田崎竜太

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テンプレート:Ambox-mini テンプレート:特殊文字 テンプレート:ActorActress テンプレート:JIS2004フォント 竜太(たさき りゅうた、1964年4月19日 - )は、主に特撮テレビドラマ作品の監督演出家東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業。

来歴

1987年早稲田大学の先輩である東映の[[高寺重徳|テンプレート:CP932フォント寺成紀]]プロデューサーが上司である堀長文プロデューサーに「何の仕事でも良いので田テンプレート:JIS2004フォントを使ってください」と直訴。その甲斐あって堀の意向で大学在籍中に『仮面ライダーBLACK』にてサード助監督として関わり、キャリアをスタート(なお、同番組参加前に『超人機メタルダー』に3日間勉強として現場に参加したのが正式なデビューである)。その続編となる『仮面ライダーBLACK RX』ではセカンド助監督、同じく石ノ森章太郎原作の作品であるテレビドラマシリーズ『HOTEL』でも助監督を務める。それらの作品では松井昇がチーフの助監督を務めており、以降松井の下や東映特撮作品の現場で助監督として長く師事する。

1993年よりスーパー戦隊シリーズの『五星戦隊ダイレンジャー』の現場に参加し渡辺勝也竹本昇と各話交代でチーフ助監督を担当。その翌年の『忍者戦隊カクレンジャー』よりほぼ単独でチーフ助監督とキャリアを重ねていき、1995年テンプレート:CP932フォント寺プロデューサーの推挙により『超力戦隊オーレンジャー』の第39話「皇子決闘に死す」で本編の監督デビュー[1]。その翌年にはテンプレート:CP932フォント寺がチーフプロデューサーを務める『激走戦隊カーレンジャー』で早くもローテーション監督に定着。続く『電磁戦隊メガレンジャー』でも重要回を数多く采配したのち、1998年スタート『星獣戦隊ギンガマン』で初のメイン監督を務める。その後、同シリーズの英語版ローカライズ作品であるパワーレンジャーシリーズの制作側が、東映に監督の貸し出しを要望していることを知り、参加を希望[1]。同シリーズのプロデューサー、ジョナサン・ヅァクワーの招聘で渡米[2]、同シリーズに2年携わったあと帰国[1]。2001年、白倉伸一郎プロデューサーの招聘で『仮面ライダーアギト』より仮面ライダーシリーズに監督として復帰、『仮面ライダー555』まで3年連続でメイン監督としてシリーズに関わり劇場版の演出も手掛けた。その後『美少女戦士セーラームーン』を経て、子供向け特撮番組から離れ、オリジナルのSFドラマ『Sh15uya』を監督した。

2006年、初めて東映の手を離れて手がけた監督作品『小さき勇者たち〜ガメラ〜』が公開。その後『仮面ライダーカブト』でOP演出&サード監督として仮面ライダーシリーズに3年ぶりに復帰、『仮面ライダー電王』から2010年スタートの『仮面ライダーオーズ/OOO』まで5作連続でパイロット演出を担当。また2010年には『星屑たちのfootage(フッテージ)』で舞台の初演出を務めた。2012年には『非公認戦隊アキバレンジャー』のメイン監督を経て、スペシャルドラマ『特捜最前線×プレイガール 2012』シリーズの演出を一手に担当した。2013年は『非公認戦隊アキバレンジャーシーズン痛』『仮面ライダー鎧武/ガイム』の2作品でパイロットを手掛ける傍ら、『科捜研の女』や舞台演出、映画を2本手掛けるなど精力的に活動している。

