斉藤仁
テンプレート:混同 テンプレート:MedalTableTop テンプレート:MedalCountry テンプレート:MedalSport テンプレート:MedalCompetition テンプレート:MedalGold テンプレート:MedalGold テンプレート:MedalCompetition テンプレート:MedalGold テンプレート:MedalSilver テンプレート:MedalCompetition テンプレート:MedalGold テンプレート:MedalCompetition テンプレート:MedalGold テンプレート:MedalGold テンプレート:MedalBottom 斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 - )は、日本の元柔道選手。ロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピック柔道競技男子95kg超級金メダリスト。現在柔道コーチ、国士舘大学体育学部教授で同大学柔道部監督。青森県青森市出身。段位は七段。
全日本柔道選手権大会における、山下泰裕9連覇の最後の3年間の決勝の対戦相手だった。現役時代はライバルと称されたが、ロサンゼルスオリンピックでは「先輩行ってきます」「頼んだぞ」という逸話が残されており、現役時代から信頼関係はあった。現在、共に指導者としてさらに深い信頼を寄せる間柄となっている。
略歴
- 1961年、青森市筒井八ッ橋(現、筒井2丁目)で生まれる。
- 1967年、青森市立筒井小学校入学。
- 1973年、青森市立筒井中学校入学。柔道部に所属。3年生では青森県中学校体育大会夏季大会重量級で優勝。
- 1976年、青森市立筒井中学校卒業。国士舘高等学校入学。
- 1977年、高校2年夏のインターハイ団体決勝戦で代表戦に出、見事快勝し東京勢初の優勝校に導く。当時の体重は120〜130kg
- 1979年、国士舘高等学校から国士舘大学体育学部へ。
- 1983年、大学卒業、国士舘大学体育学部助手に。モスクワ世界選手権無差別で優勝
- 1984年、ロサンゼルスオリンピック、金メダル。選手時代は180cm・155kg
- 山下の引退後は日本柔道のトップに立つと期待されたが、同年韓国のソウルで開催された1985年世界柔道選手権大会決勝で地元の大声援を受けた韓国代表趙容徹の反則技により、脱臼する重症で棄権負け。通常ルールならば反則を犯した方が反則負けになるはずだが、斎藤の棄権負けという不可解なものだった。復活を望んだ1987年も全日本選手権大会前に右膝を怪我してしまう。度重なる大怪我で限界説が囁かれたが、1988年の全日本選手権で悲願の初優勝を果たしソウルオリンピック95kg超級代表に選出された。
- 1988年、ソウルオリンピック、金メダル。
- ソウルオリンピックにおいて、斉藤の出場する95kg超級までの階級で日本人柔道は金メダルを全て逃しており、東京五輪より続く日本柔道の金メダル獲得記録の継続が斉藤に託されるという状況であった。その大変な重圧の中で優勝し、同大会の柔道競技唯一の金メダルを獲得する。
- 選手引退。以後国士舘大学柔道部コーチ、全日本柔道連盟男子強化ヘッドコーチとして活躍。国士舘大学体育学部教員を兼任。
- 2004年、アテネオリンピック日本選手団男子柔道監督。
- 2007年、講道館の鏡開きの際、形の演武を行った。彼いわく「オリンピックより緊張した」
- 2008年、北京オリンピック日本選手団男子柔道監督。
- 2012年、副強化委員長から強化委員長に昇格した[1]。
戦績
(無差別以外は全て重量級ないしは95kg超級での成績)
- 1977年 - インターハイ 団体戦 優勝
- 1978年 - インターハイ 個人戦 2位 団体戦 優勝
- 1979年-1981年 - 新人体重別 3連覇
- 1979年 - 全日本学生 無差別 2位※
- 1980年 - 環太平洋柔道選手権大会 無差別 3位
- 1980年 - 全日本学生 優勝
- 1980年 - アメリカ国際柔道大会 95kg超級 無差別 ともに優勝
- 1980年 - 世界学生 優勝
- 1981年 - 環太平洋柔道選手権大会 優勝
- 1981年 - 選抜体重別 優勝
- 1981年 - 全日本学生 95kg超級 5位 無差別 優勝
- 1981年 - アジア選手権 優勝
- 1981年 - 日本国際柔道大会 95kg超級 2位※ 無差別 優勝
- 1981年 - 選抜団体 3位
- 1982年 - ソ連国際 95kg超級 3位 無差別 優勝
- 1982年 - 全日本柔道選手権大会 3位
- 1982年 - 学生体重別 優勝
- 1982年 - 世界学生 無差別 団体戦 ともに優勝
- 1982年 - 学生優勝大会 3位
- 1982年 - 選抜体重別 2位※
- 1982年 - 嘉納杯 無差別※ 2位 団体戦 優勝
- 1983年 - 正力国際 無差別 団体戦 ともに優勝
- 1983年 - 全日本柔道選手権大会 2位※
- 1983年 - 選抜体重別 2位※
- 1983年 - 世界選手権 無差別 優勝
- 1984年 - 全日本柔道選手権大会 2位※
- 1984年 - ロサンゼルスオリンピック 優勝
- 1985年 - 全日本柔道選手権大会 2位※
- 1985年 - 選抜体重別 優勝
- 1985年 - 世界選手権 2位
- 1986年 - 全日本柔道選手権大会 3位
- 1986年 - アジア大会 優勝
- 1986年 - 嘉納杯 無差別 優勝
- 1988年 - 全日本柔道選手権大会 優勝
- 1988年 - 選抜体重別 優勝
- 1988年 - ソウルオリンピック 優勝
※は、山下泰裕が決勝の対戦相手(通算8戦8敗)
著書
- 『じょっぱり柔道』(1989年2月、国書刊行会) ISBN 4-336-02293-3
- 『スポーツグラフィック 柔道』(1997年6月、成美堂出版) ISBN 4-415-08519-9
- 『常勝力』(2008年7月、幻冬舎)
エピソード
斉藤は東京放送(TBSテレビ)系テレビドラマ『柔道一直線』にて、主人公(一条直也)が大きな相手を投げ飛ばしたり、特訓をしているのを見て、「柔道をやれば出来ないこともやれるようになるのではないか」と思ったのがきっかけで柔道を始めたと語っている[2]。後に『近代柔道』の対談で『柔道一直線』主演の櫻木健一と対談したこともあり、親交が深い[3]。
吉田戦車の伝染るんです。に登場する人面カブトムシ、「斎藤さん」のモデルとされている。また、同じ雑誌で連載されていた浦沢直樹のYAWARA!の登場人物「犀藤」のモデルでもある。
斉藤の息子の立(たつる)も既に柔道選手としてジュニアの大会で数々の戦績を上げており、既に2013年には12歳で100kgを越える体格であるという[4]。
関連項目
脚注
外部リンク
テンプレート:柔道 全日本選手権優勝者 - 男子- ↑ 新強化委員長に斉藤氏=11月から新体制-全柔連
- ↑ Challenger 斉藤仁 DODAチャレンジ
- ↑ 『パンダが町にやってくる』毎日放送archive 4 Aug 2012 06:03:25
- ↑ 2013年9月10日放送ミヤネ屋より