されている。太秦天神川駅から御陵駅では、4両編成と6両編成の両方が発着する関係で、これらの駅ではホームドアは4両部分のみの開閉も行うことが可能になっており、現にそうした運用がなされている。地下鉄でのホームドアの採用は東京メトロ南北線に次いで、当路線が日本国内2例目である。また、各駅毎にステーションカラーと呼ばれるシンボルカラーが選定されており、ホームドアのほか、駅名表示部、駅名パネル、駅務室の外壁、エレベーターの扉などがその色で統一されている。このステーションカラーは下の表のようにグラデーションしていく。
駅はすべて島式ホームで、エレベーター、エスカレーターを完備しているほか、トイレの段差をなくしたり、車いす用スペースを設けたりして、バリアフリーが心掛けられている。醍醐駅、烏丸御池駅をのぞくと、すべて改札口は1箇所である。エレベーターはほぼすべての駅で油圧式、11人乗り、点字表示、音声案内付きに統一されている。また2007年の二条駅 - 太秦天神川駅間の開通を機に駅の案内サインを一部更新し、同時に日本語・中国語・韓国語・英語の4カ国語の表示(一部の駅のみ)や、ユニバーサルデザインのピクトグラムも導入されている。
エスカレーターは駅により上りのみか、上下とも完備されている駅と2タイプあり、全駅ともセンサー式自動運転である。
路線データ
- 路線距離(営業キロ):六地蔵 - 太秦天神川間 17.5km
- 軌間:1435mm
- 駅数:17駅(起終点駅含む)
- 複線区間:全線
- 電化区間:全線電化(直流1500V・架空電車線方式)
- 閉塞方式:車内信号式(ATC、ATO)
- 最高速度:75km/h
- 総建設費:6483億円[1]
発車メロディ・列車到着アナウンス
東西線では発車メロディが導入されており、4曲すべてが京都の長い歴史を反映してか琴や鈴などを使った古風な雰囲気の曲である。 製作した櫻井音楽工房/テイチクエンタテインメントはこの実績を買われ、後にJR東日本の発車メロディ製作を担当することになる。曲名は以下の通り。
- 古都の朝靄(各駅共通・六地蔵行き)
- 醍醐寺の鶯(各駅共通・太秦天神川行き)
- 春開き(御陵駅のみ・浜大津方面からの太秦天神川/京都市役所前行き)
- 詩仙堂猪脅し(御陵駅のみ・浜大津行き)
発車メロディについて詳しくは、京都市交通局公式サイトの「ハイパー地下鉄ダイヤ」を参照のこと。これらのページではメロディを実際に聞くことができる。
運行形態
京阪電気鉄道京津線からの列車が御陵駅から太秦天神川駅まで乗り入れている。1日76往復(平日)の乗り入れ列車のうち、早朝・深夜を除いて28往復がおおむね30分間隔で太秦天神川駅まで直通し、他は途中の京都市役所前駅まで運転される[2]。交通局の車両を使用する列車は東西線内六地蔵駅 - 太秦天神川駅間の運転で、交通局車は京阪京津線へは乗り入れない。
日中のダイヤは15分間隔で運転される京津線からの直通列車を除けば、開業当初は全線で10分間隔(1時間あたり6本)だったが、2000年3月に烏丸御池駅で連絡する烏丸線と運転間隔を揃えるためもあり7分半間隔(1時間あたり8本)に増発され、これにより15分あたり東西線内列車2本・京津線直通列車1本のパターンになった。2008年1月16日の太秦天神川延伸開業後は京津線からの直通列車を含めると京都市役所前駅 - 太秦天神川駅間で昼間1時間あたり10本の運転間隔となり、烏丸線よりも本数が多くなった。
1997年までの京阪京津線が御陵駅以西で地上を走っていた時期は、下記のような所要時間であった。
- 京津三条駅 - 御陵駅:準急10分 普通12分
現在の地下鉄東西線の所要時間は、下記のとおりである。
- 三条京阪駅 - 御陵駅:6 - 7分
車両基地は途中の醍醐駅近くに所在するが、京津線直通列車の京都市役所前発着を除けば、途中駅始発・終着の列車はない。
利用状況
