日産コンツェルン
日産コンツェルン(にっさんコンツェルン)は、日本の財閥で十五大財閥の1つである。鮎川財閥とも呼ばれる。日立鉱山(久原鉱業、 日本鉱業、 ジャパンエナジー、 新日鉱ホールディングスを経て現在のJXホールディングス)を源流として、機械・銅線部門を独立させての日立製作所などを加え、持ち株会社・日本産業のもとにコンツェルン化した戦前の財閥。戦後は、その自動車部門であった日産自動車が日産の名を残す後継企業としては最も大きいため、現在は同社のグループのみを指して日産グループと呼ぶことが多い。
目次
概要
第一次世界大戦後の不況により経営危機になった久原財閥を引き継いだ鮎川義介によって誕生した。第二次世界大戦前の日本に存在した日本十五大財閥のひとつである。なお、日産の由来は日本産業からきている。
足跡
- 1920年経営危機の久原財閥を引き継ぎ、久原鉱業を中心とした事業再編を軍部の懇願により鮎川義介が断行。
- 1928年日本産業株式会社に改組。この会社は株式公開企業であり、公開にあたって得た資金を元に事業拡大を進める。
- 子会社も積極的な株式公開戦略を行い、その資金を元にさらなる事業拡大という戦略を進め巨大化。中核企業である日本鉱業(現在のJXホールディングス)・日立製作所のほか、鮎川が最初に設立していた国産工業(後の日立金属)やそこから派生した日産自動車などの企業群が持株会社である日本産業の下にぶら下がる構造となった。
- 1938年政府の要請により満州に移転し、満州重工業開発株式会社に改組するも、関東軍との対立のため、国内部門と満州部門にグループを分割再編。国内産業は現在のJXホールディングス(旧日本鉱業)、日産グループ、日立グループなどの企業が並存。
- 第二次世界大戦後の財閥解体により満州重工業は解散。
現在
第二次世界大戦後、GHQの占領が終了して日本の独立主権が回復し、日本経済立て直しの気運が高まると共に、倉田主税(当時の日立製作所会長)によって旧日産コンツェルン系企業は再結集し、日産・日立グループと呼ばれる企業グループを形成している。
社長会「春光会」(主要約20社で構成)「春光懇話会」(グループ会社も含めた春光会の拡大版)に因み春光(しゅんこう)グループとも呼ばれるが、こちらの名称は余り知られていない。なお、「春光」は、元日本鉱業社長(日本産業取締役)で、伊藤博文の養子である伊藤文吉(男爵)の雅号である。昭和46年から平成14年までは「日産懇話会」と称していた。
なお、単に「日産グループ」という場合は日産自動車を中心とする企業集団を、「日立グループ」という場合は日立製作所を中心とする企業集団を指すので、日産・日立(春光)グループと混同しないように注意されたい。JXホールディングスやニチレイ、日本水産などのように、日産とも日立とも一切関係ない社名のグループも多く含まれる点(特にJXの前身のひとつである日本鉱業はグループ全体の源流である)も注意が必要である。
日産・日立(春光)グループ
日立製作所
- 日立製作所
- バブコック日立 - ボイラーの世界大手・バブコック&ウィルコックス社の日本法人が母体。
- 日精 - 主に設立母体でもある現在の日立・JXHD・日立造船(後述)が出資。
- 日立メディコ
- 日立物流 - 日立運輸が母体、のち東京モノレール(旧社)と合併し日立運輸・東京モノレールと併記社名に変更。社名変更時に東京モノレール(新社)が改めて分社化され本業回帰に。
- 日立ビルシステム
- 日立システムズ
- 日立ドキュメントソリューションズ
- 東京証券代行 - 証券系ビジネスに新規参入を目的に日立主導により設立、現在は三井住友トラストグループ(旧中央三井トラストグループ)の一角。
- 日立建設設計
- 日立アーバンインベストメント
- 日立保険サービス
- 日立アプライアンス
- 日立ライフ
- 日立工機
- 日立建機
