テレビ探偵団

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テンプレート:基礎情報 テレビ番組

テレビ探偵団』(テレビたんていだん)は、1986年10月12日から1992年3月29日までTBS系列局で放送された、懐かしのテレビ番組や懐かしのテレビCMを紹介するバラエティ番組三菱電機の一社提供で、「三菱タイムトリップ」をサブタイトルに冠していた。放送時間は毎週日曜 19時30分 - 20時00分 (JST) 。

概要

放送開始当初は三宅裕司とデビュー間もない時期の山瀬まみが総合司会を務めていたほか、当時『週刊TVガイド』の編集記者だった泉麻人が本名の朝井泉名義でコメンテーターとして出演していた。テーマ曲はニッポン放送版ラジオドラマ『少年探偵団』の主題歌の替え歌で、オープニングの映像では出演者席のテーブルに1950年代から1960年代の三菱電機製の白黒テレビが置かれていた。

番組は毎週ゲストを招き、彼らが思い出に残っている、あるいは過去に出演していたテレビ番組やCMの映像がトークを交えながら進行した。番組後半には、視聴者から寄せられた「あの人があの番組に出ていた」というような情報を基に、コメンテーターの朝井泉や彼の後任の林家こぶ平(現・9代目林家正蔵、本名の海老名泰孝名義で出演)が自らの見地やお宝グッズを交えて紹介する「私だけが知っている」のコーナーが放送された。エンディングでは原則として、ゲストにとって思い出深い歌をその映像とともに紹介していた。往年の歌手が唄う映像ではTBSの『TBS歌謡曲ベストテン』、『TBS歌のグランプリ』、『ザ・ベストテン』、『8時だョ!全員集合』からの映像が多く使用された。また、三菱電機の一社提供番組であったため、懐かしいCMを流す「なつかCM」では原則として同社以外の電化製品のCMが放送されることはなかったが、例外的に、松下電器産業(現・パナソニック)提供の『ナショナルキッド』については、番組名にスポンサー名の「ナショナル」も入っていたが、三菱側の裁量で放送された。また三浦友和のナショナル自転車のCMの回でも、三菱側が自転車を製造販売しておらず競合ではないという判断の下、こちらも放送された。

後に、山瀬の後任として、西田ひかるが司会陣に加わった。この後任時、山瀬が感極まり番組中泣き出すというハプニングがあった。

オープニングの提供クレジットは、ブルーバックに白抜きで「三菱タイムトリップ」と表示された後、「技術がつくる高度なふれあい、SOCIO-TECHの三菱電機の提供でお送りします」の女性アナウンスとともに、三菱のコーポレートステートメントと社名ロゴが表示されていた。また、エンドカードもやはりブルーバックに白抜きで、「三菱タイムトリップ テレビ探偵団 終」と表示されていた。

視聴率は毎回15%前後で推移していたが、当時のTBS社長だった磯崎洋三による編成大改革により、1992年3月29日をもって5年半の歴史にピリオドを打ち、同時に1976年10月17日以来15年半続いた、当枠の30分手前の毎日放送(MBS)制作のロート製薬一社提供枠とワンセットで放送されてきた三菱電機の一社提供枠(下記参照)も廃止された。最終回では、西田ひかるが涙目で「スペシャルでまた帰ってきます…」と発言した。その後、2000年9月に『豪華版!テレビ探偵団』と題して復活したのを皮切りに、計3回のスペシャルとして放送。この復活スペシャルでは、歴代の司会およびコメンテーターの計5人全員が司会を務めた。

