泉北高速鉄道線
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泉北高速鉄道線(せんぼくこうそくてつどうせん)は、大阪府堺市北区の中百舌鳥駅から大阪府和泉市の和泉中央駅までを結ぶ泉北高速鉄道の鉄道路線である。泉北高速鉄道、泉北高速、泉北線(せんぼくせん)と呼ばれることがある。
目次
概要
南海電気鉄道高野線と相互直通運転を行っており(詳細な運行形態は後述)、堺市中区・南区・和泉市・岸和田市東部などから堺市堺区・大阪市中心部への通勤・通学路線となっている。
かつて南海電気鉄道が建設し直接経営することが検討されていたが、1960年代後半頃から1970年頃にかけて南海電気鉄道に重大事故が頻発して重い負債がのしかかり、多額の投資が必要な新規路線を持つことを断念した。1971年の開業時は全業務を南海電気鉄道に委託していたが、段階的に直営化移行を進め最終的に1993年4月1日に全業務を直営化した。
2006年7月1日より全線でPiTaPaとICOCAが使えるようになった。また、2007年4月1日よりPiTaPaに定期券機能を付加する「PiTaPa定期サービス」(南海との連絡定期にも対応)が利用できるようになった。さらに2013年3月23日より、IC乗車カード全国相互利用開始で、Kitaca、PASMO、Suica、manaca、TOICA、nimoca、はやかけん、SUGOCAも利用可能になった。
路線データ
沿線概況
ニュータウンに建設された路線のため、多くの区間で線路の両脇を道路が併走しており、踏切も中百舌鳥駅東側にある中百舌鳥トンネル手前の一箇所を除いて一切設けられていない。また、中百舌鳥駅 - 泉ヶ丘駅間の建設時には、大阪市交通局が技術提供をしている。
中百舌鳥駅を出ると、泉北高速鉄道線は南海高野線の上下線に挟まれながら暫く併走する。信濃池の辺りで下り坂となり、旧中百舌鳥球場手前辺りで地下トンネルの中百舌鳥トンネルに入って南海高野線と別れる。線路は南側にカーブしながら白鷺公園の真下を潜り、さらに南西にカーブしながら公園の中で再び地上へ出て高架橋の高さまで上り坂となる。公園を過ぎるとすぐ中区に入り、深井駅の手前までほぼ直線に進む。
線路が南東にカーブする地点に深井駅がある。深井駅を過ぎると直線に進み、線路の両脇に府道堺狭山線(通称:泉北1号線)が合流する。阪和自動車道(阪和道)の高架を潜るあたりから陶器川流域の田園風景が広がる。陶器川を渡るあたりで急に上下線間が離れる。ここにはかつて新駅設置の構想があり、その新駅を想定した島式ホームのスペースが設けられたが、乱開発に繋がるとの懸念から結局新駅設置は見送られ[1](一帯は市街化調整区域に指定されており、将来的な利用客の増加は見込めなかった)、現在その場所は田園(たぞの)変電所となっている。田園変電所を過ぎて暫くすると丘陵部に差し掛かり、南区に入る。ここから終点までは泉北ニュータウンを縦断してトリヴェール和泉に至る区間となり、沿線には府営住宅やUR賃貸住宅、分譲マンションといった中高層住宅や、きれいに区画割りされた分譲戸建が多く目立つようになる。概観すると3本の河川によって4つの丘陵部に分かれる地形をしており、丘陵部では掘割ないし地平を、浸食谷では高架を走る。南区に入ると線路は南西にカーブし、両脇を併走する泉北1号線は府道堺狭山線が分岐して本線が府道富田林泉大津線となる。カーブが終わるあたりに泉ヶ丘駅があり、ホーム南端が少しカーブしている。
泉ヶ丘駅を過ぎると終点までほぼ直線となる。石津川の浸食による上神谷を渡り、次の丘陵部に差し掛かると栂・美木多駅がある。栂地区と呼ばれるこの丘陵は東西幅が短く、栂・美木多駅を過ぎるとすぐ高架区間となり、和田川の浸食による和田谷を渡る。なお、和田谷は美木多と呼ばれる地域で、駅名はこの2つの地名を並べたものとなっている。次の丘陵部に差し掛かり暫くすると光明池駅がある。丘陵上にあるニュータウンの4駅のうち他3駅は全て橋上駅だが、この丘陵部にある光明池とその放水路である甲斐田川流域の微小な谷に位置する光明池駅のみ高架駅となっている。光明池運転免許試験場の最寄り駅でもあり、また泉大津駅・和泉府中駅方面、河内長野駅方面のバス路線も充実しているため利用客が多い。光明池駅を出るとすぐ和泉市に入り、南側に分岐する線路がある。これが線路際に設置された光明池車庫へと繋がっており、車庫では全般検査などの車両保守業務も行われている。
光明池車庫の分岐を過ぎたあたりでは再び掘割区間となり、槇尾川の浸食による池田谷を渡るあたりで阪和道の高架がオーバークロスして線路南側に併走する(府道はさらにその両脇を走る)。次の丘陵部に差し掛かると終着駅の和泉中央駅に着く。半地下駅といえるほどの深い掘割で、併走する阪和道は駅前広場下のトンネルを通っている。近辺には桃山学院大学などの教育機関やテクノステージなどの企業団地がある。線路は和泉中央駅から先も暫く延びており、引き上げ線として使われている。将来的にはこれを活用し、そのまま泉南地域へも延伸可能な構造としているが、現状では延伸の見込みは立っていない(「延伸の可能性」の節も参照)。
運行形態
中百舌鳥駅 - 和泉中央駅間の線内折り返し運転のほか、中百舌鳥駅から南海高野線に乗り入れて難波駅まで相互直通運転を行っている。南海高野線直通列車のほとんどは準急だが、平日の朝には大阪市営地下鉄御堂筋線乗り換え駅であり、泉北高速鉄道線と南海高野線の境界駅である中百舌鳥駅を通過する区間急行が運転されている。以下に各種別ごとの運行概況を示す。
かつては平日朝に10両編成の列車が多数運転されていたが、近年の乗客減少により、2012年11月23日のダイヤ変更より区間急行はすべて8両編成となり、10両編成による区間急行はすべて無くなった[2]。その後2013年7月22日の列車編成両数変更により、残る2往復の10両編成による準急が8両編成となり[3]、すべての列車が6または8両編成で運用されるようになった。
線内に追い越し設備を持つ中間駅はないため、途中駅での追い越しが行われる列車は存在しない。よって以下の3種別とも、全区間先着する。
区間急行
南海高野線との直通列車として平日朝にのみ運転されている。1987年4月18日の地下鉄御堂筋線中百舌鳥駅延伸開業に合わせ、同年3月29日のダイヤ改正で平日朝夕ラッシュ時に新設された(改正当日は日曜日だったため、運転開始は翌30日から)。
7 - 8時台に上りのみ4本運行されている。4本とも8両編成[4]で、2本目のみ南海の車両、他は自社車両が使われる。2000年12月23日のダイヤ改正まで平日夕方ラッシュ時(17・18・19時台に1本ずつ)に難波始発の下りも運転されていた。泉北高速鉄道線の深井駅までの各駅と南海高野線の堺東駅、天下茶屋駅、新今宮駅に停車する。
準急
南海高野線との直通列車として終日運転されている。昼間は6両編成の列車が多く、ラッシュ時には8両編成が多くなる。自社車両の比率が高いのも特徴である。泉北高速鉄道線のすべての駅(中百舌鳥駅を含む)と、南海高野線の百舌鳥八幡駅、三国ヶ丘駅、堺東駅、天下茶屋駅、新今宮駅に停車する。
各駅停車
昼間時以外の時間帯に中百舌鳥駅から和泉中央駅まで線内折り返し運転を行っている[5]が、平日の深夜に上り1本のみ和泉中央駅から難波駅まで直通する列車が運転されている。かつては朝ラッシュ時にも難波駅まで直通運転する列車が存在していた。なお、2013年10月26日のダイヤ変更まで難波行きの直通各駅停車は土曜・休日にも運転されていた。
線内折り返し運転の列車は中百舌鳥駅で高野線の各駅停車との接続が考慮されているケースが多い。中百舌鳥駅で北野田方面から来る高野線上り各駅停車に乗り継いでも、堺東駅(最遠は岸里玉出駅)までの各駅には先着するが、天下茶屋駅・新今宮駅・難波駅へは後続の準急が先着するケースがほとんどである(時間帯によっては接続がないこともあるが、南海側の運転時刻見直しにより夜間を中心に中百舌鳥駅乗り換えで難波までの各駅に連絡できるパターンが少しずつ増えつつあり、若干の改善が図られている)。ただ、それを利用して天下茶屋駅・新今宮駅・難波駅へ最も早く行こうとする場合、中百舌鳥駅に区間急行以上の優等列車は停車しないため、同駅のほかに堺東駅でも乗り換えが必要となり、計2度の乗り換えを強いられることになる(朝ラッシュ時に走る、河内長野方面からの準急とは、必ず接続している)。もっとも、時刻表では中百舌鳥行きに乗車した場合、どこまで先着するかが分かるようにはなっている。一方下り列車(和泉中央方面)は堺東駅で急行(または区間急行)待避後に各駅停車が発車するために実質的には接続は良好である。なお堺東駅で泉北線に接続する各駅停車に接続する河内長野・橋本方面の急行(快速急行・区間急行)に関しては天下茶屋駅・新今宮駅・難波駅では「堺東で各停乗換、中百舌鳥で泉北線に接続」と案内される。