- 日立産機システム
- 日立トラベルビューロー
- 新明和工業
- 日立オートパーツ&サービス
- 日立ソリューションズ
- 日立ソリューションズ・ビジネス
- 日立アーバンサポート
- 日立コンシューマ・マーケティング
- 日立マクセル
- 日立国際電気 - 日立電子・国際電気・八木アンテナ(旧社)の三社合併により誕生。新社の八木アンテナは分社化された子会社。
- 日立セキュリティサービス
- 日立国際ビジネス
- 日立パワーソリューションズ
- 日京クリエイト - 日立グループにより「日立京商」の社名で設立の民間給食サービス会社。現在はワタキューグループの一員で同業大手の日清医療食品が9割保有(残る1割が日立本体の保有分)。
- 日立産業制御ソリューションズ
- 日立SC
- 日立マネジメントパートナー
- 日立コンシューマエレクトロニクス
- 日立オートモティブシステムズ
- ニッセイコム
- 習和産業
- 日立プラントサービス
- 日立フーズ&ロジスティクスシステムズ
- 共和真空技術
- トーワエレックス
- 菅原※ - 旧菅原電気。旧スリオンテックの出身母体。
- 昱※
- ヤシマキザイ※ - 鉄道・自動車の電子部品商社。旧・八洲器材。
- ルネサスイーストン※ - 日立系の部品商社として参加。実質的な垂直合併によりルネサスの関連会社に。
- 瑞穂※
- 国精工業※
- 高文※
- 日立コミュニケーションネットワークス
- 神田通信機※
※の付いた参加企業はすべて窓口商社・親密関係先として参加。
日産化学工業
NKSJホールディングス
- NKSJホールディングス - 2010年4月1日に、損害保険ジャパンと日本興亜損害保険の経営統合により発足。
損害保険ジャパン
- 損害保険ジャパン(旧日産火災+旧安田火災:その後旧大成火災を吸収)- 2014年9月1日に日本興亜損害保険と合併し、損害保険ジャパン日本興亜に商号変更予定。
- 損保ジャパン・ビルマネジメント
- 損保ジャパン・ディー・アイ・ワイ生命保険 - 設立当初から略称でもあるDIY生命をコーポレートブランドとする。
- NKSJひまわり生命保険 - 2011年10月に損保ジャパンひまわり生命保険が日本興亜生命保険を合併したことにより商号変更
- 損保ジャパンDC証券
- 損保ジャパン日本興亜リスクマネジメント - 2010年11月に損保ジャパン・リスクマネジメントがエヌ・ケイ・リスクコンサルティングの事業の一部を譲り受けてNKSJリスクマネジメントに商号変更し、2013年4月に再度商号変更。
- 損保ジャパン日本興亜アセットマネジメント - 2010年10月に損保ジャパン・アセットマネジメントがゼスト・アセットマネジメント(旧日本興亜系)を合併したことにより商号変更
- 損保ジャパン・クレジット
- 損保ジャパン日本興亜ヘルスケアサービス - 2013年4月に損保ジャパン・ヘルスケアサービスから商号変更。
日本興亜損害保険
- 日本興亜損害保険(旧日本火災海上+旧興亜火災海上:その後旧太陽火災海上を合併)- 2014年9月1日に損害保険ジャパンと合併し、損害保険ジャパン日本興亜に商号変更予定。
- NKチューリッヒ・リスクサービス - 日本興亜損保傘下のエヌ・ケイ・リスクコンサルティング(現在の損保ジャパン日本興亜リスクマネジメントへの譲渡事業を除く)にチューリッヒ・インシュアランス・カンパニーが出資する形で設立
- 日本興亜クレジットサービス - 消費者ローン事業
- 日本興亜マリンサービス - 保険事故調査事業(海上・運送保険)
- 日本興亜オフィスサービス - 不動産管理・文書配送事業
- 日本興亜情報サービス - 電子計算機操作事業
- 日本興亜エージェンシーサービス - 保険代理店向け研修・教育事業
日産自動車
- 日産自動車
- 東京日産自動車販売
- 日産フィナンシャルサービス
