鳥人間コンテスト選手権大会

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テンプレート:基礎情報 テレビ番組鳥人間コンテスト選手権大会』(とりにんげんコンテストせんしゅけんたいかい、英称:JAPAN INTERNATIONAL BIRDMAN RALLY)は、読売テレビ主催による人力飛行機の滞空距離及び飛行時間を競う競技会。

概要

1977年滋賀県近江八幡市宮ヶ浜水泳場で第1回が開催されて以降、毎年7月に滋賀県彦根市琵琶湖を舞台に開催され、1980年(第4回)以降は同市内にある松原水泳場を会場としている。その模様は、読売テレビ制作・日本テレビ系列全国ネット特別番組として放送されている。

参加団体や関係者からは、省略して「鳥コン」とも呼ばれる。

初期のテレビ放送では、タイトルの頭に「飛べ、栄光の大空へ!」というキャッチコピーが付けられていた。第35回(2012年)以降は「飛ばなきゃならないワケがある!」をキャッチコピーにしている。

当初は、『びっくり日本新記録』内の1競技として、同番組で第1回・第2回を放送。第3回から単独番組となった。なお、第1回は「鳥人間コンテスト日本大会」(とりにんげんコンテストにほんたいかい)、第2回 - 第4回は「鳥人間コンテスト世界大会」(とりにんげんコンテストせかいたいかい)というタイトルだった。なお、「鳥人間」は讀賣テレビ放送株式会社の登録商標(商標登録番号第4776282号)である。また、第21回から第35回までの放送では、大会イメージソングを年替わりで設定していた(後述)。

参加チームについては、大会の規模が大きくなるにつれて、個人参加から大学のクラブ・サークル単位による参加が主流になっている。学生時代にパイロットやスタッフとして当大会へ参加した社会人が、「鳥人間OB」として独自にチームを結成したり、出身校や他チームにノウハウや経験を伝えたりすることも多い。近年の放送では、日本以外の国から参加するチーム[1]や、著名人が番組・所属事務所単位で挑戦するチームにも焦点を当てている。

2010年には岩谷産業が創業80周年記念で特別協賛スポンサーとして参加したため、『Iwataniスペシャル 第33回鳥人間コンテスト選手権大会』(イワタニスペシャル だい33かいとりにんげんコンテストせんしゅけんたいかい)というタイトルで実施した。2011年以降も、岩谷産業が特別協賛スポンサーを務めているため、『Iwataniスペシャル 鳥人間コンテスト(西暦)』(イワタニスペシャル とりにんげんコンテスト)として開催されている。また、2010年以降の大会では、社内で結成した「Iwananiクリーンエネルギーチーム」が他の出場者と同じ条件で滑空機部門に参加している。2011年以降の大会では新たなキャッチコピー飛ばなきゃならないワケがある」が使用されている。

開催中止

開催を全面的に中止した年は、1997年2009年の2つである。

1997年は台風9号が会場付近を直撃したため、史上初めて競技を全面的に中止した。

2009年は天候以外の事情(読売テレビの広告収入の減少、地デジの設備投資などに伴う全社的な経費削減、安全性の向上を目的とした人力飛行機離陸用仮設プラットフォームの設計変更など)を理由に、開催中止に踏み切った。しかし、大会の再開を望む意見が全国の出場希望者から読売テレビへ多数寄せられた(後述の2009年開催中止の余波も参照)ことから、2010年7月24日25日の両日に再び開催され[2]、現在に至っている。