山科の外環状線沿いや醍醐地域の住民の貴重な足となっている。この地域は団地や新興住宅地が多く、京都や大阪のベッドタウンを形成しているが、人口の増加に道路整備が追い付かなかった事から各所で渋滞が慢性化している土地柄である。地下鉄開業前は、路線バス(京阪バス・京都市バス)や一部路面区間を抱える京阪京津線ぐらいしかなく時間の読めないことが多かったが、地下鉄開業により大幅にアクセスが改善された。
なお、交通局の合理化政策の一環として、開業に合わせて、1997年に同地区の市バスはすべて京阪バスに移管され、市バスは事実上撤退した。従来からJR山科駅を起点とした外環状線沿いから山科地区を経由し醍醐地域に路線バスを走らせていた京阪バスは、移管・地下鉄開業にあわせて大幅に路線を変更した。現在、この京阪バスは、三条京阪・四条河原町 - 山科駅、三条京阪・四条河原町 - 椥辻駅・小野駅(五条通(国道1号)または三条通経由)、山科駅 - 六地蔵駅などで、東西線と競合する路線を走らせている。上記3区間ではいずれも地下鉄東西線より安い運賃であることや、繁華街である四条河原町に乗り入れていることで、東西線の有力な競争相手となっている。
地下鉄東西線の開業にともなうバス路線再編成により、醍醐地域ではバス交通に不便が感じられるようになった。そこで、2003年には、地域の住民が主体となる醍醐コミュニティバスが設立され、地下鉄東西線と地域とをきめ細かく結んだ。
また山科駅での乗り換えでJR東海道本線(琵琶湖線)・湖西線、京阪京津線を経由して滋賀県方面や、二条駅で乗り換え、JR山陰本線(嵯峨野線)経由で京都府南丹方面から京都市中心部に流入する利用も多く、六地蔵駅で京阪宇治線やJR奈良線乗り換えで宇治・奈良方面への流動も見られる。
沿線には平安神宮・南禅寺・二条城といった観光地が近傍にあるが、現在の段階では観光客利用はそれ程多くない。太秦天神川駅への延伸開業後の2008年3月28日に京福電鉄嵐山本線にも乗り換え駅として嵐電天神川駅が新設され、二条駅でのJR嵯峨野線に続いて嵐山方面との接続ルートが形成されたことから、利用が増加することが見込まれている。
車両
すべて電車である。
自局車両
乗り入れ車両
歴史
建設までの経緯
戦後、京都市交通局は京都市電の新たな計画青写真として六地蔵 - 醍醐 - 山科 - 蹴上から御池通を縦断する路線(高架式も考えられた)を検討したが、やがてモータリゼーションの進展により計画は頓挫する。しかし、その計画は地下鉄路線として新たに練り直されることとなった。
東西線沿線は、著しい人口の伸びに周辺の道路整備が追い付かず渋滞が深刻化していた京都市東部地域(山科区・伏見区東部)と都心部をつなぐための交通機関として1965年頃から計画が進められ、1969年の市議会で建設が正式に決定した。1975年頃にまず醍醐 - 二条間の建設を行うことが決定された。
しかし、その時計画されたルートのうち、御陵駅 - 三条京阪駅間は京阪京津線が地上を走っており、この競合が問題となった。併設については、過当競争を招く恐れがあったほか、この区間の地下鉄を公営地下鉄方式で建設し、そこに京津線が乗り入れることは民営鉄道である京津線の改良を公営方式で行うことになるために、不適当とされた。
協議の結果、京都市と京阪電気鉄道で第三セクター会社を設立し、そこが第三種鉄道事業者の免許を取得した上で、京都市が第二種鉄道事業者の免許を取得してその区間の列車運行を行うことに決まった。こうしてできたのが京都高速鉄道株式会社である。1988年に発足し、社長には当時の京都市長今川正彦が就任した。こうして、京都高速鉄道が日本鉄道建設公団方式で地下鉄を新設し、乗り入れに伴って京阪京津線の地上区間は廃止されることとなった。
当初は平安建都1200年にあたる1994年の開業を予定していた。しかし、京都の市街地の多くの地下には埋蔵文化財が存在するため、その場所に開削工法による地下鉄工事を行う際には、文化財保護法によって事前の発掘調査が義務づけられており、それにかかわる経費と期間を予定しておく必要があった。シールド工法による工事の場合にはこの問題は発生しないが、京都市は工事の直接経費の節減を優先し、また地上の道路整備も同時に行うために、史跡の「旧二条離宮(二条城)」の区域に入っていた押小路通を中心に、工区のうちかなりの部分を開削工法で掘削することとした。東海道新幹線や鴨川を潜るなどかなりの難工事であったが、こうした経緯を経て、1997年に醍醐駅 - 二条駅間が開業。京阪京津線が御陵駅 - 京都市役所前駅間に乗り入れを開始した。
