前川清

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テンプレート:Infobox Musician 前川 清(まえかわ きよし、本名同じ、1948年8月19日 - )は演歌歌手である。長崎県佐世保市松山町出身。血液型はO型。長崎南山高等学校中退。長男は歌手の前川紘毅で、姪の義弟に元俳優の加勢大周がいる。

来歴・人物

若き日

1948年長崎県北松浦郡(現・佐世保市)鹿町町大加勢の生まれ[1]。生後まもなく同県佐世保市に移る[1]。父は佐世保の米軍基地に船大工として勤務していたという[1]。少年時代の前川清は野球が好きで、米軍基地で働く日本人職員の子弟を集めてチームを作っていたことがある。高校時代にも野球部に在籍しており、ポジションは投手。

米軍の佐世保基地の兵舎から流れてきたジャズに衝撃を受け、中学、高校とジャズに熱中する。ジャズ好きが高じて歌手への夢を抱くようになる。

歌手として

1968年、高校を2年で中退後[1]、セールスマンなどを経て、長崎市内のキャバレーで歌っていたところを小林正樹に見出され[2]、「内山田洋とクール・ファイブ」にリード・ヴォーカリストとして参加。

1969年2月5日、『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビュー。同年の紅白歌合戦第20回NHK紅白歌合戦)に初出場。「噂の女」(1970年)、「そして、神戸」(1972年)、「中の島ブルース」(1975年)、「東京砂漠」(1976年)など、全国レベルのヒット・ナンバーを数多く世に残した。紅白出場回数はクールファイブ時代とソロでの出場合わせて29回にも及び、歴代の白組で6番目に多い。

クール・ファイブの一員だった時代の初期は、常に澄まし顔で斜に構え、ほとんど喋らないと言う冷たい二枚目キャラクターだった。だが1970年代半ばに萩本欽一フジテレビ欽ちゃんのドンとやってみよう!」のレギュラーに起用。二枚目キャラの裏側に隠れていた大ボケな個性を引き出し、お笑いの才能も広く認められるようになった。なお前川は後に、初期のクールキャラも「欽ドン!」時代の朴訥な大ボケキャラも「演技だった」と告白している。

以降、歌手としてはもちろん「8時だョ!全員集合」「ドリフ大爆笑」や前述の「欽ドン!」といったバラエティ番組のコントでも活躍。「欽ドン!」では萩本欽一と“コント54号”を結成していた。1990年代から一時期では梅沢富美男とのコンビでテレビ(NHKBSふるさと皆様劇場」)や舞台でコントを見せていた。

1987年、クール・ファイブ脱退によりソロ活動を本格的に開始。

1971年藤圭子と結婚したが翌年に離婚。一時期アン・ルイスとのロマンスも噂された。「欽ドン!」出演時(1970年代後半)、萩本欽一が「会わせたい人がいる」と前川を一人置いて舞台からいなくなった後に、何の前触れもなく元妻の藤が登場したことがある。それまでボケキャラ(演技)で客席を沸かせていた前川だったが、いきなり藤と二人きりにされたため、真顔に戻って絶句してしまった。

若い時期は演歌歌謡曲だけではなく欧米のポップスロックも好きで、コンサートなどでもよく歌っており、当時のライブ盤に多数収録されている。ソロ活動では坂本龍一が作曲したソロデビュー曲「雪列車」や井上大輔が作曲した「フィクションのように」など、ポップス色を出した曲も数多く歌っている。

1997年ニッポン放送福山雅治のオールナイトニッポン」に、前年の紅白歌合戦で歌い大きな反響があった「抱きしめて」のリクエストが同番組あてに殺到したことがきっかけでゲスト出演。この時同郷(長崎出身)の福山雅治に曲制作を依頼、2002年発売の「ひまわり」でコラボレーションが実現した。なお、このCDのジャケット写真も福山が撮影している。結果、この曲はヒットして、同年の紅白歌合戦でその曲を披露している。

