手榴弾
手榴弾(しゅりゅうだん、てりゅうだん[1])は、武器の一つで、主に手で投げて用いる小型の爆弾。手投げ弾(てなげだん)、擲弾(投擲弾)あるいは英語風にハンドグレネードとも呼ばれる。人員など非装甲目標に有効で発射装置を必要としないため歩兵の基本的装備となっている。
手榴弾をより遠くに飛ばす装置として擲弾筒、いわゆるグレネードランチャーが存在する。
目次
概要
手榴弾は、軍隊における最も基本的な武器のひとつである。ほとんどの兵士達は基礎訓練過程で小銃射撃と共に手榴弾の投げ方を習う。現代戦においても、歩兵として戦う兵士にとって手榴弾は不可欠の装備であり続けている。
ヒトは進化の過程で、石程度の物を正確に遠くまで投擲することにかけてはどんな動物よりも正確にこなせる能力を獲得した[2]。この能力は戦争にも発揮され、熟練した投擲手の投石は弓矢や初期の銃に匹敵する威力を発揮した。近代から現代にかけての投擲手は小型の爆弾を投げるようになった。このような過程から洗練され生じた兵器が手榴弾である。
手榴弾は球状や筒状の形をしており、内部に炸薬および信管、撃発装置を内蔵する。手榴弾にはいくつかの種類があり、炸裂時に周囲に生成破片を飛散させるものは破片手榴弾(フラグメンテーション)あるいは防御手榴弾と呼ばれる。爆風効果などにより狭い範囲へのみ殺傷効果をもたらすものを攻撃手榴弾(コンカッション)として区別する[3]。外側にアタッチメント式の弾殻を追加することで、攻撃手榴弾と防御手榴弾とを組み替えられる製品も存在する。煙や閃光などを出す,殺傷を目的としない「手榴弾」もある(後述)。
弾体部分は信管と爆薬を内部に収容しており、信管の撃発装置にピンやキャップなどの安全装置が取り付けられている。安全装置を解除し、レバーを外す、または紐を引いたり撃針を叩く事によって信管に点火すると、所定の延期時間のあと爆発する。延期時間は3-5秒程度が一般的である。第二次世界大戦以前には、より延期時間が長いものもあったが投げ返されるおそれが高かった。大抵は防水・密閉構造となっており、雨で濡れても使用でき、水中でも爆発する。手榴弾に使用される信管はほとんどが火道式時限信管であり、作動すると確実に爆発することを要求される。第一次世界大戦のころまでは着発信管(投擲後、地面に着地した瞬間)で起爆するタイプも使用されていたが、誤作動など問題が多く、第二次世界大戦になっても着発信管を使用していたのはイタリアのOTO M35型手榴弾など一部の製品だけであった。
第二次世界大戦のころまでは、投擲距離が長くなるよう、棒状の長い柄の先に円筒状の爆発物が付いた柄付手榴弾と呼ばれる手榴弾も多く使用されていた。柄付手榴弾は二度の大戦を通じてドイツ軍の使用する手榴弾の代名詞であり、「ポテトマッシャー(じゃがいも潰し器)」と連合軍兵士から通称された。結局、柄付手榴弾は重くかさばるために廃れていったが、日本軍でも体格に劣る日本人に手榴弾の飛距離を稼がせるため、ドイツ式の九八式柄付手榴弾などが開発された。中国人民解放軍のように、戦後も柄付手榴弾を開発し、現在も保有している例もある。
材質
手榴弾の材質は、古い物では鋳鉄による鋳造品によって弾体(炸薬が詰められている部分)が製造されていた。近代の物では炸薬の性能向上もあり、弾体が圧延加工の鉄板で作られている物が多い。大戦末期の日本軍では金属不足から、陶器(備前焼など)による手投げ弾も製造された。これはマークII手榴弾あるいはミルズ手榴弾をモデルにしたと推定されるパイナップル型の手榴弾で、京焼、清水焼、備前焼が用いられた。特筆できる制作者には人間国宝の山本陶秀などが存在する。また、日本海軍では丸い形状のものが開発され、沖縄の自衛隊資料では「四式陶製手榴弾」とある。確実な生産地としては瀬戸焼、有田焼、波佐見焼、信楽焼などが確認されており、他に益子焼、九谷焼、萬古焼、伊賀焼などでも製造されたと言われている。焼夷弾による空襲が激しくなるとこれを転用して消火弾と呼ばれる火災用のものもつくられた。ただしこの消火機材は初期消火の効果はあったが、単体での完全な鎮火は期待されていなかった(これは21世紀に至っても同じ)。
