岡本行夫
テンプレート:Infobox 人物 岡本 行夫(おかもと ゆきお、1945年11月23日 - )は、日本の外交評論家、実業家。元外交官。株式会社岡本アソシエイツ代表取締役、パシフィカ・ネオ・ベンチャーズLLCジェネラルパートナー。MIT国際研究センター シニアフェロー。
来歴・人物
神奈川県生まれ。鎌倉市及び藤沢市で育つ。父親は農林省職員。父親の仕事の関係で、中学時代は2年間クアラルンプールに滞在。
神奈川県立湘南高等学校を経て、1968年に一橋大学経済学部を卒業し、外務省入省。鈴木典比古(国際基督教大学学長)とはゼミの同期。外務省同期に東郷和彦ら。英語研修、OECD代表部、経済局、在エジプト大使館を経て、在米国大使館参事官、北米局安保課長、同北米第一課長など日米外交の有力ポストを歴任し、将来を嘱望される存在だったが、1991年に辞職した。管理職となって現場に関われなくなることに不満があったという[1]。
外務省退官後はコンサルタント会社を経営しながら、親米派の外交評論家として活動。一方で、第1次橋本内閣、第2次橋本内閣で内閣総理大臣補佐官、小渕内閣で科学技術庁参与、第1次小泉内閣で内閣官房参与、第2次小泉内閣で内閣総理大臣補佐官、第3次小泉内閣で内閣総理大臣外交顧問、福田康夫内閣で外交政策勉強会メンバーを務める等、政府要職を数多く歴任している。特に橋本内閣においては、沖縄問題担当として60回以上に渡り沖縄入りして現地との信頼関係を築きながら、普天間基地の返還・代替地移設問題や沖縄振興策策定の最前線で活動したとされる[2]。
2009年12月には、鳩山由紀夫内閣の普天間基地移設問題への対応で日米関係が悪化する中、鳩山由紀夫首相と総理大臣官邸で面会。知米派の岡本が個人的な立場から外交面で協力するとの合意をしたと報じられた[3]。
2012年、米マサチューセッツ工科大学シニアフェローに就任。
実業家としては、2000年には梅田望夫及びインド人、アメリカ人と4人でシリコンバレーのパロアルトにベンチャーキャピタル「パシフィカファンド」を設立し、ITベンチャーを支援。このほかアサヒビール取締役、三菱自動車監査役、三菱マテリアル取締役、日本郵船取締役等も歴任する。
イラク日本人外交官射殺事件で殉職した奥克彦とは生前懇意であり、奥の母校である早稲田大学公共経営研究科の奥・井ノ上イラク子ども基金連携講座でも教鞭をとった。毎年、奥の命日には喪に服している。皇太子妃雅子が外務省時代に尊敬していた上司という。
趣味はアメリカンフットボール観戦、ラグビー観戦、スクーバダイビング及び海中写真撮影等。
略歴
- 1964年3月 神奈川県立湘南高等学校卒業
- 1968年3月 一橋大学経済学部卒業(板垣与一ゼミ)
- 1968年4月 外務省入省
- 1969年 英語研修(米国スワースモア大学)
- 1971年 経済協力開発機構日本政府代表部
- 1973年 経済局国際経済課事務官
- 1975年 経済局国際機関第一課事務官(貿易交渉担当)
- 1978年 北米局北米第一課首席事務官
- 1981年 在エジプト大使館一等書記官(中東和平担当)
- 1983年 在アメリカ大使館参事官(政務担当)
- 1985年8月 北米局安全保障課長
- 1988年7月 北米局北米第一課長
- 1991年1月 退官
- 同年 岡本アソシエイツ設立、同代表取締役就任
- 1991年 - 国際交流基金参与
- 1996年11月 - 1998年3月10日 内閣総理大臣補佐官(非常勤・沖縄担当)
- 1998年7月 - 2000年6月 科学技術庁参与
- 2000年3月30日 - 2008年3月26日 アサヒビール取締役
- 2000年6月 三菱マテリアル取締役
- 2000年7月 パシフィカ・ネオ・ベンチャーズ・エル・エル・シー設立、同共同代表就任
- 2001年9月 - 2003年 内閣官房参与
- 2002年9月 立命館大学客員教授(国際社会で活躍する人材養成特別プログラム)