歴史

放送日・開催日

大会開催(番組収録)は毎回7月下旬から8月上旬にかけて行われ、近年は収録から1 - 2ヶ月後に大会の模様が放送されている。

回数 放送日 開催日
第1回 1977年8月7日14日[3] 1977年7月2日
第2回 1978年9月7日 1978年7月21日
第3回 1979年9月1日 1979年7月20日
第4回 1980年8月9日 1980年7月19日
第5回 1981年9月3日 1981年8月8日
第6回 1982年9月23日 1982年8月7日
第7回 1983年(不明) 1983年8月6日
第8回 1984年(不明) 1984年8月4日
第9回 1985年(不明) 1985年8月3日
第10回 1986年(不明) 1986年8月2日
第11回 1987年(不明) 1987年8月1日
第12回 1988年(不明) 1988年7月30日
第13回 1989年(不明) 1989年7月29日
第14回 1990年(不明) 1990年8月4日
第15回 1991年(不明) 1991年8月3日
第16回 1992年(不明) 1992年8月1日
第17回 1993年(不明) 1993年7月31日
第18回 1994年8月6日 1994年7月30日
第19回 1995年8月5日 1995年7月29日
第20回 1996年8月3日 1996年7月27日
(第21回) 1997年8月2日 (1997年7月26日
第22回 1998年9月5日 1998年7月31日 - 8月1日
第23回 1999年8月28日 1999年7月30日 - 31日
第24回 2000年8月12日 2000年7月28日 - 29日
第25回 2001年8月4日 2001年7月27日 - 28日
第26回 2002年8月31日 2002年7月27日 - 28日
第27回 2003年9月6日 2003年7月26日 - 27日
第28回 2004年8月28日 2004年7月31日 - 8月1日
第29回 2005年9月19日 2005年7月16日 - 17日
第30回 2006年9月22日 2006年7月22日 - 23日
第31回 2007年9月6日[4] 2007年7月28日 - 29日
第32回 2008年9月15日 2008年7月26日 - 27日
2009年は開催中止
第33回 2010年9月24日 2010年7月24日 - 25日
第34回 2011年8月19日 2011年7月30日 - 31日
第35回 2012年8月27日 2012年7月28日 - 29日
第36回 2013年9月4日 2013年7月27日 - 28日
  • 放送日は日本テレビでの放送日を示す。
  • 第21回は台風9号直撃のため大会史上初の競技全面中止となり、放送当日は「大会中止ドキュメント」と「過去20回のダイジェスト」をスタジオから生放送した。
  • 2009年は開催自体が中止となった。

歴代イメージソング

テンプレート:節stub ※がついている曲は開催年と発表された年が異なる楽曲である。

回数 アーティスト
1996年 第20回 終わらない夢に TUBE
1997年 第21回 大空へ FIELD OF VIEW
1998年 第22回 1万メートルの景色 小松未歩
2006年 第30回 風になって 森山直太朗
2007年 第31回 空はまるで MONKEY MAJIK
2008年 第32回 旅人 ケツメイシ
2010年 第33回 風のカプセル GIRL NEXT DOOR
2011年 第34回 Rising Sun EXILE
2012年 第35回 ブルーバード いきものがかり

テレビ放送

大会の模様は『木曜スペシャル』(1979年 - 1993年)→『スーパースペシャル』(1994年 - 2003年)→『THEスペシャル!』(2004年)で放送されてきた。単発特別番組枠終了後は、毎年秋の番組改編期に単発特別番組として放送されている。番組VTR送出は通常は読売テレビからとなっているが過去数回、東京の日本テレビから番組VTR送出を行っていたこともある。

2007年に3年ぶりとなる単発特別番組枠『モクスペ』が木曜19時 - 20時54分に編成され、同じく読売テレビが制作している『ベストヒット歌謡祭』と同様に同枠で放送されたが、2008年は19時台が読売テレビ制作枠(『月曜19時アニメアワー』、後の『アニメ☆7』)にあたる月曜日に放送された。2009年は開催中止のため、放送されなかった。2010年2011年は金曜日に放送されたが、2012年は2008年以来4年ぶりに月曜日で放送された(月曜20時台が日本テレビ系同時ネット枠となるテレビ宮崎でも同時ネット)。2013年は水曜日に放送された。また、2007年から地上デジタル放送ではデータ放送も実施している。

2008年からは従来の通常番組のスポンサーから特別セールスに変更され、2010年では岩谷産業が特別協賛社になったことに伴い岩谷産業をメインとした複数スポンサーとなった。

2007年は地上波の放送のほか、CS放送の日テレプラス&サイエンス(現・日テレプラス)で第27回(2003年)、第29回(2005年)、 第30回(2006年)の模様も再放送された。

2003年は当時阪神タイガースが首位だったため、読売テレビはローカルで阪神戦を放送し、本番組は後日に改めて放送された(読売テレビ以外の系列局(テレビ宮崎を除く)は「裏送り」の形で通常通り放送された)。

2006年にはイメージテーマソングに森山直太朗の『風になって』を起用し、第30回を記念して『鳥人間コンテスト 30th ANNIVERSARY DVD-BOX』が同年10月6日に発売された。

放送の間には飛行機が残って飛行士だけフライト台から転落してしまう、風にあおられたプロペラ飛行機が180度旋回して順番待ちの飛行機に衝突して壊してしまうなどハプニングも多々あった(これらの飛行士はいずれも失格となった)。