乗務員
- 泉北高速鉄道線内では和泉中央行きで光明池駅にて乗務員が交代する場合がある。
- 準急の場合は通常、中百舌鳥駅で南海と泉北高速鉄道の乗務員が交代する。
- 区間急行の場合は前述の通り通常、乗務員交代を行う中百舌鳥駅に停車しないため、南海の乗務員が光明池→難波間を乗務する。
- なお、開業時から1990年頃までは南海電気鉄道に業務を委託していたため、南海高野線の直通列車は南海の乗務員が通しで乗務していたほか、線内折返し列車も南海の乗務員が乗務していた。
- 泉北高速鉄道では2004年の南海電気鉄道のような案内放送の文言変更が行われていないため、いまだ「…でございます」「…願います」口調の案内を聴くことができる。
利用状況
輸送実績
泉北高速鉄道線の近年の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別輸送実績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 輸送密度 人/1日 |
特 記 事 項 | |||
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 合 計 | |||
1975年(昭和50年) | 1723.1 | 337.1 | 759.7 | 2819.9 | 57,926 | |
1976年(昭和51年) | 1754.0 | 369.4 | 764.2 | 2887.6 | 59,836 | |
1977年(昭和52年) | 1828.7 | 413.0 | 877.8 | 3119.6 | 58,383 | |
1978年(昭和53年) | 1919.0 | 471.8 | 930.5 | 3321.3 | 59,840 | |
1979年(昭和54年) | 2021.2 | 517.5 | 1031.7 | 3570.4 | 64,757 | |
1980年(昭和55年) | 2170.8 | 603.9 | 1128.2 | 3903.0 | 71,817 | |
1981年(昭和56年) | 2281.6 | 667.4 | 1196.7 | 4145.8 | ||
1982年(昭和57年) | 2367.4 | 733.5 | 1270.3 | 4371.2 | ||
1983年(昭和58年) | 2449.1 | 812.5 | 1324.2 | 4585.7 | ||
1984年(昭和59年) | 2482.0 | 867.1 | 1343.1 | 4692.2 | ||
1985年(昭和60年) | 2517.7 | 925.8 | 1369.0 | 4812.5 | ||
1986年(昭和61年) | 2554.6 | 989.3 | 1406.7 | 4950.6 | ||
1987年(昭和62年) | 2597.2 | 1046.6 | 1503.6 | 5147.4 | 97,811 | |
1988年(昭和63年) | 2679.9 | 1104.3 | 1555.1 | 5339.3 | 101,992 | |
1989年(平成元年) | 2715.2 | 1152.6 | 1585.6 | 5453.4 | ||
1990年(平成2年) | 2597.2 | 1046.6 | 1503.6 | 5147.4 | ||
1991年(平成3年) | 2908.4 | 1238.7 | 1661.8 | 5808.9 | ||
1992年(平成4年) | 2900.9 | 1214.4 | 1665.7 | 5781.0 | ||
1993年(平成5年) | 2894.3 | 1199.2 | 1711.5 | 5805.0 | ||
1994年(平成6年) | 2876.9 | 1161.0 | 1737.6 | 5775.5 | ||
1995年(平成7年) | 2917.3 | 1268.2 | 1816.8 | 6002.3 | ||
1996年(平成8年) | 2913.4 | 1238.6 | 1865.6 | 6017.6 | ||
