山陽電気鉄道5000系電車

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山陽電気鉄道5000系電車(さんようでんきてつどう5000けいでんしゃ)は、山陽電気鉄道が所有する3扉セミクロスシート通勤形電車である。

当初は2700系300形270形といった吊り掛け駆動方式を採用する旧性能車の置き換え用として計画・製造され、普通列車運用に充当されていたが、その後の増備・増結によって特急運用にも充当されるようになり、2011年現在では直通特急をはじめとした優等列車運用を主体に使用されている。

製造は全車とも川崎重工業兵庫工場が担当している。

山陽電気鉄道では車両の形式称号について書類上は「クモハ」や「モハ」などの車種を示す記号を用いているが、現車では車内を含め一切表記しておらず、また車両番号が重複しないよう同一数字を用いる形式では奇数・偶数で車種を分けて管理している。このため、本記事の以下の記述では、車種構成の項以外についてはこれらの記号を基本的に省略し、必要に応じて (M'c) や (M) などの略記号を付して解説する。また、解説の便宜上、神戸西代三宮)側先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述(例:5020以下6両編成=5020F)する。

テンプレート:鉄道車両

概要

本系列製造開始以前の山陽電鉄の主力車種であった3000・3050系は、従来の2000系が営業政策や運用上のさまざまな方針の変化に翻弄されて極めて複雑かつ多様な車体・機器構成[1]となって運用・保守の両面で不都合であったことへの反省から、3扉ロングシートという仕様を墨守して1964年から1985年まで22年の長きにわたり、合計133両が製造[2]された。

この3000・3050系は、神戸高速鉄道開業前後を中心とした高度経済成長期の山陽電鉄の輸送力増強に大きく寄与したほか、その後の増備では老朽化した在来車[3]の置き換えに充当され、結果として車両性能・輸送力の標準化と接客設備の品質向上、それに保守の合理化に大きく貢献した。

こうしてマイナーチェンジを加えつつ長期間にわたって製造された3000・3050系であるが、並走する競合線区である日本国有鉄道(国鉄)山陽本線新快速快速用の主力車両がクロスシート117系[4]とセミクロスシートの113系の各系列であったことから、それらと比較した場合、接客設備面で明らかに見劣りした[5]。さらに、3000系の基本設計は1960年代中期のものであり、今後もそのまま増備を続けた場合、接客設備面のみならずシステム面でも陳腐化が進むことが否めなかった。こうした事情から、1983年には現在の山陽電気鉄道が宇治川電気から独立して50周年を迎えたこともあり、その記念の意味も込めて3000系の後継となる新型車の検討が進められ、クロスシートや新しい制御方式の試作車として1編成を製造することが計画された。

しかし、こうした新形式車両の投入方針は、旧型車の置き換えと国鉄分割民営化対策の二点から急遽変更されることとなった。

この頃には旧型車の置き換えも最終段階に入り、1985年末には2700系3両、300形8両、270形15両の3形式26両を残すのみとなっていた。これらは、神戸高速鉄道開業に伴う同社線乗り入れに適さない在来車の淘汰を目的とした車体更新車として、1960年代に車体を製造[6]したものであった。そのため車体は陳腐化していなかったが、流用品を主体とする主要機器の老朽化が著しく、さらに旧弊な吊り掛け式の駆動装置を採用するため、乗り心地や軌道への負担の点で問題があった。また、15m3扉の300形と17m2扉の270形といった中小型車の存在は、輸送力確保と整列乗車の面からも問題があった。

さらに、国鉄分割民営化の内容が明らかになるにつれて、山陽本線が従前にも増して強力なライバルになることが予想された。そこでまとまった数の新形式車両を投入して一気に旧性能車を置き換え、車両冷房化を含めた接客レベルの向上を図ることで乗客の逸走を防ぐことが営業政策上強く求められた。

このような状況下で計画された本系列は、当時の私鉄電車ではあまり類例のない普通列車専用のセミクロスシート車として、山陽としては神戸高速鉄道開業時以来の大量増備となる、3両編成7本の計21両が一挙に製造されることとなった。

以後、本系列は1995年までに合計60両が製造された。

車種構成

本系列は以下の5形式6車種で構成される。

  • クモハ5000形5000・5002・5004・5006・5008・5010・5012・5014・5016・5018・5020・5022
  • モハ5000形5001・5003・5005・5007・5009・5011・5013・5015・5017・5019・5021・5023
  • モハ5200形5200・5202・5204・5206・5208・5210
    • 中間電動車 (M') 。モハ5200形奇数番号車とMM'ユニットを組み、SIVや蓄電池などの補機類を集約搭載するが、機器構成の近いクモハ5000形とは異なりCPは搭載しない。
  • モハ5200形5201・5203・5205・5207・5209・5211
    • 機器仕様はモハ5000形と同一の中間電動車 (M) 。主制御器やパンタグラフを集約搭載する。クモハ5000・モハ5000形の場合と同様、5200 - 5201、5202 - 5203の順でそれぞれ連番となる偶数番号を割り振られたモハ5200形 (M') とMM'ユニットを組む。
  • クハ5600形5600 - 5611
    • 姫路寄りに運転台を備える制御車 (Tc) 。基本的にはCPと電動発電機 (MG) を搭載するが、5609 - 5611はMGを搭載しない。
  • サハ5500形5500 - 5511
    • 付随車 (T) 。補機類を一切搭載しない。