クロスネット局福井放送テレビ大分テレビ宮崎へのネットの有無は、放送される曜日の枠やスポンサーセールス等の関係上年度により異なる。2012年は放送日が月曜日に当たったため、以上の3局では同時ネットを実施した。

ルール

大会のルールは毎回少しずつ改定されており、毎年公式ルールブックが発行される。主な規定には発進時の規定、プラットフォームの標準数値、競技エリア、機体に対する制限などがある。初期はハンググライダーの改良型程度だった参加機も徐々に高性能化が進み、新型機の登場や大記録が出るとその都度ルールの改定が行われている。ちなみに、第1回最初の挑戦者の飛行記録は、2m2cmであった[5]

大会に出場する機体は、書類審査によって決定される。

出場許可の下りた機体には、審査の合格を示す「OK」[6]のステッカーを配布。このステッカーを貼った機体のみ、大会へ出場できる。失念してしまい貼っていなかった場合や、故意に剥がすなどでステッカーの欠落が発覚した場合は失格となる。

失格・措置
危険な飛行と審査員が判断した場合や勧告無視の場合、折り返し地点で折り返しを行わなかった場合(後述)、プラットフォームから競技者およびその補助者が転落(競技者が2人の場合はどちらかが転落)した場合、陸上に墜落した場合は飛行距離に関係なく失格となる。
機体がプラットフォームへ到達し、離陸態勢に入る直前に、不運にも致命的な不具合が生じた場合は、審判長が競技者およびその補助者に勧告し、納得させた上で機体を湖上に落とす措置を指示することができる。納得行かない場合は機体を引き揚げることも可能。この場合、勧告を受けたチームは棄権として記録される。
プラットフォームを離陸後、何らかのアクシデントでパイロット(競技者)が機体から転落した際は、その転落地点が公式記録となる(機体がその先まで飛行しても、その距離は記録されない)。
上述の通り、「OK」のステッカーを失念してしまい貼っていなかった場合、剥がす行為などで欠落が発覚した場合は当然の事ながら失格。
スタート直後の墜落や測定に支障の生じた場合は、記録は測定不能となる。この場合は会場の電光掲示板には「0m」と表示され、場内アナウンスでは「測定不能」と放送される。
機体を墜落させようとする妨害行為も当然禁止。行った場合は重い処分が科せられる。
折り返しルール
従来はプラットフォームから着水地点までの距離が記録となっていたが、第27回(2003年)に人力プロペラ機部門で日本大学理工学部サークル航空研究会Möwe20(メーヴェ20)が約34kmという現会場での事実上の限界記録(松原水泳場→琵琶湖大橋間)を出した。
この際の経緯は以下の通りである。
  • まず東北大(この年3位)が進路を北に向け対岸まで達したが、安全を考えそこで着水させた。
  • 本チームは、1位を狙って南へと進路を向けた。
  • 本人たちは琵琶湖大橋の下をくぐろうとしていたが、着水させるよう勧告が出た。
  • 本人は納得がいかず旋回を続けたが最終的に説得に応じ着水
    • 琵琶湖大橋超えを行った場合や勧告無視の場合は、本来は規則違反で失格となる。
  • その後に東工大も同様に南へと進路をとり、1位には及ばなかったが2位。
このように明らかに問題のある進路設定になったため、翌第28回(2004年)からはルールが変更され18kmで折り返しするというルールが制定された。18kmを超えると大音響のサイレンが鳴り折り返しが可能になる(これにより往復で36kmが最長記録として出せるが、スタートで再度折り返しできるかは不明。第32回(2008年)の大会ではスタートで折り返しを行わず着水した)。
なおこれは折り返しを義務付けるものではなく、従来通り琵琶湖大橋や琵琶湖北端に向かうことも可能である。この場合の記録は、単純にプラットフォームからの距離となる。当然、大橋越え(潜り)や地上飛行は失格となるため手前で飛行を打ち切らなければならないので折り返した場合より最長記録は短くなる。しかし気象条件などにより折り返しはリスクが高い可能性もあり、参加者の判断が勝敗を左右することになる。
また折り返しルール制定時は「25km地点で折り返すことで、50km飛行も可能」という趣旨の発表もあったが、運営側からの告知ではその趣旨に触れていない。ちなみに第36回大会(2013年)には、20km地点を折り返し地点として、折り返してプラットフォームまで戻れたチームを「大会新記録(40km)」に認定するという旨のルールを設けていた。
賞金・優勝賞品
大会の各部門を通しての賞金は優勝チームに100万円。2位は30万円、3位は20万円が贈られる[7]
優勝チームには賞金100万円に加え、副賞として海外旅行が贈られていたが、2010年からは賞金・海外旅行に加え、スポンサーの岩谷産業から岩谷商品が贈られる。

