武田良太
テンプレート:日本の国会議員 武田 良太(たけだ りょうた、1968年4月1日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)、防衛副大臣(第2次安倍内閣)。
衆議院安全保障委員長、防衛大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)を務めた。
自由民主党政務調査会長や内閣官房長官、衆議院議員を歴任した田中六助は伯父。
来歴
福岡県田川郡赤池町(現福智町)生まれ。福岡県立小倉高等学校、早稲田大学文学部卒業。大学卒業後、亀井静香衆議院議員の秘書を経て、1993年の第40回衆議院議員総選挙に伯父・田中六助の地盤である旧福岡4区から自由民主党公認で出馬したが、最下位で落選した。1996年の第41回衆議院議員総選挙には自民党公認で福岡11区から出馬したが、新進党の山本幸三、社会民主党の中西績介に次ぐ得票数3位で落選。再び自民党公認で福岡11区に出馬した2000年の第42回衆議院議員総選挙では中西の得票を上回ったが、無所属で出馬した山本に敗れ、落選。
2003年の第43回衆議院議員総選挙では、山本が自民党に復党していたため無所属で福岡11区から出馬。自民党公認の山本を破り、初出馬から10年目にして初当選した[1]。初当選後は自民党系無所属の新人議員で院内会派「グループ改革」を結成。2004年8月に自民党入党が認められ、亀井派に所属。
2005年7月、郵政民営化法案の衆議院本会議における採決では反対票を投じた。このため、同年9月の第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、再び無所属で出馬。自民党公認候補の山本らを破り2選(山本も比例復活)。当選後、衆議院に再提出された郵政民営化法案の採決では一転して賛成票を投じた。2006年11月、復党届を自民党に提出し、12月に党紀委員会で復党が了承されて自民党に復党した(郵政造反組復党問題)。復党後は山崎派に入会。2007年、早稲田大学大学院公共経営研究科に入学し、2009年に修了。
2008年8月、福田康夫改造内閣において防衛大臣政務官に任命され、麻生内閣まで務める。2009年の第45回衆議院議員総選挙では福岡11区から出馬。なお武田の出馬に伴い、山本は比例九州ブロックでの単独立候補に回った。選挙では公明党の支援も受け[2]、3選。なお武田が自民党の公認を受けて当選したのは、この総選挙が初めてである。翌2010年、所属する山崎派を退会し、以降は無派閥で活動。
2012年の第46回衆議院議員総選挙でも福岡11区から自民党公認で出馬し、4選。なお、山本幸三は選挙区調整により福岡10区に国替えした。選挙後、衆議院安全保障委員長に就任。2013年9月、第2次安倍内閣で防衛副大臣に任命。
政策
不祥事
- 2003年の衆院選において、福岡県川崎町の区長が武田を応援するビラを町広報誌に折り込んで配ったとして、公選法違反(文書図画の領布など)の疑いで書類送検された[4]。
政治献金
- 2011年1月までカネミ油症事件の原因企業であるカネミ倉庫から政治献金を受け取った上で、同年8月に結成された[5]同事件の被害者救済制度を検討する議員連盟に発起人として加わっていた。武田側は「同社は伯父の田中六助時代からの支援者で、武田は後継者として支援を受けていた。議員連盟に参加するにあたって献金は全額返金した」と釈明した[6]。
人物
- 衆議院議員2期目在職中の2007年7月、妻が心筋梗塞で入院。2ヶ月にわたる闘病の末、肺炎のため35歳で死去した。娘が1人おり、以後は父子家庭であるテンプレート:要出典。
所属団体・議員連盟
- 創生「日本」
- 価値観外交を推進する議員の会
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
- 平和を願い真の国益を考え靖国神社参拝を支持する若手国会議員の会
- のぞみ
- 日本会議国会議員懇談会
- 日朝国交正常化推進議員連盟
- 日韓議員連盟
- 北京オリンピックを支援する議員の会
- 正しい日本を創る会
著書
- 『10年の滑走路』(2004年 ジュピター出版 ISBN 4916029879)
脚注
関連項目
外部リンク
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
江渡聡徳
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 防衛副大臣
2013年 -
|style="width:30%"|次代:
(現職)
テンプレート:S-par
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
神風英男
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院安全保障委員長
2012年 - 2013年
|style="width:30%"|次代:
江渡聡徳
- 転送 Template:End
- ↑ 地盤の田川地区で大量得票し、本来山本の地盤である京築地区の切り崩しに成功したことが勝因となった。
- ↑ http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/fukuoka/20090815/20090815_0003.shtmlテンプレート:リンク切れ
- ↑ 毎日新聞2012年衆院選アンケート
- ↑ 朝日新聞 2003年12月4日
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news