楠田枝里子

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テンプレート:基礎情報 アナウンサー 楠田 枝里子くすた[1] えりこ1952年1月12日 - )は、三重県伊勢市出身のフリーアナウンサータレント司会者エッセイスト翻訳家、サイエンスライター。身長175cm。

略歴・人物

伊勢市立厚生小学校、伊勢市立厚生中学校三重県立伊勢高等学校東京理科大学理学部第一部応用化学科を卒業し、1974年日本テレビアナウンサーとして入社。同期には松永二三男小池裕美子がいる。

1981年秋に退社し、フリーアナウンサー、エッセイストに転身。科学エッセイなど、彼女ならではの持ち味を発揮している。また、ドゥーガル・ディクソン著の『新恐竜』(旧版)などの翻訳を手がける等、幅広いメディアで活躍している。

日本テレビ退社後は『なるほど!ザ・ワールド』『世界まる見え!テレビ特捜部』などの海外情報系番組に多く出演した。日本テレビ『金曜娯楽館』とフジテレビの年末の大型イベントである『FNS歌謡祭』においては、芳村真理の後任として彼女が抜擢された。1988年にフジテレビ『夜のヒットスタジオ』の司会を芳村が勇退した際、当時のスタッフから真っ先に後継候補として名前が出たのも楠田であった(最終的には「男性中心の路線で」という当時の上層部の意向で実現しなかった)。

チョコレート好きで知られ、カカオ分を多く含んだチョコレートを常にストック・携帯している。2004年に著書『チョコレート・ダイエット』(幻冬舎刊)を発表している。その縁で2006年3月から2007年10月頃まで明治製菓「チョコレート効果」のCMに出演していた。

ナスカの地上絵の保護運動に熱心であることでも知られ、マリア・ライヒェを現地に何度か尋ね、日本マリア・ライヒェ基金の代表をつとめる。

1988年、ドイツのバレエダンサーで振付師のピナ・バウシュの舞台を初めて観て以来、その熱烈な「追っかけファン」となり、本人と親交も持った。2003年には『ピナ・バウシュ中毒』(河出書房新社刊)という著書も上梓している。

デビュー当初から1991年頃までは、おかっぱ頭の髪型がトレードマークであったが、1992年頃から徐々に帽子を被ったり他の髪型にすることも増えていき、2000年頃からおかっぱ頭の髪型には全くしなくなった。なお、このおかっぱの髪はカツラであり、地毛はパーマの掛かったかなり短めのショートヘアーである。

2009年1990年の番組開始から19年間司会を務めた『世界まる見え!テレビ特捜部』を降板。「プロデューサーに『若返りを図りたい』と言われた」ことが降板理由であることを自身のブログで明かした。

エピソード

  • アナウンサーとなって初めてのテレビ出演は、生放送番組での30秒生CMで、1週間前から原稿を読み返すなど万全の体制で挑む。だが本番が始まると緊張からか黙り込んでしまい、スタッフも騒然とする中、発した言葉は終了直前に呟いた「ごめんなさい」であった。またニュース番組のキャスターをやった際、喉を痛めて咳が出る状態で出演。ニュースを読んでからマイクのボリュームを下げて咳をするつもりがボリュームの操作を間違え、ニュースを読む時にボリュームを下げて咳をする時にボリュームを上げてしまう。そのため、テレビではニュースは聞こえず楠田の咳が響いた。この様な事が重なり、書いた始末書の数も多く、始末書の多いアナウンサーとなった。
  • 楠田の消しゴムコレクションは、窓に紫外線をカットするフィルムを張るなどした別室に保管、ジャンル別に立てて飾られており、地震が来た際は並べ直す。また劣化が進むという理由で、人が消しゴムに触るのを嫌う。
  • 漫画まじかる☆タルるートくん』では楠田をモデルにした楠田三姉妹という、おかっぱ頭で長身の3姉妹のキャラクターが東野小女子バレー部の選手として登場している。ちなみに、その姉妹の中の一人の名前は「枝里子」である。
  • 漫画『いとしのエリー』の登場人物「串田枝里子」はこの楠田枝里子をモデルにしている。

主な出演

TV・司会者として

TV・司会者以外

ラジオ

CM

映画

著作

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脚注

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外部リンク

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  1. 「くすだ」ではない。