大会の競技部門

人力飛行機の技術開発の進展や番組の放送形態の変化に伴い、競技部門は開催年度によって大きく変化している。

  • 第1回:競技部門(飛距離を競う)のみ
  • 第2回 - 第9回:競技部門、コミックエントリー(飛距離を競わず、面白い飛び方を競う)
  • 第10回・第11回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門、コミックエントリー(第11回は中止)
  • 第12回 - 第14回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門
  • 第15回 - 第18回:滑空機部門、人力プロペラ機部門
  • 第19回・第20回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、レディース部門
  • 第21回 - 第23回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、チャレンジ部門(飛距離だけでなく機体デザイン・コンセプトなどを総合的に競う)
  • 第24回:滑空機部門、人力プロペラ機部門
  • 第25回 - 第27回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、人力ヘリコプター部門(第25回は参考競技)
  • 第28回・第29回:滑空機部門(フォーミュラクラス / オープンクラス)、人力プロペラ機部門
  • 第30回 - :滑空機部門(フォーミュラ / オープン混合)、人力プロペラ機ディスタンス部門、人力プロペラ機タイムトライアル部門

第2回(1978年)に人力プロペラ機がエントリーしたが、コミックエントリーとして扱われた。実際にまともな飛行性能はなかった。その後、飛距離が伸びる人力プロペラ機が出現し、第10回(1986年)に競技部門は滑空機部門と人力プロペラ機部門に分けられ、以後は滑空機と人力プロペラ機は一緒に競技することはなくなった。

第28回(2004年)から滑空機部門については機体の制限値がある「フォーミュラ」と、それがない「オープン」の2つのクラスに分けて行う。

人力ヘリコプター部門についてはプラットフォームから安全な離陸ができない恐れを考慮し、第27回(2003年)をもって廃止された。

人力プロペラ機部門では第27回(2003年)で34kmの限界点に達した為、第29回(2005年)からは18km地点での折り返しが導入された。当初は前回の第28回(2004年)でのルール変更の予定だったが、天候不良により人力プロペラ機部門が競技不成立だったため、事実上この回からのルール変更となった。第32回(2008年)大会では36kmの限界点に達した為、第33回大会(2010年)から20km地点での折り返しに変更された。

人力プロペラ機タイムトライアル部門は所定のコース(往復コース)をフライトするのに掛かった時間を競うもので、第30回(2006年)において初めて実施された。第32回(2008年)までは1km地点で折り返すルールだったが、いずれの大会も完走できたのは1チームのみであった。第33回(2010年)より、半分の500m地点での折り返しに変更され、初めて複数のチームが完走した。

