遠鉄バス

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テンプレート:複数の問題 テンプレート:Vertical images list 遠鉄バス(えんてつバス)とは、遠州鉄道(遠鉄)が主に静岡県遠州地区で運営しているバス事業の通称をいう[注釈 1]

目次

概要

様々な施策を試行錯誤して取り入れるのが特徴的で、早期の初乗り100円の導入、アイドリングストップ時の音楽再生など、様々な施策を行っている。この点の詳細は、#特徴的な施策を参照されたい。

一般路線バスは、現在は浜松市湖西市磐田市袋井市を中心に運行。ごくわずかに森町掛川市へも乗り入れる。2004年2月までは、鳳来寺線愛知県南設楽郡鳳来町(当時)へも乗り入れていたが、同年2月29日いっぱいで鳳来町へ移管、現在は新城市営バスとなっている。

灯火について

デイライト運動は行っていない。ただし、狭隘な通学路などでは常時点灯を実施している箇所もある[注釈 2]

遠鉄では、日中や夕刻、早朝などに点灯させる際[注釈 3]にはヘッドライトを使用せず、フォグランプ車幅灯のみを点灯させることが一般的となっている。また、ヘッドライト使用時もフォグランプと車幅灯を併用し、信号待ちなどの際にはヘッドライトのみを消灯させ左記2灯のみを点灯させておくことが多い。

「オムニバス」などと表記された社名表示灯は、車種により点灯することが出来るものと出来ないものがあるが、点灯できる車輛でも点灯させるかどうかは乗務員の判断による。

沿革

鉄道事業関係の沿革は遠州鉄道及び遠州鉄道鉄道線を、車輛については#車両の沿革参照のこと。

遠州鉄道発足まで

遠鉄バスの営業エリアにおいて、初めて乗合自動車の運行が行なわれたのは、1918年に浜松自動車が浜松と二俣(現在の遠州鉄道鉄道線に引き継がれ、現在の浜松の市内交通の嚆矢)、森と袋井を結ぶ路線を運行開始したのが始まりである[1]。翌1919年に湖西自動車が鷲津と三ヶ日を結ぶ路線を運行開始[1]1920年には本多一明が浜松から掛塚を経由して磐田に至る路線を開設した[1]ほか、万歳自動車が浜松自動車の路線の引継ぎや気賀・弁天島方面への路線を開設した[2]。浜松自動車はこの時に廃業している[1]1921年には坂下自動車商会が浜松と宇布見を結ぶ路線の営業を開始しており[2]、これらが遠鉄バスのルーツとなる路線といえる[2]

1923年から1929年までにかけては小規模なバス事業者が乱立したが、路線が競合することも多くなったことから、各社間協議の上統合の方向に進むことになる。1929年に笠井自動車(1923年創業)・万歳自動車・遠州自動車(1924年創業)・坂下自動車の4社が合併して浜松自動車(1920年に廃業した浜松自動車とは別)が成立し[2]、車体の色も銀色に揃えたことから「銀バス」とも呼ばれた[2]。今日でも遠鉄バスのベースカラーは銀色であるが、この時からはじまったものといえる。1933年には、掛塚自動車(1924年創業)が寺田自動車商会(1924年創業)とキング自動車(1924年創業)を買収した[2]ほか、静岡電気鉄道からも一部の路線を譲り受けて規模を拡大した[2]。また、1931年には遠州自動車商会と秋葉自動車商会が合併し、遠州秋葉自動車として設立された[2]が、同社は1937年に高木安治が運行していた水窪線・佐久間線を買収し、北遠地区全域に路線網を拡大した[2]

一方、1907年には浜松鉄道が発足し、同社の路線は1919年に遠州電気鉄道に事業継承されている[3]が、この地域に発達したバス路線網と鉄道線の競合が激しくなった[3]。自社鉄道線の防衛のため、1927年に遠州電気鉄道もバス事業に参入した[4]。遠州電気鉄道は周辺バス事業者の買収や資本参加などで次第に営業エリアを拡大していった[4]。また、同時期に軽便鉄道路線を運行していた浜松電気鉄道も、競合していた秋葉自動車運輸と合併することでバス事業に参入した[3]

他方、浜松市内では、大正時代から市営による乗合バスの運行計画が何度か立案されていた[3]が、財政事情や社会情勢から見送られていた[3]1936年浜松市では浜松循環自動車と中田島自動車を買収し、5路線で市営バスの運行を開始している[3]

日中戦争の勃発によりガソリンの供給規制が行なわれると、不要不急の路線は廃止され、工場や勤労奉仕者の輸送に重点が置かれるようになった[4]1942年には戦時統合の運輸省通牒により、静岡県内を3ブロックに分割した上で統合するように指針が示された[4]。これを受けて各社間で調整が行なわれ、6社の合併と4社の営業譲渡により新会社を設立することとなり、1943年に遠州鉄道が発足したのである[4]

東名高速道路の開通まで

第二次世界大戦が終戦を迎えたが、浜松市周辺には軍需工場などが多く立地していたことから、浜松市は空襲によって大きな被害を受けていた[5]。バス車両も空襲で焼失・破壊されたものが多く、終戦時点の遠鉄バスの稼動車は50台、市営バスに至ってはわずか6台が残ったのみであった[5]。稼動車両をかき集めて復旧に努めたが、復興が軌道に乗るまでには期間を要した[5]。この間、国鉄バスから水窪線の譲渡要請があり、当初遠鉄は反対の立場をとった[5]ものの、復興の見通しがまだ不明瞭だったことに加え、「早期に路線運行が再開されるのみならず、将来は鉄道が開通する」と解釈した地元自治体が国鉄バス運行に賛成の立場をとったため、今後遠鉄バスのエリアに国鉄バスの路線計画を行なわないことなどを条件に、1946年に水窪線を譲渡した[5]

1947年以降は復興も本格化し、1950年にはほぼ全路線の復旧が終了した[6]1952年にはガソリン統制が解除されたことに伴い代用燃料車両を全廃[6]1959年には全車両がディーゼルバスに置き換えられた[6]

1955年からは「安全・迅速・快適」をスローガンとして掲げ[6]、ほぼ全路線で増便を行い、「待たずに乗れる遠鉄バス」という基盤を作った[6]1958年には遠鉄浜松駅乗り入れが実現し、1959年からは幹線ダイヤのパターンダイヤ化が行なわれた他、長距離路線や急行便の設定、さらには日祝日ダイヤの導入による合理化が行なわれる[6]など、今日に至るまで続く遠鉄バスの事業基盤を形成している。

1958年には佐久間ダム完成に伴い、浜松から佐久間へ直通する急行便の運行を開始した[7]ほか、1959年には浜松定期観光バスの運行を開始するなど、観光需要の増加に対応する施策が目立った[7]。また、国鉄バスとの運輸協定により浜松と豊橋を結ぶ直通便の運行が開始された[7]ほか、1963年には静岡と浜松を結ぶ急行バス「(国道)静岡浜松線」の運行が静岡鉄道(当時)大井川鉄道(当時)との相互乗り入れにより開始された[7]。同年には、観光バス需要に対応すべく、浜松観光営業所を開設している[8]。また、1964年東海道新幹線が開業すると浜名湖と舘山寺温泉への観光客が増加したため、舘山寺温泉を起点とした定期観光バスの運行も行なわれた[8]。この他、1966年には名古屋鉄道(当時)豊橋鉄道(当時)と協定を結び、浜松-岡崎線を開設、愛知県へも路線を延ばした。なお、1962年に開業した浜名湖観光自動車は経営者の急逝により実質的な経営権が遠鉄に移ったため[8]1969年に効率化のため浜松観光自動車(傍系として1954年に設立)と合併している[8]

浜松市営バスの廃止まで

1969年には、東名高速道路が開通したことに伴い、東名急行バスに資本参加した[9]ほか、静岡浜松線を高速道路経由に変更し、名称も東名浜松静岡線となった[9]。また、名古屋鉄道(当時)と協定を結び、浜松-岡崎線を高速道路経由にした上で名古屋まで延長し、東名名古屋線として運行を開始した[9]。同年には遠鉄グループのシンボルマークとして子鹿の「バンビ」が制定され[10]、自社で募集する会員制ツアーも「バンビツアー」と命名され、積極的な営業を展開した[10]ほか、1970年には名古屋にも貸切バス営業所を開設し、観光バスの営業エリアを愛知県内全域にも拡大した。

しかし、この頃からモータリゼーションの進展に伴い、利用者数が伸び悩み傾向となった[11]ため、路線網の見直しが図られた。高需要路線についてはきめ細かいダイヤを設定することで利便性を拡大する一方で、不採算路線の整理が進められた[11]。また、浜松市内の渋滞に対応して長距離の路線については浜松駅で系統分割を行なって対応した[11]。また、都市間路線も乗客が減少したために、佐久間線が1971年に、東名名古屋線が1975年に廃止されている[11]。この他、1971年には電車とバスの連絡定期券を販売開始[12]し、利用促進を図っている。この連絡定期券は、当初は乗継割引がなかったが、1979年12月に乗継割引が設定され値下げしている[12]。また、1978年には奥山線の一部でデマンドバスの運行を開始した[13]

合理化と車掌不足の解消を一挙に行なう方策として、1966年5月から浜松市内の浅田循環線・助信線においてワンマンバスの運行を開始した[11]。当初は全区間均一運賃の路線のみ実施であったが、1968年からは多区間制運賃路線でも整理券方式によるワンマンバスの運行を開始[11]、1975年までには全路線のワンマン化が終了した[11]。ワンマン化の過程では、1970年頃に前中引戸や前後扉という配置の車両も試験的に導入されたことがある[9]。また、1970年からは一部の車両で冷房車の導入が開始され[10]1987年までには全車両が冷房車となった[10]。なお、1974年には系統番号が導入されている[13]が、1981年にはカラー方向幕の採用と同時に方面別に再編成している[13]

1980年代に入ると、バス業界では先駆とも呼べるサービスを次々と展開するようになった[13]。1984年からは山間部の路線においてフリー乗降制度を導入した[13]。また、通学路線では学校に直行する「モーニングダイレクト」も新設された[13]。モーニングダイレクトは1986年度に運行を増加させた上で方面別に愛称を設定している[14]。この他、西じゅんかん掛塚さなる台線を皮切りに1986年4月1日以降順次バスロケーションシステムの導入した[14]

浜松市のバックアップもあり、1975年には静岡県では初めてのバス優先レーンが導入されている[13]ほか、1978年にはバス優先信号も設置されている[13]。また、1982年には浜松駅バスターミナルが完成している[13]。なお、1986年にはバスレーンが拡大[15]され、同年5月には浜松市がバス路線総合整備モデル事業実施都市に指定されている[15]。このような状況下、1936年から浜松市交通部により運行されていた市営バスは慢性的な赤字が続いていた[14]が、1983年に市営交通対策協議会が設置され、民間移管が最善の方法であるとの結論を打ち出した[14]。これを受けて、段階的に市営バスから遠鉄バスへの移管が行なわれ、1986年11月30日限りで市営バスは運行を終了した[14]

オムニバスタウン指定までと現代

浜松市内のバス路線が一元化されたことを受け、遠州鉄道・浜松市役所・市民の3者で浜松の交通に関する協議会「浜松市バス交通対策調整協議会」が発足し、浜松の交通に関して3者でともに協議していくこととなった[15]

それ以降、夜間のみ住宅地でフリー降車制度を導入[14]したり、雨天時のみ増発便を運行する「レイニーバス」の運行を開始[14]したりするなど、遠鉄バスではさらに積極的に新施策を導入していくことになり[14]1987年10月の磐田山の手線大塚萩丘線中田島住吉じゅんかん鶴見富塚じゅんかんさぎの宮線都田線への都市新バスシステムの導入[14]1992年2月の磁気プリペイドカード「ETカード」の導入[12]1997年夏以降の長期休暇小人1乗車50円[15]、1997年10月の超低床ノンステップバス導入などの各種施策も積極的に行なわれた[14]コミュニティバスは1997年10月に運行を開始した豊田町(当時)から委託された「ユーバス」を皮切りに各地区で運行されている。

