王座戦 (将棋)
王座戦(おうざせん)は、日本経済新聞社主催の将棋の棋戦。毎年9月頃に王座戦五番勝負が行われ、その勝者はタイトルの1つである王座の保持者となる。1953年に優勝棋戦として創設され、1983年(31期)にタイトル戦に格上げされた。
目次
しくみ
一次予選・二次予選・挑戦者決定トーナメントの3段階で挑戦者を決定する。王座と挑戦者が王座戦五番勝負を行う。
前期挑戦者決定トーナメントベスト4以上(前期王座が敗れた場合を含む)およびタイトル保持者はシード者となり、予選が免除される。従って、年によりシード者の人数は変動する。
五番勝負を含む全ての対局で、持ち時間は各5時間(1日制)である。
一次予選
シード者以外の順位戦C級1組以下の棋士(永世称号者を除く)と、女流棋士4名によりトーナメント形式で行われ、6名が二次予選に進出する[1]。なお、シード者以外の順位戦C級1組以下の棋士であっても、前期の戦績によっては二次予選からの出場となる場合がある。
二次予選
一次予選の勝ち抜き者6名と、シード者以外の棋士によりトーナメント形式で行われる。シード者の人数によるが、挑戦者決定トーナメントへの出場枠は毎年10枠前後(最多で12枠)である。
挑戦者決定トーナメント
二次予選の勝ち抜き者とシード者の計16名によるトーナメントである。トーナメントの勝者が王座と五番勝負を戦う。 シード者は前年の挑戦者決定トーナメントでベスト4以上が条件。タイトル保持者も優遇される。
王座戦五番勝負
王座と挑戦者が王座戦五番勝負を戦う。五番勝負は全国各地のホテルや旅館、料亭などで実施される。
女流棋士の一斉対局
王座戦には、第39期(1990年)から女流棋士の出場枠が設けられている[2]。第54期(2005年)より枠が4名に増え[3]、翌年の第55期からは、女流棋士が関わる対局の緒戦(一次予選1回戦)が同日に行われるようになった。一斉対局ではネット中継や大盤解説会が開催されている。
期 | 対局日 | 結果 |
---|---|---|
55 | 2006年7月29日 | 男性4勝 ファイル:G30.pngファイル:G30.pngファイル:G30.pngファイル:G30.png 女流0勝 |
56 | 2007年7月28日 | 男性4勝 ファイル:G30.pngファイル:G30.pngファイル:G30.pngファイル:G30.png 女流0勝 |
57 | 2008年7月26日 | 男性4勝 ファイル:G30.pngファイル:G30.pngファイル:G30.pngファイル:G30.png 女流0勝 |
58 | 2009年7月11日 | 男性3勝 ファイル:G30.pngファイル:G30.pngファイル:G30.pngファイル:R30.png 女流1勝 |
59 | 2010年7月31日 | 男性4勝 ファイル:G30.pngファイル:G30.pngファイル:G30.pngファイル:G30.png 女流0勝 |
出場する女流棋士には女流タイトル保持者などの実力上位者が選抜され、1回戦で対戦する男性棋士はほとんどが若手の四段である。一斉対局になる前は女流棋士が勝ち星を挙げたこともあるが、一斉対局後は3年連続で女流棋士が全敗に終わっていた[4]。2009年に石橋幸緒女流王位が一斉対局で初めて勝利し、2回戦に進出した。
名誉王座
永世称号である名誉王座は、王座を連続5期もしくは通算10期以上保持した棋士に与えられる。将棋界で主要な7大タイトル戦の永世称号として「永世」ではなく「名誉」を冠するのは、王座戦だけである(その他の棋戦ではNHK杯テレビ将棋トーナメントでも同じ要領で「名誉NHK杯」と紹介される。これはいずれも囲碁と同一スポンサーの提供による優勝杯をかけたものであるため)。
主催の日本経済新聞社が1996年9月に同称号を制定した際、中原誠はタイトル戦昇格前の優勝回数10回と昇格後の獲得6期を合わせて16期(16回)の実績により名誉王座の資格を与えられた[5]。同年、羽生善治も連続5期達成により資格を得た。
他の永世称号と違い、現役のままでも満60歳に達すると名乗ることができるため、中原は60歳の誕生日である2007年9月2日から名誉王座を名乗っている[5]。
歴代五番勝負
※年は五番勝負が行われた時点。
一般公式棋戦として
※第1回は1戦のみ。○●は王座(優勝棋戦時代については、勝者)から見た勝敗、千は千日手、持は持将棋。網掛けの対局者が勝者。
|
|
タイトル戦として
※○●は王座から見た勝敗。色付きが勝者。
|
|
記録
- 最年少 羽生善治 22歳
- 最年長 羽生善治 43歳
- 最長連覇 羽生善治 19連覇
- 獲得期数 羽生善治 21期
エピソード
- 羽生が 福崎文吾から王座位を奪取して以降19期タイトルを保持し続けていたため、福崎は長年“名目上の前・王座”ということになっていたが、こちらも19期連続という珍記録であったため、福崎自身もときどき笑い話として披露していた。(2011年9月に、羽生が失冠したため、それも語れなくなってしまった。)
- 羽生は2011年に20連覇を逸したものの、翌2012年には挑戦者として五番勝負に登場した。これにより大山康晴が名人戦と王将戦で持つ同一タイトル戦連続出場記録21回に並び、更に奪取したことで記録更新を確定させた(王座保持者として翌年も出場が確定するため)。2014年の本棋戦が予定通り行われれば、記録は23回となる。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navboxru:Одза (сёги)- ↑ 第56期より6名。第55期以前の一次予選通過枠は5名であった。
- ↑ これは新人王戦(1981年から)に次いで2番目に早い。
- ↑ 女流棋士の出場枠4名は、朝日杯将棋オープン戦の6名に次いで多い。
- ↑ 2006年の対局後、先崎学は「4局とも熱戦で、序中盤の実力は男性棋士に遜色ない」[1]とコメントしており、2007年には藤井猛が「持ち時間5時間の棋戦は女流にはなく、経験の差が出た」[2]と分析している。
- ↑ 5.0 5.1 中原誠永世十段・名誉王座誕生へ(2007年8月29日、日本将棋連盟)
- ↑ 第2回第3局は、升田が病気のため不戦局。
- ↑ 田辺忠幸編 『将棋八大棋戦秘話』 河出書房新社、2006年、ISBN 4-309-26870-6、169頁