- 日産ネットワークホールディングス - 日産直系の直販会社を統括するための新設子会社。日産東京販売HD(現東京日産(前者)の上場持株会社)のほかプリンス大阪・プリンス東京等が入る
- カルソニックカンセイ
- 日産クリエイティブサービス
- 鬼怒川ゴム工業
- ビルネット - 共立メンテナンスの子会社。
- 日産プリンス東京販売
- 日産カーレンタルソリューション
- 日産フォークリフト
JXグループ(旧・新日鉱グループ)
- JXホールディングス - 2010年4月1日に新日鉱ホールディングスと新日本石油の経営統合により発足。新日本石油の前身の一つであった旧・三菱石油の流れから、三菱グループ(三菱金曜会・三菱広報委員会)にも属する。
- 丸運
- タツタ電線 - りそな銀行(旧大和銀行)を主力行としている立場上、関連組織の大輪会にも参加。
- 東邦チタニウム
- JXエンジニアリング - 同系列(旧ENEOS系)のNIPPOから企業分割方式によりエンジニアリング事業の一部を継承、2012年4月1日にJXエンジニアリングとして再出発。
- NTTデータCCS - 旧セントラル・コンピュータ・サービス(CCS)に同業大手のNTTデータが資本介入し合弁化。
- JX日鉱日石不動産 - 2011年4月に日鉱不動産が新日石不動産(旧・新日本石油傘下、旧日石不動産が母体)に合併され商号変更
- JX日鉱日石キャリアサポート - 2013年4月にJBSから商号変更
- NIPPO
- JX日鉱日石エネルギー - 2010年7月に、新日鉱ホールディングス傘下のジャパンエナジー及び新日本石油・新日本石油精製の3社が合併により発足した。
- JX日鉱日石金属 - 2010年7月に、新日鉱ホールディングスとその傘下の日鉱金属の合併により発足
- JX金属商事 - 2011年4月に日鉱商事から商号変更
- 日本マリン
- JX日鉱日石探開 - 2011年4月に日鉱探開から商号変更
- JX日鉱日石美術工芸 - 2010年7月に日鉱美術工芸から商号変更
日本水産
日油
ニチレイ
日立造船
日立金属
日立化成
UDトラックス
日立建機
- 日立建機
- TCM - 日産自動車のフォークリフト部門子会社・日産フォークリフトとの持株会社設立、その新設会社・ユニキャリアにICNJ(産業革新機構)が資本介入することが2011年11月29日付で決定。
- 日立建機トレーディング
- 日立建機日本
日立キャピタル
- 日立キャピタル
- 日立トリプルウィン
- 日立キャピタルオートリース - 同業大手の一角・住友三井オートサービスと戦略提携。
- 日立キャピタル損害保険 - 旧ユナム・ジャパン損害保険(米系損保会社)が日立キャピタルにより買収。のち前述の損保ジャパンと資本業務提携。
- 日立キャピタルサービス
日立ハイテクノロジーズ
日産車体
- 日産車体
- プロスタッフ - かつての支援元であったベンチャーキャピタルのジャフコ及び三菱UFJキャピタルも大株主。
その他
かつて日産コンツェルンだった企業
- 日本ビクター
- 旧社名「ビクター蓄音機商会」→「日本ビクター蓄音機商会」
- 戦後、会社自体の経営不振や財閥解体などで東芝傘下となり、その後、松下グループ(現パナソニックグループ)傘下へ。以後、松下電器産業(現パナソニック)の連結対象子会社となる。しかし、2006年、松下はビクターの売却を発表、紆余曲折の末、同業のケンウッドと経営統合・合併した上で、現在はJVCケンウッドとなった。
- 物産不動産
- 旧社名「合同肥料」→「合同土地」→「日産」→「合同ビルディング」→「日産ビルディング」
- 東京・芝田村町にあった「物産館」(旧称日産館)を保有。財閥解体政策では持株会社に指定されたが解散を免れる。1956年に三井物産傘下に。現在物産館は取り壊され、跡地には「日比谷セントラルビル」が建つ。