各大会の優勝者・記録

各部門の太字になっている記録は現在の大会記録。

滑空機部門

回数 開催日 記録 優勝者 備考
第1回 1977年7月2日 82.44m 岡良樹(東京ハングライダークラブ)
第2回 1978年7月21日 79.78m 大平英二(ニューウィングス)
第3回 1979年7月20日 88.53m 島根俊夫(日本自作航空機連盟)
第4回 1980年7月19日 101.60m 鈴木正人(日大駿河台航空研究会)
第5回 1981年8月8日 95.83m 菊池守男(車山ハンググライディング)
第6回 1982年8月7日 144.00m 村山智彦(日本大学理工学部航空研究会)
第7回 1983年8月6日 162.62m 岡崎利彦(日本フライングクラブ)
第8回 1984年8月4日 163.03m 楠正彰
第9回 1985年8月3日 290.45m 石本豪(豊田飛行愛好会)
第10回 1986年8月2日 158.38m 柴野敏彦(POINT ONE MILE)
第11回 1987年8月1日 176.71m 木島明良(茂原市フリーフライト)
第12回 1988年7月30日 261.90m 糸谷浩(西富士友の会)
第13回 1989年7月29日 205.10m 佐々木正司(TOA鳥人間の会)
第14回 (1990年8月4日) 記録なし 台風の影響による強風のため中止
第15回 1991年8月3日 318.75m 木島明良(フリーフライト)
第16回 1992年8月1日 232.08m 中村克(チームエアロセプシー
第17回 1993年7月31日 248.31m 栗野けんじ(東京都立大学人力飛行機研究会)
第18回 1994年7月30日 329.83m 佐々木正司(TOA鳥人間の会)
第19回 1995年7月29日 274.72m 佐々木正司(TOA鳥人間の会)
第20回 1996年7月27日 300.36m 佐々木正司(TOA鳥人間の会)
第21回 (1997年7月26日) 中止 台風9号直撃のため、大会史上初の全面中止
第22回 1998年7月31日 - 8月1日 364.08m 福森啓太(チームハマハマ)
第23回 1999年7月30日 - 31日 345.92m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第24回 2000年7月28日 - 29日 256.53m 雨宮健一(夜鳥の会)
第25回 2001年7月27日 - 28日 417.49m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第26回 2002年7月27日 - 28日 414.33m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第27回 2003年7月26日 - 27日 420.48m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第28回 2004年7月31日 173.26m 阿知波哲史(チームTINKER)
第29回 2005年7月16日 370.80m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第30回 2006年7月22日 258.21m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第31回 2007年7月28日 483.47m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第32回 2008年7月26日 377.98m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第33回 2010年7月25日 421.11m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第34回 2011年7月30日 314.41m 河原井悠(上智大学 Flying Turkeys)
第35回 2012年7月28日 501.38m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ×神奈川工科大学 2年振りの参加で自身の持つ大会記録を更新
第36回 2013年7月27日 460.07m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ×神奈川工科大学)
  • タイトル:第28回・第29回 「滑空機部門オープンクラス」

滑空機部門フォーミュラクラス

回数 開催日 記録 優勝者 備考
第28回 2004年7月31日 - 8月1日 30.79m 漆山雅史(TEAMフライング朱鷺)
第29回 2005年7月16日 50.77m 谷川英樹(創価大学鳥人間研究会)
第30回 2006年7月22日 157.37m 竹内彰(創価大学鳥人間研究会)
第31回 2007年7月28日 151.31m 瀬戸うらら(Team Ocean Man)
第32回 2008年7月26日 140.57m 石原直人(大阪工業大学体育会航空部)

人力プロペラ機ディスタンス部門

回数 開催日 記録 優勝者 備考
第10回 1986年8月2日 512.20m 田中紀彦(Team Aeroscepsy)
第11回 1987年8月1日 435.56m 上田稔(日本大学理工学部航空研究会)
第12回 (1988年7月30日) 記録なし 午後から強風のため中止
第13回 (1989年7月29日) 記録なし 台風の影響による強風のため中止
第14回 1990年8月4日 1810.54m 小林稔(日本大学理工学部航空研究会)
第15回 1991年8月3日 500.20m 阪本佳久(日本大学理工学部航空研究会
 日大バードマンOBチーム)
第16回 1992年8月1日 2019.65m 中山浩典(チームエアロセプシー)
第17回 1993年7月31日 2180.78m 野呂元紀(日本大学理工学部航空研究会)
第18回 1994年7月30日 2371.65m 宮脇康成(日本大学理工学部航空研究会
日大バードマンOBチーム)
第19回 1995年7月29日 8764.00m 中山浩典(チームエアロセプシー)
第20回 1996年7月27日 9761.56m 中尾誠(大阪府立大学堺風車の会)
第21回 (1997年7月26日) 中止 台風9号直撃のため、大会史上初の全面中止
第22回 1998年8月1日 23688.24m 中山浩典(チームエアロセプシー) 大会初の琵琶湖横断に成功
第23回 1999年7月31日 4913.46m 大倉彰浩(大阪府立大学堺風車の会)
第24回 2000年7月28日 7945.85m 嘉藤伸一(大阪府立大学堺風車の会)
第25回 2001年7月28日 3823.70m 成相健太郎(東京工業大学Meister)
第26回 2002年7月28日 6201.74m 梶原聖太(東京工業大学Meister)
第27回 2003年7月27日 34654.10m 平綿甲斐(日本大学理工学部航空研究会) 琵琶湖大橋まで到達
第28回 2004年8月1日 944.11m[8] 渡邊峰生(早稲田大学宇宙航空研究会WASA) 18チーム中半数が天候不良でフライトできず、競技不成立
第29回 2005年7月17日 22813.05m 田中丸真輔(日本大学理工学部航空研究会) 初の折り返し成功
第30回 2006年7月22日 28628.43m 宮内空野(東北大学Windnauts)
第31回 2007年7月29日 3998.51m 山田洋平(東京工業大学Meister)
第32回 2008年7月27日 36000.00m 西脇渉(東北大学Windnauts) 初の往復成功[9]
第33回 2010年7月25日 18556.82m 宮本翔(東京工業大学Meister)
第34回 2011年7月31日 18687.12m 中村拓磨(東北大学Windnauts)
第35回 2012年7月29日 14129.34m 谷口周平(東北大学Windnauts)
第35回 2013年7月28日 20399.24m 斎藤圭汰(東京工業大学Meister)
  • タイトル:第10回 - 第29回 「人力プロペラ機部門」