日本での呼称について
現在、日本では手榴弾を「しゅりゅうだん」または「てりゅうだん」と呼称し名称が統一されていないが、第二次世界大戦敗戦以前では手榴弾は「てりゅうだん」と呼称された。これは手榴弾が榴弾の一種であって「手で投擲する榴弾」として開発された即ち「手・榴弾」であるからである。
使用用途と方法
一般的な使用用途
主に目標の周辺に投げて使用する。爆発した手榴弾は爆風や破片を数mから数十mに四散させ、範囲内の人間を殺傷する。その破片は銃弾と比べて軽量ながら鋭く、秒速7kmの速度で飛翔するため高い殺傷力を持つ[4]。目標を直撃させる必要がなく、「投げ込む」という動作が可能であるため、障害物の向こうに投擲したり、敵がいそうなところに投擲するなど、銃とは違った使い方ができる。
今日、一般的な破片手榴弾は炸裂すると大きな破片が発生して遠くまで飛ぶため、広範囲の敵を殺傷することができる反面、使用者自身や友軍、第三者にも被害が及ぶ危険がある。そこで使用に際して投擲場所に注意し、味方に向かって使用を呼びかける。破片手榴弾が防御手榴弾とも呼ばれるのは、自軍の安全が確保される塹壕から投擲していたことによる。一方、味方への損害が懸念されるときに使用する手榴弾を攻撃型手榴弾といい、破片の発生が少なく、ほぼ爆発の圧力のみで敵を殺傷もしくは制圧する設計になっている。
手榴弾は、発火機構に加えて安全装置(安全ピンやキャップ)が装着されていることが多いが、その種類や形態は手榴弾によって異なる。また、発火してから爆発にいたるまでの時間にも差があり、極端に短いもの(後述の罠用など)も存在する。教育不十分な手榴弾の使用は危険防止のために控えられる。
対戦車戦闘用途
手榴弾は、戦車や装甲車の装甲を貫通するほどの威力は無いため、ハッチなどから車内に放り込んだり、走行装置などの弱点攻撃に使用される。
第二次世界大戦では、威力を強化した対戦車手榴弾、あるいは通常の柄付き手榴弾である42型手榴弾やRGD-33などを7本程度束ねることで威力を増した収束手榴弾が対戦車戦に使用された。これらは使用者に身の危険があるほど爆発力が強かったが、戦車の装甲に対しては十分な威力を持っているとは言えず、エンジングリル上部に置くなど弱点を狙った攻撃でないと戦車に有効な損害を与えるのは難しかった。
機甲戦力と対峙した国々では、より効果的な対戦車手榴弾として、モンロー・ノイマン効果を利用して装甲を貫く成型炸薬を採用した手榴弾が登場した。しかし成型炸薬は装甲板に対して正しい向きで起爆させる必要があり、吸着地雷のように手で正しい向きに固定しない限り威力発揮が難しかった。そこで成型炸薬式の対戦車手榴弾は、空気抵抗を利用し、狙い通りの方向と角度で落着させる工夫がこらされた。例えばソ連のRPG-6(英語)やRPG-43は、布製のリボンを弾体から展開し、このリボンを後方に曳いて飛ぶことで弾体の向きを安定させた。日本の三式対戦車手榴弾は麻紐の束をつけることで後方に多くの空気抵抗をもたせ、弾体に安定性を持たせようとしていた。中でもドイツのパンツァーヴルフミーネ(英語)は、弾体の形状そのものを工夫して後部に空気抵抗を持たせる凝ったものだった。
上記の成型炸薬式の対戦車手榴弾は投擲方法に習熟が必要な上に、所詮は人力で投擲する手榴弾のため小型で威力が低く、届く範囲も限定的なことから効果的な兵器ではなかった。このため、より効果的な投射手段である対戦車ロケットランチャー(バズーカ、パンツァーシュレック)や携帯式無反動砲(パンツァーファウスト)が登場すると、対戦車手榴弾はほとんど顧みられなくなった。
軍用としては過去のものになり、現代ではほとんど使われていない対戦車手榴弾だが、隠し持つのが容易という利点がある。特に近年の非対称戦争では武装勢力の奇襲攻撃に使用されるケースがある(パラシュートで成型炸薬の向きに着弾を整えるRKG-3など)。
罠用途
手榴弾は仕掛け爆弾として罠に利用することもある。これは固定した手榴弾の安全ピンに糸を取り付け、対象物と繋ぎ、敵が対象物を動かすと安全ピンが抜けて起爆し炸裂するものである。また、糸を足の高さに張ることで地雷として使用したり、敵の死体などの下に、安全ピンを抜いてレバーを固定した状態の手榴弾を設置し、手榴弾の上を覆う物体を敵が動かすと爆発するようにもできる。