マイクを片手に、一本立ちで歌う姿が特徴的であるが、Mr.Children桜井和寿は、「一本立ちであれだけの表現力を持っているところは尊敬に値する」とラジオ番組で語っていた。後に、雑誌のアンケートでも「自分の書いた曲を歌ってほしい人」という質問に対し「前川清さん」と書いている。

2007年3月11日NHKのど自慢チャンピオン大会でゲスト歌唱の際、司会の宮本隆治が「氷川きよしさんで『一剣』、前川清さんで『せめて今夜だけは』」と言うところを「前川清さんで『一剣』、氷川きよしさんで『せめて今夜だけは』」と言い間違えたことを逆手に取り、「せめて今夜だけは」を歌い終えると「氷川きよしでした!」と言って笑いをとった。この手のネタは2005年の紅白歌合戦でも司会の山本耕史が前川を「山川、あっごめんなさい。前川清さんです」と言った際にも見せている。

自身の持ち馬であるコイウタ2007年ヴィクトリアマイルを優勝したこと及び、2006年紅白歌合戦にクール・ファイブを再結成して出場したことが契機となり、その後クールファイブのメンバーと共に20年ぶりにレコーディングを行い、「前川清&クール・ファイブ」として新曲を出すこととなった。そのタイトルは『恋唄-2007-』である。以降、「NHK歌謡コンサート」などにも"前川清&クールファイブ"として度々出演し、ソロ活動と平行しながら、クール・ファイブの一員としても活動を再開している。

2008年8月、60歳を前に小学3年生の頃から悩まされていたという変形性股関節症の手術を受けたことを明らかにした(8月5日に施術)。

2009年には加藤清史郎が出演するCMであるトヨタ自動車こども店長」CMオリジナル曲「こども店長のうた」を歌唱。

レコード会社はクール・ファイブを脱退以後、ポニーキャニオン(1987年 - 1996年)、BMGビクター(1996年 - 1999年)、ガウスエンタテインメント(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)(1999年 - 2002年)を経て、2002年からはテイチクエンタテインメントに所属。

競走馬オーナーとして

前川清はまた、競馬好きであり、自身も競走馬オーナーとしても知られており、勝負服は、緑,桃縦縞,緑袖である。中央競馬JRA)の所有馬は以下の通り

クリスチャン

カトリッククリスチャンで、洗礼名「セバスチャン」を持っている。進学した高校もカトリック系。コンサートなどで時折話のネタに使うことがある。

自宅の近所にある教会のパーティに「同じクリスチャンだから」とノーギャラで出演を快諾したこともある。また母親は前川の離婚・再婚問題で時の教皇パウロ6世に直談判したことがある。

主なヒット曲

  • 長崎は今日も雨だった(1969年2月5日発売)
  • 逢わずに愛して(1969年12月5日発売)
  • 愛の旅路を(1970年4月5日発売)
  • 噂の女(1970年7月5日発売)
  • 愛のいたずら(1970年10月5日発売)
  • すべてを愛して(1970年12月発売)
  • 港の別れ唄(1971年7月25日発売)
  • この愛に生きて(1972年3月15日発売)
  • 恋唄(1972年7月25日発売)
  • そして、神戸(1972年11月15日発売)
  • 北ホテル(1975年4月25日発売)
  • 中の島ブルース(1975年8月5日発売)
  • 気まぐれ雨(1976年2月発売)
  • 東京砂漠(1976年5月10日発売)
  • 西海ブルース(1977年2月5日発売)
  • 思い切り橋(1977年9月発売)
  • さようならの彼方へ(1978年5月25日発売)
  • 昔があるから(1978年12月10日発売)
  • Last Song(1980年3月21日発売)
  • 魅惑・シェイプアップ(1980年9月25日発売)
  • 雪列車(1982年10月21日発売) - ソロ第一作
  • 恋さぐり夢さぐり(1984年8月21日発売)
  • 花の時・愛の時(1987年2月21日発売) - クールファイブ独立第一弾
  • 涙(1988年2月21日発売) - 中島みゆき作詞・作曲。中島も同年発売のアルバム『グッバイガール』でセルフカバーしている。
  • 愛がほしい(1988年10月21日発売)
  • 男と女の破片(1991年7月21日発売)
  • 夢一秒(1992年6月19日発売)
  • 別れ曲でも唄って(1993年5月21日発売)
  • 終着駅長崎(1995年7月21日発売) - さだまさし作詞・作曲。
  • 抱きしめて(1996年4月24日発売)
  • 明日に(1999年7月23日発売)
  • ひまわり(2002年6月5日発売) - 福山雅治作詞・作曲。

