コミックマーケット
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コミックマーケット(Comic Market、通称:コミケあるいはコミケット)とはコミックマーケット準備会が主催する世界最大規模の同人誌即売会。
概要
毎年8月(通例、8月15日頃の旧盆にかかる週末[1])と12月(通例、御用納め以降 - 大晦日)の年2回、東京国際展示場(東京ビッグサイト)で開催される。開催期間は現在では主に3日間。8月に開催されるものは「夏コミ」、12月に開催されるものは「冬コミ」と呼ばれる。2014年8月現在、開催回数は定期開催だけで86回を数える。
コミックマーケットは回を重ねるごとに大規模化し、それに伴い一般にもその存在が広く知られるようになった。2013年夏に行われた「コミックマーケット84」では東京ビッグサイトを3日間借り切った状態でサークル参加者数は約3万5000スペース、一般参加者数は59万人にも上った[2]。準備会がサークル参加者に提供するブース(「スペース」という単位で呼ばれる)は不足しており、いくつかの特例(用意した大量の頒布物を捌く必要性から毎回2 - 3スペース分を準備会より与えられる一部の大手サークルへの優遇など)を除いては書類審査と抽選によって選ばれる。応募のおよそ50 - 70%程度が当選し、残りは落選という形になる。
大規模化に伴いいくつかの問題点も指摘されるようになった。詳細はコミックマーケットが抱える問題を参照されたい。
特徴
コミックマーケットは世界最大の同人誌即売会であり[3][4]、屋内で行われるイベント(展示会なども含む)としても最大規模を誇る[5]。アメリカ最大のコミック・ポップカルチャーコンベンションである「コミコン・インターナショナル」や日本国内では「SUPER COMIC CITY」などこれに迫りつつある同人誌即売会も存在するが、コミックマーケットとの規模差は今なお大きい。コミックマーケットには多種多様な同人サークルが自作の物品を展示・頒布する。漫画・アニメ・ゲーム以外の音楽・アイドルグループのファン同人誌、ゴスロリ服やコスプレ衣装、手作りアクセサリー、同人ハードウェア、ガレージキット、人形作家による人形、教師・看護師・操縦士・鉄道員・エンジニア等の専門的職業従事者の日常が描かれたもの、またペット・ガーデニング・紅茶などの愛好家による同人誌まで現代日本の様々なサブカルチャーが一堂に集う場となっている。このためサークル参加者の多くが年間スケジュールをコミックマーケット開催周期に合わせており、コミックマーケット以外では同人誌の頒布を行わないというようなサークルも多数存在する。そのため、徹夜組や転売屋などの問題も発生している。1990年代後半以降では同人誌を専門に取り扱う書店の販売網拡大やインターネットの普及などにより、こうしたサークルの発行物も入手する手段が他にも増えてきており一部発行物に限って言えば会場まで足を運ばずとも入手出来る様になった。しかし依然としてコミックマーケットは同人サークルと参加者が一堂に会する最大級の同人イベントとして存続している。※参加者の区分については「参加者の区分」の節を参照。
理念
全ての表現を受け入れる「場」であり、全ての参加者にとって「ハレの日」であることを願うとしている。
かつては営利を目的としない、アマチュアのための「システム」であり、「ムーブメント」とする記述もあったが、2013年8月のC84での改訂で削除された。
開催ごとの流れ
おおむね、以下の流れで進行する(一部の日程は前後する)。
- 日程の決定。
- サークル参加申し込み受付開始、締切。
- 企業参加申し込み受付開始、締切。
- スタッフ参加者募集を兼ねた、「拡大準備集会」を東京で開催。通常、1開催につき3度開かれ、それぞれ1拡・2拡・3拡と略される。スタッフ参加を希望する者は2回以上参加する必要がある。また3回目(3拡)では一般・サークル参加者向けの質疑応答時間を設けていて共同代表に直接質問が可能である。3回目の日程は、サークル参加者向けのニュースメールおよびコミケットアピールで告知される。
- サークル・企業当落確定。カタログ製本開始。
- 前日搬入。開催前日から机イスなどスペースの準備を行い、初日参加のサークル搬入も受け付ける。次期サークル参加申込用紙頒布開始。
- 当日搬入、見本誌点検・提出。サークル参加者は一般参加者より先に入場し、開催の準備を行う。
- コミックマーケット開催。各日とも、4:30入場待機列整列開始、7:00サークル入場開始(~9:00)、10:00一般入場・頒布開始、16:00サークル頒布終了、17:00企業頒布終了(最終日はサークルと同じく16:00終了)となる時間割が一般的である。4:30以前の来場は禁止されているが、違反する徹夜来場者が後を絶たない。
- 終了後、即日撤収。備品の片付け終了後、全体の、そしてスタッフ部署ごとの反省会を行う。全体の反省会は、代表や主立ったスタッフによる報告と一般・サークル参加者との質疑応答などを行う。拡大準備集会と同じく、代表が直接回答する。
イベント名に関して
コミックマーケットは、「コミケット」(Comiket)あるいは「コミケ」(Comike)という略称で呼ばれることが多い。開催開始当初は「コミック=マーケット」とダブルハイフン入りで表記していた。この名付け親は、立ち上げ時のスタッフの1人であり防火管理責任者の明石良信である[6]。このイベントの正式名称である「コミックマーケット」及びその略称・俗称である「コミケット」「コミケ」は、いずれもコミックマーケットの運営法人である有限会社コミケットが1998年に商標登録している。
しかし商標登録前から「○○コミケ」(例 広島コミケなど)という名称で開催されているイベントは商標権の侵害とならないため、コミックマーケット以外の同人誌即売会で「コミケ」という名称が使われることは珍しくない。これまで東京・神奈川・千葉・茨城・沖縄の1都4県以外でコミックマーケットが開催された実績はないが、この影響かコミックマーケットを知らない首都圏以外の地方在住者や参加し始めたばかりの若い年代層や同人誌即売会に詳しくない者の間では他の似通った形態の同人誌即売会も一律に「コミケ」と呼ぶ傾向がある。
開催回数の数え方
コミックマーケットでは開催されるたびに「コミックマーケット○○」と呼び、○○に回数を入れる。略称は「C○○」。例えば2014年8月15 - 8月17日に開催されたコミックマーケットは「コミックマーケット86」、略して「C86」と呼ぶ。「第86回コミックマーケット」ではない。ただし、初回は「第1回コミック=マーケット」である。
上記の形式は、C4 - 5のころに固まったようである[7]。これはコミックマーケット準備会そのものが形式的には開催1回毎に解散及び結成を繰り返し、連続した団体としての体裁を持たないというスタイルから来たものである。この様式はC72まで続けられたが、開催ごとに解散を繰り返さないC73以降も呼称としてのCxxは継続されている。
定期開催以外の「コミケットスペシャル」は独立して回数が計算され、定期開催の回数には含まれない。
参加者の区分
コミックマーケットでは、来場者は全て「参加者」と呼ぶ。企業、サークル、スタッフ、一般来場者も全て含めて参加者と呼ぶ。 これはコミックマーケットにおいて参加者は対等であり、「お客様」は存在せず、皆がコミックマーケットの参加者なのである[8]、との理念からである。参加者の主な区分は以下の通りである。
- サークル参加者
- 同人サークルとして参加し、コミックマーケットより与えられた個々のスペース(ブース)で同人誌やグッズ等の頒布を行う参加者。
- 企業参加者
- コミックマーケット企業スペースに参加する法人・各種団体。また、出版社・放送局など営利目的の取材も含む。
- スタッフ参加者
- コミックマーケット準備会のスタッフとして参加し各種作業を行う参加者。無償のボランティアだが弁当など飲食物とカタログ、サークル参加申込書が支給される。(カタログと次回のサークル申込書はスタッフとして注意事項や告知内容を理解するために支給されている。)スタッフ参加には事前に開催される「拡大準備集会」に複数回参加する義務がある。また開催時は設営から撤収までの通日参加が原則となっている。
- 一般参加者
- いわゆる同人誌や企業ブースの販売物を購入しにくる参加者。参加の事前申請・登録は不要で、入場料は無料。ただ事前登録なく入場でき、案内や注意事項の交付も行われないため通常はカタログで注意事項の告知を行う他の同人誌即売会とは異なり、徹夜組等の運営の妨げとなる行動や注意事項がサークル参加者のみならず全参加者に求められていることを理解しない「金を払ってやる」的振る舞い等の会場におけるマナーの無理解も一部に存在する。準備会が発行するカタログは公式サイトにアクセスしない一般参加者に対してコミックマーケットでの注意事項やルール・マナーを伝える手段でもあるため、準備会では熟読を呼び掛けている。なお、C74よりカタログから注意事項やルール・マナー部分を抜粋してサイトで無料公開を始めた。
これらの区分とは別に、以下のような形での参加もある。
- 委託参加者
- スペース取得に落選した、あるいは居住地から遠かったり都合がつかないために参加出来ないなどの理由で他のサークル参加者などに同人誌その他の頒布を委託した者。来場していない場合もあれば、一般参加者として来場している場合もある。当選したサークルが複数日に頒布するために委託する場合もある。
