西野朗
テンプレート:サッカー選手 西野 朗(にしの あきら、1955年4月7日 - )は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。埼玉県立浦和西高等学校を経て1978年に早稲田大学教育学部卒業。
目次
来歴
選手時代
現役時代は主に攻撃的ミッドフィールダー(MF)として活躍。早稲田大学在学中から日本代表に選出された期待の逸材であったが、1978年に日立製作所へ加入以降はプレーに精彩を欠き伸び悩む。その後、復活を果たし1985年に日本サッカーリーグタイ記録の8試合連続得点をあげベストイレブンにも選出された。また、晩年にはスイーパーを務めることもあった。しかし、天才肌のMFである一方で淡白な部分があり、日立加入初年の1978年を最後に日本代表には呼ばれなかった。
監督時代
1990年に現役引退後は指導者に転向。1991年からはワールドユース日本代表監督を務め、1994年に、アトランタオリンピック本大会出場を目指すオリンピック日本代表監督に就任。28年ぶりとなる本大会出場、本大会でのブラジル戦での勝利(マイアミの奇跡)で名を挙げる。しかし、1次リーグで2勝を挙げながらも1次リーグ通過が叶わず、また大会中に中田英寿、前園真聖らと戦術をめぐり対立するなどチームをまとめきれなかった課題も残された(また、同大会から23歳以下の他にオーバーエイジ枠が導入されたが、西野は同年2月に20代最後の誕生日を迎えた三浦知良含め同枠を一切活用しなかった)。
1998年に日立製作所を前身とする、古巣柏レイソルの監督に就任し、1999年にはナビスコカップ優勝に導き、クラブ・西野自身にとって初のタイトルを獲得する。2000年はタイトルこそ獲得出来なかったが、2ndステージは鹿島アントラーズと最後まで優勝争いを繰り広げ、2位というクラブ史上最高の成績を残し(年間獲得勝ち点は1位であった)、自身初となるJリーグ最優秀監督に選ばれた。しかし、翌2001年の1stステージは6位に終わり、1stステージ終了後に解任される。
2002年に当時下位に低迷していたガンバ大阪の監督に就任。Jリーグ開幕以降タイトルと無縁だったクラブを上位陣に押し上げ、就任4年目の2005年にガンバと自身にとっても初となるJ1リーグ優勝を達成し(2005年J1最終節)、2度目のJリーグ最優秀監督賞を受賞。2006年は終盤まで、浦和と優勝争いを展開するも、最終節での直接対決で敗れリーグ連覇を逃す。2007年にはナビスコカップ優勝を達成し、3月3日の大宮戦で、Jリーグの監督として史上初となるJ1通算150勝を達成(内訳:柏 67勝、G大阪 83勝)。
2008年にはAFCチャンピオンズリーグを制し、AFCからアジア最優秀監督に選ばれ、FIFAクラブワールドカップ2008準々決勝の対アデレード戦では、日本人監督としてFIFA主催の公式大会で初めて勝利を挙げた[1]。更に、天皇杯優勝を達成し、国内3大タイトルの全てを制覇した。またこの年、Jリーグクラブの監督在任最長期間記録(トニーニョ・セレーゾ 鹿島監督)を更新した。
2009年12月5日の千葉戦で、J1通算200勝を達成。さらに、この年の天皇杯を制し、天皇杯連覇を達成した。
2010年は開幕前からケガ人が相次いだ影響などにより、前半戦は絶不調に陥るが、後半戦は持ち直し、リーグ2位に押し上げる。しかし、天皇杯3連覇を逃し、2006年以来4年ぶりにシーズン無冠に終わった。就任10年目で迎えた2011年も無冠に終わり同年限りで退任(しかし、これは人によっては解任ともとらえられる) 。
2012年5月19日、成績不振により解任された和田昌裕の後任としてヴィッセル神戸の監督に就任。しかし、同年11月8日成績不振により解任[2]。尚、2012年の残り試合は、コーチの安達亮が指揮を執る事になった[3]。
なお2013年末現在のJリーグ監督通算勝利数において、歴代1位となっている。
所属クラブ
- 1971年 - 1973年 埼玉県立浦和西高等学校
- 1974年 - 1977年 早稲田大学
- 1978年 - 1990年 日立製作所
個人成績
テンプレート:節スタブ テンプレート:サッカー選手国内成績表 top !colspan="4"|日本!!colspan="2"|リーグ戦!!colspan="2"|JSL杯!!colspan="2"|天皇杯!!colspan="2"|期間通算 |- |1978||rowspan="12"|日立||||rowspan="9"|JSL1部||13||1|||||||||||| |- |1979||||12||0|||||||||||| |- |1980||||15||6|||||||||||| |- |1981||||8||1|||||||||||| |- |1982||||15||4|||||||||||| |- |1983||||18||2|||||||||||| |- |1984||||17||2|||||||||||| |- |1985||||22||12|||||||||||| |- |1986-87||||17||1|||||||||||| |- |1987-88||||rowspan="2"|JSL2部|||||||||||||||| |- |1988-89||||||2|||||||||||| |- |1989-90||32||JSL1部||6||0||0||0|||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始143||29|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行|||||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終|||||||||||||| |}
代表歴
出場大会など
試合数
- 国際Aマッチ 12試合 1得点(1977年 - 1978年)
テンプレート:サッカー代表個人成績 |- |1974||0||0||6||2||6||2 |- |1975||0||0||0||0||0||0 |- |1976||0||0||0||0||0||0 |- |1977||4||0||23||3||27||3 |- |1978||8||1||8||1||16||2 |- !通算 |12||1||37||6||49||7 |}
得点数
# | 年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1978年7月21日 | マレーシア、クアラルンプール | テンプレート:MYSf | 1-4 | 敗戦 | ムルデカ大会 |
指導歴
- 1990年 - 1991年 テンプレート:Flagicon 日立製作所:ヘッドコーチ
- 1991年 - 1992年 テンプレート:Fbu:監督
- 1994年 - 1996年 テンプレート:Fbu:監督
- 1997年 テンプレート:Flagicon 柏レイソル:ヘッドコーチ
- 1998年 - 2001年7月 テンプレート:Flagicon 柏レイソル:監督
- 2002年 - 2011年 テンプレート:Flagicon ガンバ大阪:監督
- 2012年5月 - 11月 テンプレート:Flagicon ヴィッセル神戸:監督
- 2014年 - テンプレート:Flagicon 名古屋グランパス:監督
監督成績
年度 | 所属 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 順位 (チーム数) |
ナビスコ杯 | 天皇杯 | 他公式戦 | クラブ | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ステージ | 年間 | |||||||||||||
1998 | J1 1st | 17 | 22 | 9 | - | 8 | 32 | 35 | 10位 | 8位 (18) |
4回戦敗退 | 予選敗退 | - | 柏レイソル |
J1 2nd | 17 | 25 | 9 | - | 8 | 24 | 26 | 8位 | ||||||
1999 | J1 1st | 15 | 29 | 10 | 0 | 5 | 26 | 18 | 4位 | 3位 (16) |
優勝 | ベスト4 | - | |
J1 2nd | 15 | 29 | 10 | 1 | 4 | 23 | 18 | 4位 | ||||||
2000 | J1 1st | 15 | 26 | 10 | 0 | 5 | 25 | 22 | 4位 | 3位 (16) |
4回戦敗退 | 2回戦敗退 | - | |
J1 2nd | 15 | 32 | 11 | 1 | 3 | 23 | 10 | 2位 | ||||||
2001 | J1 1st | 15 | 22 | 8 | 0 | 7 | 29 | 23 | 6位 | 6位 (16) |
3回戦敗退 | - | - | |
J1 2nd | - | - | - | - | - | - | - | - | ||||||
2002 | J1 1st | 15 | 27 | 9 | 1 | 5 | 35 | 19 | 4位 | 3位 (16) |
ベスト4 | 4回戦敗退 | - | ガンバ大阪 |
J1 2nd | 15 | 27 | 10 | 0 | 5 | 24 | 13 | 2位 | ||||||
2003 | J1 1st | 15 | 16 | 4 | 4 | 7 | 26 | 29 | 12位 | 10位 (16) |
ベスト8 | 4回戦敗退 | - | |
J1 2nd | 15 | 23 | 6 | 5 | 4 | 24 | 17 | 7位 | ||||||
