梅小路蒸気機関車館

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テンプレート:博物館 テンプレート:車両基地 梅小路蒸気機関車館(うめこうじじょうききかんしゃかん、英語Umekoji Steam Locomotive Museum)は、京都府京都市下京区観喜寺町にある西日本旅客鉄道(JR西日本)が所有し、公益財団法人交通文化振興財団が運営する蒸気機関車保存展示施設博物館)である。

また、本項では、JR西日本の車両基地としての梅小路運転区についても記述する。

概要

1968年(昭和43年)3月26日の国鉄常務会で、1世紀にわたり日本の鉄道輸送を支え続けた蒸気機関車が1960年代後半以降は急速に姿を消していくことに対し、貴重な産業文化財と位置づけをした上で動態保存を目的とした日本初の施設を設置することが正式決定された。

上述決定を受けて1972年(昭和47年)10月10日日本国有鉄道(国鉄)により日本の鉄道開業100周年を記念して京都市下京区にある梅小路機関区の扇形庫を活用して開設された。

  • 当初は首都圏に近いということで栃木県小山駅構内にあった小山機関区が保存機関区の最有力候補であったが、「日本の中央部に立地」「周辺に集客力の大きい名所旧跡がある」「大型蒸機の保守実績がある」「蒸機運転可能な路線が近くにある[1]」という観点から、1970年(昭和45年)に梅小路機関区(当時)が保存機関区に正式に選定された。

保存対象車両は原則としてその当時現存していた最若番車(できれば1号機)を選定するものとして当初12形式[2]が選定されたが、その後、小山機関区より車両収容力が大きいため再検討が重ねられた結果16形式17両に拡大された。

  • 保存選定の過程でC62 2はスワローエンジェル人気で選定されたほか、当初案では選定されていたC59 1(小倉工場九州鉄道記念館保存)・D52 1(広島工場保存)のようにSL動態保存の基本構想のため当時現役の車両に変更されたケースもある。

1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR西日本に承継された。また本施設自体が現役の車両基地(梅小路運転区)であり、蒸気機関車のほか嵯峨野観光鉄道で使用するDE10形ディーゼル機関車が所属し、検査・修繕も行なわれている。

なお、隣接して京都市の梅小路公園(総面積117,133m²)があり、京都市電の車両が8両保存されている。このうち狭軌1形電車27号(旧京都電気鉄道車両の復元車)が動態展示され、他に7両が静態保存されている。

施設

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施設は、旧梅小路機関区の扇形庫及び転車台を活用した「蒸気機関車展示館」と、旧二条駅舎を移築・復元した「資料展示館」からなる。

扇形庫1914年(大正3年)に建設された鉄筋コンクリート造で、2004年(平成16年)12月10日に5t電動天井クレーン(1915年(大正4年)完成)、引き込み線とともに国の重要文化財指定ならびに土木学会選奨土木遺産に選奨された。

2006年(平成18年)にはJR西日本により、旧二条駅舎(展示館)と扇形車庫・保存されている蒸気機関車一式・点検修理の工具一式などが、準鉄道記念物に指定された。

旧二条駅舎は、1904年(明治37年)に京都鉄道が本社社屋を兼ねて建設した日本現存最古の木造2階建和風駅舎で、景観に配慮しながら平安神宮を模して造られた。

  • 京都鉄道は1907年(明治40年)に国有化され、以後は国鉄→JR西日本の駅舎として利用されたが、1996年(平成8年)の山陰本線嵯峨野線)二条駅 - 花園駅間高架化にともなって駅舎としての役目を終え、1997年(平成9年)に本館敷地内に移築・復元して玄関口として使用、内部は昔の切符売り場などを残し、資料展示館として活用している。