1997年12月にはバス路線総合整備モデル事業実施都市浜松市バス交通対策調整協議会などの功績を受け[15]浜松市が日本初のオムニバスタウンとして指定された[16]ことを受け、バスを活用した街づくりを進めることになった[16]。これ以後の遠鉄バスの導入車両は基本的にはアイドリングストップ装置付超低床ノンステップバス(遠州鉄道では超低床オムニバスまたは単にオムニバスと呼称)となり[16]、従来車も含めた全車内には案内表示装置にて情報発信も行い[16]、バス停留所もコミュニティ情報板を設置するなどの施策を行なった[15]。またこの頃よりさらなるエコドライブ運動(経済運転)の強化を行い、現在の経済運転につながっている[17]。一方で、山間部の路線では路線そのものの維持のため、行政主導によるバス運行なども行なわれているが、これらの運行を受託したり[16]1999年には退職乗務員の受け皿もかねて車両運行管理請負を行なう子会社「遠鉄アシスト」の設立も行なわれる[16]など、「地域の人が移動することに関しては遠鉄グループが必ず関わる」という体制をとるようになった[16]。なお、2002年10月にはかつて遠鉄バスの水窪線だった国鉄バス天竜線が再び遠鉄による運行となり遠鉄バス北遠本線になっている。

オムニバスタウン指定を受け、遠鉄と浜松市ではさらなる利便性向上に力を入れた。1998年3月にはオムニバスタウン指定記念シンポジウムを開催[15]PTPSの導入が、7月には初乗りの150円から100円への値下げ[15]が、11月には乗り降りらくらくバス普及セミナー[15]が、それぞれ実施されている。1999年2月には全線定期のワイドフリー定期券販売開始[18][15]と運賃区界の増設[15]、 3月の環境セミナー開催[15]、4月には浜松市商店会連盟の制度加盟店で買い物をすると100円補助券が貰えるお買物乗車券制度導入[15]、6月の浜松駅・磐田駅を20時以降に発車する一部路線の下り便での住宅地でのフリー降車制度導入[15]、10月の上限運賃630円設定[注釈 4][15]、2000年には9月のシルバーワイドフリー定期券販売開始[15]、9月以降毎年敬老の日から1週間の高齢者1乗車100円運賃の導入[15]、10月のインターネットバスロケの導入[15]など、各種施策が展開された。また、1999年3月15日〜28日には鍛冶町通りにて一般車の乗り入れを規制するトランジットモールの実証実験を全国で初めて実施した[15]

21世紀に入っても積極的な施策は引き続き行われている。2001年4月の中距離運賃値下げ[15]を皮切りに、2002年からのICカード「EG1CARD」の試験導入、そして2004年のICカード「ナイスパス」の本格導入が行われた他、最終バスの延長ならびにウィークエンドライナーやふゆほた臨時便などの臨時最終便の運行が開始された。2006年にはミニバスターミナル構想に基づき浜松市と共同で「すいすい・くるーり」バス実証実験が行われた。また、2002年4月からは通学ウィークデー定期(平日定期)の販売が開始開始されている[15]他、シンポジウムとしては2002年11月の「オムニバスタウンサミット」[15]、2003年9月の「バスがやさしい、心のユニバーサルデザインの日」[15]が開催されている。 この他、2009年頃より啓蒙活動として、市民やファンに向けたイベントが行われるようになっている。

一方で、不況のため2007年に富塚車庫、2009年に舘山寺営業所と浜松南営業所の窓口が終了したが、いずれも2010年に窓口営業を再開している。

また、2005年には中部国際空港の開港に合わせて空港リムジンバスに参入。e-wingという愛称で、現在も運行中である。更に、2010年には長距離都市間高速バスに参入。愛称はe-LineRである。e-LineRは当初浜松横浜線を単独運行で開設、その後2011年京王バス東ジェイアール東海バス渋谷・新宿ライナー浜松号渋谷・新宿イーライナーの愛称で共同運行の形で参入。その一方で、2011年度よりe-wingは浜松観光バスとの共同運行となっている。

年表

  • 1907年(明治40年):遠州鉄道のルーツとなる浜松鉄道株式会社設立。
  • 1908年(明治41年):浜松鉄道株式会社が大日本軌道株式会社に吸収され浜松支社となる。
  • 1918年(大正7年):浜松自動車(初代)が現在の遠鉄のエリアにて初めて乗合自動車を運行[注釈 5][1]
  • 1919年(大正8年)
    • 日付不明:大日本軌道株式会社浜松支社が遠州軌道株式会社に鉄道事業譲渡。
    • 日付不明:湖西自動車が三ヶ日 - 鷲津に乗合自動車を運行開始[1]
  • 1920年:万歳自動車が創業し、気賀・弁天島方面への路線を開設する[2]と同時に浜松自動車の路線を引き継ぎ浜松自動車(初代)が廃業[1]
  • 1921年(大正10年)
    • 日付不明:坂下自動車商会が浜松と宇布見を結ぶ路線の営業を開始[2]
    • 日付不明:遠州軌道株式会社が遠州電気鉄道株式会社に改称。
  • 1923年(大正12年):笠井自動車が創業[2]
  • 1924年(大正13年):遠州自動車・掛塚自動車・寺田自動車商会・キング自動車が創業[2]
  • 1927年(昭和2年)
    • 日付不明:遠州電気鉄道株式会社がバス事業に参入[4]
    • 日付不明:浜松電気鉄道が秋葉自動車運輸と合併[2]
  • 1929年(昭和4年):笠井自動車・万歳自動車・遠州自動車・坂下自動車の4社が合併して浜松自動車(2代目)が成立[2]
  • 1931年(昭和6年):遠州自動車商会と秋葉自動車商会が合併し、遠州秋葉自動車となる[2]
  • 1933年(昭和8年):掛塚自動車が寺田自動車商会とキング自動車を買収し、静岡電気鉄道からも一部の路線を譲り受けた[2]
  • 1936年(昭和11年):浜松市が浜松循環自動車と中田島自動車を買収し、5路線で市営バスの運行を開始[3]
  • 1937年(昭和12年):遠州秋葉自動車が高木安治が運行していた水窪線・佐久間線を買収し、北遠地区全域に路線網を拡大[2]
  • 1943年(昭和18年)11月1日:遠州電気鉄道株式会社・浜松電気鉄道・浜松自動車(2代目)・遠州秋葉自動車・掛塚自動車など、6社が合併・4社が営業譲渡し遠州鉄道株式会社設立[4]
  • 1946年(昭和21年):水窪線を日本国有鉄道に譲渡し、国鉄バス天竜線となる[5]
  • 1947年(昭和22年)5月1日:浜松鉄道株式会社と合併。
  • 1950年(昭和23年)
    • 12月23日:福田営業所を開設、掛塚営業所を廃止。
    • 日付不明:戦災により運休していた路線の復旧が完了[6]
  • 1952年(昭和27年):ガソリン統制が解除されたことに伴い代用燃料車両を全廃[6]
  • 1955年(昭和30年)4月1日:気賀営業所を細江営業所に改名。
  • 1958年(昭和33年):遠鉄浜松駅乗り入れ開始[6]
  • 1959年(昭和34年)
    • 5月30日:浜松営業所を移転。
    • 日付不明:幹線ダイヤのパターンダイヤ化、長距離路線や急行便の設定、日祝日ダイヤの導入を実施[6]
    • 日付不明:ディーゼルバスに置換完了[6]
  • 1962年(昭和37年)
    • 4月1日:笠井営業所、雄踏営業所、袋井営業所を開設。
    • 4月20日:舘山寺営業所を開設。
  • 1966年(昭和41年)5月:浅田循環線・助信線を皮切りに全区間均一運賃の路線にて順次ワンマンバスの運行を開始[11]
  • 1968年(昭和43年):多区間制運賃路線でも整理券方式によるワンマンバスの運行を開始[11]
  • 1969年(昭和44年)
  • 1971年(昭和46年)4月1日:乗り継ぎ無割引の電車バス連絡定期券を発売開始[12]
  • 1974年(昭和49年):系統番号を導入[13]
  • 1975年(昭和50年)
    • 日付不明:全路線のワンマン化が完了[11]
    • 日付不明:県下初のバス優先レーン整備[13]
  • 1978年(昭和53年)
  • 1979年(昭和54年)12月21日:電車バス連絡定期券において乗り継ぎ割引開始(値下げ)[12]
  • 1981年(昭和56年):カラー方向幕の採用と同時に系統番号を方面別に再編[13]
  • 1982年(昭和57年):浜松駅バスターミナルが完成[13]
  • 1984年(昭和59年)
  • 1986年(昭和61年)
  • 1987年(昭和62年)
  • 1992年(平成4年)2月20日:一足先の1989年12月15日に鉄道線に導入されていたプリペイドカードETカード」をバスにも導入[12]
  • 1997年(平成9年)
    • 7月:この年の夏休み以降、毎年春休み・夏休みに子供1乗車50円を実施[15]
    • 10月1日ユーバスを運行開始。
    • 12月25日:全国初の「オムニバスタウン構想」モデル都市に指定される。当初5ヶ年計画で、2002年度は単年度延長、2003〜2004年度はICカード導入事業のため2ヶ年延長された[15]
  • 1998年(平成10年)
    • 3月オムニバスタウン指定記念シンポジウム開催[15]
    • 3月:PTPS(バス優先レーンのカラー舗装化・バス優先信号の光ビーコン方式化・一般車排除システム導入等)導入。
    • 4月磐田市バス、「エコバス」を運行開始。
    • 7月:初乗りを150円から100円に値下げ[15]
    • 11月:乗り降りらくらくバス普及セミナー開催[15]
  • 1999年(平成11年)
    • 2月1日:全線で使えるワイドフリー定期券販売開始[18][15]
    • 2月:運賃区界を増設[15]
    • 3月15日28日:鍛冶町通りにてトランジットモールの実証実験を実施[15]
    • 3月:環境セミナー開催[15]
    • 4月:浜松市商店会連盟の制度加盟店で買い物をすると100円補助券が貰えるお買物乗車券制度実施(翌年7月に制度改正)[15]
    • 6月:浜松駅及び磐田駅を20時以降に発車する一部路線の下り便に於いて住宅地にてフリー降車制度運用開始(翌年10月より19時30分以降に変更)[15]
    • 10月:上限運賃設定。当時最高運賃だった1080円から630円に値下げ[15]
  • 2000年(平成12年)
    • 7月17日メローバスを運行開始。
    • 9月:シルバーワイドフリー定期券販売開始[15]
    • 9月:この年以降、毎年敬老の日から1週間は高齢者1乗車100円を実施[15]
    • 10月:インターネットバスロケサービス開始[19]
  • 2001年(平成13年)4月:中距離運賃を値下げ[15]
  • 2002年(平成14年)
    • 2月:遠鉄百貨店での5000円以上の買い物で無料乗車券「お帰りきっぷ」が貰える制度の運用開始[15]
    • 3月1日ICカードの実証実験として「EG1 CARD」を51泉高丘線にて導入。
    • 4月1日:浜松市循環まちバス(「く・る・る」)運行開始。
    • 4月:通学ウィークデー定期(平日定期)販売開始[15]
    • 10月1日:国鉄バス天竜線が再び遠州鉄道の運行になり、北遠本線となる。
    • 11月オムニバスサミットin浜松開催[15]
  • 2003年(平成15年)
    • 4月1日:EG1CARD、バスにて本格運用開始。
    • 4月1日:それまで朝7時-9時のみ実施されていたバス専用レーンを夕方17時-19時にも実施開始[15]
    • 8月:携帯電話へのメール配信サービスを開始(現在は中止)[15]
    • 9月:バスがやさしい、心のユニバーサルデザインの日開催[15]
  • 2004年(平成16年)8月20日:ICカードを「ナイスパス」に移行し、本格的な運用開始。鉄道・バス共通利用では日本初。
  • 2005年(平成17年)
  • 2006年(平成18年)
    • 5月31日:「ETカード」販売終了。
    • 6月1日:「ナイスパス」車内販売開始。
    • 8月(?):デマンド運行と称する路線の降車専用区間について、乗客が居ない場合に運行を行っていなかったこと問題となる。本来は法令違反であるが、降車専用だったため行政処分はなされなかった。#デマンド運行・延長運行を参照。
    • 9月30日:湖西営業所を廃止。
  • 2007年(平成19年)11月30日:富塚車庫の窓口業務を終了。
  • 2009年(平成21年)
    • 9月12日:舘山寺営業所・浜松南営業所の窓口業務を終了し、電話のみの応対となる。遠鉄の営業所で窓口業務を終了するのは初の事例。
    • 10月10日12日連接バス走行実験およびバスイベント開催。
    • 10月31日:メローバスの運行を撤退。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月1日:舘山寺営業所・浜松南営業所の窓口業務を再開。
    • 7月12日:富塚車庫の窓口業務を富塚店として約3年ぶりに再開[注釈 6]
    • 7月15日:e-LineR試乗会・出発式を開催。
    • 7月16日遠鉄高速バスe-LineRを運行開始。約15年ぶりの都市間高速バス参入である[注釈 7]
    • 9月6日:「遠鉄ぶらりきっぷ」を発売開始。これにより、遠州路フリー乗車券とワイドフリー乗車券は販売終了。
  • 2011年(平成23年)
  • 2012年(平成24年)
    • 9月30日:エコバスを廃止。