- コミックマーケット準備会でも過去に「同人誌委託コーナー」を設けていたこともあったが2007年夏のC72以降、委託コーナーを設けないと発表した[9]。準備会はその理由として、以下を挙げている。
- 3日間開催において、抽選率70%以上を確保できる状況にある
- 抽選漏れサークルの救済という趣旨とは異なってそもそもコミケットにサークル申込を行っていないサークルが増え、コーナーの性格も変わりつつある
- これまでの会場の使い方では現状に適合しない部分もいくつか見えており、(現在委託コーナーが置かれている)会議棟含め会場施設等の利用方法について会場側とも調整を行いながら現在見直しを行っている
- 一方、中止はそれまで委託コーナーを運営してきたCPSに関する事情もあると準備会は付け加えている(詳細は株式会社コミケプランニングサービスを参照のこと)。
- コスプレ参加者
- コスチューム・プレイを行う者たちを指し、開催当日の登録(有料)が必要。コミックマーケット自体への参加は、サークル参加・一般参加のいずれかに属する。コミックマーケットではコスプレは副次的なものであり、独自の参加枠が公式にあるわけではない。なお企業参加者の中にコスプレをした企業社員やコンパニオンらもいるが、これらは参加要件の違いからコスプレ登録は行わない。
なお、サークル参加及びコミケットスタッフへの参加資格は、公式サイトでは「申込時点で義務教育を終了している人」とされているが、「法的に中学校卒業以上の学歴がある人」という意味であり、中学校卒業以上の学歴がない場合は許可されない[10](ただし、開催前日の設営については特に制限はない)。
サークル参加
サークル参加を希望する際は、指定された期間にコミケットに対してサークル参加の申込を行う必要がある。
- 冬コミ:夏コミ前日設営日を初日とし、終了3日後までの約1週間
- 夏コミ:2月上旬の約1週間
- 期間は開催回によって異なる場合があるので、詳細はコミックマーケットオフィシャルサイトを参考のこと。
申込には参加を希望する回の前の回のコミックマーケットで準備会販売スペースで販売される「申込書セット」を1スペースにつき1部購入し、申込期間中に参加費の振込み及びサークル情報をまとめた「短冊」と呼ばれるものを郵送する必要がある。この期間は早くても遅くてもいけない。期間外の申込は原則、全て書類不備として落選となる。
郵送以外の申込方法としてオンライン申込が長い間切望されてきたが、有限会社コミケットは有限会社サークル・ドット・エムエスとWeb申込受付に関する業務委託契約を締結しコミックマーケット70(2006年夏)の申込よりオンラインによる申込受付サービスを開始している。オンラインでの申込にも郵送と同様に申込書セットが必要となり、更に郵送申し込みで必要な郵便払い込み手数料に代えシステム利用料として申込書セット以外に1000円がかかり事実上申込手数料が倍となるが申込期間が約1週間、サークルカット提出と申し込み内容修正がオンライン申し込み終了後更に1週間と期間が延長される利点がある。主に夏コミ終了後から3日間と期間が非常に短い冬コミの申込期間が延長される点で利用者は毎回増加している。ただし、その数の急増による事務処理上の問題からC75(2008年冬開催)の期間延長日数は圧縮された。
尚、参加を希望する回の前の回のコミケに参加出来ないサークル参加希望者の為に申込書セットはサークル・ドット・エムエスにより通信販売も行われている。この通販は会期前及び会期後にそれぞれ行われ、基本的にオンライン申込用としている。しかし、夏の会期後のもの以外は基本的に郵送申込にも利用可能である。
サークル参加では机半分(90cm×45cm)分のスペースにパイプ椅子2脚が基本的な自スペースとして提供されるが、大手と呼ばれるサークルでは多数の一般参加者を捌く為にそれ以上のスペースが提供される場合もある。また合同誌頒布の際などに友人のサークルと隣同士に配置をしてもらう「合体参加」という申込も可能となっており、その際は合体申込を行った2サークルで机1本分の配置となる。尚、郵送申込時には専用の合体封筒の購入が必要となるがオンライン申込の際はフォーム上のみで処理が可能となっており合体封筒を購入する必要はない。
サークル参加の抽選について
サークル参加は申し込みサークル数に会場スペースが追いつかない状況が慢性的に続いているため、抽選が原則となっている。
広報誌「COMIKET PRESS」によると人気ジャンルは申し込みが非常に多くなるため、若干当選率が下がる。逆に申し込みが少なく特にそのジャンルで申し込んだサークルが1つだけといった場合は、当選率を高くする傾向にあるという。これは、落選によるジャンルの存亡の危機を招かないようにするための配慮である。3回以上連続で(夏だけ、冬だけの申し込みも含む)落選すると、次の申し込みでは救済措置で優先的に当選できるが、人気が高いジャンルにおいては4回以上連続して落選することもある。また、落選が書類不備による場合、この救済措置は受けられない。またジャンル「学漫」は当時代表だった米澤嘉博の指示により、軽度の書類不備であればパスするほど当選率が高いといわれているが、申込書に学校名が記載されていない場合は書類不備扱いで容赦なく落選となる。そのため書類不備による落選が最も多いジャンルの一つである。(コミケットカタログ『配置担当者の一言』コーナーより) 同一校で複数の「学漫」サークルがあると一方は落選する。もっとも学生数の多い大学などで複数キャンパスを持つような場合はキャンパスごとのサークルが当選しているなど、臨機応変に対応している。
サークル参加申込用紙は記入事項が多く、開催ごとに変更される点も多い。そして「正確に申込用紙を記入したサークル」と「書類に不備があるサークル」を明確に区別して扱う方針のため、参加ジャンルを問わず書類不備による落選はかなりの割合を占める。しかし2000年代以降では3日間開催日程の回ならば実質の当選率はかなり上がっており、毎回書類の書き方にさえ注意すれば8割以上の当選を見込めるようになっている。例えば2004年夏のC67では当選率68%、不備で落選20%、抽選で落選12%。従って、不備を除いた申込の85%が当選との事である[11]。逆に2日間開催の時は書類不備を除いてもなお4割程度落選となり2004年冬のC68では当選率49%、不備で落選20%、抽選で落選29%[12]で従って不備を除いた申込の62.8%が当選。
大手サークルなどは申し込めば致命的な書類不備などがない限りはほとんどフリーパスであると言われている。ただし、抽選免除が公にされているのはコミックマーケットの母体となった「迷宮」のみ。また免除ではなく「永久スペース提供」と表現されており、公にされたのも母体ゆえの特例と言える。しかし一般的なサークルの抽選も無作為抽出ではなく、申し込み時の内容が考慮されることが「COMIKET PRESS」などで明らかにされている。そのため、時に当選するサークルの偏りが指摘されることもある。
また、作業期間の関係で夏コミに比べ冬コミの方が書類不備の基準は厳格になる。例えばジャンルを間違えて申し込んだ場合、夏ならば正しいジャンルに配置してくれることもあるが冬は落選となる可能性が高い。特に開催日の違うジャンルと間違えた場合、配置作業は開催日ごとに並行して進めるためフォローが困難という理由で基本的に落選となる。
逆に過去に不正行為を行ったり、サークルスペースを確保したにもかかわらず参加しなかったり、参加したにもかかわらず頒布物がなかったようなサークルは以後の開催で強制的に落選させられることがある。また、過去にはコミックマーケットスペシャル開催妨害を理由として永久追放になったサークルも存在する。ただ異論を排斥しない理念を掲げている(「コミックマーケット開催まで」参照)以上、永久追放は最後の手段と位置付けられており懲罰的に落選させられたサークルでもほとんどの場合は前述の救済措置の適用は受けるといわれており、最低でも4回に1回は参加できることになる。
なおジャンルが二次創作物の場合、申込が原著作物の発表(発売・放映・公開など)以前だと基本的に落選になる。これは、たとえ事前情報が出回っていたとしても「作品を鑑賞してからこそのパロディでありファン活動ではないのか?」[13]という方針があるからである。ただしケースバイケース(例にエルシャダイ)であり、また例外的に原著作者本人によるものは当選する可能性がある。
カタログ
前述の通りコミックマーケットには数多くのサークルが参加する為、手ぶらの状態で会場に訪れて目的のサークルを探すのは会場の広さも相まって非常に困難である。この為、コミックマーケット準備会は毎回参加する各サークルの紹介とその配置の紹介を兼ねた冊子「コミックマーケットカタログ」を刊行している。カタログの印刷は、毎回共信印刷が担当している。参加するサークル及びその配置は毎回異なるので、カタログの内容も対応する回にのみ適用される。
このカタログはおおむね開催の1ヶ月ほど前からコミックマーケット準備会のほか、大手書店や同人ショップによる通販などで販売される。(C72まではCPSにおいても販売されていた。事情は「株式会社コミケプランニングサービス」を参照)コミックマーケットの開催期間中には会場外の待機列付近や一部会場内でもコミケットスタッフによって販売され、ここで購入することも出来る。