- 2003年4月 - 2004年4月 内閣総理大臣補佐官(非常勤・イラク担当)
- 2004年4月 内閣総理大臣外交顧問
- 2007年6月 - 三菱自動車工業株式会社社外監査役
- 2008年6月 - 日本郵船株式会社取締役
- 2011年7月 - 一般社団法人東北漁業再開支援基金希望の烽火設立、同代表理事
- 2012年2月 - 復興庁復興推進委員会委員
- 2012年10月 - マサチューセッツ工科大学国際研究センター シニアフェロー
- この他に、アサヒビールアドバイザリーボードメンバー(1998年 - 2000年)、日本郵船アドバイザリーボードメンバー(2006年 - 2008年)、NTTドコモアドバイザリーボードメンバー、東芝経営諮問会議メンバー、小松製作所インターナショナル・アドバイザリー・ボード社外アドバイザー、東海東京調査センター理事長、上総モナークカントリークラブ理事、Oakキャピタル株式会社顧問、外交政策勉強会(福田康夫首相の私的懇談会)メンバー(2007年12月 - )、内閣府沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会委員、電通総研客員研究員、富士通総研特命顧問、小僧com株式会社アドバイザリーボードメンバー(2008年 - )、一般財団法人日本フラッグフットボール協会代表理事、財団法人東京財団評議員、財団法人日本教育科学研究所理事、福島県しゃくなげ大使等も務める。
外務省同期
- 榎泰邦(創価大学教授、03年駐印大使、01年駐南ア大使)
- 大島正太郎(東京大学公共政策院客員教授、07年国際貿易・経済担当兼査察担当特命全権大使、05年駐韓国大使、02年ジュネーブ国際機関日本代表部大使、00年駐サウジアラビア大使)
- 小川郷太郎(07年兼アフガニスタン支援担当特命全権大使、06年イラク復興支援等調整担当大使、03年駐デンマーク大使、00年駐カンボジア大使)
- 小林秀明(06年迎賓館長、05年駐タイ大使、02年東宮侍従長)
- 東郷和彦(京都産業大学教授、01年駐蘭大使、99年欧亜局長、98年条約局長)
- 槙田邦彦(01年駐シンガポール大使、01年アジア大洋州局長、00年アジア局長)
- 鏡武(帝京大学教授、05年査察担当大使、00年駐アイルランド大使、97年駐シリア大使)
- 赤澤正人(嘉悦大学学長、前神田外語大学学長、98年駐ドミニカ共和国大使)
- 服部則夫(08年OECD担当大使・02年駐ベトナム大使)
著書
単著
- 『砂漠の戦争――イラクを駆け抜けた友、奥克彦へ』(文藝春秋、2004年/文春文庫、2006年)
- 『ニッポン再生最前線――岡本行夫対談集』(都市出版、1997年)
- 『さらば漂流日本――自力航行への転換』(東洋経済新報社、1995年)
- 『これからの国際情勢と安全保障』(防衛生産管理協会、1993年)
共著
- (佐藤優)『知の超人対談 : 岡本行夫・佐藤優の「世界を斬る」』(産経新聞出版、2009年)
- (五百旗頭真・伊藤元重・薬師寺克行)『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』(朝日新聞出版、2008年)
- (森本敏)『日米同盟の危機 : 日本は孤立を回避できるか』(ビジネス社、2007年)
- (田原総一朗)『生きのびよ、日本!!』(朝日新聞社、2003年/朝日文庫、2005年)
- (水野清・榊原英資・堺屋太一)『「官僚」と「権力」――省庁再編はなぜねじ曲げられたか』(小学館[小学館文庫]、2001年)
共編著
脚注
- ↑ 『岡本行夫 90年代の証言』テンプレート:要ページ番号
- ↑ 『SIGHT2010年5月号~ なぜ日本は普天間問題を解けないのか』テンプレート:要ページ番号
- ↑ 産経新聞12月22日「日米関係の深刻さにやっと気づいた?首相、外交ブレーン交代を模索」