柳葉敏郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:ActorActress 柳葉 敏郎(やなぎば としろう、1961年1月3日 - )は、日本俳優歌手タレント。愛称はギバちゃんジョニー柳葉リーダー

秋田県仙北郡西仙北町(現:大仙市)出身・在住。融合事務所所属。趣味は、ボウリングゴルフスキーテニス野球。身長:171cm、体重:60kg、血液型:O型。

人物・来歴

略歴

秋田県立角館高等学校卒業後、18歳の頃に日本テレビのバラエティ番組『スター誕生!』へ応募するもテレビ予選で落選。それがきっかけで上京、劇団ひまわりに入団する。柳葉の発言によると上京の夢はあったが、芸能人になろうとは思っていなかったらしい[1]。しかし、高校の同級生に柳葉のライバルがおり、その同級生が上京したので、勝負するには同じ東京で一旗あげなければならないと考え芸能界入りした模様。その後、渋谷のディスコ仲間達でNHK前の路上で寸劇をしていた「劇男零心会」に加わる。その後、「劇男一世風靡」を結成。劇団一世風靡のメンバーの中から結成された「一世風靡セピア」のメンバーとして歌手デビューし、当時の若者の代表格的存在となる。

1983年(昭和58年)9月よりスタートしたバラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』に「良川先生」としてレギュラー出演(一世風靡セピアのメンバーである武野功雄も、悪川先生として共演)。この際、萩本欽一がオーディション終了後「オーディション終わって何の予定もない寂しい奴にいいことあったっていいじゃない。だから一番早く帰宅した人を採用する」と決め、関係者にオーディション参加者の家に電話を掛けさせたところ、最初につながったのが柳葉だったというエピソードがある。

しかし、長年語られてきたこのエピソードは間違いであることが『週刊アサヒ芸能』での萩本の連載により判明した。これによると、萩本はよくオーディションの後に「誰かを呼び戻せ」と言う事が多かった為、それを危惧したスタッフがオーディション参加者の中から5名をスタジオ内に待機させていた。しかし、スタッフの予想に反し萩本が「1時間後に家に電話して、一番早く出た奴を採用する」と言い出したため、スタッフが待機者5名の中から柳葉を選び、「電話をかけて一番最初に出たのが柳葉」ということにしたというのが真相。

これはスタッフと柳葉の間での秘密で、萩本も真相を知らなかった。しかし、この事に長年違和感を感じていた萩本が30年経って当時のディレクターに質問したところ、「もう時効なので話します」と打ち明けてくれたのだという。

萩本は「真相は違っても、スタッフの中から選ばれたのは彼の持っている運だ」と感じたとともに、「柳葉は最後までずっとスタッフとの約束を守り、僕に真相を言わなかった。本当に男らしい」と語っている[2]

1988年(昭和63年)以降は多くのトレンディドラマに出演し、芸能界内で元祖トレンディ俳優と言われるようになる。笑い顔がやさしい印象を与えたため、1994年(平成6年)には『29歳のクリスマス』の助演に起用され、当時の20代女性の間でも認知度が広まった。特に『踊る大捜査線』シリーズの室井慎次役は一番の当たり役となり、2005年(平成17年)に主演を務めた映画『容疑者 室井慎次』はヒット作となった。