二条駅までの開業の際、京阪京津線の乗り入れが当初予定していた三条京阪ではなく、その次の京都市役所前までだった理由は、三条京阪駅西側はすぐ急カーブとなっている上、直上に鴨川が流れているため折り返し線設置には向いておらず、同駅付近では折り返し運転をするのに必要な空間が確保できなかったためである。
一方、二条駅まで乗り入れなかったのは、京都市交通局にとって車両使用料がかさむこと(相互乗り入れではなく、京阪車両の東西線への片乗り入れのため、乗り入れ車両の延べ走行距離に応じた車両使用料を、京都市交通局が京阪電気鉄道に支払わなければならない)、地上側の電力設備の増強が必要なこと、輸送力が過剰になること(二条 - 京都市役所前間を増発する必要性に乏しい)などが理由である。その結果、京都市役所前駅の西隣にある烏丸御池駅での烏丸線との接続に問題が生じる結果を招き、「たった1駅の差で足止めされる」との烏丸線乗換客からの不平不満の声もあった。
1999年には京都商工会議所から二条駅まで京津線乗り入れ区間の延長要望が出され[3]、先述のとおり、2008年1月16日の太秦天神川までの延伸開業に併せて太秦天神川駅に変電所を新設し、京阪京津線列車の乗り入れ区間を同駅まで延長することになった。しかし、諸事情により乗り入れ列車全体の1/3程度の本数に留まっている(昼間時は2本に1本の割合)。
1997年の開業時(京阪京津線の地上区間廃止時)に九条山駅と日ノ岡駅が廃止された。日ノ岡駅が御陵駅に統合される形で残ったのとは違い、代替駅の建設予定がなかった九条山駅周辺住民からは地下鉄駅設置の要望が出ていたが、難工事が予想された上に利用者が余り見込めないことから、計画段階当初より代替駅を建設する意思はなかった。要望に対しては「バスを増設することによって対処する」との非現実的な返答(渋滞解消のための地下鉄建設であり、重複路線にバスを増設するはずがない)があったがそれもその場しのぎの逃げ口上であり、結局は空手形に終わった。2007年10月現在九条山バス停(九条山駅とほぼ同一場所)から三条京阪方面や山科駅方面には京阪バスが走っているが、日中の三条京阪行きのバスは1時間に1 - 2本であり[4]、1時間に4本の停車列車があった京阪京津線時代に比べて大幅に削減されている。
京都市営地下鉄東西線と京阪電気鉄道京津線
京都市営地下鉄東西線の建設は、1971年(昭和46年)の都市交通審議会の答申で具体化したが、山科 - 三条間のルートが当時営業していた京阪京津線の京阪山科駅 - 三条駅間と競合するため、京都市と京阪電気鉄道との間で協議が必要となった。その協議の場において京都市側は、山科から現ルートよりも北側を山岳トンネルで貫いて京都市都心部へ直行する案を提示したが、京阪電気鉄道側は両線が競合するほどの輸送量は無いとしてこれに反対し、京阪電気鉄道が京津線の京阪山科駅 - 三条駅間を廃止し、京都市営地下鉄東西線へ乗り入れることで決着した。その後、東西線の山科付近のルートの都合(京津線とほぼ直角に交差)により、浜大津方面から京津線の山科での乗り入れは物理的に不可能となり、京津線と東西線との接続駅として、三条通を走る日ノ岡 - 御陵間に地下鉄御陵駅を新設し、ここに京津線の御陵駅を移設・地下化することに決まった。
京都市営地下鉄東西線の建設主体は、醍醐駅 - 御陵駅間6.3kmと三条京阪駅 - 二条駅間3.3kmの計9.4kmは京都市の施工、京阪京津線の置き換え区間となる御陵駅 - 三条京阪駅間3.3kmは京都市・京阪電気鉄道などが出資する第三セクター京都高速鉄道を設立して日本鉄道建設公団(現在の鉄道建設・運輸施設整備支援機構)の施工となった。そして鉄道施設の完成後、京都高速鉄道が日本鉄道建設公団から(建設費など約959億円[5]を)25年間の分割払いで鉄道施設を譲り受けて京都市交通局に貸与し、京都市交通局が醍醐駅 - 二条駅間を一体的に運営することになった。
