宇土市
宇土市(うとし)は、熊本県の中央部に位置する市で、小西行長の城下町である。中世から交通の要地であり、豪族たちがその支配をめぐって争いを続けてきた。近代以降も、熊本県における一つの商工業の拠点であり続けた。
地理
- 宇土半島の北半分を占める。
- 西部に有明海を臨む。御輿来 (おこしき)海岸は日本の渚100選に認定されている。
- 山:大岳(478m) ・雁回山(314m)
- 気候は1年を通じて温暖である。
隣接している自治体・行政区
地名
合併当時の大字は以下の通りであった。
- 宇土(旧宇土町)
- 江部(旧宇土町)
- 段原(旧宇土町)
- 築篭(旧宇土町)
- 松原(旧宇土町)
- 笠岩(旧網津村)
- 網引(旧網津村)
- 網津(旧網津村)
- 岩古曽(旧花園村)
- 古保里(旧花園村)
- 境目(旧花園村)
- 善道寺(旧花園村)
- 立岡(旧花園村)
- 花園(旧花園村)
- 松山(旧花園村)
- 石橋(旧轟村)
- 栗崎(旧轟村)
- 神合(旧轟村)
- 神馬(旧轟村)
- 椿原(旧轟村)
- 宮庄(旧轟村)
- 走潟(旧走潟村)
- 馬之瀬(旧緑川村)
- 恵塚(旧緑川村)
- 笹原(旧緑川村)
- 新開(旧緑川村)
- 城塚(旧緑川村)
- 野鶴(旧緑川村)
- 赤瀬(旧網田村)
- 網田(旧網田村)
- 下網田(旧網田村)
- 戸口浦(旧網田村)
- 長浜(旧網田村)
- 三拾町(旧守富村→富合村)
- 伊無田町(旧不知火村)
1966年に全域で町名設置が行われた。
- 石小路町(宇土)
- 新町1丁目~4丁目(宇土)
- 船場町(宇土)
- 本町1丁目~6丁目(宇土)
- 旭町(江部)
- 城之浦町(江部)
- 一里木町(段原)
- 入地町(段原)
- 浦田町(段原)
- 北段原町(段原)
- 古城町(段原)
- 栄町(段原)
- 新小路町(段原)
- 定府町(段原)
- 高柳町(段原)
- 南段原町(段原)
- 門内町(段原)
- 築篭町(築篭)
- 松原町(松原)
- 新松原町(松原)
- 住吉町(笠岩)
- 網引町(網引)
- 網津町(網津)
- 岩古曽町(岩古曽)
- 古保里町(古保里)
- 境目町(境目)
- 善道寺町(善道寺)
- 立岡町(立岡)
- 水町(立岡)
- 花園町(花園)
- 松山町(松山)
- 石橋町(石橋)
- 栗崎町(栗崎)
- 神合町(神合)
- 神馬町(神馬)
- 椿原町(椿原)
- 宮庄町(宮庄)
- 走潟町(走潟)
- 馬之瀬町(馬之瀬)
- 恵塚町(恵塚)
- 笹原町(笹原)
- 新開町(新開)
- 城塚町(城塚)
- 野鶴町(野鶴)
- 赤瀬町(赤瀬)
- 上網田町(網田)
- 下網田町(下網田)
- 戸口町(戸口浦)
- 長浜町(長浜)
- 三拾町(三拾町)
- 伊無田町(伊無田)
- 花園台町(2004年、花園町より分立)
歴史
今日の宇土市を含む宇土郡は古代から見られる地名であり、その由来は、宇土半島がもとは島で「浮土」と表したのが転じたという説と、細く長い谷の意味を持つとの説がある。日本の渚100選の1つ御輿来海岸は、4世紀に九州遠征の際に立ち寄った景行天皇が景色の美しさに見惚れて、御輿を止めて、休んだという伝説が名前の由来である。また、網田には景行天皇がその手を洗ったという御手洗(みたらい)があり、現在も澄んだ水が湧き出ている。
中世宇土城は1048年に築城されたと考えられている。中世初期に紀氏の一族が宇土氏を名乗る武士団を形成した。やがて、鎌倉時代末期に菊池氏の一族がやはり宇土氏を名乗り、宇土城の城主となった。
1501年に宇土為光が菊池能運を破るが、後に攻め滅ぼされる。一方、為光側にあって八代を追われた名和顕忠が空白となっていた宇土領に侵入して宇土氏に代わって宇土城の城主となった。名物「小袖餅」の名前の由来となった昔話に名和伯耆左衛門尉という領主が登場する。
豊臣秀吉の時代に、名和氏に代わって佐々成政が入るが改易され、続いて小西行長が24万石の大名として入り、近世宇土城を築城した。しかし、小西行長は関ヶ原の戦いで西軍に属したため、斬首の刑となり、その領地は加藤清正に与えられた。小西行長はキリシタン大名としても有名で、一家全員が洗礼を受けている。