巻頭には、コミックマーケットへの参加に関しての諸注意事項が掲載。諸注意事項は読みやすいよう、毎回漫画形式で作成されている。そして巻末には、投稿コーナー「まんがレポート(MR)」が掲載される。この記事は、前回のコミックマーケットに実際に参加した者達から一コマ漫画形式で募集した意見や感想を、その話題ごとにまとめたものである。まんがレポートは読み物として読者からの人気を集めていると共に参加者のマナーの向上や問題提起、疑問の解決などに一役買っている。他、読み物としてカタログに掲載される記事には前回の開催内容を紹介する「アフターレポート」、準備会からの告知やアンケートへの返答を行う「コミケットプレス出張版」、コミケの諸事情を風刺したDr.モローによるショートコミック、コミケビギナーのためのアドバイスコーナー「Comi-Navi」などがある。
またカタログには白地図様の会場内の配置図が毎回折り込まれており、開催会場が有明に移転してからは東京ビッグサイト東ホール用のものが色違いで2枚(表が1・2・3ホール、裏が4・5・6ホール分)、同・西ホール用のものが1枚(裏表同じ分)用意されている。参加者はこれに目的のサークルの場所を記したり同行者との待ち合わせの場所を記したりするなど、各々自由に利用することが出来る。
数万のサークルを紹介するカタログのページ数は1000ページ以上にも及ぶ為、本文には特製の薄い用紙(日本製紙製「ヘンリーコート R-50」)が採用されているが、それでもなおカタログ全体の厚さは数センチ、重さは数キロに達する。より厚い月刊漫画雑誌などより重いのは、サークルカットの刷り上がりが最適になるよう採用している用紙の性質による。それゆえ会場内で持ち歩くことを考慮し、綴じ部分(いわゆる「のど」の部分)からカッターナイフ等を用いて切り分けるなどカタログを分冊する者も少なくない。このことから一時期(C48、C52)は準備会側もカタログを開催日ごとに分冊化しての発行を試みていたが、開催日に対応した冊子のうちのいずれかが売れ残るなどの問題が解決出来ず結局1冊にまとめての状態へと戻った。
かつては、開場後しばらくすれば会場内のゴミ箱からカタログを拾うことができたが、現在はほぼ全てのゴミ箱に会場の清掃業者が常駐し捨てられたものを分類・管理しているため、会場内のゴミ箱からカタログを拾うのはほぼ不可能となっている。一方で、以前から有志によって行われてきたカタログのリサイクルが近年では準備会によって公式に行われるようになった。準備会スタッフによって回収された中古カタログは、当日販売用に用意された新品のカタログが売り切れた場合に限り、「森林保護募金の協力者への謝礼」という形で配布が行われる。
C56からは従来の冊子型のカタログに加え、パソコン(Windows・Macintosh)で利用できるCD-ROM(C81からDVD-ROM)版のカタログも登場している(通称「カタROM」)。発売は毎回、冊子版の約1週間後となる。パソコンで扱えるデータということもあり、基本的な検索機能以外にも、過去のCD/DVD-ROM版カタログで出力されたチェックリストを元にしてサークル・作家のスペース配置状態をオートチェックできる「過去のカタログ読み込み機能」、サークル情報のオンラインアップデート機能やgoogleを使ったサークル検索機能などのインターネット接続を活用した機能も搭載されている。会場内でも活用できるよう、各種PDAやスマートフォンで閲覧するためのオンラインソフト・アプリも複数公開されている。また冊子版に収録の情報に加え、落選となったサークルの情報まで収録されていることも大きな特徴である。C82からはまんがレポートも収録されるようになった。
Web上では、C74からは公式Webサイトにて開催前に諸注意ページ(コスプレの注意事項である「ちぇんじ」、コスプレ撮影の注意事項である「さいと」も同時に公開されている)を、開催後にまんがレポートを公開している。また、2012年7月31日に公式Webサイト上でWeb版カタログの開発を行うと表明、C83でβ版として11月2日より公開し、2013年夏のC84で正式版を公開しており[14]、機能の拡充や動作スピードの向上、モバイル端末への対応、カタROM及びpixivやTwitterなど外部サービスとの連携、コスプレ参加者向けのサービス「コミケコスプレコミュニティ」の運営などを行っている。なお、Webカタログの開発に当たっては、サークル参加オンライン申し込みシステムを手がけたサークル・ドット・エムエスが中心となって行い、日本マイクロソフトの協力を得て、クラウドプラットフォームのMicrosoft Windows Azure上にシステムが構築されている[15]。
カタログの背表紙
当初カタログがただ一枚の紙だった時代、およびその後の中綴じの時代には「背表紙」は存在しなかったが1986年冬(C31)に今のような平綴じになり白い背表紙ができた。当初は「コミックマーケット×× カタログ」としか書いていなかったが、1989年冬コミ(初の幕張メッセ開催、C37)で発行されたカタログで初めて背表紙に絵が登場した。翌C38のカタログのマンガレポートにそのことに対する反響が2枚掲載されている。うち、1枚に対して編集が「カタログの背表紙の絵は永遠に続くよ」というコメントを寄せている。主に同人界で人気のあったジャンルが背表紙になっている。カタログが薄かった頃は背表紙のやや上の方とやや下のほうに交互に人物が配置されていたが今ではカタログが厚くなったため、交互に人物を配置する必要がなくなっただけでなく1作品から2人物を登場させることができるようになっている。最初期に背表紙に登場したジャンル、キャラクターは以下の通り。
- C37 原稿用紙とペンを持ってイスに座っている女性、ヤマト(『宇宙戦艦ヤマト』)
- C38 女性、ヤマトと古代進、シャア・アズナブル(『機動戦士ガンダム』)
- C39 古代進、シャア、ブラスター・キッド/木戸丈太郎(『銀河旋風ブライガー』)
COMIKET PRESS(コミケットプレス)
1994年12月のC47より創刊された広報誌。カタログ、サークル参加申込書の補完と、準備会と参加者の交流の場の一つになっている。単独で購入することもできるが、サークル参加申込書を購入するとおまけに付く。バックナンバーをまとめた総集編も発売されている。主な内容は以下の通りである。
- 表紙、裏表紙 - いずれもサークル参加者が原画を描いている。会場で直接制作を依頼するのが特徴。
- 特集 - 各回ごとの特集。コミケットが関わる時事問題も扱う。
- ジャンル紹介 - コミケットのジャンル紹介とサークルの傾向などを解説。
- あの頃のコミケット - 過去のコミケットを振り返る。
- はたらくおぢさん - コミケットに関わる様々な職業と仕事の内容を紹介。ちなみに、相手が女性の時は「おねーさん」と呼ぶ。
- COMIKET PRESS Q & A - コミケットへの質問と回答。
- 人として - コミケットの関連イベント、コミケットスペシャルなどの紹介。
- スタッフお仕事紹介 - 部署ごとのスタッフの仕事のあらましを紹介。
- ○コミの不幸者 - 前回のコミケットで不幸な目に遭った参加者のエピソード。○は発売号が夏なら冬、冬なら夏が基本。
- コミケットトピックス - 前回のコミケットから今回開催までの主な出来事など。
- アンケートより - 読者投稿とコメント。
見本誌
サークル参加者は頒布物の見本を無料頒布物を含め、必ず準備会に提出する必要がある。現在では年齢制限や過激な表現などの点検も兼ねており、性器の無修正や修正が小さいと判断した場合はある程度の修正を命じられる。
見本誌提出はコミックマーケットが始まった当初から行われており、現在は埼玉県内に専用の倉庫を用意して保存している[16]。初期は完全には強制できず買い取った物や他の即売会で買い取った同人誌もあるため、収蔵漏れやコミックマーケットでは実際には頒布していない同人誌も混じっている。この制度はコミックマーケット独特の物で他の即売会では見本誌点検を行っても、事後に返却することが多いテンプレート:要出典。現状、他の大規模な即売会で見本誌提出制を取っているのは「コミティア」「COMIC1」など少数である。
コミックマーケットとしては見本誌で資料館、あるいは図書館を設立する構想を1995年より表明していた。また、構想の実現前にコミックマーケットが終了する事態になったなら国立国会図書館への寄贈も検討していた[17]。制度上、同人誌も一部は(ホチキス留めなどの簡易製本や、表現上広く公開することに支障のある物は含まれない)国立国会図書館の納本対象に入る。ただし、同人誌の納本例は少ない。
2008年、市川孝一がコミックマーケットとは別に代表を務める即売会「COMIC1」で見本誌を明治大学に寄贈する話が出た。しかし事前の告知が無くサークル参加者から反発が起こり、サークルが申し出れば寄贈対象から外すことでおさまった。同年冬に開催されたC75のサークル参加申し込みにでは同人誌図書館を設立する場合、どのような形で公開することが望ましいかという内容のアンケートが行われた。また、その後の拡大準備集会でCOMIC1での見本誌寄贈は同人誌図書館構想のテストケースであると説明された。同人誌は不特定多数への頒布を想定していない物が多く、愛好者で内々に活動しているジャンルも多い。また、奥付に住所氏名などの個人情報を載せているケースもあるため、この件は見送られた。
