長島昭久
テンプレート:日本の国会議員 長島 昭久(ながしま あきひさ、1962年2月17日 - )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(4期)、民主党副幹事長・東京都連幹事長、日本スケート連盟副会長[1]。
防衛副大臣(野田第3次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、防衛大臣政務官(鳩山由紀夫内閣・菅内閣)等を歴任。
来歴
神奈川県横浜市生まれ(本籍地は東京都立川市)。幼稚舎から一貫して慶應義塾で学び、慶應義塾大学法学部法律学科及び政治学科を卒業し、1990年に慶大大学院法学研究科博士課程を単位取得退学。大学院博士課程在学中、自由民主党衆議院議員の石原伸晃事務所に入所し、石原の公設第一秘書を務めるかたわら、東京文化短期大学で憲法学の講義を行っていた。
1992年、大前研一が創設した平成維新の会に参加した。1993年からアメリカ合衆国テネシー州のヴァンタービルト大学客員研究員を務め、ジェームズ・アワーの指導を受けた。1995年からワシントンD.C.のジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)で学び、国際関係論で修士号を取得する。1996年、論文「安全保障のビッグバン」で第3回読売論壇新人賞の最優秀賞を受賞する。1997年、米国外交問題評議会研究員(アジア政策担当)に就任し、朝鮮半島和平構想プロジェクトに参画、リチャード・アーミテージやマイケル・グリーンらの知己を得たテンプレート:要出典。
その後、2000年に上席研究員に昇任し、ジョンズ・ホプキンス大学ライシャワー東アジア研究所の客員研究員を兼務。東京財団主任研究員として「アジアにおける米軍前方プレゼンスの将来像」研究プロジェクトを主宰し、2002年にその研究成果を著書『日米同盟の新しい設計図―変貌するアジアの米軍を見据えて』(日本評論社)として上梓した。
2000年に帰国し、同年の衆議院東京21区の補欠選挙に民主党公認で出馬したが、落選。2003年の第43回衆議院議員総選挙に東京21区から民主党公認で出馬し、初当選。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では小選挙区で敗れるも重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、再選。選挙後の代表選挙では前原誠司の推薦人に名を連ねた。新代表となった前原の下で「次の内閣」の防衛庁長官に抜擢されるとともに、安全保障委員会の野党側筆頭理事に就任、党内の安全保障政策の取りまとめにあたる。また、2003年より慶應義塾大学大学院で非常勤講師(国家安全保障政策担当)、2006年より中央大学大学院公共政策研究科で客員教授を務める。その後、前原誠司に代わり代表に就任した小沢一郎の「次の内閣」でも防衛庁長官に留任した。
2007年の第21回参議院議員通常選挙に際しては、東京都選挙区から民主党公認で当選した鈴木寛の選対事務局長を務めた。
2009年、第45回衆議院議員総選挙に東京21区から民主党公認で出馬し、前回の選挙で敗れた自民党の小川友一を破り、3選。同年9月18日、鳩山由紀夫内閣の防衛大臣政務官に就任。2010年6月8日に発足した菅内閣においても防衛大臣政務官に再任された。同年9月、菅第1次改造内閣の発足に伴い退任。その後、党の外交安全保障調査会事務局長に就任。テンプレート:要出典範囲。
2011年9月、野田内閣発足に伴い、内閣総理大臣補佐官(外交および安全保障担当)に就任。2012年10月、野田第3次改造内閣で防衛副大臣に任命された。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、民主党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、東京21区で4選。なおこの総選挙において、東京都の小選挙区で議席を獲得したのは民主党では長妻昭・長島の2人に留まった。選挙後、民主党国民運動委員長に就任。
2013年9月、民主党副幹事長に就任。同年9月13日、民主党東京都連会長・松原仁の下で都連幹事長に起用された[2]。同年3月5日、所属していた野田グループ・前原グループを退会していたことが分かった[3]。2月下旬に野田、前原と会談し、意向を伝えた[3]。長島は産経新聞の取材に「グループの掛け持ちはよくない。今後も野田、前原両氏とは連携していく」と述べたが、野党再編をにらんだ動きとの臆測を呼んでいる[3]。
人物
- 「生活者の利益に軸足を置きつつ、さらに徹底した改革を標榜する保守層へ食い込むような政策立案や運動を展開すべき」としている。党内では人権擁護法案から人権を守る会・永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会・慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会など、主に保守派の議員で構成される勉強会に参加している。
- 2014年、元行政刷新担当大臣の蓮舫ら民主党議員15人が、党首の吉田忠智を含む社会民主党議員4人との連名で、第2次安倍内閣が目指す憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認を支持しないようアメリカ大統領のバラク・オバマに求める文書を在日米大使館に提出した[4]ことについて、ツイッターで「属国でもあるまいし、嘆かわしい」と批判した[5]。