なお、5200形は中間電動車のみでMM'ユニットを構成するが、これは山陽電鉄では初の事例である。

編成

本系列は当初、以下に示すように神戸側から5000形 (M'c) - 5000形 (M) - 5600形 (Tc) の3両編成で普通列車運用へ充当されて運用を開始したが、営業政策の転換で運用が普通主体から優等列車主体にシフトしていったことから4両・6両と順次長大編成化し、これに応じて中間車の新形式が追加されている。そのため、3両編成は一時2編成を連結して6両編成として運用されたケースもあったものの、最終的には1993年の5509・5511の増備で全て4・6両固定編成化されて消滅しており、2011年現在は4両編成が2編成[7]、直通特急に充当される6両編成が10編成[8]を構成する。

なお、これらの編成を構成するのに必要な車両数は総数68両であるため、本系列単独では8両不足することになるが、これは本系列の後継系列である5030系の5230形 (M2) ・5250形 (M3) を各4両ずつ新造[9]して既存の本系列4両編成[10]へ挿入することで補われている。

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3両編成
5000 5000 5600
M'c M Tc
4両編成
5000 5000 5500 5600
M'c M T Tc
6両編成(3両編成×2)
5000 5000 5600 5000 5000 5600
M'c M Tc M'c M Tc
6両編成(5200形組込)
5000 5000 5500 5200 5200 5600
M'c M T M' M Tc
6両編成(5230・5250形組込)
5000 5000 5500 5230 5250 5600
M'c M T M2 M3 Tc

テンプレート:-

車体

車体は3050系3066F以降の山陽電鉄在籍車両において標準となった、川崎重工業が開発したアルミ合金大型・薄肉中空押出形材を自動溶接で組み立てる方式を引き続き採用する。

前面のデザインは3000系から大きく変更され、運転台側は前方視界の良好な高運転台構造を継承したものの、車掌台側は前面窓寸法を下方向に拡大して左右非対称となり、運転台下部にナンバープレートを取り付けた。併せて前照灯を角型シールドビーム2灯に変更のうえ貫通扉直上に配し、3000系では貫通扉窓下に上下2段に配していた行先表示器および種別表示器を、行先表示器は運転台窓上に、種別表示器は車掌台窓上に、それぞれ移設、運転台下部も含めてブラックフェイス処理を施すとともに大型窓ガラスで一体化した。なお、従来は左右窓上に設置されていた標識灯LED化された上で車体裾部に移設されている。

窓配置は先頭車の運転台側が1dD3D3D2、車掌台側がd1D3D3D2、中間車が2D3D3D2(d:乗務員扉、D:客用扉、数字:窓数)で、幅1,300mmの両開き扉を備える関西私鉄では一般的な19m級3扉車である。側窓は3066F以降と同様に扉間部3連、車端部2連の大型ユニットサッシを採用し、開口部分は上段下降、下段固定式となっている。窓形状はその後のモデルチェンジによって固定窓の採用や中央窓の寸法拡大が実施されたものの、窓配置や側窓開口部寸法そのものは構体設計に制約されるためもあって大きな変更はない。運転台付き車両の窓配置が運転台の奥行きを確保するために左右で異なっているが、3000系と比較して乗務員室の奥行きを拡大したため、運転台側は3000系にあった乗務員扉と客用扉の間の戸袋窓が省略されており、車掌台側も3000系の乗務員扉と客用扉の間にあった開閉式の客用窓が廃止され、戸袋窓に変更されている。

また、車体断面も変更されており、3000系で設けられていた車体裾部の丸みが省略されたことから、全体として直線的な印象となっている。

客用扉は3066F以降と同様、耐久性の点で勝るステンレス製であるが、乗務員扉はアルミ製に変更された。

全車アルミ車であることから車体は無塗装のヘアライン仕上げが施され、アクセントと警戒色を兼ねて山陽軽合金車伝統の赤帯が腰回りに配されている。ただし、3000系までとは異なりドア部分も含めて幅300mmの太い帯が回され、乗務員扉から前頭部の帯は側面より太くされて警戒色の役割を与えられた。この警戒帯は、5020F以降は貫通路に近づくに従って帯の下辺が下がって幅が広くなる、V字状ラインに変更されている。

ファイル:Sanyo5000syanai.JPG
転換クロスシート車の車内

接客設備については、当初、中央扉を境とする相互離反式固定クロスシートが採用された。扉間にはバケットタイプの固定クロスシートを設置するが、車端部にはラッシュ時対策として従来と同様のロングシートを配した。クロスシートの最前列の前には座っている乗客と立席客を仕切り、乗降を円滑にするためのスタンションポール代わりのパイプが荷棚付近まで立ち上がっている。