京阪京津線 | ||||||||
京阪車両運転区間 | ||||||||
運送者 | 太秦天神川 | 京都市交通局 (第一種) |
三条京阪 | 京都市交通局 (第二種) |
御陵 | 京阪電気鉄道 (第一種) |
浜大津 | 運送者 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
施設保有者 | ||||||||
施設保有者 | 京都高速鉄道 (第三種) |
|||||||
京都市交通局 (第一種) |
六地蔵 | 運送者 | ||||||
施設保有者 | ||||||||
地下鉄東西線 / 交通局車両運転区間 |
- 御陵 - 太秦天神川間は京阪電気鉄道所属車両も運行されるが、京阪電気鉄道線から京都市営地下鉄線への乗り入れ(直通運転)であり、京阪電気鉄道が第二種鉄道事業(他人の線路を借り受けて運送)をしているわけではない。交通局から京阪へ車両使用料が発生する。
- 京都市交通局所属車両は京阪電気鉄道線に乗り入れない。
- 三条京阪駅 - 御陵駅間は、京都高速鉄道が所有し、京都市交通局が借り受けて旅客運送(第二種鉄道事業)を行う。市交通局から京都高速鉄道へ線路使用料が発生する。
- 2009年度からは太秦天神川駅 - 六地蔵駅間全線を市が所有(第一種鉄道事業者)。
- 京阪車の直通運転の形態は変わらない。
京都高速鉄道の解散
前述の通り、東西線は慢性的な赤字を抱えている。そのため、京都市交通局は2008年5月12日に、2008年度中に京都高速鉄道を解散し、2009年度より京都高速鉄道保有区間(三条京阪駅 - 御陵駅間)を含めて東西線全線を市が直接経営する(施設保有と運送の両方を行う第一種鉄道事業化)方針を決定した[6]。
これは、京都市交通局が京都高速鉄道に建設費返済の財源として年間55億円の線路使用料を支払っている[7]が、当初の借入金が高金利であること、人件費など会社の経費もかさむことなどが、地下鉄の経営悪化の要因となっているため、2005年に創設された国の公営地下鉄の支援策(地下鉄事業における資本費平準化債)の適用を受けることとしたが、直営ではない区間は適用されないためである[8][9][10]。
年表
- 1997年(平成9年)10月12日:醍醐駅 - 二条駅間が開業。京阪京津線が浜大津駅から御陵駅を経て京都市役所前まで乗り入れを開始。
- 2000年(平成12年)3月15日:昼間の全線通しの列車本数を、毎時6本から8本に増発。
- 2004年(平成16年)11月26日:六地蔵駅 - 醍醐駅間が延伸開業。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)4月1日:京都高速鉄道が第三種鉄道事業者として保有していた御陵駅 - 三条京阪駅間が京都市交通局に譲渡され、全区間において同局が第一種鉄道事業者となる。
- 2013年(平成25年)
現状と今後
防災対策
2013年9月16日の台風18号による御陵駅の冠水により19日夜まで烏丸御池駅 - 小野駅間で運休した。これは折り返し用渡り線が烏丸御池駅東側と小野駅の醍醐車庫への出入庫線にしかなかったためで、浸水していなかった烏丸御池駅 - 蹴上駅間・山科駅 - 小野駅間も運休となった。御陵駅の水害は近くを流れる安祥寺川が豪雨で溢れ京阪京津線の乗り入れ口から大量の水(推計15600トン)が流入、地下30mにあるポンプ室の毎分1.5トンの排水能力を超え床面から7mにある電源装置が水に浸って停止したことによる。この対策として、安祥寺川に水位計の設置、電源設備を地上もしくは冠水しない所へ移設・予備電源を用意する。京津線の乗り入れ口には京阪電鉄が止水扉を設置するとしている[14]。
西部への延伸構想
テンプレート:出典の明記 東西線は西京区の洛西方面および長岡京市までの延伸が構想として存在する[15]が、太秦天神川までの延伸に留まり、その後の延伸の具体的展望は描かれていない。