人力プロペラ機タイムトライアル部門

回数 開催日 記録 優勝者 備考
第30回 2006年7月23日 7分2秒61 中山浩典(チームエアロセプシー) 30回大会唯一の完走者
第31回 2007年7月28日 4分37秒62 野口雅弘(大阪府立大学堺・風車の会) 31回大会唯一の完走者
第32回 2008年7月26日 5分10秒00 宮本大地(大阪府立大学堺・風車の会) 32回大会唯一の完走者
第33回 2010年7月24日 1分55秒02 田村裕貴(Team`F') 500m折り返し(全長1km)に変更
第34回 2011年7月30日 2分8秒63 菊地デイル万次郎(ドボン会)
第35回 2012年7月29日 2分8秒50 池田遼輔(ドボン会)
第36回 2013年7月27日 1分43秒03 田村裕貴(Team`F') 折り返しルールの改定後では最高記録[10]

レディース部門

回数 開催日 記録 優勝者
第10回 1986年8月2日 92.83m 上田みゆき(TEAM TONDORUDO)
第11回 1987年8月1日 94.27m 相良美幸(TOA鳥人間の会)
第12回 1988年7月30日 103.80m 笠原朋子(みたか飛行少女の会)
第13回 1989年7月29日 225.90m 宮崎祥代(チームアクティブギャルズ)
第14回 1990年8月4日 64.41m 長岡美子(東みたかアドベンチャーグループ)
第19回 1995年7月29日 189.01m 鋤柄千穂(九州大学鳥人間チーム)
第20回 1996年7月27日 264.66m 吉澤祐子(沿岸驚備隊)
  • タイトル:第10回 - 第14回 「女性パイロット部門」
  • 以上の部門が廃止されてからも、女性パイロットが男性と同じ部門・条件で出場することがある。

人力ヘリコプター部門

回数 開催日 記録 優勝者 備考
第25回 2001年7月27日 6秒30 上岡健治(東大阪青年会議所トライズ) 参考競技
第26回 2002年7月27日 4秒07 Rodney Bordallo(東大阪青年会議所トライズ)
第27回 2003年7月26日 2秒89 西山雅也(ドボン会)

司会者・リポーター

男性司会者
女性司会者
実況・解説・ナレーター・リポーター

◎:第36回大会時点での担当

  • 三浦隆志(読売テレビアナウンサー、実況兼VTRナレーター)
  • 羽鳥慎一(実況。司会も兼務)◎
  • 脇浜紀子(読売テレビアナウンサー、出場チーム紹介・記録アナウンス)◎
  • 荻原次晴(ボートリポーター、着水で救助された直後のパイロットへのインタビュアーも兼務)◎
  • 鈴木正人(鳥人間コンテストテクニカルアドバイザー、第4回滑空機部門優勝者、解説)◎
  • 橋本のりこ(VTRナレーター)
  • 木村秀政(日本大学名誉教授、解説)
  • 森若佐紀子(読売テレビアナウンサー)
  • 志生野温夫(フリーアナウンサー、『びっくり日本新記録』時代から長らく実況を担当)
  • 中元綾子(出演当時は読売テレビアナウンサー)
  • 川田裕美(読売テレビアナウンサー)
  • 東昭(東京大学名誉教授、航空機事故調査委員会委員長)
  • 野口常夫(航空評論家)

著名人の参加

上記の出演者以外にも、毎回数名のタレント・芸人が、ゲストや注目チームのリポーターとして出演。パイロットでは、宇宙飛行士若田光一が第11回 - 第13回(1987年 - 1989年)に九州大学チームの一員として参加したほか、以下の芸能人も出場している。

