森本敏
テンプレート:政治家 森本 敏(もりもと さとし、1941年(昭和16年)3月15日 - )は、日本の国際政治学者、航空自衛官、外交官。拓殖大学特任教授、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)運営委員、防衛法学会顧問。元防衛大臣(第11代)。東京都出身。
来歴
東京府東京市(現東京都)に生まれ、大阪府豊中市で育つ。豊中市立第六中学校、大阪府立豊中高等学校、防衛大学校本科(電気工学専攻、第9期生)卒業。1965年、航空自衛隊入隊。1977年から外務省アメリカ局(現北米局)安全保障課に出向。1979年に航空自衛隊を除隊し、正式に外務省入省。航空自衛官退官時の階級は3等空佐。1980年、タフツ大学フレッチャー法律外交大学院修士課程を修了する。その後在ナイジェリア日本国大使館参事官、情報調査局企画課安全保障政策室長、外務大臣官房領事移住部領事移住政策課長等を経て、1992年に外務省を退官。その後は野村総合研究所主席研究員(1992年-2001年)を務める傍ら、慶應義塾大学や中央大学、政策研究大学院大学、聖心女子大学、東洋大学等で教鞭を執る。2000年、拓殖大学国際学部教授に着任し、2005年から拓殖大学海外事情研究所所長 兼 大学院教授を務める。2013年に拓殖大学を定年退職し、同特任教授(非常勤)を務める。日本国際フォーラム参与[1]、研究員[2]。
2009年8月、麻生内閣の要請を受け浜田靖一防衛大臣の下、初代防衛大臣補佐官に就任したが、同月30日投開票の第45回衆議院議員総選挙で自由民主党が大敗し、鳩山由紀夫内閣の発足に伴い短期間で退任した。
民間人初の防衛大臣
2012年6月、野田第2次改造内閣で、参議院で問責決議が可決されていた田中直紀の後任の防衛大臣に任命され初入閣を果たした。民間人の国防担当閣僚の就任は、前身の防衛庁時代を含めても初(それ以前の警察予備隊・保安庁時代まで含めれば、初代保安庁長官の木村篤太郎は就任後約半年間は民間人閣僚だった[3])。森本の防衛相起用について自民党の石破茂らは「森本先生は第一人者。人格も立派」など一定の評価をしたが、民主党の鳩山由紀夫元首相をはじめ与野党の国会議員や沖縄県は懸念を表明していた。共同通信社が2012年6月4日、5日に行った内閣改造に関する世論調査によれば、森本の防衛相就任を「評価する」は60.5%、「評価しない」は21.1%であった。同年10月に発足した野田第3次改造内閣でも留任したが、12月26日、野田内閣の総辞職に伴い防衛大臣を退任。防衛相就任以前から強い関心を示していた普天間基地移設問題においては大きな進捗が見られなかったものの、既に活動が形骸化していた自衛隊ハイチPKO派遣及び治安悪化から隊員の安全確保を最優先させるべく自衛隊ゴラン高原派遣の終結命令を発令、退任直前に発生した北朝鮮によるミサイル発射に際しては迅速な対応を行い、高い評価を得た。
人物
- 航空自衛官としての経験を持ち、安全保障を専門とする国際政治学者として政府の有識者会議、審議会等に数多く参加している。小泉純一郎首相の下で有事法制、国民保護法が制定された際は「都道府県国民保護計画」の策定に大きな役割を果たした。
- 集団的自衛権は合憲であり、行使を容認する立場を取る。
- 2003年2月に「イラク問題について米国の立場と行動を支持する声明」を産経新聞紙上で発表し、イラク戦争を肯定的に評価する等、親米保守の代表的な識者と見なされがちであるが、後に「自由と民主主義」を大義名分とし、それを武力によって導入しようとイラク戦争へ突き進んでいったジョージ・W・ブッシュアメリカ合衆国大統領について「アメリカは気が狂れているのではないか」との批判を行った(イラク日本人人質事件の際には自己責任論を説いた)。
- 2006年自由民主党総裁選挙では、ポスト小泉に相応しい候補者に内閣官房長官の安倍晋三ではなく、安倍に比べハト派・リベラル寄りの福田康夫を挙げる等、他の保守派からは一線を画した(福田は立候補せず、安倍が当選)。
- 2008年10月からまぐまぐより自身のメールマガジン(有料)を発行。2011年7月に公式Facebookページを開設した。
- 2012年10月、日本メガネベストドレッサー賞を受賞した。
発言・主張