罠として使用するための専用手榴弾も存在しており、ピンを抜くと同時に起爆する事で敵の回避を困難にしている。なお、この罠専用手榴弾を一般の手榴弾のように使うと、投げた瞬間に自爆してしまうため、厳重に区別される。
ただし、手榴弾を対人地雷のように使用することは対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約に抵触するとされる。
水中使用用途
手榴弾は、水中でも起爆し、爆圧で周囲の水を押しのける。ちょうど潜水艦に爆雷を投下するように、水中にいる敵兵に向かって手榴弾を投下し、水圧で殺傷する戦法がある。水中の敵を銃撃しても弾丸が水面で砕けてしまう問題[5]があるため、代わって手榴弾による攻撃が想定されている。
この水中爆発によって、近くの魚が死んだり気絶して浮いてくるという現象を利用したダイナマイト漁に手榴弾が使用されることもある。平時に行うと違法な漁法であるが、戦闘部隊が手持ちの武器を使って食料を自給する手段の一つである。第二次世界大戦中に補給が途絶した日本軍がしばしば行った。
自決用途
その殺傷力の強さから、苦しまずに確実に自決するためにも使用される。第二次世界大戦中の日本軍人が捕虜となることを潔しとせず、しばしば手榴弾で自決していたことが有名である。撤退中に動けない負傷兵を置き去りにする場合などにも自決用として手榴弾が与えられた。軍務についた家族などから民間人に手榴弾が渡り集団自決に用いられることもあった。
手榴弾での自決は日本軍に特有の現象ではなく、捕虜になれば残虐な報復が加えられると予期される場合などに選択されることがある。例えばアフガン侵攻に従軍したソ連兵の間では、ムジャヒディンの手に落ちて報復されることを恐れたため、胸部につけた手榴弾のピンに紐を括りつけておき引き易くしておき、負傷しても自決できるようにすることが流行していた。あるいはナチスドイツの高官であるグラヴィッツ大将は、手榴弾を使って家族を道連れに自決している。
携帯方法
手榴弾の炸薬には化学的に安定した薬品が選ばれており、銃弾の流れ弾や砲弾破片が当たった程度では爆発しない[6]。手榴弾は携行が容易であり、服や装具のポケット、また、ポーチに入れて持ち運べる。手榴弾のレバーを服やベルトに引っ掛けて携帯することも多い。トレンチコートのDリング(D環)はもともと手榴弾を引っ掛けるためのものである。ただし手榴弾をむき出しの状態で服に引っ掛けておくと、樹の枝に引っかかるなどして安全ピンが抜けてしまう恐れがあり、現代では専用ポーチなどにいれて安全に携行する運用が増えている。さらなる安全策として、レバーをビニールテープなどで弾体に縛りつけ、簡単には外れないようにすることもある(使用する直前にテープを切る)。
手榴弾側に、フックなどに引っ掛けるための運搬用リングが付いているものもある。これはレバーがない摩擦着火式の手榴弾などに見られる。かつての軍用背嚢(リュックサック)の側面には柄付き手榴弾を引っ掛けるためのフックが付いていた[7](軍用背嚢を模倣した学童用ランドセルにも同様のサイドフックが見られるため、もともと手榴弾用と言われることがある[7]が、学童用ランドセルにフックが付いたのは後になってからであるため直接の関係性はないとされる)。
歴史
手榴弾が最初に使用されたのは8世紀の東ローマ帝国においてであり、その中身はギリシア火と呼ばれる焼夷剤とされている。日本では、13世紀の蒙古合戦(元寇)において元軍が使用したてつはうが最初であり、その後は日本でも作られるようになった。15世紀の応仁の乱でも使用され、戦国時代には焙烙玉と呼ばれるものが使用された。硝石を産出しない日本では火薬が貴重品だったため、大規模に使用されることなかったが、音による威嚇効果や対舟艇兵器として有効だったため使用され続けた、