事件

バスジャック事件

テンプレート:See

特徴的な施策

モーニングダイレクト

郊外から浜松駅を経由せずに学校へ直通する通学向け路線である。1975年から1985年までの間に、通学でのバス利用が半減した[20]ため、その対策として乗り換えなしの通学バス路線を設定したものである。運行開始後に新系統の要望があり、特に私立高校では、モーニングダイレクトの存在が生徒の誘致にも影響すると判断された[21]ことから、順次系統拡大を行った。貸切タイプの車両で運行される系統と、路線タイプの車両で運行される系統がある。

西遠学園・芥田学園へ向かう路線が「Avenue(アヴェニュー)」、浜松市立高校・海の星高校・浜松西高校へ向かう路線は「Chapel(チャペル)」という愛称が設定されており、実際に運行される路線では、これに方角をつけている。例えば、気賀・三方原から西遠学園に向かう路線であれば、北方面からの路線となるため「N.Avenue(ノース・アヴェニュー)」という愛称になる。ただし、舘山寺から浜松南高校行きに限っては「Flolal Mate(フローラル・メイト)」という愛称が設定されている。

学校や生徒・保護者からも好評[21]のため、その後磐田地区でもモーニングダイレクトを導入、こちらは磐田南高校・磐田東高校へ向かう気系統には「E.Liner(イースト・ライナー)」、磐田南高校・磐田北高校へ向かう系統では「N.Liner(ノース・ライナー)」という愛称が設定されている。

いずれも朝の片道のみの設定で、帰路については浜松駅・磐田駅でバス路線を乗り継ぐことになるが、定期運賃は直通経路経由の通し運賃で計算される[21]

レイニーバス

前日の17時時点で運行当日6〜12時の降水確率が50%以上の場合に運行される雨天臨時便である。なお、開校日のみの運行であり、閉校日は運行しない。[22]

なお、2006年頃まではフリーダイヤルにより運行有無を確認できるサービスがあったが、現在は廃止されており、バス車内のレイニーバス広告の電話番号欄も地の色と同じ青地のシールで隠されている。

現在では、仙台市交通局など、全国のバス事業者に徐々に波及している。

オレンジエクスプレス

浜松市北区三ヶ日町から東名高速道路を経由して浜松市中区を結ぶ座席定員制の通勤通学路線で、朝、北区三ヶ日町から中区へ向かい、夕方に中区から北区三ヶ日町へ戻る設定。クローズドドアシステムを採用しており、それぞれ中区内相互間や北区三ヶ日町内相互間の利用は出来ない。

もともとは定期観光バスの回送を客扱いしたものが始まり[23]で、高速道路では全席シートベルト着用が義務付けられていることから、一般路線車でもシートベルト付きの車両の限定運用とされている。車両については#高速仕様の路線車を参照されたい。

バスロケーションシステム

ET-Naviを参照。

都市新バスシステム

1987年10月に磐田山の手線大塚萩丘線中田島住吉じゅんかん鶴見富塚じゅんかんさぎの宮線都田線へ導入。都市新バスシステム#遠州鉄道を参照。

エコドライブ運動(経済運転)

遠州鉄道では全国的にも早くからエコドライブ運動を行っており、経済運転(けいざいうんてん)と称している。

晴天時の昼間の車内灯を消灯、アクセルを深く踏み込まない、エンジンブレーキの活用、正面赤信号などでの早目のアクセルオフ、高速ギアの有効活用、暖気運転は年間通して3分以内などが挙げられる[17]。なお、過剰なトルクが出ないよう、燃料噴射を絞っている車両もある。

また、回転数については会社全体の方針として大型車1600回転、中小型車1800回転以下でのシフトアップ、そして営業所毎に1200回転以下や1300回転以下などでシフトアップする様指導しており、会社全体として昇り坂などであっても大型車1800回転、中型車2000回転、小型車2200回転を絶対に超えてはならないこととなっている。そのため三菱ふそう製の車輛を中心に、1800回転を超えるとブザー[注釈 8]が鳴りつづけるようになっている車輛が多い。なお、車両によっては1500回転など1800回転未満でもブザーが鳴るよう設定されていることもある。

この他、信号待ちなどの際に、アイドリングストップ装置非搭載の車輛でもアイドリングストップを実施している[15]ことが特筆できる。また、装置の有無にかかわらずアイドリングストップ時には全車輛で音楽を流す[17]ことによりアイドリングストップ時の静寂を防いでいる。

バッテリー蓄電池)の電圧低下時(バッテリーあがり)やDPFの作動時等には信号待ちでのアイドリングストップを行わないことがあるが、浜松駅バスターミナルではいかなる場合もエンジンストップすることとなっている。また、全車両とも蓄電池の電圧低下を示す警報灯が運転席左(運賃箱奥)に設置されている。

これらにより、遠鉄バスでは営業所間の燃費順位を競っており、また乗務員毎の燃費の成績もついている。さらに各営業所の燃費のいい乗務員が集まり燃費対策会議が行われている。

なお、現代の信号待ちでのアイドリングストップ運動が盛んになる前から、戦後には既にバスターミナルなどの起終点や営業所・車庫ではエンジンストップを行っていた[15]

アイドリングストップ中の音楽

音楽を流すシステムは自社で開発した[15]。音楽は、営業所ごとにパターンがローテーションしている。12月に関しては、通常のパターンの音楽と交互で全ての営業所で共通のクリスマスソングが流れる。

これは、アイドリングストップ装置の装備有無に関わらずHEV車輛の398・399号車を除く全ての車輛で流れる[注釈 9]
ただし次のバス停が終点の場合や路線データの入っていないシャトルバスの場合・アイドリングストップ装置搭載車に於いて手動でエンジンキーを回しアイドリングストップした場合は流れない。なお、降車ボタンの放送以外の音声合成による放送が流れている際は音楽は流れないが、肉声放送や音声合成による降車ボタンの放送が流れている場合は音楽が流れる。逆に、音楽が流れている最中に降車ボタンの放送以外の音声合成による放送を流した場合、即座に放送が流れ、音楽は止まる。音楽が流れている最中に降車ボタンを押した場合、次の音楽へ切り替わる際、もしくはエンジンを始動して音楽が止まった際に放送が流れる。なお、エンジン始動や放送等により音楽が途切れた場合、次に流れる際はその曲の続きからではなく次の曲の頭からとなる。

なお、アイドリングストップの最中には音声合成装置の設定器の一番下の行の右側に当該乗務でのアイドリングストップの累計回数と累計時間が表示されている[注釈 10]。エンジン稼働中は、コース番号ごとの設定番号とその中での順序[注釈 11]、運用が予約されたシャトル運用の場合は「予約xx」[注釈 12]が表示され、コース番号は表示されない[注釈 13]。また、最下行の一番左は直前バス停発車時の定刻からのズレ(分)が表示される。例えば、15:53のバス停を15:52に通過した場合「01分[注釈 14]」、09:33分発のバス停を09:45に発車した場合「12分」と表示される[注釈 15]。なお、ダイヤのデータが入っていなく運用がセットされたシャトル運用の場合・手動で系統入力した場合はダイヤのデータが入っていないため、現在時刻が「06:45」のように表示される。

これは、アイドリングストップを実施し始めた頃、乗務員や客から「しらけてしまう」や「故障したのでは」などという意見があったため[17]行われる様になったもので、1997年10月に試験的に小鳥のさえずりを流し始めたのが前身である[17]

この試みは名古屋市交通局しずてつジャストライン等、徐々に波及し始めているが、数曲しか入っていない同社局に対し、遠鉄バスは曲の種類が多種多様である。

初乗り値下げ

遠州鉄道#特徴的な施策を参照。

トランジットモール実証実験

浜松市と共同で、1999年3月15日3月28日に鍛治町通りをトランジットモールとする実証実験を行った。

当時6車線だった鍛治町通りを外側2車線ずつテラスなどの設置を行い、内側2車線をバス専用道として整備した。しかし実施に当たって静岡県警察との交渉が長引くなどした結果、PR不足や短い実施期間などが災いし、あまり効果がなくその後は実施されていない。

デマンド運行・延長運行

バス停飛ばし#具体例も参照。

当初、デマンド運行として運行。

40気賀三ヶ日線気賀駅東急リゾート三ヶ日簡保センター(現:かんぽの宿浜名湖三ヶ日)・ 三ヶ日車庫→三ヶ日駅入口〜浜名湖レークサイドプラザ・ 浜名湖レークサイドプラザ→ぬえしろ〜三ヶ日駅入口→三ヶ日車庫・37大久保線の田端住宅〜山崎30舘山寺線動物園→大草荘〜国民宿舎 村櫛→浜名湖ガーデンパークなどが対象。浜名湖レークサイドプラザ発を除き当該区間は降車専用(クローズドドアシステム)を採用し、同区間の手前(主に車庫・営業所又はそこへの短絡ルートが有る)にて乗客が居ない場合、運行を打ち切っていた。浜名湖レークサイドプラザ発は、発車時刻の15分前までに浜名湖レークサイドプラザのフロントにて要予約で、ぬえしろ・三ヶ日駅入口が降車専用、三ヶ日車庫からは通常路線であった(予約が無い場合当バス停が始発となる)。

2006年には当該路線の降車専用区間について、乗客が居ない場合に運行を行っていなかったことが問題となる。本来は法令違反であるが、降車専用だったため行政処分はなされなかった。

その後は、延長運行と名を変え合法的に運行されている。37大久保線や40の浜名湖レークサイドプラザ発上りの様に延長運行を取りやめ通常路線として全便乗客の有無に関わらず運行する様になった例もあれば、延長運行になった例もある[注釈 16]。また、浜名湖立体花博期間中の30舘山寺線の舘山寺営業所→中開駐車場の様に延長運行になってから新設された例もある。

現在の延長運行というシステムは、1ヶ月間運行打ち切りの実施・不実施を記録し、集計・走行距離を計算する。デマンドバスの一種である。

現在延長運行を行っている路線としては、40気賀三ヶ日線の三ヶ日車庫→浜名湖レークサイドプラザ(三ヶ日駅入口・ぬえしろバス停は廃止)・30舘山寺線の村櫛→浜名湖ガーデンパークなどがある。国民宿舎ゆきに関しては、動物園→大草荘〜国民宿舎から(動物園・舘山寺温泉経由)銀行前→国民宿舎に経路を変更したのち、国民宿舎浜名湖かんざんじ荘(現:湖上百景浜名湖かんざんじ荘)の遠鉄への譲渡に際し2007年3月31日の運行を以ってかんざんじ浜名湖パルパル)⇔大草山浜名湖オルゴールミュージアム)を結ぶかんざんじロープウェイを代替路線として系統自体廃止された。

なお、この延長運行というシステムは同社の運行する高速バスでも一部採用されている。

「すいすい・くるーり」バス実証実験

浜松市と共同で、2006年10月2日から12月29日までの平日に実施したコミュニティバスの実証実験で、期間内に以下の3路線が運行された。

  • 追分すいすいバス
    • 遠鉄ストア姫街道店 - 浜松駅 ※現在平日のみ姫街道車庫-追分-葵町東-萩丘-浜松学院高校-市役所前-浜松駅 (急行バスなので停留所に注意)
  • 市野すいすいバス
    • イオンモール浜松市野 - 浜松駅
  • 市野くるーりバス
このうち「追分すいすいバス」は期間中の利用状況が好調だったため、実験終了後も2007年1月9日から3月31日までの平日に急行バスとして運行され、最終的に4月1日以降は通年運行となった。なおその際に始発バス停が遠鉄ストア姫街道店から姫街道車庫へ変更となった。
追分すいすいバス・市野すいすいバスは運賃箱付の貸切タイプの車輛で、市野くるーりバスは路線タイプの車輛で運行された。なお、追分すいすいバスは学校が長期休み(夏休み等)になった場合には貸切タイプの車両、開校日の平日は一般型の路線バスだったが、2011年8月よりすべて一般型の車両に統一された。

開校日の平日は三方原営業所だが、長期休みの間は細江営業所に委託される。三方原の車両には「追分すいすい」の幕があるため幕式が来るが。細江の車両には幕がないのでLED式で運用される。

