石橋幸緒

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テンプレート:Infobox 将棋棋士

石橋 幸緒(いしばし さちお、1980年11月25日 - )は、元LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。同協会理事(2007年5月 - 2014年2月)。清水市代門下。東京都小金井市出身。

LPSA番号10。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は33。

人物

生まれた時に医師から3日しか生きられないと宣告される。幼少時は体が弱く、養護学校で療養していたが、その時代に将棋を覚える。師匠の清水市代の父から将棋の基礎を学ぶ。高校生の時に将棋がスランプ状態となり、大学受験に専念する。だが、受験勉強中にインフルエンザで腸炎となり入院。病床で自分には将棋が必要だと自覚し、将棋の道に専念する[1]

師匠は清水市代。将棋界史上初めて女流棋士を師匠とした。千葉涼子矢内理絵子と共に、「花の80年生まれ・若手3羽ガラス」(55年組 (将棋)参照)と呼ばれる。あだ名は「ビシバシ」。

2007年1月3日放送の「大逆転将棋2007」の「脳内対局10秒将棋」で矢内理絵子と対局して勝利。共演者の一人である森内俊之名人(当時)は、その内容を高く評価した。

書道では石橋開雲と号する[2]。旧知の仲の渡辺明竜王位に就き揮毫をする機会が増えた頃、石橋が渡辺に書道の指南をした[3]NHK将棋講座「渡辺竜王の居飛車対振り飛車」(2007年度前期)では石橋が聞き手で、題字も石橋のものである。

趣味はプロ野球観戦(横浜DeNAベイスターズファン)、落語麻雀など。麻雀では、尊敬する人物は井出洋介。2007年9月1日付で麻将連合-μ-に麻将女流ツアー選手として登録。2008年から2010年まで同団体の女流ランキング戦に参加[4]。2014年1月31日付で退会。

座右の銘は、「善戦者不怒」(よくたたかうものはおこらず)、「万物生光輝[5]」(ばんぶついきてひかりかがやく)。

2013年に入り表面化した日本将棋連盟(以下「連盟」)とLPSAとの対立問題(詳細はここを参照)においては、LPSA代表理事としての立場から連盟やスポンサー各社に対し強硬な態度を示し続け、同年1月にはマイナビ女子オープンの対局をボイコットした。このため連盟からは同年2月に「連盟主催の棋戦への出場を最低1年間禁止する」との通告を受けており、実際に同年の女流王将戦の予選から除外されるなど、公式戦への登場機会が大幅に少なくなっていた。

2014年1月28日、日本女子プロ将棋協会は1月31日付での引退と2月25日の代表理事任期満了と同時に退会することを発表した[6][7]

代表理事の地位にあった石橋は退任の日、将棋連盟から一方的被害を被っていたこと主張し、その主張を裏付ける書類を公開した[8]。石橋はこの中で、「将棋連盟という組織は様々な問題があり、特に道理が通じない、発言が信用できない、という重大な欠点があると言わざるを得ない」、「このような組織と『まともなつきあい』(合理的な関係)など想定し難い」と述べた。またマイナビ女子オープンに関連して、「代表の対局拒否だけにスポットが当たるような報道をした、将棋担当の各新聞社文化部」は、「新聞および通信社の公的役割と、そのジャーナリズム精神を忘れた」と批判し、自らが「契約違反として主義を通したものを、それを取り下げて謝罪」したことについては、「一番の誤ちであった」と述べた。

棋歴

  • 1992年3月 - 第1回アマ女王戦優勝
  • 1992年5月 - 第24回女流アマ名人戦準優勝
  • 1992年10月 - 第6回女流アマ王将戦優勝
  • 1993年10月 - 女流棋士となる。
  • 1996年10月16日 - 第7期女流王位戦でタイトル初挑戦、当時女流タイトル独占だった師匠の清水市代に1勝3敗で敗れる。
  • 1999年6月29日 - 第21期女流王将戦で清水に2連敗の後3連勝で勝利し、初のタイトル獲得。
  • 1999年11月2日 - 第13回レディースオープントーナメント優勝
  • 2000年6月19日 - 第22期女流王将戦で清水に敗れ、タイトル防衛ならず。
  • 2002年10月5日 - 第7回鹿島杯女流将棋トーナメント優勝
  • 2002年11月6日 - 第16回レディースオープントーナメント優勝
  • 2004年 - 王座戦一次予選にて男性棋士(8月23日・大平武洋四段(当時)、9月28日・勝浦修九段)を相手に2勝、3回戦まで進出する。
  • 2005年11月12日 - 第10回鹿島杯女流棋士トーナメント優勝
  • 2005年12月8日 - 第19回レディースオープントーナメント優勝
  • 2007年5月 - 新団体のLPSA(日本女子プロ将棋協会)へ移籍。同団体の理事に就任。
  • 2007年11月5日 - 第18期女流王位戦で清水に勝利し、タイトル獲得。日本女子プロ将棋協会へ初のタイトルをもたらした。
  • 2008年11月12日 - 第19期女流王位戦で清水に勝利し、タイトル防衛。
  • 2009年7月 - 男性棋士を相手に単月で3戦全勝の快挙(7月11日・対田中悠一四段 = 王座戦一次予選、21日・対武市三郎六段、対神谷広志七段 = 朝日杯将棋オープン戦予選、段位はいずれも当時) 。
  • 2009年10月14日 - 第20期女流王位戦第2局において、終盤で相手玉を寄せる際に、6六にいた角を4四にいる自分の歩を飛び越して▲2二角成(129手目)と指し、反則負けとなる。
  • 2009年11月16日 - 第20期女流王位戦で清水に敗れ、タイトルを失う。
  • 2010年5月27日 - LPSA代表理事(2代目)に就任。
  • 2014年1月28日 - 女流棋士現役引退とLPSA代表理事退任と退会を発表。
  • 2014年1月31日 - 引退
  • 2014年2月25日 - LPSA退会