エピソード

パイロット監督請負人

  • 監督として参加した連続テレビドラマシリーズはこれまで26シリーズあるが、そのうち16シリーズでパイロットを務めあげている。これは東映特撮作品では竹本弘一小林義明田中秀夫といった先達の実績を凌駕するものである。新シリーズの第1話は特別に時間と予算が配分され制作される重要回であり、プロデューサーの[[高寺重徳|テンプレート:CP932フォント寺成紀]]、白倉伸一郎武部直美塚田英明日笠淳の田テンプレート:JIS2004フォントに対する信頼の程が窺える。田テンプレート:JIS2004フォントにパイロット作品を託す理由としては塚田は「巷では『パイロット監督請負人』みたいな言われ方をされていますが、やはり緻密だし、設定や世界観を映像に起こす能力が凄く秀でている監督だから」と雑誌インタビューにてその理由を述べている。
  • 作品スタイルを確立させるパイロットを手掛けることの多い責任感からか、役者の演技指導については細かく、また厳しいとの評がある。森カンナによると田テンプレート:JIS2004フォントが演技指導については一番繊細な監督であったといい、「ここで一回笑って、ここで笑うのを止めて、ここでまた笑って」とその指示の方法も細かく具体的なものであったという。
  • また『仮面ライダー電王』のパイロット組を撮影中、田テンプレート:JIS2004フォントは役者への指導において「俺はこれで許しても巨匠(石田秀範の愛称)は許してくれないぞ!」などと役者を叱咤激励していた。
  • しかし田テンプレート:JIS2004フォント本人はパイロットを担当するより第3・4話(パイロットの次の組)を監督するほうが難しいと度々インタビューにて答えている。その理由として、スケジュールの進行上第3・4話はパイロットの完成を待たずして制作に入ることになっており、完成見本がないまま手探り状態で制作にあたらなければならないからと述べている。最近では「年間を通じて第3・4話を演出するのが一番難しい」とまで主張しており、だからこそ『仮面ライダー電王』で長石多可男や『仮面ライダーW』で諸田敏が演出した第3・4話を見て「長石監督はすごい」、「見事な第3-4話を作り上げた諸田さんはすごい。パイロットを崩して、さらに面白くした」[3]と感服したという。
  • その田テンプレート:JIS2004フォントの言葉に影響を受け、弟子筋である鈴村展弘が『仮面ライダー剣』『Sh15uya』の第3・4話を演出することになったとき、かなりのプレッシャーがあったとインタビューで答えている。
  • 小笠原猛監督も「第3・4話はいろんな皺寄せがくるから面倒なんだよ」と田テンプレート:JIS2004フォントと同じような意見を雑誌インタビューで述べている。しかし反面辻野正人監督のように「第3・4話よりそりゃパイロットのほうが難しいですよ」と答える監督もおり、この問題に関しては各人によって見解は分かれる模様である。因みに田テンプレート:JIS2004フォントは2013年現在、セカンドパイロットを担当したことは1度もない。
  • ただし『非公認戦隊アキバレンジャーシーズン痛』においては、諸スケジュールの都合上放送順での撮影ではなく、第4・5話の鈴村組の撮影を先に行い、その後、第1~3話の田崎組の撮影が行われている。従って、同番組の実質的なパイロット演出は鈴村展弘が担っており、田崎の生涯初のセカンドパイロット作品ともいえる。

作品

テレビ

連続

太字はパイロット担当作品。

単発

映画

オリジナルビデオ

  • 忍者戦隊カクレンジャー スーパービデオ 秘伝之巻(1994年、講談社
  • 超力戦隊オーレンジャー スーパービデオ 隊員手帳(1995年、講談社)
  • 超力戦隊オーレンジャー スーパービデオ オーレ!超力情報局(1995年、講談社)
  • 激走戦隊カーレンジャー スーパービデオ(1996年、講談社)
  • 電磁戦隊メガレンジャーVSカーレンジャー(1998年、東映ビデオ

ミュージックビデオ

脚本作品

  • スワッピング・スクール(1996年、ピンクパイナップル)松井昇との共同脚本

演出協力

舞台

脚注

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外部リンク

テンプレート:ガメラ

テンプレート:田崎竜太監督作品
  1. 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite journal
  2. テンプレート:Cite web
  3. 『仮面ライダーマガジン』Winter '09-'10(2009年、講談社)