人物像

テンプレート:出典の明記 テンプレート:雑多な内容の箇条書き

一世風靡セピア時代
一世風靡のメンバーだった頃の愛称はジョニー。また『ハッピーバースデー!』で共に司会を務めた、友人で先輩である陣内孝則が「陣内ボス」と呼ばれることに対して、柳葉は「柳葉リーダー」と呼ばれていた(一世風靡セピア時代のリーダーは小木茂光である)。
外見
髪型は基本的に短髪。デビュー当時からほとんど変わらない髪形を維持している。スタイル的にはドラマ出演のために前髪をオールバック(室井慎次)にしたり、下ろしたりしている。髪色は黒髪で、これもデビュー当時から現在まで変わっていないが、最近は白髪も生えている。特に染めたりなどはしていないようである。
色黒で、南国出身だと誤認される場合もある。
髭がなかなか生えない。そのため『容疑者 室井慎次』ではプロピアを使用した(座談会では「GIBA」としてハリウッドに売り出そうと笑い話にされている)。
性格
基本的に明るくほがらかな性格で、子供っぽいともいえるほどのはしゃぎぶりを発揮することもある。
バラエティ番組ではいわゆる「オヤジギャグ」を多く発し、明るめな性格が垣間見られる。しかし芸人を食うほどではない。柳葉はギャグを発する際、自分で言ったギャグに自分で受け、勝手に笑うという独特な感性を持っているので共演者からつっこまれることが度々ある。
特に酒癖が悪いことで有名で、和田アキ子などから、柳葉の酒にまつわる数々の伝説がテレビ番組で紹介されることがある。
俳優業
テレビドラマに多く出演し、トレンディドラマからシリアスものまで幅広くこなす。室井の役柄は演じた柳葉の本来の姿と180度違うキャラクターであり、本人もかなりきつかったと言っている。
人気の範囲はかつてはお茶の間層・主婦層に限定されていたが、俳優としての実力が認知され始めるにつれて青年層・邦画ファンに人気が出始める。その後、トレンディドラマに出演するようになってからは20代女性層の認知も多くなり、20代 - 60代と広範囲に受け入れられるようになる。また、『踊る大捜査線』でのブレイクにより今まで柳葉を知らなかった子供層からの認知も上がっている。
NGをほとんど出さない(というより出さないように気をつけている)と自負している。
音楽活動は現在も続けている様子で、いくつかのシングルを出して今もライブ活動を行っているようである。
秋田県大仙市刈和野の温泉「ユメリア」で2006年11月18日から「ギバちゃんの部屋」が展示されており、レンタサイクルも寄贈している。
『踊る大捜査線』でのイメージを買われて、警視庁東京湾岸警察署の一日警察署長を務めた(2013年)。
家族
妻との仲は円満で、夫婦連れ立ってカラオケにも行く。娘と息子がいる。独身の頃から子供は教育環境の良い田舎で育てる考えを強く抱いていたが、お嬢様育ちの妻が嫌がっていた。最終的には本人の意思が強かったため、娘が小学校入学前に、故郷・秋田(旧西仙北町刈和野)への住居移転を実現した。現在は仕事がある度に、秋田から東京や大阪といった仕事場へ出かけている。2008年4月26日、長男誕生(2008年8月20日放送『笑っていいとも!』より)。
義弟(妹の夫)はバスケットボール指導者の佐藤清美JX-ENEOSサンフラワーズヘッドコーチ)で、その息子(甥)は東海大学相模高等学校野球部で主将を務めた[3]
趣味・特技
出身地が秋田である関係からスキーが特技であり、かなり上手い。ファンクラブ主催の柳葉敏郎参加イベントでは柳葉がファンにスキー指導する企画もあった。ボウリングもうまく、俳優の村田雄浩とよくやっているらしい。腹筋と腕立て伏せは連続で100回行えるほど筋力がある。
プロ野球では読売ジャイアンツファンである。また、中日ドラゴンズ荒木雅博山井大介森野将彦福岡ソフトバンクホークス清水将海とも親交がある。引退した1996年F1ワールドチャンピオンであるデイモン・ヒルのファンである。
宇宙戦艦ヤマト』シリーズに関しては、子供の頃から大ファンであり、「13歳当時より部活をサボって見ていた」と述べている。特に好きなキャラクターは、ヤマト技術班班長の真田志郎であり、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』出演のオファーが来たときは「真田でしょ?」と、自分から配役を言い当てている。他の共演者からは「ヤマトの随所の名場面を、そのままの形で保存している人」と称されていた。
馬主としても活動しており、これまでにユウサンポリッシュ(スーパーホーネットの母)などを所有している。
交友関係
すてきな片想い』で共演した中山美穂に100本のバラを送ったことがある。そのことを当時『君の瞳をタイホする!』で共演していた浅野ゆう子にからかわれ、彼女の誕生日にも100本のバラを送った。『心はロンリー気持ちは「…」IV』『男女7人秋物語』で共演した明石家さんまとも仲がよく、『恋のから騒ぎ』の初期メンバーで元スチュワーデス(客室乗務員)の島田律子のことを二人で話題にしていたという。
一世風靡メンバー武野功雄の結婚式に出席したときは、下品な内容の祝辞を延々と述べる三沢光晴に激怒し、その日、三沢ら全日本プロレス勢に対して、にらみ合いとなった[4]羽賀研二を嫌っているらしく、新宿で飲んでいた時に羽賀を見かけ、羽賀が女性からもらった高級車のボンネットの上に乗ってへこませたらしい。