この仕切は座席配置を見直し、転換クロスシートに変更された5020F以降は、パネルクッション付の衝立に変更されている。化粧板は3066F以降と同様に大型のFRP樹脂一体成型品を採用する[11]。また、蛍光灯には3000系2次車以降省略されていた樹脂製グローブが復活した。

なお、冷房装置は3050系で採用された集約分散式から、集中式のCU-71S[12]に変更されている。

2006年から2007年にかけて全編成に転落防止幌が設置された。

2014年には、5022Fの神戸方先頭車5022がクロスシートからロングシートに改造された(編成中1両のみ改造)[13]

主要機器

主制御器

制御器は当初界磁チョッパ制御VVVFインバータ制御の採用が検討されたが、前者は新たに複雑な構造の複巻電動機を搭載する必要があること[14]が保守面で問題とされ、後者は技術的に時期尚早と判断された[15]ことから、いずれの方式も採用を見送られ、既存の主電動機をそのまま活用することが可能で、省エネルギー効率も高い界磁添加励磁制御[16]が採用されることとなった。これにより1C8M制御方式の富士電機KMC-301主制御器[17]が新たに設計され、M車に搭載された。

主電動機

保守の容易さを重視し、3000・3050系と共通の三菱電機MB-3020S4[18]を採用した。1次車には新品が購入され搭載されたが、2次車は一部で2000系の淘汰および2300系の電装解除で発生したMB-3037[19]を3000形に搭載して3200形へ改造[20]し、これにより玉突きで捻出された中古品のMB-3020S[21]を流用して搭載している。

駆動装置もWNドライブが継承され、歯車比も3000・3050系と同一の82:15 (5.47) となった。

台車

5000Fから5018Fまでの1・2次車は3066F以降と共通の円筒案内式ダイレクトマウント空気ばね台車である川崎重工業KW-35(Mc・M用)・36A(T・Tc用)を5000系向けに設計変更したKW-35B(Mc・M用)・KW-36B(T・Tc用)をそれぞれ装着する。

ただし、1986年8月竣工の5012Fについては軸梁式ボルスタレス台車の試作品[22]である川崎重工業KW-73(Mc・M用)・KW-74(T・Tc用)を装着して落成し、実用化に向けた長期試験に供されたが、これは4年間にわたる試験の後でKW-35・KW-36Aを装着する5018Fとの間で台車交換が実施された。

この試験の成果を受けて、5020F以降の増備車については台車が新設計の軸梁式ダイレクトマウント空気ばね台車である川崎重工業KW-93(Mc・M用)・KW-94(T・Tc用)に変更された。このKW-93・KW-94はKW-73・74の軸箱支持機構を基本としつつ簡素化し、通常の心皿と枕梁を組み合わせたものである。山陽電鉄ではKW-73・KW-74の運用実績、特に自社線山陽塩屋付近の急曲線通過性能などの様々な事情から、ボルスタレス台車の正式採用は見送られた。

なお、前述したように一旦は5012Fと台車を交換してKW-73・KW-74装着となった5018Fだが、これも1991年の6両編成化の際にKW-93・KW-94を新製し再交換されている。

集電装置

パンタグラフは集約分散式冷房装置搭載スペースを確保する必要から下枠交差式のPK-57・PK-60を採用した3050系とは異なり、冷房装置が屋根上投影面積が小さく菱枠形パンタグラフでも干渉しない集中式となったこともあり、製作コスト削減のため在来車の廃車で余剰となったPK-55菱枠パンタグラフが流用された。

ブレーキ

ブレーキは山陽初となる全電気指令式ブレーキの日本エヤーブレーキ[23]HRDA-1が採用された。従来の直通管と非常管、それに元空気だめ管を引き通し、かつ電磁弁のための指令信号を引き通す複雑なHSC-D電磁直通ブレーキとは異なり、4本の指令信号線と1本の空気管を引き通すことで簡潔かつ応答性の高いブレーキシステムを構成するものである。

補助電源・空気圧縮機

補助電源については冷房化以降の3000系および3050系の構成を踏襲し、5000形 (M'c) および5200形 (M') に120kVA級のGTOサイリスタ素子による静止形インバータと蓄電池を搭載し、5600形に予備として6kVAのMG-303電動発電機を搭載、空気圧縮機は補助電源から給電される直流電源で駆動するHS-20を5000形 (M'c) と5600形 (Tc) に搭載するのが基本である。

ただし、5030系の5230・5250形を組み込んだ6両編成に使用される5602 - 5605については、5230・5250形にSIV搭載スペースがない[24]ため、これらを増結して6両編成化した際にMG-303を5630形と同じ出力170kVAのIGBT素子の静止形インバータ・富士電機CDA963へ、さらにこれに併せて空気圧縮機をやはり5630形に搭載したのと共通のHS-20-1(交流電源駆動)へ、それぞれ交換している。