加藤清正は宇土城を大改修し、完成させたが、「一国一城令」に基づき、廃城とした。なお熊本城内に現存する宇土櫓は熊本城築城当時からのものとされているが、近年まで宇土城の移築説も存在していた。加藤家が改易となった後、細川家が肥後国に入り、1646年、細川行孝を藩主とする宇土支藩(3万石)が置かれた。細川行孝は城下町の水質を改善するため、轟上水道をつくった。轟上水道に使われた技術は、神田上水・小田原水道に次ぐものとして、日本水道史上、特筆される。
近代に入ってからも、九州商業銀行(肥後銀行の前身)や火力発電所・マッチ工場などが建設され、商工業の中心であり続けた。
行政区域の変遷
- 1889年4月1日 - 町村制施行により、宇土郡宇土町・段原村・筑籠村・江部村・松原村が合併して宇土郡宇土町が発足。
- 1954年4月1日 - 宇土町・花園村・轟村・緑川村・網津村が対等合併して、新町制による宇土町が発足。
- 1954年10月1日 - 飽託郡走潟村、及び宇土郡不知火村の一部(伊無田)を編入。
- 1956年4月1日 - 下益城郡富合村の一部(三拾町地区)を編入。
- 1958年10月1日 - 網田村を編入し、同時に市制施行。宇土市が発足。
行政
歴代市長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | |
初代 | 大和忠三 | 1958年10月1日 | 1982年4月28日 | |
2 | 田代捨己 | 1982年4月29日 | 1990年4月28日 | |
3 | 西田誠 | 1990年4月29日 | 1998年4月28日 | |
4 | 田口信夫 | 1998年4月29日 | 2010年4月28日 | |
5 | 元松茂樹 | 2010年4月29日 |
国の機関
県の機関
熊本県保健環境科学研究所
産業
- 市内総生産 1,047億円(2004年度)
農業
水産業
製造業
- 食料品工業のほかに、化学工業・鉄鋼業もある。
- 特産物の伝統工芸品は張り子。ほかに銘菓として「うと餅」「小袖餅」がある。
宇土市に本社を置く主要企業
- カネリョウ海藻
- パナファーム・ラボラトリーズ
- 九州大王製紙パッケージ
市内に工場のある主要企業
地域
人口
教育
小学校
太字の小学校は標準服が存在している。
中学校
高等学校
交通
鉄道路線
路線バス
道路
- 国道
- 3号線と57号線は熊本市の近見交差点から宇土市の松原交差点までは重複している。
- 県道
船舶
- 宇土マリーナ
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
季節の祭り
- 粟嶋神社大祭(3月1日)
- 宇土大太鼓フェスティバル (8月第1土曜日)
- うと地蔵まつり (8月23日・24日)
- 山王神社甘酒まつり(旧暦の11月初めの申の日)
- 西岡神宮秋季例大祭 (10月19日)
名所・旧跡
- 住吉神社 (宇土市)
- 風流島
- 西岡神宮
- 轟貝塚(市指定史跡)縄文時代前期に九州を中心に分布する轟式土器の標式遺跡。
- 中世宇土城跡(国の史跡)
- 近世宇土城跡
- 轟泉自然公園
- 轟御殿(宇土細川家の菩提寺跡) 9月の名月の夜に名水名月合同茶会が開かれる。
- 粟嶋神社 ミニ鳥居がある。
- つつじヶ丘自然公園
- 甲岩自然公園
- 住吉自然公園(あじさいの名所) 6月に紫陽花マンドリンコンサートが開かれる。
- 立岡自然公園(桜の名所) 桜の開花時期にあわせて、うと花園桜まつりが開かれる。
- 御輿来海岸(日本の渚百選)
- 道の駅宇土マリーナ
- 長部田海床路
宇土市出身の著名人・有名人
- 天草四郎(島原の乱指導者・当地出生説あり)
- 釜賀一夫(陸軍軍人)
- 近藤民雄(商法学者)
- 源了圓(歴史学者)
- 松野良一(メディア研究者、ジャーナリスト)
- 篠原温亭(俳人、小説家)
- 真道黎明(日本画家)
- 伊藤直臣(洋画家)
- 吉津信一(造形作家)
- 松永壮(グラフィックデザイナー)
- 星乃ちろる(アイドルシンガー)
- 西山一星(ローカルタレント)
- 澤山収蔵(居合道家、伯耆流星野派)
- 不知火諾右衛門(元大相撲力士、第8代横綱)
- 牧本英輔(元大相撲力士)
- 濱ノ嶋啓志(元大相撲力士)
- 濱錦竜郎(元大相撲力士)
- 白乃波寿洋(元大相撲力士)
- 杉山哲(サッカー選手・コンサドーレ札幌)
- 山本大貴(サッカー選手・松本山雅FC)
- 脇戸新之助(バレーボール選手)
- 芥川愛加(女子バレーボール選手)
- 藤岡覚音(住職、浄土真宗本願寺派)