小林市
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目次
地理
宮崎県の南西部、宮崎市の西北西約60kmの場所に位置し、市域北東部で熊本県と接し、市域南西部では鹿児島県と接する。南西部は霧島連山の北東部にあたり、韓国岳(標高1,700m)、新燃岳(標高1421m)、夷守岳(標高1,344m)、中岳(標高1,332m)、矢岳(標高1,132m)、高千穂峰(標高1,574m)および火口湖の大幡池を市域に含む。霧島連山の北麓には生駒高原(標高540m)がある。
中南部ではカルデラが陥没した小林盆地が形成されており、小林盆地の北部が市の中心市街地となっている。小林盆地の中を岩瀬川が東西に流れる。
霧島連山の山麓にあるため、随所に名水が湧出し温泉も多い。
隣接している自治体
地名
- 北西方
- 堤
- 水流迫
- 東方
- 細野
- 真方
- 南西方
- 本町(細野より独立。年不詳)
- 駅南(細野より独立。2012年)
- 野尻町
合併後は従来の大字の前に野尻町を冠する。
- 東麓
- 三ヶ野山
- 紙屋(旧紙屋村)
- 須木(旧須木村)
合併後は従来の大字の前に須木を冠する。なお、現在の5大字が置かれたのは1981年で、それまでは全域大字なしであった。
- 内山
- 下田
- 鳥田町
- 中原
- 奈佐木
歴史
- 当初は「夷守(ひなもり)」の名で呼ばれていた。これは夷敵を討つための兵の軍役所があったことに由来する。
- 源平合戦の頃に三山城が完成するとその城を中心として政が行われるようになり、地名も「三山」へと変化し真幸院の中に組み込まれる。日下部氏による統治を経て、永禄年間までの200年近く北原氏により統治されてきたが、北原氏は伊東義祐により領地の全てを乗っ取られてしまい、それ以後の十数年は伊東氏による統治がなされることとなる。
- 天正4年(1576年)に小林村の小林城が島津氏に帰すると、小林城を中心とした治世が行われるようになり、地名も「小林」となる。
近現代
- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、西諸県郡小林村が発足。
- 1912年(大正元年)12月25日 - 小林村が町制施行。小林町となる。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 小林町が単独で市制施行。(旧)小林市となる。
- 2006年(平成18年)3月20日 - (旧)小林市が須木村と合併。新市制による小林市となる。旧須木村域に地域自治区「須木」を設置。
- 2010年(平成22年)3月23日 - 野尻町を編入。旧野尻町域に地域自治区「野尻町」を設置。
行政
- 市長: 肥後正弘(2010年4月18日- )
県の行政機関
- 小林県税・総務事務所
- 小林保健所
- 西諸県農林振興局
- 小林土木事務所
国の行政機関
警察
郵便
- 小林郵便局(集配局)
- 須木郵便局(集配局)
- 野尻郵便局(集配局)
地域
人口
教育
高等学校
- 公立
- 私立
- 小林西高等学校(全日制、定時制)
中学校
- 小林市立
小学校
- 小林市立
交通
鉄道路線
路線バス
道路
高速道路
一般国道
県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 生駒高原
- 北きりしまコスモドーム
- 出の山公園
- 陰陽石
- 霧島山
- 霧島岑神社
- 伊東塚
- 小林城址
- 須木城址
- 野尻城址
- 粥餅田古戦場跡
- 紙屋関所跡
- 伊集院忠真の墓
- 米良筑後守の墓
- 柚ノ木崎丹後守の墓
- 仲五塚(上井兼政の墓)
- 小林古墳
- 大萩古墳
- 九ッ塚古墳
- 永久井野かくれ念仏洞
- 景行天皇御腰掛石
- 森永貞一郎記念館
- すきむらんど
- のじりこぴあ
- 道の駅ゆ〜ぱるのじり
- まきばの桜まつり(毎年桜の開花時期)
- こばやし名水まつり(毎年8月上旬)
- 生駒高原音楽祭(毎年8月上旬) - 2005年7月16日を最後に中止
- こばやし秋まつり(毎年11月23日)
百選
- 日本の音風景100選: 三之宮峡の櫓の轟
- 名水百選: 出の山湧水
- 遊歩百選: 三之宮峡
小林市出身の有名人
- 森永貞一郎(日本銀行総裁)
- 中山成彬(元文部科学大臣)
- 小斉平敏文(元参議院議員)
- 斉藤慶子(女優)
- 八反ふじを(作詞家)
- 藤野もやむ(漫画家)
- ハル薗田(全日本プロレス所属プロレスラー)
- 北郷謙二郎(バスケットボールオーエスジーフェニックス東三河選手)
- 井料瑠美(女優)
- 大萩康司(ギタリスト)
- 牛島信(牛島総合法律事務所代表、作家)
- 井手正太郎(プロ野球選手・横浜DeNAベイスターズ外野手)
- 大迫明伸(ソウルオリンピック柔道競技男子86kg級銅メダリスト)