ツアーバス事業への参入

2006年から募集型企画旅行として、東京など各地への直行型ツアーバスを催行している。

ツアーバスでは、企画実施する旅行会社が観光バス会社から車両を借り上げる形態が多いが、遠州鉄道では以前から本体で国内旅行事業を営んでおり[24]、浜松観光バスを含めてグループ内での完全自社運営を実現している(路線バス事業者の子会社が旅行事業を行っているケースも多い)。

このうち2007年夏期から実施している東京方面へのツアーでは片道だけの利用も可能な上、自社の既存の企画旅行客用の駐車場を開放することなどで既存の路線バスとの差別化を図っている。

詳細は遠鉄観光を参照のこと。

ウィークエンドライナー・ふゆほた臨時便

遠州鉄道では、主要路線の下り(浜松駅発)に於いて、毎週金曜日土曜日に、「ウィークエンドライナー」という最終便を運行している[注釈 17]

これは、通常の最終便より10〜30分程度後に運行されるもので、22時45分〜23時25分に各路線が1便ずつ運行される。一番遅いのが、30舘山寺線・気賀三ヶ日線の23時25分発であり、この2路線は当該便の20分前の23時05分に通常の最終便が出発する[注釈 18]
なお、一部は貸切タイプの車輛にて運行されるものもある。

さらに、12月の金曜日・土曜日にはウィークエンドライナーが運行されていない路線の中の主要路線は通常最終便の後に、ウィークエンドライナー運行便はウィークエンドライナーの後にもう1便増発する。こちらは、はままつ冬の蛍フェスタ(愛称:ふゆほた)をとって「ふゆほた臨時便」と名づけられている。ふゆほた臨時便は遠鉄電車西鹿島線でも運行されるほか、当該便を含む全てのバス・電車車内にて音声合成による広告が流れる。こちらは、主に22:45又は23:05に運行する。23:05にウィークエンドライナーがある路線は20志都呂宇布見線を除き23:25に運行される。20志都呂宇布見線はウィークエンドライナーを23:25に繰り下げて運行する。ふゆほた臨時便の最も遅いものは、20志都呂宇布見線・30舘山寺線・気賀三ヶ日線の24:00発である。

これらは、深夜バスに値するが、他事業者相違がある点を中心に特徴を述べる。

  • 運賃は通常運賃である。定期券・一日券等の利用も可能。
  • 通常路線と同じくバスロケ対応。インターネットからの時刻検索は、入力した日付が金曜日・土曜日だと当該便が表示される。
  • 経路等は通常便と同じ。方向幕や音声合成等も通常のものと同一である[注釈 19]
  • オムニバス専用運行便ではない為ツーステップが多いが、オムニバスが充当されることがある[注釈 20]

営業所

貸切の営業所は遠鉄観光を参照。

  • 浜松東営業所
    • 所在地…浜松市東区豊町2253
      • 現在窓口は、閉鎖・廃止されている。
    • 管轄車庫…内野台車庫
  • 三方原営業所
    • 所在地…浜松市北区初生町1107-1
    • 管轄車庫…都田車庫、姫街道車庫
  • 浜松南営業所
    • 所在地…浜松市南区松島町1997
    • 管轄車庫…※掛塚車庫、中田島車庫
      • 現在電話対応も含めて窓口が閉鎖されている。
  • 舘山寺営業所
    • 所在地…浜松市西区舘山寺町3296-5
    • 管轄車庫…村櫛車庫、※富塚車庫[注釈 21]
  • 雄踏営業所
    • 所在地…浜松市西区雄踏町山崎3472-2
    • 管轄車庫…馬郡車庫、新弁天車庫、篠原車庫、湖西車庫、新貝車庫
  • 細江営業所
    • 所在地…浜松市北区細江町気賀414-8
    • 管轄車庫…三ヶ日車庫、奥山車庫、渋川車庫、伊平車庫
  • 天竜営業所
    • 所在地…浜松市天竜区次郎八新田6-2
    • 管轄車庫…春野車庫、横山車庫、熊車庫、水窪車庫
  • 磐田営業所
    • 所在地…磐田市岩井2190-1
    • 管轄車庫…袋井車庫、中ノ町車庫
  • 福田営業所
    • 所在地…磐田市福田2204
    • 管轄車庫…横須賀車庫
  • ターミナル営業所
    • 所在地…浜松市中区中央3丁目
      • 2012年3月17日開設。

※旧営業所などの内、正式な窓口のあるもの

廃止営業所

  • 浜松営業所
    • 所在地…浜松市
      • 現在跡地はオフィスビル(静岡県信連浜松支店などが入居)とマンションから成る複合施設「イーステージ浜松」。1997年(平成9年)7月14日に廃止される。
  • 浜北営業所
    • 所在地…浜松市
      • 現在跡地は遠鉄ストア浜北店。閉鎖後は車両基地として美薗車庫が同店南方にあった。
  • 富塚営業所
    • 所在地…浜松市
      • 1986年(昭和61年)4月1日に開設され、1995年(平成7年)2月28日に廃止された。現在は舘山寺営業所・雄踏営業所・浜松南営業所の共管の富塚車庫[注釈 22]となっている。
  • 竜洋営業所
    • 所在地…磐田市
      • 1997年(平成9年)3月31日に廃止され、浜松南営業所所管の掛塚車庫に変更。
  • 袋井営業所
    • 所在地…袋井市
      • 1995年(平成7年)2月28日に廃止され、現在は磐田営業所所管の袋井車庫となっている。
  • 湖西営業所
    • 所在地…湖西市
      • 2006年(平成18年)9月30日に廃止され、現在は雄踏営業所所管の湖西車庫となっている。

現行路線

一般路線

テンプレート:See

系統番号は、同じ路線名で行き先が違うものは同じ系統番号、行き先が同じで経由地が変わる場合は違う系統番号が割り当てられる事が多いが、必ずしもそうとは限らない。例えば、舘山寺線では舘山寺営業所止まりの内、伊佐見小学校経由は31、深萩経由は32であるが、湖東団地内経由と左記のいずれも経由しない便は30である。また、舘山寺営業所止まりの他、村櫛行き、新弁天行きのいずれも30である。また、掛塚さなる台線の掛塚方面行きで、掛塚止まり、豊浜行きと横須賀行きはいずれも90であったが、掛塚止まりが90、豊浜行きが96、横須賀行きが97になった経歴がある。(但し現在でも横須賀または豊浜発浜松駅行きは90のままである。)
遠鉄バスでは下記の通り系統番号を色分けしているが、色分けしているのは方向幕が幕式車のみで、LED車は発光色が単色の為色分けしていない。
ファイル:Entetsu Bus 2466.jpg
シャトル運用に就く2466号車(浜松駅⇔JR浜松工場シャトル)
※イベント開催時などに定常的に運行される路線のみを挙げた。

高速バス

テンプレート:See ※都市間ツアーバスなどは遠鉄観光を参照のこと。

廃止路線

廃止された年月順に並べる。

高速バス

浜松 - 岡崎線

  • 遠鉄浜松駅 - 気賀 - 三ヶ日 - 豊橋市役所 - 国府 - 東岡崎駅
    • 1966年(昭和41年)8月20日:浜松駅 - 東岡崎間の運行を開始する。
    • 1972年(昭和47年)10月:豊橋鉄道が運行から撤退する。
    • 1973年(昭和48年)6月1日:東名名古屋線の運行開始に伴い、路線を廃止する。

名古屋鉄道(当時)豊橋鉄道(当時)との協定を結び運行を開始した全長82.1kmの路線であった。多米峠有料道路を走行していた。しかし、東名高速道路の開通に伴い、利用客が減少したため、豊橋鉄道が運行から撤退し、他社も運行本数を減回するに至った。

東名名古屋線

  • 遠鉄浜松駅 - 名鉄バスセンター
    • 1973年(昭和48年)6月1日:運行を開始する。
    • 1977年(昭和52年)8月21日:運賃を改定する。
    • 1980年(昭和55年)4月7日:運賃を改定する。
    • 1981年(昭和56年)6月10日:路線を廃止する。

名古屋鉄道(当時)と運輸協定を結び運行を開始した路線である。

東名浜松静岡線

ここでは、東名浜松静岡線の前身となる国道静岡浜松線についても記述する。

  • 浜松駅 - 静岡駅
    • 1963年(昭和38年)10月1日:静岡鉄道(当時)大井川鉄道(当時)との3社協定を結び、浜松 - 静岡の中距離路線(国道静岡浜松線)の運行を開始する。
    • 1969年(昭和44年)3月15日:東名高速道路経由の東名浜松静岡線の運行を開始する。
    • 1970年(昭和45年)8月16日:ワンマン運転を開始する。
    • 1977年(昭和52年)8月21日:運賃を改定する。
    • 1980年(昭和55年)4月7日:運賃を改定する。
    • 1989年(平成元年)11月10日:経路を一部変更する。
    • 1994年(平成6年)4月1日:東名浜松静岡線の運行を休止する。

なお、静岡鉄道での路線名は「東名静岡浜松線」であった。

その他路線

  • 浜松駅 - 清水町
  • 浜松駅 - 三ヶ日営業所(オレンジ急行の前身)

一般路線

佐久間線

  • 浜松駅 - 西鹿島 - 熊 - 浦川 - 佐久間 - 佐久間ダム
    • 1971年3月11日廃止。
遠鉄バス北遠本線を参照。

豊橋瀬戸線

  • 瀬戸橋 - 豊橋駅
    • 1964年(昭和39年)7月:運行を開始する。
    • 1972年(昭和47年)4月21日:路線を廃止する。
豊橋鉄道と相互乗入運行を行っていた急行バス「奥はまな湖」号として運行を開始した。1日10往復の運転で、豊橋駅では名鉄列車との接続を取り、奥浜名湖方面への名古屋からのアクセス改善を図った。しかし、利用客数の減少から、廃止されることとなった。

鳳来寺線

西じゅんかん

  • 浜松駅 - 広小路 - 八幡町(現:遠州病院前) - 元浜町 - 消防本部(現:消防局) - 浜松文芸館 - 鹿谷町 - 市立高校 - 広沢一丁目 - 鴨江三丁目中 - 裁判所(現:鴨江坂上) - かじ町 - 浜松駅
    • 浜松市営バス西じゅんかんを引き継いだ路線で、狭隘な道路事情のため当初は専用車が運用されていた(ひまわり号・いすゞの中型路線バスで、専用のカラーリングであった。このひまわり号は医大じゅんかん等他の路線で運用された事もあった)。その後、ひまわり号は泉高丘線の運行開始時に使用されていたバード号と同じ三菱ふそうの中型車に転換されたが、後に通常の車輛も充当されるようになり、オムニバスも充当された。
    • 系統番号は無かったため、方向幕の番号の部分にはひまわりの絵が表示されていた。尚初代ひまわり号はひまわりを図案化したオレンジ色の円、黄色の半円と1/4の円を組み合わせたマークが方向幕の番号の部分に表示されていた。
    • 掛塚さなる台線と共にバスロケーションシステムが遠鉄バスで初めて設置された路線であった。
    • 運行開始当時は日中は10分に1本の運行であったが、廃止直前時は1日3本程度にまで減便されていた。
    • 2004年3月31日廃止。
    • 担当は浜松営業所であったが、浜松営業所の廃止後は舘山寺営業所が担当していた。

文丘線

  • 7 浜松駅 - かじ町 - 伝馬町 - 市役所前(現:市役所南) - 浜松北高 - 付属小学校(現:浜松学院大学) - 北部中学 - 大正坂下
    • 浜松市営バス車庫線・住吉線を統合した路線として7住吉じゅんかんとして運行開始。
    • その後、4と直通し中田島住吉じゅんかんとなるなど幾度かの変更を経た後に 大正坂 - せいれい病院 - 常楽寺 - 市役所前 - 伝馬町 - 浜松駅 の区間を8佐鳴湖線に移管、当該区間は8富塚じゅんかんの一部となる。
    • 廃止前には文丘線という路線名であったものの、5三島江之島線と直通運転していた。
    • 2004年(平成16年)3月31日:路線廃止。
    • 担当は浜松南営業所だった。