2004 | J1 1st | 15 | 24 | 7 | 3 | 5 | 31 | 23 | 4位 | 3位 (16) |
ベスト8 | ベスト4 | - | |
J1 2nd | 15 | 27 | 8 | 3 | 4 | 38 | 25 | 3位 | ||||||
2005 | J1 | 34 | 60 | 18 | 6 | 10 | 82 | 58 | 優勝 (18) |
準優勝 | ベスト8 | - | ||
2006 | J1 | 34 | 66 | 22 | 6 | 8 | 80 | 48 | 3位 (18) | ベスト8 | 準優勝 | スーパーカップ 準優勝 | ||
ACL2006 予選敗退 | ||||||||||||||
A3カップ2006 準優勝 | ||||||||||||||
2007 | J1 | 34 | 67 | 19 | 10 | 5 | 71 | 37 | 3位 (18) | 優勝 | ベスト4 | スーパーカップ 優勝 | ||
2008 | J1 | 34 | 50 | 14 | 8 | 12 | 46 | 49 | 8位 (18) | ベスト4 | 優勝 | パンパシ2008 優勝 | ||
スルガCS 準優勝 | ||||||||||||||
ACL2008 優勝 | ||||||||||||||
FCWC2008 3位 | ||||||||||||||
2009 | J1 | 34 | 60 | 18 | 6 | 10 | 62 | 44 | 3位 (18) | ベスト8 | 優勝 | スーパーカップ 準優勝 | ||
ACL2009 ベスト16 | ||||||||||||||
2010 | J1 | 34 | 62 | 18 | 8 | 8 | 65 | 44 | 2位 (18) | ベスト8 | ベスト4 | スーパーカップ 準優勝 | ||
ACL2010 ベスト16 | ||||||||||||||
2011 | J1 | 34 | 70 | 21 | 7 | 6 | 78 | 51 | 3位 (18) | ベスト4 | 3回戦敗退 | ACL2011 ベスト16 | ||
2012 | J1 | 19 | 21 | 5 | 6 | 8 | 24 | 28 | -位 (18) | GL敗退 | 2回戦敗退 | ヴィッセル神戸 | ||
2014 | J1 | -位 (18) | 名古屋グランパス | |||||||||||
通算 | 456 | - | 244 | 75 | 137 |
- 2001年は、J1 1st終了後に解任。
- 2012年は、第13節から第31節まで指揮。
タイトル・受賞
クラブ
- 柏レイソル
- ガンバ大阪
- Jリーグ ディビジョン1:1回 (2005年)
- ナビスコカップ:1回 (2007年)
- 天皇杯:2回 (2008年、2009年)
- ゼロックススーパーカップ:1回 (2007年)
- AFCチャンピオンズリーグ:1回 (2008年)
- パンパシフィックチャンピオンシップ:1回 (2008年)
受賞
- Jリーグ最優秀監督賞:2回 (2000年、2005年)
- AFC最優秀監督賞:1回 (2008年)
著書
- 『挑戦―ブラジルを破るまでの軌跡』(1997年、ニッポン放送プロジェクト、ISBN-10: 4594021808、ISBN-13: 978-4594021801)
- 『勝利のルーティーン 常勝軍団を作る、「習慣化」のチームマネジメント』(2014年、幻冬舎、ISBN-10: 4344025210、ISBN-13: 978-4344025219)
CM出演
- ポッカコーポレーション (1996年)
- オーツタイヤ(現・住友ゴム工業) (1996年)
- ミドリ電化 (2007年) - 加地亮、播戸竜二、安田理大と共演(選手とは別撮りで、ミドリ電化の店内で変な踊りをする選手に対して一言いう)[1][2][3]
- パナソニック「ラムダッシュ」(2008年)
- ポケットサッカーリーグ カルチョビット(2012年) - 千鳥、博多華丸・大吉、久保裕也との共演(同ソフトによるエキシビジョンマッチを編集したもの)
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Jリーグ監督 テンプレート:名古屋グランパスのメンバー テンプレート:アトランタオリンピック サッカー日本代表 テンプレート:Jリーグ最優秀監督賞 テンプレート:アジア年間最優秀監督賞
テンプレート:Navboxes- ↑ 年代別、女子大会を除く
- ↑ 監督交代のお知らせ ヴィッセル神戸 2012.11.08(2012年11月8日閲覧)
- ↑ サッカーJ1神戸、西野監督解任(DAILYSPORTONLINE 2012年11月8日配信記事(配信日に閲覧))
- ↑ 名古屋グランパス新監督に西野朗氏就任内定のお知らせ 名古屋グランパス 2013.12.14(2013年12月14日閲覧)