出演

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1991年(平成3年)/第42回 そして、神戸 06/28 ライマ・バイクレ ソロとして初出場
1992年(平成4年)/第43回 2 男と女の破片 20/28 川中美幸(1)
1993年(平成5年)/第44回 3 別れ曲でも唄って 10/26 オルケスタ・デ・ラ・ルス
1994年(平成6年)/第45回 4 恋するお店 19/25 ケー・ウンスク
1995年(平成7年)/第46回 5 そして、神戸(2回目) 20/25 由紀さおり安田祥子 同年1月の阪神・淡路大震災追悼を込めて歌唱
瞬間最高視聴率を獲得
1996年(平成8年)/第47回 6 抱きしめて 09/25 大月みやこ
1997年(平成9年)/第48回 7 薔薇のオルゴール 09/25 森高千里 TOKIOマジックを披露
1998年(平成10年)/第49回 8 神戸 09/25 工藤静香 梅沢富美男女形を披露
1999年(平成11年)/第50回 9 東京砂漠 13/27 藤あや子 前半トリ(1)
2000年(平成12年)/第51回 10 長崎は今日も雨だった 20/28 八代亜紀 細川たかし鳥羽一郎吉幾三山本譲二DA PUMPがバックコーラスを担当
2001年(平成13年)/第52回 11 大阪 08/27 中村美律子
2002年(平成14年)/第53回 12 ひまわり 18/27 川中美幸(2) RAG FAIRがバックコーラスを担当
2003年(平成15年)/第54回 13 東京砂漠(2回目) 06/31 香西かおり
2004年(平成16年)/第55回 14 そして、神戸(3回目) 13/28 夏川りみ 前半トリ(2)
ゴスペラーズがバックコーラスを担当
2005年(平成17年)/第56回 15 夜霧よ今夜も有難う(石原裕次郎) 10/30 島谷ひとみ
2006年(平成18年)/第57回 16 長崎は今日も雨だった(2回目[注 1] 12/27 森昌子 この年亡くなった内山田洋の追悼を込め、
クール・ファイブが一夜限り(当初)の再結成
2007年(平成19年)/第58回 17 そして、神戸(4回目) 08/27 水森かおり 前半トリ(3)
クール・ファイブ、ムーディ勝山と共演
2008年(平成20年)/第59回 18 東京砂漠(3回目[注 2] 08/27 川中美幸(3) クール・ファイブと共演
  1. 「長崎は今日も雨だった」は、クール・ファイブ時代と通算して合計3回歌唱されている。
  2. 「東京砂漠」は、クール・ファイブ時代と通算して合計4回歌唱されている。

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。

映画

主な出演ドラマ

主な出演番組

他多数

主な舞台

CM

著書 

  • 『恋唄に恋して』2008年

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:日本レコード大賞最優秀歌唱賞
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 週刊朝日』1982年4月9日号99頁。
  2. 2009年12月6日、TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演時の本人談。
  3. 横山やすしと共演。漫才界のやすし・演歌界のきよしで「やす・きよ」というコンセプトになっていた。