玉田圭司

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テンプレート:サッカー選手 玉田 圭司(たまだ けいじ、1980年4月11日 - )は、千葉県浦安市出身のサッカー選手ポジションFWMFJリーグ名古屋グランパス所属。マネジメント事務所はレプロエンタテインメント

来歴

習志野市立習志野高等学校出身(同級生に吉野智行松比良平太)。高校時代から「左の切り札」と呼ばれており、周囲の評価は高かった[1]1999年柏レイソルに入団。

1999年の1stステージ第2節アビスパ福岡戦で初出場[2]。デビュー戦で抜群のスピードを見た都並敏史は、将来の日本を背負う逸材と称えたという[1]。しかし、その後2年間は出場機会に恵まれず、2001年までの3年間で出場試合は15、得点はなかった。

玉田に転機が訪れるのは2002年。チームは1stステージを14位で折り返し、2ndステージでは残留を目指して新監督にマルコ・アウレリオを迎えた[3]。アウレリオは個人能力重視へとチームを転換する過程で埋もれていた玉田の才能を見出し、左サイドの中盤での出場機会を与える[3]。2ndステージ第1節コンサドーレ札幌戦で初得点を挙げる[2]と、リーグ戦2ndステージだけで3得点を挙げた。エースストライカーとして信頼を受けるようになり、2003年にはリーグ戦28試合に出場し11得点を挙げた。これは、Jリーグ得点ランキング10位、日本人選手に限れば久保竜彦大久保嘉人に次ぐ3位[3]であり、翌2004年にも10得点を挙げ2年連続2桁得点を達成した。

日本代表にも選出され順調かと思われたが、翌2005年には度重なる怪我により、出場試合数こそ減らなかったものの6得点に留まる[4]。チームも低迷し、リーグ戦16位、入れ替え戦でもヴァンフォーレ甲府に二試合合計8-3で敗れ、J2降格が決定した。代表入りを目指す玉田はJ1でのプレーを希望し、移籍先を探すこととなる[5]。間もなくJ1複数クラブからオファーがあり、日本代表選手の楢崎正剛藤田俊哉が在籍していた名古屋を玉田が希望する[6]。チーム間の交渉が難航した[7]ものの完全移籍でまとまり、2006年1月19日に名古屋が獲得を発表[8]。背番号は「11」が与えられた[8]

鳴り物入りでの入団であったが、玉田が得意ではないポストプレイヤーとしての役割を当時の監督フェルホーセンから求められ、2006年は思うような活躍ができない状態が続いた[9]。加えて2007年には怪我の影響もあり、出場試合は14に留まった[10]

2008年にグランパスの監督にストイコビッチが就任。ストイコビッチは玉田に攻撃の核として期待を寄せ[11]、得意なドリブルのプレーが求められたことでプレーにキレを取り戻した[12]。得点こそ4得点であったが、6アシストを記録しフローデ・ヨンセン小川佳純らを生かすチャンスメイカーとして機能。持ち味のドリブルやパスで終盤まで優勝争いに貢献した。

2010年は元日の天皇杯決勝でガンバ大阪に敗れて始まったが、リーグ戦では中断期間以降に10得点を記録するなど好調を維持し過去最多となる13得点を挙げ、名古屋のリーグ初優勝の原動力として優秀選手賞を獲得した。

2011年は開幕から得点を量産し、最終的にキャリアハイとなる14得点(リーグ6位タイ)を挙げたが、チームは激しい優勝争いの末リーグ戦2位に終わった。

日本代表

「ワールドカップ出場が夢」と語っており、前述の通り柏がJ2降格となった折には、代表選出を求めてJ1チームへの移籍と言う苦渋の選択をしている[5]

日本代表に初選出されたのは2004年。代表チームの得点力不足に悩むジーコによって、ドイツW杯・アジア地区1次予選の日本代表に選出され、3月のシンガポール戦で初出場した[5][13][14]アジア杯でも活躍し優勝に貢献した[13]

アジア杯での活躍がジーコに強烈な印象を与えたことや、玉田のようなドリブラー的な役割を得意とする選手が当時の代表には稀少であったこともあり、ジーコジャパンにとって必要不可欠な存在となっていく[5]。2006年はチームでの成績は振るわなかったが、ドイツW杯日本代表に選出され[5][13]、ブラジル戦では先制点となるゴールを決めた[10]

怪我の影響や代表監督の交代もありしばらく代表から遠ざかっていたが、2008年3月26日南アフリカW杯アジア3次予選の対バーレーン戦で1年8ヶ月ぶりに代表復帰した[15]。それ以来岡田武史率いる日本代表への招集も増え、エース格の活躍を見せている[15]

南アフリカワールドカップ本戦ではオランダ戦とパラグアイ戦に途中出場[14]。2大会連続のゴールはならなかったが、得意のドリブルで相手守備網を切り裂いたり、ファールをもらってセットプレーに繋げるなどの効果的なプレーを見せた。