その後も見本誌公開に向けた検討が行われ、2009年10月31日に開館した米沢嘉博記念図書館においてC77の見本誌より閲覧を開始すると発表されている。ただし現在の構想では公開期間は限定であり有料の図書館利用者登録が必要になるほか、同人誌に関する詳細な情報を指定しないと実際に閲覧することはできないため実際の閲覧にはある程度のハードルが設けられる。問題となっている奥付の個人情報に関しては、所定の申請手続きをとれば該当部分にシールを貼って見えなくする措置が検討されている[18]。
参加者の年齢層・男女比などの内訳
コミックマーケット公式の調査によると、参加者の年齢の中心層は中学生から30代ぐらいまでである。
男女比については、2010年8月のコミックマーケット78での調査[19]によれば、一般参加者では男性64.4%、女性35.6%と男性の比率が高く、サークル参加者では男性34.8%、女性65.2%と女性の比率が高い。一方、2008年2月に準備会が公開した資料「コミックマーケットとは何か?」によれば、一般参加者は女性57%、男性43%、サークル参加者は女性71%、男性29%であり、当時の準備会は「世の中の認識とは異なり、女性の参加者が多い」と結論づけた。また、2004年8月のコミックマーケット66でのコミック文化研究会(九州大学助教授・杉山あかし)と準備会による試験的な計測では、男性がやや多いかも知れないという結果であった。
開催会場が有明に移転して以来、日本国外からの参加者も増えている。参加形態も一般参加者だけでなくサークル参加者もある。一部には行列のできるサークルを主宰する者も出ている。このため準備会では「国際部」と呼ばれる外国語接遇セクションを強化、「フェロースタッフ」と呼ばれる他部署兼務の外国語対応スタッフを導入している。そのほか、場外警備を担当する部署に簡単な会話帳を配布するなど対策を講じている。
定期開催以外のコミケット
- コミケットスペシャル
- 1978年5月6日に行われた、定期開催以外では初のコミケット。場所は新宿・四谷公会堂。運営費の赤字を救済するために行われたが、結果として赤字を更に増大させてしまった。
- コミケット IN 一橋祭
- 1978年11月5日に、一橋大学の学園祭の一環として行われた。
- さよなら晴海!!コミケットスペシャル(コミケットスペシャル2)
- コミケット20周年記念として1996年3月17日に開催。晴海国際見本市会場が東京国際展示場(ビッグサイト)へと役目を引き継ぎ閉鎖されることとなったため。サークル招待制、一般参加事前申し込み制で開催。
- リゾコミ in 沖縄(コミケットスペシャル3)
- コミケット25周年を記念して2000年3月19日に沖縄県宜野湾市で開催。首都圏以外では初の開催である。開催直前に宜野湾市の教育委員会に成人向け同人誌数冊とともに怪文書が送られた。なお怪文書を作成したのはとある同人サークルでコミックマーケットから永久追放となっている。
- このイベントから5年に1度の周期でスペシャル版が開催されている。
- 30周年記念 24耐(!?)コミケットスペシャル4
- コミケット30周年記念として2005年3月21日に開催。設営から撤収までの全てを開催日の深夜0時から24時間以内で行ない、サークルも午前と午後で総入れ替えを行った。準備会側では少々の赤字を出すにとどまった。
- コみケッとスペシャル5 in 水戸
- 2010年3月21・22日に茨城県水戸市の伊勢甚泉町北ビル(旧京成百貨店)で開催された。開催コンセプトを「コミケでまちおこし」とし、同人誌即売会で町おこしを行いたい自治体や観光協会に呼びかけ、開催地を公募し決定した[20]。同人誌即売会以外にも、偕楽園などの名所を巡るスタンプラリー、人気作家のイラスト入りパッケージによる地元特産品の販売、映画館でのアニメ作品オールナイト上映などが行われ、街を挙げての大イベントとなった。タイトルは「コミケット」と「水戸(みと)」をかけている。
- コミケットスペシャル6〜OTAKUサミット2015〜
- 2015年3月28日・29日に千葉県千葉市の幕張メッセで開催される予定で、「世界のコミケット」を目指す事をコンセプトに、日本だけでなく海外の参加者を招き入れる事にしている[21][22]。通常開催における幕張メッセの使用は後述。また、黒子のバスケ脅迫事件の影響を受けてC83で『黒子のバスケ』のサークルが参加見合わせになった事の代替イベントとして、同作品オンリーの同人誌即売会「くろケット」を赤ブーブー通信社とスタジオYOUの協力を得る形で併催する事も決まっている[23]。
日本国外の類似イベント
アニメ・漫画のイベントとしては、日本国外にも以下の様なものがある。
- アメリカ - OTAKON
- アメリカ - ニューヨーク・アニメ・フェスティバル
- カナダ - アニメ・ノース
- オランダ - AnimeCon
- フランス - Japan Expo
- イタリア - Lucca Comics & Games
- ドイツ - Animagic-Connichi
- スペイン - Salon del Manga
- ルーマニア - Nijikon
- シンガポール - Cosfest
- 台湾 - Comic World Taiwan、開拓動漫祭(FANCY FRONTIER)
- 中国 - ComiCUP
- 中国 - ComicCon
- 中国 - 成都同人祭(ComiDay)
- 香港 - コミックワールド、創天綜合同人祭(Creative Paradise)
- マレーシア - Comic Fiesta
参考リンク:世界のコスプレイベント一覧
コミックマーケット準備会とその関連企業
コミックマーケット準備会代表
初期は「迷宮」による運営で実質的には原田央男、亜庭じゅん、米澤嘉博、高宮成河の4人が中心となっていた。名称も「準備委員会」だったり「準備会」だったりと、一定しなかった(C1では「準備委員会」)。「準備委員会」の名称は、「『準備する会』ならともかく『準備会』では、言葉の使い方がおかしい」と思った原田の提案だったが、「委員など決める必要はない」「“委員”という言葉は権威主義的」と批判を受け、定着しなかった[25]。また、佐川俊彦によれば、草案に「準備委員会」となっていたのを、佐川は自分の苦手な、左翼運動的な名称と感じた。そこで「準備会」の名称を提案し、認められたという[26]。米澤は、準備会が現在の(独立した組織としての)原形を持つ(ようになった)のは自身が代表になってからとしている[27]。原田は1979年7月28~29日開催のC12を最後に、準備会の運営から離れた。
その後、米澤は約26年間の長期にわたって代表を務めたが体調不良の為、C70を最後に退任した[28]。後任には副代表だった安田かほる、筆谷芳行、市川孝一の3人が米澤によって指名され、共同代表となった。米澤夫人の米澤英子は代表補佐でもあったが、夫の退任後も補佐に留任し、その後C82を持って代表補佐を退任している。
C69まで準備会は常設の組織ではなくコミックマーケット開催のたびに結成し、終了後解散する形を取っていた。会社設立以降は継続的な日常の業務については有限会社コミケットが請け負っていた。しかし個人情報保護法の施行によりC70以降は日常の業務も行うようになったため、解散する事無く継続して存在するようになった。
有限会社コミケット
テンプレート:Infobox コミックマーケットはその会員(イベントの性質に見合った用語を用いるなら、同人)の集会という扱いである。しかしイベント開催規模が大きくなってからは任意団体のコミックマーケット準備会では通常の事務作業とその作業場所の確保、会場借り上げの契約を行うことが出来なくなった。そこで、1985年に株式会社コミケットを設立してそれを行うこととした。後に有限会社(2006年5月より特例有限会社)となり、現在に至る。社長は米澤が準備会代表と兼任していたが、彼の死去により米澤英子が後任となり、その後共同代表の1人でコミケット社員の安田かほるが社長を引き継いでいる。
業務はコミックマーケット準備会からサークル配置データの提供を受け、コミックマーケットカタログを製作。[29]代わりに会場と契約して場所を提供している形になる。[29]その他の業務としては中古同人誌を取り扱う古書店「コミケットサービス」の運営、事務所の維持、倉庫の管理などがある。[29]また、作品集や同人誌に関わる内容の出版も行っている。[29]2009年6月末までは同人誌以外の古書・古洋書・ミリタリーグッズを扱う販売店「B-Maniacs」の運営も行っていた。
株式会社コミケプランニングサービス
通称CPS。過去にはコミックマーケットカタログやカタログCD-ROM・次回申込書の通販業務を行うほか、コミックマーケットにて同人誌委託コーナーの運営もしていた。
しかし同人誌委託はC71を最後にコーナー自体が中止され(参加者の区分を参照)、通販もC72を最後にカタログ通常版は準備会の直販、CD-ROM版は株式会社クリエイション、次回申込書は有限会社サークル・ドット・エムエスの業務にそれぞれ変更され、3代目代表の体制になってからCPSの排除が行われた。
この間の事情についてコミケット準備会とCPS、双方の公式見解[30]が出されている。また「運営組織の変遷」も参照のこと。
