丸刈り
丸刈り(まるがり、丸刈)とは、頭髪を全体的に短い長さに刈る髪型。別名、坊主刈り(ぼうずがり)坊主頭(ぼうずあたま)。
概要
古来より、宗教的な慣習、軍隊や学校、刑務所などにおける規律衛生の維持、教育を理由に、構成員に義務として行われる他、刑罰として行なわれることもあった[1]。
現代ではファッションや、ネオナチを始めとした政治的意思表示や反社会的立場をアピールするために行われることがある(詳細は、ネオナチ#スキンヘッドの項を参照のこと)。
歴史
古来より仏教では、己への戒めとして「頭を丸める」ことは悟りの境地へ達する"解脱"への第一歩とされていた。剃髪の由来は釈迦に倣ったもので、古代インドでは頭髪を剃るのは最大の恥辱とされており、重罪を犯した者に対する一種の刑罰であったが、釈迦は自らの解脱のため進んで剃髪し、それに弟子たちも従ったものである。なお、罪人の髪を剃る刑罰は中国の髠刑や日本の天つ罪に対する禊など広く見られるものであった。
女性に対する丸刈り
女性のみに行われた丸刈りの事例や決まり事は古代から認められ、多くは性的交渉や性の象徴性として髪にまつわる共同体や宗教上の規律やルール違反、不道徳に対する罰や見せしめとして行われていた[1]。
ヨーロッパにおけるものとしては、紀元前1世紀頃のゲルマンでは姦通の罪を犯した妻は、罰として剃髪させられた上で地域共同体から追放された[1]。新約聖書には、礼拝の場で頭髪を被りもので隠すことをしない女性の髪は刈られるべきと記されている[1]。中世では魔女として告発された女性は、頭髪だけでなく全身の体毛を剃られて調査されたという[1]。その他現在に至るまで、女性の髪を刈ることは女性を辱めることであり、社会的・個人的な暴力として社会に認識されている[1]。
第二次世界大戦初期のドイツでは、ナチスによるユダヤ人迫害の際の男女の別の無い強制収容所における丸刈りの他、ナチスの指導者原理「ドイツ民族の血の純粋性と純粋性保持」の元に、1939年にポーランド人・ユダヤ人をはじめとする戦争捕虜や「下等」と見做した外国人と性的に親しんだドイツ人女性に対して、髪を切り落とすことを暗に推奨した極秘命令が出され、このような目的の行為を「丸刈り(Haarschur)」の他、「烙印押し(Anprangerung)」とも呼んでいたという[1]。行使した側は地域のナチ党員や独善的義憤に駆られた一部民衆で、実際に公衆の面前で辱めの言葉の書かれたプラカードを首から下げさせられ、丸刈りにされている女性の写真も残されているが、多くの民衆やナチ党員の一部は、このような行為を残酷なものとして否定的であり、ときには拒否し、また外国人女性を関係をもったドイツ人男性が処罰されていない不公平さからも反感を持たれ、対外的な批判もあり、1941年夏にピークを迎えたものの、同年には公共の場における「丸刈り」は禁止された[1]。この時期にサンプル的に「丸刈り」の犠牲者とされた女性の中には戦後に告訴し、賠償金を得た事例もある[1]。
同時期、ドイツの占領された第二次世界大戦のフランスにおいても、女性への懲罰的な丸刈りがあった[1]。解放前の1943年にも事例が認められるが、1944年夏の解放の際には、大規模に行われることになった[1]。このとき、占領中の対独協力者に対し、のちに「無法な粛清」と呼ばれる処刑やリンチや略奪の嵐が吹き荒れたが、その中でドイツ占領下の時期にドイツ人兵士と性的交渉したとされる女性(「性的な対独協力)に対しては、公共の場での見せしめとして丸刈りが全国的に行われ、その数は2万人にのぼるという[1]。全国に渡って大規模に同じように丸刈りが行われたことに関しては、命令が下ったわけではないが、丸刈りに触れたラジオ放送があったせいではないかと考える歴史家もいる[1]。丸刈り被害者の女性で、実際にドイツ人と性的関係を持っていた者は半分以下の42%ほどで、あとは別の協力をしていたり、枢軸国出身者であったと調査結果が残っている[1]。髪を刈られたあと、裁判にかけられ処刑されたり、刑に服すことになった女性もおり[1]、これらの女性は、裁判処刑という経過を辿っただけの男性の対独協力者以上の、二重の罰、抑圧的暴力を加えられたといえる[1]。占領中、優位性を示せなかったフランス男性の鬱屈が、弱い立場の女性に向けられ、支配秩序の再構築の糧とされた側面があるとみる論もあり[1]、ドイツにおける丸刈りは予防としての見せしめであり、丸刈りにされた女性がナチの被害者であることに対し、フランスの丸刈り禍の女性は長く犯罪者扱いされた[1]。