1997年(平成9年) | 2851.8 | 1157.0 | 1823.3 | 5832.1 | ||
1998年(平成10年) | 2757.3 | 1121.4 | 1816.1 | 5694.8 | ||
1999年(平成11年) | 2572.7 | 1072.8 | 1860.4 | 5505.9 | ||
2000年(平成12年) | 2508.3 | 1045.0 | 1876.8 | 5430.1 | ||
2001年(平成13年) | 2426.1 | 995.3 | 1877.3 | 5298.7 | ||
2002年(平成14年) | 2382.9 | 958.4 | 1852.4 | 5193.7 | ||
2003年(平成15年) | 2378.6 | 922.4 | 1837.3 | 5138.3 | ||
2004年(平成16年) | 2375.2 | 911.1 | 1809.8 | 5096.1 | ||
2005年(平成17年) | 1796.8 | 5116.4 | 89,475 | |||
2006年(平成18年) | ||||||
2007年(平成19年) |
収入実績
泉北高速鉄道線の近年の収入実績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別収入実績 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 手小荷物 | 合 計 | |||
1975年(昭和50年) | 992,241 | ←←←← | 599,055 | 0 | 1,591,296 | 48,924 | 1,640,220 |
1976年(昭和51年) | ←←←← | ||||||
1977年(昭和52年) | ←←←← | ||||||
1978年(昭和53年) | ←←←← | ||||||
1979年(昭和54年) | ←←←← | ||||||
1980年(昭和55年) | 2,207,164 | ←←←← | 1,460,322 | 0 | 3,667,486 | 170,866 | 3,838,352 |
1981年(昭和56年) | ←←←← | ||||||
1982年(昭和57年) | ←←←← | ||||||
1983年(昭和58年) | ←←←← | ||||||
1984年(昭和59年) | ←←←← | ||||||
1985年(昭和60年) | 2,962,739 | ←←←← | 1,945,134 | 0 | 4,907,873 | 103,274 | 5,011,147 |
1986年(昭和61年) | ←←←← | ||||||
1987年(昭和62年) | |||||||
1988年(昭和63年) | |||||||
1989年(平成元年) | |||||||
1990年(平成2年) | 2,856,050 | 761,382 | 2,492,672 | 0 | 6,110,104 | 160,330 | 6,270,434 |
1991年(平成3年) | |||||||
1992年(平成4年) | |||||||
1993年(平成5年) | |||||||
1994年(平成6年) | |||||||
1995年(平成7年) | 3,668,685 | 1,060,203 | 3,469,235 | 0 | 8,198,123 | 179,740 | 8,377,863 |
1996年(平成8年) | 3,746,105 | 1,045,926 | 3,592,008 | 0 | 8,384,039 | 174,421 | 8,558,460 |
1997年(平成9年) | 3,676,316 | 981,318 | 3,496,553 | 0 | 8,154,187 | 182,765 | 8,336,952 |
1998年(平成10年) | 3,791,450 | 1,012,133 | 3,779,397 | 0 | 8,582,980 | 177,817 | 8,760,797 |
1999年(平成11年) | 3,633,047 | 1,003,074 | 3,934,054 | 0 | 8,570,175 | 180,436 | 8,750,611 |