2001年12月30日放送の『ザ・ベストテン2001』では、この『テレビ探偵団』と『ベストテン』のコラボレーション企画「ベストテン探偵団」が放送された。

本番組の放送枠の30分手前のMBS制作のロート製薬一社提供枠とワンセットで放送されてきた歴代の三菱電機一社提供枠は以下の通り。

タイトル 放映期間 出演者 備考
欽ちゃんの向こう三軒両隣 1976年10月 - 1977年9月 萩本欽一
欽ちゃんのこれが1番!! 1977年10月 - 1979年2月
チェック&チェック 1979年3月 - 1980年9月 藤田和弘毒蝮三太夫
反応ゲーム2つに1つ 1980年10月 - 1981年7月 西川きよし水沢有美大野香菜
日曜特集 1981年9月 古谷綱正 [1]
人間ふしぎ不思議 1981年10月 - 1983年3月 鈴木治彦生島ヒロシ奥村真粧美 [2]
西田敏行・桜田淳子のもちろん正解 1983年4月 - 1983年9月 西田敏行桜田淳子
THEチャレンジャー(第1期) 1983年11月 - 1985年3月 水野晴郎小島一慶古川登志夫 [3]
GOGOサンデー→
【正式枠名無し単発枠】
1985年4月 - 1985年10月 大橋巨泉伊東四朗松田聖子 他多数 [4]
チャレンジャー(第2期) 1985年11月 - 1986年9月 広川太一郎 [5]
テレビ探偵団 1986年10月 - 1992年3月 三宅裕司、山瀬まみ、朝井泉 [6]

これらの他、『2つに1つ』と『日曜特集』(当時中断中)、『もちろん正解』と『THEチャレンジャー』(第1期)の間にも、90分枠のつなぎ番組が放送されていたが、いずれも三菱電機一社提供は20:00頃までになっていた。 

歴代出演者

期間 総合司会 コメンテーター
男性 女性
1986.10 1988.04 三宅裕司 山瀬まみ 朝井泉1
1988.05 1989.09 海老名泰孝2
1989.10 1992.03 西田ひかる

補足

  • 1 朝井泉は泉麻人の本名。
  • 2 海老名泰孝は林家こぶ平(現・9代目林家正蔵)の本名。
  • 山瀬・朝井は降板後もゲストで出演。

ゲスト

テンプレート:節スタブ

スタッフ

  • 構成:腰山一生、高平哲郎、谷口秀一
  • 技術:村杉幸一、新福剛、杉田謙二
  • カラー調整:小高宏文、飯塚嗣、丹野至之
  • カメラ:小山内義紀
  • 照明:田中豊治、小野寺瑞樹、大野治利
  • 音声:中嶋典之、柳沢任広、近藤洋一、倉本紀彦
  • 音響効果:舘野忠之、新谷隆生
  • 美術デザイン:山田栄
  • 美術制作:宮崎保城
  • スタイリスト:五十嵐準子
  • 取材:杉山王郎
  • 演出:岡本充敏、高田一、及川俊明、鈴木孝之、赤木準平、宮本稔
  • プロデューサー:石川眞実、内山雄治
  • 制作協力:創都
  • 製作著作:TBS

書籍

  • 三宅裕司著『ぼっ!ぼっ…ぼくらはテレビ探偵団』(1987年5月30日、祥伝社、ISBN 4-396-62005-5)
    三宅裕司のテレビっ子ぶりを回顧した自伝部分と、番組に迎えたゲストたちの発言やエピソードを交えたバラエティブック。森田健作から徳光和夫までの18人のゲスト回について触れられている。

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:前後番組 テンプレート:三宅裕司

テンプレート:Asbox
  1. 19:30 - 20:55 つなぎとして30分拡大 三菱電機一社提供は20:00頃まで
  2. ここから再び放送時間が19:30 - 20:00に戻される
  3. 最末期に三菱電機のロゴとコーポレートスローガンが変わる
  4. 放送時間は19:30 -20:54 三菱電機一社提供は20:00頃まで
  5. ここから三度放送時間が19:30 - 20:00に戻される 1986年4月からはクロスプログラムも付く
  6. 最末期の半年間はTBSのロゴが変わる
  7. 当時は日本テレビのアナウンサーだった。
  8. 山瀬まみは「どくばらみたお」と読み、「まむし」はニックネームだと思い込んでいた。
  9. 植木が亡くなった際は、TBSでの追悼特番でこの回のVTRが放送された。
  10. 手塚が亡くなった際にはこの回を編集した追悼特集が放送された。
  11. コメンテーター降板後の朝井泉が大場のファンだったとの理由で観客席に登場。司会席までやってきてお宝を披露した。
  12. 海老名泰孝が都合で休みだったため代役として前任の朝井泉がコメンテーターを務めた。
  13. 峰は海老名泰孝の姉婿(海老名美どりの夫)であり、兄弟共演となった。