山田暢久
テンプレート:大言壮語 テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:サッカー選手 山田 暢久(やまだ のぶひさ、1975年9月10日 - )は、静岡県藤枝市出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。1994年の入団以来、浦和一筋でプレーするバンディエラである。弟の山田智紀は元プロサッカー選手。
来歴
1994年に藤枝東高校から浦和レッズに入団。デビュー当時はフォワードで福田正博と2トップを組むこともあったが、1995年以降は主に右サイドバックや右ウイングバックとしてプレーしている。その他にもトップ下、ボランチ、センターバックなど、ゴールキーパーを除くあらゆるポジションで起用される。
2003年は日本代表の右サイドバックに定着した。チームでも右ウイングバックのレギュラーを守り、ナビスコカップ優勝で自身初のタイトルを獲得した。
2004年は1stステージでは右ウイングバック、山瀬功治が負傷で戦線離脱した2ndステージではトップ下として活躍。2ndステージを制して最後のステージ優勝をキャプテンとして飾ったが、チャンピオンシップでは横浜F・マリノスに敗れた。
2005年8月24日、ヴィッセル神戸戦(駒場)でJ1リーグ300試合出場を達成。20代ではリーグ初。
2006年は序盤こそ定位置の右サイドで出場していたが、夏場にコンディションを落として控えに回った。しかし、途中出場で決勝点を決めた9月16日のサンフレッチェ広島戦以降、トップ下の一角としてレギュラーに復帰。自己最多の6得点を挙げて優勝に貢献した。
2007年は再び右ウイングバックに戻された。10月29日の名古屋グランパス戦で肉離れを起こすまではリーグ戦、ACL、ナビスコカップなどの公式戦のほとんど全てに先発出場した。4月7日、ジュビロ磐田戦(埼玉スタジアム)でJ1リーグ350試合出場を達成。この記録はJ1最年少記録。
2008年は開幕戦から数試合はトップ下を任され、その後はボランチや右ウイングバックとして出場した。10月19日に行われた神戸戦では初めて左サイドバックでスタメン出場するが、後半開始から右サイドバックにポジションを替えた。11月8日、コンサドーレ札幌戦(札幌ドーム)で史上3人目となる、J1リーグ400試合出場を達成。
2009年はチームが8シーズンぶりに4バックを採用する中で、右サイドバックのレギュラーを確保する。また、田中マルクス闘莉王が抜けたナビスコカップ予選では、坪井慶介と共にセンターバックとしてもプレーした。
2010年は田中マルクス闘莉王が名古屋に移籍したため、開幕戦からセンターバックで出場。夏場にスピラノビッチが復帰して以降もセンターバックとして出場した。
2011年は開幕当初はセンターバック、東日本大震災での中断明けからは主にボランチ、終盤戦は左右のサイドバックとして出場し、さまざまなポジションで貴重な戦力として活躍した。
2012年途中出場が続いていたが、怪我により長期離脱を強いられる。終盤、永田充が右太もも裏の肉離れから長期離脱を余儀なくされ、センターバックとしてスタメンに入り3位浮上に大きく貢献した。
2013年4月27日の清水エスパルス戦でデビューから20年目を迎えた。Jリーグで1チームで在籍20年目を迎えるのは史上初、海外でもGKを除くフィールドプレイヤーで1チーム在籍20年を超える選手は、フランチェスコ・トッティ、ライアン・ギグス他数人しかいない。奇しくも静岡県草薙総合運動場陸上競技場で行われたデビュー戦と同一カードとなった。これを記念し、当日は山田暢久20thアニバーサリーが行われた。 5月11日の鹿島アントラーズ戦に83分から途中出場し、今季リーグ戦初出場した。
10月27日柏レイソル戦に途中出場し、伊東輝悦、楢崎正剛に次ぐJリーグ通算500試合出場を達成した。 同一チーム在籍20年を迎えた選手の500試合出場はJリーグ初の快挙である。
2013年シーズン限りで契約満了[1]に伴い、現役を引退した[2]。
引退試合
2014年7月5日、埼玉スタジアム2002で『山田暢久引退試合 NOBUHISA YAMADA TESTIMONIAL』が行われた。 テンプレート:Footballbox
参加選手
浦和レッズ(監督:ミハイロ・ペトロヴィッチ)
- 6.山田暢久
- 山田暢は71分から浦和レッズチームで出場
- 浦和レッズ現役所属選手。但しレッズ歴代選抜チームより出場する選手と西川周作を除く
レッズ歴代選抜 Rest of the REDS(監督:ギド・ブッフバルト)
- 1.安藤智安、2.坪井慶介、4.田中マルクス闘莉王、5.ネネ、6.山田暢久、6.山田樹生、7.酒井友之、8.小野伸二、9.福田正博、10.ポンテ、11.田中達也、12.室井市衛、13.鈴木啓太、14.平川忠亮、15.福永泰、16.宮沢克行、17.長谷部誠、18.池田伸康、19.内舘秀樹、20.堀之内聖、21.ワシントン、22.城定信次、23.都築龍太、30.岡野雅行
- 山田暢は65分までレッズ歴代選抜チームで出場、山田樹は山田暢の長男。長谷部は所属クラブとの契約により試合出場不可