また、電動車ユニットが編成中に2組存在し、補助電源装置もそれぞれに搭載されていていずれか一方が故障しても運転が続行可能となるため、6両編成化時に5600形の一部は当初搭載していたMGを撤去している[25]

個別分類

ファイル:Sanyo-5000-5000F.JPG
5000系 1次車(スカート交換前)

1次車(5000 - 5013・5600 - 5606)

1986年6月から8月にかけて5000F - 5012F(5000 - 5013・5600 - 5606)の3両編成が7編成(21両)製造された。クロスシートのモケットは、先頭車と中間車で配色が異なっており、先頭車が座面中央部がブラウン・左右オレンジで、中間車は中央マルーン・左右はカーマインレッドとなっていた。このため、登場時に配布されたパンフレットにはロマンスシートと茶系統の座席モケットの色調をかけ合わせた「マロンシートカー」の愛称で紹介されていた。また、このグループではクロスシートの背ずり背面まで左右のモケット地が張られており、当然のことながら先頭車と中間車で色が異なっていた。

5000F・5010Fの側面行先表示器はLED式となっている。なお、このときに捻出された幕式の行先表示器は5030系2次車に流用されている。 また、5002Fの山側の側面行先表示器は一時的にLED式とされたが、のちに字幕式に戻されている。

5000Fのみ、窓枠が黒色に塗装されている。

スカートは切り欠きの小さいものを装着していたが、5004Fが2012年2月の定期検査時に3次車と同一の物に交換された。これ以外の車両も定期検査時に順次交換され、2013年2月までに全編成が交換された。

2次車(5014 - 5019・5500 - 5503・5607 - 5609)

1988年5月から1989年7月にかけて、5014F・5016F・5018F(5014 - 5019・5607 - 5609)の3両編成が3編成(9両)、および5500 - 5503の4両の合計13両が製造された。

このグループでは、まず後述するように特急運用に本系列を投入することとなり、4両編成化のために付随車が必要となったことから、1988年5月に5500形5500・5501の2両が、翌1989年5月には5502・5503の2両が製造された。また、この頃になると3000系の冷房改造も最終段階に入り、山陽で最後に残る非冷房旅客営業車両となった2000系の今後の扱いについて検討されていたが、結局は冷房化の促進と保守コストの削減のために本系列の増備を行い、これにより2000系の淘汰を行うことが決定された。このため、1988年12月には5014Fの3両編成1本が、1989年7月には5016F・5018Fの3両編成2本がそれぞれ製造され、2000系2008F・2010F・2014Fの3編成を代替した。

1次車からの主な変更点は、1次車でクロスシート背ずり背面のモケットがむしりとられるいたずらが多発していたことから背面を化粧板に変更した点や、車体側面帯の貼付方法の微修正、将来の6両編成化を睨んで先頭車にジャンパ栓を設けたことによってスカートは海側の切り欠きが大きくなったものに変更された点などである。

6両編成での運用が開始されると、5000形(M'c)および5600形の前面貫通扉に枠が装着され、スカートの切り欠きが山側にも拡大され3次車に似た形態になった。その後2008年に5018Fのスカートが3次車と同一のものに交換され、2011年までに5014F・5016Fも3次車と同一のものに交換された。

なお、5500だけは窓枠が黒色に塗装されており、側面行先表示器もLED式に改造されている。5501については、一時的に山側の側面行先表示器がLED式に改造されていたが、のちに字幕式に戻されている。

3次車(5020 - 5023・5200 - 5205・5504 - 5509・5610・5611)

2000系の最終置き換えと特急の一部6両運転開始に備えて製造されたグループで、1990年に5020F・5022F(5020 - 5023・5504 - 5505・5610・5611)の4両編成が2編成(8両)[26]、翌1991年には5018F - 5022Fの3編成を6両編成とし、同時に5008F - 5012Fの3編成を4両編成とするために中間電動車ユニットの5200形5200 - 5205の6両および5600形5506 - 5509の4両、合計18両が製造された。2次車をベースに乗務員室で一斉転換可能な転換クロスシートを装備し、シートモケットの色もワインレッドのチェック地に変更された。また、この転換クロスシートは端部の座席も転換することができ、全座席が進行方向を向くことが可能である。このため、前述のようにクロスシート部分の仕切形状も変更になってパネルクッション付の衝立となったほか、ロングシート部分にもモケット張りの袖仕切が取り付けられた。台車も前述したようにこのグループから軸梁式ダイレクトマウント空気ばね台車のKW-93・94に変更されている。