2008年4月に株式会社シーピーエスへの社名変更が発表された。2010年1月からはIT事業を業務に変更し、現在のコミックマーケットとは関係無くなっている[31]。
共信印刷株式会社
共信印刷は、東京都文京区の印刷会社。コミックマーケットのカタログやコミケットアピール(申し込みサークル向けの案内書)・サークル参加申込書・コミケットプレスなど多くの準備会発行物印刷を請け負っており、カタログについては創刊から現在に至るまで全て担当している。また、CD-ROM版カタログについては販売とサポートも請け負っている。一般の印刷も受注しているため、同人誌印刷の受注は少ない方である[32](が、コミックマーケットのカタログそのものも「同人誌」という扱いであるため、そういう意味では大手とも言える)。2009年現在、コミックマーケット準備会との資本関係は一切無い。
歴史
テンプレート:独自研究 コミックマーケットの歴史は、同時に開催場所移転の歴史でもある。以下でそれを追ってゆく。
コミックマーケット開催まで
1960年代に入り漫画、SFや映画などに積極的に興味を示す人々が出現、同時に表現の場としての同人誌が制作されるようになった。1966年12月創刊の漫画雑誌「COM」は1967年3月号で読者や漫画家予備軍としての同人作家を全国的に組織化する野心的な構想を発表し、「ぐら・こん」と称した。すなわち、同人作家のプロデビューの道筋を示したものである。この構想は「COM」の路線転換や休刊(1973年8月号)もあり失敗に終わったが、漫画同人誌に与えた影響は大きかった。
そこで、時代の潮流として大型の同人誌即売会の開催が求められた。そんな中で出現したのがコミックマーケットである。
コミックマーケットを立ち上げるまでに至った主なきっかけの一つは、SF大会を模して開催された「日本漫画大会」や流行の端境期に直面していた旧来の漫画や漫画評論への反発といったものだった。また「日本漫画大会」を批判したある前回参加者が参加を拒否された事件があったことから、「迷宮」はこれを告発するとともにコミックマーケットでは批判者を排斥しない理念が形作られることになった。そして「日本漫画大会」や「マンガフェスティバル」などではイベントの一つの同人誌即売会を独立させ、「ファンのファンによるファンのためのイベント」を目標にした。従って「ぐら・こん」のようにプロ漫画家予備軍ではなく、また「日本漫画大会」のように漫画イベントの一つでもなくただ同人誌を描き頒布するならば誰でも参加できる「マーケット(=市場)」となった。
コミックマーケットを企画・主催したのは「迷宮」だが、名目上の主催は当初から「コミックマーケット準備委員会(のちの準備会)」である。実態として両者は表裏一体だが、将来の分離も視野に入れていた。準備委員会の初代代表は「迷宮」同人で人脈の一番広い、原田央男に落ち着いた。
日本消防会館会議室
C1(第1回)のコミックマーケットは1975年12月21日、漫画批評集団「迷宮」が実質的な主催の下、東京・虎の門の日本消防会館会議室において参加サークル32(ただし委託・展示サークルがほぼ半数)、参加者約700名で開催された。開催前日には合宿も行われ、アニメソングが高歌放吟されたというSF大会の影響の濃いものだったらしい。また参加サークルの半分近くを学漫(学校内クラブ活動としての漫画研究会)が占め、萩尾望都作品を中心とした少女漫画ファンクラブがそれに次いだ。主催者によると、入場者の9割余を「中・高校生の少女まんがファンを中心とした女子」[33]が占めたという。この時既に、「やおい」の先駆的同人誌も出されていた。
当時、同人誌といえば一般には文学同人誌を指し漫画同人誌の知名度は低かった。そこでSFファン向け同人誌の用語として用いられた「ファンジン」がまだしもわかりやすいだろうと借用し、「まんがファンジンフェア」と名乗っていた。しかしその後コミックマーケット自体の知名度が上がるに連れ、漫画同人誌を指す用法が定着していった。
このC1以降、春・夏・冬の学校の休みに合わせて年3回のコミックマーケット開催が定着する。なお、「迷宮」とコミックマーケットはその後分離した。しかし、現在でも「迷宮」はサークル参加での永久スペース取得権を有している。帳簿上コミックマーケット準備会は「迷宮」からの借金が残ったままになっており、その代償という形を取っているという。
この会場は第1回のみである。
板橋産業連合会館から都内各産業会館
1976年にはC2からC4の春・夏・冬コミが板橋産業連合会館で開催される。この頃はまだ参加サークルは100に満たない状態だったが、1977年(C5)に大田区産業会館に移った頃から入場待ちの行列ができるようになっていく。途中、四谷公会堂と東京都立産業会館・台東館を1度ずつ使用したものの結局1979年いっぱいまで同館の使用は続き同館最後の開催となったC13では参加サークル300弱、参加者約4,000人とコミックマーケットは確実に大きくなっていった。また参加サークルにおける学漫(学校の部活動、サークルとしての漫画・同人サークル)の占める割合は低下し、オリジナルの創作系が増えていった。また、『宇宙戦艦ヤマト』などアニメのファンサークルの参加も目立ちだした。特に『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』のブームと非常に初期の現在で言う「おたく」が出現したことは、コミックマーケットを牽引する大きな原動力となった。
この時期を最後に「迷宮」は運営から手を引き、コミックマーケットは組織として独り立ちしたようである。「迷宮」は1980年、創作漫画専門の同人誌即売会「まんが・ミニ・マーケット」をコミックマーケットの補完として開催した。これはコミックマーケットの規模拡大で売り手と買い手、作者と読者、さらにはファン同士の交流が薄れ始めたため適正規模の即売会を別に設けようとしたためという。また頒布物における二次創作物の割合が高まったため、純粋なオリジナル創作だけの場を設けるべきではないかという話もあったという。
原田は、創作漫画サークルの発展を期待していた。そのため二次創作物が主流となり、創作漫画も既存の商業作品の二番煎じと思しき作品のサークルが多かった現状は誤算だった。しかしコミックマーケットの理念として、もとより排斥すべきではないと考え原田はC12を最後に身を引く形で代表を辞任した。C14から米澤嘉博が代表になった。
まんが・ミニ・マーケットは1981年にMGM(Manga Gallery & Market)と改称、現在も存続している(会場の都合で2007年から休止、2012年再開。2013年より運営を交代し、「MGM2.XX」と改称した。XXは開催回次が入り、2013年9月8日、改称第1回となる「MGM2.01」が開催された)。
川崎市民プラザから横浜産貿ホール
1980年から1981年にかけて川崎市民プラザで4回開催されたコミックマーケットは参加サークル350~400、参加者約7,000人規模で推移するがすぐに会場が手狭になった。横浜産貿ホールを2日間使用したC18ではついに参加サークルが500、参加者が1万人を上回った。
換言すればこの時期まではコミックマーケットといえば女性参加者が主体だったがこの時期『うる星やつら』のサークルが激増し、当時のロリコンブームと相まって男性参加者が本格的に進出。現在の男性向創作分野の基礎が作られ、わいせつな内容の同人誌が増えた。漫画家・吾妻ひでおらの「シベール」の行列が館外に作られ、今の壁サークルの走りとなったのもこの時期である。
晴海(1期)
1981年冬のC19は、当初川崎市民プラザで開催される予定だった。しかし、そこに主催者の内部分裂騒動が発生し「反主流派」(「クーデター派」「コミケ改革派」などと自称した)は先手を打って会場を押さえてしまった。「反主流派」の行動の動機については、規模拡大に伴い規制強化が必要と認識したからとも既に同人界に影響力を持ち始めていたコミケットの名声に目が眩み乗っ取りを謀ったなどの諸説がある。また声優を呼んだりアニメの上映会を開いたりできないかとする意見が当時からあったが、コミケットの趣旨にはそぐわないと却下された経緯もあったという(ただし後者は後年、企業ブースとしてコミックマーケットでも実現する)。こうして、コミケット準備会は望まぬままに東京・晴海にあった東京国際見本市会場(通称:晴海)の使用に踏み切った。なお分裂した「反主流派」は「新・コミックマーケット」を名乗り、後に「コミックスクウェア」と改称した。しかしいつまで続いたのかは文献が確認出来ず不明である。また2006年現在、現存する同人誌即売会の「コミックスクエア」とは無関係である。「コミックスクウェア」終了後、「反主流派」の流れを汲む人物の一部は「コミックレヴォリューション」開催に加わったとも言われている。
以後、コミックマーケットの会場は6年間にわたって晴海に落ち着く。その間、参加サークル、参加者数共に増大を続け1983年冬のC22において参加サークルは1,000を超え第1期晴海時代の最後の開催であるC30には3,900サークル、約35,000人が参加するに至る。またこの間に1983年以降、1988年の冬コミが中止になった事から代替として1989年春に開催されたC35を除き春コミは廃止された。