エピソード
- 2004年2月9日、茨城県鹿嶋市での日本代表合宿中に、他の7選手とともに無断外出していたことが発覚。他の選手と異なり飲食はしなかったものの、監督だったジーコは「裏切り行為と感じた」として、山田ら8人を代表から外した[3]。
- 2005年4月に行われた大分トリニータ戦でペナルティエリア内で相手選手に倒され肩が外れてしまった。しかし、その際に相手選手のファールをとらずに山田のシミュレーションをとりイエローカードを貰ってしまった。そのシーンは、2013年8月22日にテレビ朝日で放送された『マツコ&有吉の怒り新党』内のコーナーで「気の毒なイエローカード」として取り上げられた[4]。
所属クラブ
- 藤枝市立稲葉小学校
- 1988年 - 1990年 藤枝市立藤枝中学校
- 1991年 - 1993年 静岡県立藤枝東高校
- 1994年 - 2013年 浦和レッドダイヤモンズ
個人成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1994||rowspan="20"|浦和||rowspan="3"|-||rowspan="5"|J||15||1||0||0||3||0||18||1 |- |1995||42||1||colspan="2"|-||3||0||45||1 |- |1996||30||3||11||0||4||1||45||4 |- |1997||13||22||1||6||0||2||0||30||1 |- |1998||rowspan="5"|2||34||0||4||0||3||0||41||0 |- |1999||J1||29||1||4||1||2||1||35||3 |- |2000||J2||39||2||2||0||2||0||43||2 |- |2001||rowspan="13"|J1||27||3||6||0||4||1||37||4 |- |2002||28||1||8||0||1||0||37||1 |- |2003||rowspan="11"|6||27||3||11||0||1||0||39||3 |- |2004||27||2||9||2||4||0||40||4 |- |2005||32||3||10||1||5||2||47||6 |- |2006||32||6||7||1||5||0||44||7 |- |2007||29||0||2||0||0||0||31||0 |- |2008||28||0||6||0||2||0||36||0 |- |2009||30||0||7||1||1||0||38||1 |- |2010||27||0||4||0||4||0||35||0 |- |2011||24||0||4||0||4||0||32||0 |- |2012||8||0||5||0||2||0||15||0 |- |2013||10||0||3||0||1||0||14||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始501||25||107||6||51||5||659||36 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行39||2||2||0||2||0||43||2 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終540||27||109||6||53||5||702||38 |} その他の公式戦
- 2004年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2006年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2007年
- スーパーカップ 1試合0得点
テンプレート:サッカー選手国際成績表 top テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |2007||rowspan="3"|浦和||rowspan="3"|6||9||1||2||0 |- |2008||4||0||colspan="2"|- |- |2013||1||0||colspan="2"|- |- !通算!!colspan="2"|AFC |14||1||2||0 |} その他の国際公式戦
- 2007年
- A3チャンピオンズカップ 3試合0得点
代表歴
出場大会など
- 1995年FIFAワールドユース
試合数
- 国際Aマッチ 15試合 1得点 (2002-2004)
テンプレート:サッカー代表個人成績 |- |2002||1||0 |- |2003||11||0 |- |2004||3||1 |- !通算 |15||1 |}
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2004年2月7日 | 日本、鹿嶋 | テンプレート:MASf | ○ 4-0 | キリンチャレンジカップ2004 |