乗降扉のドアエンジンは1・2次車よりも静かな開閉音になった。

この他、側帯から前面警戒帯にかけてのラインがV字状に変更されたほか、正面貫通扉周りには当初から幌枠が設置された。また、特急停車駅のうち、大塩駅飾磨駅の2駅でホーム有効長が最大4両編成分しかなかった[27]ため、2両分のドアカットスイッチおよび戸閉回路を設けた。その後飾磨駅は構内配線の改良と構内踏切の廃止、跨線橋エレベーターの設置、それに各ホームの延伸・拡幅工事により、ホーム有効長は1・3番線とも最大6両編成対応となった。これに対し、大塩駅の上り3番線ホームは2011年現在も待避線である4番線の分岐曲線の制約もあって5両編成が上限となっている。このため同駅では姫路寄り最後尾車1両分のドアカットが実施されている。 テンプレート:-

4次車(5510・5511)

1993年に当時3両編成のまま残っていた5014F・5016Fを4両編成にするため5510・5511の2両が製造された。窓形状が若干変更され、扉間の3連ユニットサッシの中央部と車端部の2連ユニットサッシの妻寄りは従来の2段窓であるが、それ以外の窓が一枚式の固定窓となった。また、外枠の縦桟と下枠の一部がつや消し黒に着色されている。山陽電鉄で初めて車椅子スペースを姫路寄り山側のロングシート部分を短縮して設置したほか、台車も3次車と同じKW-94であるが、山陽としては初めて新造時から波打車輪を採用した。

5次車(5206 - 5211)

1995年に5012F - 5016Fの3本を6両編成化するために中間電動車ユニットの5200形5206 - 5211の6両が製造された。4次車をベースに製造されたが、窓の形状が大幅に変更され、従来等間隔だった扉間の3連ユニットサッシが中央のみ幅1,500mmの大きな1枚窓になってシートピッチとの一致と眺望の改善が図られ、両端の窓が2段窓となったほか、日よけの巻上げカーテンがフリーストップ式となった。この他、優先座席部分のシートモケットが緑色のチェック地に変更されたほか、窓枠の着色が中止された。なお、このグループが本系列の最終増備車となった。

運用

就役開始

山陽電鉄としては3050系以来久しぶりの新系列となった5000系は、1986年6月から8月にかけて3両編成7本計21両が登場[28]、同年7月中旬以降から営業運転を開始した。久々の新型車、それも2000系クロスシート車のロングシート化改造以来15年ぶりとなるクロスシート車であることから、デビュー前からポスターやパンフレットで周知とPRを図ったほか、営業運転開始前には公募による試乗会も実施された。この試乗会は1日1往復2日間の日程で計画されていたが、応募者の数が当初予想を大きく上回ったため、急遽1日3往復2日間に変更されるほどの評判の高さであった。

特急運用

こうして当初の計画どおり本線、網干線の普通運用に充当され、最後まで残存していた非冷房かつ吊り掛け駆動の旧型車を置き換えることで冷房化率の向上をはじめとした旅客サービスの向上に寄与した本系列であるが、久々のクロスシート車であることから、周囲に拒否反応が出た場合を想定してロングシートに容易に改造できる構造になっていた。

ところが、実際には就役後の乗客からの評判が高く、乗客や営業サイドからはクロスシートの本系列を特急運用に充当してほしいとの要望が出るようになった。

登場翌年の1987年には3000系の代走で特急運用に充当されたほか、早春の観梅シーズンに運転されていた網干線直通の臨時特急である「観梅号」にヘッドマークを掲出して充当されるなど、徐々に優等列車に運用される機会が増加、1988年には5500・5501のT車2両が竣工して5000Fと5002Fを4両編成化、ラッシュ時の運用を避けた形ではあるが、本格的に特急運用に充当されるようになった。

また、同年8月から5000Fが車内広告の代わりに沿線小学校の児童の絵を掲出するようになり、「クレヨン号」のヘッドマークを掲出して運転されるようになった。こうした経過を踏まえて、更新の時期を迎えていた2000系の代替を5000系で行うことが決定され、同年の冬から翌1989年夏にかけて5014F・5016F・5018Fの3両編成が3編成増備されるとともに、5502・5503のT車2両も製造されて5004F・5006Fに編入、特急運用に充当される機会も増加した。

6両編成化

1991年4月の明石周辺の連続立体化工事完成で地上設備の条件が整ったのを期に、山陽電鉄では特急を6両編成で運行することとなった。6両編成運用そのものは、須磨浦公園以東の区間において神戸高速鉄道を介して乗り入れてくる阪神電気鉄道および阪急電鉄の車両によってすでに行われていたが、山陽電鉄自身が保有する車両による全線通しでの営業運行は初めてであった[29]ことから、その準備は早い時期から進められた。特急停車駅のホーム延長・6両編成対応化もそのひとつであるほか、実際に6両編成の列車を運行してデータを収集することも行われた。当初は夜間が主体であったが、1989年10月24日には初の6両編成による昼間試運転東二見 - 霞ヶ丘 - 高砂 - 東二見の各駅間において実施され、5016Fと5018Fの3両編成を2編成組み合わせた編成が充当された。