- 日本コロムビア・デノン
- 旧社名「日本蓄音機商会(ニッチク)」→「日本コロムビア」
- 戦後、大口取引先の日立製作所が筆頭株主となり、メインバンクの旧勧銀の支援を受けるなどして急成長したが、バブル崩壊で主力のAV機器事業が、また主力だった演歌(美空ひばりなど、主な演歌歌手が多数所属していた)も平成になってからは不振となり、音楽・映像コンテンツ関連事業などが巨額の赤字を計上。
- 2001年にアメリカの企業再建投資会社リップルウッドの傘下に入り、AV機器事業をデノンとして分社。音楽・映像コンテンツ関連事業を主軸に転換した。
- なおデノンは、2001年に持株会社「D&Mホールディングス」を設立し、オランダの電器メーカー・フィリップスの日本法人の一つであった日本マランツと経営統合している。
- 日産生命保険
- 1909年に太平生命保険株式会社として設立。
- 1935年に日産生命保険株式会社に改称
- 1948年に金融機関再生整備法に基づき設立された日産保険相互会社に営業譲渡。
- 1997年に保険業法上の業務停止命令を受け事実上倒産。同年、生命保険協会の全額出資であおば生命株式会社が設立され日産生命の全契約を営業譲渡。
- 1999年にフランスの投資グループ、アルテミスがあおば生命保険を買収。
- 2004年にプルデンシャル生命保険があおば生命を買収。
- 2005年にプルデンシャル生命保険とあおば生命保険が合併、存続会社はプルデンシャル生命保険となる。
- 日東電工
- 長年の間、日立製作所傘下(旧中央商事(現日立アーバンインベストメント)の関連会社)にあったが近年、完全独立を果たす。
- その後、新CI・VIを掲げる。また、2005年より大阪国際女子マラソンの冠スポンサーとなる。
- 日立精機(現森精機ハイテック、但し本体は自己破産により会社清算)
- 戦前に旧日立傘下にあった工作機械メーカー・日立工作機が旧篠原機械ととも被合併して“日立”の名を冠した日立精機と社名変更する。
- 2002年に会社更生法適用申請、翌々年の2004年をもって自己破産申請→会社清算。
- (旧)ツーカーホン関西・ツーカーセルラー東海・ツーカーセルラー東京・デジタルツーカーグループ
- 日産自動車が携帯電話業進出の際に設立されたのがツーカーグループである。当時は準備期間や加入者数の見込みなどから、多数のユーザーが見込まれる関東・中部に(トヨタ系列の日本移動通信があったため、この地方に展開できていなかったDDIと組み)ツーカーセルラーが設立された。
- 一方、既にDDIが関西セルラー電話として進出していた関西地方では、日産自動車単独資本によるツーカーホン関西が設立された。
- その他の地方では、多くのユーザーが見込めず、郵政省が免許をNTT以外は2社までとし、その内の1社は既にDDIグループのセルラー電話会社が存在したために、当時全国展開を目指すデジタルホングループと共同でデジタルツーカー会社を各地方に設立した。この時にツーカーグループとデジタルホングループは、ともにエリクソン製の交換システムを導入したため、スカイメールやスカイメッセージといった初期のSMS戦略において優位に立つことができた。その後、日産自動車の経営再建でツーカーグループ各社の株式は、デジタルツーカーをデジタルホングループの親会社日本テレコム(現ソフトバンクテレコム)に、ツーカーホン関西・ツーカーセルラー各社を、DDI(現KDDI)に売却された(ちなみに、当初ツーカーグループ各社の株式は、日本テレコムに一括して売却される予定であった)。これにより、デジタルホングループは、全国でJフォンの同一名称のサービスを開始した。KDDI直営のツーカー電話利用者が、関東・中部・関西地域以外ではソフトバンクモバイルのネットワークにサービス終了までローミングしていたのは、元々デジタルツーカーの地域であるためである。
- NSファーファ・ジャパン