  • 森脇健児:第19回・第20回(1995年・1996年)・第23回(1999年) - 第21回(1997年)もエントリー
  • 羽田惠理香:第20回(1996年)
  • 荻原次晴:第23回・第24回(1999年 - 2000年)
  • 中田ボタン:第26回(2002年)
  • なかやまきんに君:第27回(2003年)
  • ペナルティワッキー(脇田寧人):第28回(2004年)
  • 杉浦太陽:第29回(2005年)
  • 徳山昌守:第31回(2007年) - 元ボクシング世界王者(初の格闘技選手パイロット)
  • 宮根誠司:第32回(2008年)・第33回(2010年)- 自身が司会を務める『情報ライブ ミヤネ屋』の美術スタッフが製作した機体で滑空機部門に出場。大木祥資がアドバイザーを務めた。
  • 間寛平:第34回・第35回(2011年 - 2012年)- 第34回の人力プロペラ機部門へ初出場。第35回では、吉本興業の創業100周年記念を兼ねて出場した「チーム吉本百周年」のパイロットとして、滑空機部門へ出場。
  • 石井寛子・明珍裕子(いずれもガールズケイリン選手):第35回(2012年)- 人力飛行機ディスタンス部門に2人乗り飛行機で出場を続ける芝浦工大との合同チーム「芝浦工大+ガールズケイリン」のパイロットとして特別に参加。初参加ながら、女性パイロットとしては大会史上最長の飛行距離(840.90m)で同部門の3位に入った。

その他には、著名なレーシングカーデザイナーでもある由良拓也の子息もパイロットで参加している。

また、第35回の「チーム吉本百周年」では、間の後輩に当たる漫才コンビ(ウーマンラッシュアワージャルジャルかまいたちスマイル天竺鼠銀シャリ藤崎マーケットスーパーマラドーナ)が機体の製作に協力。第36回(2013年)の滑空機部門には、同部門の新記録に挑戦すべく、人力に複数のペットボトルロケットを併用した米村でんじろう設計の滑空機が参考記録扱いの「特別枠」で登場した(記録は99.80m)。

2009年開催中止の余波

読売テレビの広告収入の減少及び設備投資による制作費の見直しによって2009年の開催は中止となったが、正式なプレスリリース発表後にエントリーを予定していたチームや長年大会を応援してきたファンや視聴者から多数の問い合わせや応援の声、抗議などが読売テレビに寄せられた。中には寄付金を募るから開催して欲しいという声が寄せられたほか、毎年参加して記録を更新しているチームがライバル同士という垣根を越えて連絡を取り合うといった事例が報告されている。これらの声に応える為、読売テレビ及び鳥人間コンテスト実行委員会は2010年の開催を決定した。

なお、鳥人間コンテスト選手権大会は毎年彦根市の夏の一大イベントとなっていることから、彦根市は2009年の開催中止を受けて「バードマン・サマー2009」を開催し、鳥人間検定、大会の歴史をたどるパネル展示、紙飛行機づくり教室などの催しが行われた[11]

事故

番組収録時には下記の事故が発生している。

東京工業大学 2006年

2006年開催の第30回大会において、東京工業大学の『Meister』の機体が崖に衝突[12]。パイロットが踵骨を粉砕骨折し、顔面裂傷し[13]、後遺症が残った。東京工業大学は違反行為(陸地への墜落)のため、当然のことながら失格となった。

九州工業大学 2007年

2007年7月29日開催の第31回大会において、九州工業大学のサークル『KITCUTS』の操縦士として参加した女性が滑走中に機体が破損し、約5メートルの高さから湖面に落下した。機体の破損に関しては現在、直接的な原因は判明していない。当時は外傷は無かったものの、女性は2013年4月になって「脳脊髄液減少症の後遺症が残り、一時は寝たきりのような状態に陥り、現在も完治不能の重い障害を抱えることになった」「体重増加はちゃんと3日前に伝えたため過失は製作側」として、主催者の読売テレビと九州工業大学、当時のサークル顧問及びサークルのリーダー、設計責任者、製作責任者など当時の幹部学生らに対し、計4305万8800円の支払いを求める裁判を起こしている。なお、この裁判について本人は雑誌社の取材に「お金ではなく本当の事が知りたかった」と述べている[14]

スタッフ

第33回(2013年)