湖西線

舘山寺気賀線

  • 舘山寺営業所 - 浜名湖パルパル - 動物園 - 呉松西 - 東名舘山寺下 - 伊奈 - 伊目 - 油田(あぶらでん) - 気賀四ツ角 - 気賀駅前
  • 舘山寺営業所 - 浜名湖パルパル - 動物園 - 呉松西 - 東名舘山寺下 - 伊奈 - 伊目 - 油田 - 気賀四ツ角 - 気賀高校前 - 引佐高校前
    • かつては舘山寺奥山線として気賀より先、奥山まで運行していた。これは竜潭寺経由で45奥山線とは若干ルートが異なっていた。なおそのルートは引佐町自主運行バス(当時)に引き継がれ、現在は市町村合併により浜松市自主運行バスとなっている。
    • また、弁天島気賀線(?)として舘山寺営業所より南側、村櫛経由で弁天島温泉まで30舘山寺線と同じルートで運行していた時期も有った。
    • この他、浜名湖パルパル - 動物園 - 伊目 - 油田 - 気賀四ツ角 - 気賀駅前を基本系統として浜名湖パルパル - 舘山寺郵便局 - 東坊塚 - フラワーパーク - 深萩 - 伊目坂上 - 伊目 - 油田 - 気賀四ツ角 - 気賀駅前
    • 2004年3月31日を以って路線廃止、下部の引佐高校前発着の通学便が平日開校日の1日1往復のみ2年の期限付きで残存した。この便は、復路便は15時台であったが午前授業となる日には12時台の運行となっていた。
    • 2006年3月31日には通学輸送も終了。これにより名実共に路線が消滅した。
    • 担当は舘山寺営業所だった。

宮口線

  • 浜北区役所〜小松駅〜宮口東〜さくら台病院〜バードピア浜北
    • 大昔は浜松駅から笠井・宮口を経由して山東に至る路線であった。その後、笠井〜宮口〜山東が宮口線となり、昭和50年代前半に小松駅〜宮口駅までが宮口線、宮口駅〜山東間は山東宮口線となった。
    • その後、さくら台病院・森林公園に乗り入れるようになった。全便が浜北西高を経由した時期や、協立十全病院を経由していた時期がある。
    • 2008年3月31日廃止。担当は浜松東営業所だった。

旭ヶ丘線

  • 52 浜松駅 - かじ町 - 伝馬町 - 市役所前 - 上島西 - 市営グランド - 豊隆団地 - 平(ひら) - 旭ヶ丘 - 三方原営業所 (- 半田山中)
    • 2010年3月31日廃止[注釈 26]。但し正式ではないが萩丘都田線の53を現在でも旭ヶ丘線と呼ぶことがある。
遠州鉄道三方原営業所#三方原系統(旭ヶ丘線)を参照。

その他(2004年以降の廃止路線・区間のみ)

  • 2004年3月31日
    • 向宿松島線の大柳〜松島〜南営業所間。経路を短縮し、浜松駅〜鉄工団地南間は三島江之島線として運行。(向宿松島線の路線名は消滅。)
    • 磐田市立病院福田線の豊浜郵便局〜横須賀車庫間。
    • 浅田中田島線の西新田経由便。
    • 中田島線の旧道経由(浜松駅〜浜松駅南口[上りのみ]〜砂山町[現在の砂山町通り北と同位置]〜寺島町[後の砂山町通り南]〜竜禅寺町)便。
  • 2005年3月31日
  • 2006年3月31日
  • 2008年3月14日
    • 早出線の市役所経由(2-54)。柳通り西バス停が消滅。
  • 2010年3月31日
  • 2011年3月31日
    • 蒲線のさぎの宮駅東〜さぎの宮北間。末期は土日に朝一本に浜松駅行きがあるのみだった。
  • 2011年9月30日

臨時路線

  • 初詣号(各地区→浜松駅→労災・篠ヶ瀬経由→法多山)・・・2006年正月を以って袋井駅⇔法多山のシャトルを代替として廃止。

定期観光

定期観光バスとしては舘山寺営業所が催行する浜名湖めぐりが存在する。

遠州鉄道ではバンビツアーなどの愛称でツアーバス事業を展開する(遠鉄観光を参照)が、それとは別物である。又、ツアーバスなどは遠鉄百貨店南側の乗り場(路線バスでは「浜松駅西」バス停として通勤通学便の発着が有る)を使用するが、定期観光は浜松駅バスターミナル発着である。

なお、舘山寺営業所はツアーバスを手掛けておらず、バスツアーに類するものとしては専ら定期観光のみの催行である。

テンプレート:-


乗車券等

遠鉄バスでは、硬券は発行していない。また、e-winge-LineRや一部の臨時シャトルバスを除き乗車券も発行していない[注釈 28]

下記の他、提携店での買い物により発行されるお買物ETカードお帰りきっぷがある[25]

定期券

テンプレート:See

団体乗車券

15名以上の場合に利用できる[25]

乗車カード

遠鉄の乗車カードは電車・バスに共通して利用できる。

過去にはICカードEG1CARDも利用できた。

回数券

かつては金額式の回数券も販売されていたが、高速バスなど一部を除き、ETカードに代替され現在は販売していない。ただし、静岡県下のバス会社が静岡県の支援を受けそれぞれ販売するゼロの日回数券のみ一般路線用として例外的に販売している[注釈 29]

  • 学割回数券 - e-LineR浜松横浜線にて利用可能。12,000円で4枚綴り。
  • ゼロの日回数券[注釈 30] - 現在も販売している[17]。毎月10・20・30日の「カーナイデー[注釈 31]」にのみ通用するが、定期観光及び座席を指定するバスには使用できない。バーコード式ではない。1,000円で100円券13枚綴り。

一日乗車券

前売りも実施している[25]

  • 遠鉄ぶらりきっぷ - 遠州鉄道(バス・電車)全線が利用できる。
  • 浜名湖ぐるっとパス - 浜名湖付近の一部路線や遠鉄電車天浜線の一部区間が利用できる。

販売終了

  • ワイドフリー乗車券 - 遠州鉄道(バス・電車)全線が利用できる。
  • 遠州路フリー乗車券 - ワイドフリー乗車券の廉価版。バスに関しては若干のエリア制限がある。

車両

テンプレート:出典の明記

ファイル:Entetsubus aerostar-HEV.jpg
HEV399号車(浜松郵便局付近にて)
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車輛後部の例(HEV399号車・浜松駅バスターミナル付近にて)
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運転席の例(HEV251号車・日比谷公園でのバスフェスティバルにて)

遠鉄バスでは、超低床車の愛称として「オムニバス」と命名し、車体にも表記している。以下、本節でも遠鉄バスの保有する超低床ノンステップバスに関しては「オムニバス」と表記する[注釈 32]

概説

路線車

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富士重工車体を架装した日野車2527(西鹿島駅にて)

※各営業所により配置の多少が有るが、そちらについては各営業所の記事も参照のこと。

遠鉄バスの仕様はハイバックシートで、カーテン付き、背もたれの降車ボタンなど、詳細は後述するが他社にはない特徴的な組み合わせの仕様で導入している。

メーカーは、多い順に三菱ふそう日野いすゞの3社のバスを導入している。因みに、昭和末期までは営業所毎にメーカーが決まっていて、磐田営業所、天竜営業所、湖西営業所[当時]、袋井営業所[当時]、浜北営業所[当時]、浜松南営業所は日野のみ、細江営業所、三方原営業所、福田営業所、竜洋営業所[当時]、浜松営業所[当時]、富塚営業所[当時]はいすゞのみであった。尚、福田営業所は途中でいすゞから日野に変更された。(三ヶ日営業所[当時]や中遠観光営業所は貸切の営業所である為、元々路線車は所有していなかった。) その中で三菱ふそうは当時は少数派であり、導入していたのは舘山寺営業所と雄踏営業所のみであった。昭和62年に舘山寺営業所と雄踏営業所以外の営業所として初めて三方原営業所に三菱ふそう車が導入され、これ以降細江営業所や浜松南営業所等、元来三菱ふそう車が全く導入されていなかった他の営業所にも三菱ふそう車の導入が増えていった。その代わりにいすゞの導入が減り、いすゞが少数派となっていった。なお、昭和末期には日産ディーゼル(現:UDトラックス)製のバスが試験的に導入されたが、その後導入されることなく現在は廃車されている。因みに、MD92エンジンを搭載したエアロスターPKG-MP35U系は導入されていないため、UDエンジンを搭載した車両はその後一切導入されていない。また、西日本車体工業ボディの車両は一切導入されていない。

遠鉄では、1990年代中盤より基本的に大型車・コムニバス(中型ロングの超低床バス)のみを導入し、コムニバスは閑散路線を中心[注釈 33]に運用している[注釈 34]。中型ツーステップバスは、かつては遠鉄閑散路線を中心に運用し浜松駅にもしばしば顔を出していたが、現在では一部の自主運行バスに専属で充当されており、遠鉄直営路線には浜松まつりなどで著しく車輛の不足するときに臨時で充当されることがある程度である。なお、2008年に廃止された宮口線や2010年に廃止された白洲線の和地⇔舘山寺営業所区間便は、中型ツーステップのみの運用であった。また、かつて1990年前後に存在していた3 三島浅田中田島線も一時期中型ツーステップのみで運用されていた。一方、中型ワンステップバスは導入当初より秋葉線や自主運行バスを中心に運用されており、秋葉線以外の閑散路線への専属運用は無い。なお、浜松市自主運行バス龍山線は2007年に遠鉄直営路線に移管されたが、引き続き中型ワンステップバスで運用されている。また、中型ツーステップバス同様、車輛不足の際に臨時で直営路線に充当されることもある。ちなみに、中型ワンステップバスが専属で運用される路線はかつて専属だったメローバスを除き、全て路面の都合上超低床バスが入ることの出来ない路線である。

社内では、全長11m以上の車両を「特大車」、10.61m以上11m未満は「大型車」、9.01m以上10.6m未満を「中型車」、9m未満の車両は「小型車」として分類している。

ワンマン化の過程では、1970年頃に前中引戸や前後扉という配置の車両も試験的に導入されたことがある[9]が、1981年の新車からは中扉4枚折戸を採用し、さらに車内はハイバックシート・横引きカーテン装備など、全般的にグレードは高くなっている。しかし、後部の行先表示器については交通バリアフリー法施行により義務付けられるまでは装備されていなかった。また、交通バリアフリー法施行後の2001年以降の納入車は全車両がLED式行先表示器であるため、後部表示器がついている車両は現在でもLED式行先表示器の車両のみで、回転式方向幕の車両に関しては現在でも後部方向幕は設置されていない。なお、オムニバスは2004年の途中まで基本的にグライドドアを採用していた。2004年の途中からは1980年以来の全車輛スライドドアでの納入となっている。

また、1996年度以降に導入されたすべての車両にアイドリングストップ装置が装備されており、現在ではツーステップ車も含めほぼ全車両に装備されている。なお、前述した通り遠州鉄道では同装置の装備有無に関わらずアイドリングストップを実施しており、アイドリングストップ中は全ての車輛で車内に音楽が流れる。音楽については#アイドリングストップ中の音楽を参照。

このほか、「く・る・る」や「小林駅日赤病院線」の専用車として日野・ポンチョを導入しているほか、天竜営業所には廃止代替路線用として日産・キャラバンが1台在籍している。

遠鉄では車齢15年をめどに売却・廃車しているが、新車の導入状況等により前後する。

  • 1997年までは日野製大型車を富士重工製車体で導入していたことが特徴であったが、日野製オムニバスが導入され始めた1998年に富士重工が日野車の架装から撤退したこともあり、オムニバスは日野純正車体のみの導入となっている。中型車は、かつては富士重工製車体も存在したが、現在は純正車体しか残存していない。
  • いすゞ製大型ツーステップ車は純正車体(川重車体)で納入され、ツーステップ車末期のアイドリングストップ車のみ富士重工製車体で納入された。廃車が進行し現在はこの富士重工製7Eボディ車のみ残存している。オムニバス・ワンステップバスは純正車体である。
  • 三菱ふそう製大型車のうち、ツーステップはニューエアロスターKC-MP317Mを除き当時の三菱自動車工業名古屋製作所大江工場製(MMC)ボディで導入。ニューエアロスターや全てのオムニバス(ニューエアロスター・エアロミディ)はMMCボディの設定がないため、MBM→MFBMボディ。なお、ふそう車は富士重工ボディは存在しない。

1998年度より(実際には1997年度にオムニバスが既に導入されている)新車はオムニバス(車椅子用席あり)に統一されており、2006年9月30日現在の台数は179台となり、これは日本の民営バス事業者では最大の超低床ノンステップバス保有台数となっている。なお、オムニバス導入当初、実験的に全便超低床オムニバス化した51泉高丘線は、この効果により10%利用者が増加した[15]

2002年には三菱ふそうよりディーゼル・電気式ハイブリッドバス(エアロスターHEV)の貸与を受け、遠鉄にて長期実用試験を行っていたが、この車両については中扉は引き戸となっている(市販バージョンの2台も同様)。