出演作品

テレビドラマ

映画

舞台

  • 「40」(作:樫田正剛/演出:松田秀知)(銀座博品館劇場 2002.6/5 - 9)
  • 明治座2月公演「江戸の花嫁」(原案:君塚良一/演出:萩本欽一)(03.2/2 - 25)
  • 「50」(演出・柳葉敏郎、原案・平賀雅臣、脚本・わかぎゑふ)(銀座博品館劇場 2011.4/28 - 5/1)

バラエティ

CM

音楽

アルバム

  • 「君の名は。」(BOURBON RECORDS 1987年11月25日)
  • 「柳葉敏郎 MINI ALBUM」(BOURBON RECORDS 1988年8月25日)
  • 「You-Go(融合)」(BOURBON RECORDS 1989年11月25日)
  • 「don-den」(Victor 1990年12月16日)
  • 「Na-goshi」(Victor 1991年11月7日)
  • 「Y」(MMG INC. 1992年12月21日)
  • 「A」(east west japan 1994年1月25日)
  • 「N」(東芝EMI 1995年9月27日)
  • 「A'96」(東芝EMI 1996年6月26日)
  • 「G」(meldac 1997年5月8日)
  • 「I」(meldac 1998年5月8日)
  • 「B」(徳間ジャパン 1999年11月25日)
  • 「A 2000」(ベルウッドレコード 2000年11月25日)

シングル

  • 「Still I Love You」 C/W「めぐりあい」(BOURBON RECORDS 1987年10月25日)
  • 「ima just gumba(がんばろう)」 C/W「われ幻の魚を見たり」(BOURBON RECORDS 1989年10月25日)
  • 「初めの一歩」 C/W「カムフラージュ・ROCKER」(Victor 1991年2月21日)
  • 「俺の人生(たび)」 C/W「Ya-恋-草-Run」(MMG INC. 1992年12月21日)
  • 「聖母(おんな)」 C/W「敦のテーマ」(MMG INC. 1993年10月25日)
  • ハチのムサシは死んだのさ」 C/W「SILHOUETTE MORNING」(east west japan 1994年1月25日)
  • 「ラプソディー」 C/W「AJITO」(東芝EMI 1995年3月1日)
  • 「ケ・ケラ」 C/W「ラブレター」(東芝EMI 1995年8月23日)
  • 「星空をしぼって」 C/W「THREE THREE SEVEN」(東芝EMI 1996年1月31日)
  • 「あなた踊りませんか」 C/W「三日月で満たせば」(東芝EMI 1996年6月26日)
  • 「僕の腕でおやすみ」 C/W「決断」(meldac 1997年8月21日)

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:ブルーリボン賞助演男優賞
  1. INLIFE 男の履歴書 柳葉敏郎
  2. 『週刊アサヒ芸能』2014年2月6日号「芸道54年 笑いと涙のドラマがいっぱい! 萩本欽一の「人生ってめぐり愛だよね」 第29回 柳葉敏郎さん」での発言
  3. 東海大相模、柳葉が甥っ子激励/センバツ 日刊スポーツ 2011年1月29日閲覧
  4. 途中危ないと思い「(哀川)翔ちゃん、天龍の方は任せる」と『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』出演時に語った。