アイルランドで、18世紀に開設され、1996年まで存在していた「マグダレン洗濯所(en:Magdalene asylum)」(マグダレン修道院)は、宗教的・慣習的に性的不道徳・不名誉という烙印を押された女性が強制的に収容され、のちに国家的関与があったとして、首相が謝罪することになった人権蹂躙にあたる抑圧的暴力の中には、収容に際して「丸刈り」にされたことも含まれていた[2][3]。その様子はノンフィクション作品『マグダレンの祈り』にも描かれている。
日本における丸刈り
明治維新後の1871年9月23日(明治4年8月9日)に散髪脱刀令が布告され髷が禁止された。また、バリカンの輸入によって丸刈りという新しいスタイルが誕生し、認知されるようになった。さらに1873年(明治6年)に徴兵令が公布されると、軍人の髪型である丸刈りが国民に定着していくこととなった。軍人の丸刈りは俗世間からの訣別の気構えや規律の維持などの他に、頻繁な入浴が困難な野戦における虱や頭垢の予防といった衛生上の目的、戦闘で頭部を負傷した場合の手当てのしやすさ、軍帽・略帽や鉄帽着用時の蒸れの緩和といった実際上の利点があり、現代でも自衛隊を含む各国の軍隊で見受けられる。
旧陸軍では軍規によって将校(士官)も兵も丸刈りが基本であったのに対し、旧海軍では准士官以上の階級では原則自由として長髪が許されていた。しかしながら、陸軍でも外国大使館附の駐在武官や留学者、私服捜査を行う一部の憲兵や特務機関・中野学校のスパイ、その他一般軍人でも西竹一など一部の将校は長髪であり、海軍では艦船勤務や陸戦隊の士官・准士官を中心に丸刈りが多く、反面飛行兵には比較的長髪の者が多かった。
なお、これら戦前中の日本や日本軍における長髪の定義は戦後現代と大きく異なっており、襟足は伸ばさず耳や目に髪がかからない七三分け、オールバックなどの短髪までが長髪扱いされていたことに注意を要する。また陸海軍ともに陸士・航士・陸経、海兵・海機・海経などといった補充学校における士官候補生/将校生徒を含む、全ての下士官兵は原則丸刈りであった。
学校教育の場においても、大正期に男子学生・生徒の制服が軍服に倣った学生服が標準となり、その流れの中で軍人と同様に男子の髪型は丸刈りが基本とされた。また初等教育の児童の髪型は丸刈りと坊ちゃん刈りの2種類しか無く、農村や都市の庶民層では丸刈りを選択する男子がほとんどであった。
第二次世界大戦中の戦時体制下においては、一般国民も兵士同様の振る舞いと心構えが要求されるようになり、丸刈りの男子はさらに増加するが、太平洋戦争敗戦による軍隊の解体もあり、成人男性における髪型の規制は基本的に消滅した。1960年代の後半には高校の大半でも長髪が認められるようになり、丸刈りの強制は中学校にのみ残存することとなる。
地域によっても事情が大きく異なるが、1990年代初頭までは「服装の乱れ防止」という名目で、男子生徒に対する丸刈りを校則で強制する中学校も多かった。元々髪型の指導がない学校が「非行防止に効果がある」と丸刈り強制に転じた学校もあった。その中学校においても都市部を中心として頭髪の自由化は徐々に進行し、現在では長髪を認めない学校はごく一部となっている。
神戸市は都市部として最後まで中学校での丸刈りを堅持しようとする姿勢で有名だったが、校則での丸刈り強制を人権問題と考える弁護士も介入し、丸刈りを強制する中学校はなくなった。ただ、地方においては現在テンプレート:いつもなお丸刈りを指定する学校は存在する。鹿児島県では公立中学校の1/3あまりが採用しており、奄美群島に偏在している[4]。
また、長い間学校におけるスポーツ関係の部活動、中でも高校野球(硬式)では丸刈りを強制される事例があり、頭髪が長いと入部が認められない場合もある。かつて1993年のJリーグ発足の頃、長髪を容認する文化をもつサッカーの人気が高まったためか、丸刈りの強制を中止する野球部が見られたこともあった。しかし、一時のサッカー人気が薄れたこともあり、現在においては再び丸刈りにする高校球児が多く見受けられるようになり、スポーツ刈り以上に長めの髪型にする高校球児の数は限られる。また、高校サッカー界においては、戦後最多タイの選手権優勝回数を誇る国見高校が、小嶺忠敏元監督の影響もあって丸刈りが入部条件となっている[5]。
