山崎隆之
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山崎隆之(やまさき たかゆき、1981年2月14日 - )は、将棋棋士。棋士番号は227。森信雄門下。広島県広島市佐伯区出身[1]。本名は山﨑隆之。
本名の「﨑」はいわゆる「たつさき」(山偏に竒)であるが、一部の日本語環境で表示できないなどの理由から、2006年度より日本将棋連盟による正式表記が「山崎」に統一された。本項でも「山崎」を用いる。
目次
棋歴
1992年、11歳のときに、森信雄門下で奨励会に入会。中学時代は、森の家で内弟子として暮らした[2]。ほぼ順調に昇級昇段を重ね、1995年6月、中学3年のときに三段となる。しかしながら、三段リーグでは苦戦し、在籍した5期(2年半)の勝率は5割台であった。
しかし、1998年4月のプロデビュー後、特に3年目以降からは、一転して非常に高い勝率を挙げるようになり、通算勝率で羽生善治に次ぐ2番手を、木村一基、深浦康市らと長く争ってきている。度々タイトル戦の予選の上位に進出し、たとえば、王位戦では、第42期(2001年)、および、第45、46、48、49期の挑戦者決定紅白リーグに入っている。第45期(2004年)では白組で優勝したが、紅組優勝の羽生善治との挑戦者決定戦で惜しくも敗れ、タイトル初挑戦を逃した。
2000年度、第31回新人王戦で棋戦初優勝(当時19歳)。同棋戦での10代の優勝者は、森内俊之、羽生善治に次ぎ3人目である。さらには、4年後の第35回でも優勝している。
2002年度、第21回早指し新鋭戦で優勝。この回をもって終了した同棋戦の最後の優勝者となる。
2003年度、第16期竜王ランキング戦5組で優勝。本戦トーナメントでも2勝を挙げる活躍。また、2002年度から2003年度にかけて、歴代3位タイの公式戦22連勝をマークする。
第54回(2004年度)NHK杯戦において決勝で羽生善治を破り、全棋士参加棋戦での初優勝を達成。そのすぐ後、準タイトル戦の朝日オープン将棋選手権で羽生選手権者に挑戦し、同じ顔合わせでの対決となる。自身初の和服での番勝負に臨んだが、0-3のストレートで敗退した。これらの活躍から、2005年(1月 - 12月)の獲得賞金・対局料ランキングで2299万円で全棋士中7位となった。無冠で六段の棋士がベストテンに入るのは異例である。また、これにより、2006年のJT将棋日本シリーズへの出場権を得た。
2005年度、第64期順位戦C級1組で10戦全勝(渡辺明にも勝利)し、渡辺とともにB級2組へ昇級。
連覇を期して臨んだ第55回(2005年度)NHK杯戦の準決勝(対渡辺明戦、2006年1月9日放送)で、詰みを逃して惜しくも敗れる。投了の直後、「馬鹿すぎるー」というぼやきを連発した。とはいえ、谷川浩司は、この一局を「終盤の名局」であるとして、2006年のNHK将棋講座の中で取り上げている。
2006年に七段に昇段。これは、竜王戦の規定による昇段の条件(の一つ)が「竜王ランキング戦2回連続優勝」から「竜王ランキング戦2回連続昇級」へ緩和された後に適用された初のケースである(なお、大平武洋、片上大輔も同じ条件で同じ期に昇段している)。また、これにより師匠(森信雄)の段位を、師匠が現役のまま複数の弟子(村山聖と山崎)が追い抜く、珍しい記録も作った。
2007年度、第66期順位戦B級2組で8勝2敗で1位の成績を挙げ、B級1組へ昇級。
2008年5月2日、第21期竜王ランキング戦2組の準決勝で勝利し、初の1組入りを決める。決勝でも久保利明に勝って2組優勝し、賞金280万円を獲得した。この活躍もあり、2008年の賞金・対局ランキングでは1439万円で15位となり、出場枠の選出順で最後尾の16番目で2009年の第3回大和証券杯ネット将棋・最強戦への参加資格を得た。すれすれの出場権獲得ではあったが、ふたを開けてみれば、羽生善治名人、鈴木大介八段、久保利明棋王、そして、決勝(2009年8月2日)では当時絶好調の木村一基八段(称号・段位は、いずれも当時)という並み居る強豪を倒しての優勝という結果であった。
2009年7月27日、第57期王座戦挑戦者決定戦において中川大輔七段を破り、初のタイトル挑戦を決める。しかし、王座戦五番勝負では羽生善治王座に3連敗を喫し、タイトル獲得はならなかった。
2011年の竜王ランキング戦では2組2位で本戦出場・1組に復帰。1組に復帰した2012年は2位となり、豊島将之・飯島栄治を破って丸山忠久との挑戦者決定三番勝負を戦うも1-2で敗退し、またもタイトル挑戦はならなかった。2013年は1組5位となり、3年連続での本戦出場を果たす(本戦は準々決勝で郷田真隆に敗戦)。
棋風
基本的には居飛車党である[3]。棋士デビュー直後は矢倉も好んで指していたが勝ちにはあまり恵まれず、[4]その後角換わり、相掛かりと得意戦法を変えていく[5]。
工夫を凝らした独創的な序盤戦術で、相掛かり先手の▲6八銀からの差し方など[6]、「山崎流」と呼ばれる指し方がある。中終盤でも、低段時代から独特の感覚を持ち[2]、他の棋士とは違う読み筋を披露することが多々ある。
本人によれば定跡を追い求めていくことは余り好きではなく、新しい将棋[* 1]を好む[7]。2013年のインタビューでは、独創的な棋風となった要因として、かつて関東ではトップ棋士が奨励会員と研究会を行う様な研究会花盛りの時代に、山崎の所属していた関西の棋界が「研究暗黒の時代」、「研究会など恥ずかしい」と言った風潮があったような状態であったことを挙げている。そのため特に山崎が意識をした訳ではないのであるが、「互いに悪路を行く様な将棋」を指す様になったと語っている[8]。