- 2011年、首相(当時)の菅直人が提案した検査停止中の玄海原子力発電所再稼動に際してのストレステスト導入に強く反発し、吉良州司ら党内保守派の中堅・若手議員11人とともに「国益を考える会」を結成[6]。同年7月13日に長島、吉良の2名が首相官邸を訪れ、内閣官房副長官(当時)の仙谷由人に対し菅内閣の即時退陣及び安全性が確認された検査済みの原発の早期再稼動を求める文書「菅総理の即時退陣を求めるの議」を提出した[7][8]。
- 保守の立場から、一貫して日本共産党・社会民主党との野党共闘に反対。2006年の沖縄県知事選挙では、民主党も含む野党統一候補となった糸数慶子が米軍基地反対派であるため「共産党と変わらない」と批判し、党執行部に対抗して糸数を批判した。糸数が落選すると「野党共闘路線は破綻した」として、教育基本法改正案などの審議拒否を止め、「面舵いっぱい」に右転換するよう主張した[9]。
- 衆議院のテロ防止特別委員会でソマリア沖の海賊対策として海上自衛隊艦艇による民間商船の護衛を首相(当時)の麻生太郎に提案。麻生が「(聴いていて)自民党の方が提案しているのかと思うくらい」と賛意を示す一方で、民主党の政策調査会長であった直嶋正行からは、自衛隊海外派遣につながるとして「どういうことなんだ」と詰め寄られた。
- 光華寮訴訟に関する国会質問が櫻井よしこの週刊新潮コラムで取り上げられた。
- アメリカから帰国後、かつて秘書として勤めていた石原伸晃に国会議員に立候補することを相談したところ、世襲議員が多い自民党よりも、国会議員になれる可能性がある民主党からの立候補を薦められ、当時石原が注目していた仙谷由人を紹介されたというテンプレート:要出典。
- 座右の銘は「命もいらず、名もいらず、官位も金も望まぬ者ほど御し難きものはなし。しかれども、この御し難き者にあらざれば、国家の大業を計るべからず」(西郷南洲遺訓)[10]。
政策・主張
- 憲法改正に賛成[11]。
- 集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すことに賛成しており[11]、前原誠司が主宰する防衛研究会に参加した[12][13]。
- 日本の核武装について検討すべきでないとしている[11]。
- 原子力規制委員会の新基準を満たした原発は再開すべきとしている[11]。
- 女性宮家の創設に反対[11]。
- 日本のTPP参加に賛成[11]。
- 第46回衆議院議員総選挙後の政権は、民主党と自由民主党の大連立が望ましいとしていた[11]。
- 永住外国人への地方選挙権付与にどちらかと言えば反対[14]。
- 「官」による福祉ではなく、NPOやボランティアなど「市民力」を活用し、官民一体で国費を節約テンプレート:要出典。
- 構造改革に賛成。議員定数を衆参で400に削減し、公務員給与を2割カットテンプレート:要出典。
- 治安維持のため、警察官を増員し、警備会社や元警察官などの協力を得て「空っぽ交番(空き交番)」を解消テンプレート:要出典。
- 少子化対策として、保育園と幼稚園を一元化し「待機児童ゼロ」を実現。小児科医を倍増させるテンプレート:要出典。
- 消費税の福祉目的税化テンプレート:要出典。
- 人権擁護法案に反対テンプレート:要出典。
- 横田飛行場(横田基地)に付随し、在日米軍が制空権を握っている「横田空域」の返還。再軍備を達成し、日米対等の同盟を結び、対等な関係を構築するテンプレート:要出典。
- 北朝鮮の拉致問題や大量破壊兵器問題などを解決するため、北朝鮮への強力な経済制裁と日朝平壌宣言の白紙化を主張。多国間協議で取り組み、アジアに「不戦の共同体」を築くテンプレート:要出典。
- インドやASEAN諸国、ロシアなどと協力し、中国に対日政策転換を迫るテンプレート:要出典。
所属団体・議員連盟
- 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(事務局次長)
- 慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会
- 永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会
- 人権擁護法案から人権を守る会
- 日華議員懇談会
- 国家基本問題研究所
- 日本会議国会議員懇談会
- 民主党拉致問題対策本部
著書
- 『日米同盟の新しい設計図 変貌するアジアの米軍を見据えて』(政策研究シリーズ) 日本評論社 2002年3月 199p ISBN 4-535-58320-X
- 第2版 2004年11月 199p ISBN 4-535-58419-2
- 『国防の論点』(共著:森本敏、石破茂)PHP研究所 2007年3月 195p</sub> ISBN 4-569-65955-1
- 『「活米」という流儀 外交と安全保障のリアリズム』 講談社 2013年10月 ISBN 978-4-06-218567-7
脚注
関連項目
外部リンク
- 長島フォーラム21(公式ホームページ)
- 長島昭久 WeBLOG 『翔ぶが如く』(公式ブログ)
- テンプレート:Twitter
- テンプレート:Facebook
- 長島昭久 旧公式ブログ
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
渡辺周
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 防衛副大臣
2012年
|style="width:30%"|次代:
江渡聡徳
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
武田良太・岸信夫
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 防衛大臣政務官
楠田大蔵と共同
2009年 - 2010年
|style="width:30%"|次代:
松本大輔・広田一
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