エピソード

  • 横浜フリューゲルス横浜FCなどで活躍したモネールから、少年サッカー教室で「君は将来大物になる」と褒め称えられた。
  • 柏に在籍していた2004年、名古屋の親会社・トヨタ自動車のテレビCMへの出演経験がある[16]
  • コーラ好き[17]
  • 大の『ウイニングイレブン』ファン。対人プレイを好み、本人曰く「1人では絶対にやらない」[18] 。雑誌「We-Ele」の企画で、当時チームメイトの山口慶本田圭佑須藤右介と対戦し見事優勝した[19]
  • グランパスの幹部は「期待が大きいほど乗るタイプ」といい、現役時代のストイコビッチと似ていると語っている[11]
  • 「理想のゴールは?」の問いには「マラドーナの5人抜きドリブル」を挙げている[3]
  • 2009年1月11日、千葉県習志野市の母校近くにもんじゃ焼き店「MONJA DINING TAMA」をオープンした[20]
  • 同年12月、一般女性と入籍したことを明らかにした[21]
  • ファンを大事にしている。それゆえ、ファンにストーカーまがいの行動をされたときはショックを受け、ブログでファンにモラルを求めたことがある[22]

所属クラブ

個人成績

テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1999||rowspan="7"|||rowspan="7"|28||rowspan="15"|J1||5||0||1||0||0||0||6||0 |- |2000||5||0||1||0||0||0||6||0 |- |2001||2||0||0||0||1||0||3||0 |- |2002||13||3||2||0||1||0||16||3 |- |2003||28||11||5||0||2||1||35||12 |- |2004||28||10||0||0||1||0||29||10 |- |2005||28||6||0||0||0||0||28||6 |- |2006||rowspan="8"|名古屋||rowspan="8"|11||26||6||1||0||2||0||29||6 |- |2007||14||5||4||2||2||0||20||7 |- |2008||31||4||2||0||1||0||34||4 |- |2009||27||8||1||0||4||1||32||9 |- |2010||29||13||1||0||2||1||32||14 |- |2011||33||14||0||0||3||0||36||14 |- |2012||25||5||0||0||3||1||28||6 |- |2013||31||9||6||2||1||0||38||11 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始325||94||24||4||22||4||371||102 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終325||94||24||4||22||4||371||102 |} その他の公式戦

テンプレート:サッカー選手国際成績表 top テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |2009||rowspan=3|名古屋||rowspan=3|11||9||2 |- |2011||3||0 |- |2012||7||2 |- !通算!!colspan="2"|AFC |19||4 |}

タイトル

クラブタイトル

代表歴

ファイル:Flickr - tpower1978 - KIRIN Challenge Cup (1).jpg
日本代表でプレーする玉田
(写真右、2008年10月9日、UAE戦)

試合数

  • 国際Aマッチ 72試合 16得点 (2004-2010)[14]

テンプレート:サッカー代表個人成績 |- |2004||18||5 |- |2005||16||2 |- |2006||7||2 |- |2007||0||0 |- |2008||12||4 |- |2009||10||1 |- |2010||9||2 |- !通算 |72||16 |}

ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2004年4月25日 ハンガリー、ザラエゲルセグ テンプレート:HUNf ● 2-3 親善試合
2. 2004年8月3日 中国済南市 テンプレート:BHRf ○ 4-3 AFCアジアカップ2004
3.
4. 2004年8月7日 中国、 北京市 テンプレート:CHNf ○ 3-1
5. 2004年11月17日 日本さいたま市 テンプレート:SGPf ○ 1-0 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選
6. 2005年1月29日 日本、横浜市 テンプレート:KAZf ○ 4-0 キリンチャレンジカップ2005
7.
8. 2006年6月4日 ドイツデュッセルドルフ テンプレート:MLTf ○ 1-0 親善試合
9. 2006年6月22日 ドイツ、ドルトムント テンプレート:BRAf ● 1-4 2006 FIFAワールドカップグループリーグ
10. 2008年5月24日 日本、愛知県豊田市 テンプレート:CIVf ○ 1-0 キリンカップサッカー2008
11. 2008年10月15日 日本、さいたま市 テンプレート:UZBf △ 1-1 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
12. 2008年11月13日 日本、神戸市 テンプレート:SYRf ○ 3-1 キリンチャレンジカップ2008
13. 2008年11月19日 カタールドーハ テンプレート:QATf ○ 3-0 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
14. 2009年9月9日 オランダユトレヒト テンプレート:GHAf ○ 4-3 親善試合
15. 2010年2月11日 日本、東京 テンプレート:HKGf ○ 3-0 東アジアサッカー選手権2010
16.

経歴・タイトル

代表

代表タイトル

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:名古屋グランパスのメンバー テンプレート:Navboxes

テンプレート:レプロエンタテインメント
  1. 1.0 1.1 テンプレート:Wayback - J's GOAL
  2. 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite webテンプレート:リンク切れ
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Wayback - 日刊スポーツ(2006年1月13日)
  7. テンプレート:Cite web
  8. 8.0 8.1 テンプレート:Cite web
  9. テンプレート:Cite web
  10. 10.0 10.1 テンプレート:Wayback - 産経新聞(2008年5月24日)
  11. 11.0 11.1 テンプレート:Cite web
  12. テンプレート:Cite web
  13. 13.0 13.1 13.2 テンプレート:Wayback - スポーツ報知(2008年3月15日)
  14. 14.0 14.1 14.2 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「daihyo」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  15. 15.0 15.1 テンプレート:Cite web
  16. テンプレート:Cite web
  17. テンプレート:Wayback - 日刊スポーツ(2006年4月25日)
  18. テンプレート:Cite web
  19. 『We-Ele』付属DVD
  20. テンプレート:Cite web
  21. 玉田圭司選手、入籍のお知らせ 名古屋(09.12.28) - J's GOAL(2009年12月28日)
  22. 悲しいこと - 玉田圭司オフィシャルブログ(2010年3月7日)
  23. テンプレート:Wayback - Reysol Supporter's Square(1999年12月5日)