この間、1985年頃から『キャプテン翼』(『C翼』と略された)が女性サークルに絶大な人気を呼び商業作品を題材に男性キャラクター同士の同性愛を表現した同人誌を制作・頒布するいわゆる「やおい」サークルが増加。若い女性参加者を大きく増やすこととなった。1983年よりスタッフに加わった岩田次夫は、『キャプテン翼』ブームが少女漫画再生の鍵になると見てやおいサークルを激賞。『キャプテン翼』そのものは少年漫画であるにもかかわらず女性がほとんどを占めたことが同人サークルの特異性である。ブームから外れた時期になるが1992年のC43での公表データによると『C翼』サークル代表者は男性6、女性1083で女性比率は99%を超えている。少年漫画(特に「週刊少年ジャンプ」作品)サークルが女性中心の傾向は現在でも変わっておらず、むしろ出版社側も利用する動きがある。
また、岩田はサークル情報などの事務管理のコンピュータ化を企画・実行し急激な作業量の膨張に対応した。これには、参加可能なサークル数を増やすことで人材発掘・育成を進めようという意図もあったという。岩田はスタッフの第一線を退いた後も「イワえもん」の愛称で親しまれ、同人誌評論などの活動で同人界に影響力を持ち続けた。岩田は2004年に逝去したが、現在でもカタログや参加申込書にはイワえもんが欠かさず登場する。
東京流通センター
商業イベントとの競合により晴海会場の確保が不可能になったため、1986年冬のC31から1987年冬のC33まで平和島にある東京流通センター(TRC)を使用した。会場面積の減少を補うため2日間開催を実施。この間4,400サークル、4~6万の参加者を獲得した。また、ジャンル別にサークルを割り振るジャンルコードが導入された。
晴海(2期)
東京流通センターでの2日開催でも人員・サークルを収容しきれなくなったコミックマーケットは、翌1988年のC34より会場を晴海に戻すことになった。この時期に至って事務管理のコンピュータ化が確立し、第34回では倍以上の9,200サークルを参加を実現させた。とはいえ、この間も会場の確保に困難を極める状況に変わりはなく、1988年冬に開催予定としていたC35開催に至ってはついに会場を確保できず、翌1989年3月まで開催延期を余儀なくされる。これが、通常開催では最後の「春コミ」である。また1989年夏のC36ではサークル数1万、参加者数は10万人の大台に乗った。
折しもC36を間近に控えた1989年7月23日、宮﨑勤が現行犯逮捕され、これをきっかけに宮﨑を被疑者とする東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の一連の凶行が発覚し、日本社会がこの話題一色に染まった[34]。宮﨑の趣味・嗜好はマスコミにとって叩きやすいものであったため、C36にもサークル参加を予定していたことからマスコミの「おたく」バッシングの一環としてコミックマーケットにもマスコミからの取材の手が及び、コミックマーケットや同人誌に対する否定的な報道が相次いだ。しかし、皮肉にもこの事件がコミックマーケットの一般への知名度を大きく高めることになる。
幕張メッセ
急激な膨張はとどまるところを知らず、ついには晴海の全館2日使用でさえ収容能力の限界を露呈する程に巨大化したコミックマーケットは1989年冬のC37より当時日本国内屈指の巨大イベント会場だった千葉県の幕張メッセへと会場を移した。
ところが、有害コミック騒動などの影響で、1991年夏のC40開催直前に幕張メッセ側から会場の使用を拒否され、急遽、場所を晴海に戻さざるを得なくなった。 テンプレート:See
後に「コミケ幕張メッセ追放事件」などと呼ばれる出来事であり、コミケットの歴史の中では最大の存続の危機と見ている者は多い。当時この出来事を体験した参加者の多くがいまだに幕張メッセに対して極めてネガティブなイメージと強烈な不信感を抱いており、これについては現在もほとんど払拭されていない。とはいえ、準備会としては幕張メッセへの公式な批判は避けている。また、事件後20年以上経過し実際に追放事件を体験していない参加者が増えたことや、現在多くのアニメ・ゲーム関連の大規模イベントが幕張メッセで開催されている事もあり、幕張メッセに対してネガティブなイメージを抱く人は相対的に少なくなってきている。
晴海(3期)
以上のような経緯を経て、コミックマーケットは1991年夏のC40より1995年のC49まで、再び晴海の東京国際見本市会場に舞い戻ることになる。そのため、コミックマーケットは3度晴海に移転し開催されたということになる。しかし猥雑図画に対する自主規制の強化は避けられず、この時期に見本誌チェックによる規制を導入している。
この時期には1980年代後半の『聖闘士星矢』とその商業的成功の影響を受けて製作された『鎧伝サムライトルーパー』などのいわゆる美少年アニメが若い女性のアニメファンの間でブームとなり、ファンダムにおける盛り上がりはテレビアニメ自体の放映終了後もなお数年間にわたり持続した。これは同人界・コミケットにも大きな波及を見せ、この時期に大量の同人誌が制作されコミケ内でそれぞれ単体ジャンルとして成立する程の隆盛を見せた。しかしながら、その多くが「やおい」と呼ばれる男性同性愛の性描写を多かれ少なかれ含むもので本来は子供向けアニメである作品の二次創作物としては内容面で非常に問題があると言わざるを得ないものであった上、これらを収録した同人アンソロジーコミックが多数制作されたこと、さらにはこれら同人アンソロジーコミックが著作権などの面で違法性の高い同人誌やコミケットの状況を利用して商業出版の流通に乗せられたことなどは、それ以降のアニメ制作プロダクションやメディアミックス関連企業の二次創作全般に対する姿勢を改めさせる要因の1つとなり、最終的には著作権者である企業の著作権管理の強化にも繋がっていった。この著作権管理の厳格化は、以降のコミケットの同人誌も含めたの二次創作全般に大きな影響を与え、そこでは様々な制約の増加や自主規制のさらなる強化という形で影を落とす事になった。
とはいえ、これら「やおい」同人誌の隆盛は以降のアニメ作品でも繰り返され、1990年代半ばになるとさらに発展し、商業出版・同人の枠を超えてボーイズラブジャンルが隆盛するその礎となってゆく。
参加者の膨張はとどまることを知らず、1992年夏のC42では入場待ちの長蛇の列に折からの猛暑が加わり数百人が熱中症で救護室に運ばれる騒ぎになった(いわゆる「ジェノサイドコミケ」)。また1995年夏のC48は、開催20周年記念として初の3日間開催を行うなど、イベント自体の規模もまた膨張を続けてゆく。
この時期のコミックマーケットにおいて特筆すべきは、1992年の『美少女戦士セーラームーン』の登場である。男女両性の読者へ幅広くアピールした同作品の台頭をきっかけに、女性作家による男性向け創作が大幅に増えることとなり、この傾向は以後の『新世紀エヴァンゲリオン』のブームへと続いてゆく。また、1990年代半ばから2000年頃に掛けて、商業出版の男性向け成人向け漫画に数多くの女性作家が登場するその端緒ともなった。
その後、東京国際見本市会場の閉鎖が決定し、1995年冬のC49をもって晴海での定期開催を終了。翌1996年春の「さよなら晴海!! コミケットスペシャル」をもって晴海での開催は終了となった。
有明
1996年夏のC50から、コミケは同年完成した東京ビッグサイト(有明)での開催となる。C50の開催はビッグサイトの会場の一部で行われたが同時開催の他のイベントからの多数の苦情が来たことから、次のC51では早くもビッグサイト全館貸し切りでの開催となった。1997年夏のC52以降、夏コミは3日間開催が定着、参加サークルは3万を超えるまでに至っており、2013年夏のC84では普段の夏コミの金・土・日の開催ではなく土・日・月の開催となり、普段の2日目と3日目のジャンルが入れ替わる形となった。冬コミについても会場の都合により1999年冬のC57で3日間開催を実施、2002年冬のC63以降(C67・69を除く)は3日間開催が定着しており、2006年冬のC71以降(C75を除く)は大晦日を含む3日間開催となっている。一例として、C81における3日間開催の日割りは、1日目がゲーム系・週刊少年ジャンプ作品、2日目は東方Project・VOCALOID・サンライズ制作アニメ、3日目は男性向け全般となっている。
有明の初期、1990年代後半は『新世紀エヴァンゲリオン』のブームがコミックマーケットを席巻した。『美少女戦士セーラームーン』や各種対戦型格闘ゲームに続く同人誌バブルともいえるこのブームで、コミックマーケットはいっそうの活況を呈した。一方でSFというジャンルの存在感がさらに薄れ、「萌え」を打ち出した90年代後半型オタク向けの同人誌が急激に増加した。
2000年代前半に至ると同人ソフト『月姫』や『ひぐらしのなく頃に』、『東方Project』などの登場により同人ソフトを元にした同人誌という「同人の同人」とも呼ばれる自己パロディ現象(ただし前述の作品は同人でもいわゆるオリジナル作品であり、そのパロディ等が出ることは矛盾も重複もしていない)が生じた。これもコミックマーケットの巨大化の一つの現れといえるだろう。また、『月姫』については製作サークルTYPE-MOONが商業メーカーへの転換に成功している。更に、同作品を題材とした渡辺製作所(現・フランスパン)製作の対戦格闘ゲーム『MELTY BLOOD』のアーケードゲーム進出、音系の同人に関してもSound Horizonや片霧烈火らがメジャーへの道を辿るなど、漫画以外の表現方法についても同人活動をプロへの登竜門とする流れが生まれつつある。