近世ヨーロッパ式の手榴弾(擲弾)が使われるようになったのは、ルイ14世時代のフランスが最初とされる[8]。この当時の擲弾は、中が空になった球体の鋳物に黒色火薬を詰めて導火線を付けたものである。これは導火線に着火してから投げるため極めて扱いにくく、自爆事故も多かった上に、当時としては危険なほど敵に肉薄して擲弾を投げつけなければならなかった。専門的知識が必要な兵器であるため、現在の手榴弾のように歩兵全員に支給されることは無く、取り扱いの訓練を受けた歩兵が使用した。この事から、擲弾を投げる任務を与えられた兵士は擲弾兵(Grenadie)と呼ばれ、特別視されていた。現在でも、"擲弾兵"或はイギリスの場合"フュージリア"の名を冠する部隊や、ロシア空挺軍やフランス外人部隊、イタリアのカラビニエリ(国家憲兵)、フランス国家憲兵隊などのように、本来の意味から転じて精鋭部隊の代名詞や部隊の紋章として使用している。
現代式の安全装置を取り付けた手榴弾は第一次世界大戦から使用されるようになり、以後さまざまな形状や安全装置が各国で試された。現代では安全ピンと安全レバーを取り付けた、球状やパイナップル型が主流となっているが、部隊の紋章には、精鋭部隊の証だった頃の古いタイプ(導火線の付いた球形の本体)が図案化されていることが多い。
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ロシア空挺軍の紋章。中央部に導火線に点火した擲弾があしらわれている
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フランス外人部隊総司令部の部隊章。外人部隊に所属する連隊の大半は、連隊章に火を吹く手榴弾をあしらっている
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カラビニエリの紋章。点火した状態の手榴弾。頚飾はなくそのまま帽章になっている
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敦煌で出土した10世紀の仏画、右上の悪鬼2体が火槍と手榴弾を手にしている
殺傷を目的としない手榴弾
スタングレネード
ハイジャックなどの人質事件では安易な殺傷が許されないためスタングレネード(stun grenade)やフラッシュバン(flash bang)と呼ばれる特殊な手榴弾が使用されることがある。
この手榴弾は爆発時の爆音と閃光により、付近の人間に一時的な失明、眩暈、難聴、耳鳴りなどの症状と、それらに伴うパニックや見当識失調を発生させて無力化することを狙って設計されており、アメリカ軍で採用されているM84の場合は約100万カンデラ以上の閃光と、1.5m以内に160-180デシベルの爆音(飛行機のエンジンの近くで120デシベル)を発するとされている。使用する側は事前に耳栓と対閃光ゴーグルを着用し、爆発音や光の中でも行動できるよう備える。
非致死性兵器であるため、爆発の威力を超音速の爆轟が発生しない程度に抑えて破片も飛散させない設計になっているが、目標や人質が心臓病を患っている場合はショック死する可能性がある。
スタングレネードは、1960年代にイギリス陸軍の特殊部隊SASが世界で初めて採用して以降、世界中の軍隊や警察で採用されており、日本では西鉄バスジャック事件で突入の際に利用された事でも有名である。
日本語訳は資料や採用している機関によって異なるが、自衛隊では閃光発音筒と呼称している。
その他
発煙弾、発煙筒(smoke grenade)も、殺傷力は無いものの手榴弾と同様の構造をしており、点火すると白もしくは着色された色の煙を噴き出す。煙幕は敵の攻撃をかわしたり、注意を逸らしたり、信号を送るなど多くの用途があり、軍隊ではよく用いられる。
暴動鎮圧用として、煙ではなく催涙ガスを用いる場合もある。これはいわゆる催涙弾(tear gas grenade)で、点火すると内部からCNガス(クロロアセトフェノン)やCSガス(2-クロロベンジリデンマロノニトリル)といった催涙ガスが噴き出し、これを吸い込むと激しい咳、くしゃみ、涙、嘔吐などの症状が出て行動が難しくなる。