昇段・昇級履歴

昇段・昇級規定は、将棋の段級を参照。

  • 1993年4月 - 女流育成会入会
  • 1993年10月 - 女流2級
  • 1995年4月 - 女流1級(女流名人位戦B級入り・女流王位戦リーグ入り)
  • 1996年4月 - 女流初段(女流王位戦リーグ残留)
  • 1996年9月 - 女流二段(タイトル挑戦 = 第7期女流王位戦)
  • 1999年6月29日 - 女流三段(タイトル1期 = 第21期女流王将戦)
  • 2004年10月8日 - 女流四段(勝数規定)[9]

タイトル

タイトル
  • 女流王将 獲得:第21期、挑戦:第25期、26期
    • 第21期女流王将戦の五番勝負(1999年)で清水市代から3-2でタイトルを奪取。これが自身初のタイトル獲得となったが、翌年、その清水の挑戦を受け、1-3で敗れて防衛はならず。
  • 女流王位 獲得:第18期、19期、挑戦:第7期、13期、17期
    • 第7期女流王位戦(1996年)は清水市代女流王位に挑戦することになり、女流将棋界初の「師弟によるタイトル番勝負」となった(結果は1-3で石橋の敗退)[10]
    • 第18期女流王位戦(2007年)で、9連覇中の清水から3-2でタイトル奪取。同じ顔合わせとなった翌年の第19期では清水の挑戦を3-2で退け、自身初のタイトル防衛を果たす。
  • 倉敷藤花 挑戦:第11期
LPSA公認タイトル
  • 天河 獲得:第2期(2009年度)
棋戦優勝
  • レディースオープントーナメント 1999年、2002年、2005年 優勝
  • 鹿島杯女流将棋トーナメント 第7回、第10回 優勝
  • 日レスインビテーションカップ 第3回 優勝
  • 1dayトーナメント 第3回(2007年)、第9回・第15回(2008年)、第22回・第25回(2009年)、第36回・第39回(2010年) 優勝

著書

  • 『生きてこそ光り輝く』(2000年10月、PHP研究所)ISBN 978-4569612911
2001年度、第13回将棋ペンクラブ大賞、著作部門 部門賞受賞
  • 『勝者の常識 将棋力』(2006年7月、リイド社)ISBN 978-4845832088
  • 『女流棋士石橋幸緒物語 サッちゃんの駒』(2008年4月、小学館)ISBN 978-4093877848
『小学六年生』 2001年4月号から10月号掲載の漫画『さっちゃんの駒』 (北崎拓)を収録。
  • 『出だし4手で知る石橋幸緒の将棋レシピ―知ると、もっと楽しい将棋・序盤の指し方』(2011年5月、長崎出版)ISBN 978-4860954581

脚注

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  1. フジテレビ奇跡体験!アンビリバボー」(2006年2月2日)。
  2. 【ひと】第18期女流王位を獲得した石橋幸緒さん(西日本新聞)
  3. 渡辺明ブログ
  4. 女流ランキング戦(麻将連合)
  5. 古楽府「長歌行」(前漢時代に採録された作者未詳の民間歌謡)の一節。その中では「万物(ばんぶつ)光輝(こうき)を生ず」と読み下す。[1]
  6. 将棋・石橋女流四段が引退 女子プロ協会代表理事 - 朝日新聞デジタル・2014年1月28日
  7. 石橋幸緒四段 現役引退とLPSA退会のお知らせ - LPSA・2014年1月28日
  8. 対日本将棋連盟等との事実関係について - LPSA・2014年2月25日
  9. 当初は女流四段の昇段日を女流三段昇段後120勝目の2004年7月23日としていたが、石橋本人から将棋連盟に問い合わせがあり、調査の結果、昇段日が実際は114勝目であったことが判明し、実際に120勝目を達成した10月8日に訂正されることになった。おわびと訂正
  10. 男性では1969年の第28期名人戦の大山康晴有吉道夫が最初。

関連項目

外部リンク

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