2000年代後半になると、ジャンルの超多様化(従来の同人活動の概念を逸脱する、オリジナルアクセサリーなどのサークルも出現)が発生している。2006年冬のC71では現役の声優である堀江由衣が自らがパーソナリティを務めるラジオ番組の企画で設立したバンド・黒薔薇保存会の作品を後述する企業ブース内で販売した実績があり、日本国内のあらゆる「表現」を呑み込んで今もなお成長している。2007年冬のC73では、『VOCALOID』の初音ミクと鏡音リン・レンが発売され、様々なVOCALOIDのプロデューサーやイラストレーターが出世してゆく。また、漫画家・作家・イラストレーターのみならず、声優や歌手、作曲家などプロフェッショナルとして活動する人物が自ら活動の場の一つとしてコミケへのサークル参加を行うようになり、特に2014年夏のC86では、演歌歌手の小林幸子が、これまでVOCALOIDを使って発表された楽曲をカバーした(歌ってみた)CDを製作、個人サークルとして参加し自ら手売りを行った事が大きな話題となった。
2006年9月30日、米澤代表が重体となりC71より後任の代表は安田かほる・筆谷芳行・市川孝一の共同代表制に移行した(米澤は翌10月1日死去)。
有明移転後のコミックマーケットで特筆すべき点は、会場建物の構造上の問題からサークルスペースとしての運用が難しい西地区4階フロアをコミックマーケット準備会が企業に販売・プロモーション・市場調査のスペースとして提供する「企業ブース」の本格的導入である(C51より)。企業ブースについては、初めて導入された晴海のC48(この時は新館2階奥半分を使用)以降、企業の参加は「コミックマーケットの提唱する「アマチュア作家たちの表現の場」という理念に反する」と参加者たちからの批判が相次いだが趣旨としてはアクセス上の問題からサークルスペース配置に適さないフロアを収入源として有効活用しながら企業を「隔離」するためであるとC48の反省会時に当時の米澤代表より説明がなされている。やがて企業ブースの常態化に伴って当初ほど批判の声は聞かれなくなり、企業ブースで販売・配布される限定商品を目当てに来場しアマチュア作家たちの同人誌には目もくれない「企業専」と呼ばれる来場者たちも出てきている程である。企業側でも、コミックマーケットが貸し出す企業ブースは高い販売効果が望めるプロモーションの場として注目されていると言われている。その結果、2000年代に入ると同人サークルなどと同様に抽選によって落選する企業まで出る事例もみられるようになり、2009年以降は企業ブースに落選した美少女ゲームメーカーの中にはコミックマーケット開催日前日に開催される「秋葉原電気外祭り」へと出展するケースもある。また従来では漫画やアニメ、ゲームに関する企業の出展が中心となっていたが、2012年夏のC82にグーグルが、同年冬のC83にマイクロソフトが出展すると、これまで企業ブースでは見られなかった一般的な企業・団体が出展するようになり、中には雪印メグミルク(雪印コーヒー)、サントリーフーズ(オランジーナ)、国際映画著作権協会(NO MORE 映画泥棒)(いずれもC84〜)、ディズニー(C85、『エンダーのゲーム』のPR)、本田技研工業(C86)といった多様な企業がプロモーションの場として活用している。
会場利用の面でも企業ブースへの来場者が増えたことからC74より安全面を考慮し西地区4階フロアを全面的に企業ブースとして使用し屋上展示場を来場者待機場所に変更、従来まで屋上展示場を使用していたコスプレ広場をC74から北コンコースレストラン街そばの庭園に移転、C75からは庭園と1・2日目は屋外展示場、3日目は屋外展示場が駐車場として占有される代わりに企業ブース待機列が少なくなる屋上展示場を開放して併用する形となり、その後C83からコスプレ広場を「コスプレエリア」と名称変更し、トラックヤードやエントランスプラザもコスプレの場として開放するようになった。さらにC76からは会議棟の国際会議場でシンポジウムやステージイベントを開催、ついに東京ビッグサイトを全面使用する体制となった。
2013年夏に開催されたC84において、2日目の東ホールにてコミケに訪れた大勢の来場者達の身体から発せられた汗などの水分によって水蒸気が発生し、ホールの天井付近に溜まっていった水分が会場内の空調(冷房)によって冷却された結果、水蒸気が凝結して室内に白い霧のようなものが発生する現象(通称「コミケ雲」)が発生した。この現象は晴海時代にも目撃されているが、有明では近年においてはこれが初めてとなる。
祭の場として
テンプレート:Amboxテンプレート:DMCA テンプレート:独自研究 1990年代に入ると技術革新により各種同人作品の制作が容易となったことなどから、コミックマーケット参加者は急激に増加した。東京秋葉原・大阪日本橋を中心として日本全国に同人誌専門店などが増えインターネットなどを通じてより手軽に同人誌が入手できるようになった現在(中には、コミックマーケット開催前に同人誌専門店で販売されるケースもある)でも依然として日本全国の同人作品の制作者とファンが一堂に会する同人イベント最大の「お祭り」として存続している。
また、2005年に制作・放送された『電車男』などのドラマや秋葉原やメイド喫茶などが注目された関連で社会的に広く認知されるイベントになった。開催日の前後にはコミックマーケットがテレビ番組などで特集されたりすることも増えている。その一方、予備知識を持たない参加者の増加が、コミケットカタログでもしばしば指摘されるようになった。
その一方で参加者の驚異的とも言える増大によるイベント巨大化、企業との関係、さらには法令による「有害図書」規制やコスプレ、二次創作、パロディ表現にまつわる表現(とりわけ性的表現)の自由との関係、イベントにおける多大な頒布・売買行為の税務上処理などいくつかの課題も内包している。
その他
関連行事
- フジテレビ系列局で放送されたテレビドラマ『電車男』の第6回で、このコミックマーケットが題材として取り上げられた。ここでは「コミックキングダム」という架空の同人誌即売会として登場したが、設定は現実のコミケとはかけ離れている。もっともこれはどんなドラマのどんな分野にもある「話を面白く見せる為、あえて現実離れした展開にした」という事も考えられる。この放送回は折りしもC68の前日だった。ロケは、多数のエキストラを集めて東京ビッグサイトと幕張メッセで行われた。
- コミックマーケットの館内放送は長年、米澤英子がほぼ1人で担当しておりその象徴の一つだった。しかしC67の際、アナウンス中に喉を痛めてしまい発声できなくなるトラブルが発生。C68では放送要員増員を図り、予備要員の人間が交代で放送に当たった。コミックマーケット初の試みとして、C68の1日目の放送に男性が起用された。
- 会期中の各日9時45分、12時30分、15時45分にはそれぞれ不審物の発見等を目的とした一斉点検放送が行われる。この放送では毎回冒頭の数秒間で井上陽水の『夢の中へ』が流されており、単に「探し物」以上の意味でもイベント内容に通用する歌詞であることからこの曲を事実上のコミケのテーマソングとして捉える向きも多い。なお当初はイントロのみ使用されたが、後に参加者に使用意図を明確にするため歌い出しの「探し物はなんですか? 見つけにくい物ですか?」の部分まで延長されるようになった。なお、2013年春にニコニコ動画でオリジナルジングルが募集され、採用されたジングル『一斉点検!サーチ&マーチ』がC84から一斉点検放送で使用されることが決定したため、『夢の中へ』はC83をもって廃止された。また、C84より開会時・閉会時にもオリジナルジングルが導入された[35]。
- 冬コミに限り、コミックマーケット開催中の会場内および東京臨海高速鉄道りんかい線国際展示場駅前で東京都赤十字血液センターによる献血が実施される[36]。他の献血行事同様、特定の場所に献血バスが来て献血が出来るが、年末の押し迫った時期に献血バスを配車しているのは都内でも冬コミだけである[37]。例年、冬場は血液不足になりがちな時期であるが、そんな中にあって冬コミは毎回ある程度まとまった量の血液の確保が見込めるため、近年は献血実施側がアニメやゲームの制作会社と協力して冬コミ会場や都内の献血センターで献血した人にポスターなどをプレゼントする企画を行う[38][39]など、さらなる献血協力者の確保を狙っている。また、このように少なからず献血活動に貢献しているとして、コミックマーケット準備会は日本赤十字社から感謝状を贈られている[40]。
- 同様に現行会場である東京ビッグサイトの至近にあるイーストプロムナードがヘブンアーティストの正式な活動許可区域なこともあり、コミックマーケットの期間中に会場付近で彼らによる大道芸や路上パフォーマンスが行われることも近年増えている。彼らは主に昼過ぎから夕方にかけての「コミックマーケットの来場者が帰宅者に転じだす」時間帯に多く活動しておりコミックマーケットからの帰途につく人たちを楽しませている。
問題と対策
- 2008年7月16日の「コミケ会場に手榴弾を投げ込む」旨のものをはじめとする複数のテロ予告があり、また、秋葉原通り魔事件といった様々な事案がある状況であることを理由に当局から手荷物確認を実施するよう強い指導を受けC74にて手荷物確認が初めて実施された。