ワンステップバスは2005年度に中型が3台、2008年度下四半期(2009年上四半期)より大型長尺車が毎年数台程度導入されているが、依然少数に留まっている。

遠鉄では、毎年15〜25台程度新車が導入されている。例えば、1998年度には2785〜2815号車・12号車の計25台のオムニバスが導入された。1999年度は、27号車〜78号車(3000番台に改番された4台を含む)の22台が導入された。ただし、2008年・2009年は不況の影響もあり、2008年は7台、2009年は11月現在で1台のみの導入である。なお、1999年度導入の12号車を除く1998年度〜1999年度の全ての新車及び1997年度導入の2783号車(現在の2004号車)1台は三菱ふそうニューエアロスターのKC-MP747Mであり、12号車と2000年度の新車の3割は日野ブルーリボンのKC-HU2PPCEである。2000年度は147号車・148号車以外全て上記2型式なので、日野レインボーも導入されるようになった2001年度以降と比べ、エアロスターの割合が多い。そのため全国的にはそれほど普及していないエアロスターKC-MP系オムニバスが遠鉄バスでは2009年現在でも最大勢力を誇っている。なお、147号車は日野レインボーのKL-HR1JNEE、148号車は同じく三菱ふそうエアロスターであるがマイナーチェンジされたKL-MP37JMである。なお、147号車の車種も、148号車の型式も、それぞれこの1台を除いて全てLED式行先表示器を装備している。

2007年度にはいすゞエルガtype-Aが導入され、それ以降に導入される大型オムニバスの主力車輛となっている。
また、同じく2007年度には、3年ぶりに三菱ふそうの新車(車種はエアロスターで、型式はPJ-MP37JM)が導入された。年式の違いにより、従来の三菱ふそう車とは降車ボタン[注釈 35]や内装[注釈 36]が異なる。

2011年にはLKG-MP35FPが導入された。同車両は路線車初の尿素SCR採用車であり、遠鉄初のアリソン製AT車でもある他、熱線吸収ガラスとなりカーテンが省略されている。なお、遠鉄初のMP35系である他、ニューエアロスター初の長尺車でもある。

この他、三菱ふそうエアロスターに関して、KC-MP系KL-MP系で外観の差が無い[注釈 37]事が特筆できる。また、内装にも殆ど差異は認められない[注釈 38]。通常、KC-MP系では中扉グライドスライドドアまたは扉下部にも窓のついたスライドドアを、KL-MP系では中扉に扉下部には窓の無いスライドドアを採用しているため容易に判断できるが、遠鉄ではKL-MP系もグライドスライドドアで導入している。また、KL-MP系ではオプションとなり取り付けない事業者が増えた補助ブレーキランプ・補助ウィンカーランプについても標準装備のKC-MP系と同様に取り付けられているためこの点での判別も出来ない。判別方法は、エンジン音や駐車ブレーキ(KL-MP系ではホイールパーク式となった)の他、外観ではKL-MP系は方向幕がLEDになっていることである。但し、方向幕のLED化は年式の差異によるものであり、KL-MP系である148号車は2000年導入のため回転式方向幕となっている。 ちなみに、PJ-MP系は前述の通りスライドドアになったこと、補助ブレーキランプ・補助ウィンカーランプが消滅したこと、降車ボタンの形状・音色が変わったこと、内装が異なることなどで容易に区別できる。

サスペンションは、昭和30年代にエアサスツーステップ車が遠鉄エアサスバスの愛称で導入された[26]が、その後のツーステップ車は全てリーフサスペンション、オムニバス・ワンステップバスは全てエアサスペンションで導入されている。

一方で東日本大震災や台風被害の影響を受け1997年式のKC-MP317M(ニューエアロスターツーステップ)の2732号車が2012年から2013年にかけて災害対策車に改造され、白ナンバーの1号車[注釈 39]となった。この車両はEMV[注釈 40]と名付けられ、通常時は教習車として使用される他、催事輸送の際には当車両にて運行管理を行っている[27]

なお、浜松市営バスの事業廃止時に譲渡された3台を除き、中古車は一切導入されていない[注釈 41]

この他、オレンジ急行やモーニングダイレクト用に三菱ふそう・エアロバスが在籍している。

装備・仕様等は#仕様を参照。

e-wing・e-LineR用車両

貸切車は三菱ふそうの他に日野も導入されているが、e-wing・e-LineR用車輛は全て三菱ふそう・エアロバス三菱ふそう・エアロエースのみとなっている。貸切用途から転用した車両が多くを占めるが、e-wing向けには新造車も存在する。なお、続行便や予備車として一般路線用のエアロバスや一部の貸切車が充当されることもあり、e-wingには日野・セレガが充当されることもまれにある。e-LineRに関しては化粧室付車両試験運行の際に日野・セレガが使用された実績がある。詳細は横浜イーライナーを参照。

詳細はe-wing#車両e-LineR#車両を参照。

貸切車

テンプレート:See

過去の車両

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かつてく・る・るに使用されたマルチライダー

過去には、貸切バスとの兼用を考慮した「乗貸兼用車」も存在し、貸切車と同様のフロントグリルが異彩を放っていた。かつて運行されていた高速バス東名浜松静岡線には、三菱ふそうエアロバスが使用されていた。この他、東名浜松静岡線には、観光バス用シャーシに路線バス用車体を架装した高速・路線兼用車が1台在籍していた。


浜松市交通部の事業廃止時に、遠鉄バスに譲渡された車両4台(1258、1259、1260、1261号車)が存在した。これらの譲受車は、いずれもいすゞK-CJM470で、当時の遠鉄バスの自社発注車が標準尺車・中扉4枚折戸・側窓は引き違い窓(メトロ窓)・クロス張り床という仕様であったのに対し、短尺車・中扉引き戸・側窓は2段窓・木の床という相違点があった。1996年までに全廃されている。

また、浜松市循環まちバス「く・る・る」用には当初はオムニノーバ・マルチライダーが導入されていた。

廃車車両の譲渡

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網走バスで活躍する中古車
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道北バスで活躍する中古車。側面の塗装はそのままで走っている
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川中島バスで善光寺線専用車として活躍する中古車

遠鉄バスは地方の事業者としては珍しく車両のライフサイクルが短いことでも知られていて、同社で退役した車両は全国の地方事業者に譲渡されている。浜松市がオムニバスタウンに指定され、超低床ノンステップバスの導入が推進された1997年以降より増加している。

主な譲渡先は、網走バス道北バス道南バス下北交通岩手県交通宮城交通南越後観光バス北越後観光バス(旧・越後柏崎観光バス)・椎名観光バス日立電鉄交通サービス茨城交通群馬バス諏訪バス川中島バスエスラインギフ広島電鉄芸陽バス熊本バス琉球バス交通沖縄バスなどである。

また、一部の車両はミャンマーなど海外へも輸出されているほか、 大型二種免許用の教習車に改造され、自動車教習所に導入された車両もある。

テンプレート:-

車番

車両番号については、登録番号をそのまま使用している。例えば、「浜松22か22-22」(三方原営業所に在籍していた三菱ふそうエアロスター長尺車U-MP218P。初期のETカードにもデザインされていた)であれば、2222号車となる。登録番号重複の恐れがある場合は、希望ナンバー取得により対処している。2009年現在、4桁のナンバーは2004号車と3000番台、及びく・る・る用の5000番台を除き「浜松22か」、2〜3桁ナンバーの車輛は「浜松200か」(希望ナンバー車は「浜松230あ」)である[注釈 42]。2004号車は「浜松22か27-83」が改番したもので、「浜松230あ20-04」になっている。同じく3000番台も2桁ナンバーから改番したため「浜松230あ」である。く・る・る用車輛は導入時より「浜松230あ50-xx」で連番にしている。

仕様

ここでは路線車の仕様を中心に述べる。

塗装

ツーステップ車は銀色に深緑の帯が入った塗色を採用している。また、下部は僅かながら茶色の帯になっている。茶色の帯は過去の車両の方が今の車両よりも太かった。因みに塗装色の銀色は中田島砂丘の砂、深緑は浜松市の木である松、茶色は三方原台地を表している。尚、1987年導入車より深緑の帯と窓枠の間には赤い線が入っている。このツーステップ車の塗装色はオムニバスが登場するまで、殆ど変更されていなかった。一方、超低床バス・ワンステップ車は銀色に緑・黄緑の帯を巻いているが、ツーステップ車とは巻き方が異なり、わずかにピンクも使われている。超低床バス・ワンステップ車は下部の茶色の帯は無い。なお、どちらも窓上に深緑(ツーステ)や黄緑(超低床・ワンステ)がどちらも同じ巻き方で巻かれている。

ちなみに、2001年より存在するラッピングバスは台数を自主規制しており、20〜30台にとどまっている。

また、遠鉄初のラッピング車輛である、浜名湖花博ラッピングを施した2004号車以外は前面へのラッピングは一切行っていな い。2004号車は特徴的なラッピングを施したが、そちらは#方向幕を参照。

ワンマン機器

テンプレート:節stub

高速仕様の路線車

2687号車・2688号車が現存する。かつては2374号車・2375号車をはじめ、他にも存在したが、すべて2009年までに廃車された。なお、オレンジ急行e-wing掛川区間便[注釈 43]を中心に運用しているが、一般路線の運用にも就く。

以下に特徴を述べる。

  • 座席配置が2列&2列シート
  • シートベルト装備
  • ETC搭載

トランスミッション

路線バス車両は以下の例外を除きフィンガーシフト式直結(DD)5速MTまたはフィンガーシフト式OD付6速MT)である。なお、前述した高速道路対応の路線バス車両はフィンガーシフト式直結(DD)5速MTで導入された。ロッド式は下で述べるとおり自主運行バス専用の中型車のみ残存している。

かつてフィンガーシフトが開発される前は大型車もロッド式直結(DD)5速MTであった。また、1984年式K-MP118Nの1481号車は1989年にフィンガーシフトに改造し2062号車に改番されている。

高速車は貸切車に準ずるが、かつてロッド式が設定されていた時代には基本的にロッド式での導入としており、ロッド式の設定が廃止された車種型式より順次フィンガーシフト式に移行した。なお全車MTでATは在籍しない。

ミラー

左サイドには車内から前面方向幕(回転式方向幕・LED幕)を確認する横長のミラーが、右サイド車内に運転席直後の座席を確認する縦長のミラーが取り付けられているなど、全国的に珍しい組み合わせで導入している。

また、アンダーミラーは通常は左サイドに取り付けられるが、遠鉄では殆どの車輛で左右両方に取り付けられており、こちらも全国的に珍しい。

中扉

中扉は前述の通り1981年の新車から4枚折戸を採用し、その後のほぼすべての大型ツーステップ[注釈 44]で採用された。また、中型ツーステップに関してもいすゞ製車輛を除き2枚折戸となっている。この様に折戸を採用した背景には、スライドドアで乗客を挟み込む危険性があると判断されたことや4枚折戸に関してはワイドドア化による2列乗車制度の導入[注釈 45]などがある。

超低床オムニバスは、いすゞ製車輛を除き、オプション扱いでも2004年の途中までグライドスライドドアを採用していたことが特筆できる。

なお、2004年の途中以降の超低床オムニバスやすべてのワンステップバス、年式に関わらず一部のいすゞ製車輛はスライドドアを採用しているが、2011年 - 2012年上期の新車を除き引き続きICカード対応整理券発券器が左右に完備されている。そのため中型車ならびに左記の例外を除き2列乗車制度が採用されている[注釈 46]

ドアチャイム

ツーステップは、一般的なブザーである。ドアが閉まるときは一部の中型車を除き閉まりきるまでブザーが鳴ることが特筆できるが、ドアが閉まり始める際に一瞬音が途切れる。このような例としては他に国際興業バスがある。

超低床オムニバスでは視覚障碍者にも低床車だとわかるようにベル型のチャイムが採用された。音色としてはどちらかというと固定電話の着信音や電車の発車ベルに近い。ツーステップ車と同じく閉まりきるまでチャイムが鳴るが、ドアが閉まり始める際も音は途切れない。車内ドアチャイムは音の高低差は有るものの全て同じ2音の和音となっている。車外ドアチャイムはパナソニック電工製のホロホロブザーが主流であるが、中には「ピー」というツーステップに近い車外ドアチャイムの車輛や、電動式車いすスロープの作動警告音や岐阜バスの車外ドアチャイムなどと同じパナソニック電工製のフリッカブザー[注釈 47]もある。また、最近の新車では車内ドアチャイムと同じ車外ドアチャイムを装備する車輛もある。なお、車外ドアチャイムはドアが閉まる際は閉まり始める前しか鳴らないものもある。