1996年4月に京都市の有形文化財に指定された。

扇形庫には、蒸気機関車18形式20両(開館当初は16形式17両)が収容・展示される。

  • 開館当初は動態保存が原則であり、梅小路への搬入前から静態保存されていたC53 45・C51 239の2両を除き15両は1979年まで車籍を持った動態保存(書類上)であった[3]
  • その後保存対象車両の見直しが何度か行われ2008年現在、動態保存機は7形式7両となった。うち5形式5両は現在も車籍を有しC57 1・C56 160の2両は、山口線の「SLやまぐち号」や北陸本線の「SL北びわこ号」など本線上での列車牽引に充当される。この2両は一度も廃車(車籍抹消)になっていない日本で唯一のSL動態保存車両である。
  • 上述2両以外の動態保存機は車籍こそあるものの、全般検査を受けていないため本線上での走行はできないが、館内展示用の動態保存機の牽引による「SLスチーム号」を館内の展示運転線で運転される。
  • 展示運転線は、かつては扇形庫から北、現在は大型車駐車場になっている敷地(かつては館内の休憩施設と公園があった)の北端にかけて延びていた(扇形庫の12番線の線路が車庫の北側に向かって延びる形となっていた)が、旧二条駅駅舎の移築に併せ、現在の梅小路公園南端を嵯峨野線を潜り併走する形に変更された。

現在も車両基地としての機能を有しており、営業線とも接続されている。さらに鷹取工場閉鎖後は蒸気機関車の検査・整備も受け持っている。

  • 開館当初は検査担当工場として長野工場(現・JR東日本長野総合車両センター)が指定されていたが、営業用蒸気機関車が全廃されたことによって保存機の保守継続が問題となったため1979年(昭和54年)になって動態保存機の両数を削減するとともに検査担当工場を鷹取工場へと変更した。

施設の中央に位置している転車台(ターンテーブル)は太平洋戦争期間中に原子爆弾の投下目標になっていた。

  • 大都市の割に空襲の被害をほとんど受けなかった京都市だが、広島市と並び原子爆弾投下の最有力候補で、原爆の性能を確認しやすいように投下まで町を無傷にしていた。最終的には古都の破壊が永遠に日本人の反感を買ってしまい、戦後政策に重大な影響を与えることが懸念されたため投下目標を長崎に変更したことがアメリカの文書から明らかになっている。詳しくは日本への原子爆弾投下を参照のこと。

配置車両の車体に記される略号

」…梅小路を意味する「梅」に由来する。

配置車両

ほとんどの車両が、1972年に前所属機関区から現役車両として転属の手続きがとられている[4]が、一部は当初から無車籍・静態保存だった。

1976年(昭和51年)に指定されていたC62 1、2009年(平成21年)に譲り受けた1080を除く全車が、2006年に車歴簿・保守用工具とともに準鉄道記念物に指定されている。2014年に交通科学博物館から移設された7105(義経号)も、それ以前の2004年に鉄道記念物に指定されている。

現在の所属車両

2014年4月1日現在の配置車両は以下の7両である[5]

蒸気機関車

ディーゼル機関車

保存車両

蒸気機関車

B20 10と8630の2両が、車籍は有しないが動態保存されている。7105も動態復元予定。

「◎」は、入館当初から静態保存であったもの。

その他の車両

  • 「SLスチーム号」用客車(番号なし2両)
    • 1990年に大阪府鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会」で運行されたSL列車に使用するために製造された窓ガラスのないトロッコ風客車。同博覧会終了後に館内で運行するSL列車「SLスチーム号」に転用された。
  • 50系客車(オハフ50 68)
    • 休憩室として利用される。塗装や座席は原形のままであるが、車内に家庭用エアコンが設置され、裏側に配管と室外機が設置されている。またトイレは使用不可。

過去の所属車両

交通

拡張計画

2009年2月23日・24日の複数の報道によれば、交通科学博物館が老朽化し手狭となっているため本蒸気機関車館を拡張して新しい博物館を建設。車両などの展示品の一部を交通科学博物館から新博物館へ移し、交通科学博物館については規模を縮小すると報じられた[7]