6両編成化に向けた車両の増備は着々と進み、1991年3月までに5018F・5020F・5022Fの3編成が6両編成化されたほか、同時に製造された5506を5012Fに組み込むとともに当初5020F・5022Fに組み込まれていた5504・5505をそれぞれ5008F・5010Fに編入して、下一桁の番号が揃った形で4両編成化された。このとき3両編成のまま残った5014Fと5016Fはこれら2編成を組み合わせて5014F+5016Fの形で6両編成化された。また、この時期には5012Fと5018Fとの間で台車交換が実施され、5012Fの各車が装着していた川崎重工業製試作ボルスタレス台車であるKW-73・KW-74を5018FのKW-35B・KW-36Bと交換した。5018Fはしばらくの間KW-73・KW-74を装着して走っていたが、こちらも6両編成化の際に、編成に組み込まれた5507 - 5200 - 5201と同じKW-93・KW-94に交換された。その後の山陽の車両にはボルスタレス台車の採用はなかったが、KW-73・KW-74の使用経過はメーカーの川崎重工業にフィードバックされ、台車技術の進展に寄与することとなった[30]。また、5000系3次車によって2000系を完全に置き換えたことで保有車両が2300・3000・5000の3系列[31]に絞られたほか、前述のように製造時における廃車発生品の有効活用や形式間のモーターや電装品の共通化が図られたことによって、製造コストおよび保守コストの削減にも貢献した。

6両編成での運行が開始された後、4次車として5500形5510・5511が1993年11月に増備されたが、これらが竣工する直前の同年9月に5016Fと5018Fのうち5016 - 5019・5608・5609の計6両の固定式クロスシートが転換式クロスシートに交換された。このときの改造では、新造時から転換式クロスシートを設置した車両とは異なり、中央扉周囲のクロスシートが同様式ながら固定式となっていることが特徴である。また、この6両から取り外された固定式クロスシートは3076F・3078Fのクロスシート化に活用され、これら2編成は4両編成となった5014Fと5016Fの代わりに、本系列6両編成の検査入場時や事故時などに3両編成を2編成組み合わせた6両編成として運用された。なお、5510と5511の増備の際には、以前に行われたような下一桁の番号を揃えるT車の組み替えは行われていない。

また、2013年6月には5000Fが5030系の5231と5250を組み込んで6両化されている。

阪神・淡路大震災

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、5022Fが、地下トンネルが崩落した神戸高速鉄道大開の駅構内を間一髪のところで通過、脱線してパンタグラフは破損したものの車体に大きな被害はなく、脱線復旧後新開地に引き上げ、地下線内の狭いスペースの中で検査とパンタグラフの換装が実施された。このほか5018Fが新開地に取り残されており、高速神戸に取り残されていた3070Fとともに、同年2月6日の高速神戸 - 新開地間の復旧後は同様に同区間に取り残されていた阪神5131形5131F・5139Fの2編成と共に新開地 - 阪神本線三宮間の運用に充当され、復旧区間の拡大に伴って岩屋西灘へと運転区間を延長した。

特に5018Fと5022Fは4両編成であった残り3本とは異なり、収容力の大きな6両編成であったことから輸送力の確保に貢献、同年6月1日花隈 - 阪急三宮間の復旧以降は阪急線内への乗り入れも再開した。6月下旬には阪神本線も全線復旧したことから、運転区間も新開地 - 六甲大石と東側は旧に復したが、肝心の西側は大開の駅施設が崩落したことから復旧が8月13日までずれ込んだ。これらの編成は復旧前夜にようやく山陽線内に引き上げることができたが、洗車ができないため車体の汚れがひどく目立ってしまったという話が残っている。

また、震災の前後には6両編成運用の増強のために5次車の製造が進められていたが、震災の影響によって竣工が6月にずれ込んだ。5次車登場直前の3月には5014Fに対しても転換式クロスシートへの改造を実施、このとき取り外された座席は3074Fのクロスシート化に活用されている。

直通特急

山陽電鉄にとっては1968年の神戸高速鉄道開業以前からの悲願の一つであった、阪神梅田への直通特急が1998年2月から運行を開始した。

これに伴い新造された5030系とともにこの直通特急運用に充当されることになった本系列には、そのための準備工事が施工されることとなった。具体的には、5500形への連結器偏差アダプターの搭載[32]、運転台マスコンハンドルデッドマン装置解除機能の追加、列車種類選別装置や車掌台側への補助標識受の取り付けなどである。なお、これらの改造は検査や事故発生時を考慮して、4両編成のまま残された5000F・5002Fの2編成に対しても施工されており、他編成の定期検査時や非常時に前者は5004F・5006F・5008F・5010Fのいずれかの編成に挿入されている5030系2次車2両を編成中間に増結し、後者は5012F・5014F・5016F・5018F・5020F・5022Fのいずれかの中間車2両を編成に挿入して6両編成を組成し、必要に応じて直通特急運用に充当されるようになった。また、時期は不明であるが1次車と2次車のうち1次車に組み込まれたT車についてはシートモケットの汚れが目立つようになってきていたことから、3次車以降と同じワインレッドのチェック地に交換された。ただし、1次車のシートモケットは従来同様背面にまで回りこんで張られている。併せて、1 - 4次車の優先座席部分のシートモケットが緑色のチェック地に変更されている。