中型ワンステップバスではピンポンチャイムの車両と超低床オムニバスと同じベル型チャイムの車両が存在する。

2009年以降の導入車は全国的にみられる泰平電機製のピンポンチャイム、アナウンス仕様に変更された。なおチャイムの鳴動回数は年式、車種により異なる。車外へはドアが開く際のみパナソニック電工製のホロホロブザーが流れるほか、2010年式以降は扉が完全に閉まるまでチャイムが繰り返される仕様となった。

車いす用スロープ

オムニバス・ワンステップに関しては車いす用スロープが完備されているが、回転幕の世代オムニバスは電動式車いすスロープ[注釈 48]、排ガス規制がKL-以降の全ての車輛[注釈 49]では手動の車いすスロープである。これは、電動式車いすスロープ関連のトラブルが多いこと[注釈 50]や導入コスト削減の目的が影響している。

なお、遠鉄にはリフト車は存在しない。

標準尺の車輛が殆どで、そこに長尺車が加わるという構成である。

以前は短尺車も存在したが、1994年の導入を最後に導入されていない。最終的には浜松南営業所に配置されていたU-MP218Kの2369号車・2471号車の2台のみとなっていたが、2010年7月にどちらも廃車となり、遠州鉄道から短尺車が全廃となった。 また、長尺ツーステップはU-MP218Pである2374号車(1994年式の高速道路対応車)の廃車により2009年末で姿を消した。

なお、オムニバスのみの導入となった1998年以降は導入車種に於いて最も長い尺で導入しており、ブルーリボン・ブルーリボンシティのみ長尺、他は標準尺となっている。 また、ワンステップバスは長尺でのみ導入されている。

三菱ふそうニューエアロスターを除く全てのツーステップはメトロ窓を採用していたのが特筆できたが、設定消滅に伴い逆T字窓となっている。

2011年の新車より熱線吸収・UVカットガラスが採用されている[注釈 51]

テールランプ

ツーステップは(外側から)ウインカー・ブレーキランプ・ブレーキランプの3連テールを採用していた。

オムニバスは、設定が無い場合[注釈 52]を除き、オプション扱いとなる場合でも上部の補助ブレーキランプ・補助ウインカーランプを搭載している。

運賃箱

ファイル:ET-bus FareBox NF-3.jpg
NF-3[E型]運賃箱
(紙幣挿入口上にある橙色のボタンが入金ボタン)
ファイル:Seiriken.jpg
運賃箱がRX-FA1に更新されて間もない頃の整理券
(後にRX-FA1世代に印字様式をマイナーチェンジ、NF-3導入時に券ごとチェンジ)

遠鉄バスでは、バーコード整理券、及びバーコード整理券式運賃箱を長崎バス・函館市交通局(バス・路面電車)と共に全国で最初に導入した。運賃箱は、函館市交通局と同じく小田原機器製のRX-FA1型運賃箱であった[注釈 53]

その後、2003年度のICカード「EG1 CARD」(「ナイスパス」の前身)導入時にレシップ製NF-3(NF3-E型)に更新された。2003年2月頃より導入されたレシップ製の運賃箱は日本初のカラー液晶画面を搭載、視認性・表現力に優れており、その後多くのPASMO導入バス会社(西武バスほか)や岐阜乗合自動車ayuca)などでも採用された。車両により、整理券投入・大人精算完了チャイム・小人精算完了チャイム(学生ナイスパス含む)の音色がそれぞれ2パターンずつ存在し、片方は鉄道線と共通のものを採用している。

ICカード「ナイスパス」に入金するときには、「入金」ボタンを押すことにより乗務員への申告無しに行うことが出来る。この際、運賃箱が「積み増しします。カードを置いて下さい。」(入金ボタンを押した時)・「紙幣を挿入して下さい。」(カードを置いた時)・「ありがとうございました。」(任意の金額を入れカードを外した時=入金完了時)のアナウンスが運賃箱より流れる。

春休み・夏休みの子供1乗車50円期間中は、小児用ナイスパスは自動で50円となる。なお、(乗務員が)小児ボタンを押すと自動的に運賃が50円となるため、ETカードや現金でも利用できる。一方、高齢者1乗車100円キャンペーンは、ナイスパスの場合登録された誕生日から自動で年齢を判別し100円となるが、運賃箱には高齢者ボタンは存在しないため、現金の場合は金額不足と表示されるが運転手が強制精算する。ETカードの場合、そのまま通すと通常運賃が引かれてしまうため、整理券に関しては一旦強制精算した上で金入力(「金100入力」と入力)する[注釈 54]

なお、鉄道線の各駅に設置されているICカードリーダーにはレシップ製のほか、サクサ製のものもある(主に残額確認用)。ちなみに、子供1乗車50円は鉄道線でも実施されるが、当該期間は券売機の小児ボタンを押すと全ての駅までの運賃が50円と表示される[注釈 55]

ちなみに、2002年度の一部車輛に於けるICカード試験導入時には現在のレシップ製NF-3ではなく、別の運賃箱だった[注釈 56]

現在の運賃箱は、両替・運賃紙幣として1000円札が読み込める他、ICカード(ナイスパス・EG1カード)入金用に5000円札・10000円札も読み込むことが出来る。しかし、2000円札は読み込めない。また、運賃には、1円玉や5円玉も利用できる。ただし釣り銭は出ず、運賃を多く払いすぎると不足の時と同じブザーが鳴るため、現金で支払う場合は運賃ちょうどの小銭を用意するか、事前に両替をしておく必要がある。

運賃箱には、メーカーのロゴが付くのが一般的であり、現在導入されているレシップ製NF-3も多くの事業者で「LECIP」のロゴが取り付けられている中、遠鉄バスには取り付けられていない。また、e-wing車輛・e-LineR車輛にもレシップのロゴは取り付けられていないが、同車輛には遠鉄グループのロゴ(10px)が取り付けられている。

整理券発券器

ファイル:Nicepass 04x3998.jpg
現在の整理券発券器兼ナイスパス処理機

かつては小田原機器製SAN-VTを採用していたが、運賃箱と同じくICカード導入時に更新され、レシップ製となった。

通常はカードリーダーを別に設置することが多いが、整理券発券器本体にICカードリーダ/ライタを設置していることが特筆できる[注釈 57]

なお、2002年度の試験導入時には現在と同じ機種が導入されたがIC読み取り部が横倒しで読み取り完了/エラー警告ランプが付いていなかった他、本体記載文字の字体等が異なっていた。

ちなみに、自主運行用などの中型車を除く大型車・コムニバスには乗車口左右両方に整理券発券器が完備されており、2列乗車制となっている[注釈 58]

テンプレート:-

案内表示器

ファイル:遠鉄-バス 案内表示器全景.jpg
LED表示器、運賃表示器、車番・運転手名札表示器の全景

テンプレート:-

LED表示器
ファイル:遠鉄-バス 見えるラジオ.jpg
ニュースを表示中のLED表示器

ここでは、鉄道線における表示についても述べる。なお、遠州鉄道#特徴的な施策も参照。

全角8文字の横書き2段LED表示器が運転席真後ろの広告スペースの上にある。上段には停車中は行先がスクロールで表示され、走行中は次バス停名・運転手氏名[注釈 59](スクロール)・「つぎ とまります」が表示される。下段は見えるラジオによる文字情報(ニュース[注釈 60]や遠鉄からのお知らせ、浜松市からのお知らせ[注釈 61]、書籍・CD売り上げランキング[注釈 62]や契約広告)、及び現在時刻が表示される。次バス停名は[次は]に1文字使用するため全角7文字以内の場合[注釈 63]はスクロールしないが全角7.5文字以上の場合はスクロールする。また、降車ボタンを押すと[次は]が黒地に赤文字から赤地に黒文字に変わる。この表示器は都営バス[注釈 64]鉄道線のものの色違い[注釈 65]である[注釈 66]

テンプレート:-

運賃表示器
ファイル:遠鉄-バス 運賃表示器.jpg
遠鉄特有の整理券番号がデジタル化した運賃表示器

運賃表示器は運賃箱真上にあり、整理券番号がデジタル2桁・運賃がデジタル3桁で表示される。整理券番号がデジタルであるため整理券番号に欠番が有る場合・始発バス停が1番でない場合・運賃が630円の区間が3つ以上ある場合[注釈 67]に役立っている。なお、こちらは一番左に縦書き全角6文字の表示スペースがあるが、2段LED表示器と違い常にバス停名(走行中は次バス停名・停車中は現在バス停名)を表示している。ちなみに、縦書きのため半角カタカナは表示できない。唯一数字を含むバス停「ベル21」については縦書きは中央揃えにならず上に詰めて「ベ/ル/2/1/ / 」と縦書きで算用数字(全角)が表示されている[注釈 68]

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車番・運転手名札表示器

車番・運転手名札表示器(アナログ)はルームミラー左(外から見て右)にあり、外から見るとツーステップは「ワンマン」、超低床バスは「超低床バス」、ワンステップは「オムニバス」と書かれている。

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社名表示灯

ツーステップには装備されていない。超低床バスは「オムニバス」、中型ワンステップは「低床バス」、大型ワンステップは「ワンステップ」と書かれている。

前述の通り、点灯させることの出来る車種と出来ない車種が存在するが、点灯できる場合でも点灯させるかどうかは乗務員の判断に任せられている。

座席

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遠鉄で採用されたハイバック&オフセットシート

基本的に中扉より前は右側2列、左側1列、中扉より後ろは2列&2列となっている。 全て前向きシートであり、横向きシートは一切採用していない。

なお、一部座席[注釈 69]を除き全てハイバックシートで、1995年以降は背もたれに降車ボタンが取り付けられている。また、背もたれの厚さが一般的なバスの座席よりも元来厚めだったが、超低床オムニバスになってからは更に厚くなり、座り心地が向上した。

また、1995年以降のツーステップ車では2列席は全席オフセットシートを採用していた他、超低床のKC-MP747Mも1997年式 - 1999年式に関しては車内右後方の座席のみオフセットシートが採用されていた。2000年式以降はオフセットシートは一切採用されていない。

因みに、HEV試作車の251号車は例外で、メーカー仕様でリースされたため、ハイバックシートではなく、善意のいすの部分も横向きシートになっている。

この他、座席背面の通常は金属板になっている部分にも全車輛でモケットが張られていることが特筆できる。「遠鉄で採用された降車ボタン付きのハイバック&オフセットシート(背面)」の画像を参照。

2013年と2014年は背面のモケット張りのない標準仕様のローバックシートが採用された。

善意のいす(優先席)

中扉より前、タイヤハウスより後ろの部分が善意のいす(優先席)となっている。

かつては善意のいすで呼称が統一されていたが、近年は優先席も併用している[注釈 70]

また、以前は善意のいすにはシートカバー(枕カバー)が付いていたが、現在では殆どの車輛で撤去されている。

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方向幕

前述した通り、幕式表示器は後部幕は無い。ローマ字表記は、LED車のみ行われている[注釈 71]

遠鉄初の全面ラッピング車である[注釈 72]2004号車浜名湖花博ラッピング車は、幕式表示器装備車で後部表示器は無かったが、ラッピング時にリアガラスラッピング上部に「園芸博まで」と表記しその右隣にLED表示器を設置した。LED表示器には緑色で「あと300日」等と2004年4月8日までの残り日数を(数字は全角数字で)表示した。この表示器は2004年10月11日のラッピング解除の際に撤去されている。

前面方向幕について、ワンマン化の前後には系統幕と行先幕が分離されたものも導入された時期も有ったが、その後の新車は大型の一体型方向幕となった。それ以降は分離幕は導入されていない。なお、分離幕に於いても途中からは系統幕が冷暖房車は「冷暖房車」、非冷暖房車は「ワンマン」の固定表示(その後は無地(深緑)にされた。)となり、番号も行先幕に表示されていた。

一時期、前面幕には一部を除き経由地等が一列で書かれているものが浜松南営業所を中心に投入されたが、現在ではほぼ消滅している。例「[1]中島浜松駅」「[5]三島 江之島 遠州浜」「[8]広沢 医療センター 富塚じゅんかん」「[8-[22]]広沢 医療センター 佐鳴湖西岸」「[[9]-[22]]鴨江 さなる台 佐鳴湖西岸」「[20]西伊場 浜松ナイガイ」等

スルー系統に関しては浜松駅の一つ〜四つ前のバス停発車または通過時に次の系統の方向幕に変更する。 笠井高台線70→41ならば、広小路発車または通過時に「70浜松駅 市役所葵高丘」から「41葵北基地 花川運動公園」等に変更する。大塚ひとみヶ丘線36→6ならば市役所南発車または通過時に「36市役所 浜松駅 大塚」から「[6]北寺島大塚」に変更する。