- 2008年夏に開催されたC74は、直前の8月3日に開催されたワンダーフェスティバルにおける西館の上りエスカレーターでの事故をうけて、約半数のエスカレーターの使用を中止した。開催直前だったため、公式HP以外にアニメショップや参加各企業とサークルにも事前に参加者に告知するように徹底された。2008年冬に開催されたC75においても西館の上りのエスカレータの使用を中止した(C75では上りのエスカレーターが使用できないという告知はなかった)。西館の上りのエスカレータの使用中止は、C76からC83までは全面的に利用が禁止された。C84からは関係者のみが利用できるようになっている。
- 2009年夏に開催されたC76の最終日では来場者が現金を引き出すためにゆうちょ銀行のATM(本店東京ビッグサイト内出張所)に殺到し、ATM内の残金が一時的になくなる事態が発生した[41](コミケ開催期間中にゆうちょ銀行ATM内の千円札がなくなる事は頻繁に起きているが、一万円札も一緒に残金が全部なくなったのは今回が初めて)。
- 2012年冬に開催されたC83は、2日目において「黒子のバスケ」サークルの不参加を要求する脅迫事件への対策として、通常通りの開催が行われれば以降のコミックマーケットでの東京ビッグサイトの使用が難しくなることが会場から示唆されたため、「黒子のバスケ」サークルの参加と当該作品の同人誌・グッズ等の頒布を中止させた。参加できなかったサークルは約900に及んだ。サークル参加料は返金となった。同時にC74以来となる手荷物確認を実施することになった[42][43][44]。自粛ムードが広がり、初日のコスプレでは「黒子のバスケ」のコスプレイヤーは見当たらなかった[45]。
- 近年、わいせつ性の極めて高いコスプレROMの頒布を行う、あるいはそれを企図するサークルが多く見られている。コミケはわいせつ物頒布等の罪によって開催が中止される最悪の事態を防ぐため、これらの規制を厳しくし、販売停止(発禁)の処分を行っている。しかし、これを逆手に取って、コミケットが販売停止処分にすることが見え見えの内容のDVDを意図的に持ち込んで処分を受け、同日開催される、規制の甘い『コスホリック』『となけっと』などの即売会イベントにこのDVDを持ちんだり、後日に改めて「コミケで発禁となった写真集」という宣伝文句を付けて販売するという「コミケ発禁商法」が横行している。
- 「企業ブース」以外の場所、特にサークルのスペースで法人の発行物を販売することは禁止されている。だが、アニメの製作委員会が個人名義でサークル内で販売するいわゆる「スタッフ本」や、サークル参加しているコスプレイヤーが企業ブースで自身のDVDを委託販売するなど、抜け道を利用する様な販売行為が発生している[46]。
脚注
参考文献
- コミックマーケット準備会『コミックマーケット30'sファイル』(2005年3月21日 コミックマーケット準備会自費出版。商業出版された版は2005年7月 発行コミケット、発売青林工藝舎、2100円、391頁、ISBN 4-88379-192-0)
- 霜月たかなか(原田央男)『コミックマーケット創世記』(2008年12月30日(発売日は12月12日) 朝日新聞出版、朝日新書、税抜き700円、216頁、ISBN 978-4-02-273250-7)
関連項目
アルファベット順・五十音順。
外部リンク
- コミックマーケット公式サイト
- コミックマーケット設営部
- コミケットサービス(有限会社コミケット)
- 弊社業務内容の変更に関する社告(2007.10 コミケプランニングサービス(現・シーピーエス))
- 有限会社サークル・ドット・エムエス(オンライン申込受付)
- 共信印刷株式会社
- コミックマーケットCD-ROMカタログ サポートページ(共信印刷内)
- 有明警戒1(徹夜参加者の様子)
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テンプレート:日本の同人誌即売会- ↑ 3日間開催以降、2012年までは金曜日から始まり日曜日で終わるのが主だったが、2013年は土曜日から始まり月曜日に終わる
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- ↑ 一日当たりの入場者が10万人を超える屋内イベントは、日本ではコミックマーケットのみである。ちなみに東京ゲームショウは2011年で最大83,744人(最終日・過去最大)、東京モーターショーは2009年で最大73,400人(9日目)
- ↑ 『コミックマーケット20周年記念資料集』 p420
- ↑ コミックマーケット準備会『コミックマーケット30'sファイル』より
- ↑ 参加者の一部にはこの理念を硬直的に理解し「客」という単語に過剰反応を示す者もいるが、各サークルが自サークルへの訪問者・購入者に対して「お客」と呼ぶことはこの理念とはまた別のものである
- ↑ 『同人誌委託コーナー』の中止について 2007年5月31日 コミックマーケット準備会
- ↑ 義務教育の意味についての疑問 2010年8月2日閲覧。
- ↑ 「COMIKET PRESS」21号による
- ↑ 「COMIKET PRESS」21号による。数値は原文のまま。
- ↑ 「コミックマーケット73 カタログ」1298ページ
- ↑ Webカタログを始めるにあたってのご挨拶
- ↑ 「コミックマーケット」カタログのWeb版がついに登場!! 無料β版を公開中,マイナビニュース,2012年11月4日
- ↑ 里見直紀、安田かほる、筆谷芳行、市川孝一 「マンガ同人誌の保存と利活用に向けて -コミックマーケットの事例から-」
- ↑ Q&A―企業・団体、個人
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ コミックマーケット準備会、コンテンツ研究チーム(出口弘(東京工業大学)ら)「コミックマーケット35周年調査 調査報告」 『コミックマーケット81カタログ』2011年12月、1315-1334頁
- ↑ 「コミケットスペシャル5 コミケットでまちおこし」、コミックマーケット準備会、2008年9月15日
「テーマは「まちおこし」」、まんたんウェブ、2008年9月15日 - ↑ オリンピック対策へ向けた布石か? 次回コミケットスペシャルが幕張メッセに決定 - おたぽる、2013年12月10日
- ↑ コミケットスペシャル6 ~OTAKUサミット2015~開催のお知らせ,コミックマーケット公式ウェブサイト,2013年12月29日
- ↑ 黒子のバスケオンリー同人誌即売会『くろケット』開催決定について,コミックマーケット公式ウェブサイト,2014年4月25日
- ↑ C84以降の『サークル参加申込書』「コミックマーケット年表(抜粋版)」では1979年のC13より「代表に就任」と記載されている。しかし、『コミックマーケット30'sファイル』では1980年就任とあり、矛盾する。また、C13時点で米澤が代表になったことを示す記録は公表されていない。
- ↑ 霜月たかなか(原田央男)『コミックマーケット創世記』 pp.149-150
- ↑ 佐川俊彦「愛する米澤さんへ」 虎馬書房『米澤嘉博に花束を』 p68
- ↑ コミックマーケット準備会『コミックマーケット30'sファイル』
- ↑ 準備会による退任発表。なお、米澤はこの発表の翌日に死去。
- ↑ 29.0 29.1 29.2 29.3 コミックマーケット86申込書セット12ページ
- ↑ (株)コミケプランニングサービスへの業務委託終了について(コミックマーケット準備会)
弊社業務内容の変更に関する社告(CPS) - ↑ 株式会社シーピーエス ホームページ
- ↑ 「コミケplus」58ページ ISBN 978-4-89610-577-3
- ↑ 『コミックマーケット30'sファイル』より
- ↑ 後に裁判で有罪・死刑判決が確定し、2008年6月に死刑執行。
- ↑ 『コミケ・ジングル超募集!』受賞作発表!!(コミックマーケット準備会)
- ↑ 夏コミ時も同様のイベントが開催されるが、献血参加者の健康への配慮から会場及び国際展示場駅での献血は行わず、都内及び周辺3県の血液センターでの開催になる。
- ↑ C83冊子版カタログ1328~1329ページ
- ↑ コンテンツエージェント株式会社「コミックマーケット 献血応援イベント」
- ↑ 2012年のC82より千葉県内の血液センターで(C82の時は同時開催ではなく9~10月の開催。)、2013年のC84からは埼玉県・神奈川県血液のセンターでも開催した。
- ↑ 「はたらくおぢさん総集編」54ページ(企画・編集:横川俊・コミックマーケット準備会)
- ↑ 使いすぎ?「コミケ」でゆうちょ銀行ATM残金ゼロ 身ぐるみ剥がされる!! J-CASTニュース、2009年8月17日
- ↑ コミックマーケット83における『黒子のバスケ』サークル・頒布物対応に関する緊急のお知らせ
- ↑ コミケ83:「黒子のバスケ」脅迫で一部出展見合わせを決定 - MANTANWEB(まんたんウェブ)
- ↑ コミックマーケット83、「黒子のバスケ」関連すべて中止へ 脅迫状への対応として - ねとらぼ
- ↑ コミケ83:「黒子のバスケ」同人誌900サークル出展見合わせ 37年で初の大規模自粛
- ↑ 「うしじまいい肉は氷山の一角!?」破廉恥すぎるエロコスプレーヤーたちの実情 - 日刊サイゾー 2011年8月25日