渡辺周
テンプレート:政治家 渡辺 周(わたなべ しゅう、1961年(昭和36年)12月11日 - )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(6期)、民主党幹事長代行。
総務副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅内閣)、民主党選挙対策委員長・国民運動委員長、防衛副大臣(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、静岡県議会議員(2期)等を歴任した。
来歴
静岡県沼津市生まれ[1]。沼津第二小学校、沼津市立第一中学校、静岡県立沼津東高等学校、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業[1]。早大卒業後、読売新聞社に入社。1990年11月、読売新聞社を退社。
1991年4月、静岡県議会議員選挙に民社党公認で出馬し、初当選。民社党解党後の1995年に無所属で再選されるが、翌1996年に2期目の任期途中で辞職。旧民主党結党に参加し、第41回衆議院議員総選挙に同党公認で静岡6区から出馬し初当選。以後、静岡6区で連続6選。2005年、小泉旋風が吹き荒れた第44回衆議院議員総選挙でも自由民主党の倉田雅年を下した。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、自民党の倉田に比例復活すら許さず、5選。選挙後の同年9月に発足した鳩山由紀夫内閣で総務副大臣に任命され、菅内閣まで務める。2010年9月の菅第1次改造内閣発足に伴い退任し、民主党選挙対策委員長に就任。2011年1月の党役員人事により選挙対策委員長を退任し、民主党国民運動委員長に就任。あわせて衆議院厚生労働委員会で筆頭理事を務める。
2011年民主党代表選挙では、前原誠司の推薦人に名を連ねるが、民主党代表には野田佳彦が選出された。同年9月、野田内閣で防衛副大臣に就任。2012年1月の野田第1次改造内閣発足に際しては、前年に参議院で問責決議が可決された防衛大臣の一川保夫の後任に名前が挙がったが、後任には田中直紀が任命され、渡辺は防衛副大臣に留任した。2012年6月に発足した野田第2次改造内閣でも、初の民間人閣僚たる防衛大臣・森本敏の下、防衛副大臣に留任した。2012年10月、野田第3次改造内閣の発足に伴い、防衛副大臣を退任した。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では民主党公認、国民新党推薦で出馬。与党に猛烈な逆風が吹き荒れたこの選挙では、静岡6区で自民党新人の勝俣孝明の猛追を受けるが、12,117票差で勝俣を下し、6選。選挙後、衆議院議院運営委員会の野党側筆頭理事に就任。2013年の第23回参議院議員通常選挙では、静岡県選出の榛葉賀津也参議院議員の選挙対策本部長を務め、榛葉は3期目の当選を果たした。
政策・主張
- 思想信条
- 民主党内では中堅・若手の保守派の代表格として知られ、民主党の有志議員連盟である慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会の会長を務める。保守色の強さから、選出選挙区である静岡6区では保守層からの支持も根強く、民主党に逆風が吹いた2005年や2012年の総選挙でも、得票数で自由民主党の候補を上回った。
- 憲法改正
- 憲法改正や、集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すことに賛成している[3]。自身が所属する凌雲会会長の前原誠司が主宰する防衛研究会に参加した[4][5]。
- 原子力発電所
- 2030年までに稼働する原子力発電所の全廃を目指す政府の方針に賛成し、停止中の原発の再稼働は認めず廃炉にすべきだと主張している[3]。
- 慰安婦問題
- 慰安婦に対する日本政府の謝罪を求めた米下院121号決議の全面撤回を求める7月13日付けのアメリカ合衆国大使館への抗議書(チャンネル桜主導)に、賛同者として名を連ねた[6]。
- 外国人参政権
- 永住外国人への地方選挙権付与に反対している。小沢一郎・鳩山由紀夫・菅直人・岡田克也・前原誠司ら、外国人参政権に賛成している党幹部、歴代党代表に対抗するため、民主党内の保守系議員約30名を集め、党内の保守派の重鎮である渡部恒三や西岡武夫、中堅・若手の保守派の代表格である松原仁・笠浩史・松野頼久らと共に永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会を結成した[7]。
- 静岡空港
- 静岡空港の建設に反対し、署名運動に名を連ねていた[8]。
- 所属グループ
- 民主党内では凌雲会(前原グループ)に所属しており、前原がかつて次の内閣でネクスト安全保障大臣であった当時、渡辺が副大臣を務めた。なお前原の父親、渡辺の父親は共に鳥取県境港市の出身である。
発言
- 東日本大震災
- 2011年3月20日の『新報道2001』(フジテレビ系)において、東北地方太平洋沖地震で福島第一原子力発電所の放射線漏れ事故のデマによる風評被害に関連して「自衛隊が到着したときには医者が避難して重篤な患者だけが取り残されている怪しからん例があった」と発言。3月17日にそのような報道があったのは事実だが、翌日に自衛隊が到着したときには院長を含むスタッフが現地にいたとの訂正報道がなされている[9]。
家族・親族
渡辺家
- (鳥取県境港市森岡町、静岡県沼津市)
- 境港市森岡町の渡辺一族について
- 父渡辺朗は鳥取県境港市森岡町の出身で民主社会党結党に参加し、衆議院議員、東海大学教授、沼津市長などを歴任した。
- 鳥取県境港市森岡町の旧家渡辺家の屋敷地に、“岩明神”と呼ばれる渡辺一族の守護神が祀られており、旧暦10月25日には一族の人々が総本家に集まって、盛大な祭りを行っている[10]。この渡辺家は、森岡開村の基を開き、代々庄屋を務めた旧家である[10]。この家に諡(おくりな)を「一翁黙心上座」という六部があり、諸国を巡って修行していたが、故郷森岡に帰って、郷土と渡辺一族の繁栄を願って即身成仏した[10]。そのお蔭で、その後、20数軒に及ぶ渡辺一族は、一軒の落後者もなく栄えており、これは「岩明神」の加護のたまものであると信じられている[10]。
