宮崎県立小林高等学校
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テンプレート:日本の高等学校 宮崎県立小林高等学校(みやざきけんりつこばやしこうとうがっこう)は、宮崎県小林市にある公立の全日制普通科高等学校である。通称「コバ高」。
概要
駅伝での活躍は全国的に有名で、男子は全国高校駅伝出場52回(全国1位)、優勝7回(全国2位タイ)、入賞29回(全国2位タイ)の実績を誇り、1967年から1992年までは26年連続出場を果たし、当時の最長記録を持っていた[1]。かつては世羅、中京(現・中京大中京)とともに「高校駅伝御三家」と呼ばれた[2][3]。また、女子も出場17回、入賞2回を記録している[4]。近年ではバスケットボールや山岳部も好成績を残している。
大量のプリントによる課題学習を特色としている。校歌は黒木和雄(映画監督)が在学中に作詞したものである。
設置学科
- 全日制普通科
- 普通コース
- 体育コース
沿革・歴史
- 1919年 - 小林町立実科高等女学校開校。
- 1921年 - 宮崎県立小林中学校開校。
- 1924年 - 小林町立実科高等女学校を県に移管し小林高等女学校となる。
- 1948年 - 学制改革により県立小林中学校・県立小林高等女学校を統合し宮崎県立小林高等学校となる。
- 1953年 - 第4回全国高校駅伝大会に初出場(第15位)。
- 1957年 - 第8回全国高校駅伝大会で初優勝(2時間14分10秒・当時高校最高記録)。
- 1960年 - 第11回全国高校駅伝大会で2回目の優勝(2時間13分17秒・当時高校最高記録)。
- 1961年 - 第12回全国高校駅伝大会で3回目の優勝(2連覇・2時間13分40秒)。
- 1968年 - 第19回全国高校駅伝大会で4回目の優勝(2時間11分00秒)。
- 1973年 - 第24回全国高校駅伝大会で5回目の優勝(2時間11分56秒)。
- 1977年 - 第28回全国高校駅伝大会で6回目の優勝(2時間10分43秒)。
- 1978年 - 第8回全国高校バスケットボール選抜優勝大会(現ウィンターカップ)女子で初優勝、第29回全国高校駅伝大会で7回目の優勝(2連覇・2時間10分57秒・1区走者谷口浩美)。
- 1979年 - 昭和54年度インターハイバスケットボール女子で初優勝、自県開催の第34回国体バスケットボール少年女子で初優勝。
- 1991年 - 園芸科(野尻分校)の募集停止。
- 1995年 - 普通科体育コース設置。
- 1996年 - 家政科の募集停止。
著名な卒業生
- 斉藤慶子 - 女優
- 片平夏貴 - タレント、フリーアナウンサー
- 谷口浩美 - マラソン、沖電気陸上競技部監督
- 竹山とよ子 - バスケットボール選手、元共同石油、1986年アジア競技大会日本代表
- 楠田香穂里 - バスケットボール選手、元ジャパンエナジー
- 清水太志郎 - プロバスケットボール選手(bjリーグ・宮崎シャイニングサンズ所属): 2000年卒業
- 瀬戸山京介 - プロバスケットボール選手(bjリーグ・京都ハンナリーズ所属): 2001年卒業
- 北郷謙二郎 - バスケットボール選手: 1999年卒業
- 新原茜 - バスケットボール選手(JX所属): 2003年卒業
- 前村雄大 - バスケットボール選手(熊本ヴォルターズ所属) : 2006年卒業
- 小林慎太郎 - バスケットボール選手(熊本ヴォルターズ所属): 2008年卒業
- 松形祐堯 - 元宮崎県知事、元林野庁長官
- 森永貞一郎 - 第23代日本銀行総裁、元大蔵事務次官
- 園田佳巨 - 工学者、九州大学教授
- 八反ふじを - 作詞家
- 銀色夏生 - 詩人、エッセイスト、作詞家、写真家[5]
- 大萩康司 - クラシックギター奏者
- 菊村憂 - 日本赤軍(在学中は生徒会長として丸刈り廃止の実績)
なお、黒木和雄 - 映画監督は、戦後復学したのち都城泉ヶ丘高校に転校したため卒業生ではない。
脚注
- ↑ 2004年に清風に抜かれ、その清風も2009年に連続出場が途切れて倉敷に抜かれたため、現在は歴代3位タイ
- ↑ 長岡民男ほか『高校駅伝50年史 - 半世紀、タスキつないで』、出版芸術社、2000年 p.8.
- ↑ 陸上競技マガジン 2013年2月号 p.169.
- ↑ 記録は男女とも第64回大会(2013年12月)終了時点
- ↑ 宮崎日日新聞、2013年1月1日朝刊