JR西日本は2012年12月19日に、2016年春をめどに新しい鉄道博物館を建設する計画を正式に発表した[8]。それによると、地上3階建てで延べ床面積18,800平方mの建物を新築し、交通科学博物館から移転する車両も含めて約50両の車両を展示するとしている。完成後は蒸気機関車館と一体化されることにより、全体で展示面積は約31,000m²になる。完成すると、JR東日本の鉄道博物館(さいたま市)やJR東海のリニア・鉄道館(名古屋市)を面積・展示車両数で上回ることになり、日本最大の鉄道博物館となる。なお、交通科学博物館はこれに伴って2014年4月6日に営業を終了した[9]。そして2013年12月19日に館名が京都鉄道博物館に決定したとのJR西日本からの公式発表が行われた[10]

歴史

  • 1876年明治9年)9月5日:京都機関庫として仮開設。
  • 1880年(明治13年)7月14日:馬場駅(現・膳所駅)構内に馬場機関庫が開設。
  • 1897年(明治30年)2月15日:京都鉄道が二条機関庫を開設。
  • 1914年大正3年)10月10日:京都機関庫と二条機関庫が統合され、梅小路機関庫が発足。
  • 1921年(大正10年)7月29日:馬場機関庫が廃止され、梅小路機関庫馬場分庫に改称。
  • 1936年昭和11年)9月1日:梅小路機関庫から梅小路機関区に改称。
  • 1972年(昭和47年)10月10日:梅小路蒸気機関車館が開館。
  • 1977年(昭和52年)
    • 開館5周年記念入場券が発行される(大阪鉄道管理局発行)。1978年の「第1回記念きっぷ大賞」で国鉄部門大賞を受賞した。
    • 6月26日:蒸気機関車館の入館者が100万人に達する。
  • 1982年(昭和57年)2月11日:蒸気機関車館の入館者が200万人に達する。
  • 1987年(昭和62年)3月1日:梅小路機関区から梅小路運転区に改称。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道に継承。
  • 1990年平成2年)3月14日:所属していた乗務員が京都電車区米原列車区に異動し、乗務員の配置がなくなる。
  • 1997年(平成9年)
    • 7月4日:旧二条駅舎が移転
    • 7月5日:蒸気機関車館がリニューアルオープン。
  • 2016年(平成28年)春:京都鉄道博物館として、一体で整備される予定。

脚注

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参考文献

  • 『梅小路90年史』西日本旅客鉄道、2004年。ISBN 4-7770-5071-8。
  • 関崇博「梅小路蒸気機関車館」『国鉄の車両12 東海道線III』保育社、1984年。ISBN 4-586-53012-X。
  • 鉄道ファン交友社
    • 1968年5月号 No.83 「実現する蒸気機関車の動態保存」
    • 1972年12月号 No.140 「梅小路蒸気機関車館」が開館
    • 1994年12月号 No.404 特集・梅小路蒸機の現役時代
    • 1998年1月号 - 2月号 No.441 - 442 高山禮蔵「梅小路も・の・が・た・り」1・2

外部リンク

関連項目

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  1. 当初は定期運転コースとして京都 - 姫路間往復、団体向けコースとして奈良線草津線・山陰本線等での運行を予定しており、前者については「SL白鷺号」として1972年から1974年までの間にC62形やC61形を使用して運行されている。
  2. 当初案での保存形式は8620形・9600形・C11形・C51形・C53形・C56形・C57形・C58形・C59形・C62形・D51形・D52形
  3. 運転上の制約などからC59 164・D52 468は梅小路転属後に早い時期から事実上の静態保存となった。
  4. 1971年11月に国鉄は記録映画撮影のため全国から蒸気機関車を梅小路区に集めたが、C55 1は撮影終了後も所属機関区に戻る事無くそのまま梅小路区に残存した。
  5. 「JR各社の車両配置表」『鉄道ファン』2014年7月号、交友社
  6. 蒸気機関車1080の受け入れについてテンプレート:リンク切れ - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年7月23日
  7. JR西が京都に新鉄道博物館 2014年度にも - 共同通信 2009年2月23日
  8. 2016年(平成28年)春、京都・梅小路エリアに新たな鉄道博物館が開業します - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2012年12月19日
  9. 52年分の感謝と共に、交通科学博物館の営業を終了します - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2013年7月24日
  10. JR西 展示施設名は「京都鉄道博物館」 2013年12月18日 神戸新聞