略系図
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略歴
- 1961年 - 静岡県沼津市で出生。
- 1977年 - 沼津市立第一中学校卒業。
- 1980年 - 静岡県立沼津東高等学校卒業。
- 1987年 - 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。
- 1987年 - 読売新聞社入社。
- 1990年 - 読売新聞社退社。
- 1991年 - 静岡県議会議員選挙当選。
- 1995年 - 静岡県議会議員選挙当選。
- 1996年 - 第41回衆議院議員総選挙当選。
- 1997年 - 民主党労働局局長。
- 1997年 - 民主党総合エネルギープロジェクトチーム座長。
- 1998年 - 民主党広報委員会副委員長。
- 1998年 - 民主党静岡県総支部連合会代表。
- 1999年 - 民主党国会対策委員会副委員長。
- 1999年 - 民主党国民運動副委員長。
- 1999年 - 民主党災害対策部会部会長。
- 1999年 - 衆議院災害対策特別委員会理事。
- 2000年 - 第42回衆議院議員総選挙再選。
- 2000年 - 衆議院災害対策特別委員会理事。
- 2000年 - 民主党災害対策部会部会長。
- 2000年 - 民主党広報委員会宣伝局局長。
- 2000年 - 衆議院災害対策特別委員会筆頭理事。
- 2001年 - 民主党広報委員会宣伝局局長。
- 2001年 - 衆議院決算行政監視委員会理事。
- 2001年 - 衆議院安全保障委員会理事。
- 2002年 - 民主党広報宣伝委員会宣伝局局長。
- 2002年 - 衆議院安全保障委員会理事。
- 2003年 - 衆議院安全保障委員会筆頭理事。
- 2003年 - 衆議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員会理事。
- 2003年 - 民主党北朝鮮問題プロジェクトチーム事務局長。
- 2003年 - 民主党観光立国を目指すプロジェクトチーム座長。
- 2003年 - 第43回衆議院議員総選挙3選。
- 2004年 - 衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会理事。
- 2005年 - 第44回衆議院議員総選挙4選。
- 2005年 - 衆議院総務委員会筆頭理事。
- 2005年 - 民主党拉致問題対策本部事務局長。
- 2006年 - 民主党筆頭副幹事長。
- 2006年 - 衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会筆頭理事。
- 2007年 - 衆議院安全保障委員会筆頭理事。
- 2007年 - 衆議院国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会理事。
- 2007年 - 民主党税制調査会副会長。
- 2008年 - 民主党筆頭副幹事長。
- 2008年 - 衆議院議院運営委員会理事。
- 2009年 - 第45回衆議院議員総選挙5選。
- 2009年 - 総務副大臣(鳩山由紀夫内閣)。
- 2010年 - 総務副大臣(菅内閣)。
- 2010年 - 民主党選挙対策委員会委員長。
- 2011年 - 民主党国民運動委員長。
- 2011年 - 衆議院厚生労働委員会筆頭理事。
- 2011年 - 防衛副大臣(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)。
- 2012年 - 第46回衆議院議員総選挙6選。衆議院議院運営委員会理事。
- 2014年 - 民主党幹事長代行。
所属団体・議員連盟
- 慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会(会長)
- 民主党日韓議員交流委員会(幹事)
- 永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会
- 日本の領土を守るため行動する議員連盟
- 人権擁護法案から人権を守る会
- 国家主権と国益を守るために行動する議員連盟
- 民主党拉致問題対策本部(事務局長)
脚注
関連項目
外部リンク
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|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
小川勝也
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 防衛副大臣
2011年 - 2012年
|style="width:30%"|次代:
長島昭久
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
石崎岳
倉田雅年
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 総務副大臣
内藤正光と共同
2009年 - 2010年
|style="width:30%"|次代:
鈴木克昌
平岡秀夫
テンプレート:S-ppo
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
中川正春・羽田雄一郎・長妻昭・菊田真紀子
|style="width:40%; text-align:center"|民主党幹事長代行
中川正春・羽田雄一郎・長妻昭・菊田真紀子と共同
2014年 -
|style="width:30%"|次代:
(現職)
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