  • 後援:日本航空協会
  • 特別協賛:岩谷産業
  • 協賛:エクスペリメンタル航空機連盟、日本ハング・パラグライディング連盟、日本航空宇宙学会
  • 協力:彦根市/彦根市松原漁業協同組合、UPスポーツ、マリン、E.W.ダイビングセンター、ウェザーニューズ
  • 制作協力:読売テレビエンタープライズ
  • 技術:廣畑秀史(ytv)
  • TD:塚本新一(ytv)
  • SW:藤井義行・坂口裕一(2人共ytv)
  • VE:米田忠義(ytv)
  • カメラ:野平浩二(ytv)
  • ヘリコプター:窪内誠・渡辺容代(2人共ytv)
  • オンポートカメラ:野口忠繁(ytv)
  • マイクロ:安井太久也(ytv)
  • GPS:松田慎一郎(ytv)
  • 音声:小西康元(ytv)
  • 照明:堂免高志(ytv)
  • 技術協力:日本テレビytv Nextry関西東通、ハートス、MABU、ルデ・プラス、交野整備陸送、福建社、ウイッシュ、教映社、中日本航空、産業サービス、サウンドエースプロダクション、マウス、エイデック
  • 編集:苧玉和也・川畑瑞仁(2人共フリー・フォーム・カンパニー)、明石健二・井上ちひろ(2人共マウス)
  • 音効:荒畑暢宏(ytv Nextry)
  • MA:六車誠(ytv Nextry)
  • 美術:箕田英二(ytv)
  • デザイン:山本真平(ytv)
  • 進行統括:山口忠美(高津商会
  • 美術進行:長瀬靖(高津商会)
  • 美術協力:高津商会、グリーン・アート、公成建設、西尾レントオール、A.I.C
  • 審査委員長:濱尾豊
  • 審判長:佐々木正司
  • 審査員:坂田守、小谷修一、藤原洋、小野田靖、飯野明、福澤計人、菊池守男、山本貢、伊藤健、本多正明、両角岳彦
  • 大会事務局
    • プロデューサー:中島恭助(ytv)
    • 進行:林晃吉・遠山正悠・長谷川敬則(3人共ytv)、大城雅治・中西和郎・大江美穂(3人共読売テレビエンタープライズ)
  • ナレーション:三浦隆志(ytvアナウンサー)、橋本のりこ
  • 構成:村井聡之
  • ブレーン:米原昌宏、稲見周平
  • 宣伝:折原加奈・竹村麻美(2人共ytv)
  • AP:衣笠築美(ytv)、太田由貴(ytv Nextry)
  • チーフディレクター:上野正樹・金井南燮(2人共ytv)
  • ディレクター:山口将人・関典明・池田健・遠藤慎也・田渕草人・中山喬詞(全員ytv)、岡正明(メガバックス)、光岡麦(Dmark)、佐伯圭右(ハレバレ)
  • プロデューサー:太田匡隆・斎藤恭仁雄(2人共ytv)
  • チーフプロデューサー:綿谷登(ytv)
  • 制作著作:ytv(讀賣テレビ放送)

過去のスタッフ

関連商品

  • 鳥人間コンテスト30th ANNIVERSARY(DVDボックス) 2006年発売
    • DVD3枚組および大会規定などを掲載のブックレット付属

脚注

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関連項目

  • スカイハイ(Sky High) - テーマソングとして長年使用されたジグソーの曲。
  • 琵琶湖大橋 - 橋梁がルール上通過できないため南方限界点となっている。通過した場合失格となる。

外部リンク

  • 読売テレビ - 公式サイト
  • 鳥典 - 九州大学鳥人間チーム関係者等による用語辞典

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  1. 2010年の第33回大会には、中国の飛行機模型製造会社のチームが参加。2012年の第35回大会には、オランダのチームが登場した。
  2. 制作費難で休止、鳥人間コンテスト再開(読売新聞 2010年1月18日)
    読売テレビ「鳥人間コンテスト」休止(スポーツ報知 2009年1月16日
  3. 2週に渡って放送された。
  4. モクスペ』枠で放送。
  5. 第35回大会(2012年)放送のオープニングで、当時の映像が流された。
  6. 大会初期は「合格」であった。
  7. 鳥人間式温度計より
  8. 参考記録。
  9. 現・折り返しルールにおける事実上の最高記録。
  10. 2位の名古屋大学AirCraft(2分1秒64)・3位の大阪府立大学 堺・風車の会(2分8秒)も、折り返しルール改定後の最高記録(35回大会)を更新。
  11. 彦根市(バードマン・サマー2009開催のお知らせ)
  12. 2006年 鳥人間コンテスト衝撃映像 - Niconico Video
  13. 人力飛行機の安全運用について HPA Safety 有志一同
  14. 鳥人間コンテストを提訴「落下の衝撃で動けない身体に…」(社会) - 女性自身 光文社女性週刊誌