なお、遠州浜蜆塚線が浜松駅通過系統第1号として運行を開始した時(この時は遠州浜佐鳴台線で系統番号は全線を通して1であった)は、方向幕は「[1](浜松駅 蜆塚経由)佐鳴台」「[1](蜆塚 浜松駅経由)遠州浜」(()内に記載の経由地が上段、行き先が下段の2列表示)の様になっており浜松駅を通過しても方向幕を変えることが無かった。現在は「[1]浜松駅 蜆塚 佐鳴台」→「[0]蜆塚 佐鳴台」と途中で方向幕を変えている。 浜松駅通過系統第2号の蒲小沢渡線は、上記の名残が残っており、現在でも始発からスルー先の系統番号を表示して上部に「法枝 浜松駅経由」「東高 浜松駅経由」等の表示がされている。

LED式行先表示機のことを遠鉄では電照幕と呼称しているが、電照幕に限っては、主要経由地を過ぎるとどんどん表示を切り替えてゆくことが特筆できる。例えば浜松駅で「30舘山寺 村櫛 弁天島」となっていても、幾度かの表示変更を経て、最終的には「30弁天島」となる(ここではローマ字表記は省略)。別の例では、40の上りであれば鹿谷町南の時点では「40高町浜松駅」であるが、高町以降では「40浜松駅」となり、側面の経由地も「紺屋町→ゆりの木通り→田町中央通り→浜松駅」となる(現在は経路変更によりこの通りではない)。側面の経由地は、前面よりも多く切り替えが行われ、経由地を過ぎるごとに柔軟な表示を行っている。

ちなみに、多くのバス会社の車両に装備されている「臨時」の方向幕は装備されていないため、臨時シャトル等では「遠州鉄道」(LED車に於けるローマ字表記は「Ensyu Railway Company」の斜体表記)である。なお、LED車の前面・フルドットLED車の側面方向幕では遠州鉄道の左に遠鉄のロゴが表示される。

余談では有るが、該当する行き先の方向幕が存在しない路線を走行する場合、「遠州鉄道」幕を掲出し、プレート(サボ)[注釈 73]で案内する[注釈 74]。但し、運賃精算の関係上音声合成のデータが入っていることが前提条件のため、LED車ではこのような現象は起こり得ない。

番号は、 回転式方向幕では、[40]の様にすべて四角形(□)で囲まれ、方面別の系統色で色分けされている。(詳細は上記路線を参照。)また、[8-[22]]、[[9]-[22]]というように、ハイフンつきのものはそれぞれの色[注釈 75]により囲み方が異なる他、[[16]-4]の様にハイフンの右側の数字が小さくなっていることも有る。 電照幕では、基本的に幕が塗りつぶし(50・80)及び系統番号が白色は枠に囲まれる[注釈 76]。ただし、ハイフンつきのものは基本的に回転式方向幕と囲み方を合わせてある他、1桁の番号では[8]の様に四角囲み+半角数字とすることにより数字に取る表示スペースを削減している[注釈 77]。バスの電照幕は法的理由によりカラー表示できないため、回転幕車のような系統色分けは行われていない。

回転式方向幕は2000年に導入された一部車両を除き「同期進段式」と呼ばれる1コマずつとまるものである。

一般的に、方向幕に関しては設定器を設置することが多い(特に電照幕ではその傾向が顕著である)が、音声合成設定器で一括で操作する為[注釈 78]、小林駅日赤病院線専用のポンチョ1台を除いて設置されていない。小林駅日赤病院線は小林駅〜日赤健康管理センターの距離がそれなりに長く、音声合成の設定とは別に方向幕を切り替える必要があるため、音声合成との連動とはなっておらず、名鉄バスなどと同じような電照幕設定器が設置されている。なお遠鉄の車輛では唯一の非連動である。

また、電照幕では車内からLED番号を確認出来るようになっていることが殆どだが、遠州鉄道では方向幕確認用の車外ミラーが設置されていることも有り従来では省略されていた。しかし2011年式以降は前面電照幕裏の運転席側のみLED番号表示部が設置されている。この表示部は電照幕設定器を兼ねているが通常時には使用しない[注釈 79]。なお、回転式方向幕の場合この部分に微調整用の手動上下スイッチが設置されている。

側面方向幕

側面方向幕は縦書き型式で、左から右へ読む[注釈 80]。フルドット式を含めて電照幕のみ上部に番号だけでなく行先表示があり[注釈 81]浜松駅など主要バス停始発の路線では始発バス停にてスクロールで「このバスは、30舘山寺温泉行きです。」等と流れるようになっている[注釈 82]。初期の電照幕は「→」が3つ[28]、即ち経由地が4つ表示で固定である。そのため、「回送」幕や「遠州鉄道」幕、一部の直通路線の幕を除き全て4つの経路が表示される。

2004年より側面方向幕がフルドット式LED表示器となり、幕式表示器と同様に経由地数の増減が可能となっている。

  • 位置について
    • 窓の位置になる以前は中扉の前部、もしくは後部の窓下壁部に設置されており大きさも小さかった。窓に設置されている場合は以下のとおりであるが原則として上部に寄せている。
    • いすゞ製の中型のスライドドア車、およびPKG代までの大型超低床バスと大型ワンステップバスの660号車は中扉後部に、660号車以外の大型ワンステップバスとLKG代以降の大型超低床バスは戸袋に設置。
    • 三菱ふそう製のスライドドア車は戸袋に設置。なお、ワンステップバスに関しては窓上部ではなく窓下部にオフセットして設置されている。
    • 日野製のスライドドア車はレインボーHRは戸袋前部の窓に設置。ブルーリボンIIのうちPKG-KV234N2(該当車両は超低床バスの623号車1台)のみ中扉後部に設置。それ以外のブルーリボンIIは戸袋に設置。
    • スライドドアでない車輛は中扉前部に設置。

なお、方向幕下には基本的に窓があるが、中型ツーステップを除きその窓は開閉することが出来ない。また、その部分はカーテンも省略されている。

降車ボタン

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降車ボタン付きの背もたれ

降車ボタンは、ツーステップは前扉・中扉どちらかが開いている間、オムニバス・ワンステップは前扉が開いている間は鳴らない。なお、閉まりきらないと鳴らない。

なお、1995年以降導入の車輛では一部を除き降車ボタンが前の座席の背もたれに配置されていることが特筆できる。

形状は、2009年現在残存するものでは、主に5種類ある[注釈 83]。年号は車輛の導入年を表す。

  • - 1994年:函館バス函館市交通局からの譲渡車輛と同一のタイプ。「キンコン」と鐘が鳴るタイプ。このタイプと1997年 - 2006年のサブボタン以外は全て押す部分が円か楕円だが、このタイプは小さな長方形である。また、この世代はボタンが天井と壁にのみ(壁は掘り込み)で設置されているが、これ以外は全て前の座席の背もたれ・掘り込みではない壁・ポール(柱)にも設置されている。
  • 1995年 - 1996年:卵のような形状をしたボタン。高音の電子音で「ピンポン」と鳴る。
  • 1997年(ツーステップ):名古屋ガイドウェイバスと同じタイプ。上記のタイプとは違う音色の電子音で(音も低い)「ピンポン」と鳴る。1997年〜2006年導入分のオムニバス・ワンステップと同じ形状だが、こちらは白い。なお、この世代は天井や一部の壁に設置されるボタンの形状がメインのボタンと異なり、サブのボタンは六角形と長方形の折衷のようなボタンで、押す部分が - 1994年と似たタイプである。因みに一部車輛は2009年にメインボタンが1997年 - 2006年のオムニバス・ワンステップバスのタイプ(色違いの銀色のタイプ)に交換されているが、音色はそのままである。
  • 1997年 - 2006年(オムニバス・ワンステップバス):1997年のツーステップで導入されたものの色違い。こちらはメッキされており銀色である。ツーステップに近い「キンコン」という鐘が鳴る。e-wingの車輛と形状は一緒。天井や一部のつり革ポールに設置されるものは1997年のツーステップのサブボタンと同様である。
  • 2007年 - :黄色いタイプ。全国的に現在導入されているタイプである。チャイムは、従来とは全く異なる電子音で「ピンポン」と鳴る。e-wingの車輛と音色は一緒。この世代では、再び車内全てが同形状に戻ったが、一部の車輛は同じ色で別形状(押す部分が丸い)の名鉄バスにあるタイプがサブボタンとして車内の一部に設置されている。

なお、1997年 - 2006年の車いす用ボタンは主にメインボタンと同じタイプだが、都営バス等で多く導入されている「ピー」と鳴るタイプ(押す部分が大きな長方形である)の形状のが一部のオムニバスの車いす用降車ボタンとして設置されている[注釈 84]

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車両の沿革(年表)

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HEV試作車である251号車(日比谷公園でのバスフェスティバルにて)
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エルガミオワンステップ450号車(中部天竜駅にて)

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脚注

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注釈

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参照

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参考文献

  • 鈴木文彦『路線バスの現在・未来』(2001年・グランプリ出版)ISBN 4876872171
  • バスジャパン・ニューハンドブック40 遠州鉄道』(2003年・BJエディターズ)ISBN 4434019058

関連項目

外部リンク

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  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 『バスジャパン・ニューハンドブック40 遠州鉄道』p16
  2. 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 2.17 『バスジャパン・ニューハンドブック40 遠州鉄道』p17
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 『バスジャパン・ニューハンドブック40 遠州鉄道』p18
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  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 『バスジャパン・ニューハンドブック40 遠州鉄道』p20
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  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 『バスジャパン・ニューハンドブック40 遠州鉄道』p22
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 『バスジャパン・ニューハンドブック40 遠州鉄道』p23
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 9.5 『バスジャパン・ニューハンドブック40 遠州鉄道』p24
  10. 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 『バスジャパン・ニューハンドブック40 遠州鉄道』p26
  11. 11.0 11.1 11.2 11.3 11.4 11.5 11.6 11.7 11.8 11.9 『バスジャパン・ニューハンドブック40 遠州鉄道』p25
  12. 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 12.5 詳細はhttp://www.entetsu.co.jp/tetsudou/akaden_library/history_03.html(赤電の歴史その3)を参照。
  13. 13.00 13.01 13.02 13.03 13.04 13.05 13.06 13.07 13.08 13.09 13.10 13.11 13.12 13.13 13.14 13.15 13.16 『バスジャパン・ニューハンドブック40 遠州鉄道』p27
  14. 14.00 14.01 14.02 14.03 14.04 14.05 14.06 14.07 14.08 14.09 14.10 『バスジャパン・ニューハンドブック40 遠州鉄道』p28
  15. 15.00 15.01 15.02 15.03 15.04 15.05 15.06 15.07 15.08 15.09 15.10 15.11 15.12 15.13 15.14 15.15 15.16 15.17 15.18 15.19 15.20 15.21 15.22 15.23 15.24 15.25 15.26 15.27 15.28 15.29 15.30 15.31 15.32 15.33 15.34 15.35 15.36 15.37 15.38 15.39 15.40 15.41 15.42 15.43 15.44 15.45 15.46 15.47 15.48 15.49 15.50 15.51 15.52 http://bus.entetsu.co.jp/work/omnibus/track.html(オムニバスタウン五年間の軌跡)より。
  16. 16.0 16.1 16.2 16.3 16.4 16.5 16.6 『バスジャパン・ニューハンドブック40 遠州鉄道』p29
  17. 17.0 17.1 17.2 17.3 17.4 17.5 17.6 17.7 17.8 http://bus.entetsu.co.jp/work/environment/index.html(環境への取り組み)より。
  18. 18.0 18.1 通勤ワイドフリー定期券持参人方式である。
  19. システムは自社で開発した。2年間で100万件のアクセスがあった。詳細はhttp://bus.entetsu.co.jp/work/omnibus/track.html(オムニバスタウン五年間の軌跡)を参照。
  20. 鈴木文彦「路線バスの現在・未来」p88
  21. 21.0 21.1 21.2 鈴木文彦「路線バスの現在・未来」p89
  22. 詳細はレイニーバスを参照。
  23. 鈴木文彦「路線バスの現在・未来」p136
  24. 詳細は遠鉄観光を参照。
  25. 25.0 25.1 25.2 詳細はお得な乗車券を参照。
  26. 遠州鉄道50周年史より
  27. 静岡新聞2014年6月23日朝刊
  28. 28.0 28.1 「→」は黄色いステッカーである。