粛清
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テンプレート:出典の明記 粛清(しゅくせい)の原義は厳しく取り締まって、不純・不正なものを除き、整え清めること[1]。また不正や反対者を厳しく取り締まること[2]。政治的には、組織の一体性・純粋性を保つため、組織内から異分子人物・勢力を排除すること[3]。英語ではパージ(テンプレート:Lang-en-short)とよばれる。同音異義語の「粛正」と混同されるが、こちらは「綱紀粛正」などに見られるように厳重に取り締まり、不正を無くすこと[2]。
解説
独裁的な組織・国家や社会主義国家などに多く見られる[3]。その場合には物理的暴力を伴うこともある。政治犯の死刑執行や追放をはじめとして、刺客による暗殺、強制収容所への送致なども見られる。
粛清は、革命や反革命、クーデター、弾圧の一場面としても行われる事も多い。共産主義・独裁国家においては体制を保つ為に必ずと言って良いほど発生する。特に新たな独裁政権が誕生した時は、将来自分または後継者を脅かしそうな存在に対して行われる。
主な粛清
- 焚書坑儒 - 中国(秦)(紀元前213年 - 紀元前212年)
- 曹操暗殺未遂事件の報復(後漢)(199年)
- 応天門の変 - 日本(866年)
- 安和の変 - 日本(969年)
- モンゴル帝国の4代目皇帝モンケによるオゴタイ家に対する粛清-モンゴル帝国(1251年頃)
- ワラキア公ヴラド・ツェペシュ(串刺し公)による粛清 - ルーマニア(15世紀中頃)
- 胡藍の獄(明の太祖洪武帝)による建国の功臣への粛清(14世紀末頃)
- ユダヤ人追放令 - スペイン(1492年)
- ストックホルムの血浴 - デンマーク(1520年)
- メアリー1世によるプロテスタント粛清 - イギリス(1553年 - 1558年)
- イヴァン4世(雷帝)による恐怖政治(オプリーチニナも参照) - ロシア(1565年 - 1574年頃)
- サン・バルテルミの虐殺 - フランス(1572年)
- 豊臣秀次とその関係者の粛清 - 日本(1595年)
- リンチェピングの血浴(カトリック信徒粛清) - スウェーデン(1600年)
- 清教徒革命時のプライドのパージ(en:Pride's Purge)(1648年)
- 文字の獄(雍正帝が反対派粛清)-清(1726年)
- フランス革命時代の粛清
- 復古王政下での王党派による白色テロ(百日天下を参照) - フランス(1815年 - 1818年)
- 蛮社の獄 - 日本(1839年)
- 安政の大獄 - 日本(1859年)
- 新選組内部における粛清 - 日本(1863年 - 1867年)
- ソ連での粛清
- 中華民国における上海クーデター(1927年)
- ハンガリー評議会共和国による赤色テロ(en:Red Terror (Hungary))(1919年)
- ハンガリー王国による白色テロ(en:White Terror (Hungary))(1919年-1921年)
- ヒトラー(ナチ政権)下での粛清
- 日本共産党内部での粛清
- 第二次世界大戦終結に伴う粛清
- 非ナチ化、ナチス協力者の追求(en:Pursuit of Nazi collaborators)(1945年~)
- 連合国軍最高司令官総司令部による日本の公職追放(1946年~1951年)
- エピュラシオン(fr:Épuration légale)- (1944年-1949年)フランス共和国臨時政府・フランス第四共和政政府によるヴィシー政権関係者、コラボラシオン(対独協力者)に対する粛清
- 冷戦下における西側各国の赤狩り
- 整風運動 - 中国共産党(1942年 - 1945年)
- 二・二八事件とその後の白色テロ - 台湾(1947年 - 1992年)
- インドネシアにおける共産主義者粛清(en:Indonesian killings of 1965–1966)(1965年 - 1966年)
- 文化大革命に伴う粛清 - 中華人民共和国(1966年 - 1977年)
- クメール・ルージュによる大粛清 - カンボジア(1975年 - 1979年)
- 連合赤軍における総括(山岳ベース事件) - 日本(1971年 - 1972年)
- 北朝鮮における粛清
脚注
関連項目