2000年(平成12年) | 3,552,341 | 982,966 | 3,974,664 | 0 | 8,509,971 | 192,799 | 8,702,770 |
2001年(平成13年) | 3,449,164 | 942,148 | 3,981,279 | 0 | 8,372,591 | 191,914 | 8,564,505 |
2002年(平成14年) | 3,383,062 | 912,534 | 3,930,735 | 0 | 8,226,331 | 199,175 | 8,425,506 |
2003年(平成15年) | 3,385,260 | 880,102 | 3,903,629 | 0 | 8,168,991 | 206,351 | 8,375,342 |
2004年(平成16年) | 3,382,589 | 868,207 | 3,842,532 | 0 | 8,093,328 | 207,143 | 8,300,471 |
2005年(平成17年) | |||||||
2006年(平成18年) | |||||||
2007年(平成19年) |
使用車両
開業からしばらくの間は車両保守業務を南海電気鉄道に委託していたこともあり、南海側が同時期に導入した車両を基本とした車両を導入していた。3000系の台車に100系と同形式のものを採用したり、南海の新車導入が界磁チョッパ制御車の8200系に移行してからも3000系の増備を継続していることから、車両管理上のコストダウンを常に念頭に置いていたことが伺える。また、南海に全面委託していた時代は、南海高野線のみの列車(三日市町以北のみ)にも使用されていた。しかし、5000系以後は南海車の影響から脱したオリジナル設計車となり、5000系における電気指令式ブレーキの採用、7000系の制御装置におけるIGBT素子の採用、7020系の車内における停車駅案内表示用液晶ディスプレイ採用などから、南海よりも積極的に新しい技術を採用している。車両製造メーカーは、東急車輛製造(現・総合車両製作所 横浜市)と川崎重工(神戸市)である。
南海の技術基準に合わせて、開業以来、モーターは三菱電機、制御装置は日立製作所製で統一されている。
1999年からは、大阪府立大型児童館ビッグバン開館を記念して館長の漫画家松本零士がデザインした同館のイメージキャラクター「ベアル」と「メロウ」が車体に描かれた5000系の特別塗装車を運行しており、「クマ電」とも呼ばれている。2009年6月には同館開館10周年を記念し「ハッピーベアル」という愛称が公募で付けられた[6]。
歴史
戦後日本の高度経済成長期に多くの若者が集団就職などで各地から大都市圏に移り住んできた。大阪府も例外ではなく、北大阪の千里ニュータウンなど郊外での都市開発が活発に行なわれていた。そんな中、国鉄(現在のJR西日本)阪和線沿線と南海高野線沿線の間の地域に新しい街を創るという構想が持ち上がり、泉北ニュータウンが建設された。
泉北高速鉄道線は、泉北ニュータウンと大阪都心を結ぶことを目的として建設され、1971年(昭和46年)4月1日に中百舌鳥 - 泉ヶ丘間が開業した。当初は1977年(昭和52年)8月20日に開業した光明池駅までの計画だった。しかし、1975年(昭和50年)11月30日に和泉市で池田忠雄市政が発足し、その市政の下で『和泉ニュータウン』構想が生まれ、泉北高速鉄道線を光明池駅から延伸させてはどうかという話が持ち上がった。この時の『和泉ニュータウン』構想が後に現在の『トリヴェール和泉』となり、それに伴う和泉市中南部の人口増加が1995年(平成7年)4月1日の和泉中央駅までの開業に繋がった。
年表
- 1971年(昭和46年)4月1日:中百舌鳥駅 - 泉ヶ丘駅間が開業。
- 1973年(昭和48年)
- 1977年(昭和52年)8月20日:栂・美木多駅 - 光明池駅間が開業。光明池車庫を使用開始。
- 1995年(平成7年)4月1日:光明池駅 - 和泉中央駅間が開業し全通。
- 1999年(平成11年)4月1日:全線でスルッとKANSAIを導入。乗車カード「ブルーライナーカード」を発売開始。
- 2002年(平成14年):和泉中央駅が第3回近畿の駅百選に認定される。
- 2006年(平成18年)7月1日:全線で「PiTaPa」を導入。ICOCAとも相互利用開始。