2013年現在は「自由度の高い」相掛かり、特に引き飛車[* 2]棒銀を好んで指すが、二筋からの攻めにはこだわらない。さまざまな所で戦いを起こす駆け引きが楽しいとのことである[9]。なお、後手番では2013年現在、一手損角換わりを得意とする[10]。
2013年に佐藤康光が評した所によれば、「山崎将棋は独創と信念を感じる。彼くらい人まねをしない人も珍しい。よほど感性が豊かなのでしょう」とのことである(『 NHK杯伝説の名勝負 次の一手』 p.184より引用)[11]。
人物・エピソード
- その容姿から、「西の王子」と呼ばれているテンプレート:要出典。
- 二歩による反則負けを2回取られている。いずれも、わずか数手前に歩兵を打ったことを忘れたがために起きたハプニングである。
- (二歩の例 も参照)
- これは2005年放送の「大逆転将棋」でも取り上げられ、司会の神吉宏充及び解説役として出演していた米長邦雄はその反則頻度の高さに言及した上で、山崎を二代目“永世反則王”候補とした。[* 3]
- ユーモア精神に富んでおり、テレビや席上対局の解説で、過激なジョークをしばしば発する。
- 第64期名人戦第1局2日目で、画面が中継に変わっている間にズボンのベルトを緩めていたところ、画面がスタジオに戻りその瞬間が映ってしまい、聞き手の矢内を失笑させた。
昇段履歴
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
- 1992年 6級 = 奨励会入会
- 1994年 初段
- 1998年4月1日 四段 = プロ入り
- 2001年8月28日 五段(勝数規定)
- 2004年11月18日 六段(勝数規定)
- 2006年8月10日 七段(竜王ランキング戦連続2回昇級) 4組3位(第18期) → 3組3位(第19期) → 2組(第20期)
- 2013年7月27日 八段(勝数規定)
主な成績
タイトル挑戦
- 王座戦(2009年度 = 第57期)
- 登場回数1、獲得0
- 準タイトル戦
- 2005年(2004年度)第23回朝日オープン将棋選手権挑戦者
一般棋戦優勝
- NHK杯 1回(2004年度 = 第54回)
- ネット将棋・最強戦 1回(2009年度 = 第3回)
- 新人王戦 2回(2000年度 = 第31回、2004年度)
- 早指し新鋭戦 1回(2002年度 = 第21回)
- 合計5回
在籍クラス
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
将棋大賞
- 第28回(2000年度) 新人賞
- 第30回(2002年度) 勝率第一位賞(0.745)・連勝賞(16連勝)
- 第31回(2003年度) 連勝賞(22連勝 = 歴代3位タイ)
- 第32回(2004年度) 敢闘賞
著書
- ひらめき次の一手 解き方講座付き 初級編(2006年5月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-2092-3)
- ひらめき次の一手 解き方講座付き 中級編(2006年6月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-2105-9)
- ひらめき次の一手 実戦次の一手付き 初段編(2006年7月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-2123-7)
- 逆転のメカニズム (2013年1月、マイナビ、 ISBN 978-4839945763) NHK将棋講座、「山崎隆之のちょいワル逆転術」の書籍化。
- 相掛かり無敵定跡研究 (2013年9月、マイナビ、ISBN 978-4-8399-4819-1) 野月浩貴七段(2013年当時)との共著。
参考文献
編注
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:日本将棋連盟所属棋士 テンプレート:将棋竜王戦 テンプレート:将棋順位戦
テンプレート:升田幸三賞- ↑ <羽生7冠王を倒す男(1)あわや史上4人目の中学生棋士> :西広島タイムス
- ↑ 2.0 2.1 「将棋世界」2000年1月号付録より。
- ↑ 山崎、野月 (2013) p.170
- ↑ 山崎、野月 (2013) pp.171, 176 矢倉は変化の余地が比較的少なく、変化の余地の多い相掛かりの方が山崎向きであるとのこと。
- ↑ 山崎、野月 (2013) p.171-174
- ↑ 山崎、野月 (2013) pp.82-83, 177
- ↑ テンプレート:Cite book ja-jp - 第57期王座戦第2局についてのインタビュー。
- ↑ 山崎、野月 (2013) p.181
- ↑ 山崎、野月 (2013) pp.175-176 共著者の野月は、それで五筋、六筋から戦いを起こすことが多いのか、との感想を語っている。相掛かりの自由度の高さについてはこのインタビュー全体において語られている。
- ↑ 山崎、野月 (2013) pp.177, 183 ただし、相掛かりでは角交換の形は好まない。
- ↑ テンプレート:Citation
- ↑ 前夜祭(5)(リコー杯女流王座戦中継blog)
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