この直通特急の運転開始が話題を提供した一方で、神戸高速鉄道開業以来長く続いた阪急神戸線への乗り入れ運用が六甲から三宮までに短縮され、また本数も削減されたことから、阪急線内に本系列が入線する機会は減少した。

この直通特急が大きな反響を呼んだことから、2001年3月のダイヤ改正に際して山陽電鉄は5030系2次車8両を増備して本系列の4両編成に2両ずつ組み込み、自社在籍の直通特急へ充当可能な6両編成を8編成から12編成へ4編成増やして直通特急運用の増加に対応した。また、このダイヤ改正では直通特急が大増発されたことによって本系列による阪神線内および高速神戸駅折り返しの間合い運用が設定され、夜間には梅田駅構内や御影留置線で滞泊する運用も出現した。

2006年10月のダイヤ改正以降は運用に大きな変化はなく、2010年1月現在、本系列は60両が在籍し、5030系2次車8両を含む6両編成が10編成、直通特急や特急を主体に運用され、4両編成のまま残された2編成はS特急や普通運用を中心に運行されている。なお、2009年3月20日阪神なんば線が開通し、近畿日本鉄道との相互直通運転を開始したことから、阪神本線尼崎 - 三宮間では近鉄の車両(1026・1252系5800系5820系9020・9820系)と並ぶ光景も見られる。

車体装飾

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時のまち・あかしPRラッピング電車(山陽姫路駅にて)

本系列は直通特急の主力として阪神梅田 - 山陽姫路間91.8kmという私鉄の優等列車としては長距離を走ることから、沿線で開催されるイベントやNHK大河ドラマで沿線が舞台になるときは、その宣伝効果を生かしてしばしば本系列の一編成全車にラッピングが施され、利用者や沿線住民へのPRと乗客誘致に役立てられている。

  • 2003年には5006Fに『武蔵 MUSASHI』関連で「播磨の武蔵」のラッピングが、5022Fには阪神タイガースセ・リーグ優勝記念号のラッピングがそれぞれ期間限定で施されていた。
  • 2005年には5008Fに『義経』関連で「源平の戦い」のラッピングが、5010Fには阪神タイガース優勝記念号のラッピングがそれぞれ期間限定で施されていた。
  • 2007年7月2日から5020Fは山陽電鉄100周年記念号(先頭車の前面右側にヘッドマークを装着)として運行され、車内にポスターが掲出されている。それ以外の編成は、山陽電鉄創立100周年記念ヘッドマークを先頭車の前面右側に装着している。
  • 2009年3月3日から5020Fに明石市の観光PRとして、「時のまち・あかしPRラッピング電車」が期間限定で施されている。(2013年3月末で終了)

脚注

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参考文献

  • 電気車研究会鉄道ピクトリアル』各号(1990年5月臨時増刊号 No.528 特集「山陽電気鉄道/神戸電鉄」、2001年12月臨時増刊号 No.711 特集「山陽電気鉄道/神戸電鉄」)
  • 関西鉄道研究会『関西の鉄道』 No.49 特集 「阪神電気鉄道 山陽電気鉄道 兵庫県の私鉄PartII」