- 2013年(平成25年)3月23日:IC乗車カード全国相互利用開始で、Kitaca、PASMO、Suica、manaca、TOICA、nimoca、はやかけん、SUGOCAが利用可能になる。
- 2014年(平成26年)7月1日:運営会社が社名を大阪府都市開発株式会社から泉北高速鉄道株式会社へ変更。
延伸の可能性
泉南地域在住の住民から路線延伸の要望もあるが、貝塚・熊取方面への延伸については、2004年(平成16年)の近畿地方交通審議会において開業40年での黒字化の見込みは低いとされている[7]。
そうした中、2013年(平成25年)11月24日に行われた岸和田市長選挙で、同市出身の新人で、泉北高速鉄道の岸和田市への延伸を選挙公約に掲げていた[8]信貴芳則が当選した。
駅一覧
全線大阪府に所在。
- 凡例
- ●:停車、↑:通過・片方向のみ運転
- 難波駅直通列車の難波駅 - 中百舌鳥駅間の停車駅は南海高野線を参照。
駅番号 | 駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 各駅停車 | 準急 | 区間急行 | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
直通運転区間 | 難波 | ||||||||
SB01 | 中百舌鳥駅 | - | 0.0 | ● | ● | ↑ | 南海電気鉄道:高野線(NK59)(直通あり) 大阪市営地下鉄:■ 御堂筋線(M30) |
堺市 | 北区 |
SB02 | 深井駅 | 3.7 | 3.7 | ● | ● | ● | 中区 | ||
SB03 | 泉ヶ丘駅 | 4.1 | 7.8 | ● | ● | ● | 南区 | ||
SB04 | 栂・美木多駅 | 2.4 | 10.2 | ● | ● | ● | |||
SB05 | 光明池駅 | 1.9 | 12.1 | ● | ● | ● | |||
SB06 | 和泉中央駅 | 2.2 | 14.3 | ● | ● | ● | 和泉市 |
運賃
上側は大人普通旅客運賃、下側は小児普通旅客運賃(単位:円)。2014年4月1日改定[9][10]。
中百舌鳥 | 190 | 230 | 260 | 280 | 320 |
---|---|---|---|---|---|
100 | 深井 | 210 | 230 | 250 | 280 |
120 | 110 | 泉ヶ丘 | 190 | 210 | 250 |
130 | 120 | 100 | 栂・美木多 | 170 | 230 |
140 | 130 | 110 | 90 | 光明池 | 210 |
160 | 140 | 130 | 120 | 110 | 和泉中央 |
- 中百舌鳥駅経由で南海電鉄に乗り継ぐ場合の運賃は合算額から大人20円、小児10円引きとなる。例:難波駅 - 和泉中央駅間の場合、330円(南海難波駅 - 中百舌鳥駅間の運賃)+320円(泉北高速中百舌鳥駅 - 和泉中央駅間の運賃)-20円=630円(小児は同様に320円)。
- 光明池駅 - 和泉中央駅間は大人20円、小児10円の加算運賃が適用される。上表は加算運賃を含む。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Sister- ↑ 全国鉄道事情大研究大阪南部・和歌山篇p.241など。
- ↑ ダイヤ変更を実施しました。 - 2012年11月23日 泉北高速鉄道公式サイト「お知らせ」の項目より。
- ↑ 列車の編成両数の変更について - 2012年7月1日 泉北高速鉄道公式サイト「お知らせ」の項目より。時刻の変更なし。
- ↑ 2012年11月23日のダイヤ変更まで3本目と4本目は10両編成で運行されていた。
- ↑ 光明池車庫の入出区の関係で、平日朝に光明池始発・終着の列車がわずかながら運転されている。
- ↑ ペイント列車の愛称決定 - 大阪府都市開発 2009年6月
- ↑ テンプレート:PDFlink - 国土交通省近畿地方運輸局
- ↑ 読売新聞2013年11月23日の33面「堺・泉州」コーナー
- ↑ テンプレート:PDFlink - 大阪府都市開発(泉北高速鉄道)、2014年3月4日
- ↑ 平成26年4月1日からの運賃について - 泉北高速鉄道、2014年3月4日