攻撃目標を燃やす場合には、黄燐手榴弾や焼夷手榴弾が用いられる。黄燐手榴弾は黄燐が大気中で発火および燃焼する性質を利用した手榴弾で、焼夷手榴弾はテルミット反応を用いて激しい燃焼を起こす。
対処方法
手榴弾は、爆発により発生した衝撃波や破片により広範囲の人員を殺傷する能力があるため、敵に使用された場合は非常に対処が難しい。基本的には一般の爆発物と同じく身を低くして破片と爆圧から身を守ることだが、数m以内の至近距離に投擲されてしまえば死傷は避けがたいものとなる。そのようなときの対処方法は一般に遠くに投げる、処理用の穴に放り込む、覆いかぶさるの3つである。
爆発する前に遠くに投げる(味方や第三者に被害が出てはまずいので敵方に向かって投げ返す)事ができれば、被害を免れることができる。しかし現代の手榴弾は投げ返される事への対策として起爆時間を4秒程度に短く設定されていることが多く、爆発までに間に合わないことも多い。例えばアメリカ陸軍のルロイ・ペトリー一等軍曹は、敵の投擲した手榴弾から仲間を守るために、手榴弾を遠くに投げたが、その直後に手榴弾が爆発し右腕を喪失している[9]。
ある程度の深さがある穴があれば、そこに手早く手榴弾を放り込むことで破片と爆圧を土に吸収させ、大きな被害を防ぐことができる。そこで塹壕やタコツボ壕などの防御陣地を築く時は、手榴弾が投げ込まれたときに備えて手早く手榴弾を投げ込んで処理するための小さな穴を掘っておく事がある。
もうひとつの対処法は手榴弾の上に破片を遮蔽し、圧力を吸収する物を覆いかぶせるかぶせる方法である[4]。手榴弾の破片は銃弾ほど貫通力が高くなく[10]、テンプレート:要出典ただ戦場ではそう都合よくかぶせるものがあるものではない。その場合、人間がその身を挺して覆いかぶさることが残された手段になる[4]。 実際に兵士が手榴弾に覆いかぶさり、自分の命を犠牲にして戦友を救うという事例はいくつも存在している。たとえばアメリカ陸軍第100大隊のサダオ・ムネモリ上等兵。イラク戦争でも3名が同様の行動で名誉勲章を受章している(いずれも戦死)。この中の一人であるジェイソン・ダンハム伍長は格闘戦の際に敵が手榴弾で自爆を試みたため、戦闘用ヘルメットを手榴弾に被せた上からインターセプターボディアーマーを着た状態で覆い被さったが、手榴弾の爆圧は抑えきれずヘルメットは破裂、伍長も爆風により戦死している[11](破片は二重の防護を貫通したテンプレート:要出典))。
なお映画などには、外れた手榴弾のピンを元の状態に戻し、爆発を免れるシーンが存在するが、これは手榴弾の信管が撃発されていない段階でのみ可能な行為である。M67など大半の手榴弾は安全ピンを抜くと、ピンにより固定されていた撃鉄が開放され、安全レバーを弾き飛ばしつつ信管に点火する。安全レバーがすでに外れた状態で投げ込まれてくる手榴弾は、たとえ安全レバーと安全ピンを元の状態に戻したとしても起爆を止めることはできない。
これらのことから、手榴弾を発見し、または投擲を受けた場合は絶対に手榴弾に触れてはならない。実際にそれらの事態に遭遇したときには速やかにその場を離れ、丈夫なものの陰に身を隠して身の安全を確保してから当局に通報するのが正しい対処である[12]。
主な手榴弾
第一次世界大戦中に開発された手榴弾
第二次世界大戦終了までに開発された手榴弾
- ガモン手榴弾(イギリス)
- マークII手榴弾(アメリカ)通称:パイナップル
- M24型柄付手榴弾(ドイツ)通称:ポテトマッシャー
- M39卵型手榴弾(ドイツ)
- F1手榴弾(ソ連)
- RGD-33手榴弾(ソ連)
- RG-41(ソ連)
- RG-42(ソ連)
- RPG-40手榴弾(ソ連)
- RPG-43手榴弾(ソ連)
- RPG-6(ソ連)
- 十年式手榴弾(日本)
- 九一式手榴弾(日本)
- 九七式手榴弾(日本)
- 九八式柄付手榴弾(日本)
- 九九式手榴弾(日本)
- 四式陶製手榴弾(日本)
- OTO M35型手榴弾(イタリア)通称:赤い悪魔
- ブレダ35型手榴弾(イタリア)通称:同上
- S.R.C.M35型手榴弾(イタリア)通称:同上
戦後に開発された手榴弾