関連項目

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テンプレート:山陽電気鉄道の車両
  1. 神戸高速鉄道を介した阪神本線や阪急神戸線への乗り入れ規格が二転三転したことによって電装品が複雑なものとならざるを得なかった。しかも、混雑緩和を図るためにロングシートを採用するか、長距離客に配慮してクロスシートを採用するかで社内の意思統一を図るのに苦労したことから、1系列の中で2扉・3扉・セミクロスシート・ロングシートが混在してしまった。加えて車体構造の比較検討のために普通鋼・スキンステンレス・アルミの3種の車体が並行して製造されたため、3両8編成24両が在籍したものの同一仕様の編成が3編成しか組めず、台車も空気ばねと金属ばねで3系統が混在する、という保守・運用上極めて扱いの難しい系列となった。
  2. 2000系や2300系からの編入車も含めると総数は148両となる。
  3. 700250820・850形など。いずれも旧式な吊り掛け駆動方式を採用する。
  4. 1980年までは新快速・快速に153系を使用。
  5. 座席は長距離客に配慮して座面が低く奥行きの深いロングシートを採用していたものの、京阪神間での並行各私鉄との対抗上破格のハイグレードな内装を備え、シートピッチの広い転換クロスシートを備える117系とは比べるまでもなかった。
  6. 2700系は700形、300形は200形、270形は100形の車体更新車である。
  7. 5000F・5002Fの2編成。
  8. 5200形を含む5000系単独編成は6編成、5230・5250形を含む5000・5030系混結編成は4編成。
  9. 後述する三菱電機MB-3020S4主電動機の生産打ち切りに伴う諸事情から在来車と同じ5200形の増備が叶わなかったため、それらに代えて2000年の直通特急増発に伴う増備の際に新造された。
  10. 5004F・5006F・5008F・5010Fの4編成。
  11. このパネル構成はロングシート車への改造が容易なように配慮されていたが、クロスシートが好評であったことから、これは杞憂に終わっている。
  12. この冷房装置は本系列登場後の3000・2300系冷房改造車にも採用された。
  13. 山陽電鉄5000系5022号,オールロングシート化される - 鉄道ファン「鉄道ニュース」2014年5月15日付
  14. 神戸高速鉄道を介して山陽と相互直通運転している阪急神戸線・阪神本線の両路線には阪急7000系阪神30008000系といった界磁チョッパ制御車がすでに登場していたが、いずれも直流複巻式整流子電動機を主電動機として搭載している。
  15. この頃登場していた一般鉄道向けの量産型VVVF制御車は大阪市交通局大阪市営地下鉄20系近畿日本鉄道(近鉄)3200系東京急行電鉄(東急)9000系新京成電鉄8800形などごく少数で、心臓部となるスイッチング素子の製造コストが極めて高価で性能や信頼性の点でも満足の行くレベルには到達していなかった。
  16. 当時の国鉄205系で実用化され、国鉄では省エネ制御方式の切り札と目されていた。この方式は従来の抵抗制御方式の延長線上に存在し、既存の直流直巻モーターが流用可能なため、2000系の教訓から部品の標準化を重視する山陽にとっても好都合な方式であった。
  17. 基本は3000・3050系用のKMC-201を簡略化したシンプルな電動カム軸式制御器であり、これに界磁添加励磁制御用回路を付加している。
  18. 端子電圧375V時定格出力125kW。
  19. 端子電圧375V時定格出力110kW。
  20. 3000系3034F・3036F・3010Fの3本が順次改造され、3206F・3208F・3210Fと改番された。このことからも明らかなように、旧2000系8本分のMB-3037は現在6本分が3200系にて使用されており、2本分は検査予備となっている。
  21. 山陽電気鉄道向けのMB-3020(MB-3020S)には新造時期により改良や使用ねじのISOねじ化、あるいは弱め界磁率の引き上げなどの仕様変更が加えられてS1からS4までのサフィックスが付されたサブモデルが存在し、いずれのタイプが流用されたかは明らかではない。ただし、いずれのタイプも検査の機会を捉えて最新仕様にアップデートを行う工事が継続的に実施されており、2011年現在は全て最新のMB-3020S4相当となっている。
  22. 川崎重工業による高速電車用ボルスタレス台車の第1号は京阪3000系で試験されたシェブロン式積層ゴムばね台車のKW-25(1977年)で、KW-73・74はそれに続く2世代目となる。また、これらの台車は新規設計としてはOK-25B(1964年)以来18年、最後に製造されたものでも京浜急行電鉄向けOK-17M(1977年)以来9年に渡って途絶えていた、川崎重工業製軸梁式台車の開発再開第1号でもある。
  23. のちにナブコを経てナブテスコへ社名変更。
  24. 5030系では補助電源は5630形に集中搭載する。
  25. 当該編成は当初は3両編成ないしは4両編成で運用していたため当初は5600形に予備の補助電源としてMGを搭載していた。
  26. T車の5504と5505は後に5008F・5010Fに編入された。
  27. 当時の飾磨駅では構内踏切が存在し、このため上り本線列車用の4番線ホーム(現在の3番線ホーム)は姫路側へ延伸することで6両編成対応が実現したが、ホームの姫路寄り端部に構内踏切が、神戸寄り端部には改札口と踏切がそれぞれ設置されていたため、これらと干渉する下り本線用1番線ホームの延伸はそのままでは不可能な状況にあった。また、大塩駅も本線がカーブしている上にホームの両端が踏切に挟まれており、こちらも延伸が極めて困難であった。
  28. 竣工時期は5000F・5002F・5004Fが6月、5006F・5008F・5010Fが7月、5012Fが8月で、竣工月日から工場の同一ライン上で順次製造されたことが知れる。
  29. 非営業のものとしては、1965年1月26日に3000系アルミ車のPR映画作成のために西代 - 飾磨間を走行したことがある。
  30. 詳細については山陽電気鉄道の旧型電車の項を参照のこと。
  31. 3000系には3050・3100・3200の各派生系列を含む。
  32. 阪神と山陽では連結器の種類がバンドン式密着連結器(阪神:当時。のちに近鉄との相互乗り入れに伴い廻り子式(柴田式)密着連結器へ変更されている)と密着式自動連結器(山陽)と全く異なっていて互換性がなく、しかも連結器高さも異なっていたため故障時などに連結することができなかった。そのため、従来は相互乗り入れ区間が限られていたことから各駅に連結器変換用のアダプターが準備されていたが、この直通特急の場合は乗り入れ距離が長大となることから、阪神側も含めて乗り入れ運用に充当される各編成にアダプターが搭載された。