刑務所・少年院の受刑者においては、男子に対してのみ丸刈りが画一的に課せられている。一方で大抵の場合、死刑囚(男女問わず)や女子受刑者は髪型が自由で、収監時に染髪されている状態だった場合はそのままでいることが黙認されている。2005年に改正された法律により「受刑者に対する意に反する調髪は衛生上の必要性を除く調髪する必要は無い」とされているものの、「衛生上の必要」という名目で男子に対して丸刈りが強制されている[6]。
テンプレート:要出典。例としては、2008年北京オリンピック・野球予選リーグ初戦・キューバ戦の敗戦を受け、ダルビッシュ有、田中将大、川崎宗則及び阿部慎之助が、「気合を入れなおす」という目的で相次いで頭を丸めた[7][8]。2009年、宮根誠司は東京マラソンにおいて4時間30分以内で走る約束を果たすことができず、生放送の『情報ライブ ミヤネ屋』で公開丸刈りになった[9]。2013年、日本のアイドルグループ・AKB48の峯岸みなみが、週刊誌で熱愛疑惑を報じられたことに謝罪して丸刈りとなった。丸刈りで謝罪した理由について峯岸は「謝意を目に見える形で伝える方法として浮かんだのが『坊主頭』だった」と後のインタビューに於いて語った[10]。この出来事は、海外でも報道され[11]、「日本においては謝罪の意味での丸刈りがある」との解説がされたり、「異様に映る」とコメントされているものもあった[12]。
一般的な丸刈りの長さの基準
一口に丸刈りと言っても、その長さの基準は様々である。丸刈りの長さを表すのに、関東地方では分・厘、近畿地方では枚(バリカンに取り付けるスペーサーの枚数に由来)を用いることが多い。分や厘は尺貫法が基本であるが、バリカンの丸刈りの長さの目盛が必ずしも他のバリカンと一致していない場合がある。
- 関東地方
- 1厘刈り:0.3mm
- 2厘刈り:0.5mm
- 3厘刈り:1mm
- 5厘刈り:1.5~2mm
- 1分刈り:3mm
- 3分刈り:6mm
- 5分刈り:9mm
- 7分刈り:12~13mm
- 9分刈り:15~16mm
- 近畿地方
- 5厘刈り:刃なし
- 1枚刈り:2mm
- 2枚刈り:5mm
- 3枚刈り:8mm
- 4枚刈り:11mm
- 5枚刈り:14mm
- 剃髪
- バリカンではなく剃刀で剃り上げたスタイル。特異な髪型で非常に目立つこと、また国際的にはスキンヘッドと呼ばれ、これを「反社会的思想のシンボル」と見る傾向があるため、丸刈りを強制あるいは容認する学校や組織においても、頭髪を全て剃り落とすことは禁止している場合が多い(僧侶を除く)。
- シェイブヘッド
『スキンヘッド』という呼称は剃り上げた髪型のみならず、反社会的集団やネオナチなどの暴力的集団を指すものでもあるが、薄毛対策や個人的趣向によるお洒落の演出、水泳など、髪をぬらすスポーツにおいて、競技・遊技後のシャンプーなどの手入れを楽にする目的で剃り上げた髪型は『シェイブドヘッド』と呼ぶのが英語圏では一般的である。
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 『丸刈りにされた女たち』平稲。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 毎日新聞福岡都市圏版、2008年7月26日(同年9月8日閲覧)「鹿児島県奄美市 丸刈り校則見直し」より。
- ↑ [特集]変わることのない坊主頭/国見高等学校 サッカー部 スポーツメディア-動楽者(どうらくもん)-.2010年11月7日.2013年2月10日閲覧。
- ↑ 監獄法
- ↑ ダルビッシュ丸刈りで球場入り ニッカンスポーツ2012年2月17日
- ↑ ダル、マー君に続き阿部、川崎も丸刈り! ニッカンスポーツ2013年2月17日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 日刊スポーツ 2013年2月9日付記事
- ↑ *テンプレート:Cite web
参考文献