その背景には、
- 地下鉄の建設費が高額。
- 京都市の財政事情が芳しくない。
- 洛西ニュータウンに至るまでの梅津・上桂地域などの沿線人口がそれほど多くない上に、阪急京都線と競合する。
- 洛西ニュータウン自体の人口が横ばいあるいは減少傾向。
- 阪急桂駅以外に、阪急洛西口駅やJR桂川駅が設置されたため、交通の不便さがある程度解消されてきた。
などが挙げられる。
2002年の地下鉄天神川(当時の仮称)延伸起工式で、当時の桝本頼兼京都市長は、洛西への地下鉄延伸につき「私の悲願」と表現している。また京都市の公式サイト上にも「(地下鉄は)洛西ニュータウンまでの整備を目指すが、財政状況を考慮し、まずは段階的に二条 - 天神川間から整備する」と表現している。
携帯電話のエリア化
2014年8月現在、東西線は日本全国の公営地下鉄としては珍しく、駅を除くトンネル内で全てのキャリアの携帯電話の電波の圏外となっており、走行中の列車内でのメールやインターネットの使用ができない。京都市営地下鉄の路線でも烏丸線は2013年に全区間のエリア整備が完了している。
駅一覧
駅番号 | 駅名 | 駅間 キロ |
営業 キロ |
1日平均 乗降客数 (2012年度)[17] |
ステーション カラー |
接続路線 | 所在地 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
T01 | 六地蔵駅 | - | 0.0 | 11,974 | 勿忘草色 | 西日本旅客鉄道:奈良線 京阪電気鉄道:宇治線 |
宇治市 | ||
T02 | 石田駅 | 1.1 | 1.1 | 6,330 | 藍白 | 京都市 | 伏見区 | ||
T03 | 醍醐駅 | 1.3 | 2.4 | 12,351 | 桜色 | ||||
T04 | 小野駅 | 1.2 | 3.6 | 6,344 | 紅梅色 | 山科区 | |||
T05 | 椥辻駅 | 1.3 | 4.9 | 14,413 | 秋桜色 | ||||
T06 | 東野駅 | 1.0 | 5.9 | 10,392 | 藤色 | ||||
T07 | 山科駅 | 1.1 | 7.0 | 41,028 | 藤紫 | 西日本旅客鉄道:東海道本線(琵琶湖線)・湖西線 京阪電気鉄道:京津線(京阪山科駅) | |||
T08 | 御陵駅 | 1.7 | 8.7 | [* 1] 14,971 | 桔梗色 | 京阪電気鉄道:京津線(直通) | |||
T09 | 蹴上駅 | 1.8 | 10.5 | 9,191 | 菫色 | 東山区 | |||
T10 | 東山駅 | 1.0 | 11.5 | 16,023 | 菖蒲色 | ||||
T11 | 三条京阪駅 | 0.6 | 12.1 | 23,880 | 牡丹色 | 京阪電気鉄道:京阪本線・鴨東線(三条駅) | |||
T12 | 京都市役所前駅 | 0.5 | 12.6 | 23,042 | 韓紅 | 中京区 | |||
T13 | 烏丸御池駅 | 0.9 | 13.5 | [* 2] 39,600 | 朱色 | 京都市営地下鉄:■ 烏丸線(K08) | |||
T14 | 二条城前駅 | 0.8 | 14.3 | 7,480 | 柿色 | ||||
T15 | 二条駅 | 0.8 | 15.1 | 17,033 | 山吹色 | 西日本旅客鉄道:山陰本線(嵯峨野線) | |||
T16 | 西大路御池駅 | 1.1 | 16.2 | 9,879 | 向日葵色 | ||||
T17 | 太秦天神川駅 | 1.3 | 17.5 | 13,310 | 檸檬色 | 京福電気鉄道:嵐山本線(嵐電天神川駅) | 右京区 |
脚注
参考文献
- 『京都市営地下鉄東西線建設記録』二条・醍醐間(1998年)、醍醐・六地蔵間(2005年)、太秦天神川・二条間(2008年)
- テンプレート:Cite book
関連項目
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