- 2012年8月に韓国の李明博大統領が竹島を訪問したことに対し野田首相、玄葉外相が強い不快感を示す一方で、森本は「内政上の要請」と発言。これが複数の野党からの批判を買うことになり、国民新党の下地幹郎幹事長は辞任を、自民党の中曽根弘文は野田首相に対し罷免を要求。同党の谷垣禎一総裁は「真実ならば問責に値する」記者団の取材に対し発言し、問責決議案を提出する方向で検討に入ったが、第180回国会中の提出はなされなかった[4]。
- 日本のTPP参加の是非について、日本のTPP参加は「日米同盟の選択」を意味するとして、日米同盟を堅持するならば参加しない選択肢は無いとの見解を述べた[5]。
著書
単著
- 『「極東有事」で日本は何ができるのか――ガイドラインと有事法制』(PHP研究所、1999年)ISBN 978-4569604688
- 『安全保障論――21世紀世界の危機管理』(PHP研究所、2000年)ISBN 978-4569611051
- 『森本敏の眼――日本の防衛と安全保障政策』(グラフ社、2005年)ISBN 978-4766208740
- 『米軍再編と在日米軍』(文藝春秋[文春新書]、2006年)ISBN 978-4166605286
- 『日本防衛再考論――自分の国を守るということ』(海竜社、2008年)ISBN 978-4759309942
- 『普天間の謎―基地返還問題迷走15年の総て』(海竜社、2010年)
- 『日本の瀬戸際―東アジア最大の危機に日本は生き残れるか』(実業之日本社、2011年)ISBN 978-4408108827
- 『オスプレイの謎。その真実』(海竜社、2013年)ISBN 978-4759313222
共著
- (江畑謙介・田中明彦・山内昌之ほか) 『二十一世紀型の戦争――テロリストの恐怖。日本は大丈夫か?』(角川書店、2001年)ISBN 978-4048837132
- (宮田律・立山良司)『「新しい戦争」を知るための60のQ&A』(新潮社, 2001年)ISBN 978-4104497010
- (浜谷英博)『有事法制――私たちの安全はだれが守るのか』(PHP研究所[PHP新書]、2003年)ISBN 978-4569626505
- (浜谷英博)『早わかり国民保護法』(PHP研究所[PHP新書]、2005年)ISBN 978-4569642642
- (石破茂・長島昭久)『国防の論点』(PHP研究所、2007年)ISBN 978-4569659558
- (岡本行夫)『日米同盟の危機――日本は孤立を回避できるか』(ビジネス社、2007年)ISBN 978-4828413457
- (石破茂・西修)『国防軍とは何か』(幻冬舎ルネッサンス、2013年)ISBN 978-4779060809
編著
- 『ミサイル防衛――新しい国際安全保障の構図』(日本国際問題研究所、2002年)ISBN 978-4819303323
- 『アジア太平洋の多国間安全保障』(日本国際問題研究所、2003年)ISBN 978-4819303057
- 『イラク戦争と自衛隊派遣』(東洋経済新報社、2004年)ISBN 978-4492211458
- 『国民として知っておきたい日本の安全保障――湾岸戦争から防衛省昇格までの国会論議要覧』(海竜社、2007年)ISBN 978-4759310016
- 『武器輸出三原則はどうして見直されたのか』(海竜社、2014年)ISBN 978-4759313536
共編著
監修
- 『岐路に立つ日本の安全――安全保障・危機管理政策の実際と展望』(北星堂書店、2008年)ISBN 978-4590012360
- 『漂流する日米同盟――民主党政権下における日米関係』(海竜社、2010年)
出演番組
- みのもんたの朝ズバッ!(TBS)
- たかじんのそこまで言って委員会(読売テレビ)
- ウェークアップ!ぷらす(読売テレビ)
- 日曜討論(NHK)
- 情報ライブ ミヤネ屋(読売テレビ・水/木曜)
- 朝まで生テレビ!(テレビ朝日)
脚注
外部リンク
- テンプレート:Official
- テンプレート:Facebook
- 森本敏(日本財団図書館-私はこう考える(自衛隊について))
- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ 1952年10月に第4次吉田内閣で保安庁長官に就任し、翌1953年の第3回参議院議員通常選挙で初当選。
- ↑ 防衛相辞任要求、首相は擁護(時事ドットコム、2012/8/10閲覧)
- ↑ テンプレート:Cite journal