東京都道311号環状八号線

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東京都世田谷区瀬田二丁目(東急トランセ瀬田営業所)付近 内回り
外回りは瀬田交差点を前に渋滞することが多い。
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練馬中央陸橋。目白通り(前後)との交点。
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井荻トンネル 外回り 分岐部

東京都道311号環状八号線(とうきょうとどう311ごう かんじょうはちごうせん)は、東京都大田区羽田空港から、世田谷区杉並区練馬区板橋区を経由して東京都北区赤羽に至る環状(実際には計画当初から半円状:後述)の都道主要地方道)である。

路線名は、本路線の都市計画道路事業名である「東京都市計画道路幹線街路環状第8号線」に由来する。この道路は一般に「環状八号線」「環八通り(かんぱちどおり)」「環八」と呼ばれる。

最高速度は概ね60km/h

概説

起点付近に羽田空港があり、第三京浜東名高速道路中央自動車道の起点インターと接続し、笹目通りおよび目白通り経由で関越自動車道とも接続している。また、国道20号甲州街道)、国道246号(玉川通り)といった主要一般道路とも交差しており、まさに東京の大動脈といっても差し支えないほどの重要な道路となっている。東京外環自動車道大泉IC以南が開通していない時点では、神奈川埼玉間を移動する車両の都心部寄りの最短通過ルートにもなっている。

早朝から深夜まで終日交通量が非常に多い。一般に東京23区の道路は日曜祝日の交通量は少ないが、環八は日曜祝日も渋滞するのが特異的である。国道20号と交差する高井戸周辺や、国道246号と交差する瀬田周辺は、交通容量不足から慢性的な渋滞となっており、その渋滞長は東京都内でも屈指である。

なお、高井戸ICからは中央自動車道に入れないため、環状八号線から中央自動車道へ向かうには、上高井戸一丁目交差点で甲州街道に入り調布ICまで行く必要がある。

路線の起点・終点・総延長

都道「環状八号線」の路線認定上の起点は大田区羽田空港三丁目であるが、道路区域の起点は穴守橋東詰である(国道131号重用)。湾岸道路交点(おおとり橋)から羽田空港トンネルを抜けて国際貨物ターミナル付近までは国道357号の指定区間として国土交通省関東地方整備局東京国道事務所が、国際貨物ターミナル付近から穴守橋東詰までは東京国際空港の構内道路として国土交通省東京航空局東京空港事務所が、それぞれ管理している[1]

沿革

元々の構想は、旧東京市1927年昭和2年)に発表した「大東京道路網計画」に含まれていたものである。当初から現在の東京23区の西側半周のみを結ぶ計画であった。しかし、実際には着工らしい着工はされぬまま、ところどころルート上の既存の道路を「環状道路」に指定した程度で、戦時体制に入って計画はほとんど凍結された。

戦後に入り、改めて都市計画決定されたのは、1946年(昭和21年)3月の「戦災地復興計画方針」においてである。しかし、その後も瀬田交差点世田谷区)を挟むわずかな区間の既存の道路が拡幅された程度で、実際に本格的に着工されたのはそれから10年後の1956年(昭和31年)、着工後も実際の施工は遅々として進まなかった。同時期に構想・計画された環七通り産業道路1964年(昭和39年)の東京オリンピック関連工事とされて速やかに着工されたのに比べると、当時の沿線は未だ高速道路はおろか多摩川を渡るさえも少なく、交通需要が小さかったため後回しとされたのである。

1965年(昭和40年)に第三京浜道路が開通し、瀬田交差点から玉川ICまで(いずれも世田谷区)が重複区間とされた頃から、沿線が急速に住宅地化されて自家用車が普及し、交通需要が急増した。更に、以降次々に開通する東名高速道路1968年(昭和43年))、中央自動車道1976年(昭和51年))、東京川越道路1971年(昭和46年)、後の関越自動車道)の各起点を、渋滞が激しく線形も悪い首都高速道路に代わって短絡するルートとなり、大型車をはじめとする通過需要も加わったため、整備が急がれることになった。しかし、もはや過密化した土地利用と急上昇した地価に対して用地取得は一向に進まず、一部を建設費や工期のかさむ地下ルートとせざるを得なくなるなど、全線開通は遅れに遅れることとなった。

最後まで残ったのは練馬区井荻トンネルから目白通りまでと、練馬区の川越街道から板橋区の環八高速下交差点(首都高速5号池袋線との交差場所)までの区間である。2006年平成18年)5月28日にようやく供用が開始された。全線開通は最初の構想から実に80年近く、戦後の正式な計画決定からも60年かかったことになる。なお、全線開通記念式典で東京都知事石原慎太郎(当時)は『(本格着工から)50年かかった』と発言している。この間の総工費はおよそ5千億円であったと言われる[2]

一般名称

  • 環八(かんぱち)通り(東京都通称名設定公告 整理番号87、1984年5月1日 東京都広報)

重複区間

国道131号
大田区羽田空港(穴守橋交差点付近) - 大田区東糀谷(大鳥居交差点
国道466号
世田谷区瀬田・玉川台(瀬田交差点) - 世田谷区上野毛・野毛(第三京浜道路玉川IC
東京都道441号池袋谷原線(旧富士街道
練馬区春日町(春日町交番前(練馬春日町駅付近)交差点) - 練馬区平和台(平和台駅前交差点)

地理

自治体

交差している道路

交差・並行している鉄道路線と駅

環七と比べ、道路と駅の隣接率が低い、鉄道路線との並行区間が多いことなどが特徴である。■印は、道路建設当時に高架化された鉄道。

その他

周辺には、東京国際空港(羽田空港)などがある。

いずれのトンネルも高速道路に引けを取らない高規格で建設されたせいか、法定速度を超えて走る車が多く、交通取締も頻繁に行われている。

  • 側道部(トンネル箇所地上部)
    • 練馬トンネル地上部(東京都練馬区南田中二 - 練馬区貫井四・2007年12月9日開通)

渋滞の原因となっている箇所

川南交差点
変則的信号で環八通り側の青時間が比較的短いのが要因。また、高井戸陸橋から続いた3車線区間がここで2車線になるため、特に外回り(井荻方面)の渋滞が激しい。この交差点は、歩行者信号だけの時間も設定されている。
中の橋交差点~高井戸駅周辺
特に外回りの渋滞が激しい。これは、瀬田方面から続いてきた直進3車線が、中の橋交差点で直進2車線に車線減少するためである。この付近は環八通りの中でも特に交通量が多いので、中の橋交差点のように変則的信号で環八側の青時間が短い交差点があると、そこがボトルネックとなってどうしても渋滞する。中の橋付近の渋滞長は都内ワースト2位となっている[4]。また2007年(平成19年)の東京都で最も多い交通事故多発交差点[5]になった。
なお、中の橋を過ぎても、信号が連続しており、また神田川を越えるための谷越え構造による大型車の速度低下、スーパーの駐車場に出入りする車があるなど、高井戸駅付近は交通容量を低下させる要素がいくつもある。
環八東名入口交差点(東京インターチェンジ
この交差点は内回り・外回りともに片側5車線であるが、左折レーン1車線、直進レーン2車線、右折レーン2車線という構成であるため、2車線分しか直進できず、直進の交通容量不足である。
瀬田交差点
玉川通り(国道246号)との交差点。第三京浜と東名の間を行き来する車両が多いのが渋滞の一因。詳細は当該項目を参照。
南蒲田交差点
第一京浜との平面交差が原因(かつては京急本線との踏切がそれに拍車をたてていた)。交差点信号は京急本線との踏切の関係上、第一京浜品川方からの右折信号しか連動していなかったが、京急本線上り線は2008年(平成20年)5月18日に、下り線は2010年(平成22年)9月26日に高架化されたことで踏切による渋滞は解消された。引き続き第一京浜側の立体交差が進められている。

環八雲

夏の暑い日などに東京の西側、特に環八通り沿線に半円状に現れる積雲列。

1969年(昭和44年)に、アマチュア気象学者によって発見された。晩夏から初秋にかけて頻繁に発生し、ゲリラ豪雨(都市型集中豪雨)が発生する一因となっている。同様の現象として環七雲がある。積雲である環八雲がゲリラ豪雨を降らせるわけではないが、強い上昇気流で積乱雲が発生する気象条件下、その途上で雲の核ができやすい環八上空は周囲よりも先に積雲列が出来ることがある。

ヒートアイランド現象により東京都心の温度が周囲に比べて高くなり、そこに相模湾東京湾からそれぞれ吹き込む海風が大田区世田谷区の東京都区内の西側を走る環状八号線付近で収束し、上昇気流ができることが原因とされる。

さらに、環八上空では自動車排気ガスによる汚染物質が多く存在し、これが核となって雲が発生しやすくなっているとされる。

脚注

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関連項目

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外部リンク

テンプレート:東京都市計画道路の環状線
  1. テンプレート:Cite web
  2. 環八通り 28日に全線開通へ ライブドアニュース
  3. 同駅で東京メトロ丸ノ内線が接続しているが、環八通りとは交差はしていない。
  4. 交通量統計表(平成20年調査) 警視庁交通部
  5. 全国交通事故多発交差点マップ」 日本損害保険協会、2010年2月19日