西米良村
西米良村(にしめらそん)は、宮崎県の西部に位置する村で、児湯郡に属している。宮崎県内では最も総人口の少ない自治体である。
目次
地理
面積の96%は山林であり、冬期は宮崎県としては珍しく気温が低くて、降霜や積雪が発生することもある。また夏場は朝夕の気温が低い反面、九州山地によるフェーン現象により高温多湿である時も多く、降雨量も多い。2009年には、9日に9月としての最高気温36.4度を記録している。
隣接する自治体
地名
- 板谷
- 小川
- 上米良
- 越野尾
- 竹原
- 村所
- 横野
歴史
15世紀初頭、菊池氏の末裔とされる米良氏が米良に移住。米良山(14か村[1])の領主として当地を支配し、江戸時代中期以降(現在の)西米良村小川にあった小川城を居城とした。米良氏は明治維新後に菊池氏に改姓した。
米良山は元和年間(1615年-1624年)に人吉藩の属地とされ、廃藩置県(1871年)の際には人吉県(後に八代県、球磨郡の一部の扱い)となり、1872年に美々津県(宮崎県の前身)児湯郡に移管された。こうした歴史的経緯から米良地方は宮崎県(日向国)の他地域よりも熊本県(肥後国)球磨地方との結びつきが強い。これは現在も飲酒嗜好にも表れており、西米良村では球磨焼酎(25度の米焼酎、宮崎県内は20度の芋焼酎が主流)、特に高橋酒造の「白岳」が愛飲されている[2]。
1889年5月1日の町村制実施時に米良山は東西に分割。西側が西米良村として村制を施行した。西米良村はこの後合併を経験することがなく現在に至る。
- 東側は東米良村として発足。一ツ瀬ダムの建設に際し1962年に西都市・木城町に編入。寒川村(さぶかわ)は三財村の一部となった後に、東米良村と同じく1962年に西都市へ編入されたが、集落としては1989年に廃村となっている。
国政・県政
国政
衆議院小選挙区選挙では宮崎2区(延岡・西都・児湯郡・東臼杵郡・西臼杵郡)に属する。近年選出の議員は以下のとおり。
- 2009年8月(第45回衆議院議員総選挙)
- 2012年12月 (第46回衆議院議員総選挙)
宮崎県議会
テンプレート:Main 本村と西都市で選挙区をなす。定数は2人。近年選出の議員は以下のとおり。
- 2007年4月
- 押川修一郎(自民)
- 浜砂守(新みやざき)
友好都市
産業
ユズを中心とした農業が中心。花卉栽培なども行われている。
観光
西米良村の観光客受け入れ策のひとつに「西米良型ワーキングホリデー制度」というものがある。これは村と契約した農家の農作業を手伝う事によって小額の報酬(宿泊費用・食事費程度)をもらい滞在費をほとんどかけずに村に滞在して観光ができるしくみである。
主な観光スポット
- 西米良温泉ゆた〜と(食事もできる)
- 双子キャンプ場
- 百菜屋(食事と新鮮食材)
- 小川城址公園
- おがわ作小屋村(食事とお土産もの)
- 湖の駅(食事とお土産もの)
- 菊池記念館(菊池武夫公 旧別邸)
- 西米良村 民俗資料館
- 一ツ瀬ダム
地域
人口
教育
村立
- 西米良中学校
- 村所小学校
交通
村内に空港および鉄道路線はない。
バス路線
一般路線バス
中心部の村所バス停の待合室はかつてのJRバス日肥線の村所駅である。現在でも路線図は国鉄時代のままで、廃止された妻線がいまでも掲載されている。
道路
村内に高速道路はない。
- 最寄りインターチェンジ
- 一般国道
西米良村出身の著名人
参考文献・脚注
- 根岸鎮衛 『耳嚢』全3冊 長谷川強校注、岩波書店〈岩波文庫〉、1991年。 - 江戸時代の随筆。米良についての逸話を収録。
- 宮崎県高等学校社会科研究会歴史部会・編 『宮崎県の歴史散歩』 山川出版社、2006年 ISBN 4-634-24645-7
脚注 テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist